25、幸運を口にする時は真逆
ピフルール公領へと向かう小隊は、わたしも含めて、指導役の治癒師アメリア、グレーズとマチュイディと名乗った護衛部隊から来たふたりの皇国人の騎士、あとのひとりは別件の任務中で現地に前入りしているリーダー格であるジョンという騎士との構成になるようだった。彼とは現地で合流するらしい。わたしと先輩は同じ治癒師で二人で一組というくくりらしく、残りの3人は男性の騎士ばかりなので、向かう先が街という環境なのもあって、どちらかというと弱者である治癒師を守る目的の編成なのだなと納得できた。キーラの小隊はラザロスにコル、男性の治癒師だったりしたので、まったく趣向が違うのだと判る。わたし達は本当に守られて戦地へ赴くのだと感じられた。
護衛部隊での経験の長そうな騎士たちは警護という任務に慣れていて、「ビアと呼んでほしい」と頼んだわたしと「気を使わないでください」と願った先輩に優しい表情で柔らかな言葉遣いで「お互いに名で呼び合って対等でありましょう」と言ってくれたりして、とても穏やかに対応してくれた。と言っても、戦地と言っても前線ではなく領都への慰問なので、常日頃から護衛部隊として物腰が丁寧となるよう洗練されている振舞いなだけなのかもしれない。
キーラは人選にまだ不満があるらしく、キーラたちの組の顔合わせが先に終わってもその場に残り、しきりと後援者たちに何かを告げて怒り顔を見せていた。宥めている官僚や司祭たちの時折の視線の先には、わたしではなくコルがいた。キーラの組の治癒師が魔石を選んでいる横では、コルは司祭たちに手渡された資料を読み込んでいる最中で、ラザロスは壁にもたれて成り行きを見守っている。視線の動き方からして、キーラが気が済むまで後援者たちと話すのが終わるのを誰もが待っている、というのが正しい状況の把握なのかもしれないなって思ってしまった。
いくら何を言っても聖堂内ではコルの方が上官なのだからキーラの方が我慢して合わせるしかないのだろうに、と言う言葉が思い浮かんできて、キーラはコルが半妖だともしかして知らないのかなと気が付いた。わたしがコルが半妖だと知っているのは、1周目の世界でシューレさんとコル本人の口から祖父母の代に妖が混じっているという話を聞いているからで、世間一般には半妖というのだと説明を受けているからだ。2周目の世界で、わたしが半妖だとバレているのは、入信の際の試験が大きい。魔力量もざっくりとだけどバレているし、太陽神ラーシュ様の御加護をいただいているのも知られてしまっている。キーラとわたしはお互いの素性をおかげで知ってはいるけれど、コルは既に聖堂の一員として存在している先輩格になるのと公国の上級貴族であるマルルカ公爵家の御令嬢でもあるので素性に関しての噂話は慎まれ、キーラまで届いていない可能性がある。もちろん、知っていたとしても、キーラは半妖への侮蔑を辞めなかったかもしれないので、コルと衝突は避けられなかったかもしれない。
キーラの言葉を否定したコルの反応は、キーラにとってはわたしを庇ったと思えたのかもしれないけど、わたしからすると、コルはわたしという個人ではなく半妖であるすべての人物を庇ったと感じられたし、たったあれだけの言葉で、コルという人の本質は変わっていないのだと判る。清廉潔白なコルは2周目でも崇高な魂の持ち主で、キーラが間違ったことを口にしたことへの正義感だけで窘めたのだとしか思えなかった。
ただ、キーラの方は誰からも怒られたり叱られたり否定されたりを経験したことのない育ちであるのなら、楯突いたり自分の意見を言えるコルが不気味なのだろうなとも思えた。コルが澄まし顔で仕事と割り切って感情を表に見せないのも、キーラには不快に思えているのかもしれない。
かといって、わたしには二人の仲裁を買って出るほどの関係でもないし、コルとはこの2周目の世界ではたった2回目の面会だし、同じ小隊でもない。事情を知っている顔で頼まれもしないのに差し出がましい振舞いをしてコルから関係を築く前に嫌われるのは避けたい。この世界ではコルともシューレさんとも直接接触できない日々を選んで突き進もうとしているけれど、嫌われたいとは思っていない。できればわたしの記憶の中の楽しかった思い出を大切にこのまま距離を置いていたいと願うと、今は何もできない。コルとキーラが揉めていようと黙って見守るしかないのだ。
