8、術者の命を糧にする魔法
神殿の居住区画の厨房に入ると、ラーシュ様はわたしを見るなり腕を組み、「そろそろ限界でしょ? 痛いって言いなさいよ」と不満顔になった。
「何のことですか、」
「しらばっくれてんじゃないわよ。アンタ、まともに呪いに触れたでしょうが!」
気付かれないように見えないように後ろで手を組んで隠していたのに、わたしの腕はあの虎に貰った呪いの炎で焼け爛れているとラーシュ様にはお見通しらしい。聖域の神殿では自分の体を治癒できないので、明日公国の神殿へ派遣された時にでもこっそり治そうと思って我慢していたのに。表情に出てしまっていたのかな。
「アンタ程度の術者じゃ治せないわよ、お生憎様。こういうのは神の手じゃないと無理だったと思うわよ? ここに座りな?」
ラーシュ様は厨房の椅子を引っ張ってくると、わたしを無理やり座らせた。
「ほら、腕を出すの、」
「見てくださるんですか?」
「アタシの祝福があるから進行が速くないけど、こんなの、普通の人間だと気が狂って死んでしまうわよ。神の手でもあるまいし、治癒師だからって自分の才能を鼻にかけちゃあいけないわね。」
「そんなつもりはないです。治癒できると治るって思っていたんです。」
「あの子の呪いだってアンタの治癒で押さえられなかったじゃないの。無理なんだから、さ、お見せ?」
しぶしぶラーシュ様に右腕を見せると「反対もよね?」と引きつり笑いしながら言われてしまう。はい、反対もです。
痛さを我慢していても大体の規模が判っていたから見ないようにしていたのに、改めて自分で見ると驚いて言葉を失うくらい酷い火傷が指先から肩まで広がっていた。
いつの間にこんなに?
驚きながらも両腕を見せると、ラーシュ様はじっと眺めた後ふっと深く溜め息をついて、「目を閉じなさい」と命令してきた。
「目を閉じるんですか?」
見えなくなると、何が起こるのか知れない。なんだかものすごく損をする気がする。
閉じたくないです、と言ってみようかな。
「瞬く程でもいいから、一瞬だけ両眼を閉じて開けるの。必ず両方よ?」
「その後、見ていてもいいですか、」
治療法が見たいし、呪文も覚えたい。
「いいからおやり。」
一瞬だけならと割り切って言われるままに従って目を開けると、両腕は綺麗に治っていて痛みもない。
呪文を聞けたら覚えようと楽しみにしていたのに、こんなにあっさり治っちゃうんだ!
さすが神様!
「凄いです。」
両腕の肌の表面は綺麗に元の肌の状態に戻っていて、火傷の後も爛れも気配すらない。指も動くし、何より、どこも痛くない。
「アンタも神の手になったら使えるんじゃないかしらね?」
この世界にはまだまだ学びたい魔法も知りたい呪文も沢山あるようだ。あとはそれを教えてくれる先生を見つけるか、公国の図書館の禁書のような過去からの宝物を手に入れるしか方法はない。
1周目の経験から安定した信頼があるし、アウルム先生を何としても口説き落として、今世でも弟子入りさせてもらえるといいな。
「それにしても、おかしいのよね。」
「どうしてですか?」
「アンタは自己犠牲の魔法を知っているのよね?」
「はい。そうです。」
「いったい誰が治癒師のアンタにそんな大層な魔法を教えたのよ。」
「え…?」
「アンタもおかしいと思わなかったの?」
「何か、変ですか?」
「救いの手を目指していたのなら、その時のアンタは治癒師よね?」
「そうです。」
「治癒師がどうして自己犠牲をする必要になるのか、まったく考えたりはしなかったの?」
「どうしてですか?」
「アタシがアンタの立場なら、救いの手として一定の空間にいる味方全員の治癒を完璧にこなす方法を極めて、呪いを受けている最中に行う『進行の停止』を学んだりして、いかに自分も含めた手駒の数を減らさないよう長く現状を維持し続けられるかを学ぶと思うのよね。いきなり『自分の命を仲間に分け与えて相手を蘇らせる』なんて魔法は覚えたりはしないと思うのよ。自分の数が減る分、味方が減るわけでしょ? 戦闘中なら傷だらけでも3人いるのと、無事なのが2人、死亡者が1人なら、数の上では負けていると思わない?」
わたしはそんな風に考えたりはしてこなかったので、面食らってしまっていた。
「どうしてアンタが生き残らない方法を教えたのかしら。治癒師のアンタが輪廻の輪に帰れば、例え代わりに誰かが復活しても、その誰かは治癒されないのよ? 戦闘中に治癒師の損失は大きな痛手よ? 命綱として治癒師は最後まで残しておかないといけないんじゃないかしら? そう思わない?」
治癒師であるわたしがいなくなった後、蘇ってもシューレさんとコルは治癒師がいないからその後の戦闘において怪我ができない状態になる。
もし竜化も暴走も止められないまま竜や精霊王の力に圧倒されたとしたら、最悪の場合、わたしたちの小隊には生存者はいなくなってしまう。
そんな…!
