2 ここには理由がある
楽しそうな笑い声が響く裏庭には、まっすぐ白銀色の髪の浅黒い肌の色をした端正な顔立ちの赤茶色の瞳の中性的な容姿の青年と、大型犬が2匹、噴水の傍の芝生の上で戯れていた。亜麻色の毛の長い大型犬は長身で細身で、体毛が地面に触れるほど長くて揺れて風に揺れている。メルはこの世界で初めてこの犬種を見た気がする、と思った。祖父のマードックの家には旅の商人から貰ったり譲り受けたいろんな犬種がいたけれど、この犬種はいなかった。
男性は、猫男と思しき美しい茶金色の肩までかかる緩やかな髪にくりッとした黄土色の瞳のスマートで小柄な黒い執事服を着たほっそりとした顔つきの若い執事と、迷いの森での姿のルーグを見ると、真面目な顔つきになって立ち上がって腰に手を当てた。白いシャツに白いズボンを履いていて手足の長い彼は、シャツの腹のあたりに鼻を寄せる2頭の犬の頭を撫でると、「あっちにお行き、」と指をさした。
若い執事がルーグと並んで足元に跪いて頭を垂れている。
まさか。
メルは記憶の中にある、ドラドリでの地の精霊王と目の前の青年とを比較してみた。何十年か前の姿と何十年後の姿と言ってしまえば、同一人物と言われれば、納得してしまうかもしれない。
地の精霊王ダールだ…。年の頃は30代手前、シンより少し上くらいの年齢に見える。
若い執事とルーグが傅く姿を見て、部下でも家来でもないのだからメルは跪くお辞儀だけで済まそうと判断した。
やっぱりあれはルーグと一緒にいたから猫男だよね、と思い、でも、あの人って普通に人間に見えるけど、もしかしてヒト型なのかなとメルは思った。
ヒト型が取れるのは魔力が強い証拠だ。この中で魔力がないのは、私だけで、この場で、一番弱いのも、私だ。
ダールは興味深そうに念入りに深々とお辞儀をしたメルを観察している。じっと耐えて声をかけてもらうのを待つしかない。立場が目上の精霊王が声をかけてくれるのを待つのが下位の立場の庶民メルにできることだった。
何もせずにニヤニヤしながら立っているだけのシンと、メルに倣ってお辞儀をしたティヒとを見て、観察した結果に納得したのか地の精霊王は「シンまで来たのか。ああ、よいよい、君たちは協力者なんだろう。私の手の者が迷惑をかけて悪かったね、」とにっこりと笑った。
「よく来たね。歓迎するよ、さ、君はこっちへ、」
手招きされて、メルは従う。
「面白い、」
シンがこっそり呟いたのに驚いて、メルは思わずシンをまじまじと見上げた。
「何か、知ってるの?」
シンは何も言わずに口角を少し上げただけだった。
「ふうん?」
変な変態男、とメルも思ったけれど黙っておいた。シンが変なのは今に始まったことじゃない気がした。
地の精霊王が手を叩くと、どこからかふいに白い木製の椅子が4脚と白いテーブル、パラソルが現れた。若い執事がさっと手を伸ばしてパラソルを開いて、手際よく日陰を作った。日陰の中に椅子を置いて、まずダールに勧める。
「トゥルネ、気が利くね、」とゆったりと腰かけたダールは、「さ、座って。私はこの神殿の主、地の精霊王のダールだ。君たちを歓迎するよ、」とメルたちにも椅子を勧めてくれる。
拍子抜けするほどに好意的なダールにメルは面喰ってしまって、勧められるままに椅子に座った。ティヒは警戒しているのか後退りをしながらメルの背後に身を隠すと、山犬の姿のままで蹲る。
「なんだい、お前も座ればいいのに。ヒト型にくらい変身できるだろう、」
メルの向かいに座るとダールは悠々と足を組んで、メルとの間の席に座るシンを見つめた。
「シン、お前は座らなくていいと思うよ、」
「せっかくだから、いいだろ、」
シンは、立ったままでダールの傍に控えている若い執事とルーグをくいっと顎で差した。
「お前の執事を、易々と外に出していてよかったのか。」
「いいさ、そのための執事だ。信頼している。」
若い執事は瞳を伏せて無表情を装っていても機嫌が良さそうな雰囲気が伝わってくる。まるで鼻歌でも聞こえてきそうだ。
「この者は優秀だ。で、回収できたのかい、」
「はい、この通りでございます。」
若い執事が腰に下げた麻袋から恭しく光沢のある乳白色のハンカチの包みを差し出して、丁寧につまんで広げた。
真ん中にちょこんとウメの実が2つ乗っている。一つはスーシャのウメの実だと思うと、メルの胸はキュンと締め付けられた。消えてしまったスーシャの最後の表情を思い出して、悔しくも思えてくる。
「な? 無事に回収してきてくれた。トゥルネ、さすがだね。」
ダールは若い執事とルーグを見て、「あの者は、お前の姉は大丈夫だったのかい、」と尋ねた。
姉? メルは目を見張った。気のせいかなと思い、黙る。
スーシャは妹、だよね?
