8、地属性の治癒師だからできる
「周囲に結界を作っているから、思う存分暴れてくれて構わないぞ。」
クリストロの声に顔を上げると、青い空を鈍色に光を放つ巨大な魔法陣が屋根のように辺りを覆っていた。
一瞬弾けた光に呼応して文字は輝いて、周囲を包み込むようにして光の雨が降るように流れ、空気に溶けて消えていく。
風の匂いが変わる。微かに聞こえていた生活音や、聖堂に集まる人々の気配が消えてしまった。
大体の目安として試験会場である長方形な鍛錬場の奥半分に土塁が出現している状況で、しかも結界まで張られて囲われてしまっているようだ。
モリスはわたしとは別の斜め前方にある土塁の陰に隠れていて、かなり思い詰めた表情だったりする。仮とはいえ仲間だというのにわたしという存在を忘れているような頑なさで、クリストロの声が聞こえているのかも怪しい。
自分の居場所をうっかり知らせないためにも、息を殺して返事をせず黙っておく。わたし達も向こうのふたり組も反応しないのは、多分同じ発想だ。
鍛錬場の広さを考えると、高くそびえる土塁は合計4つで、こちら側にふたつ、向こう側にふたつあると見た方がいい。
わたし達がこうしている間にも向こうのふたりは作戦を練っているだろうに、わたし達は隠れる場所まで離れている。
どうすれば勝てる?って焦る気持ちと、1周目ではこんな扱いを受けていないわ!っていう苛立ちと、どうしてこんな造形をしたんだろう?って不思議に思う好奇心とがわたしという器の中でせめぎ合って、感情も思考も混沌としていた。落ち着いて対策を取らないと、わたしは勝ち残れないのに。
武器の使用が可能な実戦形式の試験にいるのに、武器なんか持っていない。わたしは魔法使いと言っても得意なのは治癒術な治癒師で、防具だって火光獣のマントくらいしかない。組んだ相手はいきなり突き放してくるし、信頼関係も築けていない。
勝つためには、わたしが足を引っ張る存在にならない様にしようって思ってみたって、実際にはどうやったら勝てるのかわからなくなってきていて、逃げ出したくもなってくる。負ける気しかしない中でどうやって勝つつもりなのかって、自分自身に問いたくなってきた。
落ち着け、落ち着こう。必ず突破口があるはずだ。
何度か息を吸って吐いてしているうちに、心に言葉が湧いてきた。
どうして、実戦の環境をこんな風に作る必要があるの、
弓矢といった飛び道具の使い手や、遠隔攻撃のできる風属性や火属性の魔法が得意な魔法使いなどこの場にはいない。何しろわたしはクリストロに地属性の治癒師なのかと確認までされている。
槍や剣といった長物を使う者には剥き出しの土壁ともいえる巨大な土塁や深い堀は直進できないようにした障害物でしかなくて、わたしのような治癒師や魔法使いにとっては相手の武器の威力を半減させる効果や身を隠す場所ができたという点では都合がいい。勝ち残る条件が立っていることだから、ひたすら逃げ続けていたら可能だったりするという点でも地形は有利だったりする。
但し、身体能力が高ければ、捕まえるだけなら武器など必要なく腕力だけで圧倒できる。肉弾戦が得意な武闘家に魔力のない状態で勝てる気はしない。なのに、武器や魔石、魔道具の使用を許可しているのなら、立たせなくするやり方はどんな方法でもいいのだともいえる。怪我は必須と捉えて、ある程度、回復するための魔力も確保して置かないといけない。
最後まで立っているためにやるべきことは、相手の攻撃を封じること、地の利を生かして捕まらないようにすること、モリスも最後まで立っていられるようにすることだ。
魔力は感覚として、半分くらい残っている。魔力量をうまく誤魔化して魔石と化したのが良かった。
ありうる作戦として、向こうは剣が使えないと気が付いていてふたりがかりで接近戦に持ち込んでくるのだとしたら、わたしを人質にモリスを降参させるのが手っ取り早い。
もしくは、ふたりがかりでモリスに立ち上がらせない程度に怪我を負わせて、わたしが治癒する前にすばやく立ち上がらせない様に怪我を負わせてしまう方法だってある。
怪我を治すのは簡単でも、怪我をしたくないから、わたしが治癒師としてできる仕事は後方の支援だけなのか、自分自身に問いかける。勝てないってわかっている試合を試験として受験者にさせる必要があるのか、疑いたくなってくる。
冒険者にとって聖堂に所属することで得る恩恵は、食事や寝る場所に困らないことぐらいだ。でも、冒険者として成功する者ばかりじゃなくて旅に疲れて困窮した毎日から抜け出したくなって聖堂にやってくる冒険者がいるのも現実だ。1周目のわたしだって、シューレさんと旅をする中で利用できると思ったから聖堂に入信している。
