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1、信仰へのご褒美

 メルがシュレイザとヒト型になったオレアに従って宿を出て街を歩いていると、いつしか遠巻きに人の壁が出来ていた。ティポロスの街の人たちが集まってきているんだわ。変な人が混じっていないかと気にしながら辺りを見回してみる。変な人というくくりで想定しているのは、花屋みたいな恰好をしてまでして追跡しようとしてきた公国(ヴィエルテ)人たちではなく、月の女神さまの神殿で見かけた冒険者もしくは志願者たちだ。

 少しばかり緊張しているメルの視界の先では、次第にオレアを中心に障害となりそうな人だかりは消え、火の竜王の神殿までの行く手を邪魔をする者もいなくなった。通行を管理し壁を作って人の流れを誘導しているのはオリーブグリーン色の小物を服装の一部に取り入れている者たちで、彼らの風貌は兵士でもなく役人でもない。共通の色を身に付けているというだけで制服を着ているわけではないので悪目立ちはしないけど、彼らの統制の取れた行動には敵に回してはいけないと思わせる真面目さもある。だいたい、あまりにも不自然な配慮は、とてもさりげないとは言えない状況だ。

 オレア様の行く手を遮らないよう、この通りを避けて迂回するように誘導して、通りの向こうから誰も歩いてこれないようにまでしてくれているのね。メルは深く理解して、隣でオリーブグリーンな者たちと目が合う度会釈をして感謝を伝えているシュレイザにもこっそり尊敬した。


 火の竜王の神殿まで来ると、オレアは振り返って<こっちだ、あの者たちも呼べ、>とメルたちの後方に距離を置いた人だかりの中に身を潜めて控えていた職人な格好をした屈強な男たちへと視線を向けた。オリーブグリーンの制服を着た者たちと共にいるオリーブのスカーフを首に巻いた屈強な職人な男たちの手には左官道具や工具箱、スコップやバケツなど、地面を掘り返し水脈を整えるための道具が握られている。

<主様、あれでも武器になるものではありませんか、>

 決してそんな不敬を働かないだろうなと思っていても、メルはつい不安を口に出していた。本人たちも襲うのではないかと思われても仕方ないと思っているからこそ距離を置いて控えているのだろうに、とも思う。

<お前、私を誰だと思っているんだい?>

 ニヤつくオレアはメルに楽しそうに答えて、シュレイザに<お前もいるのだと言ってやれ、>とけしかけてもいる。確かにシュレイザは(ドラゴン)騎士(・ナイト)だからという理由だけでなく、黙っていてもいかつくてみごとな筋肉に覆われた大きな体なので武器にも盾にもなりそうではある。

<だそうだよ、メル。>

<これくらい、シュレイザとの付き合いの中では些細な類の出来事だ。>

<考えすぎでした。主様、師匠、私の心が未熟でした。>

<心配してくれてありがとうな、メル。いいさ。その調子。>

 オレアがニヤッと笑って言って、オリーブグリーンの制服を着た者たちにも目を向けて、メルに<湧水の管理をあの者たちに任せる、>と囁いた。

 態度がそっけないけど、竜を崇拝して献身してくれている者たちだと、オレア様は十分に御存知なんだ。そう気が付いて、心が温かくなる。

 課題としてだけではなく、オレアの気持ちをメルは大切にしたいと思った。


 シュレイザへ言葉をうまく伝えてもらえるよう伝えるのなら、そのまま伝えた方が他意がない分、重みが違う。

<師匠、オレア様はあの人たちに湧いた水の管理を任せてくださるそうです。そう伝えてもらってもいいですか、>

 オレアの気持ちをきれいなままの形で伝えるのって、責任重大だ。つい、声が少しだけ上擦る。

 メルと目を合わせて頷いて、シュレイザはメルとオレアに一言詫びて、オリーブグリーンの制服の集団へと話を伝えに行ってくれた。

 少し距離があるので何を話しているのかまではわからなかったけれど、面を伏せていても彼らの緊張と喜びがメルにも伝わってきて胸が熱くなる。

 

 もう少し見ていたかったのに、オレアはじれったそうに<先に行くからな>と言い置いて、先に神殿脇の木陰の道を行ってしまった。

<待ってください、>

 メルも追いかける。

<おひとりは危険です。メル、急げ、>

 あれ? シュレイザ叔父さんだってオレア様の身を案じているじゃない?

