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33 重要なのは結界に閉じ込められている者

 天井に向けた手のひらには、一瞬にして炎が玉のように浮かび上がっている。

「兵士や騎士は入るな。私は武器を持たない善良な公国(ヴィエルテ)民だ。従者か侍女しか許さない。」

 赤々とした炎に照らされながら、堂々と王国語で怒鳴った。


「貴様っ…!」

 悔しそうな近衛兵長たちは、顔を赤くしてスタリオスを睨みつけてている。

「殿下を人質に取る気か!」

 ランスが、ひょっこり人垣の後ろから顔を出した。フリッツに向かって軽く会釈すると、集まる人々の奥の方から掻き分けるようにして、従者(カーク)侍女(ドレノ)が現れた。

「私が行きます。」

 軽く手を挙げてカークとドレノが謁見室に入ってくる。フリッツと顔見知り飛ばれては困ると気を利かせているつもりなのか、カークは俯き加減に視線を落として、手と足の出す順番を合わせてぎこちない歩き方まで演出していた。

「殿下、その者たちにお伝えください。」

 ランスの声にも、スタリオスはカークとドレノを怪しんでいないようだ。

「わかった。」

 カークは魔法の炎を一瞬にして消して見せたスタリオスの傍を緊張気味によろめくように歩く演技までしていて、フリッツはさすがカークだなと感心してしまった。

 フリッツの傍に立つカークとスタリオスとの間に、メイド服のスカートを広げて会釈するドレノが立ちふさがった。

 

「殿下、」

 スタリオスの注意を引き付けている間に、カークは囁きかけてきた。スタリオスからはフリッツの口元はカークの背中で隠れているので、安心して話していいのだろうとフリッツには思えた。

「近衛兵たちはすべてこの部屋の周辺に集まってきているのか?」

「いいえ、昼食会に半分、この部屋の前に半分、と言ったところです。」

「王城内の警備は?」

「…王城の騎士団が見回りを強化しています。減った兵士の代わりに、侍女が増援されています。」

 想像していたよりも警備は手薄な印象だ。


<お前は?>

 カークの体で表情が見えなくても、スタリオスが不思議そうに尋ねているのが聞こえてくる。

<侍従長様から伝言を預かってまいりました。>

 小柄で幼い見かけのドレノは、いつになくかわいらしい声で意外に綺麗な発音で女神の言葉(マザー・タン)を話した。こうして声だけ聴いていると、侍女として働き始めたばかりの新人に思えなくはない。


「ラナの部屋は?」

「…確認します。」

「誰もいないのか?」

「少なくても警備はいると思いますし、結界がありますから侵入はできないはずです。」


 フリッツの記憶の中に、隠し通路で見た異形そのものな精霊が不意に思い出された。

 上半身と下半身とが別々の生き物でできている存在は、もしかすると、ラナの言う古の存在なのではないか。

 命のロートはラナの部屋では見つかっていない。

 古の存在の手に既に戻ってしまっているのなら、ラナの部屋にあるはずがない。

「結界の中にいた、」

 閃いた言葉がつい口を出てしまっていた。フリッツは慌てて口を閉じる。

 古の存在と出くわしたあの場所は、階が違うだけで、ラナのための結界の中にある。

 

 コルは退魔師(ジーニー)として王城へきてラナを結界に閉じ込めるついでに、ドニと古の存在を閉じ込めた。

 廃人となったドニは救出されたけれど、まだラナと古の存在は閉じ込められたままだ。

 結界はラナが降嫁して王城を出るまで解除されずに維持される。古の存在は結界の中にいて出られなくなってしまっていたのだとして、この先、どうやって出るのだろうか。

 嫁ぐためにラナが王城を出る日までは結界は解除されないと決まっている。

 フリッツが見た時、古の存在は人目につかない場所に隠れていた。フリッツに何も手出しすらなかった。今思えば、体力も魔力も結界の中にいることで消耗しているから休んでいたのだろう。

