92、旅立ちは影を無くして
「近日中にそういった情報をリバーラリー商会以外でも有効に使い始める、と考えた方が良さそうですね。」
精霊ではなく、魔法使いが起こしていた事件だったなら、謎は本人の口から彼にとって都合のいい理由によって語られて終わっていたのかもしれない。誰も、調べなかったかもしれない。
欠片を集めないままに、魔法で認識さえも惑わされて、騙されていたかもしれない。
「そうですね。公国も皇国も聖堂も諜報部を持ちますからね。時間の問題でしょう。」
にっこりと微笑むロディスは、『私たちが一番に到達しました』とでも誇りたそうに胸を張っている。情報戦のきっかけとはいえ、わたしを助けようと動いてくれた気持ちが嬉しい。心の中から感謝を伝えたくなってくる。
「わたしの、これまで貯まっている報酬を、すべて今回の一件で動いてくれた人に謝礼として配分してもらえませんか。ビアが感謝していたと、言葉を添えてもらえると嬉しいです。」
「ありがとうございます。皇国や公国へ潜入していた者もおりますから、吉報と喜ぶと思います。ビア様がご無事でしたと伝える手紙に添えて送ろうと思います。」
「お手間を掛けます。そうしてもらえると嬉しいです。」
レオノラが神妙な顔をして頷いているので、もしかしたらもう既に手配は始まっているのかもしれないなと思えてきた。
「ビア様は我々の良い取引相手ですから当然です。実をいいますと、ちょっとした儲け話も見つけておりますから、こちらこそ感謝しておりますよ。」
この世界でもロディスは抜け目がない。
「私どものこの先の予測ですが、フォイラート公は面倒ごとを避ける傾向があるお方ですから、宝具も魔道具も知らぬ存ぜぬで通されるでしょう。冒険者を巻き込んでの代理の争奪戦が勃発しそうではありますね。王国では魔術工房はあまり重要とされませんが、皇国は指輪の本来の持ち主として返納を要求してくるかもしれません。聖堂も所有に名乗りを上げてきそうではあります。」
アウルム先生が公国へと旅立つ判断をされたのは、妥当な判断かもしれない。厄介な依頼の筆頭に、『万能の指輪の奪還』はありそうな気がする。
「クアンドのライヴェンを知らない貴族はいませんからね。」
自身も貴族であるロディスはそう言って楽しそうに笑った。
そう言えば、職業金持ちなベルムードも、ライヴェンに関わりがある。クアンドのライヴェンの奇跡の砂時計のうちのひとつを持っているし、多分現在使用中だ。
皇国の貴族であると思われるベルムードは、話してくれないだけで実はクアンドのライヴェンの素性をよく知る人物なのかもしれないと思えてきた。
しかも、アンテ・ヴェルロのデイライド爺さんの家がどういう価値のある家なのか知っていて別荘として買うと言い出したのだとすると、ベルムードの言動は嘘つきな上に怪しくもあると思えてくる。
父さんが指輪を持つギプキュイを追いかけなくていいのかと言ったのは、父さんも万能の指輪の価値を知っていたからだ。
ギプキュイは、わたしに見せてくれた。
指輪を見せて、どんな反応をするのか、試していた。
わたしだけが、見ていたのに気が付いていなかった。
「…犯人が魔法使いではなく精霊だと断定する根拠は、他にもありますか?」
揺るぎようのないからと言って、推測を事実と認めたくない。
「慎重に、検証もしてみたのですよ?」
ロディスは待ってましたとばかりに真顔に戻る。
「ビア様に関わりの深い者たちの中に、魔法使いは公国からの同行人のバンジャマン卿しかいらっしゃいませんが、そのような行動をする人物だとは思えません。魔法を使うのが人ではないとして、残るは精霊です。あくまでもこれは想像ですが、精霊たちはビア様たちがブロスチの街へお戻りになってから宝具が無くなったのに気が付いたのだと思われます。この街に取り返しに来た水の精霊は聖堂の女性の元へ行き、体内を見分したけれど宝具がなかった。もうひとりの地の精霊は、騎士団で拘束されていた男性の元へと行った。見分し見つかったから取り出した。用が済んだから精霊たちはビア様の元へは行かなかった、のではと想定しました。」
「水と地の精霊と断言してしまうのですか?」
アンテ・ヴェルロで見たあの土地の守護精霊は、ヒト型を取れないほどに魔力を消耗してもなお村を守っていた。
「そんなはずはないと思います。あの村の守護精霊はそこまで魔力を持っていません。ヒト型も取れないのですから。」
「さすがビア様。もう守護精霊を把握されているのですね。ビア様、…人の暮らす街に馴染むのは人に化けられる力を持つ精霊です。この街には、古来から狐憑きの原因とされている妖がいます。人も精霊も従わせ操る破格の妖だそうです。近年噂にも上りませんが、その大妖が絡んでいるとみて間違いないでしょうね。コーストという男が皇国へ移送されると、あの村にあった万能の指輪が皇国へと持ち出される状況となります。何らかの理由でアンテ・ヴェルロの村で隠しておきたかった大妖にすれば、とても不都合な事態だったのでしょうね。」
それではまるで、ギプキュイが犯人みたいだ。
あ!
