17、手を広げて、空を飛ぶ
馬車に戻って検問を通過する順番を待っている間、レイヴンと先輩は特に会話もなく、黙って時を待っていた。リディアさんのお下がりの巫女服はさすがに夜には肌寒い。まだ早いけど、馬車に置いてあった火光獣のわたしのマントを羽織ってみる。肩掛け鞄を膝の上に置いていると、久しぶりにわたしらしい格好をしていると思えていた。
窓の外に目を向けると、煌々と明るい土産物屋街から見える空の色が気になって、夕闇となる時間なのにコルが来ないのを不安に感じていた。
向こうの山手に見える公爵邸から一直線に、仮に途中、聖堂に立ち寄ったとしても、単身馬を操って坂道を駆け上がってくるのだとしても、遅い。
わたし達の馬車の番になり、門番や兵士が馬車の中を確認して、レイヴンが質問にひとことふたこと他愛のない返事を返して、「行って良し」と許可を貰えた。検問所というからにはもっと細かく検査されるのかと覚悟していたのに、聖堂という団体の馬車というだけで特別扱いされるようだ。
無事にこの街を出て行けそうでホッとしても、まだコルが来ていないっていう現実もあって、すぐにはここを通過しないのだと考えていた。許可が下りてもギリギリまで時間を耐えて居座るのだろうと思っていたのだ。
レイヴンは馭者台へと通じる小窓から、躊躇いもなく「行ってくれ」と伝えていた。
「やっと、あの耳障りな歌声を気にしなくてよくなるのね、」
ほっとしたように先輩はレイヴンに微笑みかけている。
行ってくれって、コルはいないのに、行ってくれって…!
「どうしてですか、」
自分の声が思ったよりも大きくなってしまっていてびっくりもするし、先輩やレイヴンも驚いて目を見開いているけど、「いいんだ、行ってくれ、」とレイヴンは言葉を足している。
「まだそろっていないんですよ?」
ガタガタと動き出した馬車は、通過が許された門へと進んでいく。
「この門を出たら、戻ってこれないんですよ?」
夕闇が夜の闇へと変わったら、門は閉じられてしまうのだ。
「…判ってる、」
レイヴンはわたしを見ずに、視線を床に落としたまま言った。
「そんなの、わかってるよ、僕だって。」
「何が判っているんですか、おいて行くのですか、」
「ビアちゃん!」
痺れを切らしたかのように怒鳴った先輩は、わたしの腕を掴んでいた。
「聞き分けのないことを言わないで、ビアちゃん、ね、わかって? こうするしかないの。隊長は私たちのために時間を稼いでくれているの、」
「なっ、」
何を言うんですか、と問い質したくなる。
時間を稼ぐ?
「弱い私たちを逃がすために、一番強い隊長が囮になってくれているの。ね、わかってよ、ビアちゃん、」
逃げすために、コルが、時間を稼いでいるの?
「そんなの、いつ決めたんですか、」
悲しみと怒りとが混じって、触れられたくないって感情に支配されて、わたしは腕を振り払った。
立ち上がると大きな音を立てて馬車の天井に頭をぶつけてしまったけど、そんな痛み、今はどうってことない。
「囮ってどういう意味ですか、時間稼ぎって、」
「そのままよ、私たちは、隊長が出かけた後、相談したの。あなたが迷子になっている間に。」
二人して待ち合わせて部屋の外へ出ていたんだ…!
わたしの居ない間に、わたしの居ない場所で、わたしに断りもなく、この街を出る計画を立てたんだってわかってくると、隊長であるコルを蔑ろにしているのだとも気が付いてしまって、沸々と怒りが沸いてくる。
「知っているんですか、ご自分が留守の間に、小隊としての方針を決められてしまっているって…!」
レイヴンも先輩も黙っていた。
知らないんだ…!
コルはわたし達が街を出ようとしているって、知らないんだ…!
