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31、すべてを手に入れるのは厄災の者?

 わたしの魔力を捧げて、次に<種が生まれるには水がいる。地中で体を作り出す冬の季節が到来だ、>と声を掛けられた老女神官(ロザリンド)様は最初こそ不機嫌そうに抵抗するそぶりを見せたけれど素直に応じてくれてわたしの隣に立ち、項垂れ、魔力を捧げた。

 疲れを見せずに踊る道化(ピエロ)は、ご機嫌そうに金色の花びらをまき散らしながら掬う踊りを続けている。


 目の前にいる前水竜王様と目が合った。黙って頷いてもらえたので、存在を認めてもらえたのだという気分になった。

<それでよい、>

 わたしにだけ向けられた言葉じゃないって判っていても、声を掛けてもらえると評価されているのだという気分になるし、言葉をかけてもらえる存在なのだと嬉しくなってくる。

 わたしは半妖だけど竜に必要とされている。そう思えてくると、誇らしくもなる。


 ちらりと隣のコルへと目を向けると、コルは汗を滲ませながら必死の形相で手を翳している。視線に目を向けると、コルの向こうにいるシューレさんはわたしとコルをと心配そうに見ていた。あの表情、シューレさんも、コルの限界を知っている…。使用者と4つの属性を持つ者が条件なら、使用者が属性のひとつを担っても条件としては当てはまる。そういう風に使い方を捉えなかったのはこの砂時計の規模が判らなかったからだし、5人という人数が一応確保できていたからだ。


<ウヒョヒョヒョ、>

 奇妙に笑いながら道化(ピエロ)が飛び上がって、くねくねと腰を振り、つい視界に入れてしまうわたしの気持ちを削ぐような、真面目で堅実なビセンデさんの印象をぶち壊す真剣味に欠けたふざけたノリで踊り狂っている。

<さあ揃ったよ揃ったよ。すべての季節が揃ったよ。あとは月日の分だけ魔力が満ちて殻が弾ければ完成だ。>


 どこかから、地底をうねるような太鼓を激しく叩く音が聞こえ始めていた。

 確実な音の重なりは、間違いのない完璧な演奏だ。胸の鼓動の音よりも軽快で、馬の駆け足よりも爽快感がある。

 道化(ピエロ)は、手を翳して重なりあう腕の下で踊る。


復元(リコンストラクト)』と名がつくのは、季節を100年分再現するから?

 砂時計の砂が落ちる短時間の間に、そんなことって可能なのかな。


 ドンドコドコドコドンドコドコドコ…、太鼓のけたたましく鳴り響く音だけが続いている。

 最初は魔力が宿って金色に輝いていた砂の球が、皮が乾いて剥がれ落ちるように、すべて銀色へと変わっていく。

 心の中から沸き起こる美しいものへの感嘆と共に、魔法だから可能なんだって妙に納得できてしまった。


 ガクン、といきなりコルがよろけた。

「大丈夫か、」

 シューレさんの心配そうな声が聞こえてくる。前水竜王様は眉を動かしただけで、老女神官様は唇を噤んだままだ。

 それぞれが必死で魔力を捧げて魔法を叶えようとしていたから、動揺できないのだと思えた。

「…すまない、気にしないでほしい、」

「そんなわけにいかない、」

 悔しそうにコルは片眉をビクつかせて首を振り、シューレさんから顔を逸らすと気合を入れて膝に力を入れ立ち直した。


<さあ燃やせ燃やせ、せっせと燃やせ、>

 暑いのは自分自身だけじゃなくて、心なしか室内の温度も上がっている感覚がした。

 魔力を捧げているだけなのに焚火に手を翳しているような感覚ばかりして、思いの他汗をかいているみたいで額が濡れている感じがしても、手を翳していて拭えない。

 うっかりすると瞳に汗が入りそうにまでなっている。


<もっとだもっと、燃やせ燃やせ、>

 高く舞わせた金色の花びらを噴き上げて、道化(ピエロ)の高笑いが聞こえてくる。

 道化(ピエロ)が踊るのと、砂に魔力が溜まるのと、わたし達が魔力を消耗するのと、太鼓の忙しない音と、一体どれが本当に見えて感じている世界なんだろうって考えかけた時、ぐにゃりと、視界が歪んだ気がした。

