3 聖堂からの預かりもの
フリッツとカークが自分たちの客室に向かうと、部屋の前にはランスをはじめとする旅の一行も集まってきていて、「さ、入りましょうか、」と全員がフリッツとともに部屋の中に入ってしまった。
客間にある二脚のソファアのうちのひとつにフリッツを座らせると、「すまん、私の伝達ミスが原因で申し訳ないことをした、」とフォートが頭を下げた。
「フォートらしくありませんね、ま、そんなところが憶測を呼んだんでしょうけれど、」
ランスはニヤニヤと笑ったキュリスとビスターに「フォートは愛されていますよね、」と同意を求めて嗤う。
カークはフォートとドレノを見て、ただ一人、状況をよく判っていないフリッツに、「フォートが婚約者を連れて帰ったのだと、ご家族の皆さんが勘違いされたようです。使用人たちもすっかりその気になってしまっていて、ドレノの荷物をフォートの部屋に運び込んだのだとか、」と囁いた。
「ドレノが怒りましてね、」
何かを言いかけて、ランスは口を噤んだ。入り口近くにいるドレノは、ぎゅっと腕を握り締めて俯いて立っている。怒っている反応というよりは、何かを恐れているような、自分を守っているような様子に見えた。
キュリスが察したのか、小さく手を挙げて、話し始めた。
「使用人たちが言うには、ドレノは、異国の言葉で何かを言ったと言っていた。この領の者たちは、王都に比べると訛りが強い。皇国が近い影響もある。使用人たちの言葉が通じなかったのかもしれない。」
「お互いに、言葉が通じていないのが原因だと思われます。」
ビスターがまとめると、ランスも小さく頷いて同意する。
「それは…、ここに来てから思うところではありましたが、慣れればそういう土地と理解できる程度ではありませんか、」
カークが口を挟むと、「お前は黙っていろ、カーク、」とキュリスが鋭く言う。
「それで、執事や使用人たちが慌てて私たちやフォートを呼びに集まったのです。あの女性の騎士様はフォート坊ちゃまの御婚約者様ではないのでしょうか、って言っていましたね、」
ドレノはギュッと手を握って小さく肩を震わせているように見えた。白い肌が余計に白くなっているように思えてフリッツは気の毒になり、「ところで、ドレノの新しい部屋の用意はできたのか、」と尋ねた。
「それはもう。女性ということで、階を分けて用意してもらいました。両隣の部屋は空き部屋にしてもらって、使用人たちにも『新人騎士のドレノは聖堂からの預りものだ』と言い含めてあります。私たち以上に対応を丁重にしてもらうように念を押しました。」
「すまなかった。うちの使用人たちが不快な思いをさせてしまった。」
頭を下げたままのフォートに、顔を上げたドレノはギリギリと音が聞こえてきそうなほど歯を噛みしめて、睨みつけている。
女っ気のないフォートが王都から女性を連れて帰ってきたのだとみんな浮足立ってしまったのだろうなと理解しつつも、巻き込まれてかわいそうに、とフリッツは思った。騎士団の調査隊とはいえ男性上官の家に泊まりで任務に赴くなんて、どんな立場だろうと居心地が悪いだろうに、と察する。
「ドレノ、許してやってはくれないか、」
フリッツはドレノをまっすぐに見て、率直に頼んだ。
「君を傷つける気持ちはなかったのだろうと思う。推測だが、客室よりも主家の住居区の方がいい環境だと思ったのかもしれない。」
近衛兵隊所属の容姿の美しいキュリスとビスターも柔らかく微笑むと、フリッツに同意して、「女性だからなおのこと、私たちと同じ区画に寝泊まりをさせるのはと思ったのかもしれないですね、」、「私たちは女性にだらしない印象があるようです、」とおどけて笑う。
「どんな言い訳をしても、私の使用人たちへの教育が行き届かなかったのが一番悪い。すまない。」
「顔を上げてください、フォート。謝罪は受け入れます。」
ふっと息を吐いて、ドレノは俯いて、小さく呟いた。
「私の荷物は、自分で運びます。この旅の間も、この先も。お気遣いはいりません。」
「…判った。」
顔を上げたフォートからそっと視線を逸らすと、ドレノは俯いて小さく唇を噛んだ。
