4、あなたは特別
火竜オレアの姿は見えなくて、火竜王の神殿の広間には何もなく、メルや楽器を手にした竜の支援者たちだけが集まっている状態だった。
言葉が通じないのにどうしたらいいのか迷って、メルはぐるりと集まってくれた人を見回した。ギターのような丸い楽器を抱えた者や、横笛、縦笛、それぞれに大きさの違う太鼓を抱えた者たち、シュレイザとの話にあったように鈴を手にしている子供たちもいる。
神殿の上空を仰げば、青い空には雲一つなくて、白い大理石の床は、輝くばかりで何もない。
賑やかしいのが好きな火竜オレアに感謝の気持ちを捧げる舞なら派手派手しいのが喜んでもらえたりするのかな、なんてメルは思ったりもするけど、奇を衒った演出よりも支援者や住民の誰もが楽しい気分で感謝を伝えられる場を作れる舞となるといいなと考え直した。
どうやって意思の疎通を図ればいいのかわからないけど、ここにいる人たちはみんな竜を特別に感じている人たちだわ。
オリーブグリーン色の制服を着ていたり小物を身に付けた者たちを見て、メルは小さく頷いて、タン…タン…と手拍子を討ち始めた。この場にいる者たちに共通しているのは、決められた拍子だけなのだ。せっかく楽器を持つ人が集まるのだから誰もが参加できる楽曲に仕上げたい。子供も、大人も、どうすれば参加できるんだろう。メルの言葉は通じない。女神の言葉で気持ちを伝えられない分、メルは必死に考える。
タン…タン…タン…という手拍子を止め、人差し指を口の前にあててメルは自分自身へ注目を集めてみる。手拍子だけが聞こえるのに重ねるように、そろそろと呪文を唱えるようにこれから捧げる奉納の為の詠唱を歌ってみた。長く呼吸を緩やかに長く母音をつなげて歌う詠唱は複雑な音階もなければややこしい展開もない。誰か、気が付いて欲しい。一通り詠唱が終わってしまったので、もう一度、見回した後繰り返してみる。
はっと閃いたように目を輝かせてようやくメルの意図を組んでくれた者たちが出てきた。ひとり、またひとりと、頷いて肩を揺らして調子を合わせ、鼻歌ながらも詠唱に寄せて全体と音階を覚えてくれ始めた。
メルの2度目の詠唱が終わると、誰かが掛け声をかけるでもなく調律がてら詠唱を再現して楽器が試され、隣り合う者や近くにいる者たちとでタイミングを計りながら音が重なり始める。合奏の練習が始めったのだ。太鼓がそれぞれに間合いを取りながら音を重ね、主旋律が繰り返されて増幅して、鈴の音も飛び込んできた。
楽譜などないのに彼らは耳で曲を理解しているのだと判ってくると、祭の楽器というからにはそれなりに練習を重ねてきた成果なのだろうなと考えつつ、メルも自分の役割へと気持ちを切り替えてみる。輪を抜け、頭の上に掲げた手で手拍子を続けながら鼻歌に詠唱を唱えて、広間の中心を横切って祭壇へと歩いて向かう。
祭壇の傍にあった飴色の壺へと手を突っ込んで、紅花を片手に握って歩いて中心へと戻る。
適度に緊張感もあって、一体感がある方がいいな。出来たら発露もうまくやれたらなって思っても、確実に舞うには無理はしない方がよさそうでもある。
さりげなく見回すと、いつしか子供から大人まですべてのオリーブグリーン色を身に付けた竜の支援者の誰もが楽器を鳴らしている光景と変わっていた。
タン…タン…と基本となる同じ手拍子だけが共通しているはずなのに最初とは印象がまるで違っていて、楽曲として成立し始めた演奏は集まる人々の表情を変えていた。子供たちが真剣な表情で間合いを取りながら繰り返す鈴のシャンシャンと響く音は涼しげで、長けた者たちの重なる笛の音は華やかで切れのいい太鼓の重低音とで壮大な音の広がりとなり、息があっていて、しっかりと合奏が展開されて進化している。
ゆっくりと歩いて、一礼をして、メルは空を見上げる。
この土地の泉をくれた感謝を、私たちは力を合わせてオレア様にお伝えするんだ…。
スーッと息を吸って吐いてをして、気持ちを澄み渡らせる。
水は、水竜王マルケヴェスと水の精霊王シャナの管轄でもある。加護の証を手で触れて、メルは発露を期待する。
<ありがとう、オレア様。>
声に出してみると、顔を作らなくても笑みが零れてくる。
メルは開始を告げる意味も込めて、大きく空をかき混ぜるようにして腕を回した。
