7、潔白を証明したい
しばらく働くってことはしばらく領都マルクトから出られないって意味だ。
メルはシュレイザを追いかけていきたかったので、それは無理だと思った。いくらメルの親に手付金を払っていようと、契約を正式に交わしたわけじゃない。隙を見て逃げるしかないのかな。でもどうやって。
目の前にいる竜人は本当に学者なだけとは思えなくて、魔力を持つ人間であり適度に魔法が使えるのだと想定して、護身のためにも警戒した方がよさそうな気がしてきた。かと言って具体的に魔法に対抗できる手段は何も思い浮かばなくて、結局、隙を見て逃げるしかないのかななんて思えてしまう。
「それにしても、どうしてあんなに嘘を付くのか…。不思議でならないですね。まるで調べてくれと言っているかのようです。」
自分の膝の上で組んだ指を見つめて、シモンズは呟く。
『あんなに嘘を付く』と言うからには、嘘はひとつやふたつではなさそうな気がする。メルには単純にレイラや伯父のルースが嘘つき呼ばわりされたのだと思えてしまい腹が立ってくる。
聞きたいことは沢山ある。厄介な印って何か知りたいし小者として働くという理由も聞きたいけど、嘘付きと言われる理由は勘違いであってほしいし事実ではないのなら否定しておきたいから一番知りたい。
<あの、質問してもいいですか、>
呼びかける声は聞こえているはずなのに、シモンズは反応してくれない。友好的ではない態度だ。
興味のあることになら反応するのかな。間違ったらもっと話してくれなくなりそうな気がして緊張する。メルはぎゅっと手を握った。王国語じゃないから返事をしない、という理由ならどうやっても無理だけど、問いかける言葉が違うだけなら言い方を変えてみれば返事をしてもらえるかもしれない。
この人は竜人で、見かけよりも年を重ねている。尊敬されるのも特別扱いされるのも慣れている。私のことを小者にしたがっている。どうして、侍女ではなく小者なんだろう。性差を感じるのは嫌だから? 小者は、弟子でもない。弟子なら責任が伴うし、育てる必要がある。この人が欲しいのは、純粋な尊敬だ。
<あなたは何でも知っている学者様だって聞いています。嘘ではない真実を、どうか教えて貰えますか?>
まだ、響かない?
教えたいと思わせるには、私の意見も必要だ。
<私には、ルース伯父さんたちが嘘をついているとは思えません。嘘をつく理由がないからです。>
<…君はおかしなことを口にしますね。嘘をつく理由があるから嘘をつくのでしょう?>
<そうですが…、>
シモンズは漸く顔を上げて、メルの顔へと視線を向けた。細めた目は何かを見極めようとしている。
こっちへ顔を向けてくれた! メルは嬉しい気持ちをそっと隠す。
<少なくとも、血縁関係がある私には嘘を付く理由など見当たらない、と思うのです。>
<ああ君にはそう見えているのですか。そうですね、私が判っていることと、嘘だと思ったこととを照らし合わせていけば判りますか? あ、気にしなくていいのです。話すことで私自身の整理になりますから。>
親切なのか細かい性格なのか、メルにはシモンズがよくわからない。
<教えてください。私をよくしてくれている人たちが、悪く言われるのはとても辛いです。お願いします。>
<そういう感情って面倒ですね…。まあ雇用者である私が、使用者となる小者と信頼関係を築くのに必要な第一歩となる行程だと思えばいいですね。>
いちいち上下関係をはっきりさせたがるのね。メルは少しだけ呆れてしまった。情報を得るためには迎合する方がよさそうだと判断して、適当に黙って頷いておく。
<まず、私だって何も調べないでここへ来たわけではないのですよ。君は神隠しにあったという娘ですよね?>
つい先日の夕暮れ時の混雑した時間帯での領都ではない田舎町での出来事をもう耳に入れているシモンズの、短時間で誰なのかまで掌握済みという情報収集能力の高さにすっかり圧倒されてしまったメルは、つい何度か頷いて肯定してしまう。