この試験が、聖堂にとって必要な人材かどうかを見極める者なのだとしたら、勝つことに意味があるわけじゃない。勝ったからと言って『残ってもらう』とは司祭たちは誰も言っていないのだ。
唐突に、どうして地属性の治癒師なのかとわたしだけ職位を確認をされたのか、閃くように答えが見えた。
環境に干渉できるのかどうかを確認されたのだ。
冒険者の登録をする際、最初の1周目での経験から本人の実力以上の評価がもらえて職業が決まる。本登録となる2周目を始める際、1周目と同じ職位にするか一つ下げるかは本人の心次第だったりするので、本当にその職位に見合った実力なのかを知りたい時、冒険者の申告だけで見定めるのは難しい。
治癒師だからと言って、まだまだ癒しの手と名乗った方がよさそうな者もいれば、もうじき救いの手になれるかと思われるような者だっている。半妖に生まれていれば癒しの手でも精霊と契約している者もいるし、治癒師で召喚術が使えるからと言って精霊と契約はまだしていない者だっているのだ。
健闘を祈るって言葉の意味も、判った気がした。
『力のない者が力のある者を支えるのを美徳として、力のある者が力のない者を守るのも当然』という聖堂の理念をこの場へ来るまでにわざわざ口にしたのは、ただ勝つのではなく、どういう勝ち方をするのかを見るという意味なのだ。
力とは魔力であり武力だ。聖堂は教義として、力の誇示を良しとせず、慎み共有するのを推奨している。魔力のない者が魔力のある者を支えるのを美徳とし、武力のある者が武力のない者を守るのも当然とするのなら、勝ち負けの場に治癒師がいたらどうするのかが隠れた課題だ。初めから治癒師と組んだ時点でモリスは理想に一歩近い。
武器を持っているから勝てるという打算で剣士同士で組んだ時点で、利己的だと判断されて集団生活には向いていないとみなされる。しかもそうと気が付かないでいたのなら、彼らはさらに評価が下がる。
剣士が腕力に劣る治癒師と知っていて勝つために狩るのも、治癒師が後方支援が基本の立ち位置だからって何もしないで守られるのに徹するのも、聖堂の在り方として望ましくないから面接官たちは望んでいない。
おそらくわたしに望まれているのは、組んだモリスという魔法の使えない剣士を支えながら、持ちうる魔力を使って地形に干渉して勝ち残ることだ。
「モリス、聞いて。」
わたしの小さな声が聞こえたモリスは、不機嫌そうにわたしを見た。
「冒険者なら、1周目に聖堂に所属したりした?」
経験があるのなら、聖堂の理念を知っている。
「…いいや、」
剣士であるモリスには期待をせずに、狭い地形のせいで剣を存分に扱えないだけと見た方がいい。
わたしは急いでモリスの入る土塁へと移動した。
「これからあなたに魔法をかけるわ。筋力を『強化』して一時的とはいえ体力を底上げするから素早く動けるし、この地形が壁ではなく盛り土くらいに感じられると思うわ。」
腕や足、手指に念入りに魔法をかけると、モリスは何度か手を握るのを繰り返した後、「何をするつもりだ?」と初めてわたしの考えを聞いてくれた。
「これからわたしは土地に魔法をかけるわ。あっちは自分たちの方が強いと思っていて、隠れる理由がないから攻める一方だと思う。モリスは地形の変化に巻き込まれない様にしてほしいの。」
速さと接近戦なら、武器は使えないと見た方がいい。
「こうしておけば、打撃や足蹴りも威力を増すわ。」
拳や踵にも魔法をかけると、モリスは何かを言いかけて目を細めた後、わたしの顔をまっすぐに見た。
「出会ったばかりなのに、信頼するのか?」
「どういう意味?」
「見知らぬ相手に魔力を使っても、損だと思わないのか?」
その一言で、モリスはこれまでどういう扱いを受けてきたのか理解できた気がした。自分をつまらないものと卑下するのが当然だと思わされている環境にあったのだとしたら、簡単な回復の呪文ひとつでも文句を言われていたのだと思えた。彼が自分の身を身分で守れと言ったのは、自分は期待に添えないだろうから恨まれたくないっていう、自身を守る気持ちからきている。
そんなの、小隊を組んだ時点で、損得なんて考えていないのに。
「思わないわ。あなたは相棒だもの。」
少なくともわたしの中では、一緒に勝つんだって覚悟を決めている。
「勝てるから、勝ちに行こう。」
「治癒師なのに、土地に魔法をかけられるのか?」
そこから説明するの?