 繰り返される太鼓のリズムに耳が馴染んできて、頭が、ぼんやりとし始める。


<あ、>

 声にならない微かな音に、熱くて思考がぼんやりとする中でも、俯いてしまっているコルが再びよろけているのは見えた。

 わたし達の中で一番魔力を持っていないのはコルだ。

 わたしが頑張らないと、コルが困る。

 前水竜王様に老女神官様、コルにシューレさんにわたしにラスタの皆でここを出るには、『復元(リコンストラクト)』という砂時計を代用して『百年(ももとせ)の術』を完成させるのが一番確実なはずで、結果的に術さえ成れば、土地に魔力が戻るので外へ出るための仕掛けだってうまく起動するはずだった。


 わたしが、二人分、魔力を捧げられないかな。

 魔力の放出量を維持しつつ、コルの背に、片手を当てる。

 コルの尊厳を守りつつ術の勢いを変えずいるには、コルの魔力にわたしの魔力を足せばいい。

 そうするのが正しいのだと、その瞬間、考えていた。


 そっと、コルの背に、手を当てる。

 コルを治癒(ヒール)するつもりで、コルへと魔力を注いでみる。


<ビア、>

 コルの驚く声に、シューレさんがわたしを見て、首を振るのが見える。

<わたしにできることって、これぐらいだから、どうか、>

<私もだよ、ビア、>

 シューレさんの手がわたしの手に重なっていた。

 わたし達はふたりして、コルを介して魔力を捧げていた。シューレさんの手が温かい。魔力だけじゃなくて、シューレさんが、あたたかい。

 わたし達はこの世界でも仲間でありたい。そっと、心の中で願う。


<もっとだもっと、燃やせ燃やせ、>

 高く舞わせた金色の花びらを噴き上げて、道化(ピエロ)の高笑いが聞こえてくる。


 前水竜王様が歯を食いしばり、肩を震わせているのが見えた。

 いつまでこんな風に魔力を搾り取られるんだろう、ふと思った瞬間、自分の意志に反して腰から力が抜けそうになった。


<ビア、しっかりしろ、>

 シューレさんの声に、足を踏ん張り直す。

 目を見開いてわたしを見ているシューレさんも、すっかり血の気の引いた青白い顔だ。シューレさんも無理をしているんだってわかる。

<私がいる。私たちがいるから、ビア、大丈夫だ。>

<ビア、無理をするな、>

<シューレさん、コル。>

 つい出てしまった愛称に、コルは目を見開いた。


<さっきから気になっていたのだが、お前たちは初対面ではないのかい?>

 前水竜王様が震える眼差しを向けて尋ねてきた。

<お父さま、この者たちはここで知り合ったはずです。この男は今日ミンクス侯爵領から呼ばれてやってきています。このふたりは、こっちは聖堂の軍人、こっちは公国(ヴィエルテ)人の治癒師(ヒーラー)だそうですから。気のせいではありませんか、>

 ひとり澄まし顔の老女神官様はすかさず訂正してくる。同じように魔力を奪われているのにどうして、と思うと、微かに震える腕を見つけてしまった。わたし達と同じなんだ。違いがあるとすれば、この人を支えているのは長年培った竜人の神官としての気概なのだ。要は、素直じゃないのだと思えてしまった。

<どれも精霊のマザリモノという親近感が成せる錯覚ではありませんか、>

<ロージー、それだけではないようだよ。半妖の娘、その男とこの女とはいかなる関係か、>


 娘というのは、彼らの共通の知人らしい父さんの子供であるわたしだろうと思えた。

 コルを前に答えたくないのが本音でも、だからと言って黙ったままだと不必要な怒りを買いそうな気がする。

<わたしは冒険者です。冒険者は登録をする時に月の女神様の御恩情で、『1周目の未来』という冒険者となったら起こりうる未来の中でも最も優しいとされる仮初めの未来を体験します。その1周目の未来の中でわたしは、…このおふたりと旅をしたのです。>


