24、厄災は一人で旅をする
「ビア、今夜あったことは忘れるんだぞ。いいな?」
わたし達の周りに魔法で風をまとわりつかせた後、父さんは公国語で静かに言った。どうやら父さんは珍しく、木々の陰に潜む精霊たちを意識しているみたいだ。わたし達の会話をむやみにこの果樹園に暮らす精霊たちに聞かせるつもりはないらしい。いつも自分以外の存在なんて気にしないのにいつになく慎重だ。
「どうしてなのか、理由を教えて。あの騎士は誰なの?」
「アレは、覚えておくといいような存在じゃない。」
アレっていう言い方で、フクロウ魚を思い出す。
「あんなの怖い思いをしたのに、忘れられるわけないわ。」
「覚えておくなと言っているだけだ。忘れるように努力しなさい。」
それは屁理屈だと思うなー。
「呼んでないのにいるなんて、父さん、もしかしてずっと見ていたんでしょ?」
「気のせいじゃないのか?」
とぼけて笑うなんて、絶対見ていた!
「結界を作ったも、土地を呪うなんてとんでもない魔法を教えたのも、わたしごと呪いの中に閉じ込めるつもりだったからでしょ? それなのに理由も教えてくれないし、忘れろっていうの?」
「気にするな、大したことじゃない。他にいくつか仕掛けがしてあったから、どう転んでもビアは助かる予定だった。」
まさか、あの騎士もフクロウ魚みたいな邪神だったりするとか? 魔法陣で封じ込めないといけないような危険な存在で父さんの知り合いなら、邪神の仲間のひとりだとしてもありうる。
「そんな大掛かりな仕掛けを仕込んだの? 宿から消えた後、ずっとここにいたの?」
父さんは軽く笑った。
「大したことないな。方法をいくつか教えてやっただけだからな。家で母さんと一緒に夕食も取れたし、お前が犬と追いかけっこするのも見ていたくらい余裕があったぞ。」
「犬…、」
せめてオオカミと言ってあげてほしい。
「ビアが契約した精霊たちは妖の道を守れないなら存在する意味がないと信じる者たちだ。土地を封じるしか道を守る方法はないと判断すれば、あの方法があの者たちの最善の策だ。」
「もしかして父さん、わざと教えたのね、」
「さあ。何のことだか、さっぱりわからないな。」
「まさか父さん、わたしがあの精霊たちを助けるのも計算済みだったの、」
「お前はいい子だね、ビア。」
「父さん、真面目に答えてよ。揶揄うなんてひどいわ、」
優雅に微笑むと父さんはわたしの頭をガシガシと無造作に撫でた。子供扱いがひどすぎる。
「そこまでしたのに、肝心な相手には妖の道を使って逃げられちゃったじゃない? ね、父さん、追いかけたりしないの?」
「アレにここを諦めさせるためには追い詰めるしかなかった。」
ん?
「アレは美しいものが好きだ。優れたものも好きだし、とびきりなものも好きだ。魔力を簡単に手放すビアはアレの理想だ。崇高な魂が好きだからな。」
「どういう意味?」
「ここよりももっと素晴らしい場を探しに行かせた。」
「まさか、妖の道へ誘導したのも父さんなの、そんな…!」
父さんはうっすらと笑って月を見上げた。
「ここの妖の道は『人間が管理している道』だ。必ず行先は決まっているから追いかける必要はない。」
「どういう意味?」
「ここは離宮と言って王族が暮らす場所だ。王族が逃げる先は、そうだな、どこが安全だと思う?」
「安全? この大陸の最果てへ行くとか?」
追いかけていけない場所なら安全だと思ったわたしの顔を見て、呆れた表情になって父さんは小さく首を傾げた。
「ビアは王族じゃないからわからないか。王城へつながっているんだよ。アレは、この国の王城へ行った。」
父さんが名を呼ばずアレと言って警戒するような相手を、王城へ送り出したらダメな気がする。
