47、番外編 ブレットの物語 夜を歩く(上)
僕は夜の道が大好きだ。
特に、夜陰に紛れて野犬の遠吠えを聞きながら、月に向かって日中楽しかったこと思い出しながら歩くのが大好きだ。無心になって歩いていると、習慣なので道に迷ったりもせずにいつも通りの道順でいつの間にか店に戻ってしまうのだけれど、楽しければ楽しいほど注意が散漫になって道に迷う。道に迷えば迷うほど新しい発見があって、見慣れた街の意外な姿を見つけたりもするし得をした気分にもなる。辿り着いた先の先の民家の月明かりに眠る人々の寝顔を覗き見て、歩き疲れて明け方近くに店へと戻るのが理想という王都に来てからの習慣だ。実際には歩き疲れる前に店へと戻ってしまうから、そんな夜を味わったことなどないけど、今日は行けそうな気がする。
ちなみに僕の匂いの集まる店はどんなに離れていても判るから、どんな悪条件でも店へと必ず戻れるので心配はない。僕の先祖に何種類もの山に暮らす精霊が混じっていて僕の体の中でいろんな特性が混じりあった結果、普通の人間よりは鼻が利くのは僕の個性の一部となった。
今日はあの子と別れて店に帰った後、ロディス様と通信して無事に宿屋に送り届けたことを報告したら、大層お喜びになった。とても褒めて貰えたから嬉しくて、明日店に持ち込まれるはずの荷物の一覧を確認する作業もいつもよりも早く終わった。
店を閉める時間がいつもより遅かったから気分を変えたかったってのもあるけど、着替えて出かける準備をしていた時余韻に浸りたくて棚の影に隠してあった芋酒を一口だけ呑んでみたから、今はもう楽しくて仕方なかったりする。しかも夜食がてらに干し肉をポケットに突っ込んできている。取り出して齧り取って、星を数えながら噛むのも楽しい。
月はまだだ。王都の夜の空にある星は、僕が幼い頃暮らしたウィーネ辺境伯領の山里よりも数が少ない。若い頃を公国の公都で過ごして学を積んだ父ちゃんは、線でつないでいくと絵になるんだって教えてくれた。僕は父ちゃんがじいちゃんって呼ばれる頃に生まれた遅い子だ。父ちゃんは僕が働き始める前には輪廻の輪へと戻ってしまった。
いつだって僕の心配をしてくれた父ちゃんと一緒に星空を歩く夜の散歩が僕は好きだった。僕は、今日はとってもいい気分なんだよ、父ちゃん。
「今日は楽しかったなー、」
つい、声が出ちゃった。
今日は、青い目をした金色に輝く髪の半妖の女の子が王都の僕の店にやってきた。
初めて実物を見る、だけどいっぱい話は聞いている、噂の女の子だった。
ロディス様は大切なお得意様だと言っていたし、レオノラさんは特別な方だから気を付けるようにと教えてくれていただけあって、名乗ってもらった時びっくりしすぎて本物だって叫びそうになって我慢したら反応が止まってしまっていた。きっと僕の印象は最悪だ。
あの子は、レオノラさんが言うには『冒険者の1周目の未来』ってのに関係があるらしくって、ロディス様や商会とはとってもややこしい関係らしい。説明してもらった話だと、ロディス様ご本人はあの子をご存知ではないらしいけど、あの子はあの子の『冒険者の1周目の未来』でロディス様や僕たちと巡り合っているから一方的に知られている関係なのだと、ロディス様はご自身の経験からそう推測されたのだそうだ。
冒険者の知る未来は予言とも呼ばれていて、外れることもあるけど当たると儲けが大きいとされている。冒険者になるのをご自身の『1周目の未来』を知って諦めたロディス様は、未来を知る冒険者が利益を持ってやってきたとお考えになり、あの子の提案に僕たちの商会の命運を賭けたのだそうだ。
満月となる度に薄れ消えていくとされる『1周目の未来』の記憶をロディス様に語ってもらい書き留めていたレオノラさんによると、ロディス様の『1周目の未来』では、あの子は登場しなかったらしい。
噂に聞いていたあの子は、想像していたよりも小さかったし、何より、子供だった。精霊の愛する国・公国人だけあって半妖って偏見を持たずに僕を見てくたのはさすがだなって思ったし、僕が女装しても驚かなかったのはさすがだと認める。一緒に皇国人の店に入っても怖気付かなかったし、独特の風味があるはずの皇国料理も嫌がらなかったのも子供の割には度胸が据わっているように見えた。欠点があるとするなら、ちょっと無防備すぎて危うい感じがした。
