30 犯罪者と自分の妹を扱う理由とは
王城の夏宮の広間にはこの国の4人の宰相たちや将軍や騎士団の団長といった主要な人物が集められ、粛々とした雰囲気というよりは和気あいあいとした雰囲気の中で昼食会が開かれていた。非公式とはいえ、国王であるアルフォンズを中心に大きな丸テーブルを囲んでいる。
公爵位につく大貴族や他の精霊王の神殿の神官たちもいない突然決まった会であったけれど、フリッツは父や母とともに王子として正装して席についていた。ラナはいなかった。
王族ではあっても陰火であり罪人であるラナは、祝いの場であり神聖な神官に現状で引き合わせるにはふさわしくないと父上は判断されたのだろうな、とフリッツは思う。単純に、何を考えているのか把握できないラナを、斎火として手放しに喜び迎え入れるには不確定な要素の多いコルとの面会の場に呼ぶには危険過ぎるのかもしれない。
雰囲気を華やかにする室内管弦楽団がいなくても広間には笑う声が絶えなくて、フリッツも食事をしながら場の雰囲気に合わせて微笑み続けていた。
場を盛り上げているのは、斎火としてのコルについて興奮している火の精霊王の神殿の神官たちだった。火の精霊王の神殿の神官たちは3人で、普段着ている白い神官服の上に祭礼用の白い生地に明るいオレンジ色の派手な花の模様が鮮やかな色使いで軽快で描かれているガウンを羽織っていて、それぞれに装飾の違い上下関係を漂わせる神官帽も被っていた。青や紺色といった王国の騎士団の制服や、華美ではないけれど質のいいものを品よく着こなす貴族らしい格好をしている宰相たちは、まるで真逆な印象だったのもあって、神官たちの興奮に圧倒されているように見えた。正式な神官服を着た火の精霊王の神殿の神官たちは興奮がいつから続いているのか心配になってしまうほど饒舌で上機嫌で、食事もそこそこに身振り手振りを踏まえながら鼻息を荒くして、昨夜火の精霊王の神殿で行われたという斎火の神官を迎え入れる儀式の素晴らしさを口々に語った。その話を絶妙に合いの手を入れているのは宰相たちや騎士団長で、聞き漏らさないぞとばかりに黙りフリッツの父であるアルフォンズは熱心に聞き役に徹している。
食事をしながら聞いていく中で、彼らは王都に元からいる火の精霊王の神殿の神官と、王都周辺の火の精霊王の神殿とを束ねる神官と、王国での火の精霊王の神殿に奉仕するすべての神官に指導する神官なのだと判ってきた。彼らはお互いに名前を呼ばないし名乗ったりはしないので、フリッツ以外の者たちも「神官様」とだけ話しかけて呼んでいた。誰も老いていて、誰も顔や体格が似ていたので、違いがあるとすれば神官帽の模様ぐらいだろうなとフリッツは思いながら眺めていた。鍛錬場を出た後入浴して着替える際、ある程度はカークから聞いていたとはいえ、名前と顔とが一致しない。もっと詳しく聞いておけばよかったなと思ったけれど、竜の国と呼ばれる王国ではあまり精霊王の神殿は重要視されていないので、もしかしたらカークも特徴を把握していないかもしれないとは思った。
彼らによると、昨夜、火の精霊王の神殿の上空一面には、斎火を歓迎する火の精霊王リハマ本人による花火が打ち上げられていたらしかった。
儀式として神官たちによる祈祷と浄化の白魔法の後、コルが祈りを捧げて神官となる誓いをし俗世との因縁を切ると宣言すると、祭壇には火の精霊王リハマが降臨し、夜空に向かっていくつもの花火が打ち上げられた。
夜空を彩る華やかな無数の火の玉の花はまるで、火の精霊王様の本殿の周辺に咲き狂うという曼珠沙華が揺れているように鮮やかで、火の精霊王様からの歓迎の花束のようだった、と神官たちは讃えていた。
「それはもう、大変すばらしい光景でした。」
「ほう…、これまでにも同じような景色を見られたご経験がおありですかな、」
宰相のひとりに問われると、神官たちは揃って首を振った。
「滅相もございません。私共がいただけたのは、せいぜい花火がひとつふたつ上がる程度です。」
「召喚するのではなく、この現世への火の精霊王様後直々のお渡りですから、斎火様のお顔を一目拝見しようと集まっていた参拝者たちも祝福に震えながら、拍手喝采を捧げたのです。」