「はい。お気にかけてくださり光栄です。」
「聞かせてくれないか、」
「タズーリは最後まで抵抗して、スーシャの分を持ち逃げしようとまでしました。スーシャは、最後まで理解できずに、最後まで我が儘を通そうとしました。」
感情のない声色で、ルーグが無表情なまま淡々と報告する。
トゥルネも、「スーシャはこの者たちを巻き込もうとしました、」と付け加えた。「スーシャに巻き込まれて、この山犬は森を抜け出ました。」
山犬が森を抜けてはいけないのかな。他の山犬たちは森を出なかったと思い出す。
「そうかい、大変だったね。」
ダールがメルを見て、「ここに来たということは、スーシャの代わりなんだろうが、何も知らずに来た様子だね。トゥルネ、お前、説明しなかったね?」と目を細める。
「申し訳ありません。ちょこまかとよく動き回るので、面倒になりました。」
「まあいい。お前はお茶の用意をしてくれ。お前がいないと私好みの味を出せる者がいなくて辛かった。」
「! 主様、畏まりましてございます!」
嬉しそうに目を輝かせて、トゥルネは神殿の方へと軽い足取りで去っていった。
※ ※ ※
ダールは、黙ってメルを見る目ていたし、シンまで、足を組んで黙ったまま、メルを見ていた。
メルとしても、聞きたいことはたくさんあるのに、どこから手を付けていけばいいのか見当がつかない。不穏な空気が重くて、居心地が悪い。黙って肘を擦ると、様子を伺った。
「さて、この者にはどんな風に話をしているのかな。ルーグは知っているだろう? 足りないことを、教えてやれそうかい?」
トゥルネの気配が完全に消えると、ダールがメルの様子を観察しながらルーグに問いかける。
「はい、私でよければ。」
「では任せようかな、」
「地の精霊王様の御心のままに。」
ルーグは深々とお辞儀すると、立ったまま唐突に話し始めた。
※ ※ ※
「メル、悪かった。今回の一件は、スーシャの我儘が原因なんだ。」
メルの目をまっすぐに見て、神妙な面持ちで続ける。「姉の身代わりまで頼むことになってしまって、申し訳ないと思っている。」
身代わり?
妹じゃなくて姉?
我が儘って何?
「スーシャの我が儘って、ウメの実を食べなかったこと、でしょうか?」
混乱しているメルは、確認するために、ダールとルーグに問いかけてみる。「ウメの実を持ち出したこと、も?」
「ああ、スーシャはもともとこの神殿で私と一緒に見習いとして働いていた。私たちは地の精霊王様の神殿にお仕えする侍従と侍女の夫婦の子供だ。分化の済んでいない子供は見習いにしかなれない。分化していても魔法が使えないと見習のままだ。私たちはこのままここで大人になって、ここで働くのだと思いながら学んでいた。」
ん?
竜に村を焼かれて住む家を追われたのではなくて?
両親が竜に食われたのではなくて?
不思議そうな顔のメルを見て微かに微笑むと、ルーグは顔を引き締めた。
「メルにスーシャは間違った記憶を伝えている。スーシャは見習いだったけれど耳役の仕事を頂いていた。スーシャの思い出は、耳役として聞いた誰かの思い出だ。経験と空想とが混じってしまっている。」
どこかの誰かの思い出を、スーシャは自分のものとして語ったの? それが事実ではないと知りながら、ルーグは何も言わなかったのなら、どうしてなのかな…。
「一度あの森を出て戻ってきたスーシャは、いろんなことを忘れてしまっていた。」
迷いの森のルールは、一度出ると、帰る場所を忘れてしまう、んじゃなかったっけ?
