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6、虎の違いはわかっていない

 聖域にある神殿に転送されてきたわたしは、帰ってきたという安心感とどうしようもない空腹感に(うずくま)りそうになりながらもいつものように居住区の厨房へと向かおうとして、とても中性的でとても煌々しい丸に近い体型へと姿を変えたラーシュ様がその場に佇んでいるのに気が付いた。珍しい。いつだってわたしだけをここへ転送して、ご自分はお仕事とやらに戻ってしまわれるのに。

 神殿の奥から現れて寄ってくる虎たちはわたしの手や腕に顔を擦り付けてきて、すっかり慣れた素振りで歓迎してくれている。「おかえりなさい」とでも伝えたいみたいだし、もうわたしを家族だと思ってくれている類の親愛を感じる。

 じっとしたままで動こうともしないラーシュ様は、顎を上げて空を睨みつけている。何かを聞き分けているかのように時々耳が動く程度だ。話しかけようとすると、しーっと人差し指を立てて、話しかけないでとも言いたそうな眼付に変わる。


 外界では、雨が降り出したみたいだ。

 この神殿は空が霧のような高く広く白く光る屋根のような結界に覆われていて雨が降ってこないけれど、空気の中に溢れ出した水分や雨の匂いが混じっている。


「雨、ですか?」

「違うわ、雨じゃなくて、」

 言いかけてやめたラーシュ様は、緊張した表情になっている。


 まさか、侵入者なのかな。

 この聖域に?

 ラーシュ様がわたしを迎えに来てくれた間に侵入者でもあったのだとしたら、わたしも動かない方がいいような気がしてきた。湧き出た聖水のおかげで魔力は体中に満ち溢れている。空腹なのを考えなければわたしの状態は絶好調で、一応戦力にはなれると思う。

 尋ねる意味を込めて、首を傾げてみた。眉間に皺を寄せて真顔になったラーシュ様は、わたしに向かって「ちょっとアンタ」と声をかけてくださった。

「聞くけどさ…、昨日はどこで寝たの?」

 だるそうな口調の女神の言葉(マザー・タン)で、呆れたように目を細めて、首を傾げたままのわたしを見据えていた。

「わたしの部屋で寝ていたと思います。」

 空腹なのもあってとても長い一日の向こう側のはるか遠い記憶のかなたの出来事のように感じながら、自分の行動を思い出してみる。外で行き倒れるみたいに虎と寝てはいけないと反省していたし、せっかく理想的で快適な暗がりを作ってもらえたのに明るい場所で眠る理由がないから、自分の部屋のベッドでぐっすりと眠った気がする。

「思います?」

「寝ていました!」

「そう、なら今日もそうしなさい。」

 ラーシュ様はふうと溜め息をついてくるりと背を向けた。

 それだけ?

 ちょっと納得できないな。

「なにかあったんですか?」

 場合によっては食い下がってみるつもりで聞いてみる。

 ラーシュ様は、体の向きをわたしへと向けなおしてくださった!

「気のせいかもしれないけど、アンタ以外の人の気配がするのよ、」


 こんな切り立った崖の上の神秘に満ちた聖域に来る人がいるんですか? と否定してしまいそうになってみて口を噤む。

 いるとしたら、父さんだ。悪い魔性であり邪神ともいわれる父さんなら、影さえあればできなくはない。

 暗がりを作ってもらったわたしの部屋から出入りすればいいのだ。あの父さんならなんだってやりかねないなと思ってみて、そういえばずっと姿を見ていないなと思い至る。ここのところずっと、父さんの気配はない気がしてきた。自立したくて呼ばなかったのもあるけど、神殿ばかりを移動していたのもあるし、頼りたくなかった。

 だけど、ここへわたしがいるのを知っている人は父さんしかいないだろうなと思えたし、この神殿に来れそうなのも父さんしか思い浮かばない。


「どんな気配ですか?」

「言いようがない不気味さなのよ。何かの術でも使っているのでしょうね。気のせいかもしれないけど、虎も何匹かいない気がするのよ。ここにいる子たちは何も知らないみたいだから、何とも言えないのよ。」