「斎火の娘が公国ではなく王国で神官になりたいと願われた気持ちを汲んでくださいましたのも、私どもにとってはお怒りになると考えておりましたのもありまして、とてもありえないことなのでございます。まったくもって、奇跡でございました。」
「なんと素晴らしい御慈悲なのでしょう。ありがたいことでございます。」
「火の精霊王様のご降臨はこの上もなく素晴らしいひとときでございました。これまで、魔力のない王国民に魔法の素晴らしさを解くことの難しさに何度心が折れてしまいそうになったかわかりません。負けずにこの日を迎えられて、誇らしくもありました。…私達はこの日のために、信仰を奉げてきたのやもしれません。」
何度目かの思い出すように恍惚と語る神官たちの感想に、フリッツは内心、城からは見えなかったので周辺でだけ見えた現象なのだろうなと推測した。興奮がこんなに長く続くとは、夜空に曼珠沙華の花畑を連想するほどの花火が一斉に打ちあがる光景とはよほど素晴らしかったのだろう。夕凪の隠者のエドガー師を救うために現れたリハマの、火属性ならではと納得させられる激情と冷徹さを併せ持つ精霊王の過激な言動を思い出して、そうなるとコルはリハマにとってはお気に入りの人間なのだろうかと連想もする。
ちらりと視線を動かしてテーブルの向かいを見ると、話題の中心である斎火のコル自身はとても退屈しているようで、食事もほどほどに指を折ってぼんやりとした表情で何かを数えている。誰がどんな立場で何を言おうと耳に入っていない様子だ。
こげ茶色の髪を高い位置でひとつに纏めて括っているコルは、簡素な白い神官服姿がやけに似合っていて、緑色の切れ長で美しい瞳は瞬きもしていない。
もしかしたら、昼食会にフリッツがいるのも気が付いていないのかもしれない。
フリッツの心の中にカークたちの疑念が過るけれど、左手の薬指には冒険者の証である指輪らしきものが見える。
「殿下、」
はっと意識を現実に取り戻すと、給仕する侍従や侍女たちに混じって、カークがさりげなくフリッツの席に近寄ってきていた。空いたグラスに水を注ぎながら、「恐れながら、火急の面会を申し込んでいる者がおります、」と囁いてくる。
「あしらえない相手か?」
フリッツはなるべく唇を動かさないように尋ねてみる。いつものカークなら、口先で適当な理屈で黙らせてしまいそうなのに。
国王である父の傍にいる従者も給仕する態で何かを囁いているようで、顔を傾けると一瞬、目が合った。父上か。
父は目を細めて、唇を何も動かさない。察した様子の母からも、フリッツに任せるとでも言いたそうに、微笑まれてしまった。
どうやら、王国として対応しなくてはいけない相手なようだ。公国か、皇国、まさか、聖堂か…。
「わかった。私が向かう。」
呟いてフリッツは特に何の弁解もなく席を立った。火の精霊王の神殿に新たに加わった斎火の神官のお披露目の内々の昼食会なので、フリッツは重要視されないと踏んだのだ。
案の定、広間をさっと抜け出しても、誰もフリッツを引き留めたりはしなかったし、座の雰囲気は変わらなかった。
部屋の重く大きな扉が完全に締まるのを待って、廊下で待ち構えていたキュリスとビスターを伴ってフリッツは廊下を急ぎ足に歩いた。
「こちらへ、」
廊下を歩くうち合流したのは、近衛兵長たちだ。キュリスやビスターは後方へ下がり、他の近衛兵たちがフリッツの周りを取り囲む。向かっている先は、夏の宮の上級貴族用の謁見室なようだった。
「何かあったのか?」
国王直属の赤い腕章を付けた近衛兵長は足早に進むフリッツに並ぶと、悩ましそうに眉間に皺を寄せた。
「厄介なことになりました。謁見室に立て籠っており、手に負えない要求をし始めました。足りないと言い張り、すべてを引き渡すように要求しています。」
言葉の端々に困惑と不快感が垣間見える。
「いつもなら軽くあしらって追い出すだろうに。相手は要人か?」
「公国のマルルカ公爵家の者です。従者ではなく、家人が来ました。とても厄介なのです。」
「どういう意味だ?」
他の近衛兵たちは近衛兵長につられたように困った顔をしている。
「足りないとは? 何か取引でもあったのか? 」
「もともとは、先日の騒ぎの魔法使いの引き渡しの受け取りに来た者です。」
フリッツは何度か瞬いて、ドニの顔を思い出す。公国の貴族出身であるドニは魔法を使えるのもあって、公国で魔法使いとして処罰されるのだ。
「あ、公国か…、」
