38、颯爽と登場する天下の魔法使い
※ 残酷な描写があります。お気を付けください。※
「何をすればいいんだい、ビア、」
尋ねるシャルーは本当は自分の中に答えを持っていそうな顔つきだ。
「オリガを助けてほしいの、」
万年青であるシャルーが戦うには具体的には何をするのがいいのだろうって考えてみて、わたしはほとんどシャルーの能力について知らないのだと思い知る。珍しい絶滅種で毒草なのだというぐらいで、蔓状に茎が伸びるのと、ヒト型を維持できるほどに魔力を持っているというぐらいしか情報がない。戦うのではなく、守る方向で考え直してみる。
「どうやって助けるの、僕、戦ったことないよ、」
シャルーが指さす向こうには、門より先に進むのを諦めて足元に置いた朱色の棺桶を身を挺して庇うトマスさんや従者たち、魔物と戦う騎士の姿が見えた。
わたしの頭の中に浮かんでいたのは夜の果樹園の中でクアトロを正気に戻した荒療治でもあるけれど、やってほしいのは別のことだ。シャルーはこの場にいる一番元気な魔力を持つ者だと判断していた。わたしは回復しつつあるとはいえ、まだまだ自覚している最大量の半分の半分以下しか魔力は持っていない。カチアさんや怪我人の回復をどれくらいできるのかだって怪しい。
「シャルーにできるやり方でいいから、わたし達を守ってほしいの。」
草木を宿木とする精霊が得意とするのはその宿木を生かした攻撃や防御で、宿木を持つ精霊に共通するのは強い警戒心と絶対的な保身だ。
地属性の精霊本来の能力は地の精霊王ダール様の眷属として主様の御業に近い。『地鳴り』や『山揺れ』と言った地属性の魔法使いが使う魔法は大妖であれば習得済みだ。
少年に見えても実際は老獪な精霊であるシャルーは、王都の守護精霊オリガや果樹園の主であり妖の道を守るクアトロに比べると能力が劣るのだろうけど、離宮の古株として土地を掌握している可能性がある。精霊は契約しているからと言っても利用されるのを嫌うから、わたしが把握していない情報はあえて見せないと思えた。
わたしができない指示を出しても近くなるように努力で差を埋めてくれるという関係だから任せて置ける、と言える程、シャルーとはまだ親しくもない。
「この離宮の、門の付近一帯を、シャルーの支配下に置ける?」
曖昧な指示をわざとして、シャルーの顔色を伺う。左眉が上がり、片目がきらりと光った。
「できるけど、どうして?」
「門から侵入する者を退けたいの。」
正確には、門から魔物や盗賊団ギルドに今侵入されたら誰も太刀打ちできる気がしないからそうなってしまう事態は避けたいから、というのが本音だ。
「門って、あの塀の大きなドアが開いている場所のこと?」
「そう、あのドアが門。門が開けっぱなしだから、見えちゃうし聞こえちゃうんだよ、」
シャルーはこれまで人間の暮らしの傍にあっても、その仕組みや仕掛けが何なのかをわからないまま過ごしてきているのだろうなって思えたから諭すように話してみると、シャルーは「あれって、閉まっているのが普通なんだって思ってた」と話してくれた。
「あの門があったから、僕は守られていたんだね。」
なかなか理解が早い。
「そうよ。だから、シャルーも守ってほしい。一時的でいいわ。オリガが落ち着くまでの間でいい。この場所を守ってほしいの。」
シャルーはわたしの顔をじっと見た後、興奮し攻撃し続けるカチアさんの腕の中のオリガへと目を向けた。
わかってくれるといいなと思うけど、きっと、伝わったはずだ。
「ビア、石を貸してくれる?」
「ん?」
石って、魔石?