 精霊でもなく魔物(モンスター)でもない異形の存在を、フリッツは古の存在以外に知っている。

 名前のない人だ。

 名前のない人も遥か彼方の神話の頃の存在なので、ある意味、古の存在と言えるのかもしれない。

 神のような存在である古の存在を召喚する際、コルが何らかの契約を結んでいるのなら、結界に閉じ込めてしまって開放していない現在、このままだと契約の反古となりコルは罰として対価を奪われてしまうのではないかとフリッツには思えてきた。

 ミルカは運良くフリッツと結界の外へ出てこれたけれど古の存在は出てこれていないのだとしたら、コルは契約者として救い出さなくてはいけない。

 誰かに取り憑ければ外に出る方法があるのだとしても、ラナの世話をする者たちは神官の血を引く者たちで固められている。古の存在は神かもしれないのだとしても安易に憑依できるとは思えない。

 スタリオスは仲間とともに、何らかの方法で古の存在を救出しようとしているのだ。


 まさか、王城へ入るために、コルは王国で火の精霊王の神殿の斎火(いみび)の神官となったのではないか?


 計画があっての行動なら、古の存在もドニも、脱出できる方法があったはずだ。

 計画が計画通りに進んでいないから、ドニは廃人となり、古の存在はラナと閉じ込められてしまっている。

 計画を破綻させた原因は何だ? 

 フリッツは言葉を失った。

 あの日、コルたちの計画にない想定外の行動をした人物とは、私ではないか…。

 フリッツは空中を睨んで自覚がないうちに唇を噛んでいた。スタリオスが担っているのは計画の邪魔になるものを排除する役割だとすると、前回のドニたちの計画の邪魔をした私に用事があったのだ。だからあの時、本望と言ったのか。


「殿下?」

 カークの声が聞こえた気がしても、フリッツは答えたくなかった。

「お怪我はありませんか、変な魔法でもかけられていませんか?」

 カークは心配そうにフリッツの顔を覗き込んだ。

 答えが見えそうなのにと思うと、手で払って邪険にあしらってしまう。


 王城に堂々と入るためにコルは斎火(いみび)の神官となったのだと仮定した時、スタリオスも理由を知っているのなら、協力しているとしてもおかしくはない。

 協力する方法として、コルの周辺から近衛兵を減らす方法が『王族を呼び出して足止めをする』のだとしたら、スタリオスとコルの他に、別行動を取り計画を進めている者たちがいる。

 彼らはドニの仲間ではないとみるのが自然だ。ドニの仲間なら、ドニを救い出さなかった上火の精霊王の神殿となり亡命までしようとしているコルを裏切り者として切り離し、古の存在の暴走を見て見ぬふりするだろう。大体、ドニが王城へ紛れ込んだ理由も平和的な目的ではないはずだ。コルがドニを裏切ったからスタリオスが協力していると考えるのが無理がない。

 スタリオスの仲間がどういうやり方で古の存在を結界から出すのかまでは判らないけれど、人がいては困るような方法なのだと推測できた。

 古の存在が異形で恐怖で混乱する者が出ると言った類の視覚的な理由ではなく、古の存在が閉じ込められて増幅させた怒りをどういった方法で解消するのか予測がつかないから、できる限り周囲から人を減らし巻き込まれるのを回避しているのだろう。

 そしておそらく、開放に失敗した時は『斎火(いみび)』の神官としてコルは責任を取るつもりなのだ。


「殿下?」

 カークが、心配そうにフリッツの瞳を覗き込んだので、フリッツはさすがに我に返る。

「先ほど陛下から近衛兵長へ言伝がありました。公国(ヴィエルテ)がどう言って来ようと、王国で神官として認めるとのご判断されたそうです。」


 父上には父上のお考えがあってコルをお認めになったのだなとフリッツは思い、コルが友好的な態度で昼食会に臨んでいるのだと理解してほっとした。

 フリッツとしては一番避けなくてはいけないのは、コルがドニとラナと信念を共にした仲間で、ドニとラナがいなくても計画していた何かを遂行するつもりがある場合だ。最悪を想定するなら、国王と国王妃である両親がコルによって甚大な被害を受ける事態となることだけれど、幸い、騎士団長も他の火の精霊王の神官たちも同席している。王城という場所を守るだけなら、人柱となったイーラや守護精霊のジーブルやフーもいる。

