27、離宮から正攻法に帰る方法
ドアを開けると見張りも誰もいなかった。廊下に出たら誰か待ち構えていてくれていて、話をすればこのお屋敷から出られる、という好都合な展開は待っていないようだ。黙って外へ出て正門へと向かうのもできなくはなさそうだけど、眠ってしまった旅の冒険者を保護していると門番と屋敷の主たちの間で話がついているのだとすれば、屋敷の主にお礼も言わずに帰ってしまうわたしはとんでもなく無礼者に成り下がってしまう気がする。借り物の服で挨拶するのは見栄えが良くても気が引ける。だからといって手元に着替えはない。離宮に入る際、門番や警護の騎士たちに特別通行許可証を見せて身分を明かしている以上、出口を探すにも服を探すにも迂闊なことはできない。
まずは人を探そう。バルコニーにいたのは判っているのだから、確実に侍女はいる。
掃除の行き届いた長い廊下の端から端までを、ドアを見て部屋の案内が書かれていないかを確かめる程度にして歩いてみる。
どの部屋もドア枠の上部の左右に小さな竜が彫られていた。王国にある神殿や歴史のある貴族の邸宅に時々残っている昔ながらの結界術だ。竜を本能的に嫌う精霊の侵入がなくなるという効力があり、たいていの場合、呪術的な結界も組み込まれているので、音や香りなどの感覚に作用する情報を遮断し休息を守る。わたしと化け山猫の密談は盗み聞かれてはいないとみていい。この建物が王族を守る建物なのだと実感する。
王国人は慣れていて気にもならないような些細なお護りなのだとしても、竜が生活にない公国の建築物にはない意匠なので、見つけるたびに半妖であるわたしにはちょっとした圧迫感を受ける。守護精霊でも化け山猫は『精霊』なので、かつて入れなかったのに現在入れているとなると、土地の魔力がおかしいからという話に信ぴょう性が出てきた。
客室だと思われる反対側の壁にあるドアは重厚で、部屋の目印代わりにスツールと花瓶があり花の色が違った。一番豪華に花が活けられているのが主客室で、あとは客室だ。それぞれのドアとドアの間隔はやけに広いので、ドアの向こうもきっと広い。
わたしの居た部屋側にある壁のドアは庶民の家のドア以上には立派だったけれど、主客室のドアに比べると軽い印象がした。しかも均等にいくつもあったので、貴族と使用人の待遇の差はこんなところにもあるのねと妙に感心してしまった。階段も、使用人の部屋側に3つあった。
中央にある大きな階段は絨毯が敷かれていて『貴族が堂々と使うもの』、左右の端にある人一人が通れる階段はしっかりとした木材でも使い込まれて摩耗していて『使用人が使うもの』、と使い分けがされている。中央の階段の踊り場には花瓶が置かれて美しく芳しい鮮やかな花々も活けられているし、壁には何枚も肖像画が飾られていたりもする。ひと目で使用する人々の身分と目的が判るように装飾に格差を徹底しているのだ。正規の客人ではないわたしが使うには縁のない階段だなと無意識に思えてきて、この階段を使うのはやめておこうと決める。
使用人用の階段のうちのわたしの居た部屋から遠い方は、窓の外に見える景色や階下から聞こえてくる音や匂いから想像するに、そのまま外へと出ていけそうだった。ここから走って逃げだせば追いついてこれないのではないかなと一瞬だけ期待してしまったけれど、その案は採用しない。
