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3 兄さんは、竜の血が流れている

 カイルが詠唱しながら平均台の上で演舞を踊り始めた気配を感じて、メルは体を逸らせ慌てて舞い始める。練習用の演舞は基本の型ばかりで成り立っている。

 ひとつひとつの動きは印と呼ばれる独特のポーズを流れるようにつなげたもので、踊っているように滑らかなので、バレエの動きやヨガの動きに似ているとメルは思う。

 基本を丁寧にこなすことで所作が流れるように美しくなり体が出来上がるので、毎日練習することに意味があった。

 この演舞は舞手が少しずつずらして舞うことで、同じ動きが重ならず組手が合わさることもなかった。演舞の流れを理解してさえいれば、先に舞い始めたカイルの動きを交わしながら踊ることも可能だった。平均台を使っているので足の運びは前後にしか動かず、慣れてしまえば無意識に足は平均台の上を前後に移動し続ける。


 予測不可能な動きがあるとすれば、犬たちが時々メルの足を触ったり齧ってくる。犬たちは元は野犬だったり旅人が置いていったりした犬だったけれど、マードックとシュレイザが躾けて飼いならした訓練を覚えさせた犬だった。どの子もすっかり人間に慣れていて、どの子もマードックの言うことをよく聞く勇ましい子たちだった。

 大丈夫、落ちたりはしない。大丈夫、いつも通り冷静に舞おう。


 同じ調伏(ちょうぶく)師で基本の演舞が同じでも、舞手によって出来る技が違ってくる。竜の調伏(ちょうぶく)は竜を使役し隷属させるか、竜と対等かそれ以上で契約できる関係になれるかで立場が変わる。

 メルが知っている限り最高の調伏は、竜に気に入られ人間でいうところの婚姻関係を結び、(いと)()と呼ばれる存在になることだった。(いと)()とは竜の魔力を分けてもらえた存在で、竜に愛着され大切に守られる人間のことだった。愛し娘となり竜の子を産むことが出来れば、得意能力を受け継いだ子供を得られ竜を愛情で支配することが出来る。

 もちろんそんな人生を賭けたやり方をしなくても、呪文を詠唱しながら呪符を手に舞い魔法陣を描く演舞が効けば、竜の名を得て心を得ることが出来、竜を使役できるようになる。使役できるようになった竜が一族の長だった場合は、一族の竜全体を使役できるようになるのだ。

 カイルは詠唱する呪文をいくつかもうすでに習得していて、メルとは別格だった。詠唱する歌の内容によってさらにできることが違うのだから、メルは羨ましく思いながら聞いていた。

 メルはいつか正式に詠唱を教えてもらえる日が来るのをとても楽しみにしていた。

 メルはまだ正確な詠唱の呪文を教わってないけれど、何度も聞いているから全く知らない訳じゃない。カイルの歌う詠唱を何度も聞いて覚えてしまっているものもあったけれど、使い方や効果を知らないだけだった。

 詠唱できるのとできないのとでは竜との向き合い方が違ってくる。詠唱をまだ正確に知らないメルが実戦でできるのは、竜をヒト型に変える魔法陣を描くことができる、ただそれだけだった。


 胸元に、カイルの手が風を切った気配がする。


「メル、動きが遅い。考え事をするな。」

 演舞は呪符ではなく剣を手に踊れば剣舞となる。メルたちは剣を手に取らないだけで、鋭敏な動きで易々と殺傷することが出来た。爪を伸ばせば人間の髪の毛や皮膚くらいなら割くことだって出来る…。

「ごめん兄さん。速さをあげます、」

 メルは意識して数秒動きを早くする。ふたりは腕を優雅に回し、台の上で足を挙げ、腰を捻り、くるくると上半身を回転させ、足を回し、ぶつからないようにお互いの流れを感じながら舞った。


 いつにもまして真剣みを帯びた熱量がメルの近くで舞っている…、兄さん、いつもと違う…?

 何かマルクトであったのだろうか。兄さんは単独で魔物の討伐も請け負い始めていると父さんは怒っていた。勇者のまねごとをするなとも言っていたし、まだ若いし未熟なのだから無理をするなと心配もしていた。

 竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)は何人かで一緒に行動する。詠唱している最中に魔物に襲われないようにするためだった。なのに、兄さんは一人で動いていると聞いた。


 兄のカイルはメルの父のラルーサの姉の竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)・クリスティナの遺児だった。火の竜の(いと)()になり子を身籠り、産後で弱っているところを妬んだ魔物に襲われて亡くなったと聞いていた。すぐに火の竜は魔物を殺すと怒りに任せて近くの山や森、村まで焼いてしまった。どさくさに紛れてメルの父のラルーサがカイルを抱いて逃げなければ、カイルも半狂乱の実の父親の手にかかって命を落としていたかもしれなかった。


