3、空と湖に煌めく罪の証
朝だと気が付いたのはドアの開いた音もないのに大きな音を立てて部屋に入ってきた人々の足音と、勢い良く開けられたカーテンの眩しさからだった。
誰もおはようと言わないままに部屋に入ってきている侍女やドアの前で立ったままの従者たちは、茶金髪に黄緑色の瞳という王国人な特徴を持つ人々で、聖堂の信者にしては珍しく皆同じデザインの明るい緑色の制服を着て誰もが白い帽子を被っていた。制服の違いとして、侍従は白い腕章、侍女は白い大きなエプロンを付けている。昨日先輩と一緒にわたしの体を清拭してくれた女性たちとは態度も服装も違う。
カートを静かに進ませながらなおかつ無言で、わたしの顔を見ないようにして引き剥がされたシーツもブランケットも、丸められてカートに突っ込まれていく。起こすためにやっているのだとしたら、やり方が強引だ。
着替えようとしてもわたしの着替えが見当たらない。
夜着のままでこの部屋から追い出されてしまうのかしら。
ベッドとサイドテーブルの間の床に置かれていた肩掛け鞄に手を伸ばそうとしたら、もうひとりの侍女がカートの影の袋から取り出した塊をベッドの上に投げた。
「!」
驚くわたしの前に投げて置かれたのは服の一式だ。明るい黄緑色の刺繍で縁取られた薄黄色のワンピースで、わたしを気にせず、ベッドの傍へ靴も投げ置かれた音がした。投げたので倒れたり、ひっくり返ったりしているのに、誰も直してはくれない。くるぶし丈の茶色い革靴はわたしの履いていた聖堂の支給の靴とは違う。
「なんですか、これ…、」
説明して欲しいのに、誰も何も話してはくれない。
「着替え、ですよね…?」
恐る恐る確認しても誰も動かないし、口も動かさない。身構えて唾を飲み込んで様子を伺っていると、何も言わないまま侍女たちが顔を逸らして目を伏せたのを見てしまった。
見ていないうちに着替えてねとでも言いたいの?
見えていないからこのままで着替えてって伝えたいの?
わたしの想像が正しいのか不安になって侍従の方へと目を向けると、侍従も目を伏せて廊下を向いている。
誰も、何も話せない決まりでもあるの…?
せめて部屋から出て行く配慮もないの?
公国ではありえないわと考えかけて、わたしはあまり参考とできるほどの情報も経験もないのだと気が付く。公国では実家暮らしだったし、ラボア様のところで着替えた際は貴族の令嬢な扱いを受けて侍女たちがすべてやってくれた。王国に入ってからは宿屋やホテルでは個室だったし、ラーシュ様の神殿ではひとりだった。聖堂でも個室が宛がわれて、わたしという一個の人間を尊重してもらった。
貴族の御令嬢な体験は知っているからわかる。
この扱いは、罪人と同じなんだ。
こんな明るい服を着るように強制させられても、人の扱いじゃないんだ。
昨夜先輩や聖堂の関係者と接触しているからここへは聖堂の任務でやってきたと認識していたけれど、実はそうではないのかもしれない。
唇を噛んで着替えて、ベッドから身を乗り出すと床に無造作に置かれた靴を手を伸ばして取った。靴下、ないんだ。逆さにして中にあるかもしれない塵を落として、黙って素足に素早く履いてみる。
ベッドから立ち上がった瞬間に、動きを止めていた侍女たちが動き出して部屋の外へと行ってしまった。
音を聞き分けていたの? それとも盗み見ていたの?
問い質したくなるけど、口を噤む。向こうが話さないならわたしも話さない。悔しいから、話してあげない。
少しばかり意地になっていたし、これが何かの試験なのかもしれないなと警戒もしていた。知らない土地なのには変わらないのだから、相手に合わせた方がいいかもしれないとも思っていた。観察して様子を探って、手掛かりを得て考える。それが、今できる最善の対策であり攻撃だ。
肩掛け鞄の中を探って、黄色く輝く石の指輪を取り出してつけてみる。ポケットがない服なので、チュリパちゃんに貰った輝石や方解石の白い鳥は諦める。
耳にある群青色の石のイヤリングを触ると、魔力が満ち溢れているのが判る。胸にあるお守り袋も慣れた異物感がある。
翡翠のカエルは冷たい。
わたしは、ひとりなのかな。
せめと先輩とももう会えないのかな。
ひとりを意識し始めると、いつもならたいしたことないと平気で言えるような事柄でも、大事に感じれてしまうのだから不思議だ。
そっと息を深く吸ってみる。
遠い地に、オルジュはいる。
風を捕まえられる師匠なら、見つけてくれるはず。
大丈夫。きっとすべてはうまくいく。
コンコンとドアをノックする音がした。顔を向けると侍従が肩の向こうを親指で差したので、部屋の外へ出ろとでも言いたいのだと想像する。
部屋の外へ出ると事情を話したりしてくれるの?
