9、目の前にあるのは見覚えのある秘密
領都と呼ばれるような大きな街はどこでも市場が必ずあって、たいていは大きな通りに面していたりする。月の女神さまの神殿の神官に聖なる泉の場所を聞いた時に市場の存在も聞いていたので、この街で言う市場と同格の扱いの『産業会館』を探して通りを小走りに急いだ。道路と歩道と建物との間には一段ずつの段差があるので、水害にやけに警戒した街のつくりだなと感心して、澄んだ空を見上げる。この街への馬車での移動中は眠っていたので高低差を感じていなかったけど、周囲の高い山々と空とだけ見ているとあまり実感がなくても、実はここはかなりの高地で、もしかして冬には雪が積もる地域なのかもしれないなと思えてきた。
地図もないし風の精霊オルジュもいないので情報は不十分で、市場に行きたいと尋ねて教えてもらえた産業会館が本当に市場なのかは行ってみないと判らない。見知らぬ街は自分で確認するまでは不確かなままだ。目安となる会館という言葉通りなら、目指すのは大きな建物だ。
キョロキョロしながら通りを渡り、食べ物の匂いや呼び込みをする声を頼りに、北側に、通りに面した大きな建物のいくつかと、馬車の停留所と入りきらなくて順番に待つ馬車の列と、馬車番をする者のために開けられていると思われるいくつかの露店を見つける。
多分ここだと思っても、違っていては振り出しに戻る。露店から流れてくる肉を焼く匂い、甘くパンやバターの焦げた香ばしい匂いを嗅いでいると、お昼時なのだと実感する。一瞬だけこのままここで引き返して食事をしていこうかななんて思ったりもするけど、そうは言っていられない。
買ったばかりの食べ物を立ち食いする人々の背の向こうにあるはずの看板を探しては見つからないまま歩いて、確信が持てなくてドキドキと高鳴る胸をなだめるようにゆっくりと息を吸って、喧騒や突然立ち止る人々にひるまないようぶつからないよう歩みを進めて、この通りで一番周辺の建物よりも高く大きいと思われる建物まで向かった。
通り沿いに庇のあるかなり大きな出入口の際に見つけた大きな看板には、期待通りに産業会館とある。ここで正解だったと胸を撫でおろし、入って行く人の流れに乗ってわたしも3段ばかりの階段を上る。基礎がしっかりと作られている建物は大きく頑丈で、天井も十分に高い。
入ってすぐの風除け室も兼ねた案内所の向こうは農産物を売る店を中心にフロアの隅々まで店が並んでいて、店員たちの呼び込む声や掛け声が騒々しくて、どの店も買い物客で賑わっていた。案内所に掲示された館内の案内板の1枚目の表の左半分には、この建物が地上部分だけで4階まであり地下には倉庫があると表記があり、右半分には1階部分の間取りと、説明としてデリーラル公領の地域と街の名が書かれていた。案内板の2枚目には2階から4階部分の商会名と領の紋章と大体の区画とが記されていて、各領から出店しているのだと判る。ざっくりと3等分された各階の間取りは、1枚目に比べてかなり字が細かく簡素な表記になっている。店のある場所には数字ばかりで、下の欄外に数字と呼応する商会名が書いてある程度だ。
もちろん商会名の中に探していたマスリナ子爵領のロディスのリバーラリー商会も見つかる。3階の北の端の辺りだ。ちなみにミンクス侯領や公国との国境の街を持つオルフェス侯領やフォイラート公領の店は2階にあったり、北方の皇国との国境の街を持つクラウザー侯領やピフルール公領は3階なので、よくわからない配置だった。
館内の案内板によると、階段は案内所とつながる廊下の左右の突き当りにひとつずつあった。従業員用の階段や避難用の非常階段は屋外にあり、いったん外へと出ないと1階からは使えないようだ。人の少ない階段から素早く移動したかったのを諦め、なんとなく右側の奥の突き当りにあった階段を選んで登る。
白い石の貼られた階段は頑丈でしっかりしていても、買い物客も搬入業者も利用しているのもあって多く混雑していた。