<その世界とここは同じだと言いたいのか、>


<違います。わたしはこの街に来ていませんから。でも、同じような状況をその世界で一度、体験しています。>

 細かく言うと違うので、うまく説明できる気がしない。シューレさんとわたしがコルと出会ったのは王都で、最期の地も王都だった。あの場にはエドガー師が竜化したから竜もいたし、火の精霊王様もいた。

 この場には、シューレさんとコル、わたし、前水竜王様におそらく竜であるシン、守護精霊のひとりであるラスタ、そして、竜人である老女神官(ロザリンド)様がいる。

 どちらでも、竜を前に逃げ出せない状況だった。


<そこの男、お前も冒険者なようだな、その娘と同じ指輪をしているな?>


<これは冒険者の証である指輪です。私も1周目の世界において、このふたりと旅をしています。>


 コルだけは首を振る。

<冒険者ではありません。ビアと出会ったのは数日前です。聖堂の軍人として任務に就いただけです。そこの男とは、今日、まったくの初対面です。>


<なるほどなあ、この女だけは冒険者ではないので他のふたりを知らないのか。奇妙な関係だがありえなくはないな。だが、>


 前水竜王様が言葉を続けようとした時、砂時計の上の道化(ピエロ)が<仕上げに取り掛かるぞ、さあ、魔力をもっとおくれ!>と浅く平たい籠のようなものにある金色の花びらを盛大に振って掬い取った。

 もう少しなんだと思うと、顔が綻びそうになる。

 手から感じるのは、まるで目に見えない何かにしっかりとつかまれて引っ張られている感覚だ。気を確かに持たなければ、吸引力に魂の器としての体と魔力を放つ魂とが分離してしまいそうになる。


<しかし、どうやったら、1周目の未来だと判るのかわからないものだな。まだどちらかの冒険者としての夢の中にいるのではないか?>


 揶揄うような前水竜王様の呟きに、わたしは発想の自由さに一瞬戸惑って、魔力を奪われている行為を忘れそうになる。前水竜王様も魔力を奪われる辛さを意識しないようにするために、あえて突拍子もないことを言い出して気を逸らそうとして話を続けたいのかなと思えてきた。

<一度、その世界で命を終えるのです。>

 あの痛みや苦しみ、悲しみは、何度も経験したくなる感覚じゃない。

 記憶の一部を思い出しつつわたしが答えると、シューレさんも<輪廻の輪に戻ったと感じた瞬間、目が覚めて、2周目の世界として本当に生きていくのかと覚悟を問われます。了承すれば、冒険者の証を頂けるのです>と答えてくれた。


<ふたりとも、同じ経験をするのか、>


 ここがアンシ・シではない時点で、わたしの1周目の再現ではない。

 シューレさんは冒険者で、わたしとも出会っているようだし、コルとも仲間だったみたいだ。もしかしてここは、シューレさんの1周目の未来と重なる場所だったりするのかな。

 シューレさんの行動に齟齬がないかを考えていたら、シンという存在が変則的すぎると思えてきた。

 シンがいることで、わたしがここにいる。シンがいなければ、あの動物の手は使われていないのでわたしはここへ辿り着けていない。

 わたしの1周目の世界で、シンはいない。

 シンがわたしの2周目の世界に現れている時点で、シューレさんの経験した1周目の未来とも関係がない気がしてくる。

 答えようと顔を上げたわたしに、シューレさんの声が飛び込んできた。


<私の1周目の世界ではこのふたりとここで出会ってはいません。あなた様とも、この土地とも、縁がなかったのです。>


 どこで出会ったの、シューレさん。

 驚いたのと同時に、どうしてここにいるの、と思ってしまっていた。

 閃いた言葉にわたし自身もびっくりしてしまって息を飲む。

 驚いているわたしに、シューレさんも驚いている。


<それもそうだろうな、あの者がここにいるのだから。>

 前水竜王様は、腕を組みひとり離れて距離を取り様子を見ているシンへと目を向けた。

<あの者はすべての加護とすべての属性を持っている『厄災の者』だ。常に想像とは違う未来が訪れる。>


 さらりと聞こえてきた言葉の意味に、混乱しそうになる。

 ヤクサイノモノ?