 メルは自分と同じに心配性なのだと気が付いて小さく笑うと、それまで以上に急いで走った。何しろ、裏庭には誰もいないとは言い切れない。


 ※ ※ ※


 火竜王の神殿の裏庭には、とても見事に情熱的な様々な品種の赤色の花を咲かせた薔薇の木がいくつも植えられていた。メルが想像していたよりも広いし、隣家との塀までにも距離がある。50本近くの均等に植えられている薔薇の木はどれも葉艶もよく、誰かに丁寧に手入れされているのが判る。メルとしては神官のいない神殿で管理する人がいるのなら信者なんだろうけど、どうして薔薇の木なのかなと不思議にもなる。竜に捧げる花が紅花(タンファ)だったので、意外な気がしていた。


<水が湧いているのが見えるか?>

 オレアがニヤついているのを見てしまうと、メルはわからないと素直に言うのが悔しく思えてくる。

 地面を見ればすぐに判ると言うほどに間隔があいている訳でもない。木々はお互いに影を作りあっていて、土はもともとなのか日陰だからなのか理由が判らない程度に黒くもある。


 せめてしゃがまないと判断が狂うし、どの木かわからないわ。

 身を屈め、キョロキョロしながら地面が濡れているのを探していると、しばらく様子を見ていたオレアはまっすぐに一番鮮やかに赤色な一本の薔薇の木の前へと立った。

<この木の周りの木はもう少し間隔を開けた方がいいな。()()()()()()()()()()、>

 突然薔薇の木に向かって命令すると、オレアはパンパンと大きな音を立てて手を打った。

 メルには、周辺の木がゆっくりと大きく伸びをしたように見えた。


<??>


 裏庭一帯のどの木もぬるりと地面から根が飛び出してしまって、選ばれた一本の薔薇の木以外のすべての木々の根が地面から盛り上がっていた。メルが突然の土の匂いに面喰っているうちに地響きをさせ、木々の根は軟体動物の足のように蠢いて地をかき分けながら進んでいく。

 あれよあれよという間に、神殿の裏壁を守るように木々がみっしりと集まって移動しているのだ。


<師匠、これも魔法ですか?>

 あっけに取られてしまったメルがシュレイザに尋ねると、<メルにはそう見えるのかい?>と逆に質問されてしまった。

 木が動いたように見えたのは幻覚? まさか、ね。

 一瞬心がぐらついても、メルは自分の眼を信じると決める。

<ええ、木が自立して動いでいるように見えます。>

 一瞬シュレイザは目を細めた後、メルの全体へと目を動かした。

<地の精霊王様の御加護を頂いた場所を撫でながら見てごらん?>

 秘密がバレてしまうようでなんとなく恥ずかしくて、メルは両手を背の後ろに隠しながら左手の手首を撫でてみる。


 オレアが選んだ一本以外の薔薇の木には、妖精や精霊が宿っているのが見えた。ヒト型を成している者ばかりなので、それなりに魔力も持っていそうだ。


<これは…、>

<どの木も地の精霊の棲み処だ。>

 シュレイザはこともなげに言った。

<この街にはかつて太陽神様の神殿があったそうだ。竜を祀る国・王国(スヴィルカーリャ)らしい神殿をと望んだ領主ミンクス侯爵家の意向もあり、領内のあちこちにあった古い神殿は改築の名のもとに竜王の神殿へと作り変えられた。精霊王の神殿にてひっそりとくらしていた精霊や妖精たちは、行き場を無くしてしまった。ここに竜が来ると知っているのにもかかわらず、この者たちは身の安全も健やかな住環境を望んで、この無人の神殿の裏庭に集まってきたようだ。>

