4、大好きな気持ちに嘘を付く
何度か瞬いてチュリパちゃんは、言葉を選ぶようにゆっくりと、口を開いた。
「ビア様。私のおじいさまは、王都とご領地とを行き来しています。お父さまやお母さまは王都のお店にいるけど、私は小さい頃、何度かおじいさまとご領地に下ったんです。」
しっかりしていて賢そうなチュリパちゃんは一応まだ両手で年が数えられそうな幼い子なので、小さい頃と言われると片手で年が数えられそうな頃の話なのかなとふと思う。
「ご領地のお山の奥から職人さんが切り出してきた木を棒に切りそろえて、そこからもっと細かく切り分けて、冬の間に家具を組み立てていくだって、教えてもらいました。」
何を言いたいのかを先読みしないように、わたしは心を無にして黙って様子を伺った。
「とても素晴らしい場所です。王都のお店には、職人さんが作った家具や道具が集めてあります。」
行かないつもりだから、意地悪な気分になっても、それで?と言ったりはしない。
「ビア様はきっと、好きになってくださると思います。」
言い切るチュリパちゃんは自信があるから真っすぐなのだ。よほど良い土地なのだねと興味は唆られても、容易く頷いたりはしない。
「私が大人になるまでは聖堂にいて下さい。王都で、私のお友達になってください。必ず大切にします。」
愛の告白みたいだわ。声には出さなくても心情が出てしまって微笑んでしまったわたしに気が付いたチュリパちゃんは言葉を詰まらせ目を伏せてしまったので、エベノズさんが話を続けた。
わたしとしては、行かないって言ってるのに、どうしてそんなにわたしに拘るのかも判ったし、わたしを聖堂に推す理由が判ったのも嬉しい。
「ビア様、少しだけ、お時間をください。後見人になったら、聖堂へこの子を連れて会いに行きます。領地にも一緒に行きましょう。家族になるんですから。」
家族になると、いつ決まったの?
心の中で湧いた不満の声に、治癒師だからだろ?と閣下のせせら笑う声が聞こえてくる気がした。
治癒師じゃなかったら、わたしには家族になる価値がないのかな。
ちょっとだけうんざりして、ちょっとだけ、そうだよ、と自分でも納得する。他人から見てのわたしは治癒師なのだから、わたしが治癒師であるから接点があるだけなのだ。
ふうと息をついて窓の外を見やる。
このまま進んで大通りを渡ってエベノズさんのヴァレリアン商会へ行くのだと思う。流されない自信だけはあるから、次は感情が吹きこぼれないよう耐えるしかない。
どこへ行こうと、価値の有り無しなんて、わたしが決めていけばいいことだ。わたしは治癒師じゃなくてもわたしだし、治癒師でもわたしなのだ。どっちのわたしにもわたしは価値があるって信じて、『わたし』を見失いでいればそれでいい気がしてきた。
※ ※ ※
賑やかな声や馬車の音が聞こえる中降りた場所は王都の中心よりやや西北にある図書館で、すっかりヴァレリアン商会へ連れていかれて洗脳されるのだと覚悟していたわたしは良い意味で予想を裏切られて、チュリパちゃんに「ビア様?」と尋ねられるまで巨大な石造りの建物を見上げたままでいた。『お見せします』とか『素晴らしさをお伝えしたい』とか言われたら、情報量の一番多いところ、すなわちチュリパちゃんの家であるヴァレリアン商会に行くのだろうなって思うものだと思うけど、見事に当てが外れた。
「開館したばかりのようですね。」
エベノズさんは馬車寄せに馬車を寄せ馬を撫でている馭者に何かを指示を与えた後戻ってきて、辺りを見回した。図書館前の石畳には王冠を頭に乗せた竜が翼を広げた図案が明暗のある石の配置によって表現されていて、王国一の蔵書量を誇っている図書館なのだと物語っている。
「時間はかかりません。御心配いりませんから、行きましょう。」
「ビア様、ここは初めてですよね?」
チュリパちゃんは上目遣いに尋ねてきた。王国人からすると、公国人が王都にある王国人向けの図書館に来る用事などないと思っているかもしれないけど、実はあったりする。何しろわたしは冒険者で、王国を旅する以上、王国の情報を有意義に得る必要がある。ただ、ここへ来るのは2周目の世界では初めてだ。1周目の未来でシューレさんと何回か地図を見に行た時以来ぶりなので、感覚としては見慣れた建物ではある。