 神様なのにえらく弱気だな。

「とはいえ、虎は単独行動を好むから、アタシが何かを言ったからって習性を変えるような性格をしていないのよね。」

 虎の様子と言われても、昨日と何が違うのかわからない。話ができない動物の意思表示をどうやって知るのか知りたくて手に顔をくっつけてくる虎の瞳を覗き込むと、嬉しそうにきらきらとした瞳を向けてくる。わたし達の言葉や会話を理解していてこういう表情をしているみたいだ。

「ラーシュ様は、御覧になっていたのではないのですか?」

 太陽神と呼ばれる神様だし、太陽が昇っている限りどこまでも見えているのではないのかな。

「見ていないわ。」

 神様なのに?と言いかけてやめる。万能なら、太陽神と限定されていない。

「確かにアタシは太陽神って言われてる。残念だけど、絶対無二でも万能ではないのよ。全知全能でもないわ。太陽を毎日同じ時刻に同じ軌道で同じように動かし続ける役目を守るだけの存在なのよね。そこ、よく勘違いされるのよね。」

「?」

 神様についての定義を神様自身に解説してもらえている?

「ほら、輪廻の輪って、春の女神が紡いだ運命の糸を太陽神が回転車に巻きつけて月の女神が回して時の女神が巻き取るって仕組みがあるじゃない? アタシたち、四六時中その輪を維持してたりするのよ。それ以外のことをやってる暇がないのよね。」

 肩を竦めてラーシュ様は「なんなら、太陽を一日中見守っているのだと思ってくれればいいわ。太陽以外は見ていても見ていないようなものなのよ」と笑った。つまりは地上を見ていないって意味に聞こえる。

 わたしの今日の働きを見てくださっているわけじゃないんだ、と思うと期待外れだけど、そう言われればそうかもしれない。

「虎に関して言えば、アタシにわかるのは見知った顔が何匹かいないってことかしら。」

 ん?

「見知った顔、って、もしかして見分けがつくのですか?」

 虎ってどれも虎じゃないの?

「つかないの? アンタってどういう目をしているのかしら。」

「どれも虎ですよ? 同じ模様で同じ大きさに見えます。」

「アンタねえ…! 人間の顔だってみんな同じじゃない? それを見分けられてるんなら、虎だって可能でしょ? 個体差があるって思わないのかしら。」

 目を丸くするラーシュ様の言葉に、それもそうだと思い至る。人間の顔の違いは覚えるのに、虎の顔の違いを覚えていないのだから不思議だ。差を考えているうちに、人間には名前があるから顔も覚えやすいのかなと思えてきた。虎に名前でも付けていれば、違ったかもしれない。

「人の気配がして虎がいなくなるって、あまりいい想像がつかないのよ。この子たちは人に慣れていないから、警戒せずに捕まってしまっていそうなのよね。」

「あ…、だからわたしにもこの子たちは優しいんですね。」

 わたしの周りに近寄ってきていて身を寄せてくる虎たちは、獰猛な神虎というより体の大きな猫みたいな懐き方をしている。いくら後ろ足で立ち上がるとわたしの倍以上の背の高さがあるように見えている巨大な猛獣でも、中身は人間が危険だと思っていない無垢な心の生き物なままなのだ。

「アンタは自分のために周囲を警戒するのよ? ほとんど攻撃の魔法、使えないわよね?」

 実戦の経験がないのも、見た目や言動でバレてしまうのかな。鎌をかけられての質問なのだとしても、図星を指されるのは言葉に詰まる。 

 驚くわたしに、ラーシュ様は念を押してくる。

「腕力もない非力な人間よね?」

 誇れるほどの筋力がないから魔法で廃材を細かく砕いて運んだのを、もしかしてバレていたりするの?

「…そうです。」

「追い詰めるつもりはないわ。誤解しないでよ? 確認したかっただけよ? アンタは海鳴りの弓矢を使ったでしょ? なのに、シルフィムの子にしては魔力の反応が変だと思ったからアンタの足跡を辿ったのよ。アタシは太陽神の神殿に所属する神官の頭の中なら覗けるからね。」