震えているのは、怒りからなのか、恐怖からなのか。たぶん、どっちもなんだろうなと、フリッツはドレノを哀れに思った。騎士とはいえ、女性というだけで偏見の目に晒されてしまうのだろうな…。
話を変えようと、フリッツはふと、疑問を口にした。
「ところで、私とカークを別の部屋に足止めさせたのは、フォートの判断なのか?」
「いや、おそらく執事長の独断だろう。」
「そうか。彼は私の身分を知っているということか?」
「ああ、長と付く役職の者には父から話がしてある。」
執事長が独断で判断するような事態…。考えられるのは、フリッツの身に危険が迫っていた、という事実と、隔離したほうがいいと判断した根拠があるのだろう。
荷物のやり取りで言葉の衝突があったとしても、大袈裟ではないのか? フリッツは詳細を聞いておかなければいけないと確信した。
「そうか。では大きな騒ぎにでもなったのか?」
はっとした顔になって、ドレノは絞り出すように言った。
「もういいですか、自分の部屋に帰ります。」
逃げ出すような態度は、なにかあったと白状しているようなものだった。
「ああ、ゆっくり休んでくれ、」
出来るだけ優しい顔になるように心を静めて、フリッツは追求しないで送り出すことに決めた。ドレノが話せなくても、他に知っている者がいるだろう。
「ドレノ、きちんとベッドで寝るように。」
「…判りました。」
部屋を出ていったドレノの気配がドアの向こうからなくなると、早速ランスが、「ドレノは、ドレノの荷物を手にしていた使用人を切ろうと剣を構えました、」と低い声で呟いた。
※ ※ ※
「殺気に腰を抜かした者がいたので、騒ぎが余計に大きくなりました。」
「私たちが集まった時には、ランスが荷物を回収して、ドレノに返してやっている最中でした。」
キュリスもビスターと顔を見合わせると、さりげなく報告する。
「ここに来るまでの馬車の中ではそういった気配などなかったので、ドレノの迫力に私も別人かと思ったくらいです。」
「そうか…、怪我人が出なかったのは幸いだったな。」
聖堂からの預かりものとはいえ、ドレノはこの国の騎士団の制服を着ていた。民を守るという立場の騎士団の者が刃傷沙汰を起こせば、隊長であるフォートにも、教官役であるランスにも責任が発生してしまう。もちろん、連帯責任でフリッツたちも責めを負う。
「いくらこの領の言葉が訛りが強いからと言って、騎士として剣を抜くのはいかがなものかと思います。」
カークが不快そうに顔を曇らせる。「誰か怪我でもしていたら、この制服が、騎士団の名が穢れていたことでしょう。」
「カーク、」言い過ぎではないのか、と言いかけたフリッツに、カークはフリッツの足元に跪くと、まっすぐにフリッツを見上げた。日頃見られないような、真剣な顔つきで信念の籠る瞳に、フリッツは言葉を飲み込んだ。
「フリッツ、ドレノは王都に送り返した方がいいのではありませんか、」
フォートを見ると、静かに唇をかみしめていて、ランスは穏やかに微笑んだままだった。キュリスとビスターは様子を伺っている。
「カークはドレノに手厳しい気がするな、」
フリッツはなぜそこまでカークが強く意見を言うのかが気になった。「訳を聞かせてくれないか、」
「当たり前です。あの者が、フリッツに剣を向けるようなことがあっては手遅れなのですよ、」
目を見開いてカークははっきりと言い切った。
「私には、フリッツを三国一の王にするという夢があります。足元からそれを揺るがすような真似をする者はいりません。」
三国一の王ではなく、三国を束ねる王にと、名前のない人は言った。視線に顔を上げると、ランスやフォートたちも、同じような気持ちなのか、まっすぐにフリッツを見つめている。
私は未熟なのにそれでもそう思ってくれてくれる者がいるのだと深く感謝して、だからと言って妄信してはいけないのだとも思う。
「私たちであなたを支える。あなたの力になりたい。それを乱そうというのなら、いらない。ランスも、そう思いませんか?」
「カーク、」
ランスが答える前に、フリッツは遮った。こんな場で多数決なんかを始めたら、この調査隊は自分の意志のないおかしな関係になってしまう。
「言葉が通じない場所で、言葉が判らない者に自分の荷物を持ち去られようとしたら、自分にできることは、自分の腕に頼ること、なのではないか?」
