表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
462/671

33、番外編 ブレットの物語 夜を飛ぶ 8

 一瞬猫が僕を見たような気がした。

 驚いたような、黄茶色の澄んだ瞳が大きく輝く、小顔で、痩せた体躯の黒い猫だ。

 瞳の中に煌めいた光には、魔力の輝きが見えた。


 この子か?


「何やってんだ?」

 緊張していただけにいきなり話しかけられて、反射的に飛び上がりそうになった僕の後方には、腕を組んで首を傾げるルビオさんがいた。地味なマントの旅装束のルビオさんは、この前別れたままの格好だ。状況が把握しきれていない僕が目を白黒させている間にも、黒い猫は飄々とした足取りで目の前に開けた大通りを渡っていく。


「あ、待って、」

「ん? 何を待つんだ、ブレっち? その格好か? なかなかすごいことになっているなー、」

 ルビオさんはニヤニヤしながら近づいてきて、僕が妖精塗れになってしまっているのを面白がってみていた。日傘を振っても頭を振っても、一瞬だけ離れる妖精や精霊や虫や小鳥は、また僕にくっついて来ようとしている。

「いや、そうじゃなくて…、」

 僕は正直言って混乱していて、黒い猫を追いかけないといけないって気持ちもあったけど、ニャーンなんて声を掛けていたのを聞かれてしまったという羞恥心で爆発しそうな程に体温が上がっていてきっと顔も真っ赤だろうなって感じていたし、なにより、「すごい数のなんやらかんやらをくっつけているナー、ブレっちは、さすがだなー」と言いながら自然に僕に触れてくっついている妖精やら精霊やら虫や鳥を払い落としてくれるルビオさんに、この状況をどこから説明してなんと言えば逃げ切れるのかのどれを言語化するのが適当なのかといった情報の優先順位に失敗して、感情と言葉が溢れて口で詰まってしまっている状態に陥っていた。

「…とりあえず、行きます、歩きながら、」

 猫を指さして追いかけるように小走りに僕も大通りを渡ると、ルビオさんは「しょうがないな」と合わせて急いでついてきてくれた。


 日傘で振り払って妖精たちを振り払いながら歩いていると、「ブレっちは相変わらず突拍子もないなー」と笑われてしまった。汗が誘引香の代わりになってしまう特異体質なのだと言い訳するのよりも、まずはこの状況を話した方がいいと思えて、説明できる限りに必要な言葉だけに絞って考えてみる。


「おう、そうか、いいぞ、俺っちもそっちの方向だ、」

 黒い猫が悠々と渡っていった向こう側は聖堂の方角でもあるので、それもそうだなと思ったりもする。聖堂へ潜伏しているデルカドさんやファレスさんを見守る隠れ家があるはずだ。

 通りを渡った先の区画は王都の北西に当たる区画だ。王都全体で見れば王族の霊廟や貴族の公邸が多くあったりして比較的に大きなお屋敷が多く庶民にはなじみの薄い街という印象ばかりだったのが、聖堂が王国にやってきて王都のこの区画に王国での拠点を置いてからは庶民にとっては恐れ多くもとても親しみやすい区画に変わったという、王都の中では一番若い街だ。

 黒い猫が歩いて行く先は聖堂ではないようで、植木鉢を飛び越えて塀へと飛び上がり屋根の上へと歩いて行く後姿の向かう先はもっと北なようだ。


「どこへ行くんだ、ブレっち?」

「ちょっとよくわからないんです。」

 僕は声を潜めてルビオさんに答えてみる。「ルビオさんは?」


「帰るところだ。ちょっと野暮用があって買い物へ出ていた。」

 僕に合わせて声の大きさを合わせてくれているルビオさんは、時々僕に(たか)る妖精やらなんやらを手で払い除けてくれる。

「いっそのこと、これ使っちまいなよ、」

 マントの下のカバンから出した小さな袋から練り香を出すと、ルビオさんは両手で揉んで手に匂いを付け、退魔香の匂いのついた手で精霊や妖精を誇りを落とすみたいな勢いで払い落としてくれた。