揺れる馬車に、引き返さずに、待つつもりもなく、進んでいくのだと思えた。
「ね、聞いて? ビアちゃん。この領での任務は失敗、隊長はどっちにしろ責めを負うでしょう。いくら伝達の齟齬があろうと騙されたと主張しようと、隊長である限り失態であるのには変わらないし、責任者には何らかの罰が与えられるわ。だけど、私たちを脱出させ自らを捧げたのなら、それなりに献身が評価されて、結果として、私たちも隊長も、不問となるのよ。」
聖堂は信仰を大切にしている集団だからこそ成功や成就がすべてで、失敗や瑕疵を避ける傾向がある。
「そんなこと、聞いてないです。そんな話、」
打算に満ちた作戦を、あのまっすぐなコルが言い出したとは思えない。
「信仰を大事にしているからこそ、失敗したって、全力でする努力が尊いのではないのですか、」
「もちろん隊長はそんな話もそんな計画もしていないわ。だから、私とレイヴンとでお膳立てをすると決めたの。」
「僕たちの誰かが残って隊長が救出に行くと言えば、小隊の全員がこの地に捕まる。救出に成功しても、この地の聖堂の面目は潰れる。隊長ひとりが残り、僕たちが隊長をおいて行ったとしても、『仲間のために献身してくださった』と伝えれば隊長の評価は上がり、小隊は3人残り、この地の聖堂の面目は保たれるんだ。」
初めから残すのはコルだと選んでいたのだとでも言いたいような、レイヴンと先輩は納得済みの表情をしている。
ふたりして、コルも、わたしも、騙したのだ。
「そんなの、」
卑怯だ。悔しくて一泡吹かせてやりたくて罵る言葉を言いかけて、ガタン、と馬車が大きく揺れたのでやめて、舌を噛みそうになって慌てて口を噤む。
いきなり止まり、外では馭者や他の男たちが大声で何かを言っているのが聞こえる。石にでも乗り上げたようで、人を呼んでいる声もする。
万が一でも周囲に集まる人に聞かれたくない話をしていると自覚しているようで、レイヴンは声を低く、小さくして「これは作戦なんだよ、」と言った。
「隊長だってわかっているよ。以前任務で同行しているから僕もアメリアも馬に乗れるって知っているのに、知らない態でおいて行ったんだから。」
「ビアちゃん、私たちにできることは無事に王都に帰ること。いい? 隊長の名誉を回復するには、それが一番なの。美談はいくらでもあった方がいいわ。でも、隊長がいない分、この小隊は武力が落ちるから、危険が迫った時、戦っても突破できない時が来る。その時は、…わかっているわよね?」
先輩がどうして、この時機で自己犠牲を言い出したのか、わかった気がした。
レイヴンと先輩を助けるためだ。
コルを見殺しにしてでも、最悪の場合わたしから命を奪ってでも、自分たちはこの街から逃げるつもりでいるのだ。
再び揺れ始めた馬車に、立っているわたしは倒れそうになり、レイヴンと先輩は壁にある持ち手を掴んで身を支えた。
馬車の扉の鍵が揺れたのが見えた。乗る時に見た馬車の外側を思い出す。この馬車の防犯が内側から掛ける2か所の鍵だけなのは、貴族向けの長距離用の特別仕様の馬車で、貸出用でも庶民用でもなければ護送用でもないからだ。
「ビアちゃん、座りなって。初任務を失敗で終わらせたくないって気持ちはわかるし、私も無事に成功で終わらせてあげたいと思っているから、結果として成功になる道を選んだの。ね、無事に王都に帰れたら私たち、実質成功なのよ?」
「隊長なら大丈夫。こんなこと、よくあることだから、」
窓の外の景色が変わる前に、決断しなくてはいけない。
コルの為にできることは、なんだってやりたい。
ぎゅっと、手を握る。
シューレさんならどうする? 師匠なら?
1周目を知っている2周目のわたしなら、どうしたい?
幸いというべきか、肩掛け鞄も火光獣のマントも、身に着けている。
シューレさんでも、きっとこうするはず。
姿は見えなくても風はオルジュだから守ってくれるって願って、師匠はきっと応援してくれるって、自分を励ます。
「わたしは諦めたくないです。こんなの、よくあってほしくないです。」
わたしははっきりと叫んで、急いで2か所の鍵を開け勢いよく扉を開けて、思いっきり手を広げて馬車の外へと飛び出た。動いているのは知っているし、落ちるのも判っている。気持ちが先走って、街の方へ、進行方向とは逆へと向かって飛び出していた。
怖いと思うより先に、『強化』の魔法を唱えていたのは無意識だ。
転げ落ちる瞬間に地面に手をついて頭から回転するのだとだけ考えていた。ゴロンゴロンと、体に体勢が固まってしまったかのように、そのまま転がっていく中、馬車の音や叫ぶ声、自分が転がる音との間に、「ビアちゃん!」と叫ぶ声が聞こえた気がしたけど、気のせいだと割り切る。
集中するには、目を瞑った方がいいの?
「危ないだろ、馬車に曳かれるぞ、」
誰かの怒号が聞こえた気がした。
いくら強化していても向かってくる馬車に向かっていくのは危ない。なぜだか急に転げていきつく向かう先が心配になって、回転中に方向転換などできるわけないのに混乱して、止まらなくて、勢いのままに石畳を転がる。
音が、目が、回る世界に追いつかなくて抗おうとして、失敗する。
やっと勢いが削がれて、仰向けに投げ出されて、声にならない荒い息遣いと頭も体も背中もぶつけた痛さと、バクバクとやけに大きく聞こえる自分の鼓動の音に、生きているんだと自覚できた。
ああ、空は暗い。
どうしようか。
一瞬、門は閉まってしまったのかを確認したくなる。
ハアハアと言葉の代わりに繰り返す息を聞いているうちに笑えてきた。
大丈夫、わたしは生きている。
魔法だって使える。希望という名の魔法をかける冒険者だ。
じきに、遠ざかっていく馬車の音と、追いかけるように次に行く馬車の音とが響いて、「おい大丈夫か」と駆け寄ってくる声が聞こえた。
「おい、生きているか、大丈夫か、」
心配して見に来てくれる人がいた!