 半竜だとしても、竜に変身する気配のない兄さんはほぼ人間だもの、過信は禁物だわ。メルは思う。せめて、私が兄さんと一緒に組むことが出来たら。兄さんの背中を守れたら。


 シュンと、殺気が走る。手刀がメルの髪を少し切ったのか、パラパラと前髪が鼻の上に乗った。


「兄さん!」

 メルが咄嗟に叫ぶと、カイルは「すまん、」と数歩、演舞には元来ない動きで後ろに下がって、メルと距離を置いた。

 兄さんなら術で縛って隷属の方をやれるかもしれない。兄さんは男性で、調伏して、(いと)()になるか、力で押さえつけて使役して隷属させるかになるけど、使役する方を選びそう。

 火の竜を探しているから単独で行動しているのかな、とメルは思う。この付近一帯を活動範囲にしていた火の竜の集団は、あれ以来、居住区を北の方角へとずらしてしまっていた。空を飛んでいる様子すら滅多に見かけない。近くに住むのは移動してきた地の竜の集団と、近くの湖水地方に古くから住む水の竜の集団だった。


 演舞の最中だと言うのに不意に、靴の上を踏む重さ、鳴き声、道着の上から伝わる暖かさ、ワンワンと鳴く声が、異常に近い位置に感じてしまう。犬が一匹、空いた間合いに割り込んで台の上に飛び乗り、メルの足元へと駆け寄ってきたのだろう。

 ダメ、見えないから踏んでしまうわ、メルが躊躇して立ち止まりかけたとき、マードックの声が割って入った。パンパンと手拍子で合図する。


「演舞止め。カイル、メル、いったん休憩じゃ、」

 息を切らしてメルは立ち止まると、目隠しを取った。足元には柴犬が、嬉しそうに舌を出してメルを見上げている。「お前、ケガするからこの台には上がっちゃダメよ、」と言いながら犬を抱きかかえて地面に降ろしてやると、他の犬たちがメルの足元に嬉しそうに吠えながらやって来た。次に抱っこしてもらうのは自分だと言わんばかりに、メルを囲んで尻尾を振って愛想を振っている。

「じいちゃーん、どうしようー、」

「休憩じゃ、カイルも相手をしてやれ。その犬たちがおらんと稽古にならん。可愛がっておかんと、いい働きをしてくれんからな。」

 そう言うとメルに犬笛を渡し、マードックたちは家の中へと入って行った。


 ※ ※ ※


 台の上に座り汗を道着の袖で拭いながらメルが犬たちを撫でてやっていると、カイルが手水鉢から柄杓に水を汲んできてくれた。

「メル、飲め、」

「ありがとう、兄さん」


 柄杓に直接口を付けて飲む湧き水は冷たくて、前世元日本人のメルからすると沸騰して煮沸させた水じゃないと怖くて飲めないわなんてちょっとは思ってしまうのだけれど、ごくごくと喉を鳴らして平気に湧き水を飲めてしまっていた。今までおなかが痛くなったことがないからかもしれない。


 飲み干し空になった柄杓をカイルに手渡すと、カイルはじっと黙ってメルを見つめていた。カイルの瞳は不思議な色をしていて、角度によってやや赤みがかっているように見える黄緑色だった。髪の色も、茶金髪というよりもこげ茶色に近い。南方の公国に住む者たちはこげ茶色の髪に青緑色の瞳の色をしていると言うけれど、カイルのような瞳の色をしている者はそういないだろう。


「なに?」


 メルはカイルを見つめ返した。いつの頃からか、カイルはあまり話をすることはなく、いつの頃からか黙って考え込むようになっていた。察してほしくてそんな態度なのか、言いたくなくてそんな態度なのかはメルには判らない。だからメルも、カイルに対して無口になってしまう。


「…メルは、女の子だ。」

「…そうだね。」

 だから何だと言うんだろう。男よりも劣るとでも?