「ありがとうございます。」

 この程度の退魔(モンスター・)シールドの匂いならあまり効果は持続しない気がするけど、気持ちには感謝しておきたい。

「あの猫を、追いかけているんです。」


「捕まえるのか?」

 手の指を怪しく動かして、ルビオさんはニヤリと笑う。この人は風の魔法使いだ。先走って魔法で捕まえようとするのは困る。


「いえ、行先を、知りたいんです。」

「そっか、それは残念。」

 やっぱり魔法で捕まえる準備をしようとしていたんだと気が付き、僕はほっとしつつ「この先って、何がありましたっけ?」と話を変えてみる。

「ああ、この向こうは昔王族の霊廟があった名残の公園があるくらいじゃないか? 山みたいな、森みたいな、土地を遊ばせているあたりだろ?」

 ルビオさんはそう言って「この近くは貴族が多いから買い手がすぐにつきそうなのに放置されているってなると、王族の誰かの私有地なのかもしれないな、」と小さく肩を竦めた。


 少しばかり先を行く黒い猫は時々地に降りて通りを渡っている。

 見失わない距離を保ちつつ、僕はルビオさんと付いていく。

 

「あの公園、案外わざと何も作らない場所なのかもしれないですよ?」

 この近くにあるのは月の女神さまの神殿や火の竜王様の神殿だ。

「この区画には月の女神さまの神殿があるからか? ああ、王都は集まってくる冒険者がピンキリで、金銭に余裕もない者も多そうだしな。宿屋に泊まれる財力もない冒険者は月の女神さまの神殿で夜露を凌いで過ごすのだろうけど、人数が多ければそんな憩いの場でも諍いが起こってしまうもんな。公園で野営をして夜を明かす者も確かにいそうだ。」

「そうです。野宿できますよね。公園でなら。根性が座っていればですけど。」

 こんな場所だからこそ借金してでも宿に泊まった方が安全だろうになと思うけど、世の中にはそう思う者ばかりじゃない。だからあの場所に聖堂は王都での拠点を設けたのかと閃いて納得しそうになってしまった。宿代は払いたくないけど宿には泊まりたい者が、宿の代わりに聖堂の施設を利用するのだ。聖堂としては食と住空間を提供すれば庶民よりは戦闘力や治癒力のある冒険者が獲得できるのだから、お互いに利害が一致した関係だ。

「俺は嫌だなあ。」

 ルビオさんは肩を竦めて、「田舎の山より都会の公園の方が危険だって知ってるからな」と笑った。

「僕もそう思います。火の竜王様の神殿に行くとしても、冒険者だったとしても、なかなか近寄りがたい場所ですよね。」

「違いない。」

 僕もルビオさんも竜よりも精霊寄りだから、余計にそう感じるのだと思う。

「聖堂に流れてしまう者もいるでしょうけど、それはそれでいろいろありそうですね。」

「違いない。」

 ルビオさんは神妙な顔つきになる。ジンガ情報を耳に入れた以前に、もしかしたらもっと多くの冒険者が行方不明になっていそうな気がしてきた。


 屋根の上を歩いていた黒い猫が、ひょいっと軽々と通りを挟んで向かいの建物に飛び移った。


「あの猫、本当に猫なのか?」

 驚いた表情のルビオさんに、どこまで事情を話そうかと迷う。

「…精霊みたいです。山猫にも化けられるみたいなんですよね。」

 一瞬ルビオさんは口をぽかんと開けた後、きゅっと噤んで、僕を上目遣いに見た。

「あれは、誰かの飼い猫かい?」

「違います。」

「ブレっちはどうしてそんな猫を追っているんだい?」


 心なしか、ルビオさんの歩く速度が上がる。

 猫も、とんとんと北へと向かう。家猫の縄張りってこんなに広かったっけ?と思えるほど市場からは離れていて、王都の街の北の端まで行けてしまいそうな勢いもある。


「猫の行き先を調べているんです。ちょっと頼まれごとをしていて。」

「捕まえて、飼い主に返すのかい?」

「捕まえないですよ。何をしてどこへ行ったのかを報告するんです。」

 ブルービ様との関係を話すつもりもないし、ブルービ様のお使いを説明するつもりもない僕としては、市場の者たちに語った様な動機や理由付けを仲間に騙る気もなくて、曖昧に告げる。