 覗く対価は何だろうと考えているうちに、神殿の神官が女神さまを召喚できる資格を持つのは、見返りとして情報を差し出しているかもしれないなと思いついてしまった。

「ブロスチのフローレスと言ったかしらね。あの者は毎朝アタシに祈祷を奉げてくれるのよ。もちろん、祈りをささげてくれている間だけ、覗かせてもらったわ。」

 ブロスチには太陽神の神殿はなかったけれど、フローレスのフィレナ一家は祭事官の家柄だったと思い出す。

「あの者の持っていたアンタの情報がこれだけしかなかった、と言った方がいいかしら。アンタの父親について知らないみたいだったし、そんなに使える情報でもなかったってのが本音ね。」

 フローレスに話したわたしの物語が詳しくなくてよかった。

「父さんは…、どうやってお知りになったのですか?」

「アンタの父親はアンタの陰に潜んでいたし、アンタと魔力の色がよく似ていたからすぐにわかったわ。そうね、…ここにきている人の気配はアンタの父親のものではないわ。それだけは言っとくわね。もっと別の、濃厚な()()()気配がするのよ。虎のいなくなった原因がこいつらなら、アンタの存在を知られるのは面倒なのよ。」


 聖域と言われるような場所に忍び込んでこれる人間は、普通の人間ではないと言い切れる。並大抵以上の魔力を持ち、この崖を上がってこれる精神力で、虎の使う危険な獣道を降りてこれる強靭な肉体がないと難しい。そんな人、冒険者にだってなかなかいそうにない。わたしの知りうる限り、そんな人は(ドラゴン)騎士(・ナイト)シューレさんか、同格の(ホーリー)騎士(・ナイト)くらいだ。

 1周目の未来でのわたしならいざ知らず、2周目のわたしは、シューレさんがどこにいるのかも知らない。わたしと出会っていないのだから、ミンクス領のククルールの街付近にいるのではないかなという程度の認識しかない。(ホーリー)騎士(・ナイト)から暗黒騎士になってしまったアレハンドロがわたしがここにいると知っているとも思えない。

 ここに来るまでのわたしは治癒師(ヒーラー)としてばかり生活していたし、ここに来てからは火の魔法の鍛錬をずっとしていた気がする。水の魔法も地の魔法も、誰かを攻撃するために使っていない。今のわたしの精神状態で、誰かを打ち負かしたりできる気がしない。

 魔物でなく人なのだとしたら、いったい誰が何の目的のために聖域の周辺にて虎を捕獲していたりするのだろう。

 不穏な情報に寒さを感じて、わたしは思わず腕で自分自身を抱きしめていた。


「虎はもう少し様子を見てみることにするわ。神殿(ここ)にいる限りアタシの支配下にあるから大丈夫だろうけど、アンタは自分の身を守るためにもなるべく自分の部屋に引っ込んでおくのよ? うっかり外で寝たりしちゃ大変なことになると思っておきな? いいね?」

「判りました。」

 素直に返事をしたわたしを見て、ラーシュ様は「そうよ、そうしなさい、」と口を尖らせた。

「変な奴らを見たらアタシの名を呼んで? アンタにはアタシの祝福を改めてあげておくから。」

 ふわっと何かをわたしに向かって放り投げる真似をして、ラーシュ様は意地悪く微笑んだ。


 暖かな魔力とともに光る粉のような輝くきらめきがわたしに向かって流れてきて、瞬く間に肌に馴染んで溶けた。

 瞬間的に肌の表面は金色に輝いて、魔力に満ちた美しい光の粒を手に掴もうと空へと腕を向けた。

 暖かな風がわたしの背を押してくれているようで、知らず知らずのうちに、背を伸ばして顔を上げていた。

 

「アンタなら大丈夫。アタシが保証するわ。だからって、努力を怠ってはダメよ? 素晴らしい世界が素晴らしい世界のままでいられるように努力なさい? いいわね?」


 満ち足りた気持ちになって何も言えないまま、わたしはラーシュ様の姿が消えてしまったのを眺めていた。

 残されたのは虎たちと、わたしだけだ。

 ひとりになったのに気が付いてしまうと、ちょっとだけ、つまらないなと思った。


 ※ ※ ※


 この神殿の中心の広間にある祭壇には供物が山と積まれていて、初日に教えてもらったラーシュ様の説明によると、各地にある太陽神ラーシュ様の神殿に捧げられた供物が転送され集められてきているらしかった。『アタシは食べないから虎が食べてしまうのよね、』と言ったラーシュ様は、桃を早速手にとってわたしに勧めてくれた。虎たちは器用に手を伸ばして端にある果物から転がして落として食べている。どの虎も躊躇いがないのもあって、ここは餌場だと思っているように見えた。神虎というだけあって、食べるものにも気を使っていたりするのかな。

