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11、探究者とみなされる

 緑色の絨毯の踏み心地は、毛糸というより草のしなやかさがある。本当に絨毯なのかなと疑いたくなり、芝生であるのが正しいと信じたくなる。

 進むにつれ廊下の奥の右壁の向こうから聞こえてくるのは小鳥の囀りや誰かの吹く微かな草笛の音、チリンチリンと響く鈴の音、風に揺れる木々の葉を揺らす音で、右に曲がった奥にある空間にあると連想できるのは、背の高い木々に囲まれた長閑な牧場にて鈴をつけられ飼われている牛や羊が青い空の元動き回る情景だ。ここは屋根がある建物だし、塀の向こうは隣家があるような街中だし、想像しているような地形があるはずは無いのに、と思っても、メルは違う情景を想像できないでいた。


<ここは…、>

 つい言葉を発してしまって、メルは慌てて口を手で隠した。街にある民家である以上、エリワラに暮らす王国人に聞かれている可能性があった。

 シモンズへと視線を向けると、「君が望んだ場所、ですね、」と言われてしまった。

 記憶を遡ってみて、海豹亭での会話へ行き当たる。

 春の女神の神殿だったりするのかな。この街には春の女神と風竜王の神殿があるという話だから、もしかするとそうなのかもしれない。

 ただ、女神の名前を出してうっかり誰かに聞かれていて後々面倒になるのは困る。メルはシモンズだけ聞こえるよう、小声でそっと尋ねてみる。

<これが神殿、ですか?>

 コホン、と咳払いをして、<隠す必要もありませんから話をしてもかまわないですよ、>とシモンズは王国語を話せないメルを気遣う言葉をくれた。

<ここが神殿だから、ですか?>

<ま、そんなところですね、>

 竜人の学者のシモンズがそういうのだから大丈夫だろうと考え直して、メルは少しだけ気持ちが楽になって、外では話し難い分ここで聞いてみよう、とこっそりと思った。

<この奥には、何があるんですか? 牧場だったりしますか?>

<ああ…、この奥は、>

 シモンズは目を細めて先を見定めて、無言のまましばらく進んで、<神殿に違いませんから安心しなさい。来たかったのでしたね?>と確認してきた。

 神殿に違いないってどういう意味なんだろう、ちょっと風変わりな神殿だっていう意味だったりするのかな。神殿なら神殿だって断言したらいいのに。

<そうです。神殿にある聖なる泉に用があるので。>

 ポケットにある小さな輝石に魔力を貯めたら、私だって魔法が使えるはずだから。

<でも、時間がかかりそうなら、帰った方がいい気がします。出発の時間がありますよね?>

<エリワラの街も領都マルクトでも、検問開始の時間は同じですよ。例外として早朝から検問所を通過できるのは、ミンクス侯爵家が発行する市場の立ち入り許可証を貰っている業者だけです。>

<馭者さんが待っていませんか?>

<大丈夫。気にすることはないですよ。>

 落ち着かないのは、メルが知っている神殿とは様子が違いすぎるからだ。

<引き返しませんか、>

 神殿なのに、妙な予感がする。

<どうして?>

 言葉にできるような理由なんかないと言ってしまうと、学者なシモンズに具体的な理由を追及されそうな気がするのは、気のせいじゃないはずだ。

 これ以上を尋ねられるのは嫌だなと思ったのもあって、ちょっとだけイラッとした雰囲気を演出しながら、メルはシモンズを見上げた。

 シモンズもギラギラとした瞳でメルの瞳の中を覗き込もうとするので、相手がどんな魔法を使うのかわからない以上無謀な戦いな気がして目を逸らす。


<聖なる泉ね…、>

 シモンズがそっと考え込む仕草をする反応をしたので何かあるのかなと問いたくなっても、メルとしてもどうしてなのかを探られたくないのもあって、深く立ち入っては尋ねられなかった。

 お互いに探り合うように黙ったままのふたりはやがて、白く輝く廊下の奥へと辿り着いた。


 ※ ※ ※


 光に輝く行き止まりは、ドアのない出入り口、といった風で、雑に切り取られた壁の終わり方だった。右側の壁の向こうにはまだ廊下が続いているのではなく、緑色の絨毯が馴染むように大草原と千切れたような雲がちらほら見える高い青空、緩やかな下り坂の中腹には石作りの古代よりの円形闘技場が見えている。


<あの、ここは…、>

 どう見たって別の場所へ繋がっていますよね?