引き渡しは今日だったのか。
フリッツが言葉にしようとしたのを、近衛兵長はそっと口元で微笑んで、低く続けた。
「…妹を返せ、と、繰り返されております。妹君を、引き渡してほしいと要求しています。」
「妹?」
フリッツの頭の中では、マルルカ公爵家の人間関係が図となって整理されていく。
斎火のコルには、次期マルルカ公爵家を継ぐ予定の頭脳明晰容姿端麗性格温厚なメレアグロス次期公爵と国境警備隊の隊長の『とても普通な』スタリオス卿という兄がいたはずだ。
「家人といえども、次期公爵が出張ってくるとは考えにくい。『とても普通な』スタリオス卿か?」
「殿下、とても普通とは、公国における魔法使いとしての力量を言うのだと思われます。公国人で言う『普通』ならば、ある程度魔法を使いこなします。」
王国人は基本的に魔力ではなく武力だ。
「すでに、接触してしまったのだな?」
「ええ…、迂闊に近寄れません。」
近衛兵長は妙に歯切れが悪い。魔法使い程度なら、この目の前の男の腕前なら魔法を使わせる前に剣で制圧しているだろうに、とフリッツは不思議に思った。王城の騎士団でも精鋭である近衛兵たちは見かけの華麗な容貌に反して思い切りがよい者が多く、攻撃者は死なない程度の状態にて鎮圧されてしまうのだ。
「もう魔法を使ったのか、」
小さく頷く近衛兵長は「烈火、という火属性の特殊な能力者なようです」と説明してくれる。
「陰火に斎火、烈火に種火だったか?」
火属性の魔法使いには、大きく4つの分類がある。よりによってスタリオス卿は烈火なのか。フリッツは小さく唇を噛んだ。一番攻撃が派手で力が判りやすい。
「激情とともに炎の勢いが変わるので用心すべき相手です。激高しているので、現状では、手に負えません。」
しかも魔法使いと名乗れるほどなら、接近戦が得意な近衛兵は相性が悪い。このまま諍いにまで発展してしまうと、烈火は一人で城を滅ぼしてしまうかもしれない。被害を被るのは王国側なのだ。
そんな相手が一人で乗り込んできたとなると、捨て身の覚悟でやってきたと思った方がよさそうだ。
「マルルカ公爵家の代表としてにしては大胆だな。まさか、公国の国としての正式な使者として妹を要求しているのか?」
近衛兵長は、目を細めて黙ってしまった。
「斎火の神官の引き渡しを、とでも、言っているのか?」
黙る近衛兵長の代わりに他の近衛兵たちに確認すると、後方で、「犯罪者をと、仰ったそうです」と声が聞こえた。キュリスだ。
「どういう意味だ?」
近衛兵長は苦虫を潰したような表情となり長い沈黙の後、「今回は国境警備隊の隊員として王国へいらっしゃっているようです」とも教えてくれた。
「国境…? 出入国に不備があるのか? それとも、本人ではないのか?」
魔法を使う公国からの使者が、魔力で脅してまでして王国に新しく生まれた斎火の神官を犯罪者として連れて行こうとしている…。
視線を避けると、近衛兵長は「この件は機密事項となる繊細な情報です。我々の扱う権限を越えています」と悔しそうに言った。
「家族の反対を押し切って公国から王国へ亡命した、とでも言い出しているのか、」
何も言わない様子から、かなり近い表現なのだろう。
「せっかくの斎火だ。このまま王国のものにしてしまいたいが、だからと言って、公国の要求を無視するわけにはいかないのだな?」
公爵家の令嬢であり、妹であり、神官でもあり、犯罪者でもあるのか。厄介だな、と先ほどの指を折り考え事をしていたコルを思い描きながら、フリッツは心の中で呟いた。
上級貴族向けの謁見室の扉の前には、困惑した様子の文官や騎士、近衛兵たちが部屋を追い出されていた。
駆けつけたフリッツを見ると誰もが一様に縋るような表情になったので、中にいる男は相当厄介なのだと想像がつく。
「殿下、」
何かを言いたそうに、騎士が近付いてきた。手で制して黙らせると、文官たちは何か言いたそうな顔つきになった。騎士の武力では牽制できない魔法という力を前に怯えているようだ。
公国の要人が、国境を守る兵士として一人で来て、王城という特殊な場で一人で騒ぎを起こしているのか。
フリッツは異常な状況に言葉を失った。もしかするとこれは陽動ではないのかとすら思えてくるけれど、貴族が異国の城で陽動の囮になるとは考えにくい。
戦争でも起こすつもりか?