緊張感を伴った最初の一音は鈴の音だ。子供たちの手元を思い出して、メルは音を引き継いだ。
「あーあーおーあおー、」
柔らかな音階で合奏に重ねるのは、シュレイザが教えてくれた奉納の舞の為の詠唱だ。課題として教えてもらったものとは違った。腕を回す勢いで、体を回して空へと紅花を舞い上げる。
「あえおーあおいいーあーうーえーえおー」
メルがゆっくりと詠唱していても、回転しながら飛び跳ねる体の動きは素早くて軽々しい。水は水でも炭酸水で、弾ける軽やかさを動きでも表現したかった。
「うーぅいうーあおうー、」
笑顔で、空を見上げたまま、流れるように腕を滑らせ、メルは緩やかかつ大胆に宙に舞う。
清らかな水の香りがしたかと思うと、紅花の花びらとともに、涼やかな霧が広がっていた。
発露だわ。
明るいオレンジ色の半袖シャツと膝丈のスカートと膝下丈の焦げ茶色のスパッツ姿のメルが動く度に、霧に光が煌めいて、虹色の光が輝いた。
風に舞い上がる紅花の花びらが夏の光に煌めいて、風に舞う度、空中で弾けるように輝いていた。
感嘆の声が、合奏する者たちの口から洩れているのが聞こえてくる。手を止めて見惚れているものを鼓舞するように、メルは詠唱を響かせた。
「いうーえいあーあうー、」
くるりくるりと舞いながら、肌に触れた紅花の花びらが、とても冷たいのを感じる。
まるで雪の結晶が朝焼けに照らされているみたいね。
舞いながらキラキラと光に解ける凍る紅花の美しさに、メルは目を細めて微笑んでいた。
これも泉がこの街にもたらされたからだと思うと、感謝の気持ちが増してくる。
仕上げとばかりに空に向かって反り返り大きく手を広げてくるくると回り見上げると、遠く高い上空から舞い降りてくる火竜の姿を見つけた。
「キュイーッ」
空から舞い降りてきたのは美しい火竜で、仰け反るメルの方へと向かって降りてくる。よく見れば、後方にはまだオレア以外の火竜がいるようだった。
メルは慌ててもう一回転回って体勢を立て直し、頭上へと腕を運び、大きく響くよう手を打った。
パンパンという音が合図となって、広間を取り囲むように広がり演奏してくれていた者たちも演奏する手を止め楽器を置いて立ち上がる。誰もが笑顔でメルの拍手に合わせて手を打ってくれ、オレアを出迎えてくれている。
パチパチと響く拍手の音はひとつになって、地上に舞い降りた火竜オレアがヒト型になっても続いていた。
<もうよい、よくわかった。>
オレアが締めくくるように手を一つ打ったので、メルも手を打つのをやめて礼をする。
様子を見守っていた支援者たちも、拍手を辞めた。
<オレア様、皆を代表して感謝いたします。>
舞手であるメルが上手くいったのではないかと反応を期待していても、オレアが良しとしなければ奉納の舞の意味はない。固唾を飲んで見守るメルやオリーブグリーン色を身に付けた支援者たちは、オレアの言葉を待った。
<良い舞だったよ。メル。>
ぐるりと見まわして、オレアはまずメルを褒めた。
<ありがとうございます。>
<あの者たちも、素晴らしかった。>
オレアの言葉は判らなくても、「褒められた」のは伝わったようで、オリーブグリーン色を身に付ける支援者たちは小さく歓声をあげ、お互いに抱きしめ合って喜んでいた。子供たちなど興奮のあまり手にしていた鈴を鳴らして喜んでいる。
<ああ、人間って奴はうるさくて堪らないな、>
憎まれ口を叩きつつもオレアは嬉しそうで、メルは<主様が水をお与えになったから、もっとみんな元気になりますよ?>とだけ伝えてみる。
<育てるつもりはないのだけどね、>
<そんな風に仰ってても、もうこの街の皆、オレア様が大好き、ですよ?>
オレアが笑いながらも支援者たちを手で払い除ける仕草をしたので、メルは困ってしまった。オレアが素直じゃないのはなんとなくわかっても、言葉が女神の言葉しか話せない状態のメルとしては、シュレイザみたいにうまく言葉で人払いをお願いできなかったりする。
もう少し穏やかに人払いをしてくれたらいいのに、と苦笑いをして誰彼となく頭を下げて謝る所作をしていると、支援者たちは意外とすんなり神殿から出て行ってくれた。彼らは気難しいオレアの昨日の召喚の後の人払いを望んだ態度を思い出したようで、気を利かせてくれたのだ。