 災難を呼ぶとか、存在が迷惑とか、あまりいい綽名ではないと思える『厄災』という概念が当てはまる存在だと言いたいのだろうなって真意は判る。ただ、すべての加護を貰えていて属性を持っていると、厄災なの?と不思議に思う。この世界を司る12人すべての竜王様や精霊王様闇が見様たちの加護があるのって、いいことじゃないのかな。


<そうだったな、シン、>

<その忌み名は聞きたくない、>

 腕を組んで眉間に皺を寄せて、シンは背筋を伸ばして座ったままで動かない老女神官様へと冷ややかな眼差しを向けた。しかも忌み名って…!

<もうじき魔法が完成するようだ。グラーシド、お前こそ、覚悟は良いか?>

 馬鹿にしたように冷笑してわたし達に向かって歩き出そうとするのを見て、驚愕の表情で顔色が青白くなっていた老女神官様は目を見開いて怒りを堪える表情になったかと思うと、噛みつくように吠えた。


<偉大な前水竜王様であるお父さまの名を呼び捨てにしてはならぬ!>


<対価は対価だ。>

 

 飄々とした態度のシンの様子を気にするそぶりもなく、浅く平たい籠のようなものいっぱいになった金色の花びらを高く高く舞い上げて、道化(ピエロ)はつま先立ちになり、くるりと一回転した。

<ウヒョヒョヒョ…!>

 

 金色の花びらの量は一瞬にして倍に膨れ上がって、埋もれるようにして道化(ピエロ)を隠してしまった。

 手が引っ張られていた何かから解放された感覚がした。誰が言い出したわけでもなく、手を、翳すのを止める。


 キラキラと輝くのは、時が降っているからだ。

 光と闇と季節とが砂時計の中でひとつになるのだ。砂時計の中で、100年が完成する。


 音もなく、美しさに誰も声を出せないまま、金色の花びらの輝きの中に砂時計が見えなくなっているのに見惚れているうちに、氷室はいつしか真っ暗闇の光のない世界へと変わっていった。


 ※ ※ ※


<終わったようだな。>

 シンの呟き声に一瞬にして我に返って、緊張が広がった。


 砂時計の魔法が成功したのかどうかの確かめようがないのに『終わった』となると、これって、成功したのかな。

 暗闇な理由がよくわからない。これって失敗じゃないのって不安になったりもする。とにかく今は目が慣れるのを待つしかなかったりするのかな。

 前水竜王様の手の上にあった砂時計の気配が消えて、誰かしらが立ち上がる衣擦れの音がして、不穏な空気が漂っていた。わたしも連鎖に乗り遅れないよう暗闇の中で立ち上がった。

 何が起こっているのだろう。

 ここにいる誰より一番魔力を持っているはずのシンは、この暗闇の中で移動していたりするのかな。

 

 あまり良くない想像しかできなくて身震いをしてしまう。灯りとなる魔法をと思っているうちに、コルが何かを呟いた。

 シュッと空中に灯火が揺れている。火の魔法でランタンの代わりに辺りを照らしているから、仄暗くてもお互いの顔や距離が判る。

<状況の確認をしないか。>

 さすがコル、軍人なだけに判断が早い。


 囁き声に感心していると、合わせた両手を胸に押し当てている前水竜王様がわたし達の顔を見渡しながら優しく話しかけてくれた。手の大きさから考えると、暗闇の中で砂時計を大事に手の内に隠してくださっていたのだと判ってくる。