「アレには本当の名前はあるの? 物知りな父さんが知っているくらいなら、結構有名な存在だったりするよね?」
「名前など知らなくていい。忘れなさい。」
珍しくおだててみたのに父さんは教えてくれない。自力で調べるにしても、名前がわからない精霊を調べるには手掛かりが無さすぎる。
「名前がないのに、どうやって他の者と区別するの?」
「アレで十分だ。名を呼ぶと穢れが移る。ビアは本性を見極められなかったのだから、名前も姿も知らなくていい。」
そこまで言う…。
確かに振り返って考えてみればおかしな点はいくつもあって今のわたしなら単なる王国の騎士じゃないって警戒できるけど、あの時点ではまったく違和感を持っていなかった。
「父さん、もしかして、まさかその、知っている人だったりするの? アレって言い方、知らない人には使わないよね?」
「決して親しくはない。アレは…、皇国にいた頃会ったのが最後だ。久しく見ていなかったから忘れていた存在だ。知り合いだが、面倒だから可能な限り関わりたくないな。」
「どういう意味? あのさ、そんな大変な存在とわたしは知りあってしまったんだよ、父さん。どんな風に面倒な存在なのか教えてくれないと、今後の対策の立てようがないわ。」
父さんは目を細めて夜空を見上げ立ち止まって、木の幹に手を触れて寄り掛かった。出口が近い。父さんは全身を照らしていた月の光を避けたのだ。
「アレは、皇国では名を憚り厄災のひとつとされてきている存在だ。場の一番の上位者に影響を与える。アレは人間の魂が好きだから人間にしか影響はない。ビアはこの場の上位者だ。ビアに厄災が起こり始めたから移動してもらった。ただそれだけだよ。」
道はもうすぐ出口で、結界が消えた影響で、人々が集まり、お互いの無事を確かめ合っているのが見えた。
若い騎士はこっぴどく騎士や執事たちに怒られているようで、項垂れている。
わたしの姿を見つけた別の騎士に教えられた執事の「治癒師さまー、」と嬉しそうに呼ぶ声が、遠くからでもはっきりと聞こえた。
「厄災というのなら、特別な存在なのね? その人からは、逃れられないの?」
「逃れられないんじゃなくて、逃がすんだよ、ビア。執着されないように避けるのが無難だな。アレはどこにでも身を隠すから、見つけ出さない限り居続ける。」
「わたしは、諦めてもらえたってことなの?」
「アレの目には、ビアは想像よりも劣っていて精霊に魂を取られてしまうような弱い者と印象付けられたようだからなあ。しばらく安全だろうな。」
それって、シャルーとクアトロと契約する前の状況を言っているのかな。確かに口に葉がくっついていたし手もしっかり捕まえられていたけど、あのひと時だけで判断されるのは納得がいかない。必死で絶望を乗り越えたわたしの努力も機転も何もかもを否定するような発想だ。
「そんな顔するな、ビア。執着されなくてよかったと思っておきなさい。」
災難を逃れられて嬉しいけど、なんだかちょっと悔しい。
「そ、父さん、そのアレって人、ずっと、ひとりでいるの? 話し相手がいないから、執着できる者を探しているの?」
遠い月へと目を逸らしてわたしは話を変えてみた。
「最後に見た時、皇国でアイツと神殿で暮らしていたよ。アレは神に支配された場では悪さはできないから、それはそれは穏やかな顔をしていた。」
「アイツって、誰? その人も父さんの知り合いなの?」
「アレの導き手だった者で、知り合いだ。アイツが手綱を放したから、アレは野放しになってしまった。」
「野放しって、父さん、アイツって人は、もう管理してくれないの?」
「アイツもアレと一緒にいて久しかったから、しばらく自由になりたいんだろうよ?」
アレって、そんなに息が詰まるような相手なの?
