9、悪い魔性の子供にも正義はあるのか
背中に感じる視線はわたしが角を曲がるまで続いていて、引き返そうにも引き返せなかった。相当警戒されている。市場から出てくる人の波に紛れてしまうとようやく視線を感じなくなって、張り詰めていた緊張も解けて生きた心地がして、知らず知らずのうちに空を見上げてほっとしてしまった。
手にあるのは、藁の籠じゃない。たった一枚の銀貨なのによくないお金を握らされたという嫌悪感ばかりがあって、持っているともっと悩み事が増えていきそうで、早く手放してしまいたかった。道行くすれ違う人に押し付けるわけにもいかず、こういう日に限って物乞いの浮浪者も見かけない。
なんとしてでもこのお金を使ってしまおうと考えていたのもあって、並んだ店先のひとつひとつの、様々な野菜や果物、加工した食品、お惣菜、焼き菓子など、並ぶモノの値段を眺めているうち、ベリーとバターのマドレーヌが確かこれくらいの値段だった気がする、と思い出した。人混みや店ごとの看板を探して歩きながら目を凝らして、お目当ての焼き菓子屋を探してみる。
場所の手掛かりは布もの屋の近くという程度だった。
お昼時で、食事のできる店を探す人々で市場は先ほど来た時よりも混雑していて、絹の織物の包みをしっかりと身に寄せて歩く。こんな場所に悪臭の実を持ってこなくて済んだのは幸いだと思ったりもする。
冒険者となって1周目の世界でのわたしは、王都に来るまでの時間をシューレさんと冒険者として旅をしていた。いわゆる、賞金稼ぎだ。
魔物を倒すのが手っ取り早くて、竜騎士であるシューレさんを補助するのがわたしで、神鹿であるラフィエータもいたから余裕だった。
何より、治癒の魔法も必要ないほどに強いシューレさんは抜け目なく賢くて、街道沿いの検問所にある指名手配書まで確認してきっちり把握しているような頼もしい存在だった。
単体で行動するのが盗賊、複数になったのが盗賊団、盗賊団がいくつかくっついたのが盗賊団ギルド、盗賊団がいっぱいいたら盗賊団ギルド、と違いを教えてくれたのも、魔物の討伐や防衛の為に騎士団の兵力を温存したいから懸賞金をかけ盗賊団を冒険者に捕獲させるのだと教えてくれたのもシューレさんだ。
わたし達の出会いはミンクス侯爵領での盗賊団ギルドの捕縛をしようとしていた冒険者たちの集団に入ることがきっかけだったので、その時捕まえた経験から、わたしとシューレさんは盗賊を追って賞金を稼ぐより魔物を狩って貴重な輝石を探すことの方が効率よく移動出来蟠りなく稼げると知ってしまった。
聖堂に所属してからも、選んだのは魔物狩りだった。わたしとしては盗賊団という対人間との交戦よりもたとえ危険でも魔物の方が精神的な負担が少なかった、という理由もあるけど、シューレさん曰く、盗賊団の場合いろいろと面倒だ、という理由らしかった。
選ばない理由が面倒という感情だけなのが真面目なシューレさんには似つかわしくないと思えて、たまたま駅馬車の中にはわたし達ふたりとなった時、詳しい理由を尋ねたことが一度だけある。
向かいの席に座っていたシューレさんはしばらく目を逸らし流れていく景色の遠くをじっと睨んだ後、「わかってくれなくてもいい、」と苦しそうに言ってから、わたしの方へと向き、前屈みに座り直した。
「ミンクス侯爵領での場合は、ミンクス侯爵様直々の討伐の御命令だったのと大半がミンクス侯爵領での被害だったから、懸賞首となった首領や幹部は捕縛後は問答無用に極刑になるとあらかじめ宣言されていた。末端の者たちもそれなりに刑罰を与えるとお決めになられていたんだ。あの領にいた冒険者の誰もが、悪党どもを捕まえたらそれなりの刑罰が待っていると思うから、どんなに負傷しようと賞金の額に納得して討伐に取り組んだ。私があの冒険者たちに手を貸したのは、ビアに誘われたからだけではない。納得できたからなんだ。」