わたしが命を捧げたからって、シューレさんもコルも死の心配がなくなるわけではないってこと…?
想像していたのとは違う結末を思い描いてしまって、わたしは目の前が真っ暗になる錯覚を覚えていた。
どうしよう。まさか、わたしの選んだ1周目の未来の結末は、共倒れとなってしまったの…?
「不思議なんだけどさ、やっぱり、アンタも生かして仲間も生かす方法をどうして教えなかったのかしら。」
「それは…、」
わたしは言いかけて言葉に詰まる。
誰が、わたしに自己犠牲を教えてくれたのだろう。
アウルム先生ではなかった気がする。
もちろん、コルじゃない。シューレさんでもない。
「あのさ、アタシはアンタの見た冒険者の1周目の世界ってのを知らないけど、確実に言えることがあるのよ。どう考えても、アンタが自己犠牲を行うように仕向けた人間がいるわ。アンタたち全員を計画のうちに殺そうとしたのね。」
「そんな…!」
誰に教えてもらったのか思い出せないのは、聖堂に体力も魔力も管理されて思考力を蹂躙されていたから、と言い訳したくなってくる。
わたしがあの魔法を使ったので得をした人物がいるのだとしたら、シューレさんとコルも巻き込まれてしまうと想定していたはずだ。だけど、シューレさんはともかく、コルはもともと聖堂の軍人なので、死を迎えるような事態になるのが想定されていていいはずがない。
わたしは、何を見落としているの?
思い出せ。
どうしてわたしたちなのかは、必ず理由があるはずだ。
「…アンタさ、もしこの世界をどう生きていくのか迷っているのなら、アタシはアンタにとりあえず『術者の死が絡む魔法を教えてくるような奴は信頼しちゃいけない』って教えるかしらね。アンタがどういう経緯でそんな魔法を使う状況になったのかは『最悪な事態』だったんだろうなってくらいしかわからないけどさ、アタシならそんな魔法を教えられた日のうちに脱走するわね。とてもじゃないけど、思想についていけなさそうだもの。」
わたしは、脱走すらも思いつかないほど、思考力が落ちていたんだ…。
改めて実感すると、もうあんな未来は嫌だなって思えてきた。
「そうよ。やり直すんなら一秒でも長く生きていられる方法を考えなさい。アンタならいくらだって方法が思いつくでしょ。」
わたしを肯定してくれたのは嬉しいけど、ちょっと無責任な気がする。
それでも、じんわりと温かい気持ちになってきたのは、ラーシュ様が太陽神様だからだ。
過去という未来を知っているわたしなら、いくらだっていい方向へ進んでいけるんだ…。
眩しい光みたいに丸いラーシュ様は腰に手を当てると「さ、アタシが作ってあげるから、アンタは見てなさい」と不敵に笑った。
※ ※ ※
ラーシュ様が「おいしくなーれ、おいしーくなーれ」といいながら作ってくれたスープは、どうしてだか母さんが作ってくれたスープに味が似ていた。
料理中は危ないからと虎を厨房から締め出してしまったラーシュ様と二人、厨房にあるテーブルにスープボールと香草茶の入ったカップという料理を並べて向き合って座って食べていた。
夜も遅い時間なのもあって少量だったけれど、わたしのために作ってもらえたのがとても嬉しかった。
塩や香草と言った調味料の味がしていたし、お茶も、白湯ではなくて薬草茶だった。供物の中に薬草や香草はなかったけどどうやって手に入れたのか気になる。ラーシュ様は調理中、お出かけされたりしなかったんだけどなあ…。
「アンタは気が付いていなかったみたいだから教えてあげるけど、この厨房自体が魔道具なのよ。誰かのためにその相手が喜びますようにと願いながら作ると、その相手のおいしいと思っていたものが再現される仕組みよ。何しろここは神殿に神官として暮らし始めた新人神官が最初に来る試練の神殿だから、生活の中で気が付くしかないのよね。」
「試練の神殿ですか?」
ラーシュ様のおうちではなく?