<シュレイザは?>
人気が無くなったのを確認して、オレアが問いかける。
<街を出ました。竜人を見つけに行くそうです。>
<ああ、あれか、>
オレアはメルから視線を外して、きゅっと口を噤んだ。
<何かご存知なんですか?>
<いいや?>
知っているよ、とでも言いたそうな含みのある声色だ。泉を教えてくれ姿を消した後、上空で仲間の竜たちと情報交換でもしていたのだろうなとメルはこっそり思った。
<竜人なら、親の方の竜をご存知だったりするのですか?>
カイル兄さんの本当のお父さんは火竜王グイードの弟だ。メルは同じく火竜であるオレアが知らないわけないと思い、尋ねていた。
メルを目を細めて見やっただけで、オレアは何も答えてはくれない。
<オレア様、私もシュレイザ叔父さんを追って街を出ようと思います。公国人がうろうろしているみたいですし、オレア様をおひとりでこの街に残すのは危険なので、ククルールの爺ちゃんの家に隠れていてほしいそうです。>
一緒に行ってくれると心強いなと思っても、契約者であるシュレイザがククルールの祖父マードックの家で留守番をと願っている以上、無理を頼めない。だいたい、メルと契約しているわけではないオレアが同行などする義理すらないのだ。
<まったく。お前たちは、私を誰だと思っているんだい?>
オレアはメルの額をツンと弾いた。軽い衝撃が体に走る。竜だけに、軽いつもりでも力は人間以上なのだと実感する。
<シュレイザもメルも、火垂る茸を見てから様子がおかしいな。自分でもそう思わないかい。>
<そうですか?>
動揺していないと言えば嘘になるけれど、メルとしては変と言われる程ではないと感じていた。動揺の原因があるのだとしたら、正確にはシンや父さんとの通信もあったから、だ。
<何かに追いかけられているみたいに切羽詰まっていて、自分らしさを見失っているように見えるよ。友人の私がここにいるっていうのに気もそぞろだ。君たちは私など、見えていないのではないのかい?>
<そうですか? そんなことはないと思いますよ?>
メルは知らず知らずのうちに首を傾げていて、あの聖堂の軍人を見てシュレイザ叔父さんは冒険者として1周目の辛い記憶を刺激されちゃったからなのかなと思えていた。私もきっと、ファーシィを見たら心が揺さぶられてしまうと思うし、変化があるのなら仕方のない変化なんじゃないのかなって思ってしまった。
<メルも、確かに素晴らしい舞を捧げてくれたけれど、何か物足りなく感じたな、>
<なんでしょうか、教えてもらえそうですか?>
メルとしては足りない分を支援者だったり発露だったりで補えたはずなのだ。
じっとメルの瞳の中を覗き込んで、オレアは<記憶は無くしてしまっていても、心は無くせないとは人間とは面倒だな、>と言った。
何のことだろう。
私の失った記憶って、学校関係のあれこれだったりするのかな。
たじろいだメルをひと睨みして、オレアは<自分の身の安全くらいはどうとでもなるからいったん帰るとするよ、>と言って小さな竜の姿へと戻った。
<帰るって、どこへですか、>
契約者であるシュレイザに報告するつもりがあったのもあって、メルは火竜王のどこの神殿なのかくらい教えて欲しいなとこっそり心の中で呟いた。
<竜ばかりだから、安全なところ、だなあ。>
楽しそうに言って空へと向かって飛んで行ってしまったオレアの姿を見送って、メルは火竜王の神殿を出た。
外で待っていてくれていた支援者たち数人に囲まれながら移動して、着替えて帰ると伝えたくて服を指さして首を振って見せると、宿屋へと連れて行ってもらえた。しきりに水について感謝の気持ちを繰り返すオリーブグリーン色の制服の者たちに何度も頷いて気持ちを伝えつつ着替えて、メルはようやく支援者たちの区画を出た。
シュレイザもオレアもいないひとりでの帰宅は心細くはあったけれど、詠唱の復習をしつつ駆け抜けていけば今日のおさらいができるのだと気持ちを切り替えて街の出口まで急ぐと、街の検問所を出てすぐの辺りに馬車が止まっていた。地味などこにでもある馬車だ。馭者台にいた馭者がメルと目が合うと慌てて中へと連絡している。
なんだろう。何かあったのかな。