 スタリオスとコルの目的が同じかどうかを確認する手段があれば、安心できるのだがな。

 フリッツはふとそう思い、同時に、コルが火の精霊王の神殿の神官たちの話を聞き流して何かを数えていた姿を思い出した。

 あれはもしかすると、スタリオスたちとタイミングを合わせて行動しているからこその、無意識での仕草なのかもしれない。


「わかった。父上にはこちらは任せてほしいとお伝えしてくれ。」

 フリッツは、ラナのいる結界から古の存在を出してしまうのが先決だと悟った。

 ラナは陰火(いんか)だ。神のような存在を取り込もうとするとは思えないけれど、神のような存在の怒りなら買えてしまいそうだ。

 スタリオスが神のような存在を結界から逃がすと決めてフリッツや近衛兵たちの行動を規制しようとしているのなら、それ以外に対してできる限りの備えておいた方がよいとフリッツは考える。

「…この城には、警備情報を外部に漏らす内通者が紛れ込んでいる。」

 ドニとコルの他にラナに協力する者がいないか、見つけておかなくてはいけないのは確かだった。コルとスタリオスが最善を尽くしても、ドニの敵討ちを考える者がいるのなら台無しになる。

「殿下、」

 カークが顔色を変えた。

「用心しろ、ドニの仲間だ。素早く静かに内通者を探せ。」

 これで彼らも、足止めができる。


<侍従長? 何の用だ? 言ってみろ。>

 スタリオスがドレノに絡んでいる。

<お食事をご用意したほうがよろしいですか? それとも、焼き菓子をお持ちしましょうか?とのご配慮です。お教えください。>

<妙な配慮は結構だ。>

 スタリオスが声を荒らげている。


 フリッツは「時間がないのだ」と早口で囁いた。

 古の存在は、人を集めれば倒せる程度の相手ではない。

「早く見つけ出せ。もちろん父上には知らせるな。近衛兵長の手抜かりになる。」

 ラナの結界の近くにいた近衛兵たちは騒動に巻き込まれてしまう可能性がある。神のような古の存在の攻撃に、魔力を持たない人間が耐えれるとは思えない。

 どうすればいい?

 カークは言葉通りに動いて近衛隊たちを集めるだろう。

 どう言えば、迷わずに最小の被害へと未来を変えていけるのか。

「殿下?」

 