<ここが竜の為の神殿でもですか?>

 精霊も妖精も竜を怖がっているのだと思っているだけに、メルには意外に思えていた。

<ああ。召喚されていなければ、竜でさえも寄り付かないほど小さな神殿だ。稀に現れる竜を『竜だ』と意識さえしなければいい。>


 メルが何気なく見まわした中で感じたのは、魔力量が多いという証である『より美しい存在』に惹かれる精霊の本質として眩しさに惹かれているという、うっかり表情に現れバレてしまっている心情だ。

 禁忌に憧れ崇拝してしまう感覚で、薔薇の木に住む精霊たちは火の竜オレアは怖いけれど美しいから見つめていたいと思っているのだろうなと推測できてしまった。


 オレアはシュレイザに向かって<先の水竜王に感謝しておくんだな、>と言った。

 前水竜王?

 メルは現水竜王マルケヴェスに貰った加護を無意識のうちに撫でていた。

 水脈を操るのは水竜王だと判るけれど、どうして前水竜王様なのか想像がつかない。


<師匠、何かあったのですか、>

 一瞬眉間に皺を寄せて、シュレイザは<何がだ?>とだけ答えてくれる。全く心当たりがないようだ。


<主様は先の水竜王様にお会いになったのですか、>

 情報の手掛かりを得ようと、メルは思い切って尋ねてみる。


<貸しがあるだけだ。こっちの話だから気にしなくていい。>

 オレアは意味ありげに微笑むと、もう一度、パチンと乾いた音を立てて手を打った。


 地面が割れて、プシュッという音が響く前に一瞬天高く水が吹き上がったかと思うと、地面近くに少しばかり吹き上げて穏やかに透明な水が流れ始めた。


<オオオ…!>

 見守っているオリーブグリーンの制服組や小物組の男たちや、薔薇の木のは影から顔を出して様子を伺っている精霊たちの多くは明るくどよめいて、感激に目を輝かせていた。


<この泉は決して枯れることがない。火竜ではなく水竜が管理してくれるだろう。なぜなら配下の水竜たちに盲目的に崇拝されていた男の願いを叶えてやったのだからな。>

 得意そうなオレアの態度は細かく追及されても答えを語れるのだという余裕すらある。

 メルとしては火竜の天敵とも言えるほど相性の良くない水竜とどうやって縁をつないだのか詳しく話を聞きたいなと思ってしまうのだけれど、隣にいるシュレイザはあくまでも他人事な感覚で聞き流している表情に見えた。

<おい、どんな願いを叶えたのか聞きたくはないのか?>

 ニヤつくオレアの態度にシュレイザ叔父さんがどんなに聞いても教えてくれなさそうだなとメルは思っても、シュレイザは自分に関係がないと思っているから説明はいらないと言い出しそうな態度だったりする。『代わりにわたしが聞いておけます』と言えるほどの関係ではないだけに、うっかり聞いてはいけない気がして聞けない。シュレイザ叔父さんに自覚がない『貸し』やら『借り』なら、第三者は触れてはいけないことなような気がする。

<主様は前水竜王様とお友達だったのですか?>

 無難なことを聞いて、話を変えてしまおうとメルはこっそり思う。

<メル、もっと他に聞くことはないのか、>

 ますます絶対小出しに興味をひかせてももったいぶって真実は教えてくれなさそうな気がしてきた!