明日には王都を出発されるそうですって伝えた時、ロディス様は早めに応援をよこすと仰っていたから、この先、あの子の安全は問題ないと思う。なんでも「とても価値のある方だから、必ず面倒ごとに巻き込まれておしまいになる。練り香の調合法がある限り利益は確保されていても、ビア様が活躍されてこそ値打ちが上がる」からロディス様は対策を取るらしい。王都を出た後を尾行して見守る行商人役に扮した工作部隊がビア様につく作戦だってレオノラさんが補足していたから、僕としても利益を生むあの子を得体の知れない王国人に横取りされるのは気分がよくないから早く到着するといいなって思う。
工作部隊はうちの商会の中での精鋭の集団で、基本的に攻撃系の魔法が使える戦闘に向いた体質を持つ者が選ばれる。彼らはロディス様の耳であり目でもあるから社交的で諜報能力が秀でてもいる。隠密行動が得意な僕にはちょっと無理だけど、一緒に旅に出るのはちょっとだけ羨ましいなって思うんだ。僕は代わりがいないから、きっとずっと王都にいる。
ロディス様の配下のほとんどは人間で、まれにいる半妖はたいてい夜行性で、昼間活動をする人間と対になって活動するように配置されている。支店を任されているのは半妖が多くて、諜報能力に秀でた社交的な人間がさらに必ずひとり補佐役としてついているから基本的には3人で仕事をしている。王都支店を任されているのは僕だけなので、僕の状況だけは他の支店とは形態が違う。というのも、商会で扱う品の販路が王都に被らないというのも理由のひとつではあるけれど、僕の先祖の多くは夜行性の性質を持つ野に棲む精霊で同時に人間の性質も色濃く受け継いでいて昼間でも活動でき、王国人には珍しく魔力を持ち簡単な魔法も使えるからだ。
だからこそ、王都周辺では僕だけがあの子を知っている。
あの子はとっても特別なのに、とっても普通だった。価値がある、秘密の存在だ。
楽しい気分に鼻歌を歌いたくなって、歌詞が思い出せないからせめて旋律を奏でたくなってくる。口笛で代用しかけてつい「ぴゅいーっ」と吹いてしまって、慌てて口を噤む。いけないいけない。僕の先祖の特性が僕の体の中に混じりあった影響で、僕が口笛を吹くと凶事が必ず起きてしまう。
こんな楽しい夜なのに、つまらないことは起こってほしくない。
自慢したくなる衝動を息を空に向かって吹き消しながら歩いて、ぐるぐると街を回っているうちに、ふらりと行き着いた地の精霊王様の神殿の近くの角を曲がる。この辺りはちょっと特殊で、夜になる度に地の精霊王様の神殿に集まってくる精霊たちが街を作り替えている。空間が歪んでいて夜の闇のあちこちに隠れ家が押し込まれているから、昼間に来る時と街の顔が違う。僕は一応人間でもあるから、重なり合う道を魔力を持って道を見極めて意識して人間の道を選んでいるから間違えずに済むけど、魔力を持たない人間が歩くと惑わされて取り込まれてしまう危険な道だ。
犬が吠える声と叫び声と悲鳴とが聞こえてきた。人間が、夜の闇に惑わされて迷い込んだみたいだ。あの悲鳴、女の声じゃない。男の声だからほっておく?
さて、どうしようか。
この辺にいるのは犬になってしまった精霊たちだったかな。
地の精霊王様の神殿の中にいる者たちよりも、未練が捨てきれなくなくて中へ入れず周辺で暮らし始めた精霊たちの方が厄介だ。個人で動くのが好きな者たちはいつしか偏屈になってしまいには身勝手になっていく傾向があるから関わらない限り安全だけど、とりわけ同種族で集まって魔力や体力を温存するためにひとつの体に寄生したりもする者たちは、妙に行動力があるし方向性がまとまっていないから一か所に留まらず意思疎通がままならなくて攻撃的だ。
通りの向こうから近付いてくるふたつ首のあの犬の精霊も野良犬の体に犬に似たいくつかの野に棲む精霊が寄生した結果の共同体なので、できれば遭遇しても目を逸らした方がよい存在だったりする。
意識して目を合わさないようにして自然に素通りすると、向こうも僕を避けてくれた。
機嫌よくハッハと息をあげながら軽快な歩調で去っていくふたつ首の犬の、ちらりと見えただらりと垂れた舌からは血が滴っていた。あたりに漂って残るのは生々しい血の匂いだ。
凶事が起こっちゃった気がする。呻き声はこの先から聞こえてくる。
ま、僕の身に起こったわけじゃないからいいか。
人間っぽいのが地面に転がってて、怪我だらけなのはふたつ首の犬がやったからなんだなって思いながら、僕は見捨てて通り過ぎようと歩いた。生臭い血の匂いと、酒瓶でもぶちまけたみたいな匂いがする。血まみれの頭は3つあるし、どいつも混じりっ気のない人間みたいだから3人か。剣士っぽいけど、犬に負けたのか。程度が知れている剣士だな。
「助けてくれ」