血の気が引くような思いがする。噤む唇が震えてくる。動揺を悟られまいと掌で口元を覆い隠してみる。
違う、ギプキュイじゃない。ギプキュイは回収という依頼を受けたと言っていた。直接手を下したのは蛙顔の神官様であるグラだ。
ふたつの属性を持つ邪神としてのグラなら、水の精霊でもあり地の精霊でもあるのだ。水という媒体を通して、どちらも、叶えられてしまう。
ギプキュイが見せてくれた指輪が回収した万能の指輪なのだとしたら、依頼したのは持ち出されたくないデイライド爺さんだと納得できた。
そしておそらく、グラが水の精霊王シャナ様とした取引は『殺生をしないこと』だ。どんな理由があれ、殺生をしてしまえる者を上位神官として神殿に置いておくわけにはいかない。
ギプキュイは回収を依頼されて、報酬にアンテ・ヴェルロの村に必要な万能の指輪の管理を任されたのだ。
フクロウ魚は、皇国からやってきたと言っていた。魔力があろうとなかろうと使える魔術工房の核になっていたのは、アレが持ち込んだ万能の指輪なのだ。
そうなると、順番が変わる。ギプキュイはグラに召喚されたと言った。その段階でグラは、指輪が持ち出されたと知っていて、犯人はアニチェかコーストだと知っていた状況になる。
身を隠しているなら、ブロスチの水の精霊王さまの神殿から出ないまま、詳細を知れるはずはない。
情報を、囁いた存在がある。
ギプキュイが友達を強調していたのは、わたしの影にいる父さんに聞かせるためなのだとしたら。
囁いたのは、父さんだ…。
『お嬢ちゃんは気にしなくていい』と言っていた言葉の本当の意味が、やっと判った。
「断定はできないですよね? あくまでもそういう精霊がいたという憶測ですよね? 実際にその指輪があったのかどうかもわかりませんよね?」
否定したくても、実際にはわたしはその指輪を見てしまっている。
判っている。真実だ。
間違いだと言ってほしくて尋ねてみても、真実だから否定できない。
万能の指輪は、実在するのだ。
「ビア様、現状ではむしろ、指輪などないとする前提の方が難しいですね。」
ロディスは困ったように肩を竦めている。
「騎士団は犯人が精霊か半妖かを見極めてから動くでしょうから、これからでしょうね。」
ファーシィではないと判ったのはつい先程だから、騎士団に指輪を連想する時間はまだ訪れていない。ギプキュイはしばし動ける時間がある。
「大妖が復活したとなると、街の警備が変わります。同時に、そのような宝具を守るなら守護精霊かもしれないため、在り方を見極めようとするでしょうね。出方次第では、大妖を狩って、宝具を人間の管理となりそうですから。」
「そんな…、」
どうして、と思うと自然に手の甲に視線が行ってしまう。
輪は光っていない。
この近くにいないのだと判っても、つい、見つめてしまっていた。
わたしに、医者として残らないかと聞いたギプキュイ。
この街と、あの村を守る大妖だ。
目を細めて黙る姿が思い浮かぶ。
強かなギプキュイは人に化けて騎士団に出入りしているからある程度は流れを知っていて、知っているからこそわたしにあの指輪を見せてくれたのだと思えてきた。
「ビア様、すべては情報であり、真偽は本人たちにしか判りません。ですが、答えとするには十分に信憑性の高い情報であると私たちは考えております。」