「もしかして、忘れたのは、帰る場所だけじゃ、なかったのね、」
「そうだ。まず、スーシャは『迷いの森は彷徨える魂が輪廻の輪に戻るために心の準備をするための森』という大前提を忘れている。スーシャが話していた内容は、例えるなら…、大事な手紙がまだら模様に虫食いになってしまっている不確かなものだった、と思ってほしい。」
「輪廻の輪…、彷徨える魂って、死んでしまった者、ということ?」
この世界では、生きとし生ける者が役目を終えて死を迎えると、魂は体を離れて次の生へと生まれ変わるとされていた。時の女神の神殿から広まった教えで、輪のように続く循環を『輪廻の輪』と呼んでいて、その輪から外れてしまうと『死霊』と呼ばれるどこにも行けない哀れなものになってしまうのだとメルも幼い頃から聞かされてきている。
彷徨える魂とは、次の生へと生まれ変わる前の段階のことをいうのかな、とメルは思った。
ルーグは答えずに、唇を噛んだ。
そう、なんだ…。
スーシャは、あの森にいた時点で既に死んでいたってことなのかな。
「大前提をスーシャは語ってくれなかった。そんな大切なことを忘れているなんて、全然話が違ってくるんじゃ…?」
「そうだ、穴あきの手紙に、間違った言葉が嵌め込まれて、間違った情報になった。それが、メルに話したスーシャの記憶だ。」
まだら模様の虫食いの手紙に間違った言葉憶が埋め込まれていけば、それってかなり別人な印象じゃないのかなとメルは思い、ルーグが言うように『妹』ではなく『姉』が正しいのかなと思えてくる。
「あの時、私たちは、いつも通り仕事、いや、お手伝いをするのに退屈して、地の精霊王様の元へやってくる者たちの行列に紛れ込んだ。父さんも母さんも決して表の行列には並んではいけないと言っていたのに、悪戯心を起こして…、深く考えることもなく、私たちは一緒に並んで、お庭のウメの木まで列に加わって待った。」
堰を切ったように、ルーグからは言葉が迸る。
「バレるかなってスーシャが笑って、ドキドキしながら並んだんだ。父さんと母さんがいけないって言った意味を考えずに、バレないかどうかばかり考えてワクワクして、スーシャと笑って、とても楽しかった。あんなに興奮したことはないよ。バレないでいることがあんなに面白いことだなんて、後にも先にも、感じたことがない…。」
ルーグが思い出したのか俯いたまま黙ってしまったので、ダールが仕方ないなとばかりに小さく溜め息をついて助け舟を出した。
「あのウメの実は生き直すために、命が尽きようとしている者へ授ける私からの祝福なのだよ。死を迎えることを選ばずに私のための力となりたいのなら、私は喜んで迎え入れようと思っている。地の精霊王である私の眷属として仕えてくれるのならと与えている褒美とも言えるね。」
同じ転生するのなら、勢力を保つための手駒として生まれ変わってくれる方が、地の精霊王としても都合がいいということなのね。それも一つの輪廻の輪なのかな、とメルは思った。
「食べて、苦く感じれば魔力を少し持つ野に棲む精霊となる。酸っぱく感じれば並みの精霊や妖、甘く感じれば魔力が多い、この者のような、名のある妖になる。食べるのを拒めば、輪廻の輪に戻ることになるね。」
「では、あの行列に並ぶということは、どれかを選ばなくてはいけない、ということですか。」
指先で目じりの涙を拭って、メルを見て、ルーグが悲しそうに頷いた。
「軽い気持ちで並んだ私たちは、食べる食べないの理由も、軽いものだった。『ルーグ、先に食べてよ、』とスーシャに命令されて私は食べたのに、スーシャは『甘くないかもしれないから食べない』と言って食べなかった。」
食べないことは、死を選ぶことと同じとは、考えなかったんだ…。
「スーシャは、禁忌を犯した、」
ダールが肩を竦めた。「今まで、この神殿に働く者の身内でこんなことをしでかした者はいなかったなあ。前例がないから、私も驚いたよ。未分化の子供だからと見逃すわけにはいかなかったしね。」
「ウメの実を食べた後、水を飲むように勧められる。スーシャは梅の実を隠したまま、食べたふりをして水を飲んだ。私と一緒に…。」
ルーグは悲しそうに目を伏せた。
「ウメの実を食べてしまった私は、プーカという妖になってしまった。あの列に並んだ者は、水を飲むことで転送されてしまう。私たちは、地上に放り出された。父さんと母さんに別れも告げずに、家族は、バラバラになったんだ。」
細かく肩を震わせて、ルーグが唇を噛んだ。
ダールは小さく微笑むと、ルーグを待て、とばかりにメルを見た。
「…私たちはもともと地の神殿に奉公する精霊だった。ここで暮らしていたから、あの森のことも知っていた。」
ルーグは、空を見上げて、何かを思い出そうとしているのか、少し考えてから、また話し始めた。