未熟者と拒絶されて、懸命に市場で手練れの者を『探査』して探してシューレさんを見つけて、どうかどうかと願いながら説得した時の焦りや緊張感を思い出す。
シューレさんは膝の上に置いた腕の、指を組んで合わせた自分の両手を見ていた。
「領によっては、いくら指名手配書が出ていても冒険者たちが捕縛し領兵に引き渡した後、秘密裏に別の領へ逃がす判断がなされる場合がある。報復によってこれ以上街が被害を受けるのを防ぐ為だ。逃げ遂せた盗賊団の首領格が別の領で再び活動を再開しても、自領が被害を受けなければいいという判断で見逃すんだ。武力に乏しい領だと『これも正義』と罷り通る。自領のみの指名手配書ではなく、国王軍からの通達であったとしても、そんな処理をされてしまう場合があるんだ。」
悪党を捕まえたら処罰を与えるが当たり前だって思っていたのに、実は正しいことを正しいやり方で行うのは難しいことなのかもしれないってその時はじめて気が付いた。
「冒険者が命を懸けて盗賊団を捕まえる価値があるよう、ミンクス侯爵様は明確な答えを示されていた。あの時、私がビアの手を取らなかったら、と想像した時、このままだと、ビアは冒険者として正義とは何かを見失うと思ったんだ。」
「正義とは、何か…?」
「あの街に集まっていた冒険者たちの仲間になれなかったビアは、別の領で別の賞金首を追っていたかもしれない。ビアが多大な犠牲を払って悪党どもを捕まえて賞金を貰えても、領の官僚や領兵たちは法の下に罪を犯した者には罰を与えるという責任を放棄してこっそり逃がしてしまったかもしれない。そうなった時、ビアは平気でいられたか?」
…。
「事情を知らない領民からすると、賞金を手にした冒険者が仲間の盗賊を逃がしたとみなしてしまわないか?」
「そんなの、卑怯だ。」
「汚れ役込みの値段が賞金なのだとしたら、ビアはどうする?」
間違っているとしか思えなかった。
「そんな依頼だって知っていたら、受けたくない…。」
騙されたのなら、決して冷静ではいられない。
「書いてあることばかりが、真実ではないんだよ、ビア。」
シューレさんは、悲しそうに言った。「指名手配書は、公文書であって公文書じゃないんだ。」
もしかすると、正義に絶望だってしたかもしれない。
そんなの間違ったやり方だって言いたくても、報復を恐れる気持ちはわからなくない。
「ビア、『汝、親を泣かすなかれ、神に背くなかれ、子を泣かすなかれ、』と誓った以上、心を腐らせ悪党どもと同類になってはいけない。情報を正しく理解して、信頼できる仲間を得て、選ぶ道が正義と呼べるのかどうかを見極めないといけない。」
わたしを想う言葉が、そこにはあった。
音が、光が、すべてが輝いていた。
目の前にいるシューレさんが、いきなり輝いて見えた。
シューレさんは少し顔を上げ、目を合わせてくれた。
「私は冒険者になる時、困っている誰かの力になりたいと願った。ビアは困っているから私を見つけた。冒険者である限り繰り返される『正義とは何か』という試練にビアが迷う時、私は傍にいる。ビアは、私の仲間だからだ。」
言葉が、わたしの中に響いた。
その瞬間まで、同情だけで話を聞いてくれて仲間になってくれたのだろうなって理解していたのは誤解だったんだって気が付いて、すごく恥ずかしくて、すごく、情けなくなったのを覚えている。わたしは理想を持って冒険者になってなどいなかった。公国から出て、悪い魔性である父さんの手から逃げ出して、冒険者の証である特別通行許可書を有効に使って、旅の中で自分の生き方を見つける程度にしか、考えていなかった。どこまでもわたしは、責任とは無縁な、身勝手な悪い魔性の未分化の子供のままだった。シューレさんみたいに、誰かの力になりたくて冒険者になったわけじゃなかった。