 戸惑いながら、でも、好奇心もあって、眩しさに目を凝らす。

 下り坂の遥か先には濃淡のある緑色の四角の連続といくつかの茶色い線と石ころよりも小さな色がいくつも見える。畑と道なら、もしかするとあれは屋根の集合でつまり街なのかなと思えてくる。


<まずは行ってみましょうか、>

 すっと足を出して草原へと一歩踏み出して、シモンズが先を行った。

 太陽光を背に浴びて立つ姿は、やはり、シモンズはエリワラとは違う場所へ転移したのだと判ってくる。


<帰ってこれますか?>

 どこへつながっているのかわからない転移装置なんて危険でしかない。メルはおずおずと尋ねたのに、シモンズは<大丈夫。そこにいたって、出られないだけですよ?>と言って笑った。

 出られない、ということは、あの円形闘技場へ行って条件が達成されなければ出られる仕掛けが起動しないってことなのかな。


 メルの知っているドラドリに、エリワラの街でのイベントはない。

 だが、一緒にいるのはドラドリの公式の操作用ガイドブックに登場する案内人(ナビ)である賢者シモンズだ。

 向こう側は風が吹いているのか、シモンズは乱れる髪を手櫛で直した。


 もしかして隠れたイベントを見つけちゃった状況だったりする?

 精霊王のマントを隠すために王子たち主人公達の先を出し抜く必要のあるメルとしては、できれば知っておきたい情報だ。

 意識して興奮しているのをバレないように息を整えながら、シモンズを見つめ直した。

<ここについて、御存知なのですか?>


 風が強いのか、シモンズは膝を曲げ顔を俯けた。

<こっちにおいで。聞こえませんから。>

 間を置いて帰ってくる声も、どこか遠い。


 どれだけ距離をつないでいる出入り口なんだろう。

<足を踏み出したら、この出入り口は消えたりしますか?>

 叫んだら、どこまで響くのだろう。

 帰れるのかな、私。


 空を見上げて、シモンズは声を張り上げた。

<しませんね、そこはそのままです。>


 やっぱりこの人はここに来た経験があるんだ。

 それに、この人は帰れる条件も知っている。

 メルはそう確信して、信じてもいいなと思い始めていた。

<ここは、いつもこんな感じなんですか?>

 どう答えてくれるんだろう。

 街中の人が知っている仕掛けならもっと話題になっていそうなのに、表の建物自体、注目を集めていなさそうな雰囲気がする。

 普通に神殿を利用したら、起こらない現象なんだ。メルは考える。それってつまり、ゲームの本筋(シナリオ)を外れている存在で、正規のルートをサクサク進めて攻略していたら辿り着けない…?


<違う。だから、聞こえないのです、こっちにおいで、>

 シモンズはあくまでも屈託のない笑顔なので、騙そうとする思惑も演じているような不自然さもなかった。


 カイルやシュレイザを追う時間が気になるのもあって、知らないイベントは避けたい。でも、知りたい。

 知らないから、知って、勝ちたい。

 メルは覚悟を決めて草原へと降り立った。

 くるぶし程度の高さの草の下は岩盤なようで土や草の柔らかさよりもごつごつとした硬さが足裏に感じられた。しっかりとした質感が、実在する場所なのだと実感できた。風の勢いに、駆け出したくなる。つんのめってしまいそうになるのをゆっくりと歩いて馴染ませて、慎重に近付いていく。

 公式案内(ナビ)が行方不明になったなんて未来はありえない。きっと、大丈夫。

 振り返り背後に建物があるのを確認しつつもう一歩進んでみても、エリワラの街の一軒家からあった出入り口は消えないままだ。


<不思議な仕掛けですね。>

 ゲームにはなかった、とは言えなくても、言葉の通りに驚いているのは伝わると感じていた。

 太陽は近いはずなのにあまり暑くない。歩けば歩く程澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込めて爽快感があって、向かい風が強く吹いてもここには障害物がないからだってわかって、王国にあるゲームに登場するいくつかの山間部の街を連想する。

 だってここ、相当な高地なはずだわ。ゲームに出てきた場所のいくつかの映像と照らし合わせて、メルは頭の中にドラドリのマップを想像してみる。おそらくここはソローロ山脈のどこかだわ。しかもずっと北の方。公国(ヴィエルテ)側じゃないと思えるのは精霊の気配が一切しないからでもある。


 メルを待っていてくれたシモンズはメルに合わせて歩いてくれて、ふたりしてやや下った先にある円形闘技場へと向かう。

<あそこが神殿なのですか?>

 どう見たって違うって思っても、あえて尋ねてみる。

<そのようなものですよ。>

<ここに以前いらっしゃった時も、あそこへ行ったのですか?>

 シモンズはメルを見て、首を傾げた。

<あの時は…、>

 シモンズは言いかけて言葉を止め、そっと唇を撫でて、<君は春の女神様をどれだけ知っているのか、答えられそうですか?>と続ける。

<?>


 ドラドリというゲーム内に置いての春の女神マリって意味ですか?

 春の女神とは皇国(セリオ・トゥエル)における風属性の象徴でもあって、神官系の魔法を覚えるのに必要な祝福や加護をくれる存在という意味ですか?

 それに付随して獲得できる職位(クラス)についてって意味ですか?