「だから、この離宮に来たの?」
「アレは、アイツを追いかけてきたようだ。皇国からの使節団に紛れてこの国に来たとアイツは言っていたからなあ…、アレが来たのは最近だろうな。」
「アイツって人は、どこにいるのか父さんは知っているのね? 教えてあげないの?」
「男女の仲は口を挟まない方がいいっていうだろう?」
父さんはうっすらと笑って、「ビアにはまだわからないか」と呟いた。さりげなく失礼な気がする。
わたしが果樹園の出口を前に動かないのを見て、動けないと判断したのか、若い騎士や執事たちが集団を離れ駆け寄ってくるのが見えた。
まずい。話を止めないといけないのに、まだ聞きたいことがたくさんある。
想像が正しければ、この離宮での『次ぐ者』とは先代の国王妃様だ。
「ね、父さん、上位者はどんな目に合うの?」
父さんはわたしを見てふっと微笑んだ。
「アレは、憧れたら圧し折る。」
「は? 行動の意味がわからないよ。」
「アイツはアレを、とても純真だと言っていたな。アレと同格なら影響はないが、アレは自分自身を平凡でつまらない存在だと誤認しているから、結果としてアレに次ぐ場で秀でた者は必ず呪われて、アレの周囲はすべて均等に均される。」
「…父さんの知り合いなら魔力量は莫大だし属性も二つあったりするんでしょ? ほとんどの人が越えられないのに、自分を平凡だと思っているの?」
「だから厄介だと教えただろう、ビア。話を聞いていたか?」
「え、ちよっと待って、父さん、あの騎士はわたし達の元へ自分から合流してきたわ。」
「ああ、ビアがこの門の中の空間に入った時点から、上位者はビアに移っていたから当然だな。」
「そんな…!」
出会った瞬間から狙われていたのだとしたら、既にわたしを呪う対象だと選んで見極めている最中だったのだとしたらと思うと、寒気がする。
灯火の魔法ですら子供のように楽しんでいた騎士を思い出す。魔法陣の崩壊にも単純に嬉しそうに瞳を輝かせていた。あの表情を、どう理解していけばいいのかわからなくなる。
「でも、均等に均すって…、いったいどうやって、」
「手段なんていくらでもある。何しろ厄災と人間が呼ぶくらいだから、場に合わせて均していく。アレに気が付いて場を追い出すまで、ずっと続く。」
「次ぐ者が呪われると、どうなるの? アレが去ったら元通りになるの?」
「次ぐ者は一様に被害を隠そうとするから終わるまで気が付かれないな。去ったら止まるが、元には戻らない。」
「被害にあった人を、助けてあげられないの?」
「何しろ被害を語らないのだから、手の施しようがない。助けてほしいとも言わないだろうな。」
「そんな存在を、捕まえもせずに行かせてしまってもいいの、父さん。」
「そのつもりだったから問題ない。行先もわかっている。」
「皇国へ帰したの?」
父さんは「ビアはいい子だなあ」と笑った。
「えっと、よくわからないのだけど、父さん?」
「ここの妖の道は王城にしかつながらないんだよ。好きな道を進ませてやれば厄災から逃れられたものを、自ら喜んで招き入れるなんて、人間は愚かだな。」
父さんが送り込んだんでしょ。決して好んで招いてないから。
「父さん、」
「人間が身の程を弁えずに小細工した結果だ。そんな怖い顔をするな、ビア。」
「そんな無責任な…、これから追いかけていけば間に合うかもしれないわ。ね、父さんはすぐに見つけたよね。何か特徴があるんでしょ?」
「ビアは父さんを誰だと思っているんだ。」
悪い魔性? と言いかけて、一応邪神と言われたり一部に熱狂的に崇拝する悪徳研究者がいるってのも知ってるけど、確実に言えるのは母さんとわたしを時間の檻に閉じ込めようとした『支配したがる父親』だと思いなおす。
この状況だって、父さんの言った通りに仕組まれた流れだったのだとしたら、父さんはわたしのために世界を変えた。
「教えたところで、ビアに見つけられるのか? 魔力も満足にないのに?」
「あ…、」
もしかして、追いかけていけないように魔力を使わせたのも計画のうちなの、父さん。
父さんは、ニヤリと笑った。
「ゆっくり休みなさい。まずは回復だ。そうだろう?」
「でも、」
「不確かな未来に何故責任を感じる必要があるんだい、ビア。もう関係ないだろう?」
わたしは父さんを睨みつけた。
抗ってみたくなる。わたしは、父さんの子供だけど、父さんの一部じゃない。
抗って、未来を変えてみせたくなる。
