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15 害をなす精霊なら討つ理由がある

「待ってください。」

 キイホ博士を囲んでドアの向こうの裏庭へと連れて行こうとしたランスたちに、ニアキンが剣を構えている。真剣な表情に、フリッツは動きを止めた。

「ニアキン?」

「どうしたんです、」

「お前こそ、落ち着け。」


 神官がいないとはいえここは神殿で、神聖な場だ。刃傷沙汰は避けたい。

 ランスが素手で偽ニアキンに挑もうとしたのは場所が場所だったからでもあったのだと思い出す。

 聖なる場を汚すとどうなるのかくらい、ニアキンだってわかっているだろうにとも思う。

 フリッツは動けないまま、ランスたちとニアキンの対立する様子を見ていた。


「お前は本物で、こっちが偽物だろう?」

 キュリスが呆れたように腰に手を添えて髪を掻いた。

「一体全体、どうして剣など向けるのです?」

「ビスター、身に覚えがないよな。私も知らないな。」

「ニアキン?」

「あなた方ではありません。キイホ博士の姿をしている者をこのまま連れて出てはいけません。そいつの着ている上着の胸のポケットを探ってください。手鏡が出てくるはずです。」

 キュリスは眉間に皺を寄せて、「ああ?」と聞き返す。

 じりじりとにじり寄り剣を構えているニアキンに、キイホ博士はしらばっくれて含み笑いを浮かべている。

「動かないでください、キイホ博士、」

 ニアキンひとりだけが、真剣だ。

 フリッツに一瞬視線を走らせたランスは、キュリスとキイホ博士を見た後、ニアキンをもう一度見た。

 ニアキンは理由も言わずに、剣先をキイホ博士に向けたままだ。

「手鏡、ですか…、」

 理由くらい言えばいいのに、とでも言いたそうにビスターはキイホ博士の腕を掴んだ。実体のあるキイホ博士は、しっかりとビスターに握られている。

「おかしな真似をしようとしたら、聖水をあなたの口に突っ込みます。こんな時のために、聖水を持ち歩いているのです。」

 ビスターが制服のズボンのポケットを軽く叩いて見せると、キイホ博士は不快そうな顔になった。

「ほら、おとなしく従った方が身のためだよ、博士、」

 キュリスは言いながら両手で同時にキイホ博士の腰回りやズボンのポケットを服の上から叩いて確認して、固いものを見つけたのか手が止まって、「ビスター、見てくれ」と声をかけている。


 降参したかのように目を閉じるキイホ博士の上着の内ポケットから、ビスターが手鏡を探り当てた。

 簡素なつくりの木製の手鏡は何の装飾もなく、鏡自体もくすんでいて映りが悪い。


「これは…?」

 ランスがまじまじとキュリスの手に渡った鏡を見ている。


「おそらく魔道具です。いつもなら、祭壇の上にご神体の代わりに飾られています。」

 ニアキンがゆっくりと言った。「一瞬にして、その手鏡で壁の中の世界に送り込まれました。アッと思う間もなかったのです。理屈は判りませんが、魔力で作用するのだと思います。これまでに何度か触ったことがありますが、私には反応していません。」