 メルは、シモンズという存在がドラドリというゲームでの案内(ナビ)の立場にいるのか、この世界での学者の立場にいるのか混乱して、答えに詰まる。

 現在のメルとしては、この竜の国(スヴィルカーリャ)に生まれてしまった以上、春の女神は風竜王である雷竜シュガールの愛妻であるという程度で、竜王の方がどうしても信仰の度合いは高いし、畏敬の念が持てるのも竜王だったりする。女神や各精霊王は竜王と同格にこの世界を作る重要な存在であるとは頭ではわかっていても、生活の中で一番上にあるのはどうしても竜王で他の存在は一段下の格に捉えてしまっているのもあって、春の女神一個人への深い思い入れもなかったりする。

 シモンズが学者で教えるのが好きという性格なのを思い出して、メルは小さく首を振って知らないふりをすると決めた。説明を聞いた方が、この場では正解な選択な予感がする。


<春の女神様は、誕生を象徴されています。何度も何度も繰り返す春は、冬を乗り越えて生まれ変わる再生の象徴でもあります。>

 生まれ変わるという言葉に、一瞬、息が止まりそうになったのを、メルはシモンズに気取られない様に微笑んで誤魔化しておく。危ない危ない。公式案内(シモンズ)にこの世界への転生者がいるのだと知られるのはとてもマズい気がする。

<エリワラの街にある神殿は通常、他の土地にある神殿と同じように普通に神殿です。ただし、春の女神様の神殿は時々、どの神殿も普通ではなくなります。>

<仕掛けが、あるんですね?>

 きっとこんな風にどこかに転送されてしまう仕掛けがあって、その仕掛けには何かしらのきっかけがあるのだろうな。メルはそう思いながら近くに見えてくる円形闘技場を指さした。

<もしかして、冒険者だけが転移してしまう仕掛けがあったりしますか?>

<いいや、違います。私は冒険者ではないのにここにきているのだからね。>

 少しばかり楽しそうに声を弾ませて、シモンズは躊躇うような表情に一瞬だけなった。

<以前、一度だけここに来たことがあります。あの時は大変でしたよ。>

<戦うんですか?>

 シモンズは学者でも魔法が使えるらしいし、場所が円形闘技場だけに、メルの発想は戦闘へと戻ってしまう。

<違うな。そうですね…、少し黙ってついておいで? >

 見た方が早いっていう意味かなと思いつつ、メルは黙ってシモンズについて歩いた。


 聳える円形闘技場の建物全体の高さはさっきまでいたエリワラの街の公衆浴場を越えていそうで、余裕で何軒か収まりそうな程の横幅もある。石作りの建造物とはいえひとつひとつの石の大きさがほぼ揃っているので、人の手が加わっているのが見てとれる。案外しっかりとした作りに見えるのもあって相当文明が進んだ者たちが作り上げたのだろうなって想像がつくけど、時々苔むしていたり積み上げられた石が破損したりしているのを見るといつから人の手入れがされていないのかが気になってしまうところではある。

 シモンズは目的地を知っているような迷いのなさで通路を通って円形闘技場の中へと進むので、メルもあわててついていく。通り抜けても落ちてくる気配はないので、どうか帰りもそうあってほしいと願ってしまった。

 風の中に聞こえるはずのない歓声が聞こえた気がして円形闘技場を改めて見回すと、どう見ても誰もいない。この土地に残る記憶でも見てしまったのかな。高山のこんな場所なのに人が集まってかつては賑わっていたのかなって思えてくる。メルはちょっぴり切なくなった。闘技場の中心は朽ちたり割れたりしていて平坦であるとは言えない石畳で覆われていて、観客席もところどころ崩れて、座れる席よりも座れない程破損した場所が目立つ有様だ。


 シモンズは闘技場の中心に立ち、何かを待っているように見えた。

 誰かが現れたりするのかな。空を見上げても、何も見つからない。

 規模からして、竜が降臨しても大丈夫そうではある。

 メルは傍に立って、シモンズの真似をして待ってみることにした。

 青く広い空を見上げていると、こんな場所で舞を捧げて詠唱をしたら、と想像してしまっていた。

 どこまでも思いが伝わってどんな竜でも召喚できそうだわ。

 深く息を吸うと、いつもの倍以上に声が通る感覚がする。

 無意識のうちに顔をあげて、メルは両手の手のひらを開いて立っていた。

 いつでも詠唱できる気分でいたのに、円形闘技場のどこかから声が聞こえてきた。


<ようこそ、探究者よ、>

 

 探究者?

 どこから聞こえてくるのかわからない声に警戒して、メルは息を潜めた。

 私ではない気がする。探究者とは、学者であるシモンズの本質を言っていたりするのかな?


 ちらり、と視線をシモンズに向けると、シモンズは頭を垂れて静かに立っていた。

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