6、竜騎士の威を借る
この流れでは埋め合わせに利用されるのだとしかメルには思えなかった。シュレイザの件を諦めた代わりに代償を貰うと言われたような気がしてならない。
「何がです?」
レイラが気色ばんでいるのが声から想像がついた。
「この話はもういいとします。次の話に移りたいのです。」
「シモンズ様?」
「私の身の回りの世話をしてくれる小者を探していたのを思い出しました。背格好と言い、理想に近いのです。この子を領都の屋敷まで連れて行こうと思います。」
しらじらしい、と、メルは心の中で呟く。何をどう見たら働き者な小者に見えるのかと問いたくなる。口を噤んで言葉を殺しているレイラはメルよりもずっと身分差に配慮して感情を殺しているのだろうなと思えたても、言葉が女神の言葉しか話せないメルとしては、レイラを頼るより他なかった。断ってほしいという気持ちを目配せで伝える。
「いけませんわ、この子はまだ行儀見習いもさせておりませんの、」
大きく頷いてから、レイラがメルを隠すように体を向きを変えながら言った。キッと睨むようにして、父親であるルースに鋭く問いかける。「お父さま、待ち時間のお話とはそういうお話でしたの?」
オロオロとレイラと竜人の学者であるシモンズとを見比べて、ルースは一瞬目が合ったメルに小さく頷いて見せて、ダンッと音を立てて床を一歩踏み出した。
「これはこれは…、当家との所縁のある竜騎士様にご面会をとのお話で伺っておりましたが、いささかお話が違うようですな。お戯れはおよし下され。」
ルースはさらにゲホゲホとわざと咳払いをして部屋にいる誰もの注意を引き付け、メルを見つめたままのシモンズに言葉を続ける。
「ご希望の情報をこの子が知っているとは思えませんな。どうか、この子への執着はこの瞬間だけとしていただきたいと思っております。当家としても、竜騎士様は貴重な存在ですので、お互いに良き関係でありたいと思っておりますゆえ。」
シュレイザの職位を繰り返して念を押すのは、ある意味シュレイザの威を借りているようにも見える。
「私はミンクス侯爵家にて専属の学者として長年、公私にわたって御当主様やご家族様の御話し相手をさせていただいておりますよ?」
武力的な立場では竜騎士シュレイザが勝っても、政治的な立場ではシモンズの方が強いとでも言いたいらしい。メルとしてはルースが一瞬でも怯んだ表情をしてしまったのを見てしまったので、伯父さんの負けだわ、と判ってしまう。
レイラが俯いたのを敗北と見たのか、スサッとマントを翻しシモンズは身を屈めてレイラの陰に隠れているメルの顔を覗き込んだ。そっと耳元で囁いたのは<秘密を明かされたくないなら、一緒に来なさい>という脅しの言葉だった。
女神の言葉?
言葉の内容もあって、メルは面食らって瞬きができない。
対価に貰っていきますと言われた方がメル個人の事情ではないと言われている気がして気楽なのに、これではまるで私に原因があるようだわと思えてしまった『秘密』と言われてしまうと、誰のどんな秘密を嗅ぎつけられたのかわからくて居心地も悪くなる。
少なくとも私の秘密だ。カイル兄さんやシュレイザ叔父さんの秘密なら、こんな風に切り札にはしない。
嫌ですと抵抗したらどうなるんだろうと考えてみて、実際に言葉にするつもりで顔を上げてみて止める。
シモンズは冷ややかな表情でうっすらと微笑んでいた。メルの決定的な『何か』を掴んでいる余裕がある。
完全に勝ったつもりでいるのが悔しくても、嫌ですと言えなくて、メルは唇を噛む。
頭の中で閃くように、符号が合致する。
この表情を知っている。
メルはやっと気が付いて、心が晴れた気がした。
この人は、ドラドリの操作手順を案内してくれた公式ガイドブックにあった賢者だ。
すんなりと思い出せなかったのは、慣れるまで案内を何度か参考にしていても、必要な個所を見ていただけで操作をしながらだったし、賢者の顔ばかりをまじまじと見つめていたわけではなかったからだと思う。
竜人の学者・シモンズと名前や肩書はなかったけれど、公式見解では一番この世界を知っていると認知されている人物だ。
そんな存在がバラすと言えてしまうような『秘密』って何だろう。
否定できないままシモンズを見つめるメルに満足そうに頷いて見せて、シモンズは「この子の親にはあとで給金を持っていかせましょう、とりあえず手付金はこの輝石で、」と手の指に嵌めていたいくつかある指輪のうちの鮮やかな大粒の黄緑色の葡萄石の指輪をレイラに押し付けた。
「これを金に換えたら、問題ありませんね?」
手の上に置かれた黄緑色の輝石が眩しい指輪を見つめていたレイラは、その言葉にハッと我に返って「いただけません、このようなもの!」とはっきりと断った。
「いいんですよ、気にしないで?」
パチンパチンとシモンズの指が鳴って、廊下の向こうで控えていた傭兵たちが応接室へと入ってきた。メルの肩を抱いて歩き出したシモンズを追いかけようとするレイラやルースの前に立ちはだかって、颯爽と人の壁となってしまっている。
「その石はあなたではなく、この子の家族に渡すのです。間違えてはいけません。奉公に出るのに手付金もないなんて、この子を育てた親御さんに失礼ですからね?」
アハハハと軽く笑いながら、メルを連れて竜人の学者は部屋を出てしまった。
足止めの代わりに傭兵たちが部屋に残っていて、レイラの早口に抗議する声が背中越しに聞こえてくる。連れ出されたメルはどうしようと思うばかりで何もできず、かといってこの機会を逃してしまったら見つかってしまった『秘密』が何を差すのかわからなくなってしまいそうな予感がする。
まさか、精霊王のマントの在り処じゃないよね?