 ちなみにここの食べ物は持ち出せないらしい。ラーシュ様には『ただし、()()()()()()()()というものなのよ。この聖域の神殿で消費する分にはいくら食べても構わないけど、絶対に持ち出してはダメよ、呪いが掛かってしまうから』と念を押されてしまった。

 おかげでこの神殿のある聖域は皇国(セリオ・トゥエル)でも純度が高い皇国(セリオ・トゥエル)にある場所なのだろうなと見当がついた。皇国(セリオ・トゥエル)の魔法は自分ではない誰かに使うのが基本なので、自分のために掛ける魔法は使えない。クアンドにいた時も、公国(ヴィエルテ)人の魔法使いでも治癒師(ヒーラー)という()()()()()()使()()()()()()な職業であるわたしだからあまり違和感なく過ごせていただけなのだ。もっとも、あの街は卑怯な魔法陣により知らず知らずのうちに呪いがいくつもかけられていたので、皇国(セリオ・トゥエル)の魔法が使える条件や環境を排して違法な実験がしやすいように公国(ヴィエルテ)寄りの街に仕組みを作り替えられている可能性もある。

 持ち出す行為は自分の利益のための行動なので、わたしがここに来た時自分自身に治癒(ヒール)の魔法をかけて呪われたのと同じ効果が跳ね返ってくるのだとしたら、だんぜん避けておきたい。いまのところ、わたしは持ち出しても持ち出そうともしていない。

 供物、というだけあって、野菜も葉物はなく穀類や豆類、根菜類ばかりで、あとは果物ばかりだ。特に土地柄で、皇国(セリオ・トゥエル)特有の果物や豆類が多かった。ときどき公国(ヴィエルテ)の果物や野菜が混じっていると、クラテラや公都(ワシル)にある神殿から送られてきているのかなと思えて懐かしくなる。肉っ気は当然なくて生臭ものと言われる魚もないので、神官として食生活に心を配り中から不浄を避け身を清めるってつまり、ここで生活できるかどうかなのかなと思えてしまう。

 ブロスチでは果物ばかりを食べていたのでこういった食生活の偏りは苦ではなかったけれど、さすがに水で洗えばすぐに食べられる果物やトマトやキュウリばかりを食べているのは飽きてしまっていた。野菜は野菜でも、別の野菜が食べたい。

 聖域にある神殿とはいえラーシュ様ご本人がお住まいの場所だけあって不敬や不浄を避けるためか刃物もないので、厨房でできる調理は洗うか鍋で丸ごと煮るか直火で焼くかくらいだった。しかも残念なことに、地属性の魔法使いであるわたしは生活魔法で火は扱えても鍋で煮込めるほどの火力は出せないので、豆は水にふやかして柔らかくなるのを待つしかないし、せいぜい直火でゆーっくりゆーっくり炙る程度に焼くだけだったりする。手間と労力を考えると豆の丸焼きよりも果物を水で洗って食べる方が手間がなくていいので、どっちかと言えばしない方がいい調理法だ。

 昨日までは派遣されて行く神殿への差し入れを分けてもらえたり神殿の神官たちの共同の宿舎の食堂を使わせてもらえたりしていたので、昼食だけは充実していた。今日行った神殿で食べたのは聖水とスモモ一個だけだった。粗食にもほどがあると思うのと同時に、最近のわたしは誰かに昼食の手配をしてもらうのが当たり前になっていたのだと気が付いて反省したりもする。冒険者なら自力で調達を考えた方がいい、まずは魔物(モンスター)を狩って資金を作ろうとまじめなシューレさんなら言い出しそうだなと思えたし、コルなら聖堂に寄って炊き出しを貰いに行こうって笑っていたと思う。わたしなら…、野山を指さして種を拾ってきて自分で育てた方が早いわって言い返していたなって想像すると、1周目という未来は本当はないはずの世界なのに懐かしくてたまらない。ここは2周目で、師匠なら情報を集めましょうって言い出しそうだし、ベルムードなら早々と地元民に溶け込んでお金で解決していそうだ。レゼダさんなら狩りに行きそうだし、アレハンドロはそもそも食事など必要ないと耐えていそうだ。