<魔法が成ったのは本当なようだ。この周辺の土壌の改良が始まっている影響で、この場が不安定となっている。>


<ここから地上へと戻れるのでしょうか。>

 シューレさんの問いかけにはっと気づき顔を見回すと、誰もが心配顔になってしまっているのが見えた。


<ありていに言ってしまうと、少し困難かもしれないな。>


<内と外との鍵があるから大丈夫だったのではありませんか、>


 コルが険しい表情で問いかけたのを、前水竜王様は答えずに瞳を閉じた。しばらくの間があって、<土地に魔力が戻れ水を溜めておく必要はない。そのうち、元の地形に戻る、地底ではなくなるだろうね>と答えてくれても、含みのある間だとしか思えなかった。嫌な予感がする。


<湖が消えるのですか、>

 老女神官様が驚き声で問いかけている。<この神殿は、地上へ持ち上がっていくのでしょうか、>と続けて、<それはきっと無理でしょうね>と瞳を伏せる。

<ここが、なくなってしまうのですね?>


 なくなる?


 首を傾げたわたしに、前水竜王様は柔らかな眼差しに戻り、<もう百年(ももとせ)の術を行う必要はなくなったからね、>とゆっくりと微笑んでいる。

<これを。お前は父親譲りに度胸がある子なようだな。諦めずに立ち向かってくれて感謝している。>


 まっすぐにわたしの眼を見て、わたしへと両手に隠していた砂時計も返してくださる。

 一応精霊である父さんの度胸って厄災の者というシンと付き合いがあるという実績から言っているんじゃないかなって思ったりもするけど、父さんを褒めて貰えたのだという事実には変わりなくて、日頃から古の悪い魔性の子であるという負い目が多少はあるだけに嬉しくなる。


<お前たちにも感謝している。褒美を対価として与えてやりたいのだが、もうそんな力はないのだよ、すまないな。>


<ビア、>

 コルとシューレさんとがわたしの方へと近付いてくるのが見えた。ここを出ようという提案でもあるのだろうなと思えた。

 土地に魔力が還元されて竜穴(スポット)が復活した時、この場所がどうなってしまうのかをわたし達は知らないでいる。

 湖の水が抜けて地上に隆起したとしても、来る道中には紫水晶(アメジスト)の剣山があった。そこを越えていかない限り、外へ出られないのは変わらない。


 話しかけようとして、老女神官様は前水竜王様の胸に飛び込むようにして傍へと身を寄せたのが見える。

<お父さま、>


 生き残ったのはわたしとコルとシューレさんとラスタ、老女神官様と前水竜王様とシンだ。

 (いと)()でありお母さまである精霊の最後の頼みを聞かなかったことにはできないのもあって、老女神官様を置いてここを去ったりなどできない。


<そんなものは良いのです。私たち、地上へ戻れるのですよ、お父さま。長年の念願叶って、やっと一緒に暮らせるのです。お父さま、一緒に行きましょう、>


 ラスタがわたしの腕をよじ登って肩の上に乗って、内緒話に耳へと囁いてくる。

<ビア、逃げないと。あの竜、もう魔力が保てないよ、>

<ラスタ、地上へ行く仕掛けって、まだ使えるの?>

 囁くわたしの声をコルもシューレさんも近くにいるから聞いてしまっているようだ。

 シューレさんが目を細めて苦しそうに呟いたのを、わたしにも聞こえてしまった。

百年(ももとせ)の術の成功の対価を命の献上としているのなら、もうじき、前水竜王様も輪廻の輪に戻られるだろう。>

 

 何を言っているの、シューレさん、冗談を言わないで、と言いたいのに、だからこそ、(いと)()が精霊になってしまうほどに魔力を使う状況になってしまったのだろうなって、わかってしまった。