この街にないと、知っているのかしら。
視線を感じて目を向けると、シモンズがメルの表情を硬い表情で見つめている。
竜人は竜の力を受け継いでいて魔力を持っているわ。まさか、心を読むような魔法を使っていたりするの?
呪文の詠唱などしているように見えなかったのもあって、さすがに考え過ぎだとメルは割り切る。
それでも、ゲームの公式が認める主要キャラのシモンズがモブキャラのメルの秘密を知っていてもおかしくないと考えるのは、考え過ぎであるとは言い切れなかった。
※ ※ ※
足早に屋敷を出ようとするシモンズの勢いに流されるまま、メルも急ぎ足に歩いた。
「お待ちください、」
レイラの話を全く聞かずにメルを押し出すようにして歩かせて、シモンズは振り返って傭兵たちの肩越しのレイラへ向かって手を振った。メルたちが玄関ホールまで来ると、廊下の後方では傭兵たちも部屋を出てきた。
「ご家族への伝言、頼みましたよ、お嬢さん、」
ドアを開けようとしている執事の前で振り返って、シモンズはメルと後方のレイラとを見比べた。
「お待ちください、どうか、その子を連れて行かないで欲しいのです。この石はお返しします、どうか、」
「足りないのならこれも足しましょう。決して不憫な暮らしはさせません。マルクト一幸福な小者として扱うつもりですから安心なさい、」
「どうか、どうかお願いです。せめてメルに、メル自身の口から家族に別れの挨拶をさせてあげてください、」
肩を震わせながら頭を下げるレイラを見て、シモンズは「しょうがない子ですね、」と言った。
今から母さんに…?
何を言ったらいいのかよりも、メルの脳裏には目を見開いて息を飲むディナの青い顔が思い浮かんだ。顔を強張らせて弟のアオがメルに駆け寄ってきて「姉ちゃん、僕が行く、」と身代わりを買って出そうな気がして、胸が苦しくなる。思わず<会えないよ、母さんには言えない、>と心の声が漏れてしまった。シモンズが本当に小者が必要なのだとしても、単なる言いがかりなのだとしても、アオを巻き込んではダメだとメルは感じていた。この街に自分の世界を形成している途上のアオはまだ学校を終えていない。竜に連れ去られてうやむやのうちに学校を終えてしまったうえ関連する記憶がないメルとは違う。
シモンズが何を考えているのかはわからない。言えるのは、秘密が何なのかわからない以上、これ以上誰かを巻き込んではダメだってことぐらいだ。メルは首を振って、レイラに私が行くと合図を送った。
「メル!」
屋敷の外へと歩き出したメルとシモンズや傭兵たちを見送るレイラは、手を握りしめその場から動けないでいる。
「お待ちを、どうか、お待ちを、」
ルースがレイラに追いついていた。レイラを見て、レイラに行かないでとばかりに首を振られて、ルースは「どうしてだい?」と大声で尋ねてもいる。
馬車寄せに停車していた何台かの馬車のうちの、一番大き目のつくりの馬車のしっかりとした深緑色の椅子に押し込まれるように乗り込んだメルは、馬車の扉の閉まる音で我に返った。窓越しに、レイラへと顔を向けると、レイラもルースも、屋敷から出てこないままでいた。メルが乗っている馬車にはミンクス侯爵家の徽章が付いていたし、一歩でも外へと踏み出せば進路を妨害する敵とみなしてそれなりの攻撃を与えるつもりでもあるかのように剣を手にした傭兵たちが馬車との間に構えているからだ。
「メル!」
目が合うと、大声でレイラが名を呼んでいるのが窓越しにも聞こえた。
「…馬車を出してくれませんか?」
淡々とした口調で内窓を開けて馭者に伝えると、メルの向かいに座るシモンズは足を組んで腕まで組んだ。
この人は女神の言葉が話せる。
メルは腹をくくって背筋を伸ばした。
この人と行くのは怖いけれど、マルクトへ行くという目的だけは果たせる。
シュレイザ叔父さんはカイル兄さんだと思われる竜人の護送を追いかけている。
どんなやり方だろうと、私も追いかけて追いついてみせる。
ふうとひとつついた溜め息は重くて、気持ちを切り替えるには十分だった。
<…少しだけ、別れの時間をください。>
<少しだけです。よく考えて言葉を選びなさい。いいね?>
冷ややかな眼差しは、怜悧な刃物のような鋭さではなくて、冷たい氷のような無機質な印象だ。
