23、すべてはあなたのために
パチンとシンが指を鳴らすと、神殿入ってすぐの通路の脇に並べて置かれている灯台に明かりが灯った。ちびた蝋燭に揺れている火には幻じゃなくて本物な煤臭さもあるので、水の中にある洞窟にはきちんと空気があるのだと実感できてしまう。
「意外と静かなんですね、」
灯りを頼りに見渡すとどこにも神官も死人もいなくて、ほっとして感想をつい口に出してしまっていた。神殿の中には死人が溢れていたりするのかなと思っていたのに誰もおらず、ぱっくりと真ん中にある地中深くへと降りる馬車でも通過できそうな程に高さのある広い下り坂の道の奥の、か細い光の向こうにおそらくあると思われる祭壇のある広間に、老女神官様やコル達がいたりするのだろうな、と思ったりもする。
シンはわたしの顔を怪訝そうな顔を一瞬だけして見て、かといって答えてもくれない。
「子守歌が聞こえるって聞いていたんです。」
黄色く輝く石の指輪はポケットの中なので、当然聞こえるのだと思っていた。
シンは深く溜め息をついて、わたしの頭へと手を伸ばしてきた。頭に手を近付けられると王都で受けた暴力を思い出してひょいと身を躱してしまう。負ける気しかしないけど距離を置いて構えてしまいたくなるのはちょっとした学習の成果だ。
「何をするつもりですか、」
この会話の流れで叩くのはひどすぎると思う!
「じっとしろ、」
シンは立ち止まると小さく咳払いをした。
「お前の疑問に答えてやる。」
「ありがとうございます?」
説明も理由も話してくれない秘密主義な性格だと印象が固まりつつあったシンへの評価が、その一言で少し良くなる。
そっと、シンがわたしの肩の向こうを見据えたまま、わたしの後頭部の向こうへと手を伸ばした?
「?」
痛くない?
シンの指先に摘ままれている小動物と目が合った。細い顔に目が大きくて耳が小さくて鼻がかわいくて、手足も小さいのに、体が妙に大きい。
「お前のマントのフードにずっとくっついていた。これの影響だ。」
「今は何も聞こえないですよ?」
「この神殿の奥に客がいるからだろうな。」
「ああ…、」
音の発生源に宝珠を手にした老女神官様やコル達が到着しているから聞こえないのだと判るとちょっとだけ残念に思ったりもするけど、服の上に何かをくっつけて歩いているのに気が付いていないってわたしってどうなのかなと思ってしまう。
「いつからですか?」
わたしと目が合った焦げ茶色の小動物は何かを言いながらじたばたと手を動かしていて、そのたびに、ひらひらと皮がそよいで動くのが面白い。広げたハンカチに見える体型だ。
「お前と合流する前からか? そうだな、」
シンが摘まみ上げたままで話しかけているのもあって、逃げようとしてもがく姿が気の毒になってきた。結論を早くして解放するか拘束するかを決めた方が良さそうだ。
「放さないと答えてやらない、」
早口な声は、ようやく聴きなれてきて言葉に聞こえ始める。
シンとわたしはずっと女神の言葉で話しているのもあって、同じ言語だし、精霊なのだと見当がついた。生きる力を奪う水とわたしにくっついていつつも乗り込んでこれる身体能力とを考えると、そこそこ力のある存在なのだろうなと思える。
水見の館の近くで出会った職人の格好をした精霊を思い出す。ヒト型をとれるとなると、それなりの立場も持っていそうだ。魔力を奪う水の溜まるこの環境で生き残っている精霊なら、特別な存在…、この街の守護精霊とも考えられる。つまり、ギプキュイのお仲間だ。
「もしかして、この子がこの街の守護精霊ですか、」
「兄弟だ。ちっぽけな精霊なのに、お前についてきてまでしてここへ乗り込もうという心意気に免じて見逃していた。」
「この土地を兄弟で守っているんですか?」
妖狐ギプキュイは一族で、アンテ・ヴェルロのアナグマたちは家族で街を守っていた。