否定できない事実に、わたしは黙って頷くしかなかった。
何も知らない方が楽だったけれど、知ってしまった以上、ファーシィは犯人ではないと言い切れるし、グラである蛙顔の神官様が何も告げずに去った理由が理解できている。
ギプキュイはたった一つの指輪のためにすべてを失うかもしれないのだとも、判ってしまった。
わたしには、友達だろうとなかろうと、アンテ・ヴェルロの現状とギプキュイの役割を知っている以上、口を噤むのが最良なのだとしか思えない。
沈黙に顔を上げると、ロディスは躊躇いがちにわたしを見ている。
「かなり、精度の良い情報ですね。さすがとしか言いようがないですね。」
ロディスは、依頼したわたしの秘密も嗅ぎ当ててしまうかもしれない。わたしにも覚悟が要りそうだ。
「依頼を撤回されますか?」
顔色を読まれてしまった。
「…大丈夫です。信頼していますし、いざとなれば情報を買い取りますから。改めてお願いします。」
「おまかせを。もちろん私どもも依頼人の利益を守ります。暴露が我々にも損となるなら不利益ですから。」
ロディスは無茶はしないと未来の経験から知っている。
「彼らは、わたしの大切な人たちなのです。離れていても、無事でいるのだと知っていたいのです。情報を下さい。」
頭を下げるとロディスは「お任せください」と言ってくれたので、わたしは安心してリバーラリー商会を後にした。
※ ※ ※
リバーラリー商会のブロスチ店を出たわたしは、別れの挨拶も兼ねて市場の中の食堂へと寄った。店の外の看板には『送迎会兼お別れ会』と書かれた紙が貼られている店内では、水を入れたグラスで乾杯し合うベルムードや街の人たちが盛り上がっていて、笑い声と囃し立てる声、歌う声とで騒々しかった。
隅のテーブルで食事していた師匠を見つけて合流して、わたしは果物中心な食事を済ませた。椅子に座ると注文する前に気を利かせた店のお姉さんやフローレス達が果物を持ってきてくれるので、師匠が食べていたエビや目玉焼きが挟まれたパンがおいしそうだったけど、皆さんの気持ちは嬉しいので感謝しつつ食べるしかなかった。
笑顔で乾杯を繰り返すベルムードを中心に、泣き笑いの表情を浮かべて盛り上がる街の人たちを見ていると、わたし達も出会った頃に比べると随分打ち解けたのだと思えてきた。ベルムードに対して感じていた反発心や嫌悪感もあまり感じないし、嘘つきで職業金持ちという生き方に関しても不快とも思わないのだから慣れってすごい。
優しさと気遣いだと判っているけど、ずっと果物ばかりで、肉や魚、卵を食べていない気がする。
父さんとオルジュ、母さんと囲んだ公国の我が家を思い出して「鶏か鴨か」と無意識に呟いたわたしを、師匠はじっと見ていた。
「私は本物ですよ?」
でしょうね、と思ったけど、内緒にしておく。
「ビアは秘密の香りがしますね。」
「しないです。気のせいです。」
師匠も公国の庭園管理員だ。花屋で現段階で集まっている情報を聞いているだろうし、状況からある程度はかかわりのある精霊の正体やこの街にあるという宝具の存在を聞いているかもしれないなと思えてきた。
もしかすると、既に手掛かりと情報を元に、真相に行きついているのかもしれない。
「師匠こそ、何かを隠してないですか?」
何を、知っているんですか?