「はい。初めてきました。」
この世界では。
「迷わないように手をつないであげますから、大丈夫ですよ?」
力強くチュリパちゃんはそう言ってにっこりと微笑んでくれたので、下手に話して嘘がバレてはいけない気がしてきた。黙っておくのが一番無難だ。神妙な面持ちで頷いておくに限る。
「いくつか魔法が掛けてある部屋や資料がありますが、今日はそういった危険な場所には行きません。安心して付いてきてください。」
エベノズさんの先導で先に進み、チュリパちゃんが手を握ってくれるわたしとが続いて、振り返ると、後ろにはクローネさんが付いてくる。ようやく到着した後続していた馬車たちはわたし達の乗ってきた馬車の馭者が駆け寄って伝達し図書館には寄らずに去っていくので、多分先にヴァレリアン商会へとチュリパちゃんやエベノズさんの情報を報告をしに戻っていくのだと思えた。
階段を上ると見えてくる入り口を守る門番たちは王都の騎士団の騎士で、一礼して入っていくエベノズさんや続くわたし達をじろりと見やっただけで何も言わずに通してくれた。先へ行く人影も入ってくる者もいないので、わたし達は朝一番の利用者なのかもしれないようだ。
「ここが一番王都で一番私たちの領をお伝えできる場所なのです。」
1周目の世界でここへ来た時シューレさんと一緒だったし来すぎて慣れてしまっていたのもあってあまり意識していなかったのだけれど、見上げると館内のどの部屋の入り口のドア枠の上部には左右に小さな竜が彫られていた。エベノズさんの言う危険な場所って、離宮みたいにひとりでは入れないし出られなくなる部屋っていう意味なのかしらと思ってみて、手にある黄色く輝く石の指輪を見てしまった。
オリガは元気にしているのかな。
昨日の今日の出来事なのに離宮が懐かしくなっているみたいな感傷で真っ先にオリガを思い出した自分自身にびっくりして、つい苦笑いしてしまう。
「ビア様は、私たちが商会へお連れすると思ったのですか?」
チュリパちゃんが覗き込むようにして急に問いかけてきた。
「どうしてですか?」
図星を差されたからと言って、動じたりはしない。
「さっき、困ったように笑われたでしょう?」
「あ…、」
見られてしまった。
「そうです。ここへ来るのは初めてなので。」
言い訳をするわたしに、エベノズさんが振り返ってはっきりと言った。
「支度をしていませんから、今日はお誘いしません。ご安心ください。」
「そうです。お父さまの言う通りです。」
意外と計画を立てる人なんだね、と感心もする。昨日の夜もこういう話をきちんとしていれば、わたしの都合のいい日を参考に計画を立ててくれたのかななんて思ったりもするけど、わたしがしてほしいと思っていないから叶わない予定だったのだと思いなおす。
「感謝の宴を催すなら盛大にやりたいと思っているので、事前に支度をしたいと思っています。後見人となる関係なのですから、改めてご招待します。」
それはいらない配慮だなと思っても、一応礼儀として感謝は伝えておくことにする。
「ありがとうございます。」
「お楽しみにお待ちください。」
「ね、お父さま!」
胸を張って歩くエベノズさんと得意そうなチュリパちゃんはにっこりと微笑んだ。
お楽しみにお待ちしませんと心の中で呟いて、わたしは図書館の天井へと視線を滑らせた。
公国の公都にある国立の図書館は公国だけではなく集められるだけ集めた莫大な資料や書籍を管理している場所だったので、王国の王都にある図書館も確かに一番王国に関する情報が揃っているからあながちここへ来るのは間違いではない気がしてきた。
「この部屋です。」
エベノズさんが案内してくれたのは、1階の奥にある資料室だ。1周目でのわたしはシューレさんと何度か来たことのある場所でもある。
図鑑や地図などを扱う資料室の特性ゆえに大きなテーブルがいくつもあるので、いつもなら学生たちが自習のために集まる部屋でもあるのにわたし達以外にひと気はなく、司書の姿もまばらな図書館の中の窓際の通路を進んで、広いテーブルを囲んだ低い幅広の棚や図鑑の収まった棚に四方を囲まれた場所へとやってきた。