 ルビオさんは下唇を突き出すような顔つきになって黙ってしまった。

 さっきまでと違って、怒っているような表情でもある。


 僕としては馬鹿にしている訳でもないし、嘘を付いている訳でもない。言えるのは、ロディス様のお仕事じゃないってだけだ。

「…店の仕事は、疎かにしていないです。今日の予定は終えています。」

「…だろうな。ブレっちだもんな、」

 言い訳すると、言葉が足りていなくてさらに何かを言い訳しないといけないような焦りが生じてしまうのが不思議だ。でもその一言はたいてい余計な一言なんだって、僕は経験から知っているから黙る。


 先を行く黒猫が向かいの通りに屋根越しに飛び移って、塀を西へと曲がった。この付近は貴族のお屋敷の多い地区なので、一軒一軒の塀は長くて高くて、猫はいそうでいない。


「ルビオさん、」

 僕は言葉を続けかけて止めた。

 四つ角を曲がろうとして、猫の姿が消えているのに気が付いた。

 急に噴き出る汗が、僕の眼へと入ってこようとしている。

 

 消えた。


 猫が、消えた。


 ※ ※ ※

 

 必死に目を凝らしても、西に向かって塀を進んでいるはずなのにいない。屋根の上にも、やはりいない。

「いない?」

 塀を歩くのではなく塀の向こうへ降りたのなら、貴族のお屋敷を横切ったか、貴族のお屋敷の猫だという可能性がある。

 どこのお屋敷に消えたんだ?

 平民の僕は、猫を追ってお屋敷の中へと入る身分がない。

 どうする…?

 焦るともっと汗をかいてしまう。

 これ以上はさすがにまずい。手の甲で汗を拭うと、もっと熱くなる感覚がした。

 まだ、ルビオさんにバレたくない。

 まずい…。


 俯き深く呼吸して気持ちを沈めようとしている僕に、「シーッ」とルビオさんは人差し指を立てて片目を瞑った。

 

 そっと両手を合わせて口元を微かに動かして呪文を唱えると、ルビオさんはパンパンと二度、軽く手を打った。

 波紋のように黄緑色や緑色、金色に光る魔力のきらめきが、打った手から飛び出して広がった。

 音が光の波紋となって広がっていくのが目に見えていくようだ。

 恐らく『追跡』の魔法かそれ以上の上級の風の魔法だ。


 柏手の音から広がる光がどこまで広がっていくのかを見ていたかったのに、騎馬隊の先導で馬車が向かってきていた。

「ブレっち、しゃがんで、」

 ルビオさんに促されてしゃがんだ僕は、スカートの裾を踏まない様に膝裏に挟んだ。貴族の馬車の行く手を邪魔をしても得なんてない。礼をして立ち止るか、背を向けてしゃがんで路肩の石のふりをするかが、王都で暮らす庶民の身を守る知恵だったりする。

 あまり広くもない通りを西の方角からやってきた馬車が、轟音を響かせて、背を向けた僕たちのすぐ傍を通り過ぎていく。


「…魔法を使ったから、あの黒い猫を見つけたら判る。大丈夫だよ、」

 馬車の軋む車輪の音に重なっていた馬の蹄の音が静まった頃、ルビオさんは先に立ち上がって埃まみれになった僕の背や頭を払ってくれた。手を動かすたび、退魔(モンスター・)シールドの練り香の匂いが空中に広がる。


 もう後姿しか見えない東に向かって長々と列を作り進む馬車はお忍びの馬車なようで、一見すると無難な貸し馬車だ。


「この近くで精霊が入り込めそうなのは、月の女神さまの神殿よりも公園だと思わないか?」

 ルビオさんがニカッと笑って言うので、僕もそう思い何度も頷いた。


 二人して北にある元霊廟だった公園へ向かって歩きだすと、ルビオさんが何かを唱えて自分の耳を触った後、ついでみたいに僕の耳を触った。

王様の耳(イーヴスドロップ)、やっておいた方がいいだろ?」

 唇は擦り合わせるように微かな動きなのに、声ははっきりと聞こえてくる。僕は試しに、「何かあったんですか」と囁いてみた。ルビオさんは聞こえたようで「大ありだよ」と答えてくれたので、僕たちは魔法で声と耳がつながったのだと判った。