「私が竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)を継ぐから、レイラのようにこの街から離れろ、」

「どうして?」

「勇者と名乗った者たちが本当に勇者なのかは、結果を見た後の世の者が決めることだ。実際はただの無法者だ。そう思わないか?」

 ドラドリをプレイしているとき、前世のメルは勇者の立場だった。そんなことを考えたことなどなかった。

「無法者?」

「そうだ。父さんの店に来る勇者たちは飲み食いした代金をどうやって払っていると思う? 倒した魔物が持っていた宝石や金貨だ。だが、その宝石や金貨はもともと人間が奪われたもの、違うか?」

「…違わない。」

「それは、盗賊と何が違うというのだ、メル、」

 メルはカイルの真意を確かめようと表情を読もうとした。カイルは澄ました顔で、何の意図も見えてこない。

「兄さん、でも勇者って、月の女神さまの神殿で勇者となる誓いを立てた人たちなんでしょう?」

「ああ、そうだ。」

「月の女神さまとの誓約は厳しくて、『汝、親を泣かすなかれ、神に背くなかれ、子を泣かすなかれ、』の3原則が守れないと大変な目に合うのよ。兄さんだって知ってるでしょう?」


 月の女神の神殿で勇者の誓いを立てると、特別通行許可書とともに鉅の指輪を薬指に嵌めさせられ3原則を守るようにと戒めを受ける。

 正義を愛する月の女神の3原則である『汝、親を泣かすなかれ、』とは先祖に恥じる振る舞いをするなという意味で、窃盗や強盗、殺人などの犯罪を犯してはならないという規約があった。

『神に背くなかれ』とは、女神は制約を立てたものを監視していて、破ると薬指の鉅が締め付けて指がもげ落ちてしまうという警告だった。この世界では結婚する際に結婚誓約書とともに指輪の交換が義務付けられているので、薬指がないと結婚は実質できなくなる。

『子を泣かすなかれ、』とは、薬指を無くすと結婚できなくなるから、子を得たくても結婚が認められない以上婚外子しか持てなくなるので、不憫な思いを子にさせぬために慎重に行動せよという忠告だった。

 勇者はどんな人物でも月の女神の神殿で誓さえ立てればなることができたのだけれど、勇者の誓いを返上して特別通行許可証と鋼の指輪を返さない限り、勇者をやめることはできなかった。言うなれば、勇者は結婚したいならならない方がいい職業であるとも言えた。


 カイルは、だから何だ、とでも言いたそうな顔つきになって、メルを見つめた。

「盗賊は何でも奪う。」

 カイルはメルの一房分だけ短くなった前髪を指で摘まんだ。

「すまなかった。でも、剣で同じことをされたら、メルは命を奪われるだろう。…違うか?」

 頭が割れて死ぬでしょうね、とメルは思ったけれど、言葉には出さない。


「私はただの町娘だもの、大丈夫よ、」

 シナリオに死を書き込まれていない存在ということは、自分の選択次第ではゲームが崩壊する日まで生き続けることができるのだろうとメルは思っていた。勇者たちがハッピーエンドにゲームをクリアしてさえくれれば、天寿を全うできる存在だろうと思う。


「私たちの家は酒場だ。酒に酔った者たちが何をしでかすかなんて、された後でないと判らないのではないか?」

「それでも…、今までどうにかなってきているじゃない。」

 カイルはメルが抱いていた先程の柴犬がしっぽをふりふり靴の上に前足を置いたのを見ると、抱き上げ、「私は、検問所が街の入口に設置される前に王都へ出る。夜、あの家を守る者がいなくなる、」と呟いた。

「兄さんは、王都ヴァニスへ行ってどうするの?」


 この街は月の神殿のすぐ近くにあった。木々に囲まれた田舎町で、ゲームで言うところの、はじまりの村の隣町でもある。どうしてこんな物騒な時期に。メルの表情は険しくなる。


「じいさまの師匠が亡くなる前に会っておきたい。」

「えっと、ライル将軍だったかな。王都にいる軍部の将軍だった人。」

 メルは祖父のマードックが、若い頃に竜の討伐軍に竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)として参戦した時のことをいつか話してくれたのを思い出していた。

「今回の勇者と名乗る無法者たちが増えている事態を、ライル将軍は憂いて王城に箴言されているらしい。私も、勇者と名乗って金品を要求して家を荒らす者たちがいる状況なのは許せない。」


 家を荒らす…。


 カイルの真剣な表情に、メルは閃くものがあった。


「兄さん、頼みたいことがあるの、」


 メルはカイルを見つめて静かに言った。ここから領都マルクトへは馬車で数時間ほどの距離だけれど、王都ヴァニスへは馬車を上手く乗り継ぐことが出来ても一週間はかかる距離だ。


「王都に持っていってほしいものがあるの、いいかな、」

 カイルはメルの顔を驚いたように見つめて、静かに頷いた。

ありがとうございました

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― 新着の感想 ―
[良い点] 冒頭からびっしりと書かれた地の文と細やかな設定で、かなりしっかり書かれた小説という印象です。 竜と妖という、不思議な世界観がいいですね! [一言] 高坂さん、はじめまして。 なろうは文体…
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