 わたしは、一人じゃない。この世界でもわたしはわたしのままでいたい。甘ったれていないで明日からの昼食をどうするのかまじめに考えた方がよさそうだ。市場に行けたら治癒師(ヒーラー)として治療して診察代として小銭を稼げる。

 村にも市場があるとして、問題があるとすると、あの村への魔物の襲撃はもう止んだのだろうか、村を守って、追い払えたのだろうか。怪我人がいたとしたら安全な場所で治療を受けられているのか、心配になってくる。

 あの村に残してきたプレーヌはまだ幼い若木だ。無神経で無配慮な魔物の被害を受けていないか心配になってくる。

 窓の外へ視線を向けても、雨の気配はどんどんと強く濃くなっているのに、結界の中にあって雨降り空は見えない。

 どんなにもどかしくても明日まで動けない以上、時が経つのを耐えて待つしかないのだ。


 厨房のテーブルの上に水洗いしたトマトやキュウリやオレンジや果物をいくつか並べて順番に食べていると、厨房の中にいた虎とは別に、一匹の虎が近寄ってきた。

 わたしがこうして食事をしていると近寄ってきた虎の中にリンゴを試しに差し出してみたら食べずに床に転がしてオレンジを強請った子がいたので、それ以来わたしの食事中に近寄ってくるのはその子だと判断してオレンジを差し出していた。いつもの子なら慣れた素振りで口に受け取ってくれるはずだ。まだまだ虎の顔の見分けがつかないけど、こういった小さな差異を虎の中に見つけている最中なのだ。

 低く唸るとオレンジを顔で払い落とした虎は、じっとわたしを上目遣いに睨みつけていた。

「どうした?」

 いつもの子じゃないの?

 何かを話してくれればわかるのに、と思いながらその先を待ってみても、睨むばかりで言葉は聞こえてこない。顔の違いが判るほど、虎に個性を見つけられていない。

 諦めてわたしが食事を再開すると、その虎は八つ当たり気味に尻尾でわたしの足を叩いた後、よろよろとふらつきながら厨房を出て行ってしまった。

 空腹で体力がないのかまでは判らないけど、我慢せずにオレンジを食べたらいいのに。欲しい果物がオレンジじゃなくなったのかな。いつもと違う反応に理由を考えながら食べていて、もしかするとラーシュ様の「虎がいない」話は、オレンジが好きな子のことなのかと思い至った。その子を探してほしくて食事どころではないのだとしたら、あの態度も納得ができる。

 だけどもしその子がいなくなった虎なのだとしても、ラーシュ様の言いつけを破ってこの神殿を出なくてはいけなくなるので探しに行けない。どうしたらいいのかと悩みながら食べていると、味わいも感動もなく並べていた果物はなくなってしまった。


 もやもやとした気持ちはあっても空腹は満たされて、厨房を出たところで、お利口に座って待機してわたしを待っている虎を見つけた。さっきの虎かどうかはわからないけど、さっきの虎かもしれない。

「ねえ、お前、わたしが知っている子がいなくなったから教えに来てくれたの?」

 話しかけてみると、虎は首を振った。待っているのには、別の理由があるみたいだ。

 何か印象に残るようなことをしたのだとすれば、わたしが虎としたことって、眠れない夜のお散歩くらいだ。そのまま外で石畳の上で寝てしまってラーシュ様に怒られたけど、今日はそのつもりはない。

「一緒に、散歩でも行く?」

 目を輝かせてわたしの手を舐めて歩き始めた。戸惑っていると、数歩先で待っていてくれたりもする。

「もしかして、ついてきてって言ってたりする?」

 冗談交じりに問いかけると、虎は黙って頷いて、また数歩先に行ってわたしを待っていた。

「誰かと一緒にいたい、そんな日が虎にもあるってことよね?」

 ラーシュ様からは自分の部屋に引っ込んでいなさいと言われたし言われた気がしなくはないけど、ソレはそれだ。

 あくまでも散歩だし、少しだけだし、行ってみよう。

 無理をしなければいいよね?と自分自身に言い訳して、わたしは虎の後を追いかけて歩き始めた。

ありがとうございました

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