ここは、シューレさんと来たことが何度もあるから知っている。低い棚のいくつかの上には凸凹と山の隆起や川の流れや草原が再現された王国の模型が並べられていて、幅広の棚の中にあるのは何枚もの地図だ。
「少々、お待ちください。」
テーブルの前へとわたし達を留め置いて、エベノズさんは棚の中から何枚かの地図を持ってきてくれた。8人掛けのテーブルいっぱいに重なるように広げたとても大きな2枚の地図はかなり古くて、竜を祀る国・王国ならではの、竜の背から見た王国を俯瞰し作成した地図だ。もちろん持ち出しは禁止されていて、棚の上部には竜の彫り物が彫り込んであり、王国人にしか棚の中にある地図を手に取ることができない魔法が掛けてあったりもする。
王国人であるシューレさんが見せてくれた時、決して触れないようにとも注意されていたので、無意識のうちにわたしは手を背中に隠していた。
「この地図をご覧ください。」
エベノズさんが広げたのは、王国全体の簡略化された地図と、王都の主要な建物が描かれた地図だ。
どちらもシューレさんと見たことがあって、どちらもかなり古い地図なのだとも教えてもらっている。それぞれに先の大戦の後に作られた最新版の地図があるのも知っている。
シューレさん曰く、全体を把握するにはまずこの古地図で十分なのだそうだ。この王国の地図の作成は先の大戦の頃で、戦後に領の統廃合が進んだ現在の地図にはない失われた領の領都も記載されているけれど、『最新版だと旅には便利だけど増えた道や河川といった情報が多すぎて必要な情報を見落としがちになるから、重要な情報のみが記されているこの簡略化された地図に慣れてきてから最新版で細かく情報を収集し直せばいい』と笑っていたのが懐かしい。
「ここが今いる図書館です。」
こちらの王都の地図もざっくりとした道と主要な建物とだけが描かれていて、王都の中心よりも西北にある図書館の近くにあるはずの学校群や市場のようなこまごまとした店の情報など書かれてはいない。この地図にあるのは公共施設と神殿、貴族の公邸や騎士団の本舎や駐屯所、学術院と言った王都を支える施設だ。
1周目の世界でのシューレさんは、王都の探検をしている際に何度もこの図書館へとやってきてこの地図を見ては何かを考えて、わたしと一緒に探検を続けては何かに行き詰まってここへと戻るのを繰り返していた。
ある時、「何かを探しているの?」と聞いたわたしに、シューレさんは「ビアは気が付かないのか?」と驚いた顔になった。
「何を気が付くの?」
「ビアは私よりも精霊に近いのではないのか?」
謎かけのようなシューレさんの言葉に首を傾げていると、シューレさんは窓の外を指さして、「ほらあそこ、」と言った後黙って、「見失ったか、」と残念そうに言ったりもした。
「何がいたの?」
「昼間に見える星。」
「白い月じゃなくて?」
「ビアは星が好きだろう? 星座だって詳しいな?」
言われている意味が判らないし、何かを見損ねた不快さに不貞腐れていると、シューレさんは地図を片付けながら、「今度見つけたら教えようか、」と言って笑った。
星座は山奥育ちのわたしは父さんに教えてもらって知っている方だと思っていたけど、昼間に見える星が何を指すのかまでは判らなかった。
アンシ・シまでの旅の最中に見上げた夜空に星座を探して、「あれのこと?」と尋ねる度に、シューレさんは笑いながらわたしの指の差す星座を別の方向へと向けなおして「違う、こっちだ」と言っては揶揄って、正解を教えてくれなかった。
一緒にいた聖堂の先輩治癒師やコルは星座に疎いから、正解を教えてくれたってきっとわからないのになって思ったを覚えている。
「私の家はこのあたりです、ビア様。」
チュリパちゃんが大通りを挟んで東側にある春の女神様の神殿よりも南の辺りを指さした。各商団の拠点、いわゆる問屋街の辺りである。
「ここが大通りですから、ここをこう行くと聖堂の大聖堂があります。こっちへ行くと…、」
チュリパちゃんの指は当時すでにある大通りをまっすぐに南下して動いて、王都の出入り口からするりと抜け出ると、もう一枚の地図上にある王都へと飛び越えた。
「こちらの地図のこの道が街道になります。」
するすると動くチュリパちゃんの指を目で追うと、公国のある方向に立っていたクローネさんが国境と思われる位置へと指さして、「こちらへと街道は続くのです。ビア様もご存知ですよね、」と指を王都に向かって動かしながら楽しそうに言った。
