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7 命を賭けて償うなら、

「仕方ないなあ、」

 大袈裟に肩を竦めると、呆れたように猫男ははっきりと言った。


 息を切らして追いついたメルと山犬たちが見たのは、森を抜けた野原と、美しい茶金色の毛並みのスマートで小柄な黒い執事服を着たほっそりとした顔つきの猫男と、勢い余って森を飛び出してしまったティヒの後姿と、きらきらと輝きながら消えていくスーシャだったかけらの集合体だった。


「スーシャ、森を出ちゃったんだ…。」

 月明りに照らされて、黄緑色の粉のようなキラキラした何かが夜の闇に溶けてなくなる。

「遅かったか、」

 声が聞こえた方を振り向くと、待ち望んでいた姿が颯爽と現れた。

 ルーグだ。でも、歪な…、違和感がある。暗がりに目を凝らしてみれば、歪に思えたのは、下半身は小柄なままで、筋肉の塊のような上半身は昼間見た時の2倍から3倍程大きく膨れ上がっているからだった。

 メルたちが名を呼ぶ間もなく、ルーグは森を抜け、地面に転がるウメの実を器用に指先で摘まんで拾うと、「これ、回収にし来たんだろ、」と猫男に向かって放り投げた。


「!」


 猫男が受け取る前に、何かが木陰から飛び出てウメの実を攫うと駆け抜けた。

「うわっ、何をするんだ、」

 猫男の声に、メルたちは反射的に影を追いかける。

 山犬の一匹が飛び掛かり押し倒すと、その上に飛び込むように一斉に山犬たちが飛び掛かって、あっという間に犬の山が出来た。

「やめろ、どけ、重い、」

 呻きながら文句を言い山犬たちに押しつぶされている誰かの手からウメの実をもぎ取ると、猫男は「愚かなことよ、」と呟いた。


「タズーリ、」

 森の中へと平然と入ってきたルーグに、メルは驚いた。ティヒは森を抜けたまま立ち尽くしている。

 山犬のティヒが縄張りの迷いの森から出たということは、何が待っているのだろう。慎重にしなくてはいけない気がして、メルはティヒに「そこで待ってて、テッちゃん、」と声をかけた。

「ルーグ、中に入ったら帰れなくなるのに、…いいの?」

「ああ、たいしたことないさ、」

 ちらりと猫男を見たルーグは、「そうだろ、」と念を押して確かめている。

「ああ、この者にとってはたいしたことはない。」


「え?」

 ルーグだけは出入り自由なの?


 メルがぱちくりしていると、ワフッワフッと舌を出して吠える犬だかりの山の下から「悪かった、もうしないから助けてくれ、」と情けない声が聞こえてきた。

「本当か?」

「本当です。お返しします。お許しを…、」

 情けない声はさらに情けなく慈悲を乞いた。

「仕方ないなあ、」

 猫男が頷くと、山犬たちは顔を見合わせて、ゆっくりと体を離していった。

「お前、連れ去られたんじゃなかったんだな、タズーリ、」

 山犬の一匹が犬人間の姿に変身しながらタズーリを助け起こした。タズーリはアナグマの姿にちょっと似ていて、見ようによっては少しふくよかな中年の男性に見えた。

「この者のはもう回収をしたからもう消えたと思っていたんだが、おまえ、執念深いナ、」

 意地悪く猫男は笑う。

 もう消えたって、どういう意味なんだろう。

「そうか、この森は特別だったな、」

「回収って、そのウメの実のことですか?」

 メルはさりげなく、猫男に尋ねてみた。知りたいことは沢山ある。怒らせないようにして、沢山聞き出したい気分だった。

「似たようなものだ。地の精霊王さまのお気持ちを裏切った不届き者たちから『証』を回収するのが、今回の私の仕事だ、」

「回収って、すぐにはしないのですか?」

 孤児と昔の自分の状態を言ったサーシャが今の年齢になるまで、何年もあっただろうに。メルは静かに腹を立てていた。そんなに放置しておきながら、スーシャが消えても何も思わないなんて。