急ぎたくても、こういう場での揉め事を起こすと時間と手間がかかるのだと割り切って、人の流れに逆らわないよう気を付けながら時間をかけて階段を登る。やがて流れてくる微かに漂う白檀や沈香と言ったお香の中に複雑な薬草に混じる香りを感じるようになって、何の匂いなのかなと分析しているうちに3階までようやく辿り着く。窓は両階段にある大きなものだけで、自然の明るさが届くのは限られた範囲でしかない。かといって暗くては商売にならない。照明が天井から吊るされたり通路のあちこちに置かれているのは、そういう配慮だと思う。
視覚的にも嗅覚的にも昼間なのに妙に雰囲気がある3階は、他の階に比べると閑散としていた。ひと目見ての印象だと、香炉や大型の敷物や気の利いた意匠の家具など、緊急性のないものばかりを扱っている店が多い。そういう点ではロディスのリバーラリー商会も乾物を主に扱っているので、うまく馴染んでいるのだろうなと納得してしまった。
フロアの入り口にあるこの階用の案内板で改めて位置を確かめてから、ロディスの店まで最短の通路を選んで向かう。輝石や銀細工、小間物など、見ていて楽しいけど想像以上に細々とした店とが並んでいる。物に溢れた店によっては、通り過ぎるだけで埃っぽく掃除が追いつかない匂いがしたりもしている。
量より質な品揃えだから大きな敷地はいらないからこそ小さな間取りでもやっていけるのかなあと納得はできても、ひどい店は間仕切り代わりの薄布が天井から吊るされ仕切っただけだったりもするし、床面積が狭いからこそ扱う品の価値と単価を上げていたりするのかなと思えてきた。なにしろ、もしかするとわたしの王都での聖堂の私室の間取りよりも狭い店構えばかりなのだ。
そんな店ばかりなので階全体がごちゃごちゃとした雑多感は拭えない。なにより、視覚的な情報の煩雑さを強調するかのようにスカッと広く通路幅だけはしっかりととられている。店はともかく建物としては防災を意識して逃げ道を確保した配置にしているつもりなのかなと思う。
案内板の通りに店を探すと、奥の方の布で間仕切りした小さな店の集合体のような区画が続く北の並びの中に、天井から吊られた籠のようなものばかりの店を見つける。位置的にはロディスのリバーラリー商会だ。通路に見えるよう看板が置いてある。描かれているのは『茶色の地色に黄色い茸』だった。店舗の大きさは両隣りの店も合わせてやっとわたしの王都の聖堂での寮の部屋ほどだ。
恐らく商品棚だと思われる籠が突っ込まれた棚の上にはごちゃごちゃと薬草の束や袋が積み重なるよう並んでいる。しかも天井から籠がいくつもつられているのでかなり狭い店内なのに、店の奥を向いて店員らしき男性が3人もいた。ただ、揃って痩せ型で背が低いので窮屈感はなく、せめてもの幸いというべきなのかなと思う。
彼らは通路を歩く者は客だと思わないようで、わたしが近寄っても奥で何かを話しあっている。
ドアがないので、看板を教わった通りに「トン、」2秒置いて「トントントン」とノックしてみる。
3人の男性が身軽に振り向いて、その奥には椅子に座るもう1人がいるのだと判る。この狭い店舗に4人。どういう采配で4人もこんなに小さな店にいるのかなとロディスに理由を確かめたくなってきた。この地域はそんなに危険なのだとしたら、話を聞いてみたい。
「ようこそ、」
声を掛けてきたのは振り返る3人ではなく椅子に座る店員で、よく見れば振り返る3人は足元にマントと大きな荷物を置いている。店員はひとりであとは旅行者だ。
「こんにちは?」
若い店員ひとりに3人の旅行者が話しかけているという状況っぽく見えてき始めていた。一番年若な彼はもしかして店員ではなく店主で、王都の支店を任されているブレットみたいな立ち位置なのかもしれないとも思えてくる。
「お忙しかったりしますか?」
「いえ、大丈夫ですよ、ビア様。」
意外にも、店主はわたしの名を知っていた。旅行者たちもわたしに会釈して挨拶してくれた。
「こちらへどうぞ、さ、お入りになってください。」
「お客様ではないのですか?」
3人もいる旅行者を差し置いてまでして話しをするのは気が引ける。
「大丈夫です、どうか、お気になさらないでください。」
無理やりに招かれても居心地が悪いんだけどなと思ったりしつつ、旅行者3人はわたしに対して好意的な表情であるので、店主に従うと決める。
「わかりました。お邪魔します。」
「あ、その前にそのマントをお取りください。」