シャルーはお使いのご褒美でも貰う子供な態度で、わたしに向かって手を差し出した。
「ビアが琥珀を貸してくれたら頑張る。」
「頑張るって…、」
「くれなくていいから、必ず返すから、貸して?」
言い切る以上、貸した魔石を『やっぱり気が変わったから欲しい』って言わないんだろうなって思うし、どうして『欲しい』って言わないのかが気になるけど、わたしはポケットからハンカチの包みを取り出して、黄水晶や黄色く輝く石の指輪と一緒に包んであった琥珀をひとつ取り出して、シャルーに渡した。
「これでいい?」
「ありがとう、ビア。信頼してくれて。」
「どういたしまして。シャルー、任せてもいいの?」
「大丈夫だよ。見てて?」
手に琥珀を握り駆け出したシャルーは、離宮の門とお屋敷との中間のあたりに立つと琥珀を握った手を門に向かって地面から何かを持ち上げるような仕草で突き上げた。
地響きがして、馬車寄せに集まっていた誰もが立っていられなくなった。足を開いて耐えたわたしがそれでもふらつきシャルーを見守っていると、早々にマルソさんやサーヴァさん、執事たちは覆いかぶさるようにしてカチアさんとオリガを守っていて、侍女たちはお互いが身を寄せ合うようにしてしゃがんでいた。
シャルーの足元の地中からムクムクと起き上がった青々とした蔓の大群が、門に向かって波打つようにして地を這って、飛びかかるようにして持ち上がりお互いに編み込まれて行って、門を塞ぐようにして聳え立つ壁へと形を変えた。
ずっと見えていた門の向こうの戦闘の様子は遮られてわからなくなり、音さえも封じられて、微かな剣の交わる高音や悲鳴とだけが残った。
立っているのはわたしだけだったので、衝撃から身を挺してオリガとカチアさんを守る人々やしゃがんで庇いあう侍女たちの様子を一目で把握できた。お屋敷の中にいるはずの奥様や奥付きの侍女や厨房で働く人々が中から出てくる気配はない。
壁の向こうの戦闘という危険から分断されたのだ。
ひとまず安全になったのだとほっとした瞬間、シャルーが腕を回して「仕上げをしないとね、」と弾んだ声を出した。
「ビアー、門が閉められるように、邪魔なものも押し出すね。」
波打つように蔓の大群がうねってしなって壁が門へと向かって動いた気がした。地鳴りとともに、悲鳴や怒号が漏れ聞こえてきた。
「シャルー?」
何をしたの、まさか、朱色の棺桶を守るトマスさんたちを戦闘の中心へと押し出したの、
驚愕するわたしを振り返ってニヤッと笑って、シャルーは「さ、これでもう門は閉められるよ? 何しろ門の敷居の上にあったものはすべて外へ出したからね」と楽しそうに言った。
しゃがんでいる者たちは唖然としてシャルーとシャルーの作った壁を見ていたから誰もわたしを止める者などいなかった。これは好機だ。今のうちにとばかりに急いでわたしは走り出していた。
あれじゃまるで、わたしが退路を断ってって頼んだのと同じだわ。
どうかトマスさんたちが無事でありますようにと願いながらシャルーを追い越して、わたしは門の前へとできた壁へと向かった。
※ ※ ※
ぴったりと塀にくっつくようにシャルーの蔓の壁があったわけではないのもあって、覗き込んで壁と塀との隙間から外の様子を伺った。半人魔鳥やワイバーンといった翼を持つ魔物達は人里ではよくいる魔物ではあるけれど、盗賊団ギルドとともに行動しているのは妙な気がする。
完全に敷地の外へと押し出されてしまっているトマスさんや従者たちは、まだわたしがいると気が付いていない。トマスさんが抱きしめるようにして朱色の棺桶を守っていて、他の者たちは剣を手に戦っている。
王都の騎士団の所属の4人いる警備の騎士はひとりが負傷して後方で治癒の魔法を受けていて、3人が前列で健闘しているのだ。
トマスさんの従者たちには剣を取る者と、魔法で支援する者たちとがいた。後方にいるトマスさんの従者の中には呪文を唱えて地面に大規模な魔法陣を描いている者がいて、その傍では別の治癒師らしき従者が賢明に回復の魔法を唱えているのも見える。特に支持もなくお互いに補佐しあっている様子から、近しい仲間なのだと判る。もしかするとトマスさんは朱色の棺桶を運ぶ従者に冒険者の小隊を雇っているのだと思えてきた。
「応援はまだかッ!」
トマスさんの叫び声に、騎士のひとりが「しばしお待ちを!」と律儀に答えていた。
「騒ぎを聞きつけた周辺の貴族の公邸から応援が来るはずです。それまでは耐えてください。」
「誰か呼びに行かないのか、」
トマスさんの質問には、誰も反応しなかった。誰も、剣を交えている相手に隙を見せまいとして必死なのだ。
代わりに、盗賊団ギルドのひとりが「行けるもんなら行ってみろ、行かせないからな」とせせら笑った。
わたしなら、行けるかもしれない。
シャルーの蔓の壁との隙間から出ようとして、どうやっても半身しか通れないのだと判り無理やりに蔓と蔓の編まれた壁を動かそうとするけれど、触った個所から枝が判れて新たな蔓が伸びてきてしまったので、余計に出られなくなってしまった。
触れば触るほど、蔓草が枝分かれする。どうなっているの?