 わたしは何も答えられないままに前水竜王様と老女神官様とを見ていた。

 急速に生きる者の輝きを失っていく者と、まだまだ生きていける者との輝きの違いが、ふたりにはあった。


<その前に、対価を貰わないといけないな。>

 どうしてこんな時にそんなことを言い出すの、と無神経ぶりを非難したくなると同時に、これが、厄災()の者()たる所以なのだと妙に納得できてしまった。

 平和に終わりかけた秩序を掻き乱すのが厄災の者なのだと、思えてしまった。

 

 シンが砂時計を使うのを阻止しなくてはいけない。

 どんな一日が欲しいとシンが願うのか、現段階でわかっているのは『死』だ。

 厄災の者である以上、シンは当初の約束通りに前水竜王様自身の最期の一日の記憶を欲するとは限らない。もしかすると、輪廻の輪へと命を返してしまわれた老女神官様のお母さまであり前水竜王様の(いと)()でもあった精霊とのどこかの一日を欲するのかもしれないのだ。

 例え、当初の約束通りに最後の一日の記憶という指定があっても、前水竜王様のこの時点からの一日を遡っての記憶を奪うのなら、前水竜王様が最期の時を迎えられる時、そこに、(いと)()との別れの記憶はないのではないかなと思えてしまった。

 わたしなら、最期の時は、大切な人との別れの記憶を失ったままでいたいと思わない。大切な人の一番大切な言葉を大切な宝物なまま旅立って行く時も胸に抱きしめて逝きたい。


 シンの気を逸らすには何が一番効果的なのかを探りたくて、咄嗟に対応策を探して記憶をかき集める。


 厄災の者と呼ばれたシンが魔力で前水竜王様を組み伏せようとしたなら、わたしにとって都合の良い結果にはならない気がする。

 魔力を一番持っているシンから魔力を奪わない限り、魔力を使ったばかりの前水竜王様と状態(ステータス)が近くならない。

 考えろ、考えないと。

 シンという人物についてこの中で一番詳しいのはおそらくわたしだ。たまにしか会わない関係でも、シンについて父さんからの情報があったりする。

 わたしの中に答えを探してみる。

 父さんの古くからの友人で、公国(ヴィエルテ)の山奥の村を転々としていた頃のわたしの友人でもあり、父さんの商売相手でもあり、人形作りを父さんに依頼した、竜だと思われる不思議なシン…。


 魔石に魔力を溜めさせて魔力を取り上げる?

 それよりも、魔道具は…?


 シンは父さんと魔道具のやり取りをしている。砂時計だってそうだ。いつかも父さんにも貸していた魔道具を()()()()()()()()()()

 毛深く、干からびた、人ではない猿か何かの片手首を持っているはずだ。

 3回願い事を叶えてくれると父さんは言っていた。シンももうすでに3回使っているかもしれない。だけど、前水竜王様はまだ使っていないはずだ。


<待って、>

 わたしの口から、掠れた声が出ていた。

 シンは記憶を奪うという砂時計を手にしている。

<待ってください。わたしの砂時計を使ったのなら、本来対価を要求できるのは()()()ですよね?>

 そんなに大きな声じゃなかったはずなのに、わたしの声は暗い世界に響いていた。


 シンは父さんから砂時計を渡すように言われて運んできただけで、実際の持ち主はシンじゃない。

 前水竜王様が本当に借りを返さなくてはいけないのは、現在の仮の持ち主であるわたしのはずだ。

 前水竜王様の記憶が欲しいのなら、対価を渡すのなら、わたしを利用するのではなくて、シン自身の持ち物を差し出せばいい。

 わたしが父さんに依頼されたシンに恩義を感じて遠慮をしていただけで、『復元(リコンストラクト)』という砂時計を貸した対価はわたしが求めていいはずだ。


<魔道具を持っていますよね? 父さんにも貸していた、あの手首を貸してください。それが、わたしが砂時計をお貸しして協力した対価にします。>

 はっきりと言葉にしてしまうと、シンは小さく舌打ちをしてわたしを睨んだ。

ありがとうございました。

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