「ああ、誰だって考える時間が必要なこともあるだろう? たいてい一回目の月が満ちるまでに回収するが、前任者に問題があってね、」

 ちらりとタズーリを見てクックックと笑って「まあ、こっちの話だ、気にするな、」と猫男はニヤニヤとおかしそうな顔のまま、ウメの実を腰のベルトに下げた麻袋に入れた。

「お前も、もう存分に別れを惜しめたのだからいいだろう、」

 声をかけられたルーグは悔しそうに唇を噛んで手を握っていた。

「すまないな、助かったよ、」

 猫男が山犬たちには素直に感謝を伝えると、低く笑った山犬たちはタズーリが逃げ出さないようにするつもりなのか、ぐるりと囲んでいた。

「丁度いい。お前とお前、スーシャの代わりにちょっと来てもらおうか。」

 服装の乱れを正した猫男は、メルとティヒを指さし、ルーグにも「お前も来い、」と告げてから、タズーリを見た。

「用事は済んだ。このまま帰還する。状況を説明するには関わった者がいた方がいいだろう。」

 行きたくないと言えば、行かなくてもいいのだろうか。メルは黙って様子を伺った。

 ルーグもティヒも、何も言わない。どうして、一方的に命令されても従うのか不思議だった。

 この猫男は力があるとでも言うのかな。そんなに脅威なのかな。

 行きたくないと言っても行かなくてはいけない雰囲気に、逃げ出せる機会があるなら、逃げてしまいたいとさえ思う。

「早く逝け、永遠に彷徨うつもりなのか?」

 猫男は冷酷な顔つきになり、タズーリを一瞥した。

「そんなことを言わずに、私も連れて行ってください、」

「どうしてだ? お前はこのまま森を出ればいいだろう?」


 ニヤニヤと笑う猫男が不気味に思えてきた。スーシャのウメの実を横取りしなくてはいけないようなタズーリは、『もうすでに回収が済んだ、』と言われていた。

 それはもしかして、死を願われているのかな?

 メルは自分の想像で身震いしてしまう。そんな大罪を、この者は犯したの?

 この男は、ウメの実がスーシャとも共通している。ウメの実を隠し持っていたから、スーシャは、大罪を犯したとされて、消えても悲しんでもらえないの?

 ウメの実には、スーシャが言っていた以上の価値があるの?


「ティヒ、お前はこのままこの人間の子供を送ってやれ、」

 他の者から一歩離れて様子を伺っていた山犬がティヒに声をかけた。「お前に仕事を与える。地の精霊王様の神殿から戻ってきて、この子を家まで送ってやれ。いいな、」

「兄貴、俺、」

 ティヒが言いかけた言葉を聞かずに、山犬たちは「ティヒ、元気でな、」と別れの言葉を口にして、ぞろぞろと森の中へ、村の方へと去って行ってしまった。


 あんなにあっさりとお別れなんだ…。

 無情に思えて、メルはティヒに同情してしまう。あんなに、仲間と一緒にいたがったティヒが、仲間から拒絶されてしまった…。

 

「どうかお願いです、連れて行ってください、」

 地に頭を擦すりつけるようにして土下座するタズーリを鼻で笑うと、猫男はメルとティヒを手招きして呼んだ。タズーリのことを無視して、メルたちと行こうとしている。

 話がよく見えてこない。ねえ、スーシャは? ルーグ、悲しくないの?


 ルーグはつまらなさそうにタズーリの傍にしゃがむと、「あんた、許してもらえているうちに逃げた方がいいんじゃないのか、」と尋ねた。


 話がよく判らない。スーシャは消えた。タズーリという人は、下僕に捕まったのではなかったの?

 メルが立ち尽くしていると、「でも、まだ、」と何か言い訳しそうになったタズーリを無言でルーグがちょいと摘まんで野原の方へと放り投げた。


 あっという間の出来事で、小柄な、やせっぽちなウサギ男なルーグが情け容赦なく、まるで人形でも放り投げるように軽々と自分よりも大きなタズーリを放り投げてしまったので、メルは驚いてしまった。


「あーあ、あいつは馬鹿だなあ、ウサギ男(プーカ)相手に小者風情(こものふぜい)が勝てるわけがないじゃないか、」


 プーカとは一見かわいいウサギに見える凶悪な野に棲む(あやかし)で、旅人を襲うのだとおとぎ話に聞いたことがあった。可愛いからと手を伸ばすと子供でも頭から食べてしまうような凶悪な性格で、野犬の様に群れを為すわけでもなく、人間の旅の一座に単体で飛び込んでくるから厄介なのだとも聞いたことがある。

 

 抵抗するでもなく、森を抜けた野原に放り投げだされたタズーリが、森に向かって手を足伸ばして恐怖と驚愕とで目を見開き、光の粉になって分解されていくように消えていく。


 スーシャといい、タズーリといい、どうして森の外に出ると消えてなくなってしまうんだろう。

 どうして?

 この森は迷いの森だよね? スーシャが教えてくれた森とはまた違うの?

 メルが不思議に思っても、誰も驚いている様子などない。

 スーシャが森を抜けて空中に溶けて消滅してしまうなんて。帰る場所が判らないから森を抜けられないはずなのに、どうして出られるの?

 村の広場に戻るのではないの?

 ねえ、スーシャは、大丈夫なんじゃなかったの?

