7 魔香よりも遠い
フリッツは駆け上がり、先を行っていたランスたちを呼び止めた。
「ランス、緊急事態だ。今すぐ策を練ってほしい、」
「何事です、」
話しながらランスは、「少し上がって、休みながら話しましょう、」と数段登って踊り場まで進む。
階段の一定の間隔で設けられた踊り場は2回目で、ここも小屋を建ててしまえそうなほど広かった。ちょうど階段を椅子代わりに景色を見ながら休憩する信者たちがいて、フリッツたちが騎士団の制服を着ているのを見ると、会釈して階段を登って去って行った。
「誰かが魔香を森の中で焚いている。私たちは剣がない。クラウザー領の騎士団に応援を頼みたい。山の神殿近くには丸腰の信者たちが大勢いる。どうにかして助けてやりたいのだ、見捨てることなんてできない。出来るなら、すべてを助けたい。」
それも、今すぐに。
無茶だと判っていても、フリッツは自分の願望を口にせずにはいられなかった。
「すべてを一人ではできない。力を貸してほしい。どうしたらいいのか、策が欲しい。」
知識の不足や未熟を恥ることよりも、ランスの知識と思考力に頼る方が、今のフリッツにできる最善に思えた。
一瞬目を見開いた後、嬉しそうに、ランスは目を細めた。
「判りました。フォート、後どれくらいで神殿まで辿り着けますか、」
「まだ半分まで到達していない。ここは2つ目の休憩場所だ。昔この階段が作られていた時のまま、百段ごとに休憩用の広い段があり、二百段ごとに休憩所が建てられていた名残の広場がある。」
意識していなかったけれど目安があったのだとフリッツは感心する。
「判りました。では、俊足のビスター、申し訳ないですが、下って検問所に戻り応援の要請を。土地勘のあるフォートは、腕の立つキュリスと森の中で魔香を焚く者たちを捕まえて鎮火を。私とフリッツは上へ、信者を救いに向かいます。カークとドレノはフリッツの護衛を。」
「ビスター、頼む。」
「ビスター、その際に魔香の消火と除染のための水と、あるのなら香油…、できれば薄荷油を運ぶように伝えてください。魔香の焚火の跡地に撒くように。」
「どうするのです?」
「無味無臭の魔香をどこで焚いたのかの目印になります。その香りが流れる方向は確実に魔香の影響があると判りますから。」
「退魔煙はどうだ?」
フォートが尋ねた。「検問所にも非常時用に持っているだろう、」
「あれは、山火事だと誤判断して人が集まります。」
「いっそのこと、山火事だから逃げるようにと避難をさせた方がいいのではないか。責任は私が持つ、」
フォートが覚悟を決めた顔になる。
「では、そうしましょう。ありったけの退魔煙を焚きましょう。」
「判った、」
ビスターはキュリスと顔を見合わせて、頷き合った。
「では、行ってきます。しばしお待ちを、」
「そうそう、全員、荷物はここに置いていきなさい。騎士団の紋章入りの荷物なんて誰も取ったりなどしないでしょうから。ビスター、馬は使えますね?」
「馬で駆け上がるつもりですか、」
カークが驚き、声を上げる。
「できなくはないでしょう、急な坂でもありませんし。」
階段の端に荷物を下ろしたビスターは、ニヤリと笑うと袖をまくって「ええ、駆けあがってくるつもりです、」と胸を叩いて敬礼するなり道を下り出した。
フリッツも他の者も、背負っていた荷物を置いて身軽になる。カークは袋から取り出したトンカチを、腰のベルトに急いでひっかけていた。ドレノは髪をくくり直して両耳の上にお団子を作り、手に拳鍔を嵌めている。キュリスとフォートもピッケルを手に階段を走り降りる。
影がグイッと不自然に伸びて動いて、影の中から、白く小さな老人がひょっこりと、頭を出した。
(来るぞ、襲撃に備えよ、)
(わかった。出来る限り最善を尽くす、)
フリッツはピッケルを手に、いつでも戦えるように握り直し駆けのぼり始める。
「魔香だなんて。逃げた方がいいのではないのですか、フリッツ、」
カークに、何を言っているんだ、と言いかけて、フリッツは無視して駆け上がる。逃げるなんてできない。無駄な言葉も惜しいほど、焦っていた。
ドレノもベルトの背中にピッケルを差し込んで身軽な状態で階段を駆け上がっている。
「フリッツ、待ってください。ひとりは危険です、」