「なにも?」
尋ねたら答えてくれる人ではないのは知っている。何かを言うでもなく、師匠はわたしと目が合うとにっこりと微笑むだけだった。
目を逸らすと負ける気がする。
顔を見つめながら黙々と食べあれこれと考えているうちに、何の収穫もないまま食事が終わってしまった。
水だけで酔って機嫌良さそうなベルムードが踊り始めたのを見て、フローレスが辺りを見回し時間を囁くと、リディアさんが空中に向かって手を打った。
「さあさ、皆そろそろお開きにするさね? 笑顔で送り出してあげようじゃないか!」
視線が集まる中で一声張り上げると、フローレスが「家族を見送るぞー!」と叫んだ。
「オー!」
怒号のように起こる掛け声とともに立ち上がったペペリさんたちが音頭を取ると、人々が拍手をしながら一斉に並んで店の外まで道が通った。別れの花道を作ってくれたんだなと思うと妙に嬉しくて進むのが躊躇われたけれど、先頭を行くベルムードも次に行く師匠も当然のように行ってしまうので、わたしも、ひとりひとりに挨拶したり握手したりしながら店を後にした。
「また来ておくれよ? 私の目がはっきり見えているうちにさ、」
「ビアさんのために果物、用意してますから。」
家族と言ってくれた人たちは、別れまで優しい。
店の前で並んで見送ってくれるリディアさんやフローレスやフィレナ一家の皆さん、お店のお姉さんや他の『家』の人たち、街の人たちに手を振る。
「いってらっしゃい、ビアさん。」
「待ってるから。」
人の隙間を縫うようにリネちゃんたちが顔を見せた。ゴールディさんたちに頭を撫でられて笑う顔を見ていると、ほっとしてわたしが泣きそうになる。
泣くな、わたし。
全部終わったら、医者として、治癒師として戻ってこよう。
「帰っておいでな?」
リディアさんが、優しい顔で微笑んでくれていた。
わたしはこの街で、ダールさまがわたしを女性態に落ち着かせてくださった意味を教えてもらえた気がしていた。
精霊ではなく、人として生きていく心構えをさせてもらったのだと振り返れる。
首から下げた翡翠のアマガエルの暖かさも、ポケットにあるリネちゃんがくれたお守りも、わたしという半妖がビアトリーチェ・シルフィム・エガーレという存在として生きていく支えを作ってくれている気がする。
「来ます、必ず戻って来ます、」
答えるわたしの声は震えていてはっきりと言葉になっていなかったけど、思いは伝わったと信じたかった。
※ ※ ※
市場を抜けた先にある騎士団の駐屯所の敷地内には、頑丈で豪華な6頭立ての馬車が2台止まっていた。馬は大人しくて、騒がしく行き来があるのは人ばかりだ。
騎士が領を出るまで道中の護衛につくと話していたので、1台は先陣を切って、もう1台にわたし達が乗る手筈みたいだ。馬車本体は品よく重厚な質感で、馭者も上質な仕事着を着ていて、馬も毛並みが輝いている。ベルムードの説明によると、どちらもフォイラート公爵家の所有の貴賓用の馬車らしかった。ちなみに彼は過去に乗ったことがあるそうだ。さすが貴族階級。
師匠やベルムードは旅程を馭者や護衛として付き添うらしい騎士に説明していたのもあって、わたしはひとり、手持無沙汰で眺めて待っていた。
公国で乗ったスタリオス卿の火の国回廊を思い出して、魔法のかかっていない豪華な貴族の馬車は初めてかもしれないなと思っていると、駐屯所の中から騎士や文官たちが慌てた素振りで出てきた。
「どうかしましたか、」
「なんだい、」
ベルムードと師匠のそれぞれの耳元で話しかけている騎士や文官たちは、駐屯所の家屋の中で何かを言い合っている領兵や騎士たちをさりげなく指差して何かを伝えている。
師匠の顔が、無表情に変わった。ベルムードが眉間に皺を寄せて先に駐屯所の奥へと入っていくと、騎士たちも追いかけていく。
「ビア、」
「どうかしたんですか?」
「気にしなくていいですから、先に馬車に乗って待っていてください。」
「その馬車ですよね?」
状況からして平民なわたしには何もできることはなさそうなので、おとなしく従うと決める。
「そうです。すぐに済みますから、休憩でもしていてください。」
「わかりました。」