 知っていれば、逃げてなんて言わなかった。森の中に隠れてって、出ちゃダメって、言えた。


 ポロリと、涙が零れた。


 生贄に無理やり決まって、外へ出ることを望んで、一緒に外へ出ようって誘ってくれたスーシャは、消えてしまった。

 ティヒは、仲間に拒絶されて、この森を追い出されてしまった。

 この森は、何かおかしい。


 メルは手の甲で拭って、涙を隠す。


 どうしてみんな、スーシャが消えたのに、淡々としていられるんだろう。

 じわじわと、恐怖がメルの心を支配する。動揺していて、瞬きをする度に、涙が零れそうになってしまう。一生懸命に涙を我慢して目を瞬きしないようにしてやり過ごす。


 慈悲を乞うタズーリは、許されなかった。

 あまりにも無情なことばかりで、心が付いていかない。

 スーシャが、ついさっきまで生きていたスーシャが、消えてしまった…。

 無慈悲な猫男といい、家族が、妹が消えてしまったのに、平気な様子に見え別れを悲しむ風でもないルーグが得体が知れなく思えて、不気味に思えてしまう。

 迷いの森が棲みかなティヒは、森の外に出たばかりに、仲間から戻ってくるなと言われている。

 スーシャがいなくなって悲しい。ティヒが追い出されるようで、かわいそう。

 一緒にいると、私の心までおかしくなりそう。ここにいたくないと思えてくる。


 メルは野原に立つティヒと目を合わせた。

 まだ私は一度も森の外へ出ていない。

 このまま足を踏み出せば、私はテッちゃんと家に帰れる。北西の方角に見える街の気配に、懐かしくて胸が苦しくなる。


「お前、変な気を起こすなよ、」

 猫男がふらっと体を動かしかけたメルの肩を捕まえて、耳元で囁いた。

「行きたくないと答えたら、どうなりますか?」

「そんな選択肢はない。地の精霊王さまの元に行ってスーシャの代わりを果たすのが筋だろう。お前が逃がしたのだからな、」

 痛いところをつかれて、メルは言葉を飲み込んだ。

「そんな顔をするな。スーシャの代わりさえ果たせば、お前を家まで送ってやれる。何しろ山犬が一緒に行くのだからな、」

 信じるしか、ないのだろうか。信じないと、歩き出せない気もする。

「おい、ティヒと呼ばれていたな、お前はここまで来い。」

 猫男は手招きして、森の際まで呼びつける。

「さあ、お前たちにはここを渡ってもらおうか、」

 猫男の命令にルーグはなぜか従うようで、おとなしくメルとティヒを見つめている。


 シンは、私を助けてくれた。もう一度、あの時みたいな奇跡が起きないかな。


 小さな声で、「シン、助けて、」と呟いてみて、メルは、こんな時にあんな変態男を思い出すなんて私はどうかしているなと思い直して小さく首を振った。

 自分のしたことに無責任でいたくはない。

 期待したって、ここにそんなに都合よく助けに来てくれるとは思えない。

 助けてもらっても、スーシャを失ってしまった罪悪感は消えていかない。


「ルーグ、この者たちを見張ってろ、」

 

 悲しいけど、私はただの町人(まちびと)で、ゲームの勇者じゃない。竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)になりたいただの女の子だ。

 ゲームでいうところのモブキャラなら、ゲームの本筋(シナリオ)にないことは未設定なままだと思える。それはつまり、自分次第で、世界は変わるということ。

 どうにかして生き延びて、自分の足で、家に帰る。

 泣いてたって、誰も助けになんて来てはくれない。

 しっかりしろ、メル。

 自分しか、ここにはいない。

 あの街に帰る。竜の調伏師になりに、帰る。母さんにただいまって言う。父さんに大丈夫だったって伝える。じいちゃんに、ちゃんと調伏を教えてもらう。

 スーシャの代わりを果たしたら、うちに帰る。

 誰かに頼ろうとしてみたおかげで、かえって自分の足で立たなくてはいけないと割り切れる思いがした。


 ティヒを見ると、メルを見て大きく頷いてくれた。きっと味方になってくれるという意味なのだと勝手に解釈して、メルは勇気を振り絞って、頷き返した。

 何が起きたって、私は、私のまま。諦めたりなんかしない。


 猫男がぶつぶつと何かを呟いて剣でくるりと地面に円を描き、手でいくつかの印を結ぶと、円は大きな穴に変わった。魔法でできた穴は、暗くて深くて、底が見えなかった。


「すべては地の精霊王さまの御心のままに、」

 一礼すると、猫男は足元にできた大きな穴の中に当然のようにメルやティヒを引き釣り込む。


 ほんとうに、そこがない?!


 メルは落ちていくだけの感覚に、恐怖から絶叫していた。

「きゃああああああああ…!」

 真っ暗闇に響くのは、自分の叫び声だけだった。反響して木霊して、声が延々と響き重なり続ける。


 ひょいっとルーグが飛び込むと、穴の出入り口は閉じて、辺りにはメルの絶叫だけが地中から響いていた。

ありがとうございました

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