シンが竜なら、このまま精霊を捕まえた状態でいるのは捕食前でしかないように見えて待遇がかわいそうに思えてきた。
「放してあげてください。わたしが受け取ります。」
わたしが手を伸ばすと、体を広げて小さな足で蹴ろうとする。動けば動く程、腕の下の皮の広がりが翼にも見える。
「これはこの土地に暮らす固有種でモモンガという。体を広げて鳥のように空を飛ぶ性質を持つ。お前が受け取っても下手をすると空へと逃げるぞ。いいのか?」
シンの視線の先には、屍食鬼や死人が待ち構えていそうな奥の部屋がある。
「きっと大丈夫です。」
逃げるなら、この子が選んだ選択だ。契約していない精霊は攻撃してこない限り気のいい隣人な扱い程度の距離感にしておいた方がいいと判っているのもあって、利用しないしされるつもりはないと心の中で線引きをしておく。
「変に同情するなよ?」
「しないです。」
うっかりシンに喰われるのを目撃したくないだけだとは本人を前にして言える気がしない。
わたしの手に包まれるようにして囲われてしまったモモンガは震えていて、威勢がいいのは痩せ我慢なんだってわかってくるとかわいさが増してしまうけど、心を強く持って問いかけてみる。この子はこう見えて闖入者なのは変わらない。
「さ、話して。あなたは誰?」
「お前たちの名前も知らないのに名乗れないぞ。お前から名乗れ。」
竜だと思われるシンを前に強気な態度を崩さない言い分に、名を一方的に取られるのって怖いよねって納得しかけて、だからと言って契約するわけでもない精霊と名前の交換をするのは躊躇われる。だいたい、わたしは名前を教えて欲しいとは言っていない。
しかも、竜の気配がしないからと言ってシンが竜ではないと言い切れないだけに、この質問にシンはどう答えるのかを知りたい。わたし達は父さんという仲介者がいるから父さんの商売相手であり古くからの付き合いのある友人という気安さから年の離れた友人といえるような良好な関係を維持し、会えばそれなりに話をするしシンと名を知っているしビアと名を知られてはいても、お互いを親しく呼びあうような仲ではなかったりする。何より、正体を知らないのだ。
目を向けると、シンはわたしでもモモンガでもなく、まだまだ遠く離れた奥の広間の仄かな明かりへと視線を向けていて、耳を何度か触っている。おそらく聴力を『強化』していて、離れた場所の様子を聞き取っている。
この土地の守護精霊よりも大事な情報を、この場にいるシンだけは聞き取っている。早く状況を整理した方がよさそうだ。
「モモンガのモモちゃんと呼ぶから名前を教えてくれなくても大丈夫。ね、この街に暮らしているならこの湖は危険だってわかっているだろうに、どうしてついてきたりしたの?」
名前を教えないから不便さは解消するために一方的にあだ名をつけたわたしに、モモちゃんは「ちゃんと名がある!」と怒って「ラスタだ!」と名乗ってくれた。負けてしまったという悔しさで口を滑らすなんて、単純な性格でよかった。
「このまま一緒に行くの?」
「行く! 連れて行け!」
横柄な態度なのはもともと怖いもの知らずな性格だからなのかな。
呆れるけど、かといって投げ出すのも置いて行くのも心配で、どうしようかと持て余した結果、わたしは自分の頭の上に戻しておくことにした。
「落ちないでね、」
そっと頭の上に乗せると、ラスタは「仕方ないがこれでいいぞ!」と教えてくれた。この待遇で満足しているようだ。
「この精霊は、知り合いだったりするのですか?」
頭の上を指さして尋ねてみると、シンは「守護精霊の兄弟の弟の方だと知っている程度だ、」と即答してきた。
「精霊って、この街にいたんですね。」
「お前は見なかったか? 二人してあの丘でうろうろしていただろう?」
「あの少年と、職人さんみたいな精霊ですか、」
「兄ちゃんだ! 敬え!」