わたしの居た部屋からは中央の階段が近いけど、用心のために次に近い廊下の奥の『使用人用が使う』階段へと向かう。漂うのは厨房からの生活の香りだ。頭の中で想像するこのお屋敷の間取りや建物の構造上、中央の階段から出られるのは正面玄関で主客や屋敷の主人の出入りでしか使わないのではないのだろうなと思えたし、使用人用の階段から香りを追いかけて風上へと向かってみた方が確実に話せそうな誰かに会えそうな気がしていた。
わたしとしては、不意打ちみたいに術を仕掛けられてここに泊まらされたとまるで思っていないわけではないのもあって、守護精霊の化け山猫がかわいがられていても何らかの術の中にある最中という状況にあるのを思うと、客人であっても無事にこのお屋敷を出られるかどうかはわからないと覚悟はしている。
借り物の菫色のワンピースだって、できることなら早く脱ぎたい。汚れていようとわたしの服に着替えてしまった方がまだ安全な気がしても、洗濯すると言いつつわたしの服は預かられているので、その時点で仕掛けを隠されてしまっているのなら服が安全の邪魔になる。公国の王の庭でのドレスに仕掛けられていた呪いを思い出すと、わたしが知らない皇国の何かしらの仕掛けがあってもおかしくないのだ。最悪の場合、どんな魔法を隠されていようと、服に仕掛けられたら解除は諦めて宿屋に戻るまで我慢し耐えるしかない。
執事のリロイが昨日の果樹園での出来事を伝えた時、わたしの行動を語る上ではわたしの素性の説明は避けて通れないだろうから、『公国人の治癒師ビアは半妖』という事実はもう伝わっているとみていい。
皇国の出身のこのお屋敷の使用人たちの中に神官の白魔法を扱える者がいないとは限らないので、変に刺激したくはない。昨日記憶が途切れてしまった原因となった術も、単純な催眠術や白魔法ではなくもしかすると皇国人だけが知る召喚獣に干渉するような魔法であるのだとして『召喚獣をしつける』ための魔法であるのなら、精霊の血が混じる公国人としては感覚としてありえない価値観だ。わたしの魔法で防御できれば防御するのだとしても、それってつまり、反発し反撃するのだから真っ向から戦争を起こしに行く姿勢があると受け止められる覚悟がいる。王族と揉めるつもりはないので、この先、同じような特殊な魔法を使われてしまうのは避けたい。
わたしにできる努力とは、できる限り『礼儀正しい公国人』を演じて、可能な限り素早く無事にこのお屋敷から出て、敷地内からも離れて門の外へ出ることなのだ。
廊下の端にある大きな窓からは明るい日差しが差し込んでいた。昨夜素通りした薬草園には庭仕事をする使用人たちの後ろ姿が見え、相手にされようとなかろうとお構いなく機嫌よく歩き回っているシャルーの姿も見えた。絶滅種という万年青を寄生先に持ち魔力を多大に保有して整う身なりや姿かたちから品のいい少年にしか見えないシャルーは、遠目でも昨夜とはまるで違って肌艶が輝いて元気だし機嫌もよさそうだ。化け山猫のいう魔力の枯渇など関係がなさそうな雰囲気すらする。
手を握ると感じるのはわたしの魔力で、溢れるほどの魔力を溜めて置ける群青色の石のイヤリングにはすでに魔力が移りかけている。
わたしとシャルーは無事で、化け山猫には作用があるのなら、差はどこにあるのか不思議になる。土地と契約しているのは守護精霊である化け山猫で、地に植えられた万年青と生きるのはシャルーで、半妖で旅人なのはわたしだ。直接土地と契約しているのかどうかが違いであるのなら、土地自体に何らかの問題が起こっている。