「マント、ですか?」
先輩に借りたままのマントだ。
どうしてなんだろうと思っても、とりあえずは従って脱いで、店の敷地内へと入る。
何かの内側に入ったという、得体の知れない予感がした。
急に耳が窮屈になる感覚がしたかと思うと、音が奥行きが出て、森の中の木々に反響する鳥の鳴き声や移動して起こる風、羽ばたき、枝の揺れる音が聞こえてくる。
日差しが、ランタンではなく、柔らかな木漏れ日に変わる。
吸い込む空気も、埃っぽい家屋独特のものではなく、新鮮な山奥の空気だ。
瞳を閉じれば森の中にいると錯覚してしまいそうな程に、心地よい森を感じている。
「ここは…?」
転送された感覚はなくて、移動している感覚もなかった。
目に見えているのは天候から吊り下がった籠や溢れた棚で、違いがあるのだとすると、隣の店がある部分には何もない。
年若な店主が戸惑い首を傾げるわたしの足元を指さし、「私は地属性の魔法使いでしてね。緑の手でもあり、癒しの手でもあります。ここは魔法陣で作った結界の中ですよ。実際には移動していなくて、感覚だけ、今日はソローロ山脈の一部を味わっているんです、」と楽しそうに言った。
地属性の魔法使いの娯楽にしては大掛かりな気がする。
「ビア様、もっとこちらへ。奥へ入るともっと面白いですよ?」
戸惑いつつ、男性たちに近付いてみる。
振り返ると、通路の向こうにあるはずの別の店の存在が消える。左右の店の気配も消える。
天井から吊られていた薄い布はまるで霧のように揺らめいて、匂いや音や感覚から、霧の向こうは森の中なのだと錯覚してしまいそうになる。
この街は魔力が回復しにくい街なのだと教えてもらったばかりなのに、魔法陣まで使う不思議な店なんて、どういう意図があるのか気になる。
「どうしたんです、こんな…、」
「いくつかの魔法の中に我々はいるのですよ。」
「まあ、これをご覧になってください。」
3人いる旅行者のひとりが、手の上に乗せた鶯に似た明るい黄緑色の土鈴を揺らした。
チリンとも鳴らない土鈴は、重そうな質感だけはしっかりとある。
「なんですか、それ。」
「お互い、魔法を使うんですから、ま、そういうことです。」
「?」
魔道具とか?
「こら、お前、ビア様に失礼だぞ、」
楽しそうに笑って、店主は「この者は幻影使いなんですよ、」と教えてくれた。
「お店に魔法を掛けたんですか?」
ここにきてわたしが見た光景は、彼らがここでしていたのは戦闘ではなく会話をしている様子だった。日常に、魔法を楽しむのかな。
「もしかして、音を消していたのですか?」
『金風』とはまた違う、空間の遮断方法だ。
「ご明察です。うちの商会の予算だとひと区画を借りるのは無理があって、その代わりに細工や工夫を許してもらえたんです。と言っても、魔法陣で気密性を高めただけなんですけどね。」
「魔道具は俺達の商売道具です。」
店員が魔道具を商売道具にするのってどういう役割があってのことなんだろうって思えてくると、旅装束だったりするし、行商人としてのリバーラリー商会の一員なのかなって思えてきた。
「仕掛けがあった方が魔法を掛けやすいですからね。実際には魔法で聞こえる音を感覚として遮断して、私達の会話も消してしまいます。向こうからは姿は見えているので、聴覚を操作していると言えます。」
土鈴は魔法を隠すための目くらましな役割を担うのかなと見当がついた。
「この中から魔法陣の向こうは見えないのですか?」
「私は見えていますよ? 魔法陣は私が仕掛けているので。」
年若い店主は楽しそうに言った。
「我々としては、土鈴は秘密の内緒話を他人に聞かれない魔道具であるって設定なのですよ。」
「仕事であちこちを旅をしているってだけで、行った先々で魔法を強請られるのは面倒なんだ。魔道具だと言えばたいていどうにか誤魔化せたりするものだしな。」
「あとは…、手品だと言ったりもしますね。手品なら、酒場なんかだと酔客が面白がって金銭をくれたりもしますからネ。言うならば魔法とハッタリの合わせ技です。」
魔法陣を仕掛けた若い店主本人以外は外を見えていないという状況なら、3人の旅行者たちが通路に背を向けていたのもどうせ見えないから気にしないというつもりがあったのだろうなと思えてきた。お互いに使い道を知っているからこその効果なのだ。