<あの親子は帳簿までもってきて証明しようとしていましたが…、ククルールのルース商会から来たミレイラーシュという娘が、どれくらいの頻度でミンクス侯爵家と実家とを行き来しているのかぐらいは事前に調査して把握済みです。竜騎士シュレイザがどの程度傭兵として雇われて馬車の護衛として付き添っているのかも、大体知っています。>
この人はミンクス侯爵家という権力の側に立っている人だ。検問所の記録を閲覧済みだからこその把握なんだろうな。メルはミンクス侯爵家と学者の関係は相当に良好で権限もかなり与えられているのだと理解もする。
<私の知る限り、週の半分もあの娘はククルールのあの家に帰っていません。せいぜい言って週末のみです。常日頃から竜騎士が護衛していると思われるルース商会の馬車はマルクト・ククルール間を程よく行き来していて、あの娘の帰省に必ずしも合わされている訳でもありません。私の知りたかった時期はちょうど先月の土曜市がある週末で、領都にはルース商会の馬車が来ていましたし、その前後でルース商会の馬車は何度かマルクト・ククルール間を行き来していたようです。>
メルは頭の中で一台ではなく数台の馬車が行き来していそうだなと想像できていて、どの馬車にシュレイザ叔父さんが同行し実際にレイラが帰省に利用しているのかまでは帳簿を見ただけでは判らないのかもしれないなと思い始めていた。メルの1周目での傭兵の検問所での扱いは、例えローザたちが親切でも、他の商会の旅団と同じように馬車の荷台に乗る商品のように雑に管理されていて、細かい人数や人名などは提示した書類を一瞥しただけだった覚えがあるからだ。レイラは雇用者側なので通常、検問通過時に身元を証明する書類や通行許可証の提示を求められていそうでも、妙齢の女性ということもあって顔をスカーフで隠している可能性だってあるし騎士や門番たちがしっかりと顔を見つめている訳でもなさそうなのだ。規則通りの対応がされ正確に顔を知られている、という状態ではない気がする。
<週の半分も帰省していてもいなくても、抽出したどこかの週の日程が実際に週の半分も帰省していれば、他の週も同等であると見做して扱うのは、あくまで誇張であって嘘ではありません。竜騎士がいつも同行していたのは馬車にであって、必ずしもミレイラーシュという娘が乗っている馬車でもないのです。君は神隠しによってしばらくの間の事情を知らないのですから、あの親子は私に対して言葉巧みに騙すのと同時に、何かを隠すために嘘を付いて偽りの記録が真実だと誤解させようとしました。だから、私が『彼らはあんなに嘘を付いた』というのは間違った認識ではないのです。わかりますか?>
どうしてそんなに拘ったりするのか不思議、とメルはふと思った。6月の土曜日を含んだ週末にどんな意味があるというのだろう。ついでに首を傾げる。
この世界は誰もが文字を読めるわけでも書けるわけでもない。魔法が使える竜人は貴重な存在として領主の庇護下に置かれるのは珍しいことではない。学者という職位は冒険者にもある。冒険者の場合は賢者に職位変更してさらに稀有な存在になるので、貴重な竜人はより希少な存在へとなる。
働かなくても庇護されて暮らしているため食い扶持は確保されている特別なシモンズが、竜騎士の動向に注目している理由が見えてこない。
<例え、嘘を付いていたとしても、嘘を付く理由が判らないです。私に嘘を付いても、何も得はしないと思います。かえって良くない結果となるというか、信頼しあっていた親戚関係が崩壊してしまう気がするし、人間関係に溝が出来そうです。>
<ならないでしょうね。>
<どうしてですか、>
<君は竜騎士であるシュレイザとは師弟関係にあるのでしたね? あの親子のような支援者である者たちと師匠にある者との間に亀裂が入ってはいけないと思っているとすれば、弟子なら、自分が知らない情報についての真偽を確かめようとは思わないはずです。しかも自分自身にとってもあの支援者親子は失ってはいけない関係だとしたら、師匠に確認しなくても、支援者が師匠の行動をそう告げるのなら疑ってはならないとばかりに納得してしまうのではありませんか。違いますか?>
<違う…、いえ、違わないです。>