 ※ ※ ※


「この前、ブレっちと別れた後、俺らは任務に就いたんだよ、」

「みたいですね、」

 ロディス様から伝わってくるルビオさんたちの報告は、ビア様の動向でもあったりする。

「ついさっきまでは、ブレっちの追いかけている黒い猫がそんなに重要だとは思わなかったんだ、ごめんな。」

「いえ、」

 僕としても姿を消した黒い猫がブルービ様の御指名の猫かどうかまだわからないので、他にも王都にいるであろう黒猫のうちの一匹程度の重要度しかないという現段階での認識を口には出せない。

「ビア様は王都を出たってのは聞いてるか?」

「ロディス様の通信で、昨日のうちに。」

 僕は頷きながら答えてみる。

「聖堂では長距離の移動だと警護対象者を眠らせて運ぶみたいなんだよ、びっくりだよな、」

「ビア様の他にもそんな扱いをされている人がいたんですか?」

「ああ、だから特に眠ったままで移動ってのは無駄がないって思ったし、ビア様への扱いがおかしいとは思わなかった。」

 ルビオさんは「それよりも、」と眉間に皺を寄せた。

「その場にいた者たちは、聖堂の司祭とか軍人だけじゃなくて、もっと別の者たちもいたんだよ。」

「それも、おかしなことじゃなくないですか?」

「依頼する貴族が居合わせるのなら解るけど、そうは思えなかったぞ。」

「聖堂っていろんな貴族が入り込んでいるんじゃないですか?」

「それがそうでもないんだよ。割ときっちり線引きしててさ。俺らが見て気が付いた者たちが特別なのかもしれないけど、あんまり口出しする貴族はいなかったな。」

「ビア様の監視をしていた時も、そういう貴族がいたんですね?」

「貴族っていうよりは、貴族の重臣って奴だろうな。さっきの馬車に乗っていた奴がそいつだった。」

「え、背を向けていたんじゃないんですか? 見えていない筈でしょう?」

 僕は驚いてつい大きな声になってしまっていた。「すみません、」と慌てて口に手を当てて隠すけど、魔法で声の大きさは操作できるのであまり意味のない仕草だ。

「ブレっち~、大きな声を出さなくても聞こえているよ。そんなのもの、騎馬隊の騎士のつけていた腕章や馬車の馭者の制服くらい十分見えるよ。何しろ俺ら、特殊技能班だろ?」

「工作部隊じゃなくてですか?」

「かっこよく言わせてくれよ。あんまり変わんないだろ、」

 ルビオさんはそう言って「ビア様と同じ日に任務に就いた者たちを見送りに来ていた。後見人だ。アイツらはこの先のダイモス伯爵家の王都公邸の使用人たちだよ、」と教えてくれる。北西の丘陵地に公邸があったはずだ。

「ビア様と接点はないですよね?」

 ロディス様ともリバーラリー商会ともない。

「ないと思うな。ビア様には、昨日の昼間に貴族か商会かよくわからないような恰好をしている者たちが来ていたよ。普通な平民にしか見えないのに、ビア様の後見人だって言っていた。ビア様が任務で聖堂を出たと判った途端に帰っていったからあまり観察できなかったが、さっきの者たちとは違った。」