「…関係ないって言いきれないわ。これからだって、違う結果に変わるかもしれない。今なら助けられるかもしれないわ。」
「何ができるっていうんだ?」
「困っている人がいるのなら、それでも、助けになりたい。」
魔法は希望を呼ぶのだと、信じていたい。
「ふうん、ビアは面白いな、」
絶句するわたしには、瞬きする音さえも聞こえてきそうなほどに言葉がなかった。
「助けたら、責任は無くなるのかい、ビア。」
父さんの声は、笑っている。
何もできないから取り逃がすしかなかったんだってわかっていても、誰かに厄災を押し付けてしまったという罪悪感ばかりが言葉の代わりに湧き出てくる。
騎士たちの足音が近くなってきていた。
何も言えないわたしを見て薄ら笑いを浮かべている父さんは、闇に馴染み消えようとしていた。
「忘れなさい、ビア。すべて終わったんだよ。」
「父さん、待って、」
「早く眠って魔力を回復しなさい。せっかく宿屋まで借りたのだろ?」
ふっと鼻先で笑われた声がして、わたしは父さんへと手を伸ばしかけてやめた。
魔力のないわたしは、魔力のあるわたしよりも、もっと、弱い。
「治癒師様、大丈夫ですか、」
駆け寄ってきた執事と若い騎士が、嬉しそうにわたしに手を差し伸べランタンを受け取ってくれる。
突然の王国語に思考が切り替わらなくて面喰っていると、ふたりは顔色を変えた。
「動けませんか。負ぶっていきます、さ、遠慮せずに。」
「ご活躍でしたからね、無事に戻られて安心しました。おひとりで怖かったでしょう? よく耐えられましたね。」
振り返ると、父さんも、シャルーもクアトロもいない。
夜も遅い静かな果樹園の、整然とした木々があるばかりだ。
「結界が崩れて、助けが来てくれました。もう大丈夫です。」
「約束を守れませんでした。ごめんなさい。ダメだったんです。騎士様は、消えてしまいました。」
「いいのです、気にしないで、ほら、」
若い騎士が指さした先には、人だかりの中、倒れている人を介抱している人々の屈む姿が見えた。
「侍女、さんですか?」
「違います。先輩本人です。」
若い騎士が表情を硬くした。「薬草園の近くで倒れているのが見つかったそうです。幸い意識は戻りましたから、ご安心を。」
「それじゃあ…、ずっと、」
もしかすると合流した時点で既に、アレに入れ替わっていたのだ。正体を見破れないまま見た目の通りに騎士なのだと、人間なのだと思い込んで接していたんだ、わたし。
「私たちが果樹園でずっと一緒にいた人物は、何者かわからないのですよ。お互い、無事で良かったですね。」
「明日、陽が昇ったら離宮の敷地内の捜索をします。侵入者の侵入経路が二つあったとみるべきですから、状況を把握しなおす必要がありますから。」
「そうですね。」
「治癒師様はお疲れのようですね、もう大丈夫ですよ、安心なさってください。」
わたしは、何も言えないまま若い騎士の顔を見た。
皇国から流れてきたというアレは王城へと消えてしまったと、言ったら信じてもらえるとは思えない。そもそも妖の道を彼らは知らないのだ。
王城へ続く道だとして、アレが王城に留まるのかどうかはわからないし、王城から出られるのかもわからない。ただ、公国の王の庭は、特殊な結界が重ねてあった。この国が竜を祀る国である限り、魔法や精霊に対しての対策は万全だと想像がつく。王城から出られなくなってしまったのだとすると、この先、才能に秀でた『次ぐ者』が選別されて圧し折られてよくないことが起こるのだとも想定できる。
魔物を倒し竜魔王をも討伐するというこの国の王子があの王城という場では『次ぐ者』だ。判っていて、わたしは手も足も出せないでいる。わたしは、伝えられないままでいる。
ああ、だから厄災と言うのか。
存在を口にするだけで誰もが影響を受けているから、居てもいなくても厄災なのだ。
心が痛い。
誰を犠牲にして助かったのかを知ってしまった。
「何も言えないくらいにお疲れなようですね。」
わたしに労わりの眼差しを向けた執事は、そっと治癒の魔法をかけてくれて、「お茶の用意をさせましたから、少し休憩されて行かれませんか。ささやかですがお礼をさせてください」と優しく微笑んでくれた。若い騎士も黙って頷いている。
わたしは彼らに回復の魔法をかけた。
もう魔力は残っていなかったけれど、これでいいのだと、心の底から思えた。
ありがとうございました