「帰る場所を覚えている者は、あの森を出て、帰る場所の縁を頼って生まれ変わる。血縁も地縁も覚えていない者は、あの森から出られない。時が来れば縁も所縁もないところで生まれ変わる。私は、スーシャだけでも、父さんや母さんの元に帰してやりたかった。」
だから、ルーグは森を出なかったのかな。
「でも、スーシャは、実験だと言って一度出たのに森に戻ってきてしまった。あの森に来た理由も帰る場所もすっかり忘れているのに、私を見て、『兄さんが覚えているから大丈夫だ、』と言ったんだ、」
悲しそうにルーグは笑った。
「兄さんと、無邪気に笑ったスーシャを見て、もういろんなことを忘れてしまったんだと悟った。話してみると、スーシャはどさくさに紛れてウメの実を持ち出したのは覚えていた。耳役の仕事で得た話がスーシャの身の上話に変わっていた。もう、私の知っているスーシャとは違うのだと思った。」
「大前提も、忘れていると、気が付いたのね?」
「ああ。スーシャはここで生まれた者だから、ここを覚えていればここに生まれ変わって帰ってくることができた。私はもう妖になってしまった。彷徨える魂じゃない私は、あの森を出てもここへは帰れないんだ。妖として生きていくのだから。一緒にあの森を出ると、すべてを忘れているスーシャはどこか判らないところへ生まれ変わってしまうことになる。私の前からは消えてしまうんだ。スーシャがいなくなると、私は一人ぼっちになる。時が来るまでスーシャと一緒にいたかった。だから、私は出られなくなってしまった。スーシャも、どこにも行けなくなってしまった。」
悲しそうに、ルーグは瞳を伏せた。
「スーシャは生贄になることを躊躇わなかった。お前に、スーシャがウメの実を差し出して逃げるつもりだと話しているのを聞いて、なんと愚かな子供だろうと思った。主様のお優しいお気持ちの詰まったウメの実を主様から騙し取っておいて利用するなんて、許せないと思った。」
スーシャの無邪気に話していた様子を思い出しながら、メルはルーグを見つめた。
「私は賢い姉のスーシャが大好きだった。私の知っているスーシャは本当にいないのだと、あの時理解したんだ…。」
地の精霊王ダールを慕う気持ちがあるからこそ、ルーグはトゥルネに協力したのかもしれない。苦しみを背負っていたのは、ルーグだったんだ…。
カタカタと軋む音を転がしながらお茶の用意を乗せたカートを押して、トゥルネが現れた。身綺麗にして着替えたのかシャツにはノリが効いていてパリッとして見えて、顔つきもさっぱりとしていた。品の良い執事トゥルネは悠然とお辞儀をする。
「お待たせいたしました、主様。焼き菓子もお持ちしました。お茶になさいませんか、」
「嬉しいね、トゥルネのお茶を楽しみに待っていたんだよ。トゥルネのお茶は最高だから、客人たちも必ず気に入ると思うよ。」
ダールの言葉に照れたようにお辞儀して、トゥルネはテーブルにカップを並べ始めた。
なみなみと注がれる紅茶は甘い香りを漂わせていて、小皿に乗った焼き菓子はマフィンで、梅の香りがほのかに漂ってくる。
「この焼き菓子はうちの料理人たちが作るウメジャムを砂糖の代わりに使って作らせているんだ。とてもいい味わいだよ、」
「ジャムにできる程、ウメの実は、沢山採れるのですか?」
だったらひとつくらい、と思いかけて、そのひとつも、魔力の籠った実なのだとしたら貴重なひとつなのだと考えを改める。
ゲームの中で地の精霊王の神殿には梅の木はなかった。ウメの実が重要な品だという扱いもなかった。
スーシャやダールと出会って梅の木があると知ったくらいだった。
だとすると、ここには果樹園でもあるのかな。頭の中で、地の精霊王の神殿エリアの攻略マップを思い浮かべる。
分け与えたりジャムができるほどの量を生産できるほどのウメの実を一本の木で賄うのは難しいと思えた。
メルの質問に、ダールは冷ややかに目を細めて、代わりにトゥルネが「この裏庭の奥に、果樹園があって、その中にはウメ園があるのだ、」と教えてくれる。
「主様の加護と祝福を受けた木は中庭の一本だけだ。あとは、私たち従者が接ぎ木をして増やして食用にお育てしてお守りしている。」
「梅の木は花も実も美しいからね、」
さっそくカップを手に取り口をつけると、ダールはうっとりとした表情になり香りを楽しんだ後、「やっぱりトゥルネが淹れたお茶は他の者のとは違うね、」と呟いた。
トゥルネが目を輝かせているのを見ながら、メルも紅茶を口に含む。ほんのりと甘みと渋みがあって、鼻を抜けるようなさわやかな味わいがして、悲しい心が暖かな気持ちになる気がした。
「さて、それでどうしてメルが関わってくるんだ?」
黙って聞いていたシンは、カップに手を付けず、ダールを静かに見ていた。
「メルをここに連れてこさせたのには理由がある。そうだろう?」
ルーグが、気まずそうに、指を組んで合わせている自分の手を見ていた。
ありがとうございました