「どこの誰なのかはわかっているんですか?」

 目の前の魔法使いは、把握済みだって顔になって「もちろん」とだけ教えてくれる。

「デルカドさんやファレスさんはお元気なんですか?」

「デルカドは冒険者として入信して、所属も決まった。後ろ盾がいないから、それなりに大変だ。聖堂に所属するってのは面倒だな。」

「後ろ盾って、後見人ですよね? ロディス様のお墨付きはなかったんですか?」

「ないない。そんなことしたら、いろいろ面倒だろ。だからデルカドはもう心が挫けかけている。あれでいてあの子は繊細なんだよ。よっぽどファレ爺さんの方が図太いぜ?」

 アハハと軽く笑って、ルビオさんは「ロディス様もご心配されているけど、ファレ爺さんがあと少し時間が欲しいって言ってるからさ、ま、仕方ないよな」と続ける。

 デルカドさん、いったいどうしたっていうんだろう。冒険者として潜入してまだ日も経っていない。

「ルビオさんなら『使えるものは何でも使える』って言うかと思ってました。意外ですね、」

 本音を引き出したい時は怒らせるのが早いって、経験から知っている。当然、匙加減も難しいけど、そこはルビオさんの性格に期待する。

「ブレっち、似てるな、デルカドのまねか?」

「違うんですか? 言わないってことなら、何か理由があるんですよね? 教えてくださいよ。」

「こういう説明はデルカドが得意なんだけよ、ややこしいだろ、」

「デルカドさんじゃなくて、ルビオさんが教えてください。

「わかったよ。」

 そう言いつつ、まんざらでもないようだ。

「まだはっきりとはわからないんだが、俺っちが調べた限りだと、後見人がいるといないのとでは待遇が違いすぎる。そうだな、ロディス様にもお伝えしたんだが、仮に3つの組に分けようか。後見人がいるA組、いても普通なB組、いないC組だ。」

「ビア様はB組、デルカドさんはC組、ですか、」

「そうだな…、いるけど普通だからBだ。」

「普通じゃないならA組ですか?」

 ルビオさんは深く頷いてくれる。

「A組はすごいぞ。貴族の後ろ盾があるからやりたい放題だ。聖堂の配給の服も着ず雑務も免除されて気ままに暮らして希望通りの役職についているようだ。ビア様のB組は、後見人があるのにも関わらず待遇がほぼC組と同じだ。毎日訓練と修行とを強制されている。最終的には武闘僧(モンク)救いの手(セイバー)(ホーリー)騎士(・ナイト)の候補生に振り分けられるらしい。C組出身者はB組と同じように修行や訓練をしているが、いる者A組B組の者たちの補佐役や従者となったり、一般の兵士として雑務や雑用を任されている。」

「冒険者でも、そんな風に扱われるのですか?」

「冒険者だからこそ、分けるんだろうよ? 冒険者でも魔力がない者がいたりするだろ? 例えば、王国人の剣士とかさ、」

「そういえばそうですね。」

 僕たちロディス様の配下は何かしら魔法が使えるので、魔力がない王国人の方が一般的な王国人であるという感覚が時々薄れる。

 ルビオさんは何かを言いかけて口を噤んで、眉間を曇らせた。

「いる者A組とそれ以外とでは暮らす寮や部屋の大きさや内装も違うのだから徹底している。入信するための試験も、B組とC組とだけ受けさせられるようだ。デルカドはC組だから見縊られた分、楽勝だったってさ。」

「挫けかけているのは、見縊られちゃったからですか?」

「そんなんじゃないよ、ブレっち、」

 ルビオさんは小さく溜め息をついた。

「ビア様の夜の部屋に侵入した者があっただろう? 警戒をさせているから無事にやり過ごせるだろうが、デルカドの部屋にはまだ来ていない。それよりも、同じ日に入信したデルカドの同じ班の者がC組の仲間なんだが、昨夜早速個別に呼び出されて有り難い教えを吹き込まれて薬と言われて魔石を飲みこまされたそうだ。」

「魔石、ですか?」

「デルカドは魔力を持っているし、ああいう性格だから機転が利く。薬は合わない体質だと誤魔化したりしてうまくやり過ごして飲まずに済んだらしいが、どうもその者は違うらしい。だいたい、ひとりの指導役に対してふたりの弟子が付くという形式で何かと競わせ張り合わせて、劣等感を刺激してうまく洗脳していくんだ。ありゃ、きついな。魔法が使えないのを意識させられ続けるのは辛い。」

「ルビオさんはどうやってそういう情報を得ているんですか?」

「魔法もあるし、精霊も妖精も使っているし、デルカド本人からも連絡があるよ?」

「聖堂にはバレていないんですか?」

 夜の潜入を思い出してしまうと、昼間にそんなに詳細に情報を集めるのは危険な気がして、心配になってくる。

 うーん、とルビオさんは下唇を突き出して唸ると、困った顔になって僕を見つめ直した。

「よくわからないんだが、いきなり障壁が減ったんだよ。結界に穴が開いたって言い方が一番近い感じになるのか?」

「三本刀って人たちが影響していそうですか?」

 ヴァダさんの話を思い出して、僕は尋ねてみる。

「そういえば、幹部級の軍人の数が少ないな。何かあるんだろう、探っておくか。」

「大丈夫なんですか?」

「…変な気配は消えないし、ファレ爺さんは警戒しておいてくださいねなんていってピリピリ神経尖らせているから、気を付けるに越したことないよ。だからと言って、引きこもってばかりだと気持ちが腐るな。」