いや、戦争を起こすつもりなら、人質を取ったほうが早い。
何かほかに意味があるのか?
考えろ。どう行動するのが最適なのだ? 姿勢を正して深呼吸をした。陽動なのだとしたら、斎火が狙われているのか? ラナか? それとも…?
「今日、王城には、公国から退魔師を呼んでいたりするのか?」
近衛兵長は静かに首を振った。
フリッツの記憶が正しければ近日中に、図書室の禁書に封印をかけなおしてもらうために、王都に滞在中のバンジャマンという公国の魔法使いを呼び寄せる手筈だったはずだ。
「午前中来ていたようですが、もう帰らせているはずです。」
ドニが紛れ込んだ失態を意識してか、近衛兵たちの表情が強ばる。
帰ってしまっているのなら、注意を引き付ける必要はない。
何か他に理由があるのだろうか。
「その者たちに不審な点はなかったか? 言伝や預かったものはないか? 何かを持ち出されてはいないか?」
「いいえ。そのような報告は上がっておりません。」
「そうか。公国人同士でやり取りがあったのかと思ったが、接点はないのだな?」
「はい。入れ違うようにして検問を通過されています。」
そもそも、無理があるのだ。
フリッツは自分自身に対して腹を立てた。スタリオス卿とバンジャマンという退魔師の関係が見えてこないのだから、考え過ぎか。杞憂、だったのだろうか。
「何か、御不審な点でもございましたか?」
気になり始めると、不審な点だらけだ。
「スタリオス卿はどうして今日ここで騒ぎを起こしているのか、理由を考えていただけだ。どうして斎火が今王城にいると判っているのか、何故公爵家ではなく単身での、国境警備隊員としての行動なのか、犯罪者と自分の妹を扱う理由とは何か。どれも不思議に思わないか?」
他の近衛兵たちがざわつく中、近衛兵長は「判りかねます。公国人は魔法を使うだけでも、我々と見えている世界が違うのではないかと思えるのです。考えつくことも違うのではありませんか」と困ったような表情を浮かべた。
それを偏見というのではないのかとフリッツは思ったけれど、今は言うべきではないと思えたのもあって黙っておいた。近衛兵長たちにとって重要なのはスタリオス卿の取り扱いなのであって、何を考えているかという根本的な理解ではないようだ。
ここにいる者たちは、敵ではない。味方で、守るべき者たちであり、力を借りたい者たちだ。
「わかった。私に任せてほしい。父上は私に一任された。私が話を聞く。」
ほっとしたような溜め息がいくつも聞こえてきて、フリッツはよほどのことがあったのだろうなと思ってしまった。スタリオスは魔法を確実に使っている…。
扉に触れようとすると、付いて来ようとする近衛兵長に気が付いた。「ならぬ。」
「おひとりで入られるのですか?」
「中は一人なのだろう?」
「そのようですが、しかし、」
近衛兵長は本当にフリッツが一人で説得に当たるとは思っていないようだった。
「向こうも貴族だ。他国の王族へ向かって暴力は振るわないだろう。」
そう言いつつも、フリッツは剣がなくても魔法が使える相手に対して攻撃を期待するなというのは無理だろうなとも思ってしまう。
「お任せして申し訳ありません。」
「気にするな、王子としての仕事のうちだ。」
自分の倍ほどの年齢の近衛兵長に対して言う言葉ではないなと思いながらも、フリッツは見栄を張って胸も張る。
「行ってくる。」
扉をノックすると、「呼んできたのか」という声が聞こえた。とても若い声で、とてもせっかちで短気な印象のする言葉の響きだ。
「フリードリヒ・レオニードだ。話を聞こう。」
妙な沈黙の後、若い男は焦ったように叫んだ。
「…入れ。」
言ってくるとばかりに廊下に集まる人々に視線を向けると、フリッツは小さく頷いて見せた。
ズボンのポケットの中には、薄い卵色の絹のハンカチに包んだ本翡翠が忍ばせてある。
「殿下、」
見れば、ギュっとカークが自分の手を握りしめている。
近衛兵たちの後方には、キュリスとビスター、いつの間にかランスとニアキンも集まっている。
「大丈夫だ、ここは王城だ。」
自分に言い聞かせるとようにフリッツが微笑むと、近衛兵長は厳しい表情の近衛兵たちと謁見室の扉の前に並んで、「殿下、ここにおります。いざとなれば駆けつけますので、扉を決してお閉めになってはいけません」と頭を下げた。
ありがとうございました




