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1 流されて辿り着く

 メルは体に響くような轟音と水飛沫と、下方に広がる景色を薄眼を開けてみて、どう見たって滝か何かの噴出孔から飛び出してきている状況だよね、と冷静に思いつつ、あっという間に落下していく感覚になる。

 水が落ちるのは滝壺だよね、と覚悟を決めて耳を塞いだ。目をきつく瞑って、やってくる衝撃に身構えようとした時、不意にメルは、人生を楽しめ、とシンが囁いた言葉を思い出した。


 この状況で何を楽しめっていうの?! 

 シンがニヤつく顔を想像して、メルは勢いよく落下しながら目を開けた。

 今できることってこれぐらいじゃない?!


 落ちていきながらメルが見たのは、青い空に、水飛沫の中に浮かび上がっていた虹だった。


 綺麗…!

 

 と思ったのは一瞬のことで、爆音のような流水音とともに、水というよりは痛い氷の塊といった感覚のする水の中に落下する。メルは懸命に大丈夫大丈夫と心を励ました。

 沈んでいく水底は深くて暗くて、危険しか感じなくて、浮かび上がろうにも頭を押さえつけるように流れ落ちてくる水量に圧倒されて、そのまま深く底まで落ちてしまいそうに負けてしまいそうになる。メルは水中に向かって身を沈めると潜水して進むことに決めた。息が続く限り潜って泳いで、打ち付ける感覚がなくなった頃合いを見計らって、水面に顔を出す。

 疲れた。安心からか、どっと疲れを感じた。息が、空気がこんなにもおいしいと思えるなんて。生きてる。私、生きてる。

 メルは変に感動を感じて、思わず微笑んでしまった。ぷかりと浮かんだまま体の力を抜くと、水の流れに乗れた。

 丁度いいわ、体力が持たないもの。このまま、流されてみよう。

 何かに押されるように押し出され、メルはしばらく流されているうち、体に当たる水の流れが落ち着いてきたのを感じた。

 

 やっと冷静な気分で空が見えるわ…。ここ、どこなのかな。

 さっき一瞬、落ちる前に見た森の向こうに街が見えた…。

 あの街並み…、あの建物は、ククルールの教会の屋根よね? 遠見櫓だって見えた。


 頭の中で、学校の授業で習った領内の地図とドラドリ攻略マップとを比較して、メルは考える。


 森は確かに私の住む街の近くにあるけれど、滝があるということは、川の上流…、もしかして、領境線近くの山脈の方角? 山脈があるということは、南西の隣の領境が近いのね。なら、ここはミンクス侯爵領内…、よかった!

 でも、私、ここからどうやって帰るんだろう。

 体の力を抜いて流れに身を任せて浮かんだまま、ぼんやりと考える。

 服が重い。腕を動かそうとすると、濡れて、まるで重しのように纏わりついている。

 それでも腕を上げて確認して見ると、あの夜の、カイルのジャケットに白いメルのパジャマなワンピースの袖が見えた。足にまとわりつく布は、きっと、お下がりのズボンだ。

 せっかく綺麗に洗濯してもらったのにまた濡れちゃったわね、と思い、あ、でも、いま洗濯している最中みたいなものなのかな、と流されている状況を考えてみる。

 

 空高くに、鳥が旋回しているのが見えた。

 あの鳥から見れば、きっと私は、少年に見えると思う。子供がなんでこんなところにいるんだってきっと思ってるだろうな…。

 明らかに町娘ではない格好をしているとも言える。ただ、剣ではなく腰のベルトにはカイルの鉄扇を挟んでいる。剣士ではない、竜の調伏師であることが、『私』だわ…。


 よくあの滝壺への落下の衝撃に耐えてくれた、とメルはしみじみと思う。

 火事が起きて既に地上は3か月近く経ってるっていうし…。もう検問所は設置されてしまっているのかな。

 困ったけれど、とにかくここからまず地上に上がることが重要だわ。理由なんて尋ねられた時に考えることにして、まずは街に帰ろう。


 空や日差しから感じる季節は、夏が近いと思える暖かさだった。浮かんだまま日に焼け続けているので、じりじりと、肌が熱い。

 いつの間にか春が消えてしまった。


 本当に私、15歳になっちゃったんだ…。

 メルは小さく溜め息をついて、体をひねってみた。

 この世界では泳ぎ方を習ったことなどない。前世では、一応泳げた。いったん水の中に潜ると、それでも足が付かない深さだと判った。メルは体勢を立て直してから平泳ぎをして水面に顔を出した。