何かをカークが言おうとするのを無視して、フリッツは続ける。
「しかも、ドレノは女性だ。男ばかりの馬車で、文句ひとつ言わなかった。我慢の限界だったのかもしれない。追い詰めたきっかけは、私たちかもしれない。」
「ですが、」
弱き者を守るのが騎士なら、言葉に不自由をして意志の疎通が難しいドレノは守る対象に思えていた。いくら剣が扱えても、ドレノも、人間だ。ドレノも、守る民の一人だ。フリッツは小さく微笑んで、カークなら判ってくれる、と妙に自信をもって話していた。
「ドレノの境遇に同情しろとは言わない。今回は、お互い言葉が足りなかったのだと、ドレノを許してやるわけにはいかないか、」
「でも…、」
「罰がそんなに必要なのか。では騎士の荷物を勝手に持ち出そうとした使用人には罪がないと言えるのか? 女性の持ち物を手に部屋を出た時点で、使用人の職務に逸脱すると咎められるのではないのか? 先に手を出したのだから切られても落ち度は使用人にあると、非情な剣士ならとっくに手を下していたのではないか、」
そんな者ではなかっただけ、ドレノは理性があるように思えた。あんなに怯えていたのは、やり過ぎたという自覚もあるのだろう。
「使用人にも罰を与え、使用人を管理しきれなかったクラウザー侯爵家にも注意をし、ドレノを王城に帰し任を解き、聖堂に送り返すのがまっとうなやり方かもしれない。だが、」
フリッツはどれもしたくなかった。やり直す機会があるのなら、ドレノにも与えてやりたかった。
「誰も怪我をしていないのなら、何もなかった。それではダメか。」
カークは俯いて何かを呟くと、顔を上げて、「御意、」とだけ言った。
「…その御決断でいいと、私も思います。」
ランスが重苦しい空気を払うように、明るい口調で言った。
「ドレノも、私たちの顔を見て剣を収めましたし、先ほどの様子なら悔いていると思います。」
ほっとしたような顔つきになって、キュリスとビスターがおどけた様子でフォートを囲む。
「フォートが恋人すらいないのが悪いのですよ。使用人たちを心配させすぎでしょう。」
「旦那、早く恋人、見付けた方がいいんじゃないですか?」
「すまない。」
フォートが済まなそうに頭を下げた。
「フリッツの存在を公にするわけにはいかないのだ。今この場で、私の両親に代わって私が謝罪する。申し訳なかった。フリッツ、英断に感謝する。そしてどうか、この領での滞在を不快に思わないでほしい。迷惑をかけてしまって申し訳ない。」
「気にしなくていい。私よりも、ドレノが心配だ。いつもはあんなに感情を表に出さないのに、先ほどは相当動揺している様子だった。」
「そうですね、かわいそうなくらいでした。」
ランスがしみじみと頷いた。
「女性の扱いはよく判りませんね、」と兄しかいないビスターが肩を竦めると、「うちなんて男3人兄弟ですよ、」「皆目見当がつかない、」とカークとキュリスが頷き合う。
ラナはそもそも自分で荷物を持たないからな、とフリッツは妹の顔を思い浮かべた。カトラリーより重いものは持ちたくありませんの、と減らず口を叩く様子まで想像してしまって、あの妹に剣など持たせるのはやはり無理だと思う。自分がしっかりしなくては。自分が、竜魔王を倒さなくては。
「ドレノの扱いは慎重にしましょう。女性だと意識しなくてもいいのです。聖堂からの預かりものだという事実を忘れてはいけませんね、」
「そうだな、」
「聖堂に隙を見せてはいけません。」
「この国はそうでもないですが、山を越えた向こうの、皇国は影響がすごいですからね。」
何気なくカークが呟いた。
「海を渡った最果ての大陸から来た宣教師が持ち込んだのが聖堂の教えですから、最初に持ち込まれた国が影響が受けやすいのは仕方ありませんよ。むしろ、最初に降りた港が皇国だったから、ここまで浸透したのかもしれませんよ。」
声を潜めて、ランスが頷いた。
「治癒し助ける白魔法を使う皇国と、魂の救済を説く聖堂…。深く関りがないからこそ、我が国は我が国らしくいられるのかもしれないですね。」
同じ大陸にある国と言っても、この国と他の2国とでは聖堂に対する距離の在り方が違っていた。対等だとするこの国、依存しあう皇国、距離を保つ公国。フリッツは頭の中で勢力図を思い描いて、聖堂の影響力を侮ってはいけないなと感じる。