足音は聞こえていないはずなのに、見つかった。僕は治癒師じゃないから何もしないまま通り過ぎてしまおうかと思ったのに、足首を掴まれてしまった。ああ、騒ぎを聞きつけた民家が灯りをつけたからか。振り返って明かりを見つけて腹立たしくなる。余計な真似を。
「おい、お前、助けて…、」
「うう。うう…、ううう、」
引き摺って歩くのも面倒なので立ち止まる。
3人とも生きているし、相当飲んでいるようで呻いている息が酒臭い。酒瓶じゃなくて、胃袋に酒を運んでいるみたいだ。どいつもまだ元気そうだ。酒の酔いが回っている間は痛さが我慢できているのなら、明け方までは持つだろう。
「おい、アンタ、人を呼んできてくれ。」
僕も一応ヒトだけど。
「仲間がこの先の市場の宿に泊まってるんだ、マルベリーっていう店、わかるだろ?」
「そこに俺たちの仲間がいる。」
「う、ううう…、」
呻いている男が指を差している方向を見やると、市場の方角なのだと判る。
ぬるぬると血に塗れた手で掴まれている足首の感覚が気持ち悪くなってきた。
「手を離してくれたら呼んできてあげてもいいですよ。」
「そう言って逃げる気だろ、」
「仲間を呼んでくれたら放してもいいが、なあ、」
「う、ううう、ううう…、」
人を信用していないのに人に頼むのか。めんどくさいなって思った表情がこいつらには逆光で見えないのは助かる。
「報酬は弾む。だから、頼まれてくれ。」
「な、悪い話じゃないだろ、」
こんな時間に犬に喧嘩を売って負けるこいつらの仲間が良心的な仲間だと思えないだけに、僕にとっては悪い話でしかないんだけどな。このままこの手を切り離してしまった方が早そうだ。
「やけに細い足だな、女か、」
名乗らない、もう一人の男にまで足首を血まみれの手で掴まれてしまった。思わず背中に悪寒が走って身震いしたくなる。
「違います。」
答えたのに放してくれない。
「おい、引き受けろよ!」
いきなり、呻いていた男が怒鳴った。もしかして呻いていただけの方が印象が良かったんじゃないのか?
「聞いてるのか!」
荒っぽいやり方で自分達に従わせたいみたいだ。
金銭のやり取りをすれば交渉成立になるのか疑問だけど、交渉したと見せかけこの場から逃げ出すのが最短なのかもしれない。
「いくら出しますか?」
「宿屋の、仲間に、『言い値を出すと言っていた』と伝えてくれ。こいつが、俺らのリーダーだ。な、」
リーダーって言われて指を差された男は呻いてばかりで一番弱そうなんだけど、こいつが?
だいたい、名前も知らない男たちの救援を名前の判らない仲間にどうやって伝えるんだろう。
「アンタの名前は?」
一瞬躊躇った後、別の男が名前を教えてくれた。
「ソムだ。」
「アシミノっていえば判る。な、頼まれてくれよ、」
「宿屋に行くだけですから。」
僕が確認すると、やっと捕まえていた足首を離してくれた。血なまぐさい。ああ、嫌だ。
「行って来ますから、待っていてください。」
追いかけてくるんじゃないぞ。
「裏切るなよ、お前の顔は覚えたからな。」
ふたりして見上げてきた顔は、どちらも『助けてほしい』っていう懇願じゃなくて『お前も道連れにしてやるぞ』って傲慢さが見えて、悪意しか感じられなかった。
脅し文句だって頭のどこかではわかっていたけど呪いの言葉に瞬間的に体温が上がって、僕の毛穴という毛穴から魔力を含んだ体液が吹きだした。
人間の眼には見えない霧のような誘引香だ。僕は体質的に、感情が爆発すると魔力を含んだ変な汗をかいてしまう。先祖のどこかで混じった精霊の特殊な性質を受け継いでしまったようだって同じ体質の父ちゃんは言っていた。おかげで、父ちゃんは若い頃、公国の魔法使いに騙されて誘引香を作るための実験動物として飼われていた時期があったんだそうだ。
バレない様に気を付けないと父ちゃんみたいにひどい目にあうんだぞって言われて昔は自分の体質に悩んだりもしたけど、実際にはこの汗には個人差があるみたいだ。僕の汗の威力は大したことなくて、せいぜい精霊よりも魔力も体も小さい妖精が集まってくる程度の威力しかない。
僕たちの眼には黄色い煙のように見える汗の霧は、倒れている男たちに降りかかるように広がって、馴染んで消えた。
じきに、妖精を呼ぶ誘引香の性質を持つ汗の影響で周囲に潜む妖精たちが集まってくるだろうけど、たいしたことはないだろう、多分。
「わかった、」
「頼む。」
「戻って来いよ!」
市場に向かって歩き出した僕に向かって、3人のうちの誰かが舌打ちしたのが聞こえた。
ありがとうございました