顔合わせも済んだのもあって馬車へと移動するために小さな礼拝堂を出ようとしていたら、後ろから司祭が手招きをしていたので先輩が代表して引き返して行った。先に行くのは躊躇われて、礼拝堂の出入り口付近で同じ小隊の騎士たちふたりと待つことにした。
「小さな治癒師殿。あなたは、怖くありませんか?」
そう尋ねてきたのは、グレーズさんと名乗った騎士だ。コルと同じ護衛部隊から来た騎士のひとりで、聖騎士の一歩手前な状態、つまり見習の段階であるらしい。より背が高い方がグレーズさんで、より体幹がしっかりとしていて筋肉質なのがもう一人のマチュイディさんだ。慈愛に満ちた性格なようで、心配そうにわたしの顔を見下ろしている。すぐ傍にいるマチュイディさんは護衛部隊の中でも実戦向きというよりは警護向きな『動く盾』のような厚みがあって、ふたりとも共通して言えるのは、人当たりのいい態度から気のいい大男といった印象がする。
何のことなのかわからなくて瞬きをして顔を見つめ返していると、「あちらの北の海の聖女殿は、とても過敏に反応しているように見受けられました、」とぎょろりと大きな目をくるりと動かして教えてくれる。とても言葉遣いが丁寧だけど、キーラの傲慢な態度は恐怖が根底にあるのだと彼は言いたいようだ。
過敏に反応しているように見えるのは、任務の内容じゃなくてコルに警戒心があるからじゃないのかな? …と思ったりする本音は黙っておく。
「わたしはこう見えて冒険者です。お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ?」
話題を切り替えるためにも、騎士たちの把握している情報をつついてみることにする。
「先に、おひとり向かわれているのでしたよね? あちらは単独行動が可能な地区なのですか? 騎士さま達も現地の情報を把握していらっしゃるのでしょうか。」
一応1周目の未来でクラウザー領に行った経験があるので、すぐ近くのピフルール公領も同じような状況であるのなら対応できる心積もりがある。竜騎士シューレさんは一緒じゃないけど、出没する魔物の種族や傾向は知らないわけじゃない。知っていて聞いているわたしは、単なる時間潰しが目的なだけだ。
「あなたは何の心配もいらないですよ。我々がいますから。」
グレーズさんが柔らかく表情を崩すと、マチュイディさんもうんうんと頷いた。
「我々が身を盾にして必ずお守りしますから、安心してくださいませんか。あなたは、あなたを待つ民衆に対して責務を果たされてください。」
コルがきりっとした厳しい護衛騎士である態度なのに対して、このふたりは幾分柔らかすぎる気がした。意識してわたしという警護対象者に近寄ろうとしてくれているからなのだとしたら、気を使いすぎな気がする。
「もしかして騎士さまたちは、わたしのことを気遣って優しくしてくださるのですか?」
思い切って聞いてみると、騎士たちは苦笑いをしている。図星だ。
「公国から来た冒険者なのですよね? 苦労されたのではないかなと思います。違いますか?」
「…それほどではありません。」
王都から出られないという程度には苦労はしているけれど、そんなのは教えるべき情報じゃない。
「こうやって会話するだけでも、あなたがどういう人なのかが判ります。あなたはとても謙虚な方ですね?」
「警護する以上、あなたと信頼関係が築けないと、肝心な場で取り返しのつかない事態となりうります。ビア殿とアメリア殿が人々の力となれるよう我々は全力で保護していくつもりでいるのです。」
保護って、いったいどういう距離感まで詰めてくるつもりがあるのだろうって考えてしまって、それって自由が無くなるって意味なんじゃないのかなって思ってしまった。
「おふたりは、魔法をお使いになるのでしょうか。」
「我々はふたりとも、近い将来聖騎士となり多くの任務をこなせる日が来るよう研鑽に励んでおります。」
護衛部隊にいるからには相当な使い手だろうに謙遜するのは、彼らが本当に強いからだろうなと感じられた。皇国人である以上、いくら治癒の魔法が使えても、彼らは自分を治せない。わたしにできることは、護ってくれる彼らをわたしの魔法で守ることぐらいだ。