怒っているようなはっきりとした声に、ラスタはお兄ちゃんっ子なんだろうなと想像してしまった。
「星のない空を指さして、何かを教えてくれているみたいでした。」
「召喚の最中だったからな。さしづめ、近寄るなと伝えたかったのだろう。」
シンはあっさりと言った。
「竜の召喚をしていたのですか…。」
あの時、シンは魔法ではなく魔道具でわたしを捕まえていた。
召喚されていたから魔法が使えなかったのではないのですかと言ってしまいたいけど、今は確信が持てなくて問えない。
閃くように、老女神官様やコルにあの男は頭を下げていたのだとしたら、召喚できなかったことを詫びていたのかもしれないなと思えてきた。まさか召喚できなかった罰としてこの儀式へ同行させられていたりするのなら、シンって、罪深い。
「この娘に話しかけたのに、無視されたから、勝手にくっついてついてきた!」
頭の上で声を張り上げるラスタは勝手にくっついてきたのに得意そうだ。
「お前たちは姿かたちもはっきりしなかったのに、話しかけても聞こえるはずないだろうに、」
ニヤリと笑うだけで、愚かだ、と言わなかっただけシンは優しい。
「兄ちゃんは終わるまで待てって言ってたけど、待っていられないから一緒に来てやったのに! その言い草は何だ!」
頭の上でジタバタと手足を動かしているのが振動が伝わってきて判る。小さいモモンガが怒っている様子は想像してみても凄味がなくて、ついてきてもらえた恩恵を受けられるほどの助力を期待できそうな雰囲気はない。
「この神殿の奥に何かいるのは判ってますが、本当に死喰鬼を追いかけてきたのでしょうか、」
ラスタを指さしながらシンに尋ねてみると、視線を彼方へ向け耳を澄ましていたシンは驚いた表情になり、意地悪くニヤニヤと目を細めてわたしの上をちらりと見た。
「だと言っているが、そうなのか?」
「当たり前だ。ただでさえ死の気配の強い夜なのに、お前たち人間が連れ込んだ魔物が場を荒らしている。元凶を断たないとダメだって兄ちゃんは言うけど、どうしてか今夜は止めておけって言うんだ。兄ちゃん強いのに。な、矛盾してると思わないか、」
「手堅く魔物を狩るならこちらの魔力も回復した方がいいと思うから、こんな夜を避けるのは妥当な判断だと思うわ?」
あの職人さんみたいな精霊はしっかりしているなあと感心しつつわたしはシンに尋ねてみた。宝珠の交換の儀式はともかく、屍食鬼だの死人だのとに、守護精霊は巻き込まない方がよさそうな気がする。
「この子は先に逃がさなくて大丈夫なのですか?」
もしかして飛び込んだら発動する仕掛けってモモンガであるこの子たちを対象にしているからなのかなって思うと、モモンガだからこそ逃げられる仕掛けもありそうな気がしてきた。シンはこの湖の仕掛けを知っていたくらいなので、実は他にも知っているのかもしれない。
「嫌だ。連れて行け。お前の耳を『遮断』で守ってやったんだから恩返ししろ、」
一方的な要求だなあ…、とラスタの強気に呆れてしまうけど、耳を守ってやるから力を貸せと最初に提案されていたら果たして承諾していたかなと思うと、多分わたしは断っていそうな気もする。
「諦めて連れて行ってやれ。そいつの特殊な魔法がずっとお前の周辺で連続していたから、お前はあの歌声を聞かずに済んでいた。少しは感謝ぐらいしてやれ、」
シンがいつも以上に投げやりな言い方なのは、いてもいなくても気にしていないという立ち位置だからなのかな。
よし。いざとなれば自分で逃げられるだろう、とわたしも割り切ることにする。
「…そうします。あなたは、ずっと歌声が聞こえていたのですか、」
「魔法で遮断していたから聞いていない。」
さすがですね。
感心するわたしを見向きもせずに、シンはそう言いながら歩くのを速めた。
「追手ですか?」
振り返っても、誰もいない。
「いいから来い、」
奥で、コルに何かあったんだ!