突然、上空に向かって、地面から放電しながら竜巻が起こった。地面に大規模な魔法陣を描いていた魔法が完成したのだ。
『竜巻』だ。天高く巻きあがる暴風に、空中から攻撃していた翼を持つ魔物達が断末魔をあげて消し飛んだ。
パラパラと魔物が消滅した証拠の砂が風に舞って、あとから小さな輝石がいくつもいくつも落ちてくる。
砂煙の中に残っている敵は、盗賊団だけになっていた。
「うおー!」と歓喜と気合の掛け声をあげて、騎士や従者たちが、剣を手に砂煙の中へと突進していく。
あの従者は風属性の魔法が使えるんだと感心していると、ひょっこりとわたしの隣にシャルーが顔を覗かせた。
「すごいね、あれ、」
「シャルー、あの場所を離れて大丈夫なの、」
「平気だよ、これ、ビアに返すね、」
手渡された琥珀は、欠けてもいないし溶けてもいない。
「もういいの?」
「うん。もういいんだ。アレを触るのには石がないと火傷しちゃうから、ちょっとだけ借りたんだ。」
アレと言って指さした朱色の棺桶は、トマスさんの背で隠れていてしっかりとは見えない。わたしがいる位置がトマスさんからは死角なのでトマスさんから見えていないのと同じだ。
「触ったら、火傷するの?」
精霊だからなのかな。
「アレは魔除けの呪いだらけだから、僕も魔除けを使ったんだよ?」
シャルーはにっこりと笑った。
退魔師が退魔術の魔法を使う時に補助的な役割として用いる琥珀の魔石には確かに魔除けの効果はあるけど、人間からして魔性の存在である精霊が魔石として使う時に魔除けの効果になるとは思えない。単純に地属性の効果を秘めた魔石として『属性の強化』だけな気がする。
「シャルーは、そんな石を使っても大丈夫なの?」
どういう意味なのか追求してみたくなる。
「もちろん。僕は特別な精霊だもの。」
笑っているシャルーの発言は明るくてはったりだとしても冗談には思えなくて、わたしにはとても不思議な言葉の選び方に思えた。
砂煙が落ち着き目が慣れてくると、低姿勢で前進して騎士や従者たちを擦り抜けて、倒れている者たちを誰かれ構わず剣で刺して止めを刺して回る盗賊たちの姿が見えた。仲間だろうと門番だろうと騎士だろうと関係なく、呻き声を頼りに音を発する場所を潰しているのだ。
死んでいく者の最期の絶叫を頼りに盗賊の位置を把握して反応する騎士や従者たちは、盗賊たちの悪行が終わる度に心を折られた表情を積み重ねていた。
理解のできない行動に、わたしは恐怖を感じていた。
「やめて!」
わたしが叫ぶ声も、彼らの心には届かない。
死体の上を踏んで歩く盗賊たちはこれ見よがしに、怪我をして治療されていた騎士と治癒師までも襲って殺した。
「卑怯者! 仲間を殺すのか!」
我に返ったトマスさんの怒りの声が辺りに響く。
「何を言ってるんだオッサン、お前なんて戦わずに守られているだけだよな、」
馬鹿にするような口調の盗賊の返し言葉とともに、低い嗤い声が盗賊たちから聞こえた。
何もできない怒りで、拳を握る手が震える。
蔓を触るともっと壁が増える。わたし達を守る壁だ。でも、この蔓があるから出られない。
「…シャルー、わたしをここから出して、」
「ダメだよ、ビア、」
「どうして。シャルーなら、この壁を動かせられるでしょ、」
「ねえ、ビアは魔力が足りないから、僕をお屋敷に呼んだんじゃないの、」
事実だからこそ腹立たしくて、唇を噛む。
「だからって、何もできないのは、」
「僕は守ってるよ、お屋敷も、奥様も、ビアも、皆を守ってる。ビアがそう望んだよね?」
得意そうなシャルーを見ていると、わたしの中で望んでいたやり方とは違うのだと言いたくなって、でも、これが一番の最良なのだと思えてきて、これを超える良策を伝えられなくて言葉に詰まる。
「キエー」と、ありえない位置から奇声が聞こえた。
遠い空に、魔物の集団が近付いてくるのが見えた。先ほどまでいた半人魔鳥たちが呼んだ救援部隊だとしか思えない。
「あんな数の魔物…、」
盗賊と剣を交えていた騎士が空を見上げて絶句した隙を突かれて、血しぶきをあげて倒れた。
助けようと駆け寄った別の騎士が、トマスさんやわたし達の居る方へと絶命しかけている騎士を運んできた。
「誰か、治癒の魔法を!」
涙を流して懸命に頬を叩いている騎士の願いを、わたしは、こんなに近くにいるのに叶えてあげられないでいる。
「シャルー、行かせて、」
息も絶え絶えな騎士を置いて、別の騎士を助けにあの騎士は行ってしまった。
トマスさんは、目を背けて朱色の棺桶を守るばかりだ。
わたしは、いったい、何をしているんだろう。
「シャルー、お願い、」