「アタシのうちは太陽神の神殿ならどこでも『アタシのうち』よ。アンタ、忘れてるかもしれないけど、アタシは太陽神なのよ、」
ふっふと笑って、食事が必要ないと言いつつもわたしと一緒に食事をしてくださっているラーシュ様はスプーンを啜る。
「斎火の性質を持つ者は、いくら神官でも本質は火属性の性質だから誰かを勇気付けようと頑張るし誰かのために怒れたりもするし戦おうともする美点があるけど、喧嘩っ早いし勝気だしムラっ気がある欠点もあるのよ。他の女神の神殿にくる子たちがそこでどういう扱いをされるのかは知らないけど、アタシの神殿に来る以上アタシが望んだ姿でいてほしいから、新人のうちに共同で暮らさせるよ。斎火ってだけでもともと特別扱いされて育ってきてる者たちだから、そういう尖った鼻をへし折ってやりたいってあたしの願望もあるんだけど、いい子たちだからもっと研鑽してほしいのよ。相手を通して自分を知ってほしくてね。」
「共同生活ですか…、」
体躯の見事な虎が複数いても広いと思える場所だから、神官たちが集められて暮らしていても息苦しくはなさそうだ。
「ここでは、自分のためには魔法を使うと呪いになるってのは話してあったわね? 神官たちはお互いのために魔法を使いあって生活して、それまで育ててしまっていた驕った心を捨てていくの。虎たちは神官たちの先祖が転生した姿なのだって教えておくから邪険にしないし、大事に扱うようになるわ。」
「だから、神の使いとして大切に扱うんですね…、」
「実際はアタシが直接出向いていくから使いなんていらないんだけどさ。あの者たちからすると、そうあってほしいって願望が混じってしまうのかもしれないし、そうしたいんじゃない?」
ほとんど空になったスープボールをスプーンでつついて、ラーシュ様は楽しそうに笑って肩を揺らした。
「悪くない味だったわ。ほら、冷めないうちにお食べなさい。アンタの好きな味なんでしょ?」
一口が大きいラーシュ様は食事も早い気がする。わたしも急いでスプーンを口に運んだ。
ん?
そうなると、『ここへは一人だけで転送されてくる神官はいない』って理屈になるんじゃないのかな。
相手を思いやる心を育てたいのなら、相手がいない状態である『一人』って、条件に合わない。
わたしがここに一人で来ている時点で規定外だし、そもそも誰かのため料理を作る必要がなく自分のためにしか料理は作らないから魔道具が作用することもない。
明るすぎて眠れない夜も、もしかしたら相手が眠れますようにと願えば暗くなったりする仕組みだったりしたのかな。
誰もそう願ってくれない状態で、わたしの部屋が暗くなるはずがない。
何しろそういう配慮をしてくれそうな対象は、わたしをここへ呼んだラーシュ様しかいないのだ。
…。あれ?
もしかしてわたし、ラーシュ様にそういったお心配りをいただいていなかったりする?
「忘れていたんだから仕方ないでしょ。アンタ、おいしいなら黙って食べなさいよ。」
声に出していないのに注意をされてしまって、声に出していないのにな~と戸惑っていると、そういえばここに来た日、頭の中に音楽を流しておきなさいと教えてもらったのを思い出す。ここでは何を考えていても何をしていても人間はわたし一人で他には虎しかいない生活だったので、わたしの考えていることは大きな声になって伝わっていると言われたのをすっかり忘れていた。
「あの、もしかして、ずっと聞こえていたのですか?」
お名前を呼んで奇跡を願ったあの時から、ずっと?
「アンタの頭の中の声に返事してあげていたのに、まさか、気が付いていなかったの?」
やけに話が通じるなあとは思ったけれど、当たっていたんだ…。
「そんな気がします。」
1周目の未来での話を思い出していたのを思い出して、もしかしてそれも聞こえていたのかなとラーシュ様の顔を見ると、「何よ、あたりまえじゃないの」と眉間に皺が寄った表情をされてしまった。
「あれはあくまでも『月』の見せた世界での話でしょ? 現実はこっちよ?」
ラーシュ様はちらりとわたしを見て顔色を確かめた後、スプーンでスープボールの底を突きながら、「あのさ…、」と話し始めた。
「アタシの元へ冒険者の職位変更の一環で神官になって神殿に身を置くことになってこの神殿にやってくる者もいたことはいたから、『月』が冒険者に起こりうる未来を見せているのは知ってる。自己犠牲を仲間にしてしまい、起こりうる未来として死を体験してしまった者もいたわね。まったくの虚構なのか統計上そうなる可能性が高い未来なのかまでは判らないけど、治癒師や神官の使う魔法の性質上、致し方ないのかなとも思ってるわ。だけどさ、だからといって死を恐れすぎてはいけないし、そういった強烈な記憶を意識過ぎるのはよくないと思うわけよ。」
『わたしの経験はわたしだけの大切な体験なのであって、他の誰かと比較できないものだ』とこっそり思っていたりするので、先例があって汎用的な見解があるのが少しだけ面白くない。