 買い物に出ていたというのは半分気分転換なんだろうなって思えてきた。風の魔法使いだけに、風を感じていたいのだろうなと思ってしまった。

「今日会えてよかったです。接触できるとは思っていなかったんで、話せてよかったです。」


「ほんとだよ、探し物は嫌いじゃないからさ。楽しいな、こういうの。」

 ルビオさんは嘘でもなく本心でそう言ってくれているようだ。


 ※ ※ ※


 消えた猫の気配は見つからないまま、僕たちはかつて霊廟があった跡地に作られた公園へとやってきていた。王国が建国されてこの街(ヴァニス)が王都としてお披露目された古の昔にこの世を去った王族たちの眠る場として建立された霊廟は、王城が今ある場所で新しく築城されたのを機会に王城の敷地内へと移されたそうで、今では周囲に柵があって枠組みがあるだけの国有地という扱いの、墓所だった場として何も作らない土地のままで残されている。


 柵を乗り越えて驚くのは、手入れされた公園にならある入って奥までつながる細い小径などなく間隔植えられた桜の木の合間にいつの間にか楢やブナが育っている『王都に切り取られ残った山の一部』みたいな場所という無造作で、せめて獣道でも石畳の道でもあればいいのにと思ってしまうほどの、管理者の不在も気になる。


「ブレっち、ここに入ったらしいぞ、」

 ルビオさんは手のひらに集まってきていた光を僕に見せてくれた。戻ってきたルビオさんの魔法の光は、ここに黒猫がいると教えてくれているのだ。

「入るぞ、」

 耳を澄ませば、木の陰にいると思われる鳥の鳴き声が聞こえる。

 跨げる程度に低い柵の向こうは遠い昔は霊廟として機能していた場所なのだから、精霊と思われる黒い猫が隠れている場所にしてはとても不思議な気がする。


 柵を乗り越えて下草の合間に見える苔むした石に足を踏み地に足を下ろすと、途端に、体が浮き上がるような不思議な浮遊感が感じられた。

 一歩一歩奥へと進むたびに、体の中に、木々の朝露が降りてくるような、純度の高い水が溜まっていくような錯覚がする。

 ルビオさんに払い除けられても僕の体にしつこくくっついていた妖精や精霊は、あっという間に僕から離れて思い思いの場所へと飛んでいく。


「ここ、すごくないですか、」

 思わず先を行くルビオさんに同意を求めたくなってしまった。

「ああ、こんなに魔力を回復できる場所は珍しいな。」

「聖なる泉が湧いているんですかね、」


「違うな、そんな気配はない。」

 顎を撫でて、ルビオさんは、「とにかく行ってみよう」と木々の奥を指さした。


 木々が重なっていて見通しが悪いなだらかな斜面の奥には、ぽっかりと周辺から木々を刈り取ったように何も植えられていない石畳の場所があった。ただ中心には先端が三角に尖った、背の高い所々苔むした石柱が立っている。周囲の木々と比較した目測でも、余裕で僕の倍以上の高さがありそうだ。うっかりしていると周囲の背景に馴染んで見失ってしまいそうな程に苔の具合が趣がある。


「あ、あそこ、」


 黒い猫が石柱の真ん前で前足を突き出し伸びをして欠伸をしていて、くつろぎ切った表情をしている。

 歩みを止めて、ルビオさんが先にしゃがんで僕もしゃがませた。

 黒い猫はここを目指してきているのだと判っているからこそ、迷い込んだって感じはしない。


 中心の石柱に向かって、急に空から降ってくるように鳥が転げ落ちてきて、ぎゃあぎゃあと鳴いて再び飛び去って行った。


 黒い猫はどうした?

 僕たちはしゃがんだままで、黒い猫の姿を探す。

 

 耳を欹てて警戒した様子で円柱の周りをくるくると回っていた黒い猫はやがて、苔を足場に側面を軽く駆け上がって円柱を飛び越えたかと思うと、頭から空間に飛び込み消えてしまった。

ありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