「…ビアが賞金のついた盗賊団を追いたいなら、この先行く領では考えてみようか。」
わたしは首を振って、「このままでいいよ、シューレさん、」と伝えた。
「シューレさんと一緒にいれば、わかるんじゃないかな。」
黙ってわたしを見つめたたままのシューレさんは、その後に駅馬車を降りた領で、指名手配書の見方を教えてくれた。
それから、いくつもの街で、シューレさんの指導でいくつもの指名手配書を見た。冒険者としての責務をいつか果たせれたらいいなって思いながら、不備だらけな指名手配書を見て公然と示されている盲点の見抜き方を学んだ。
王都でも、シューレさんはもちろん場所を教えてくれた。一定の区画に時折ある王都の騎士団の駐屯所や本舎に行き、国王軍と王都の騎士団が出した指名手配書の一覧を見させすればいいのだ。
シューレさんは見方を教えてくれた時、名に竜のつく盗賊団の特徴も教えてくれた。盗賊団は竜の体の部位を名の一部に使うことが多くて、首領や幹部となると豪華な銀細工で拵えた装飾品を身に着けている者が多いらしかった。
わたし達がミンクス領で捕まえたのは『竜の翼』という盗賊団で、左耳にお揃いのイヤーカフスをつけていた。
今日見たあの男は、右手の小指一本をまるっと覆うような、登る竜の細工をした銀の指輪を嵌めていた。
単なる趣味での使用なら別に問題はない。盗賊団の一員としての格を意味するものなら、とても困難がある。
あの踊り子が、公国人が無理強いされ王国人に偽装された姿なのだとしたら、なおさら、冒険者として見過ごす訳にはいかない。
通りの先の、市場を抜けていった先には、王都の騎士団の拠点がある。
遅れている待ち合わせ時間をさらに遅らせてもあまり差はない気がする。このまま行ってしまおうか。
だけど、今のわたしは庭園管理員で身分を明かせなくて、聖堂に潜入中で、王都の花屋の仲間には手を貸してもらえそうになくて、王都には検問所の通過なく入り込んでいるので、冒険者として鉅の指輪の効果がどこまで通用するのかわからない以上騎士団にはかかわりたくなくて…。
正義とは何かを、見失うのか、ビア。
わたしを叱責する声が聞こえた気がした。
目移りしてしまいそうなほどの品物と色彩と人込みの中で、一瞬、周りのすべての音が聞こえなくなる。強張った体から、血の気が引く。
「あら、お客さん、」
わたしを包み込んでいた真っ暗な世界が一瞬にして弾け飛んで、いきなり音が溢れて、人に、声を掛けられたと認識する。
店先で立ち止まるわたしを見ているのは反対の流れからくる人々で、ここという場所と、時間とに集中する意識が戻る。
その女性たちの顔をしげしげと見ると、布もの屋の店員のおねえさん達がわたしを見ているのだと判ってくる。
「ねえ、お客さん、こんなところにいたの、」
「ブレットのところへはもう行ってきたの?」
うんうんと頷いて見せる。声はまだ、戻ってきてはいなかった。
「宿屋は逆の方向ですよ? もううちの親父さん、行ってますよ?」
知ってます。
「あ、道に迷って、うちのお店に戻ってきたんですね?」
それは違います。
慌てて否定しようとしたのに、おねえさん達はせっかちだ。
「お客さん、それ、預かってもらっていた布ですね、」
「代わりに持ってあげますよ、」
「こっちへ寄こしてくださいな。」
あっという間に、荷物まで引き受けてもらえてしまう。
「一緒に行ってあげますよ。うちらはこれからお昼を食べに行くんです、」
断る前に、さっさとおねえさん達に両腕までも掴まれてしまった。
人の流れに逆らって立ち止まったのもあって、たちまちに流れに押し流されてしまって、わたしは否応なしに布もの屋の店員たちの一行と合流することになった。
「ブレットはどうでしたか?」
「マドレーヌ、あの子、喜んだでしょう?」