冒険者の証の指輪を指で撫でながら考える。こんな場所にあんな地味な馬車がいるのはどう考えたって不自然だ。迎えの馬車なら、出迎えだと判りやすいよう馬車の前に誰かが立って待っていそうなのに、そんな和やかな気配はない。
検問を抜けるまでは兵士に頼れても、その後は自力で解決しなくてはいけないんだわ。メルは小さく唇を噛んで、気持ちを切り替える。無事に検問を抜けられてもちょっとだけ胸騒ぎがして、俯き加減に馬車の傍を通り過ぎる。急いで街まで帰りたいのもあって、身に覚えのない因縁は今日は避けておきたい。
「ちょっと待って、メル、」
ガタガタと馬車を揺らすほどに勢い良くドアを開けて慌てて馬車から出てきたのはレイラで、メルはあまりのことに立ち止まってしまっていた。
<どうしてここへ、>
レイラが利用するには、簡素過ぎる馬車に見える。
女神の言葉しか話せないメルを見て、レイラは「ごめんね、メル、私の話を聞いてくださるかしら、」とまず言った。頷いて見せると、レイラはメルの腕を引っ張って「さ、乗って、冒険者様」と微笑みながら馬車へと連れ込んでしまった。
<レイラ?>
押し込められて座り直すと、レイラの命令もなく馬車は勝手に動き出した。
「シュレイザさんから聞きましたわ、私はメルを迎えに来ましたの、」
どうして、と言いかけて、竜人の一件なのかなと見当がついた。
「シュレイザさんからメルが危ないってお聞きしましたから、ディナ叔母様に話をして私が来ましたの、」
検問所を通過しながら、にこやかにレイラは驚くようなことをメルに告げた。メルの身の安全を警戒するのはカイルの身内だからだ。でも、大袈裟過ぎる気がしなくもない。
どうしてですか、とばかりにレイラを不安な気持ちで見つめたメルに、レイラは何度か頷いて、「ちょっと、困ったことになったのですわ、」と言った。
※ ※ ※
ククルールの街へ戻ってくる間に、メルはレイラからメルと別れた後のシュレイザの大まかな行動について教えてもらっていた。
レイラの話によると、冒険者であり傭兵でもあるシュレイザの雇用主はレイラだけではなくて、ミンクス侯爵家からも貴重な竜騎士であるという理由で不定期に仕事の依頼が来ることもあるそうだ。
今回カイルと思しき竜人が国王軍に捕縛されたかもしれないという理由でミンクス侯領の領主としてのミンクス候に面会を希望しているシュレイザはまず、領都に出る前にククルールで一番の布物を扱う大きな商会の娘であるレイラの父親を頼ったらしい。
シュレイザが馬を駆りてククルールを出てミンクス候の領都マルクトへ向かった後、ミンクス候家からの依頼でお抱えの学者がやってきたのだそうだ。
「なんでも、とってもお若いのに、竜人の学者様なんですって!」
鼻息を荒くしてレイラはメルに詳細まで教えてくれる。
「ほら、この領はエルス村に特別な月の女神さまの神殿がありますでしょう? 冒険者登録について研究している学者様なのですって!」
かなりどうでもいい専攻だと思うなとメルはこっそり思ったりもするけど、心の中で思うだけにしておいた。
「竜人の学者様は想像していた以上にお若くてお美しい方でしたわ。」
脱線が多くて本題に行かないね、と思っても、メルは黙って話を聞くと決める。
「その方が仰るには…、先月のデリーラル公爵家での一件についてもう少し詳しく聞きたいことがあるそうです。メル、何か聞いていますか。シュレイザさんは領都に向かわれてしまいました。」
先月? メルが首を傾げていると、レイラは「やっぱりそうですわよね、メルは関係ないですわよね?」と念を押すように言い、ほっとした表情に変わった。
「人違いだとお伝え出来そうで何よりでしたわ。」
それだけのために来たのですか? と尋ねたくなって、メルは適当なジェスチャーが思い浮かばなくて黙って待つことにする。
「そうそう、ついでと行っては何ですけれど、」
レイラは嬉しそうに声を弾ませた。
「その方は女神の言葉を使われるそうですから、メルの言葉の謎を解き明かしてくださるかもしれないですわよ?」
竜人だからと言って地の精霊王ダールの呪いに対抗はできない気がする、と思ったのはメルだけの内緒だ。
そうね、そうだといいね、というつもりで小さく頷いて見せたら、レイラには「すっかりお見通しですわよ?」とニヤニヤしながら言われてしまった。
ありがとうございました。