レイラが嘘を付いたとしても、メルはその場に居合わせる『メル以外の誰か』に対してのメルを庇う嘘だと思って同調してしまうだろうと思った。自分を庇うための嘘だと思う根拠は、服をくれたりメルの家族を気遣ってくれるレイラがまさかメルを裏切るとは思っていないし、とても思えないからだ。
<思うに、あの嘘は、私を騙すためのもので、君を騙すためのものではないと思います。安心するといいでしょう、>
メルはちょっと満足して、少しだけ、微笑んでしまった。
<私が知りたいのは、純粋に竜騎士の行動なのです。私自身は真実が知りたくて協力を仰ぐために正直に話したのに相手は私を騙そうと嘘を付くとなると、あの者たちが私の地位や身分を知っていても嘘を付いた理由はひとえに竜騎士を庇うためで、嘘を付いてまでして隠したいのは、本当に私が知りたい期間における竜騎士の動向を本当に彼らは知らないからだとも言えますね。>
<どうして、その期間に拘るのですか? デリーラル公領で何かあったのですか?>
少なくともククルールやティポロスでつながりのある人々はシュレイザ叔父さんがデリーラル公領にいようといなかろうと誰も問題にしていないのに、どうして完全に部外者だと言えそうなこの人はひどく気にしていたりするのだろう。
ドラドリというゲームの案内役という立ち位置で知っているのか、この世界での学者という立ち位置で見ているのか、メルはわからなくなっていた。
学者は眉間に皺を寄せ、ムッとした表情になった。
<その調子だと、デリーラル公領での大虐殺事件を知らないようですね? 同じ時期に、デリーラル公領の領都ホバッサでは大規模な魔物の殲滅と善良な市民の大虐殺事件とがあったと、このミンクス候領でも一時噂になっていました。名を公開されていない魔物を退治した勇者は実は名のある冒険者ではないかと詮索され美談に変えられようとしても、大虐殺事件の犯人とされる者に関しては人なのか魔物なのかすら未だにわかっていません。>
<大虐殺、ですか?>
初めて聞く話で、メルはどうして今その話をするのか関連も判らなかった。シモンズはそんなメルの顔を見て<その顔、やっぱり知らないようですね?>と言った。
勝ち誇ったような眼の光を見てしまうと、反応を試されたのだとメルは悟ってしまった。レイラはもちろん、ククルールに戻ってきてから母ディナも弟アオも誰もそんな事件の話をしていないし知るきっかけがなかったのだから、メルは確実に知らないのだと、再確認されてしまったのだとも理解する。
<まったく知らないです。でも、シュレイザ叔父さんがそんな悪行をしでかすなんて思えません。関係ないと思います。>
名のある冒険者をシュレイザ叔父さんだと考えているのなら、叔父さんの留守に叔父さんの動向を確認したりする必要はないとメルは思う。この竜人の学者さんがしつこくシュレイザ叔父さんの動向を知りたいというのは、竜騎士であるシュレイザ叔父さんが大虐殺をやったと証明したいからなのかなと思えてくる。いくらなんでも濡れ衣にもほどがある気がする。でもどうして?
この国での人は、竜人、人間、半妖、と混じる血で差別される。この学者が竜人で、シュレイザ叔父さんは妖の血が混じっているから?
偏見に根拠があるとするなら、真実なんてあってないようなものです。メルは怒りの感情に任せてシモンズに反論しそうになるのを圧し留め、何度も息を吸って吐いてして紛らわせてみる。
レイラもルース伯父さんも、その時期、シュレイザ叔父さんの身近にいたのだから、私よりももっと歯痒かったと思うわ。
メルとしては、自分が短気を起こしてこれまで誰かがしてくれていたシュレイザへの気遣いが台無しになってしまうのは避けたかった。
<君と同じようにあの親子も関係がないと判断したから、嘘を付いてまでして庇ったのではないかなと私は思っていますよ? 何しろ、こちらの情報では、竜騎士シュレイザがマルクトで見つかった時、血まみれの服を着て記憶を失った状態で聖堂の治癒師に助けられていたとあるのですから。>
<記憶がないし、行動が不明だから、嘘を付いて庇ったとでも言いたいのですか、>
それって、現場不在証明ができないって意味?