「わたしも、この任務が成功で終わるよう、おふたりの力となれるよう努力します。信頼してもらえるよう、力を尽くします。」
わたしにとっての今回の任務は、実質、王都を無事に脱出することであると言える。
ピフルール公領に入る前に聖堂を脱会しようと思っているのは内緒で、それ以降の任務については責任は負わないつもりでいるのも秘密だ。
信頼してもらい、単独行動も見逃してもらえるようになっておきたい。
お辞儀をしているところに、先輩が戻ってきた。後ろには司祭たちを連れている。そのうちのひとりの司祭の手には白地に金の装飾のある小さな箱を持っていて、別の頭を垂れている司祭の手には黒い箱が恭しく掲げられていた。
「司祭様が、長旅のおまじないをしてくださるそうです。」
目を伏せて恭しい態度で先輩は司教や司祭を紹介してくれた。礼拝堂の奥でキーラと話している司教や官僚たちも、息を殺してこちらの様子を伺っている気配がする。
一番年の上な風貌の司祭が白地に金の装飾のある小さな箱の蓋を開けて、中から乾いた丸い板のような薄いものを一枚摘まんでいる。
「幸運はツキとも言います。月が満ちていくように、あなた方の旅がよりよい成果を遂げられるよう、祈りを捧げます。」
グレーズさんたちは素直に頭を垂れている。他の司祭たちも同じだ。わたしもあわてて頭を下げる。
「ありがたいお言葉です。すべてが丸く収まるよう、満ちる月の力をみんなで頂きましょう。」
伏し目がちな先輩がずっとわたし達の方を見ないのは、いつもの平素の態度だからだと思って不自然だと感じなかった。
「月を、こうやって割って、」
司祭は両手で摘まみなおすと、乾いた音とともにまず半分に割った。白い薄い満月が、半月になった。
1周目の時、既にわたしはあまり状態がいいとは言えなかったけれど、王都を出る際にそんなおまじないをして貰って幸運のカギとなるまじないものを食べた記憶はない。
「もう一回こうやると、ほら、幸運を分かち合えるのです。長旅が安全でいられるように、夜空を照らす月のお導きと共に幸運あれ。」
4個に割れた白い板のようなものを、それぞれにひとつずつ配る。
「長旅が安全でいられるように、夜空を照らす月のお導きと共に幸運あれ。」
司祭の言葉を復唱して、真っ先に、澄まし顔の先輩は躊躇いもせずに舌の上に乗せた。スーッと跡形もなく溶けていく月の欠片は、どうやら乾物な菓子なようだ。
「おふたりも、やり方は御存じですね?」
司祭に促され、騎士たちも粛々と食べている様子を見て、わたしも恐る恐る口に入れてみる。
聖堂の薬は薬剤師が作っていたりするので、1周目の経験で碌な思い出がないだけに大丈夫なのかと心配になるけど、目の前で3人もの人が同じ一枚を割ったものを食べているので、これは大丈夫だろうと信じるほかない。
さっと口に放り込むと、塩気もない乾いた小麦粉の水で練っただけの焼いたものなだけという味だった。
魔道具でもなく術具でもないこの少しばかりの食べ物を使ってする儀式は旅という不透明な未来への幸先の良い門出を祈る意味合いでしかなくて、本当に幸運を呼び込むための暗示めいた効果しかないのだろうなって思いながら司祭たちの次の言葉を待っているうちに、いつの間にか視界が揺れてくるくると自分自身が回っているような感覚に陥っていた。
「これは、いったい、」
先輩に手を伸ばそうとして、力がこもらず手が掴めない。
視界が揺れる。下半身の力が入らず、腰が抜けていく。
誰かがわたしの腕を掴んだような気がしたけど、掴まれているという感覚が伝わってこない。
目は見えているのに声は出なくて、体を動かそうとしているのに体は、わたしの意志など無視してどこか別のどこかにあるような距離があった。
声が、言葉にならない。
「あ、…う…ぅ、」
見上げているのは、わたしが座り込んでいるからだ。本当なら背から倒れてしまいそうなのに、誰かが腕を掴んでいるから倒れなくてすんでいる。
「さすがによく効いているようですね。」
様子を見守り控えていた別の司祭は感心しながらわたしに近寄り、わたしの両手首を掴むと、掲げていた黒い箱の上に乗せた。
何をしているの?