 ドレノはカークの動揺を感じ取ったのか、肩を震わせながらさらに演技をする。どう見ても、客人に怒鳴られて震える新人メイドにしか見えない。

<きちんとお答をいただかないと、私…。どうか、お許しください。私が叱られてしまいます。>

<…そうか、>


 スタリオスが(ひる)んでいるのを見ながら、フリッツはカークと視線を合わせた。

「急げ。頼んだぞ。ラナには気付かせるな。」

 ラナの周辺にいる者を疑えと、フリッツは伝えたはずだった。ラナの結界の近くにいるハリスを疑いに出向く者が現れるだろう。

 見つめ返してくるカークは、「ランスに伝えます、そうですね?」と確認してきた。

「それでいい。急いでくれ。ニアキンと動くように伝えろ。」

 ニアキンの風砕の剣は、いざという時に古の存在からハリスたち結界を守る近衛兵を守ってくれるだろうとフリッツは信じると決める。

 その間、フリッツはこの部屋でスタリオスが風の魔法を受信するのを待てばいい。

「重要なのは結界に閉じ込められている者だ。カーク、覚えたか?」

「…かしこまりました。」

「私は絶対に安全だから、気にするな。」

 トンとカークの肩に手を置くと、「行くぞ?」と前もって知らせると、フリッツは声の大きさを意識して変えた。

「客人に空腹を与えるな、ご希望通りに最高のもてなしを用意しろ。」

 スタリオスは面食らったように間を置いて、軽く噴き出し笑った気配がする。扉の向こうにいる近衛兵長たちも一気に表情が変わる。

「…空気の流れが変わりましたね、」

「さあ、これでしばらく安全だ。」

「さすがです、殿下。」

 部屋に入ってからしばらくたっていたけれど、カークはやっと、ほっとした表情になった。


<焼き菓子でいい。殿下は気が立っているようだ。腹を空かせているだろうから、甘い菓子を頼む。>

<かしこまりました。>

 ドレノが優雅にお辞儀して部屋を出ていくのを追いかけて、カークもそそくさと部屋を出て行ってしまった。


 ドレノが近衛兵長に伝えているのを見ながらフリッツは、部屋の中へと視線を向けたままの近衛兵たちの表情を見ていた。

 コホン、と咳払いをするスタリオスは瞳の中に赤い光を蘇らせていた。何か策を思いついたのだろう。彼にとって魔力は活気のようだ。

 さあこれで、しばらく茶会の準備をする者たちの到着を待たなくてはいけなくなりました、殿下、私と一緒に食べてくださいね、とカークなら素直に言うだろうにな。フリッツはそう内心思いついてつい微笑んでしまった。

<そういえば、殿下は昼食を中断してお越しいただいていたのでしたね。失礼しました。>

 とってつけたようにスタリオスは言った。しらじらしいな、と思っても、フリッツは黙っておいた。

<コルを待つ間と、茶会の支度だと、どっちが早いのでしょうね。>

 フリッツはコルを連れてきてほしいと頼んでいないので来るはずはない。

 スタリオスが私をここに留めておきたいと工作するつもりがあるのなら、私がここにいる間に私以外の者が動けばいいのだ。フリッツは心の中で呟いて足を組みなおした。

 父に任されたのだという自信が、フリッツには力になった。


 ※ ※ ※


 静々と音もなく現れた侍女やカークたちによってカップやポット、焼き菓子、果物の乗った皿が整った3段のスタンドがテーブルの上に持ち込まれるのを、ソファアに座りなおしたスタリオスは目を細めて足を組んで見守っていた。

 テーブルの上に品よく並べ終えた侍女たちが部屋を出て行ってしまう前に、花籠や花瓶を手にした別の従者や侍女たちが入ってきて、謁見室全体を華やかに飾り始めている。

 ラナはこういうの好きだったなと思いながら、フリッツはおとなしく完了するのを待っていた。スタンドの上の菓子や果物はどれも一口で食べられる大きさや量で、フリッツの好きなクルミ入りの焼き菓子もある。


 あれから随分経つけれど、昼食会は無事に終わったのだろうか。

 火の精霊王の神殿の老神官たちが上機嫌でよく話していたのを思い出す。

 あの者たちにはお披露目が無事に済んだという安心感と良い昼食会だったという満足感とを土産に帰ってもらいたいものだな、とフリッツは思う。

 スタリオスは激昂型の烈火なので、時間の経過を待つだけと言っても何が彼を変えるきっかけになるのかまではわからない。決して老神官たちにはこういう騒動があったのだと気取られてはいけない。


<あの二人は?>

 スタリオスの言葉に、下座のソファアに移動していたフリッツは振り返って部屋の中を確認して、部屋の中間あたりの壁際にカークとドレノが残っているのを見つけた。フリッツと目が合うと、カークはしらじらしく目配せしてくる。

 廊下には近衛兵長の姿が見える。フリッツの指示があったためか随分近衛兵たちの立ち位置は変わっていて、部屋の中から顔が見えない位置に背を向けるようにして集まって立っているのが伺えた。

 フリッツとしては、スタリオスが烈火として炎の魔法を使って食器を溶かしてしまったのに動揺して騎士や従者たちが部屋を出てしまったのだと状況を理解していたので、どさくさに紛れて部屋に入ってきたカークとドレノはさすがだと思えた。

<肝が据わっていますね。>

「この城で働く者たちは皆そうだ。」

 フリッツはにっこりと微笑んで見せた。『スタリオスがこの城に暮らすフリッツたちを出し抜いてまでしようとしている計画を、見て見ぬ振りができるくらいに寛容だ』と見せつける気分でいた。

 頬が一瞬赤くなった気がしたスタリオスは、無言のまま、フリッツの前に焼き菓子をとりわけて勧めてくれた。彼自身の前の皿にはさりげなく果物ばかりが取り分けられている。

<殿下は何がお好きかわかりませんので適当に選びましたが、果物の方がお好きでしたかな?>


「いいや、」

 フリッツは軽く首を振る。スタリオスは菓子職人という人間が作る加工品である焼き菓子に警戒しているのだろうなと察しがついた。何らかの混ぜ物があっては困るという判断で避けたのだ。混ぜ物があった場合、スタリオスはホスト役でありこの国(スヴィルカーリャ)の王子であるフリッツだけが被害を被ればいいと思っての行動なら、フリッツをこの部屋に引き留めておいた後にまだ仕事を残していると推測もできる。