モリスの中で、治癒師の印象はどんなのか聞きたくなってきた。
土塁が音を吸収しているから向こうの気配は判らないけど、このままずっと何もしないでいるとは思えない。時間はない。
「…地属性の治癒師だから、土地に魔法で干渉できるわ。」
「例えば?」
「これから、誰もが立っていられなくなるほど魔法を使うつもり。」
「さっきあんなに石に魔力を奪われたのに、できっこないこと、言うなよ、」
魔石の使用が許可されたのを覚えてないのかな。魔法を使う習慣がないと、魔力を貯めるのが魔石なのだという認識が薄いのかな。
「わたしは魔法使いだもの、大したことないわ。」
仕掛けは大掛かりになる。
本音は大したことあっても、弱気になっちゃダメだって思っているからわたしはわざと微笑んだ。左耳にあるイヤリングを指で撫でて、溜めてあった魔力を取り戻す。
言い切るわたしの顔を意外そうに見た後、何かを閃いた顔になったモリスは何度か頷いて中腰になった。
「わかった。呪文を唱える時間がいるんだろ? アイツらの注意を引く。逃げ回るのは得意だ。」
「ありがと、」
頷くモリスに頷き返すと、モリスは「行ってくる、」と言って土塁の影を身を屈めたまま出てしまった。向かう先は向こうの土塁の影である堀の間近で、こちらからも向こうからも中間だ。
モリスが見える位置まで後退りすると、わたしは魔法を唱え始める。
呪文は口にしなくても、使い慣れた魔法は「隆起」と唱えれば地形は動く。
両方の土塁の表面にいくつも盛り上がる突起を蹴り、軽々とモリスが駆け上がっていく姿が一瞬だけ見えた。
「うわっ」と土塁の向こうから微かに聞こえた声を聞き逃さず、両手を地につけ『地鳴り』で振るわせ、『山揺れ』を起こす。
モリスは瞬く間に向こう側の半分へ侵入したようだった。
わたしにできる後方からの支援は、まだある。
親指を噛んで血を滲ませ、シャツを掴んだ。
紅茶染めで隠したシャルーの体液で出来た染みを、『倍増』させシャツに模様にして増やす。
地属性の精霊は、野に棲む精霊のように自分の足で移動できる者と、宿木周辺にしか移動できない者がいる。オルジュのように魔石に憑かせていないシャルーを宿木のない場所へ呼ぶには、通例通りなら召喚の魔法陣が必要だけど、シャルーとは契約しているので宿木の一部があればいいのではないかと考えたのだ。
地が割れ揺れる土塁の向こうから聞こえてくる叫ぶ声や罵る声は、モリスのものじゃなかった。向こう側の剣士2人が混乱しているのは、単身で突撃してきたモリスが地形の変化に動じていないからだろうと思われた。
事前に地形の変化が起きると情報として知っているからこそ、モリスが優位に立っている。
「シャルー、聞こえる?」
シャツを掴んだまま、まだ現れない姿に向かって問いかけてみた。「手伝ってほしいの、シャルー。」
魔力は染みを鮮やかに輝かせるばかりだ。
反応がない。
どうして。
もう一度呼びかける前に、モリスの援護をさらに始める。手で地の表面を撫でて、地の奥底にある水脈を探す。聖堂の敷地内にはいくつか井戸があるから、地中のどこかにまだ見つけられていない水脈があるはずだ。
地中深くを流れる水は、土地をつなぐ道になる。
集中して耳を澄まして、細い水の流れる音を捕まえる。かなり深い場所にあるので、この水脈はいくつかの流れをつないでいるのだと期待する。
地を揺らす勢いは、水の猛りだ。
地表の土塁の影に水を呼んで、現れた水で地面が潤びっていくのを待つ。
「おい、こっちだ、」
迫ってくる声は、モリスの声じゃない。
向こうは、モリスを追う者と、わたしを探す者とに二手に分かれたようだ。
まずい、まだなの、シャルー!