ひとりだろうと何だろうと、危険なのは、あの丸腰の背中だ。
頂上の広場を目指して駆け登っていくフリッツの後方から、ランスの「応援が来るまで持ちこたえること。それが最良です、判ってますね、」という声が聞こえた。
「フリッツ、」
返事をしない限り、引き下がる気はないのだろう。「フリッツ、返事は?」
「…安心しろ、無理はしない。」
無理とか、無謀とか、そんなことは、やってみないと判らない。無理をしないと間に合わない気がする。
見ているだけで守られてばかりは、嫌だ。フォートの影でじっと見ていただけの歯痒さを思い出す。
誰も助けられないのは嫌だ。弱いからと、逃げてばかりでいるのも嫌だ。立ち向かわなければ、助けられっこない。
「襲撃が来る、隠れろ!」
フリッツの信者たちに向けた怒鳴り声は山に響いて、でも、頂上付近までは届かなかったようで留まる気配がない。
早速空から現れた敵の姿に立ち止まりようやく身を竦める信者たちの姿に、歯痒い思いを噛みしめながら、もう一度、「逃げろ!」と大きく叫んだ。
※ ※ ※
参拝する信者たちを襲おうと、空から集まってくる半人魔鳥の群れの騒ぐ声と、ハーピーの足首に捕まって表れたゴブリンやオークたちの唸り声が、駆け上るフリッツの耳にも聞こえてくる。
魔香を焚いている場所に辿り着くよりも無防備で手ごろな人間で欲を満たそうという魔物たちに、フリッツはふつふつと怒りが湧いてくる。息を切らし駆けあがる階段も長くきりなく思えて、魔法を使えない人間である自分への怒りが、湧いてくる。
襲撃されているのが見えていても辿り着けない悔しさが、込み上げる。
フローラのように炎を魔物にぶつけられたら。ラケェルのように、能力を底上げする魔法が使えたら。見ているだけで、何も持たない虚しさに、人間でしかないもどかしさに、苛立ってしまう。焦って、でも努力するしかなくて、フリッツはもがき続ける。
浅はかな魔物にも、禁忌の魔香を使う愚か者にも、魔法が使えない自分にも、腹が立っていた。
悲鳴が聞こえる。広場の手前の階段上部で、逃げまどいながら魔物に襲われている信者たちがいる。
あの場所へ、早く行きたい。
さっき4回目の広場を越えたばかりだった。
まだまだ階段があり、頂上までは遠い。
なのに、足が重い。
千段あるという階段は踏み外すと落ちていきそうで、でも、急がなければと焦ってしまう。急いで、足を上げなければ、あの者たちは助からない。
階段に崩れ落ちそうで、でも足を動かそうとしても持ち上がらない。這いつくばるように前のめりになり、階段に手が付いてしまう。
熱い。息が上がる。でも、進まなければ。あの場所へ行って、助けなければ。
頭を上げようとすると、そのまま仰け反って後方へと落ちていきそうで、留まって、息を整える。汗が額を伝って、瞼に垂れる。
腕で汗を拭っても拭っても、息をする度に汗が流れ落ちる。登ってきた太陽に、背中から焼かれてしまいそうだ。
悔しい。
情けない。
心臓の音が、呼吸が、自分のものではないほど大きく聞こえる気がする。
石段にのめり込みそうになる体を支えて、足を上げようとして、足が上げられないほど疲労している自分が情けない。
悔しい。
鍛えていた筈なのに、もっとなんでもできる筈なのに。
(力を貸してやろうか、)
影から、囁く声がする。
(…対価が、いるのだろう?)
差し出せるものなんてない。でも、力を借りれるのなら借りたい。
得体のしれない妖と駆け引きをしてでも力を欲しいと願う私は愚か者だ。フリッツは自嘲して小さく笑う。
(そうだな…、お前の力を使うのだから、自由に使わせてもらうのが対価としよう。)
私には使えるほど魔力があるのか?
しかも、それを使う?
(何をするつもりだ、)
(足を軽くしてやろう。足が、重くて動かないのだろう?)
(ああ、)
影から白い小さな老人の手が伸びてきて、フリッツの足首に触れた。じんわりとした暖かな何かが、体の中に響いてくる。
「何をする、」
ペタペタと手はフリッツの足首から太腿、腹、そして、胸の、心臓の上まで触る。
(何を? お前は面白いね。魔法をかけたんだよ。こんなところでくたばってしまったら、目的地に辿り着けないだろう?)