「聖堂がフリッツをどう思っているのかは、想像したくありませんね。」
弱みを握り、恩を売り、取り込み、傀儡とするのか。対等という関係を崩すなら、竜魔王の攻撃に混乱している今がいいのかもしれない。
口には出さないけれど誰もがそう思ったようで、沈黙が辺りを包み込む。
「ドレノは、騎士の仲間ではなく、『預かりもの』として切り離して考えた方がいいかもしれません。」
悲しい提案だな、とフリッツは思ったけれど、口にしないだけで、もしかしたら既に、そう、ランスたちは接してきているのかもしれない。
「出来るだけ、意思疎通が図れるようにしていけるようにしていければいいのですが…、」
ランスはチロりとフォートの顔を覗き見る。
「フォート、妹のロレッタ嬢を借り受けるわけにはいきませんか、」
同性の方が話がしやすい、という判断なのだろう。
夕食の際に同席したフォートの妹のロレッタは端正な顔立ちをしていて女性らしく着飾ってはいたけれど、動作が雑で、繊細というよりは豪胆な印象の立ち居振る舞いをする少女だった。フリッツよりも背が高く、フォートよりも豪快な性格が垣間見えたのを思い出して、おとなしいドレノには少し刺激的すぎではないだろうかと思えた。
「いや、それは無理だろう、」
即答したフォートは顔色を変えて首を振る。
「あのじゃじゃ馬は確かに見習い騎士としてこの領の騎士団に所属してはいるが、ドレノに近付けるのは危険だ。カークを真面目にしてさらに石頭にしたような性格をしている。」
豪快なうえに真面目で石頭ってフォートにそっくりではないのか、とフリッツは言いかけて黙った。
「それは…、」
同じように思ったのか、ランスは気まずそうに言いかけた言葉を濁した。
「やめておいた方がいいだろうな、」とキュリスとビスターが何度も頷いているので、フリッツは苦笑いをして、当のカークの顔色を窺った。
フリッツの座るソファアの傍に立っているカークは聞いていなかったのか、譫言のようにぶつぶつと何かを言いながら考え込んでいる。
「カーク、どうかしたのか、」
「いえ、ただ、気になることが…、」
「なんだ、言ってみろ、」
「魂の救済、ですか…? ゾーイも…、ドレノも…?」
この国で、圧倒的に少数で異端とされるのは魔法が使える者だった。
「まさか、ドレノも?」
カークの言葉に、キュリスとビスターが顔を見合わせる。
「確かに我が国で魔法が使える者は、見付け次第、各領の騎士団か聖堂かが保護しているが…、」
「よほどの能力者なら領主が手放さないだろう。」
ミンクス候の様に、とフリッツも心の中で相槌を打つ。
「聖堂の権限の強い領なら、国外に出せるのでは…?」
さっと、キュリスたちの顔色が変わる。
「カーク、それ以上は止めておけ。そんな領はない。この国では領主の方が聖堂に勝る権限があると王命で決められているだろう?」
聖堂のすることに介入も拒絶もできない領主がいるということは、聖堂に乗っ取られているのと同じだ。王位継承権を持つフリッツの前でそんな領があると言ってしまえば、魔竜王探しの旅よりも先に、その領の内政に干渉する必要が出てきてしまう。
「ドレノの出自は、情報が少なすぎて判断が付かないですよ、当て推量で断言はおよしなさい、カーク、」
ランスも微笑んだまま、ぴしゃりと言う。
「魔法が使える云々は、単なる推測にすぎません、」
「でも、」と、言い淀んだカークをきりっと睨むと、ランスは、パンパンと手を打った。
「この話は終わりです。そろそろ、自分の部屋に戻りましょうか。フリッツ、ゆっくり休養してください。明日もまた馬車旅です。クラウザー領内とはいえ、ソローロ山脈に向かって田舎道を進むことになると思います。」
「そうだな。皆もしっかりと休養を取ってほしい。」
「ええ、フォートの家のもてなしを堪能して、寝心地を味わってきます、」
キュリスの揶揄う調子にフォートが眉を少し上げて反応していた。ビスターとランスは、「お休みなさい、」と気持ちを切り替えて笑いながらフォートの背中を押して部屋を出ていってしまった。
ありがとうございました