ニヤニヤと笑うおねえさん達は、「ブレットは甘いものが好きなのに素直じゃないんですよ、」とまで教えてくれた。
賑やかしいというよりは騒々しい市場の通りも、彼女たちが守ってくれているので小柄な方のわたしは人の流れに潰されないで済んでいる。
「お昼時だから人が多いのは判りますが、いつもこんな風に賑やかなんですか?」
いつもより、多めな気がするのは気のせいじゃないはずだ。
「近くで検問でもしていたりするんですか?」
月並みな発想だけど、どこかの商家で盗難騒ぎがあったりすると、騎士団が関連して検問を張り積み荷の検査を始めるので、迂回しようと人の流れが集まってくる。
騎士団が、近くにいるんだ。
会いたいような、会いたくないようなもどかしさに、心が騒ぐ。
「ああ、いつもより多いね、」
「なんでだろうね、」
「まあ、王都だからね。」
おねえさん達は曖昧過ぎる誤魔化しっぷりだった。事情を知っているのかどうかすらよくわからない。
「気にならないんですか?」
尋ねているわたしも、よっぽどの大事じゃない限り影響は出てこないので、市場の人間すら知らない市場での事件なら知らなくてもいい、と実は思っていたりもする。
「王都って、こんなもんでしょ?」
「そうそう。」
「魔物も盗賊団も竜も精霊も魔法使いも、王都ならではだもんね、」
「だよねー、」
おねえさんたちは肩を竦めて笑いあっているので、わたしもそうなのかなって思ってしまった。
市場の脇道へ入って、路地へと入って進む。
このまま進めば、皇国人の経営する店や宿屋が多くみられるようになってくる。
「ほら、居た、あそこ、」
見慣れた皇国人の主人や女将さんのいる宿屋の前には、肩にわたしの肩掛け鞄をかけ、大きな白い布の包みを抱えた布もの屋の店主が待っていた。
わたしの顔を見て、思い募った言葉を首を振って飲み込んだしたとしか見えない店主を見ていると、少しばかり意地悪な気持ちが湧いてきた。
「お客さん、来てくれてよかったよ。つい今しがたこちらには来たんだ。」
絶対嘘だ。言い訳が下手すぎる。
「待ったんですか?」
「いいや?」
待ったと認めたら、不都合でもあるのかな。
「待ったんですね?」
待ったと認めさせたくてついニヤニヤとわたしは笑ってしまったので、店主は気まずそうな顔になった。
「お客さんには脅すような真似をしたからね。あの時の私はどうかしていた。どうか、許してほしい。」
許す気はなくても、「わかりました」というのが大人な対応なんだと思う。とりあえずを乗り切った後は、この店主次第なのだ。
「じゃあ、これを、」
店主はわたしの首にかかるよう、頭から肩掛け鞄をかけてくれ、手には大きな白い包みを手渡してくれる。念願叶って、ついに、借りていた菫色のワンピースを回収できたのだ。このまま帰ってしまおうかしら、なんてこっそり思ってしまうけど、約束は守らないといけない。
店主は宿屋の中へと頭を突っ込んで、「いらっしゃったよ」と言って手を振って、合図をしていた。
「はーい、」という声が、聞こえてくる。
ついに、来てしまった。
今更だけど食欲が消えてしまった。緊張しているからだと思う。
「お客さん、肩が強張ってるね、」
おねえさん達のひとりが、肩をそっと撫でてくれた。
「食事に来たって意識しないでいたら、いいんじゃないの?」
事の原因である店主も、うんうんと何度か頷く。
「皇国の料理って王都じゃ珍しいんだから、旅行気分で気楽にね?」
「そうよ、おばあちゃんちに来たんだって思ったらいいじゃない。」
「おじいちゃんちでもいいわ!」
楽しそうなおねえさん達は、あくまでも他人事だから楽しいのだ。
脅されて来たような場所なのに意識しないわけにはいかないし、気楽に、がまず間違っている気がする。
奥から人が出てくる気配がする。