 心を硬くして、メルはコポコポと音を立てながら湧き出る水の方へと目を向ける。

<綺麗な水ですね。この水がどんな効果のある水なのかが気になります。>

<ああ、これか…、>

 メルの反応に明らかにがっかりとした表情になって、オレアは小さく首を傾げると、堂々と<夏を楽しむ酒の代わりになる、>と言い切った。

<お酒ですか?>

 シュレイザが手招きして職人たちを呼んだ。

<誰か、この水は本当に飲める水らしい。確認してくれないか?>

 恭しく顔を伏せて音を立てずにそそくさと集まってきたオリーブグリーンの制服や小物を身に着けた男たちは背を丸めてしゃがんで、薔薇の木の前の地中から湧きだした水を上澄みをとるようにグラスに採取し、丁寧に光に翳している。


「美しいな…、」

 誰かが思わず呟いた言葉の通りに、光に泡が弾けて見える。


<メル、飲んでみろ、>

 抜け出し、人だかりの向こう側に身を置いていたオレアが、よく通る声で楽しそうに言った。視線が集まって、メルはそっと瞼を伏せる。

<私ですか、>

<お前以外メルはいないだろう?>

 主様の命令に背くのは良くないわ。シュレイザへと目を向けると頷かれてしまった。

<メル、嫌な仕事を自ら進んでこなしていく方がメルのこの街での評価は上がる。どうする?>

<やります。>

 欲しいのは評価じゃない。断るのはいつでもできるから、今日だけはこのままでいい。

<主様のお気持ちや私たちがすべきことを、ここにいるすべての人たちにもお伝えして欲しいです。>

<ああ、それでこそメルだ。>

 あまりうれしくない褒め方だわ。メルはちょっとだけ心の中で悪態をついてみる。

 竜を崇める街に暮らす男たちのひとりが持つトレイの上にあるグラスへと手を伸ばした。頭を下げて<味見をさせてください、>と告げると、言葉が判らなくてもビアの立場を判ってくれたみたいで、黙って頷いてグラスを手渡してくれた。

 地面に湧き出る水を別に採取して川魚の泳ぐ小さなガラス瓶に目を凝らしていたオリーブグリーンの小物を身に着けしゃがんでいた職人のひとりは、メルを見上げて親指を立てた。

 水質的にも問題ないみたいだ。

 メルはオレアを信じると決めてグラスの水を飲みほした。

 喉を突き抜けるのは炭酸の刺激で、細かな泡は力強く存在を強調してくる。


 前世の世界で飲んでいた炭酸飲料は砂糖が含ませてあったっけ。あいにくとこっちの世界では砂糖は貴重品だから無理ね。

 せめて代替品さえあれば、父さんの酒場でも昼間のお客さんに喜んでもらえそうな飲み物が作れるのに。

 メルは具体的に商品化できないかと想像してみて、改めて父ラルーサは遠くにいていないのだと実感してしまっていた。

 

<これ、本当に、果実を垂らしたらお酒の代わりになるかもしれないです。>

 わざわざ人前でお披露目をしたのだから意図があるはず。

 メルはオレアの顔を見上げた。

 花をくれた子供にも、おもてなしをしてくれた者たちへも、主様は素直にお礼を口にしていない。

<主様、もしかして私達へのご褒美ですか、>

<ん? 褒美?>

 驚くオレアは声もなく、シュレイザの方が驚きを口にしていて首を傾げている。

<そうです。皆で分かち合うようにという、おもてなしへのご褒美ではありませんか、>

 シュレイザの通訳に耳を澄ませて目を輝かせて自信を見上げている男たちを前に、オレアは意図していなかったような動揺を見せて目が泳いでいた。さっきまでの強気な態度は消えてしまっている。

<オレア様?>

 赤光のオレアの意外なかわいらしさを発見して、メルはニヤついてしまった。


<そうだ、メル。舞え。奉納の舞だ。>

 

 ポンと手を打ってオレアが突然言い出した提案に、メルは面食らってしまった。ここで?と思ったり、神殿の中でもいいけどこの大勢の前で?と思ったりと混乱する。

 シュレイザへと目を向けると頷かれてしまったので、とりあえず<ここですか?>と、一番玉砕の覚悟が必要で一番そうあってほしくない答えを予感させる質問をぶつけてみた。

ありがとうございました。

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