質問してみたいのを我慢して、部屋の外へと出てみる。
部屋の外には誰もおらず、侍女たちはさっさと廊下の奥まで行ってしまっている。廊下の奥には、使用人用の作業部屋でもあるようだ。薬草園のお屋敷の造りを思い出して、聖堂の施設でこんな風に作ったりするのかなと疑問にも思う。
まさかとは思うけど、わたしが眠っている間に連れ出されて昨夜とは別の場所にいるの?
バタン!
背後で乱暴にドアを閉める音がした。入ってくる時は音がしていない。まさか、わざと?
目線も合わせず、侍従はわたしを追い抜いて先へと行ってしまった。
説明もないのについて来いって意味?
ちょっとだけイラッとしながら小走りに廊下を追いかける。
踏み鳴らしても音の軋まないしっかりした廊下の規模といい、段の減りの見当たらない階段の造りといい、白く眩しい汚れや剥げのない壁や手摺りの欠けのない彫刻の美しい艶感といい、きちんとつくられた歴史のありそうな建物だ。階段踊り場の窓の外には、朝日を浴びたレンガ屋根の街並みと遠くまで続く通りが見える。花を咲かせた木々が多く、石畳が朝露に濡れて美しい。
ここは、知らない街だ。
不愛想でも案内は案内だと割り切って階段の踊り場を二階分通りすぎて階下へ降りると、廊下の真ん中にあるドアの前に侍従がドアノブを手に待っていた。
わたしの為にドアを開けるのを待ってくれていたの?
簡素過ぎる案内に心を硬くしていたのでささやかな優しさに好感度が急上昇しそうになるけど、やっぱりわたしから目を逸らす態度に、そのドアの向こうは良い場所ではなさそうだよねと感じて警戒心が再び湧き上がってしまった。
距離を置いて立ち止まったわたしを無視して、部屋のドアは開けられた。
入るのを待っているみたいに動かない従者を見てしまうとわたしとしても入りたくないけど、入らないことにはドアを開ける意味などないのだろうなと思えてしまって、不本意ながら部屋へと入った。無言の圧力に負けた気がする。
案内された部屋は大広間でひとりで過ごすには広く、中央にある大きなテーブルもどう考えたって10人以上は着席できそうな大きさなのに窓の前にポツンとひとつある椅子が寂しさを強調しているように感じられた。
聖堂の施設で大広間となると会議室しか思い浮かばないので他の人たちが食堂を利用しているのならわたしは隔離されている気がしてきたけど、騒いだところでこの屋敷のどこかにある食堂まで届くとは思わないし、この誰も何も話をしない使用人たちによって粛清されてしまうのは困る。いるかどうかもあるかどうかすらわからない別の部屋にいる誰かについて考えないように気持ちを割り切るしかない。
皿はいくつかあるのに、カトラリーはスプーン一本しか置かれていない。スプーン一本ですべてを食べるのね? 確かめたくとも誰も近くにいない。ナイフもフォークも武器になると判断しての配慮なのかなとは思う。もし当たっているのなら、わたしは相当に警戒されている。
スプーンを手に戦えるかどうかを考えてみて想像できなかったけど、お皿は投げつければそれなりに効果がありそうだと閃く。武器はカトラリーのみという発想で、内容がパンにポトフに果物程度の最低限の品数ならスプーンだけで大丈夫だと判断されているとしたら、あいにくとわたしはそんなに穏やかな性格ではないようだ。いざという時の切り札となる思い切りの良さは秘密のままにして従っておこうと思う。
ただ、『わたしが罪人なら、毒でも入っていそうね』とも自嘲気味に思ったりもする。
料理全体に『識別』の魔法を掛けてみる。治癒師より一つ上の救いの手の使う魔法で経験による要素が強く、呪文を知っているだけの治癒師であるわたしが使うと成功するのは3回に1回くらいの魔法だ。
ピカッと光った後、じんわりと光が馴染む。
よかった。何も見つからない。毒となる異物は入っていないようだ。もう一度かけてみて同じ状態だったので、大丈夫だろうと判断する。
あの時も、みんなが食べているから大丈夫と判断せずに冷静に魔法を掛けてみればよかった。
心を過った思いに、悔しさが蘇る。2周目の世界では治癒師を極めるつもりはなかったけど、身の安全のために早めに祝福を集めて救いの手になろうかなと真剣に考えてしまった。
パンをまず一口食べてみて、口が止まる。言葉が無くなるくらい味気なかった。スープも同様で、塩も胡椒も足りない。果物にいたっては水分も糖度も足りない。胡椒や塩の小瓶があったらいいのにと思ったりもするけど、テーブルの上には何もない。見栄えのしそうなものを食べさせられているという感じだけはする。
聖堂での毎日を思い出すと、これを作ったのは一般の信者や奉仕者なんだろうなと思えてきた。多少技量が王都の聖堂の食堂の基準に対して劣っているというだけと自分を戒めて、食べるしかない。作ってもらっている以上文句は言えない。口に合わない料理を吐かずに食べるのも修行だと割り切ると決める。