「教えてください、何があったんです?」
聞こえていても教えてくれないシンにじれったくなる。自分で確かめるしかなくていつしか走るわたしの頭の上で必死にしがみついている様子なラスタも気になって、落とす訳にもいかなくてそっと手で押さえながら急ぐ。
叫び声というよりは気合を込める声が響いて、骨の折れる音や肉がもげる音も聞こえてくる。
一瞬吹き抜けた風には、生臭さと血の匂いと妙な魔力の気配が香る。
扉のない坂を降り切った先の部屋では明るい部屋に対峙する人々の影が見えて、やがてその影が数人の人影で、顔を向けるひとりがコルだと判った時、わたしは他に見つけてしまった光景の衝撃に動けなくなっていた。
高い天井から騒めくように煌めく透明な氷柱がいくつも垂れ下がり奥まで続いている大きな空間で、地面にも大小さまざまな大きさの氷柱がみっしりと生えた円形に広がる階段の中心にあるのは、牢獄のように冷ややかな氷柱が全身からも凍るベッドからも生える中に横たわる白く凍る髪の青白く美しい白い服の男性と、寄り添う儚く透明感のある水色の髪の青白い顔をした妖艶な女性、円形の空間の真ん中にある凍てつき氷柱の垂れさがる祭壇と、その傍で刃物を手にした女たちに人質に取られている老女神官様とコル、荒く息を吐き血まみれの懐かしい顔によく似ている男性と、あちこちの地の氷柱を粉々に倒し首や腕や背があちこちに向いていて起き上がれず地に蠢く死人たちの姿だった。
息が白い。
部屋自体が氷室のようで、空気は凍っている。
「これはいったい、」
わたしは寒々しい広い空間の中を見回して、隣にいたはずのシンの姿が消えているのも目の当たりにする。この部屋に同時に入ったからいたはずなのに、どこで姿を消してしまったのかわらない。
壁には白く結晶化した氷柱がみっしりと生えていて、時々ミシミシと音を立てて折れていく。
先にこの部屋に来たコル達が降りて行く時に減ったはずの階段にも、新しい氷柱が生まれてきつつある。
「これは魔力が結晶化しているんだ。」
頭の上からモモンガが飛び降りて、一番わたしの近くに見えていた大きな氷柱へと舞い降りた。
「危ない、」
ふわり、と、熱で溶けるように蒸発する氷柱は、魔力の輝きを飛び散らせて消えた。
「魔力…!」
「ここは魔力を集めた場所なんだ。この街で一番とびきりな場所、一番、怖い場所。」
モモンガだったラスタは身震いしながらヒト型となり、一旦しゃがみこんでいたのを立ち上がると、わたしへと振り返る。
「いこう、」
シャルーよりも年上な印象の少年の姿へと変わっていたラスタは、わたしの手を引っ張って、氷柱の生える階段を降りていこうとする。
一歩一歩降りて進む度、氷柱は消え、魔力がわたしへと吸い込まれて、少し距離のある先の祭壇の前にいる人々の緊迫した空気に近付いていくので緊張する。
目が釘付けになるのは、ここで行われていたであろう事態の現在確認できる結果だったりもする。
血まみれの筋骨隆々なたくましい男が死人を武器もなく素手で倒したのだと判断できた。あの女二人が、宝珠を手にしている老女神官様やコルの手から宝珠を奪おうとしているのも判る。
だけど、あの全身に氷柱の生えた凍るベッドに眠る男性はいったい誰で、悲嘆にくれるあの女性もどうしてここにいるのかわからない。
「ビア…!」
わたしを見て、血まみれの手を握り、たくましい男性が絶句している。
どうして、気が付かなかったんだろう。
体格が変わっていたって、瞳に宿る光は変わらないのに。
わたしは、この人を知っている。
しなやかで美しいこの人は、わたしの憧れであり、わたしの大切なコルと同じくらい、いや同等以上かもしれない程に大切な存在だった。
会えると思っていなかったし、声を聴けると思っていなかった。懐かしくて、無性に嬉しくて、感情が揺さぶられて返事となる声にならない。わたしを知っているのが驚きでもあり、あなたの冒険者としての1周目の世界にわたしも重なっていたからわたしを知っているのだという発見もあって、出会えたのは偶然かもしれないのに宿命かもしれないと思えてくる。
この街に呼ばれてきた竜の召喚が出来る者とは、シューレさんだったんだね。
ずいぶん鍛えたんだね。
あまりにも違いすぎて、ひと目で記憶と重ならなかったほどに見違えてしまった。
竜使いでも竜の調伏師でも、竜騎士でも、冒険者である彼の肩書だったんだと悟る。
たくましく育った筋肉の分厚い体は、舞うよりも剣を持って戦うのが似合いそうだ。
あなたも、2周目の世界では変わろうとしたんだね。
姿かたちが変わっていようと、彼はわたしの知っている特別な竜騎士なのだ。
シューレさん、
答えようとしたわたしの声は鋭い女の声で掻き消された。
「どうしてお前がここにいる!」
その声も、わたしは知っている。
ありがとうございました。