潤い染み込みながらちょろちょろと流れてきた細い水の線が、やっと地につけたわたしの手へと辿り着いた。
さあ、もう一息だ。きっとうまくいくはずだ。
「手伝って、シャルー!」
シャツを掴んで願ったわたしに、濡れた地面からむっくりと姿を現したシャルーは、土塁から飛び出してきた剣士のひとりを勢いよく地中から長く伸びた蔓で捕まえて、「こんな風に?」とニヤリと笑った。
「シャルー!」
嬉しくて、つい叫んでしまった。
※ ※ ※
「くぅ、くそっ、何だお前は、」
シャルーの長い蔓が締め付けるのを見ながら、わたしはゆっくり息を整え、「そいつを向こうへ放り投げて、」と頼んでみた。
生け捕りにすれば、もうひとりの剣士が奪回にくる。力技でモリスが怪我をさせられないよう、この剣士は立てなくしておいた方がいい。
「できなくないけど、いいの?」
「大丈夫、今から沼地を作るから。」
落下した先が沼地なら、立てずに沈む。
わたしは両手を地面に付けると、『地割れ』と『地鳴り』と繰り返した。地を揺さぶって塊を壊し砂に変え、沼を作る基礎を作る。
シャルーはともかく、長い蔓で振り回される剣士は必死の形相で叫んでいる。
「コイツ、こんな状態でも剣を手放さないんだな、」
わたしやあなたを傷つける目的があるからだもの、と言いかけてやめる。
土で出来た壁を崩すのは竜巻が早い。わたしは風属性は得意じゃないから、水で加勢をつける。
地中から呼んだ水の道を深く太く押し上げて、地面に勢いよく放出させる。
魔力の消費が激しい。
集中して、一度で仕上げる!
「今よ!」
空へと向かって吹き上がった水を魔法で2方向に放出する水流へと変えて、勢いよく土塁に向かって打ち付ける。
『倍増』と『複製』と繰り返し唱えるうちに、土を削る水の勢いは岩をも砕きそうな圧を有していた。あの水の量ならあっという間に堀を埋めて向こう側の土地をみるみる沼地へと変えているはずだと、自信を持って言える。
シャルーに放り投げられた剣士が鈍い音を立て泥沼に落ちていくのが、土塁の向こうで消えていく叫び声でわかる。
「何が起こっているんだ!」
土塁の向こうから、モリスといた方の剣士が叫んでいるのが聞こえた。
「お前たちを立たせなくするためだ、」
モリスが叫んだ後、打撃音が聞こえ呻き声も聞こえたので、もう一人の剣士も泥沼に沈んだのだと思えた。
「見てくる?」
シャルーは楽しそうに肩を竦めた。
「ここにいて。」
わたしが首を振ると、「残念、」とまた笑う。
汲み上げた水は流れ切って止まった。
地面には堀よりも深い大きな穴が開いてしまっていた。
穴を目の前の土塁を魔法で切り崩して埋めて、見渡せるようになった環境の先の先を見ると、向こう側の土塁は二つとも水の勢いに破壊されていて、見渡す限り黒くドロドロとした沼地へと化していた。
切り崩して残った土塁だった場所に小さく残った盛り土の上に頬の泥を拭うモリスが立っていて、わたしを振り返っているのと目が合った。わたしの傍にいるシャルーの姿は見えていないようで、目を見開いてわたしへ視線を固定して動きを固めてしまっている。
「決まりましたな、」
「立っているのは二人、決まりました。」
司祭たちの華やかな声が突然聞こえてきた。
審判役の司祭たちの隣に立っていたクリストロが、両手を掲げて空を仰いでいるのが見えた。結界が消えていて、鍛錬場の周囲の音が蘇っていく。
「それでは試合は終了といたします。」
司教がパンパンと手を打つ音が聞こえてくる。
勝てたんだ…。
わたしはほっとして安堵の溜め息をついてしまっていた。
「助かった? ビア、」
離宮で別れた時と同じに少年にしか見えないシャルーはぎゅっとわたしに抱き着いてきて、「面白かったね、」と言って顔を見上げてきた。
「シャルー、ありがとう。」
「大したことないよ、また呼んでね、」
「また、頼んでもいい?」
気難しい精霊の好意はありがたく受け取っておくのが、円滑な関係の維持につながる。
「喜んで来る。またね、ビア。」
にっこりと笑ったシャルーは、そっと身を引いて離れてしまった。
「もう、行っちゃうの?」
「うん、ちょっと大変だったんだ。」
シャルーはわたしのシャツにある自分の体液で出来た染みを掴んだ後、「魔石があったらもっと簡単に来れるんだよ。考えておいてね?」と言って笑って消えた。
ありがとうございました