精霊が生まれる時、魔力を集める。生まれて育っていくのが人とは違い急速なので、魔力でできた器に魔力を満たすために膨大な魔力が必要なのだ。大きさにもよるけれど、そんなに時間をかけて土地に影響したりはしない。精霊が生まれるのだとすれば時間がかかりすぎている。
竜が生まれる時も同じで魔力を集めるけれど主に母体からで、卵で生まれる場合はひと目で卵が原因なのだと判る。ヒト型の場合、母体を守るために群れで集まるので竜王のいる神殿に籠もるのが慣習だ。
わたしは半妖とはいえ精霊の血が混じるので、竜がいると意識していなくても体感として竜がいると判るし恐怖を感じるし緊張もするしといった反応が体に現れる。ここにはここに孕んだ竜も竜のヒト型の気配も竜の卵もないので、竜ではないと思う。
あと考えられるのは魔道具と魔法陣だ。
魔法陣ならどこかに描かれているから探そうと思えば探せるし、変幻自在な精霊である化け山猫なら見つけているはずだ。化け山猫も見つけられていないし、ここに暮らす人間たちも見つけていないのだから違う。
地から魔力を吸い出し集めるような魔道具は何に使うのかの用途に寄るけど、この敷地内にあるのなら、ここにいる人間が仕掛けたのだと言える。その場合、化け山猫にはわからないし、隠されているのなら単なる客人であるわたしには見つけられない。
ただ、化け山猫がこの土地の守護精霊なのだと知っている人間はおそらくわたしだけだ。
守護精霊が若い侍女に化けてまでして離宮という特別な場所に乗り込んできているとは、仕掛けた人間は知らないと思えた。
今が裏をかく最大の機会なのかもしれない。
…。
遠くの空を見上げて深く息を吸って、わたしは気持ちを切り替えた。
化け山猫にとっての『今』は、わたしにとっての『今』ではない。
使用人用の階段は板張りで、多少摩耗していても滑らないように補強もしっかりしていて、降りる際、基礎も頑丈そうで足音一つしなかった。一歩降りるごとに気持ちが引き締まってきて、外へ出られるのだという希望もどんどん膨らんでくる。
階段を降りるとすぐの部屋はドアが開いたままで、奥に続く厨房の中まで見えた。厨房の内部は真新しい調度品の輝きが眼について、置かれている機材や調度品は最新のものに変えられているのだとわかる。
想像していた以上に人がいるのを見ると安心する。ひとりやふたりじゃなくて、昨日の夜にいたのの倍以上の大勢の人だ。
人数が多いのに騒々しいと思わないのは、カチャリという音はあっても、ガチャガチャという音がないからだと思えた。もちろん無駄話もない。立ち居振る舞いも心の在り方も洗練された者たちなのだとよくわかる。これだけの人数の執事や侍女や料理人が尽くすのはたった一人の先代の国王妃様なのだから、王族が暮らす王城ではどれだけの人間が働いているのかと思うと気が遠くなる。
勇気を出して、「失礼します、」と王国語で話しかけてみる。意外にも気が付いてもらえない。はっきりと伝えたはずなのに。手元や隣の者へと視線は動くのに何故と問いたくなってきた。もっと激しく主張したほうがいいのかな。機敏に食事の用意をする人々は、もしかすると客室に閉じ込めているわたしの存在すらもすっかり忘れているんじゃないのかなと思えるほどに集中している。
改めて見回し、声を掛けられそうな者がいないかと探す執事や侍女たちの中に、ひとりだけ、雰囲気の違う若い女性が混じっていた。部屋の奥の方で、彼女は数名の者たちと作業している。髪の毛の色や背格好から連想してしまえるのは、化け山猫の変身した姿にしか見えない。
さっき、上にいたよね?
わたしより先に、ここへ降りてきたの?