痛いし、血が出ている感覚もするし、無事ではないってわかるから、答える前に、自分自身に『治癒』と『回復』とをかける。
「おい、飛び降りたのか、」
「なんだってこんなことを…!」
「おい、お嬢ちゃん、大丈夫かい、」
さらに増えた近寄ってきた誰かの心配してくれる声に、わたしはそろそろ反応しなくてはいけないなと覚悟を決めて、身を起こしてみた。
痛い…、気がしたけど、痛くない。
「大丈夫です、これくらい、」
魔法は効果があった。痛みのない手のひらも綺麗に傷は消えているし、指も動く。血だらけの足も、腕も、傷口は消えているし痛みはないし、動くし、見かけ通りに無事に綺麗だ。
治った感覚を信じて、動揺する心はまだ動きたくないって言っている気もするけど立ち上がって、何事もなかった顔をして、自分のいる場所を確認する。
門を出てすぐだ。まだ、検問所は開いている。
門番と兵士とがわたしを心配して検問所を抜けてきてくれていたおかげで、人数が減ってしまい検問が滞っているのだ。
「ありがとうございます、大丈夫です。」
彼らが当たり前のように手を貸そうとまでしてくれる親切が嬉しくて、笑顔で首を振って断って、転げて埃まみれになった服やマントを手で払って身綺麗にして、話しかけてくる兵士や門番に対してお辞儀をして、わたしは顔を上げた。
「街に入りたいんです。急いでもいいですか、」
「ああ、かまわないよ、」
「豪快過ぎる訪問者だな、お嬢ちゃんは、」
苦笑いをして兵士と門番は顔を見合わせた。
わたしは、大きく息を吸って、検問所へ向かって歩き出す。
「いいのかい? お嬢ちゃん、追いかけなくて、」
「あの馬車、聖堂の上等な馬車なんじゃないのかい?」
言いたいことはなんとなくわかる。わたしが飛び降りたのは一介の庶民が日々の暮らしの中で使わないような高級な馬車だと言いたいのだ。彼らは良い暮らしや良い待遇を手放してもいいのかいって心配してくれている。
「大丈夫です。自分の意志で降りたんです。」
コルを身代わりにして王都に帰る生活にしがみつきたいと思わない。コルの身代わりになってすべてを捨てられるのなら2周目の世界に生きている甲斐があると言いきりたいけど、この世界でわたしが目指しているのは、コルも救ってわたし自身も救われる方法だ。
「あ? あれは降りるって言わないだろ、」
呆れる兵士も門番も、だからと言ってわたしを責めたりはしない。
「そっか、この街は良い街なんだよ、意外に。」
「歓迎するよ、」
街道へとつながる道の随分と先には、止まらずに走り続ける馬車が何台も見えた。時間が時間だけに、わたしの為に止まったり引き返したりはしないと推測できたし、するはずがないって思えた。
検問所へ向かうと、「お嬢ちゃんが今日最後の訪問者だな、」と兵士と門番に改めて歓迎してもらえた。
「ようこそ、デリーラル公領領都ホバッサへ。」
「歓迎するよ。」
行きは眠っていたので知らない間に通過してしまっていた検問だ。
「先ほど出て行った馬車に乗っていた娘だね? …ひとりで、街に戻るのかい?」
「はい、」
一番格上っぽい兵士が確認してきた。
「身分を証明するものは?」
「わたしは、冒険者です。」
見せるのは、鉅の指輪、お守り袋からの『特別通行許可証』。
「意外だね、こんなにかわいい女の子が治癒師様かい、」
感心する兵士たちはかわるがわるに特別通行許可証とわたしとを見比べて、「よし、大丈夫だ」と念を押してくれて、わたしを門の内側へ、街の中へと入れてくれた。
「気を付けて。あまり無茶はするんじゃないぞ?」
転げ落ちてまでして馬車を降りる方法はとらないわ、と心に誓って頷く。
「月の女神さまの神殿は、坂を下って街の中だよ。気を付けて行きな?」
月並みな対応でも、ひとりの冒険者として扱ってもらえるのは嬉しかった。
「ありがとうございます。」
明るく会釈して、手を振って、歩き出す。
後ろ盾はいない。聖堂の治癒師ではなく、冒険者としてこの街に入るのだ。
待ってて、コル。助けに行くから。
わたしは夜の闇に輝く星を湖底に輝く宝石のような街灯りの上空に見つけながら、土産物屋の煌々と輝く下り坂を急ぎ足に進んだ。
ありがとうございました。