「フォイラート公領ブロスチはここですから、ビア様はこちらから王都までいらっしゃいましたね?」
地図で言う王国の西に立つエベノズさんが、すっと沿岸のブロスチを指さした。
「そうです。」
「初めてお会いした時のビア様の巫女服はとてもとてもかわいらしかったのです、お父さま!」
指をゆっくりと進ませながらチュリパちゃんは顔を上げた。
「庭師みたいな服も悪くはありませんが、ビア様は聖堂の治癒師様の格好もお似合いになると思います。」
1周目で長く来ていた格好なのであまり愛着はない聖堂の支給服を知っているという反応をするわけにもいかない気がして、否定するでもなく曖昧に笑ってみる。
「ブロスチからでも公国からでも、街道を通る時に通り抜けてしまうような小さな領が私たちの領です。」
エベノズさんの指も、王都へ向かって街道を動いている。
「もしかして、エベノズさんは貴族なのですか?」
商会に属する王都人だから平民なのだと思い込んでいたけれど、よくよく考えれば商会に属しているからと言って役職がないとも聞いていないし、会頭ではないと言っていない。私たちの領と言っている事実と役職が会頭であるのなら、エベノズさんたち親子は領主家の人間なのだ。
きまりの悪そうな顔になってエベノズさんは、指を走らせてエベノズさんの方へと歩み寄ってくるチュリパちゃんを優しい眼差しで見つめた。
「妻の家系が、子爵なのです。私は傍系の出身の婿養子なので爵位は継げません。この子がいつか領に帰って、ギューマ子爵家を継ぎます。」
「おじいさまは私が成人するまでは死なないって言っていたから、私はそれまでは普通の子供です、ビア様。」
チュリパちゃんの指は目的地へと達したようで、ぐるりと輪をかいて止まった。
山の中にある街はミンクス領に隣接する北東の領だった。
わたしは、この街を知っている。
「私たちの領はたったふたつしか街がないような小さな領ですが、街道に近いですし、豊かな自然も暮らしもあります。山には神鹿も棲んでいて、塩水が湧くという不思議な泉もあります。」
「後見人となってご縁を得たのですから、いつか鹿が群れを成して野原をかけ踊る姿をお見せできたらと思います。王都に比べると誇れるものはあまりありませんが、とても美しい平和な光景ばかりがあります。」
知っている、と答えるのは傲慢に感じたから言わなかった。1周目でのわたしは、シューレさんとともに訪れてラフィエータと契約するとさっさと次の街へと出てしまったようなつかの間の訪問者でしかなくて、何度も目にしてきているチュリパちゃんに纏わる紋章がラフィエータに所縁のあるのだとも気が付きもしなかった。契約した精霊の暮らした領の紋章すら把握していなかったのだ。
「ビア様はあの地が好きになってくださると思います。ぜひ、いらっしゃってください。ずっとずっと、一緒に暮らしてみませんか。私たちがお守りしますから。」
嬉しそうに話してくれるチュリパちゃんを見ていると、わたしの身を純粋な気持ちで案じてくれているのだと伝わってきて言葉が無くなる。
わたしはこの子が慕ってくれているのが嬉しいし、この子を好ましいと思ってしまっている。
ラフィエータと縁をつながないつもりでいたけど、こんな形でつながってしまうとは思わなかった。ラフィエータの眼差しが、優しさが、チュリパちゃんやエベノズさんの好意に重なってしまって、拒めない苦しさを投げ出したくなる。
どうしようもなく胸が焦がれてきて、懐かしさに涙が溢れそうになる。
チュリパちゃんの肩越しに見えるのは、ラフィエータの棲む山に暮らす未来だ。
わたしは、未来を変えに来たんだって思い出す。
聖堂に入ったって、コルには会わないんだって、思いを強くする。
わたしは、コルを生かす。ラフィエータだって、シューレさんだって生かす。オルジュだって、必ず助ける。
今度は間違えたりしない。
「とても素敵ですね、」と言いながらも、わたしはどうやってチュリパちゃんを傷つけずに望まれている縁を断ち切れるかを考え始めていた。
間違った選択ではないはずなのに、心がとっても痛くて、とっても、苦しかった。
ありがとうございました