「キイホ博士?」

 口を噤んでいたキイホ博士はキュリスの咎められて、言い訳をするのかと思いきや、「手を下ろしてもいいか。いい加減疲れた」と身勝手に口を尖らせた。

「謙虚に生きる姿勢をあなたは学んだ方がいいと思いますね。手を下ろしてもいいですから、説明をしてください。」

 ランスも、突然の事態でもランスらしい態度を崩さないままだ。

「わかったよ、そっちの剣の方が怖いから、話してやるか、」

「口の利き方も気を付けた方がいいのでは?」

 むっとした表情になったキイホ博士はそれでもランスには従うようで、「わかったよ、許してくれ」と項垂れた。

「ニアキン、剣をしまってください。大丈夫ですよ。何かあったら私は容赦なく絞めるつもりでいます。」

 微笑むランスは腕を撫でていて、冗談で言っているようには聞こえない。

「ほら、しまえってさ、」

 キイホ博士は勝ち誇ったように言う。


「学者とはこんなに憎たらしいものなのか、」

 眉間に皺を寄せたキュリスが呟くと、ビスターが「この方が特別じゃないのかな」と肩を竦めた。

 観察しながらフリッツは、相当腹を立てているだろうに語気を荒げないランスもニアキンも尊敬する、と心の中でこっそり思う。

「キイホ博士、説明を、」

「あー、わかったわかった。これはこの神殿の宝物だ。私の持ち物ではないよ。少し借りただけだ。」

「使い方は?」

「…入り込みたい窓の前に立って、自分の姿を映すんだ。鏡の中に自分と向こうの世界が重なって映ったら、その一瞬で窓の中の世界に転送される。」

「どうやって戻ってくるのです?」

「戻ってこれないさ。絵の中の世界に同じような鏡はない。入ったらおしまいだ。」

 起動石(スキップ・ストーン)とは全く違う魔法が掛かっているようだ。

 異世界に強制的に閉じ込めているのか? と考え始めると、いったい何のために作られた仕組みなのだろうかと思えてくる。

「どうして果樹の実る窓ではなく、花咲く窓を選んだのですか?」

「隠して目立たない窓だと判断したからだ。この鏡を使う者は地上での不幸を嘆く者だから、今ある暮らしから抜け出して幸せになりたいと願っている。だから、一番仲間の集まっている幸せそうな春の窓を選ぶ。不幸せが集まれば幸せに変わるんだ。それに、木の葉を隠すなら林の中、木を隠すなら森の中って言うだろ、」

 馬鹿にしたような言い方に、フリッツはこの男はどうしてこんな言い方しかしないのかと哀れに思えてくる。

「知っていて、ニアキンを春の窓の中の世界へと送ったのですか?」

「ああ。仕方ないだろ、私は非力な哀れな存在だから、先手を打つしか勝てない。剣も扱えないのだから。」

「それにしてもやり方が卑怯です。ニアキンが偶然出てこれたからよかったものの、無責任すぎます。」

 ランスが窘めるのを、キイホ博士は鼻で笑う。

 キュリスは既に怒りを抑える表情となっていて、唇を軽く嚙んで言葉を抑えている。

「戦闘中に敵に憐れみをかけたって何も利益などない、せいぜい逆恨みされないようにとどめを刺せと教えられているだろ? 騎士なら理解しているのではないか?」

 眉間に皺を寄せたまま、キュリスが「なあ、あいつ、精霊として討った方がよくないか?」と誰に問うでもなく呟いた。

「お前たちこそ、騎士なら卑怯な真似などするなよ。私は一応人で、何の武力も持たない平民だからな、」

 ふてぶてしいキイホ博士に向かって、ランスはにっこりとほほ笑んで、ビスターから鏡を掬い取るように受け取った。

「こうすればいいのですか? 一度、実際に鏡の力を見てみたいものですね?」

「おい、止せ、鏡をこっちに向けるな。冗談だ、悪かった。従うからやめてくれ、」

「あなたの言うことですから、こうやって逃れようと嘘をついていても、中から出てこれる方法を知っているのではないのですか?」

「知らない、本当に知らないんだ。この鏡の魔法は『流れ星』と呼ばれている特殊なものなんだ。」

「『流れ星』ですか?」

 ランスは鏡の裏表を眺めている。

「先程の説明では、隠していましたね?」

「悪かった。こっちに向けないでくれ。」

「魔法、ですか。」

 チラチラと光を反射させて、ランスはキイホ博士に鏡を向けようと手を回す。光を避けたいのか映るのを避けたいのか、キイホ博士は身をくねらせた。

「そうだ。鏡を向けた窓の向こうの世界へと、一瞬にして送り込む際に丸い塊に形を変えてしまうから、誰が言い出したのか『流れ星』だ。行ったっきりで戻ってこないという意味もある。」

「あの窓の向こうの世界はどこです? 精霊界ですか?」

「話すから、悪かったから、頼む。」

 ランスが残念そうに鏡を床に向けると、キイホ博士は胸を撫でおろした。

「あれは、精霊界と人間界の間にある里のどこかにあると言われる、名もない場所の一つらしい。精霊界へ渡る橋から見える景色のうちの一部分だというくらいしか判らない。よほど魔力がないと帰ってこれないような場所だ。」