ロディスのリバーラリー商会という団体は、ロディスといいブレットといい、つくづく癖の強い人物ばかりが集まっている気がする。
「ところで、皆さんは、リバーラリー商会の従業員なんですよね?」
椅子から立ち上がり、若い店主が片手を挙げた。意外と背が高い。3人の旅行者たちとは頭一つ分程差がある。あ、一番背が高いから座っていたのかな。
「私はこの店を任されています。チオクと言います。彼らは…、」
店主のチオクさんは手を広げ、自分で名乗るよう他の3人に促した。
「ええ、我々は各地の支店を回り補佐役をするという役割なんです。ムラと言います。」
「今日はちょうどここの支店に様子を見に来ていたんだよな。俺はエイトだ。」
「困っていることがあったら手伝うし、必要なものがあったら手配もします。メークスです。よろしく。」
ムラさんとエイトさんとメークスさんは短い茶金髪でかなり濃い緑色の瞳の色をしている。顔立ちも似ているので、血が近しいのかなと思えた。
「初めまして。リバーラリー商会にお世話になっています。ビアと呼んでください。」
ペコリを頭を下げると、「お噂の通りですね」とメークスさんに感心されてしまった。どんな噂か気になるけど、社交辞令って奴だと割り切る。
「ビア様とお会いするのは私も含めて全員初めてだと思います。ようこそ、デリーラル公領ホバッサ支店へ。」
「よろしくお願いします。」
噂としてでもわたしの情報は流れていたからこそすぐに歓迎してもらえる。変な噂じゃなかった分、ロディスに感謝しなくてはいけない。
「王都では…、」
「止せ、」
何かを言いかけたメークスさんをいきなりエイトさんが羽交い絞めにして黙らせた。
「なんですか?」
ムラさんは苦笑いをしているので、3人だけの秘密の話を暴露しようとしたようだ。
「いえ、何でもありません。」
「そうですか。こちらも気にしていません。」
わたしも社交辞令で笑顔を作る。
「ビア様、今日はどんな御用事でしょうか。何でもご用意できますよ?」
背が高いチオクさんから頼もしい言葉が聞こえてきて、心強い。
「王都からこちらへは、眠らされて馬車で移動してきました。聖堂の任務です。詳しくは話せませんが、いくつか確かめたいことがあるのです。」
羽交い絞めから抜け出せないままで何か言いたそうな眼付のメークスさんは、声を出せない代わりに、しきりとわたしを見ては首を振っていたりする。
「王都からですか…、何でしょうか、」
「そうです。まず、この近くにある地竜王様の神殿の位置が知りたいので、このホバッサの街についての情報が欲しいです。できれば地図があれば最高です。西の街の外れの…、水見の館の傍の不思議な湖についての情報があれば、詳しくお聞きしたいです。他には、この街の神事について知っていることはあれば、お聞きしたいのです。」
メークスさんは目を輝かせて嬉しそうに手を上げ指で自分を差して、当てて欲しいという主張までしている。
こういう場合って、あえて別の人を当てて聞いてみてメークスさんの反応を聞き流すのも面白いかもしれない。
「そうですねえ…、」
顎を撫でていたチオクさんが先に何かを閃いたようで、ガサゴゾといきなり大きな音を立てながら棚から籠を引き出して「確かここにあったはず、」と言いながら籠の中をあさり始めた。
メークスさん、ごめんね。
「あったよ、これだ。」
見つかったのは大きな羊皮紙製のデリーラル公領の全体図と領都ホバッサの細部にもこだわった地図が出て来た。
「ありがとうございます。」
ざっと見て2枚とも確認して、地図を返す。
「もういいのかい?」
「ええ。時間がないので、目的を絞ります。」
地竜王さまの神殿のある街には、必ず妖の道がある。
「次は、神事についての情報だったね?」
砕けた口調のチオクさんは、首を傾げ顎を撫でている。
「そうです。」
見つけた。
可能性が広がりワクワクする気持ちと多能感にドキドキする気持ちとが混ざって、閉塞から抜け出せそうな希望に、わたしは少しばかり興奮していた。
「そうだな…。あれはもう、他領民には謎に満ちた習慣なんだ。」
ありがとうございました