これが魔法?
戸惑い、消えた手に驚いていると、持ち上げる足が、急に、軽くなった。
体が、軽い。
(さあ、行け。顔を上げろ、)
楽しそうに笑う声に背を押されるようにフリッツは顔を上げると、階段を一気に駆け上がった。
さっきまでのあの苦しさが嘘のようで、心の中で(ありがとう、感謝する、)と、白い小さな老人に感謝する。
信者たちを襲うハーピーたちを難なく追い払うと、怪我だらけの信者に「早く逃げろ、」と声をかけて、フリッツは逃げ惑う人々の叫び声と襲う魔物たちの声が響く神殿前の広場へと足を踏み入れた。
※ ※ ※
神殿前の広場は居合わせた騎士が何人かいて、魔物の襲撃に応戦していた。逃げ遅れたのか信者たちがまだ残っていて、広場は混乱している。
「逃げろ、走って逃げるんだ!」
信者たちを逃がしながら、剣の代わりのピッケルを手にハーピーやゴブリンを蹴散らし戦うフリッツは、決め手になる攻撃が出来ずに苦戦していた。
ゴブリンもハーピーも初めて戦う相手で、フリッツは、ミンクス領で戦った敵とは違うのだと思い知る。一匹や二匹ではない大群で、しかも、自分に手には剣ではなく、武器に近い道具しかない。
「剣があれば!」
思わず願望の声が口をついて出る。
むやみに力任せに叩いても、弱点を狙わなくてはダメだ。
人間に近い体格の敵に、ピッケルで勝てる気がしない。それでも、戦わないと、助けとなれない。
「フリッツ、避けて、」
そう聞こえた瞬間、何かが飛んできた。フリッツに空から攻撃を仕掛けようとしていたハーピーの頭にまともに当たって、倒れたハーピーはサラサラとした灰色の粉になって空気に消えてしまった。
遅れて広場に現れたカークが、手に次のトンカチを持って構えていた。息も絶え絶えに汗を拭うランスや、ドレノの姿もあった。
「よかった、当たりましたね!」
「カーク、」
本当にトンカチを投げつけたのか! 危ないだろう! と言いかけて、ぐっと飲みこんだ。どんな方法であれ、カークは、私を助けてくれた。
頭を狙えばいいのかと判ったフリッツは、ピッケルを手に振りかざして頭部を狙って戦う戦法に切り替えた。
「国境への道へと逃がしましょう。その方が、魔香よりも遠い。」
ピッケルを手に戦いながら、ランスは冷静に、怯え狼狽え動けずに道の端で身を寄せ合う信者たちに「さ、皆さん、ここを離れてください。もっと危険になりますよ、」と優しく声をかけた。こんな時でも優しい声を作れるのだなと、フリッツは感心する。こんな時だからこそ、優しい声の方が心に響くのだとランスは判っているのだ、私もそういう配慮ができる人でありたい、と心に誓う。
広場の向こうの神殿は、門が閉まっていた。
「どうやら地竜王はいらっしゃらないようです。お出かけの際には門が閉められたままだと聞いていますから、」
ランスは少し残念そうな顔をして、「でも大丈夫ですよ、フリッツ。今は戦って、経験を積みましょう、」と優しい声で励ましてくれた。
ドレノが的確に自分よりも大きなゴブリンたちと戦い、カークもフリッツを守ろうとすぐ近くでピッケルを手にハーピーたちと戦っていた。
翼がある分、動きが厄介だった。確実に消さないといけない。気持ちを割り切って、フリッツはピッケルを握って戦った。
ハーピーが信者たちの背に向かって追いかけようとした。咄嗟にフリッツは走り出ると信者たちを背に庇って、鋭い爪をピッケルで受け止める。
ギーギーと唸りフリッツを睨みつけ、大きな嘴を開けたハーピーは全体重をかけて圧し掛かり、フリッツを攻撃しようと頭をのけ反った。
あの嘴での攻撃は避けたい。
でも、全体重をかけてのしかかってくる重さに、負けそうになる。
「お、お助けを…、」
フリッツの背の向こうから、庇った信者の老人の声が聞こえてくる。
「大丈夫だ、安心しろ、」
ランスをまねて、フリッツは慌てないように答える。
私がここで負けるわけにはいかない。私は、この者を守る…。
(力を貸してやろうか、)
また、声が聞こえた。白い小さな老人の声だ。
(力…、)
フリッツは歯を食いしばって、思いっきりぐっとピッケルを押し上げた。
これぐらいはできる、これぐらいは。私だって、鍛えている。
気合を入れて押し上げて、ピッケルを振り払った。
羽ばたく音がして、一瞬逆光に目が眩む。
体勢を崩して大空に舞い上がったハーピーが戻ってくる前に、と判断して、庇っていた老人に「立てるか、」と手を貸そうとすると、「滅相もない、」とお辞儀をして下りの坂道の方へと小走りに去っていった。良かった。あれなら、大丈夫だろう。
「フリッツ、来ます!」
一直線にフリッツめがけて飛んでくるハーピーを、フリッツは両手でピッケルを持つと、思いっきり振り回した。
当たれ!