 泳げば渡れそうな気がしない川岸の向こうに見える近くの森の中から、小屋でもあるのか煙が上がっているのが見える。

 どうにか泳ぎ切って街道にさえ出れば、ククルールに帰れるかもしれない。

 領都マルクトはククルールの街から見て北東に在ったわ。ここから北の方角に見えているということは、南の湖水地帯に向かって伸びている南の街道が近くにあるはず…。

 太陽は南の方角…。ここは山の麓の森の上流だろう。

 なら、まずは森を抜けなくちゃいけないな…。


 メルの住むククルールの街から遠い南西の森は街道から外れていることもあって、来たことがなかったし、来る用事もなかった。街生まれのメルには山や森で遊ぶ習慣もなかった。

「シャナ様はどうしてこんなところへ私を帰してくれたんだろう。」

 疑問が口から無意識に零れ出た瞬間、メルは水の中を飛び出て、あっという間に地面に転がっていた。


 勢いよく投げ出されとっさの機転で受け身を取って転がると、勢いが付きすぎて川岸の砂利の上に尻もちをついてしまう。手が痛い、あちこちが痛い。メルは痛さを堪えてゆっくりと息をした。


 名前を出すと、もしかしてつながるの?

 ドラドリはゲームだったから本筋(シナリオ)通りの台詞(セリフ)はあったけれど、精霊王の名前を出すと何か効果があるという描写(ルール)はなかったと思う。

 ということはこの世界独自の法則(ルール)なのかもしれない。

 精霊王にもらう加護のキスの影響で、名前を呼ぶことでつながる?

 ちらっと聞いた加護の発動の条件って、このことだったのかな。

 うっかり精霊王の名前を呼ぶと大変なことになっちゃうんだ、気を付けないと。


 砂利の上は暖かくて、濡れた体を乾かすにはもう少し日差しが欲しいなとメルは思う。

 濡れているし、水に浸かっていたので疲労感はあるし、何より、この状況がよく判らない。ジャケットを脱いで絞ると、風にあおってから袖を通す。

 ズボンも脱いで絞って、ついでに、ネグリジェの裾も絞る。いくら人気(ひとけ)が無くても、これ以上脱ぐのは躊躇ってしまう。メルは歩いてるうちにきっと乾く、と割り切って、再びズボンを履いた。

 靴は、水の精霊王の神殿で一番初めに履いたあの淡い水色の靴(ルームシューズ)だった。私の靴、どこに行っちゃったんだろう、よりによって靴だけもらいものなんだと気が付くとおかしく思えてくる。

「フフフ、あの方らしいや、」

 シャナが怒る顔を思い浮かべると、同時に黒い卵が湧き出てくる様子を思い出してしまう。孵化した黒い魚が漂う中、済ました顔をして気分を変えるシャナ…。

 魅力的な精霊王は、いつも怒っていた。あの方は優しいから、誰かに、自分に、理想に、歯痒く感じていたんだわ。優しくて、可愛らしい、シャナ様が、私は大好きになっていたんだわ。

 笑うと、気が楽になった。

 裸足よりはましな靴で、メルは爪先立ちをしてみた。大丈夫、歩けなくはない。

「お腹が空いた…。」

 随分と長い間何も食べていない感覚がする。

 もしかして、朝食を水の精霊王の神殿で取ったつもりでいたけれど、そこからまた時間が経っているのかな。

 私の住む街へ帰してくれるというご褒美とちょっと違う気がする…。街は随分遠い。もしかして対価が必要で、家に辿り着くまでが試練なのかな。

 そうだとすると、加護はやっかいだ。メルは小さく溜め息をついた。

 ドラドリのゲームの中での加護とちょっと違うなと思う。

 ゲームの中での加護は道具(アイテム)に付与されるので、普通の道具が魔力強化された貴重品に変わるという状態(ステータス)変化があった。

 シャナ様は私の左頬にキスしてくれたわ。リハマ様はおでこに…。

 そっと自分の頬やおでこを撫でてみて、何も温度の変化がないのを不思議に思った。さっきシャナ様の名を呼んだのだから冷たくなる感覚が残ってる、という訳じゃないんだ…。

 体に直接加護が宿るのなら、どこへ行っても何を身に着けても無くす心配がなさそう。おかげであんなに水に浸かったのに、加護は生きている。

 少なくとも、誰かに取られる心配もない。

 ほっとして胸を撫で下ろすと、メルは空を見上げた。

 背に手を当てて、鉄扇の手触りを確かめる。兄さんの母さんの大切な形見を無くしたりしたら、私は最低だ。

 目標。家に帰る。

 ククルールの街に帰って、兄さんに会って届ける。

 絶対に諦めたりしない。


 頭を振って水気を飛ばすと、メルは気合を入れて森を睨みつけた。辺りを見渡してみても、人の気配も魔物の気配もない。空にある太陽も、いつかは月へと変わるだろう。

 夜になる前に街道には出たい。人間の足でどこまで行けるのか不安だけれど、あの煙の上る場所までは辿り着きたい。

 森の中を抜けながら、何か食べられそうなものを見つけよう…。

「まずは…、森を抜ける、街道を探して、街に帰る!」

 やりたいこととしたいことと、しなくてはいけないこととに取り組もうとすると、自然と希望が湧いてくる。


 久しぶりに歩く地上は踏みしめる砂利の音にそよぐ風、暖かな日差しで生きている実感が湧いてきて、メルは嬉しくて泣きそうになりながら森に向かって歩き始めた。


 ※ ※ ※


 獣道なのか、木々の間を通り抜ける細い道を奥へ奥へと向かって歩いて行くうちに、木々の間に見える空に、森の中に見えていた狼煙のような煙が近くに見えていて、いよいよ民家が近くなってきたのかも、とメルは少しほっとした。