「ドニは公国(ヴィエルテ)へすぐに戻るのか?」


<その予定です。魔法で管理できる環境へ移すつもりです。ここを出た後、起動石(スキップ・ストーン)を使います。>

起動石(スキップ・ストーン)を安全に扱える環境があるのか?」

 転送元も転送先も安全でないと不慮の事故が起きてしまうのではないのか?

 エドガー師の場合は王城が転移先だったのもあって、厳重な警戒の元に術が行われたのだと聞いていた。

<この件はこれ以上時間をかけることではないですから。討伐の旅に合わせて第一公女殿下が王国入りされる際にお使いになられる予定の『道』を使います。>


 (あやかし)の道のようなものがあるのだろうかと考えてみて、道のように確立された安全な移動方法が公国(ヴィエルテ)にはあるのではないかと思えてきた。公女フローラが使えるほどの方法が確立されているのなら安全が保障されていると言えるし、安全なら利用する者も他にあるだろう。いや、安全に利用できる方法だと多くの者での実績があるから、公女が利用する予定なのだ。

 起動石(スキップ・ストーン)の使用方法を考えると、術を展開する場所は部屋ほどの広さがあればいい。道が作れるほどの場所が王国内にいくつかあるという意味でもある。

 公国は王国内にいくつも拠点を持っていると言っているようなものだ。

「道と言うからには、王国内に中継地点がいくつかあるという意味か?」


 正直な烈火であるスタリオスは表情を硬くした。言い過ぎた、とでも思っているのだろうなとフリッツは思った。

<…ぬるくなる前にいただこうかと思います。よい香りの茶です。>

 琥珀色の甘い香りのする紅茶がなみなみと注がれているカップを手に取ったスタリオスは、丁寧にカップを扱うと茶を口に含んだ。燃やしてしまうのではないかという懸念があっさりと杞憂に変わる。


 あくまでもここにフリッツを呼び出すための芝居だったのだなと思うと、すべて知っているのだぞと叫んで部屋を飛び出して確認のために旧城の方へと走って行ってしまいたくなる。

 スタリオスはその時は、私を焼き殺してしまうのだろうか。

 しないだろうな、とフリッツは判ってしまった。フリッツを計画に巻き込まないためにしている足止めだからだ。

 この男はおそらく自分を焼いてしまうのだろうなとフリッツには思えた。役職柄、ドニの安全な護送というのは真実で、公女ラボアの命令でコルを引き取りに来たというのははったりだろう。家族として公国(ヴィエルテ)へ引き取りたいのは本音だったかもしれない。軍人としてここに来たという証拠も残さないようにして、誰にも迷惑をかけないようにして、仲間が古の存在を結界から救い出す計画を守るために死んでいくのだ。コルが残した失敗の尻拭いをするために黙って死んでいく覚悟があるのだ。

 そして、そんな愛情を、コル自身は知らない。古の存在を救出するのにあたって足止めする役目を兄のスタリオスが担っている、という程度の認識なのだろう。

 フリッツは皿の上から、お気に入りのクルミ入りの焼き菓子はあえて選ばず、日頃なら選ばない蜜漬けのリンゴを乗せて焼いた小さなパイを口に頬張った。赤いリンゴは灼熱の炎を連想させて、食べることで勝った気になれた。


<リンゴがお好きなのですか?>


 いいや、と言いかけて、フリッツは微笑んで誤魔化した。

 この場に私を留め置いたことで、計画が無事に遂行できたと思っているのだろうな。

 留め置いているのは私も同じこと。この部屋の外では、私の信頼できる仲間たちがラナの結界周辺で起ころうとしている事件へ的確な判断で采配を取って対応してくれているはずだ。

 フリッツは、今ここで食べたものはこの先食べる度にスタリオスを思い出しそうな気がするなとこっそり思った。

ありがとうございました

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