借り物の服の大きな包みを抱えて立つわたしと店主を残して、布もの屋のおねえさん達は「また来てね、お客さん!」と言って市場の方へと戻っていってしまった。
※ ※ ※
布もの屋の店主の名前はララフというのだと、宿屋の主人であるオーダさんとミミさんとが親しそうに名を呼びあっているので知った。ちなみに布もの屋の屋号もララフという。ララフさんの店だからララフなんだねって納得しかけて、この先使わなそうな知識ではあるなとも思う。
「来てくれて嬉しいよ。」
泣きそうな顔でミミさんが近付いてきた。
「遅れてすみません、」と謝り言い訳しようとしたのを、首を振って止められる。
「来てくれただけで十分だよ、ありがとね。」
そう言われてしまうと、何も言えなくなった。
マントや帽子、荷物を預かってくれるというご好意に甘えて頼んでみる。
身軽になり宿屋の奥の家族用の食堂にまで案内されると、ララフさんは「じゃあな、いい時間となるように祈っている、」と言うだけ言って去ってしまった。一緒にいい時間を耐えるつもりはないようである。
天井近くの高い位置にある明かり取りの窓のおかげで明るい食堂の、テーブルの周りの壁を窓近くまで埋め尽くすように置かれている棚という棚には、皇国由来なんだろうなって想像がつくような王国風ではない意匠の花瓶や布もの、袋、人形や箱といった雑多なものが入りきらずにはみ出し、棚の上に箱に積み重ねていても溢れていた。下手に触ると崩れてしまいそうだなってちょっと思ったりするけど、珍しい物の多さにどういういわれがあるのか興味をそそられるし、心が惹かれる。
「おばあちゃん、」
オーダさんの声に反応して動いたのは、棚の前の奥の席に雑多な荷物に紛れるようにこじんまりとした背を丸めて座っていた老婆だった。小花をあしらったスカーフで髪を隠していて、見えている前髪はほぼ白い。とろんとした目を細めた表情からは笑っているのか眠っているのかわからなくて、人だと認識していなかったのだ。
テーブルの上に並べられている皿はどれも黒い地色に白いひとはけが流れる意匠の一点ものとわかる仕上がりで、価値がよくわからないけどこれほど収集されているのなら余程名のある陶芸作家の作品なのだろうなと思えてきた。公国では魔術工房で働く地属性の魔法使いが火属性の魔法を覚えて気まぐれの陶芸家になったりすることもあるけど、錬金術師の方が実入りがいいのと、あまり実戦向きではないのであまり選択されない。皇国や王国だと、陶芸家は魔法が使えなくても慣れそうな職種ではある。
器に盛りつけられた料理は、燻製や蒸し物、焼き物と調理方法が様々な、手間暇をかけたものばかりだ。
「さあ、一緒に食べよう。お嬢さん、こっちへ来てお座り、」
オーダさんが奥へ行き、ミミさんと呼ばれた女将さんがわたしを手招きして老婆の向かいの席に座らせた。棚の前の椅子との隙間をそろりそろりと進んで、オーダさんは老婆の隣の席に着いた。わたしの席は狭いけどおふたりよりはマシな席なのかもしれないなって思った。
ミミさんは一番厨房に近い席で、一番、ゆったりと椅子がおけるようになっていた。わたしの前のグラスに水を注いでくれながら「とびきりの御馳走を用意したのよ」と片眼を閉じて微笑んでくれたので、ララフさんの言葉通りに、仲直りを本気で望んでくれているように見える。
「お母さん、話していた子が来ましたよ。お昼をいただきましょうか。」
お母さんと呼ばれた老婆は声のする方向へ顔を向けて、うっすらと目を開けた。青い瞳は、皇国人の証だ。
「あの子は誰だい、」
顔ごと向けられた視線に、わたしは自然と「ビアです。ビアと呼んでください、」と申し出ていた。
「そうかい、ビアちゃんかい、おばあちゃんはビアちゃんのおばあちゃんだよ、来てくれて嬉しいよ。」