 季節は夏が近づいているようで、まだまだ春先の気分でいたのに、歩いているうちに汗ばんできて、手の甲で汗を拭う。

 中途半端な季節なのか、木の実も花も見つからない。見かけたのは、鳥と、蝶と、トカゲと、スライム…。

 森の中を歩くのは勇気がいる、と思いながらも、歩くのをやめたら魔物に襲われるかもしれないという恐怖もあって、メルは歩き続けた。

 光が差し込んで明るい森の中は、木の影を選んで歩くと涼やかで、落ちている木の枝や葉を踏みしめながら細く続いている道を奥へ奥へと歩く。


 ドラドリの地図(マップ)では、月の女神の神殿のあるエルスから領都マルクトまでの草原や森の地域はいわゆるレベル上げの練習場で、出てくる魔物たちは雑魚呼ばれる弱い敵ばかりだった。

 ゲームとは違い実際に見るスライムは本当に小さな、メルの手のひらに乗るかどうかの大きさで、水色というよりは透明に近くて、背景の色になじみやすい性質だった。メルがこの森の中で見かけたスライムは木の葉や地面の色に同化していて、うっかり見逃せば遭遇したと言わなくて済みそうなほど存在を消した『敵』だった。ゲームではこれを見つけては叩き潰して経験値を獲てレベルを上げるので、瞬発力を付けて魔物を見たら敵だと反射的に判断できるような訓練をしていたのだろう実感する。

 ゲームとは違い、今のメルは経験値を上げる気がないのでまるっと見なかったことにして先を急いだ。

 あとは…、この付近で出そうなのは亜人族のゴブリンとか地の精霊種のドワーフよね…。まともな装備も武器もない。スライムみたいに見なかったことにして逃げてしまいたい。

 ゲーム開始は勇者である王子の成人を待ってのはずだから、そんな敵もその時まで登場しなくてもいいんだけどな、と身勝手なことも考えてしまう。


 飛び交う鳥の羽の音がして、空を見上げると、煙がはっきりと棚引いているのが見えた。日が傾いているのがわかる。

 もう夜が来るかな…。ああ、お腹が空いた…。

 ゲームでは森の中にこんな小屋は存在していなかった。存在していない存在なのだから主要な場所ではないと思うし、寄り道しなくてもいいとは思っていても、もし好意的な人がいてくれたらと期待せずにはいられない。


 急ぎ足で煙の方向へと歩き始める。森の中に住んでいるのは木こりなのだろうか、それとも、炭火焼きの職人…?


 少し開けた森の中にあったのは集落というよりは村と言った方が良さそうな雰囲気で、広場に向かって建つ家はすべて木造で、家というよりは小屋だった。屋根の代わりに大きな葉がかけてあるだけの粗末な家もある。

 メルはここが森に棲む精霊や妖の村なのだと気が付いたのは、家の前で薪を割る住民の姿が人間ではないと気が付いた後だった。

 誰もがシャツにズボンといった簡素な衣服を身に纏っていた。女性なのか、スカートをはいている者もいる。ただ、誰も、靴は履いていない。

 多様種が集落として生活しているのか単独種だけの村というわけではなく、パッと見ただけでも黒い犬や野ネズミ、野ウサギ、亀やトカゲの特徴を持つ後ろ姿が見えた。体の大きさはメルよりも体が大きな者たちばかりで、犬頭男というよりは犬が人間のように衣服を着て後ろ足で歩いている、といった印象だった。

 悪意や邪気が感じられない。魔物というよりは妖といった雰囲気だ。深緑色や焦げ茶色と言った森の木々に馴染むような色合いの服を着ていて、年齢の判断が付きにくい容姿をしている。

 表情から、茶金髪に白い肌の私は人間というだけで警戒されているんだろうなと伝わってくる空気感から感じ取れた。


 案の定、「お前、何者だ、」と、前に一歩進み出てはっきりと人間の言葉で呟いたウサギ耳の人間のような男に問われて、じわじわと集まってくる住人たちに囲まれてしまった。

「道に迷っただけの人間です。この通り、悪意はありません、」

 メルは降参と判るように両手を上げながら項垂れた。

ありがとうございました

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