「そうですか、そんな場所にニアキンを…、」

「悪かった。この通りだ。私は本当に帰ってこれそうにないし、そこへ行きたくもないから、勘弁してくれ。」

「そんな鏡なら、しばらく私の手元にあったほうがよさそうです。」

 ランスはそう言って、鏡を床に向けたまま「さ、行きましょうか。ニアキン、体におかしな点はありませんか?」と優しく尋ねた。

「はい。無事です。変わりません。」

「この奥にあるという池を知っていますね?」

「もちろん。変な形の池があります。」

 ランスは本物なのだと満足したのか、「そろそろ行ってみましょう、時間が押していますからね、」と提案する。

「少しお待ちを。裏庭に特におかしな気配はありませんが、そこへ行くまでの間にこの者は姿を消してしまうかもしれません。」

「もしかして実体化できるのは、この建物の中だけなのですか?」

 ランスが確認すると、キイホ博士は「そうだ。悪かったな」と不満そうに口を尖らせた。

「消えたければ消えてくれて構いません。悪しき精霊とみなして討つことにします。身の安全を守りたければ、敵意がない表れとして姿を維持したままで、池の説明もしてほしいですね。」

 キイホ博士の不機嫌そうな表情は、ますます不快を増していく。

 うっすらと笑ったランスは、完全にキイホ博士を支配している余裕がある。

「返事は?」

「…一つだけ、教えてくれ。」

「なんです?」

「…どうしてここに来たんだ?」

「偶然ですよ?」

「あんなに北の収容所へと誘導させたのに?」

「ええ。引っ掛かりたくなかったので、向かっていませんね。」

「さっきだってそうだ。この男を信じないで捕まえようとしたな。仲間じゃないのか、」

「仲間ですし、私は信じていますよ。現に、私たちは本物を取り返していますよね?」

「ウソをつくな。信じているなら、確保なんて…、捕まえろなんて言わないだろ、」

「いいえ、信じているから、偽者を捕まえなくてはいけないと思いました。外見がニアキンだからニアキンだとするのではなく、行動がニアキンだからニアキンなのです。顔や形をいくらニアキンに似せていても、中身がニアキンには到底及ばないから、あれは信じるに値しない者、偽者だと判りました。偽者を捕まえないと、本物のニアキンの名誉は汚されたままなのですからニアキンが気の毒です。私がニアキンだったとしても、偽者があれだけ好き勝手をしたら悔しくて腹が立ちますから。」

「キイホ博士、もしかして、学術院ではティオ博士が私たちの到着を待っているのか?」

 ランスの読みが正しいのかどうか、キュリスは確認するように尋ねた。

「ああ。私のために、来年度からの教授職を投げうつ覚悟をしてくれ協力してくれている。あの子は優しい弟だ。もっとも、計画が狂ってしまったから、来学期も職位はこのままだろうけどな。」


 甘いな、とフリッツは思う。王族を相手に出し抜こうとした事実は変わらないのなら、計画が成功しようと失敗していようと、反乱の恐れのある者として警戒された人事となるのは目に見えている。今日の訪問の指揮を執るランスの報告次第なのだとフリッツは思ったけれど、黙っておいた。


 裏庭に出るドアを開けると、まずはビスターが外の様子を確認して、キュリスとニアキンが取り囲んだキイホ博士、フリッツと続いて外へ出た。

 ランスはいったん祭壇へと引き換えし、鏡を祭壇に伏せておいていた。

「ランス?」

「外へ持ち出すと何らかの仕掛けがある魔道具だからこそこの神殿に無造作に置かれているのだとしたら、うっかり持ち出せません」と肩を竦めた。


 ※ ※ ※


 黄色のドアを開けると、地の精霊王の神殿の正面から見えたように壁になるように雑草が鬱蒼と生い茂っていて、奥の池へ向かっては草木があまり生えていなかった。石畳で舗装されている隙間から雑草が顔を出す程度だった。

 先を行くのはキュリスとビスターで、キイホ博士、ニアキン、フリッツ、最後にランスが続いた。

 キイホ博士は約束通りに姿を維持していたので、キュリスが「つまらないな、」と小さく言った。どさくさに紛れて討つつもりだったようだ。


 神殿の裏にあった池は、前評判の通りに変な形をしていた。かなり広く凸凹としたいびつな楕円の形をしていて、深く水を讃えた池の底には大きな丸い蓋のように、円が二色に分けられ描かれている。白い石と黒い石とが敷き詰められているようだ。