薄っすらと微笑んだおばあちゃんに、オーダさんが「おばあちゃんはもう昼間か夜なのかわからなくなっていてね。気にしないでください、」と言われてしまう。
戸惑ってしまってミミさんを見ると、黙って頷かれてしまった。本当に気にしなくてもいいのかもしれない。
ミミさんがオーダさんを助手に腕を振るったという料理は、独特に香辛料が利いていて、皇国のクアンドでのミロリさんたちとの時間を思い出してしまった。部屋の中の色彩や物の形といった情報も皇国の品物でしかなくて、王都にいるのになんだか妙な気分になる。
オーダさんに介助されて食事をしているはずのおばあちゃんは、口を噤んでは料理が口に入るのを拒否していたので実際あまり食べなかった。ミミさんは一切手助けをせずにいても心配そうな眼差しで自身の食事している。ちなみにオーダさんは自分の食事をとりつつの介助なので、手はひっきりなしに動いていてモグモグと口も動かしっぱなしだ。
中盤でオーブンから出してきた大きな肉の塊は牛肉だそうで、ミミさんに切ってもらい取り分けてももらう。トマトやパプリカのソースも勧めてもらった。見た目も華やかで、なかなか公国にはない味わいだった。
食後に香りのいい紅茶とキイチゴの乗ったプディングの小鉢を片付いたテーブルに並べてもらう頃になってやっと、おばあちゃんは口を動かし始めた。どうやら好きなものだけを食べていたいようだ。
「あなたには、謝りたいなって思っていたのよ、」
ミミさんの言葉に、スプーンを貰って一口目を食べようとしていたわたしの手が留まる。
「勘違いしていて、ごめんなさいね。ララフさんにこの話を貰った時は、こんな言い方をするといけないのだろうけど、あなたらしいわって思ったの。」
「ビアさん、冒険者としてではなく、私達はあなたの冒険者としての誇りだけではなく、治癒師としての誇りを損ねるようなことを言ってしまって申し訳なかったね。」
オーダさんも、ミミさんも、デザートには手を付けないでいた。気持ちにけじめをつけているようだ。わたしも、彼らに倣ってスプーンを置いた。
「お前たち、ビアちゃんに意地悪したのかい。」
キイチゴを口に入れてもらいながら、おばあちゃんが見えない目でオーダさんとミミさんとを睨みつけた。
「ビアちゃん、おばあちゃんがあとでこのふたりをよっく叱っておくから、泣いたらいけないよ?」
「ええ、大丈夫です。」
苦笑いするしかなくて、わたしは適当な返事もしておいた。
「ララフさんの言うアレは、この辺だったかしらね、」
ミミさんは立ち上がり、棚の真ん中あたりのはみ出た箱を退けた。奥に見えてくるのは、小さな木の箪笥だ。棚の奥から引っ張り出す際、崩れてしまわない様に別の場所から同じような大きさの箱を持ってきて押し込むと、ミミさんは手のひらの上に乗りそうな箪笥をテーブルの、おばあちゃんの前の空いたスペースに置いた。
「おばあちゃん、これ、ビアちゃんが何かを知りたいのですって。教えてあげてくださいな。」
タンスの引き出しのひとつから小さな何かを摘まみだすと、オーダさんにプディングをスプーンで口に運んでもらっていたおばあちゃんに握らせる。
モグモグと口を動かしながら、おばあちゃんは握らされた何かを両手で摘まみなおして、目の前まで近付けた。
きらりと微かに光ったのは銀色の、見慣れた古銭だ。
ただ、ブレットに託した古銭とよく似ているけど、驚いた顔の崩れ方が微妙に違う。
「それは…、」
ミミさんに目で訴えかけてみる。どこにでもあるものなんですかって、聞きたくなる。
「ああ、懐かしいね。これはおばあちゃんのおばちゃんのだよ、」
おばあちゃんはそう言ってわたしの方へ顔を向けて、「こんなものをビアちゃんはどうして知りたいんだい?」ってちょっぴり怒った表情になった。
ありがとうございました