言うなり、「すぐに戻りますから」と言って去ってしまった師匠に小さく手を振って見送ると、わたしは残った騎士たちに囲まれながら2台目の方の馬車に乗り込んだ。
「わあ…、」
つい、感嘆してしまう。
踏み台からしてもう質感が違う。思ったより天井が高くて、壁もしっかりとしていて、深い赤紫色のカーテンは遮光も抜群に良かった。
ベルムードと師匠がきたら座る席を決め直せばいいかなと思いながら、進行方向に向かって座ってみる。臙脂色のベルベットの張られたクッションも柔らかくて厚みがあった。これならいくら乗っていてもお尻が痛くならないと思えた。
カーテンを開けていると、背の後ろでカタンと音がして、扉が締まった。
窓ガラス越しに空を見上げると、白く太陽がかすむ青い空が見えた。
「あら、思ったよりも混じりけがないのね。」
突然聞こえてきた声はしっとりとした男性の声だ。
声がした方角には向かいの席がある。さっきまで誰もいなかったのに、空耳?と思い、顔をまっすぐ正面の向かいの席に向けると、光沢のある白いドレスを着ている、ふっくらとした体形の丸い、背も横幅も腕も手も足も全体に丸くて大きな人が座っていた。頭の上で丸く束ねた髪は白金髪で、肌の色は黄みがかっていて、全体に艶々している。白くお化粧をした大きな丸い顔の紫色の丸い瞳はじっとわたしを見ていて、小さな鼻に小さな口から一見女性に見えるけれど、喉仏がささやかに見えるし骨格や全体の印象から男性だと判る。
見覚えがない。
やっぱりさっきまで誰もいなかった気がするけど?
「何よ、その顔。あら、影の中から出てくるつもり? いやね、そんなことはさせないわ。」
その人が分厚い指でぱちんと指を鳴らすと窓にカーテンが広がり、床が光を放ち始めた。
天井からも、壁からも光が放たれて、馬車の中にあった影という影が消えていく。
わたしは、光の中に浮かんでいるような錯覚を覚えた。
「アンタ、名前は?」
「ビアと言います。」
「ビアだけじゃないでしょ? 母親と父親の名前を言ってごらん?」
じっとわたしを見ている眼は、知っていて聞いている者の光があった。嘘をつける相手ではない。
「ビアトリーチェ・シルフィム・エガーレと言います。母は、ペスネージュ・シルフィム・シルフィム、父は、ローアン・ブルービ・エガーレです。」
「アンタの父親の名前は違うって判っているから気にしないけど、そっか、シルフィムの娘の子ね。そっか、そっか、」
自分ひとりで納得して自分ひとりで何かを決めた様子なその人の気配は人の持つ感情の複雑さを含んだものではなくて、父さんや蛙顔の神官様のような重い魔力の濃密さでも、精霊であるギプキュイのような属性を匂わせる軽やかさでもなかった。
「久しぶりに弓が鳴ったと連絡が来たから見て見たらこれよ。思ったよりもイイじゃないの。」
嬉しそうにホッホと笑うと、わたしに向かって「いい面構えじゃないのよ、気にいったわ」と合格点までくれた。
話が見えてこないのはわたしだけなのかな。
考えてみれば、わたしが乗る馬車を間違えただけかもしれない。
向こうの席に座る人には全く面識がないのだから、今なら名乗っただけで無礼を許してもらえるかもしれない。
「あの、馬車を乗り間違えたみたいです。失礼しました。」
「間違っちゃいないわよ。」
ドン、とその人は床を踏み鳴らした。
「アタシはアンタを迎えに来たの。アンタもその恰好をしているんだから、そのつもりがあるんでしょ?」
「…えっと?」
これはリディアさんが娘時代に着ていた服、だよね?
「イヤだ、アンタ、どういうつもりなのよ、」
首を傾げるわたしを見てホッホと笑うと、その人はパチンパチンと指輪を鳴らした。
キラキラと光る何かがわたしの周りで弾けて、目が開けていられないほどに眩しい。
「これから神殿に行くのよ、アタシたち。」
どこの神殿へ?
薄目を開けると、金色に輝く神々しい顔が見えた。
あなたは、いったい…、
口に出そうとして感じたのは、わたしはどこかへ向かって転送されて行こうとする感覚だけだ。
足元にも、壁にも、起動石などないのに、魔法陣などないのに、転送されていくのだけは判った。
ビア 5月編 完
ありがとうございました。
次回からフリッツ編の開始予定です。