メルはこの世界の概念にアリバイがあったのかどうか一瞬わからなくなって、魔法が使われているとなると余計に判らなくなってしまうだろうなと思えてきた。竜騎士であるシュレイザは魔法が使える。レイラたちは使えない。シモンズにレイラたちが騙されていると判断されてしまうかもしれなくて、ますますシュレイザの身が不憫に思えてきてしまう。
<誰だって自分の身近な存在が大虐殺事件の容疑者だと思いたくないし、そうであってほしくないと信じていると私は思いますが、君は違うのですか?>
<…違わないです。>
どんな対応をしていけば、うまく追及を躱していけるのだろう。メルはつい唇を噛んでしまう。
<ですね? 幸いと言うべきか、どの領でも魔物による襲撃や殺戮は珍しい事件ではありませんから、大虐殺事件の犯人探しが囁かれていたのはつかの間です。問題があるとするなら、竜人の神官に名のある冒険者について問い合わせたところ、『そんな者は知らない』と返事が返ってきました。この神官はデリーラル公領の領都ホバッサにある神殿のすべてを統括していたとされる高齢の竜人で、端正な容姿と類をみない出自と竜の血を引く高貴な存在故に神のように崇められていた人物でもあります。魔物の殲滅と関係があるのではないかと噂されていた人物ではあったものの、領主家の血を引くという理由から聴取の対象から外されていた存在でもあります。大虐殺事件にももしかすると関与しているかもしれませんが、何しろ秘密が多いのです。>
シモンズは顔を曇らせた。
<デリーラル公爵家から使いがミンクス侯爵家に来たはずなのに、公爵家は知らないという返答がありました。では一体誰がミンクス侯爵家に依頼をしたのか。侯爵家から依頼を受けたはずの竜騎士のシュレイザの記憶は喪失されたとされていて、聖堂の神官や治癒師でも復元はできなかったそうです。あの夜一体何が起こったのか、誰も知りません。>
<そんなこと、ありえない気がします。>
冒険者の特権は領主への面会なので、シュレイザ叔父さんとの面会なら記録が残っていそうなのに、どうして記録にないのだろう。
メルとしてはシュレイザは記憶喪失になるような大惨事に巻き込まれたのではないかなと思えてきた。私の記憶の欠落とはまた違うのなら、地の精霊王ダールが関与しているわけではなさそうだ、とも思えてくる。
<唯一知っていそうな竜人の神官はあの日を境に神殿に籠られていたそうです。めぼしい情報がない故に大虐殺事件の被害者家族がかなりいて納得のいかない者も多く、このまま犯人が見つからないのならいっそ魔物による大虐殺事件として処理してほしいと公爵家にも王都の聖堂にも請願があって、本当の犯人探しは終わりとなりうやむやにされてしまいました。ただし、領をあげての鎮魂の意味も込めて、魔物による大虐殺事件を弔うため、8月の竜魔王討伐の遠征部隊にデリーラル公家から当代の『風砕の剣』の使い手が正式に選出されると決まったと聞いています。>
<風砕の剣って、4大名剣のうちの一本、ですよね?>
メルは記憶を辿りながら言葉にしていい情報なのかどうかを戸惑いながら尋ねてみる。
4大名剣は、ドラドリのゲームの中でも重要アイテムとして登場する。風砕の剣は、物語の開始と同時に主人公たちの小隊の中に存在せず、在り処も判っていなかった。
風砕の剣を見つけるのはかなり本筋が進んだ後で、在り処は別のイベントで訪れるデリーラル公領領都ホバッサ近くにある山中の古代迷宮の中で見つける宝箱の中だったりする。
主人公たちはその後のイベントにて、結界を打破する際に風砕の剣を使うのである。
どうしてこんな早い時期に、重要な剣が王子たちの手に入る事態となってしまっているの?
困惑しながらも、メルは自分自身の罪を閃くように思い出す。
まさか私が精霊王のマントを兄さんに託したのがきっかけで、本筋から消えてしまっているから、代わりに?
そんなはずは無いと否定してもそんな因果はないのだとどんなに思えていても、心の中のざわめきを学者に気取られてはいけない。メルはそっと唇を噛んだ。
<今日ここへ来たのは、私自身が次の段階へと進みたいと思ったからです。竜騎士のシュレイザに会って腹を割って話がしてみたかったのです。>
シモンズは暗く澄んだ瞳でメルを見つめた。
<竜人の神官は先日の新月の夜、息を引き取られました。つい先ほどデリーラル公領から悲報が届けられたのです。これで、デリーラル公領での一連の大事件の真相を語れる者が消えてしまいました。>
ありがとうございました