彼女が本当に化け山猫なら随分と働き者だ。だけど、時間のやりくりを考えても妙な気がする。わたしが廊下をウロウロと探検していた時、化け山猫はドアを開けて出てこなかった気がする。窓から山猫に戻って降りたのだとしてもおかしい。見間違いかなと一瞬躊躇ったうちに、忙しく動く執事や侍女たちの姿で彼女を見失う。
目の前に白く大きな壁が現れ、それが地厚で白いコック服なのだと理解できる前に、「何か用かい、お嬢ちゃん、」と頭上から声が響ていた。他の料理人たちにはない首元の刺繍や年齢と言った外見から、その男性はこの厨房の主である料理人長なのかなと思えた。
「おはようございます。初めまして。ご挨拶に伺いました。ここを出ようと思っています。短い間ですがお世話になりました。」
「おうよ、客人ってアンタか、」
豪快な料理長の明るい声に、作業の手を止めて侍女や執事たちが集まってきた。
「話に聞いていたのよりもかわいらしい女の子じゃないか!」
勢いの良さに面喰っていると、言葉を発するたびに人壁が増え分厚くなった。
わたしとしてはさっきの侍女がいるのなら化け山猫本人なのかどうかを正面から見極めたいのもあって、この態度も声も大きな料理人の質問を躱して目で追いかける。集まってきた執事も侍女も知らない顔ばかりだ。
「な、ゆっくりしてお行きよ、お嬢ちゃん、まだ何も食べていないだろう?」
つま先立って見渡すと、やっと、先ほどの若い侍女が他の侍女とカートを押しながら別の出入り口から廊下へと出て行ってしまった後ろ姿がちらりと見えた。
料理長は余所見をするわたしの目線の先に顔を割り込んできて、無理やりに視線を合わせに来た。
誰かのための朝食なら、わたし以外に客人がいる気配がないし、この屋敷の主である先代の国王妃様の元へ運んでいくのかなと思えたので、気にするのは止めると決める。
意識を料理長に合わせて瞬きして見つめ返すと、満足そうに腕を組んで首を傾げニヤリと笑った。強引なやり方でも、自分の言葉への返事が欲しいようだ。聞き流していたのを責めないでくれるのはありがたい。
朝起きてからずいぶん時間が経っているのでお腹は空いているけれど、お腹が空いていても安全な食べ物かどうかわからないものを食べるのは怖い。客人として歓迎されているのかどうか見極めきれないでいるのもあって、本心を料理をする本人に向かって言えない。
どう言えば、誰かの自尊心を気付つけないで断れるのか悩ましい。
「お気持ちだけで結構です。わたしは、このお屋敷にいられるほどの身分を持っておりません。」
心にもない口先だけの卑下で脱出できるなら何だって言えてしまえるのは、わたしの本心ではないと自覚しているからだ。
「そんなもの、ここで働く者に身分なんてないさ。な、みんな、」
「そうよ、」という共感する女性たちの声や、「気にしないでください、」という慰めにも似た男性の声がいくつも聞こえてくる。
困った。なんと言えばここに長居をするつもりも魔法を仕掛けられるつもりもないのだと伝わるのか悩ましい。
口を開きはするものの何も言えないでいると、ふいに背後から「こちらでしたか、」と声が聞こえた。
振り返ると、執事長らしき執事とわたしに術をかけたと思われる侍女長な貫禄の侍女とが二人、いつの間にか廊下の向こうから姿を現していた。方角からすると先ほどのカートを押した若い侍女が向かった先から戻ってきた印象があるので、先代の国王妃様の部屋のある方向から戻ってきたと推測できる。
「昨晩も正門から入場されていますから、正面の玄関ホールでお待ちしていたのですよ?」
侍女長らしき侍女は優雅に微笑んだ。執事長らしき執事も何度も頷いている。
「裏口へ向かわれるとは、想定外でした。」
「私共の見込み違いだったようですね。」
わたしの行動を『最短距離な中央の階段を使って階下へ降り帰りたがる』と予想されていたんだと思うと、わたし自身へ向けられた『治癒師ビアという人となり』が『正攻法を突き進む愚直なまでに純粋な冒険者』と言われている気がして恥ずかしい。塀が乗り越えられる高さならこっそり侵入したと思えるだけに、必要だから門から入っただけなのを、わたしの基本的な性質なのだと思われたくはない。わたしはどこまでいっても悪い魔性の子供なので、生粋の純真さを持ち合わせていない自覚もある。
「さあさ、皆、この方は私たちに任せて、持ち場を優先してほしい。いいね?」
部屋の隅の背の高い壁時計を指さして執事長が落ち着いた声で指示を飛ばすと、集まっていた人々は口を曲げながらも戻っていった。
ありがとうございました