そう言おうとしても、言葉になる前に体から力が抜けていく。
感覚が、薄れていく。
ああ、この黒い箱は、ジェーニャが使っていた魔力を吸い取る魔道具だ。
「今回の任務はかなりの距離を短期間で馬車で移動する行程だから、寄り道が少ない。魔力がすべてなくなっても移動中は眠って過ごせばいい。違うかな?」
わたしに月の欠片をくれた司祭が、諭すように話し始めた。
どうして笑っているの?
わたしは、笑えない状況にあるのに?
眠気に必死に抗おうとしているのに、口も、瞼も開けていられない。
「あの娘の後見人は少し厄介でね?」
体が痺れるように眠くて、瞼を閉じてしまうと、眠ってしまいそうだから目を開けていたいのに、瞼が下りてくる。
無理やりに黒い箱に魔力が抜かれていく感覚はジェーニャに道場で使われた魔道具よりも激しく速くて、わたしは、自分自身が騙されて魔力をあの箱に奪われているのだとようやく理解できていた。
うつらうつらと眠ってしまいそうになるけど、眠ったら話は聞けない。必死で、眠気を堪えるけど、眠い…!
「この者ひとりで、予定数をこなせそうです。」
朦朧とする意識の中で、黒い箱を持っている司祭が嬉しそうに言う声が聞こえる。厚みがあるだけに、入っている魔石の数はジェーニャの黒い箱よりも多いと想像がつく。いったいいくつの魔石が入れられているのか、うっかり想像もしたくない。
「半妖は魔力をすべて抜いてしまっても半分は人間だから輪廻の輪に戻って行ったりはしないとは、よく言ったものだね、」
「もうじき、今日の目標分の魔石の充填が終わります。」
「司祭様、長旅の間にする予定の魔石の補充が終われば、ビアちゃんは自由になれるのですよね?」
先輩は確認するように尋ねている。もしかして、知っていたの、どうして?
「ああそうだよ。これでどちらの任務へ向かうことになっても構わない。何しろ今日の目標分の魔石が揃うのだから。」
力という力が抜けて、体が揺れて、倒れてしまいそうになる。
魔力が抜かれただけじゃない。
これは、眠り薬の効果だ。
「喜ばしいです。もうじきです。」
無理やりにわたしから魔力を抜く司祭の声がとても嬉しそうなので、だんだん腹が立ってきた。
手を振り払おうとしても、手首を掴む誰かがいる。
「…ぃや…、」
離して、と伝えたいのに、声にならない。
「もういいのよビアちゃん。私が守ってあげるから。お眠りなさいよ、」
暖かな指に瞼を撫でられて、優しくも無理やりに瞼を閉じさせられる。
見ていたい。
嫌だ。眠りたくない。
現実を受け入れたくなくて、瞼を撫でて眠らせようとする先輩の手を避けたくて、無理やりにでも体をゆすり首を振る。
「眠ってしまえばいいのに、嫌なの? そうか、男性と一緒の馬車はいくら清廉な騎士さまでも怖いよね。じゃあ、こうしましょう。ビアちゃんと二人で別の馬車に乗りましょう。馬車は分けてもらいましょう。私と一緒に過ごしたらいいわ?」
違う、違うのに。
強い睡魔に、意識が遠のいていく。
起きなくちゃ。
目を開けなくちゃいけないのに…!
ゆらりと揺れていた体が急に固定されて、宙に浮いた感覚がした。
誰か、誰かって誰か、そう、誰かは騎士さまだ。たぶんどちらかの誰かに抱きかかえられている…?
「『眠れ』」
ドン、と暗闇に突き落とされた感覚がした。
魔法を、かけたの、先輩。わたしに?
「大丈夫、ビアちゃん、傍にいるから。力を抜いて。ほら、大丈夫でしょう…?」
先輩の声が、遠くはるか遠くにかすかに聞こえる。
「魔法を掛けてあげたから少しは楽に眠れるはずよ? おやすみ、次に目が覚めたらもう宿だから。さあ、お眠りなさい。」
労わるような甘い声はわたしの頬を撫でる人の声だ。
暗い闇の底から這い出ようとしても、眠りの闇からは逃げ出せないみたいだ。
先輩、とその声の主を意識しようとしたわたしにさらに囁いて、その声は「もう大丈夫だから」と手を握ってくれた気がした。
ありがとうございました