「形よりも、あの底の模様に目が行きますね。」

 畔に立って、ランスはそっと、底の円を指さした。

「底の色合いは、まるで、三日月のようです。」


 白い部分が月の形であるのなら、月に見えなくはない。地の精霊王ダールがどうして三日月を池の中に再現しているのだ?とフリッツは思ったけれど、月だと思うのは人間であるフリッツたちだけなのかもしれない。

 水面には水草もなく、魚も泳いでおらず、澄んだ水も、聖水の効果があるようには見えない。雑草がいくら生えていても、虫も鳥もいない庭には全くと言っていいほど生き物の気配がない。

「この池が、あなたがここに来たかった理由ですか? キイホ博士、」

 池の畔に取り囲むように並んで立ってみても、向こう岸は遠い。

 キイホ博士は口を噤んでそっぽを向いた。

「水に触れて大丈夫ですか?」

 しゃがんだランスが尋ねると、キュリスとビスターが顔を見合わせる。

 ニアキンが首を振った。

「触れても、聖水の効果はありません。ただし、飲むのに適しているとも思えません。妙な抵抗感があるのです。」

「抵抗感ですか? 匂いもしませんし、食欲が失せるという感覚ですか?」

 キュリスがさっとしゃがんで手に汲んだ水を顔を近付けてみて、「口を閉じたくなる気がします」と不思議そうな顔をした。


 池の表面には、キュリスが掬い取った窪みができている。

 手の上にある水は、零れない。ぴんと張った膜のようなハリがある表面が震えるばかりで、とろみがあるというよりは塊だ。


「水、ですよね?」

「水、なはずです。」

 ビスターがニアキンに確かめる。キュリスはポンと放り投げるように池の中に水を戻した。


 ぽよおおんと揺れるように表面に馴染んで、大きな塊の中へと戻るように掬い取った境目も消える。


「どういう仕組みですか?」

「キイホ博士?」

 立ち上がりランスは、キイホ博士に手を伸ばそうとした。

 捕まえそびれたら代わりに捕まえるつもりがあるのか、立ち上がり手をビスターに渡された布巾で拭ったキュリスも両手で捕まえようと待ち構えている。

「この池は、人間の手出しできる場所じゃない。」

 捕まるもんかとばかりに、キイホ博士は一歩、後方へ引いた。

「どういう意味ですか、」

 とっさの判断でランスがフリッツを自分の腕で庇おうとした。

「キイホ博士、説明は判るようにしてください。言葉が足りませんよ、」

「うるさい、警告はしてやった。人間には理解できないだろうけど、精霊の私はできる。それだけの違いだ。」

 自らを精霊と名乗ったキイホ博士は、また一歩、神殿へと後戻りする。

神殿(ここ)へ逃げてきた理由は、精霊王様のお膝元なら眷属はよい影響が出るからですか?」

「それ以上動かないでこちらに戻ってこないか。私たちは害をなす精霊なら討つ理由がある。」

 キュリスが剣に手を駆けながら告げると、キイホ博士は立ち止まって、ランスと、腕に庇われているフリッツへ視線を向けた。

「さあ、この池についての詳しい説明と、あなたの知っていることをすべて話してください。」


 ランスを睨みつけると、キイホ博士は鼻に皺を寄せて、何度か歯を鳴らした。


 短気なのか、もともとあった性質が、精霊となったことで強調されているのかまでは知らない。

 フリッツはティオ博士と見た目が似ていても性格が違いすぎるなと感心していた。

 諮問委員会でのティオ博士は根気強く、しつこいまでに正確に分析しようとしていたように思えた。


「キイホ博士?」

 ランスはあくまでも柔らかな言い方をしているけれど、態度から追及を止める気はないと伝わってくる。

 はあ、とちいさく呟いて、やっとキイホ博士は歯を鳴らすのを止めた。

「底の向こうは、主様の神殿の黒白の池という池につながっていると聞いた。精霊界に、つながっているらしい。」

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