こんなところで、見ていたって、誰も助からないのに。
悔しくて、頬に涙が伝っていた。
目を背けてしまえたら知らなくて済むのに、目を離せないし、足も動かない。
泣きながら「行かせて、」と言うしかできないでいる。
トマスさんの背中越しからでも、空を埋め尽くすような魔物の襲撃が見えている。
翼竜の背に乗る武装したゴブリンやオークたちの剣が日の光に反射する。
「応援は、まだなのか…、」
呻くようなトマスさんの声が、心を締め付ける。
来てほしい応援は来ないのに、来なくていい敵の応援が来てしまっている。
「シャルー、」
傍にいるシャルーは顔色ひとつ変えず、わたしに向かって「僕は契約を守っているよ。ビアの望むようにしてる。なのに、どうして泣くの?」と首を傾げた。
「そうじゃないの、そうじゃ、」
顔を手の甲で拭いながら、わたしはひとり、またひとりと倒れていく味方を見つめた。
トマスさんの前には、剣から血を滴らせた傷だらけの狼頭男が立ちはだかっていた。他の盗賊たちも、人間じゃなかった。
狼頭男に加えて、犬頭男もいる。人間に、化けていたのだ。
盗賊団ギルドだと思っていたのに、あの者たちは人間じゃなかったんだ…。
強さの理由に納得して、あの夜黄金星草を奪いに来た者たちが何故この離宮の果樹園に黄金星草が群生しているのかも知っていたのかもわかった気がした。
もともとヒパルコスの乙女を強奪するために何度か侵入して調べていたのなら、黄金星草だって在り処を知られている。
時の女神さまの神殿へ移送する日取りだって、この周辺に潜伏していれば容易く分かっただろう。
あとは、離宮から持ち出される機会を待てばいいのだ。
「オッサン、そこを退け。厄介な結界から持ち出してくれた礼として命だけは見逃してやる。」
狼頭男は冷酷にトマスさんに話しかけた。
「お前たち、誰の差し金だ。その依頼の倍の報酬を払おう。」
トマスさんは強かに交渉しようと顔をあげている。
「これは、お前たちが持っていていいものじゃない。金ならいくらでも都合つけてやるから諦めてくれ、」
空に集まる魔物達の雄叫びが、聞こえてくる。
呼応する狼頭男の盗賊達に、騎士や従者たちの動きが鈍っているように見えてくる。
「これは、あるべき場所へ返さないといけないんだ、わかってくれ、」
懇願するトマスさんは、狼頭男の強欲さに賭けているのだ。
「馬鹿か、お前は、」
笑いながら剣をあげた狼頭男は騎士に止めを刺した後、トマスさんに剣先を向けた。
「金で買えないから、奪うんだろ?」
トマスさんが息を呑むのが判る。息をもうしていない騎士に手を伸ばして、無念に肩を震わせている。
わたしは、欲張りだ。何もないのに、助けたいと願っている。希望を、捨てられないでいる。
あの人たちも、オリガも、カチアさんも、みんな助けたい。
望むのは、尽きることのない魔力と、誰もを助けられる魔法だ。
自己犠牲…。
いったいいくつの命が救えるかはわからない。
だけど、何もしないよりはマシだと思えた。
「シャルー、後を任せてもいい?」
「ビア?」
腕を、蔓と壁の隙間から突き出して、わたしは空を見上げた。
1周目よりも早くにこの魔法に頼ることになるなんて考えてもいなかった。
コルなら、シューレさんなら、どうしただろう。
「ビア、何をするの、」
シャルーの声をかき消すように、絶叫と爆音が響いた。
通り抜ける風に、肉の焼けた匂いや煙の臭い、饐えた油の匂いが混じる。
絶叫が幾重にも重なって、轟音と劫火、煙が空という空に広がった。
「何が、起こっているんだ…、」
トマスさんの声に狼頭男が振り返ると、わたしにも、その視線の先が見えた。
通りを突き進んでくる馬車の上には、足首を窓から身の乗り出した従者に固定させた男が立っていた。
彼が腕を広げて指さす方向へ幾重にも爆炎が上がり、瞬く間に魔物たちが煙となって消えていった。
次々に放たれる爆炎は、激情に駆られるままに魔力を使う美青年の魔法だ。
魔物たちが体勢を立て直す前に駆け抜けて、すべてを、焼き尽くしてしまっている。
橙色の公国の国境警備隊の軍服を着た焦げ茶髪に緑色の瞳の背の高いスラリとした体躯の美青年な魔法使いは、スタリオス卿だ。
「死にたくなければ降参しろ!」
そう言い放ちながらも降参する前に倒すのは、烈火の激情だ。
閣下が爆炎と煙幕を駆け抜けて、わたし達を救いに来てくれたのだ。
「チッ」と舌打ちをして目の前で朱色の棺桶を蹴り飛ばし生き残った狼頭男達とともに狼頭男が逃げてしまったのを見てしまったのに、わたしはもう大丈夫なんだって思ってしまった。
ありがとうございました