するりと、汗で手が滑った瞬間にピッケルが、飛んで行った。ハーピーより逸れた軌道に、武器を失った後悔が生まれる。
(お前は素直じゃないなあ、)
いくつもの魔法陣が、湖面を渡る飛び石のように空中に連鎖して浮かび上がった。
きらりと、ピッケルが一瞬輝いた。
(助けてほしいと願えば容易いものを、)
え。
フリッツは驚いて、瞬いた。ピッケルが、空中で曲がった…?
「フリッツ!」
ザクッと、嫌な音がして、ピッケルがハーピーに突き刺さった。
フリッツの前に飛び出たカークが驚いた顔をした。
「すごいです、何をやっているんです、フリッツ!」
(素直に力を望め。お前の力は私が自由に使っているのだから、これぐらいはしてやれるんだよ、)
(何ができる? できるのなら、加勢を頼みたい。)
増え続ける敵を減らす協力をしてほしいと、フリッツは単純に願った。
(加勢か。私は攻撃はあまり得意ではないのだよ。)
期待を裏切る回答に残念な気持ちがしたけれど、(そうか、)とだけ答えて、フリッツは気持ちを切り替えようとした。白い小さな老人が万能なら自力でここまでこれているだろうと思うと、期待するのも酷な気がしてくる。
(お前にしてやれそうなことが思いついたよ、)
フリッツの影がスーッと広場の中央まで伸び、白い小さな老人が、影の中から姿を現した。
昼間だというのに実体化している!
「あ、」
白い髪に白い服の小さな老人の姿が見えるのか、ハーピーやゴブリンたちと戦いながら、ランスが驚いたように動きを止めた。
魔物たちは気が付いていても存在を無視して、人間であるフリッツたちや信者たちを執拗に襲ってきている。
白い小さな老人の足元に薄い黄色や緑色、黄緑色の光で輝く魔法陣が湖面に広がる水紋のように、幾重にも広がった。
一瞬、広場にいるあらゆる魔物たちの体が、鈍く光って、黒ずんだ。
「…、我が…のもとにおいて命ずる。…を汚すものの力を削ぎ、…を守るものにその力を貸し与える。」
ところどころ聞き取れなかったけれど、フリッツには微かに言葉を聞き取ることができた。
力を削いで、貸し与える?
意味を考える前に、白い小さな老人から放たれた幾本もの黄色い閃光が矢のように全方角へと広場を駆け抜た。
騎士たちやカークやランス、ドレノの体にも通過して、そのうちの一本は、フリッツの体を透過して、消えた。
白い小さな老人は小さく微笑むと、また影の中に沈み込むように隠れてしまった。
「体が、軽くなった…?」
きょとんとした表情で、カークは圧倒されていたゴブリンを一瞬にして押し返し、そのまま軽くピッケルを打ち込んでいた。
「フリッツ、変ですよ、私は強くなった気がします、」と、易々とゴブリンをやっつけ、腕を振り回している。
白い小さな老人の魔法を見えていた様子のランスは納得したように小さく頷いて、「効果があるうちに早く、」とカークをけしかけ、自身もハーピーを次々に消していく。
(魔法の効果は一時的だ。神殿まであと少しだ。急ぐんだ、)
フリッツの耳には、白い小さな老人の声が聞こえた気がした。
灰色の粉になって消えたハーピーのいた場所から慌ててピッケルを拾うと、フリッツはカークと背中合わせになって戦い始めた。
ありがとうございました