メルは息を止めたまま窓を開けて、<レイラ、アオ、ナチョ、ククルール、メル、シュレイザ、カイル、マルクト!>と大声で叫んだ。
地名なら、単語なら、女神の言葉も王国語も同じ響きだと信じている。
ぽかんと口を開けたままのルースはともかく、レイラは大きく頷いて「行ってらっしゃい、メル!」と笑顔になって手を振ってくれた。
よかった。私の気持ちは伝わったんだわ。
メルはほっとして、窓を閉めると座席に座り直した。
カイルを探してシュレイザ叔父さんと私はマルクトに行くのだと、母さんに伝えてくれるはずだ。
ちょっとだけ、ナチョをおいて行くのは心苦しくなったりもするけど、ナチョはメルがいなくてもアオと上手くやっていけそうな気がして大丈夫だと考え直す。
街を慌ただしく走り抜けた馬車は検問所をすんなり通り抜けて、メルは驚いて目を見張る門番たちに小さく手を振って『自分の意志でこの馬車に乗っているのだ』と伝えてみた。
メルの暮らすククルールの街から単身馬を走らせて駆け抜けたシュレイザに追いつくにはどうしても無理で、メルとしては馬車とはいえマルクトへ行けるだけでも手掛かりをつかむ好機に思えていた。女神の言葉しか話せない状況で師匠である竜騎士のシュレイザにククルールよりも離れたティポロスに置いて行かれた時よりも少しでも進んでいるのだと思うと、どんな理由であれ、ククルールの街を出られるのはツイていると思えてならなかった。
向かいに座るシモンズがメルを観察しているのは判っている。表情を読まれているのも、わかっている。秘密って何なのか気になるけれど、この状況を逆手に取れば、秘密を盾に私の希望する場所へと連れて行ってもらえるのかもしれない。メルは段々そんな風にさえ思い始めていた。
<脅かしたりして悪かったね?>
突然、シモンズが声を発したので、メルは最初、自分に言われた言葉だと思わなかった。
妙な間があって、確認する意味もあって視線を合わせると、シモンズは再び、<脅かしたりして悪かった、>と繰り返した。
<どうして、謝ったりするんですか?>
謝られてしまうと、秘密の価値が、消えてしまった感覚がする。
<君はカイルが大切にしている女の子ですね?>
カイルが安全に分岐するためにククルールの街を出て竜人の手助けを受けていたようなのは、メルも知っている。
<カイルの大切な子を脅かしたりして悪かったと言っているのです。すまなかった。>
調子が狂うな、と思ってしまったメルは、だからと言ってこの目の前の男の思惑通りに動くのも嫌だと感じていた。
<秘密って、何ですか。秘密が何なのかを知りたくて、私はここにいるんです。>
あくまでもシラを切るのも、駆け引きのうちだ。
<君は王国人ですね? 王国人なのに王国語が話せないのは何故ですか?>
いきなり核心を突いてくる。
<君の秘密は、誰かの呪いのうちにあることではありません。>
メルがつい、ゴクリ、と息を飲みこんでしまったのは、無意識な行動だ。
<その加護の印ですよ、お嬢さん。>
シモンズは目を細めた。
<4か所から、加護を受けた時の残り香を感じ取れるよ? 水の精霊王、火の精霊王、地の精霊王、そして、現水竜王様の加護を頂いていますね?>
<そうです。>
シモンズは竜人だけあって、水の竜王マルケヴェスにだけは様を付けた。
<それにその印、>
瞼を閉じてシモンズは馬車の内壁に手を添え、指先で魔法陣を描くと呪文を唱え始めた。
ぶつぶつと聞こえてくる詠唱が消えると、ピーンと遠くへと駆け抜ける音がして、メルははっと目を開いた。
<何をしたんですか?>
<その印をつけた者は、少し厄介でね?>
印って、何?
メルは心当たりがなくて首を傾げる。
<少しばかり、君には不自由をさせるかもしれませんが、我慢してほしいですね。>
<何を、ですか?>
魔法をかけたのは馬車であって、メルじゃない。
<何を始めるおつもりですか?>
メルが告白しなくともメルの現状を把握されてしまっているのも面白くない。
魔法で馬車に閉じ込められたのは判る。ただ、我慢するって何をだろう。
<これから先しばらく、君には本当に小者として働いてもらわないといけないかもしれないって意味ですよ、>
同じように目を細めているのに、シモンズの瞳にある光は、先ほどまでと違って柔らかく暖かく変わっているようにメルには思えた。
ありがとうございました