「アタシがアンタに言ってあげられるのは、自分さえ犠牲になれば大切な仲間が救われるって考えは止した方がいいってことくらいかしらね。犠牲になれば仲間が生き延びられて幸せなんて思うのは、間違ってると思った方がいいわ。アンタも仲間もみんな生き残って幸せってのが、アタシは幸せってことなんだと思うわけよ。」
「高潔な自己犠牲って魔法を、全否定されるお考えですね。」
「当たり前じゃない。魔法ってアタシが作ったものじゃないのよ? 判ってる?」
太陽神ラーシュ様はコップも空にした後、わたしを小指で指さした。
「アンタの持ってるその骨の持ち主が力を借りたのは精霊王じゃなかったかしら。精霊は自分が満足するために魔法を使うから、根底に流れている考え方がアタシとは違うのよ。人間はどちらかというと精霊寄りね。」
「神官もですか?」
「白魔法と言おうと魔法と言おうと、どっちも魔力を使う方法じゃないの。」
笑いながらラーシュ様は、「さ、食べておしまいなさいよ、片付けるわよ?」と急かしてきた。
「アタシが作ったアンタの母親の料理なんだから、最高においしいと思うわよ? そうよね?」
何度も頷いて、何度も頂いた言葉を噛みしめながら、わたしは黙って食事をしていた。無心になって食べるのが一番いいのではないかと思えても考えてしまっていたので、実際にはラーシュ様には何かしらわたしが考える声が聞こえてしまっている。
お忙しいと想像するラーシュ様がわたしのために時間を作ってくださっているのは嬉しかった。わたしのために作ってくださったというだけで、魔道具が目指した味は母さんの素朴なスープなはずなのに御馳走だと思えてきてしまう。
心を空っぽにして食べていると味が記憶を刺激して、母さんや父さん、オルジュに師匠、公国での日々を思い出してしまう。
こんなにおいしいものを、時間を気にして食べたくないなと思ってしまった。
そして何より、こんなにやさしくておいしい『わたしのためだけの食事』を作ってくださったラーシュ様に、わたしができる感謝を伝えたい。
「…ラーシュ様、お礼にわたしが片付けます。どうかお任せください。」
「どうしたのよ、急に。」
困らせないように物わかりのいい顔を作って、わたしは怪訝そうな顔をするラーシュ様をじっと見つめた。
「作ってくださった感謝をお伝えしたいのです。後片付けくらいさせてください。この後もお仕事、待ってるんですよね? どうか、ラーシュ様のお時間を大切になさってください。」
本心でもあり、演技でもあり、わたしはこの太陽神ラーシュ様という存在が好きになってしまっているのだと自覚しながら気持ちを伝えてみる。
「アンタね。アタシが良いって言ってんだから、時間なんて気にしなくていいのよ、」とムッとした顔になった後、ラーシュ様はしたり顔に変わって、「そうか、そうか。アンタはそういう仁義が気になる子だったわね、」と笑った。立ち上がると、「わかったわ。それじゃ、アタシの分だけ片付けちゃうわね、」と言って食器を洗い始めた。
てきぱきとしている後姿を眺めながら、わたしはのんびりとスープを味わった。
わたしではない誰かがわたしのために時間を使って料理をしてくれて、わたしを気遣ってくれている。
ここ数日で食べた中で一番の贅沢な夕食だった。それ以上に、とても密度の濃い重要な時間でもあった。
「これだけ作ったから、明日の朝も食べられるんじゃない?」
鍋を覗いてそう言って、食器を布巾で拭きながらラーシュ様はニヤリと笑った。
「ゆっくりお食べなさい。気に入ったんなら早く公国のアンタの家に戻ることね。アンタの父親はそれはもうヤキモキしてアンタの帰りを待ってるからさ。」
わたしはラーシュ様が「じゃあね、また明日ね」と言って姿を消してしまわれるのを見ていた。
父さんの話題をすると意地悪い顔になるなと思いながらスープを眺めていて、ラーシュ様の気配が消えて部屋の中へと虎が入ってきたのに気がついた。
近寄ってきた虎たちがわたしを取り囲んで、テーブルの上のスープ皿を興味深そうに眺めている。
「料理、できないんじゃないの、できなかったの。」
彼らにとって『わたしは料理ができない子』という印象が残るのが訂正しておきたいので、あくまでも魔道具が仕えこなせなかったからできなかったのだと言い訳をしておかなくてはいけない。
「わたし、これでも癒しの手あがりの治癒師なのよ?」
神官ではないのだとも伝えておきたくて手にある冒険者の証も見せておく。
「いつか、呪いも解ける上位神官にもなれたらいいなって思ってるわ。」
虎という転生後の、自分の血の源流を目の前にして誓うって変な気分ねと思っていると、頭の上に大きな虎の手が乗った。
「重いよ?」
どけてほしくて身を捩ると、別の虎にもべろりと頬を舐められた。
声は聞こえないのに、頑張ってねと言われている気がして、『頑張ってみる』とわたしは心の中で答えておいた。
ありがとうございました