並べられた皿を綺麗にする修行というつもりで朝食を食べている間、視線を動かし耳を欹てて神経を張り詰めていても、室内には誰の姿も変わらずいない。味付けがあまり口に合わなくてもポトフにはベーコンが入っていたりしたので、意図した肉抜きの食事で身を清めさせられているという趣向もないようだ。しっかりとした大きさの野菜と食べ応えのあるベーコンの厚みがある。一応わたしは客人として扱われているような気がしてきた。
窓を背に座っているので視界に入るのは大きなテーブルに寄せて置かれた食事ぐらいで、誰とも話ができないし、誰もいない。
誰かと同じ部屋で同じ時間を共有するわけでもないので、何を考えているのかよくわからない対象でも先輩がいてくれたら必要な情報が利けただろうに、と思うほどにつまらなくて、時計もない部屋では時間の感覚もなく今日が何日かすらも判らなかった。
食事をし終えた頃に合わせて部屋に入ってきた侍女たちはわたしをちらりとも見ずに食器をテーブルの上で積んで、ガチャガチャと音を立てて片付けていく。割れても欠けても構わないという本音が聞こえてきそうな雑な態度に、このまま洗わずにゴミ箱にでも持っていきそうだわと思ってしまって、客人として扱われていると考えていたのは甘かったのではないかなと思えてきた。罪人説がやっぱり濃厚だ。
食器のぶつかる音に気まずさを覚えて俯いてしまった。食事の時間というより、餌の時間、という感覚がし始めていた。
ドアを叩く音がして、明るい緑色の帽子と白い羽飾りのついたジャケットを羽織った従者が入ってきた。これまで見た者たちより少しばかり年季が入った風貌をしている。
オッホン、と彼はまず言った。
<公主様が面会を希望されておる。身なりを整えて、迎えの馬車を待つように。>
公国語だ。たどたどしいけど、発音は綺麗だった。
<わかったら返事を。>
<わかりました。よろしくお願いします。>
一瞬目を見開いてわたしの瞳を持て驚いたような顔つきで息を呑みこんだ彼は、<では、席を立って部屋の外へ、案内に従うように、>と言った。
※ ※ ※
廊下に出てみると、目を合わせる前にそそくさとお辞儀をした従者が黙って先に立って歩き始めていた。階段から見えた景色や雰囲気から、ここはおそらく地上階で、このドアの向こうはどの部屋も庭や通りに面しているのではないかなと思えていた。
ここですとも言わずにお辞儀してドアを開けようとした従者は、わたしを振り向いて、ドアの中へと促すように手を動かし指図した。
「そういうことって、言葉にしてくれないと判らないわ。」
わたしが呆れたように言ったのを見ても、どうしてもわたしと目を合わせたくないようだった。言い訳や説明が欲しくても従者はかといって何も告げずにお辞儀して、廊下を奥へと去ってしまった。
開けっぱなしのドアの向こうは、観葉植物の植木鉢がいくつも置かれた小さな温室だった。白色の簡素な長椅子がひとつばかりあって、肩ひじを付いて窓の外の景色を眺めている人が真ん中に座っている。
窓の外は、空の水色と、湖の青色とが混じりあって、青い世界が広がっていた。
ここ、デリーラル公領だよね?
実際に街に入る時の手続きをわたしは知らないままでいるからこそ、周りにいる人々の助けが必要となる。
湖が多くあるという話も場所も知らない。
この人は、ここがどこなのかを知っていそうな気がしてきた。
窓の外の水色の世界をこよなく愛するという理由だけではない気がする。
「来ましたね、元気そうで何よりです。」
近くまで進むと、窓の外へと視線を向けたままで女性は自分の頬をそっと撫でた。
白銀色の髪を後ろで束ねて、深緑色の神官服を着ているその女性は、かなりの高齢に見えた。感じる魔力はヒトではなく、竜だ。竜のヒト型とは違う。竜人か半竜か、どちらかだ。
「ありがとうございます。」
相手が何者かわからないけど、敵に回したくない。無難にお辞儀してみる。
「任務について、説明は受けていますか、」
顔を上げると、白い瞳がわたしを見ていた。白い肌に白い目、薄桃色の唇。ひと目で人とは違うとわかる。
性格は穏やかそうだ。わたしへと向けられた優しい眼差しは慈愛に満ちている。
この人は神聖な血を受け継いだ人だ。なぜだか、すべてを曝け出して縋りたくなる。
「何もわからないのです。眠ったまま、この街に来ました。ここがどこかなのかも知りません。」
「そうですか、」
視線を落とし、高齢の女性神官は唇を何度か動かした。
「あなたは半妖なようね。」
「…そうです。」
否定してはいけない気がして、頷いてみる。
「もう少し、待ちましょう。」
何をですかと聞きたいのに、目を閉じ口を噤まれてしまった。
明るい部屋なのに空気は重い。
聖堂にはどういった任務を依頼されているのですか、わたしは急遽の代役なのでよくわかっていないのです、とこの雰囲気で言える程、わたしには度胸がない。
馬の嘶きが微かに聞こえ、窓の向こうに馬車が到着した気配がした。
瞼を開けた老女神官の様子に、わたしはちょっとホッとしてゆっくり息を吐いた。
ありがとうございました




