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1 生きたい理由をお持ちなのでしょう。

 本人の見立てよりもひどい怪我をしていたランスの回復を待つことなく、予定通り、フリッツは騎士団による地竜王の神殿付近の現地調査の旅に出発することになった。

 出がけに、支度をし終えて鏡の前で身支度をしていた傍に猫のような何かが寄ってきて、髭から摘まみ取った白い毛を一本、袖口に付けてくれた。猫のような何かは痛かったのか頬を撫でて目を閉じ、首を振った後、じっと鏡の中のフリッツの瞳を救うように見上げて、小さく頷いてソファアの影に隠れてしまった。

 なんだったんだろう、今のは。

 袖口に一本そよいでいる毛を見ながら考え込んでいたフリッツの傍に、自身の支度を終えたカークが寄ってきて早速毛を見つけ、「なんです、白髪ですか。まったく、どこの侍女です、恐れ多くもお召し物に毛を残すなんて!」と怒って毛を抜こうとした。

「いいさ、気にするな、」


 そういえば前回の実践演習の旅行の前にも同じやり取りをした気がするな、とフリッツは思い、カークの顔を見る。あの時、カークは、新人でしょうか、きつく言っておかなくてはいけません、と言って部屋を出て行こうとした。これくらい気にしないと、フリッツが宥めた覚えがある…。


「ですが、フリッツ、こういうことはきっちりしておかないといけません、」


 あの時の毛も、こうやって自分の髭を私にくれたのだろうか。猫のような何かを探すと、ソファアの影に耳が見えた。よほど痛かったのだろう。耳が項垂れている。

 そんなに大事なものをくれたのか…。

 フリッツは払うふりをして毛を手元に隠すと、こっそり指に絡めた。


「気のせいかもしれないだろう。あまり責めるな、」

「またそんなことを言って。新人を甘やかしては碌なことはありません、ここは王城ですよ? フリッツ、次回こそは指導しますからね!」

 カークはぷりぷりと怒りながら、「ドレノはどこにいるんです、支度は済みましたか、」と別の部屋に行ってしまった。


 もしかしてこれは、あの猫のような何かのおまじないか何かなのだろうか。

 毛を忍ばすなんて、所有物の宣言をされているような気がしなくもないな、と思いながら、フリッツは指に絡めていた毛を剣の鍔に巻き付けて結ぶ。これで、そうたやすくは無くしたりはしないだろうと思った。


 そうこうしているうちに、「ご出立の御用意を、」とキュリスとビスターが迎えにやってきた。近衛兵の制服ではなく騎士団の制服を着ている二人は、「似合いますでしょう?」と肩を竦めて笑っている。

 部屋を出るとき振り返ると、ソファアの影から顔を出した猫のような何かが何かを言っているかのように口を動かしていた。

 言葉が判ると良いのに、とフリッツは思い、小さく頷いて旅へと気持ちを切り替えた。


 ※ ※ ※


 馬車に乗って地竜王の神殿へと向かう調査隊の旅の計画は、馬車で現地の麓までの移動という点では時間と距離の短縮があったけれど、やることは前回の実践演習と変わらないだろうとフリッツは考えていた。

 ただ、はっきりと違うのは、フリッツの警護を補佐するという名目で、一行にはドレノが新人騎士として加わることになった。

 治療中であるランスを戦力としては期待できない。フォートを隊長においてランスが補佐官という立場となり、フリッツ、カーク、ドレノの新人騎士を援護するキュリス、ビスターという役割で、騎士団所有の四頭立ての長距離用の大型馬車に揺られていた。目くらましの任務な割には、馬車の荷台には測量用の道具や器具、現地での野営用の寝袋や機材など、本格的な用意がしてあった。

 前回の旅の様に徒歩での移動ではないので、いくつかの街によって休憩をしていても行程に余裕があった。地竜王の神殿のあるクラウザー侯爵領は王都より北東の皇国との国境近くにあり、旅の拠点となる領都ガルースを目指し、馬車は舗装された街道をひたすら北東に進む。

 

 馬車の中には進行方向を背にランスとフォート、フリッツの隣りにカーク、ドレノが座っていた。馭者としてキュリスとビスターが役割を担ってくれていて、行く手に魔物が見えても可能な限り無視して突き進んでいるようだった。揺れることは多少あっても止まることのない馬車に、フリッツは二人の手綱捌きの器用さに感心したりもしていた。

 フリッツは、フリッツ・レオンという新人騎士の立場で、騎士団の一員として振る舞うことに決まっていた。前回の演習とは違い、騎士団の制服での行動は一挙一動が民を守る正義の騎士という役割を感じさせられて、気持ちが引き締まる思いがする。

 窓を細く開けると、6月の風が、心地いい。

「さっき寄った街でも、顔色の悪い薬師の話は耳にしませんでしたね、フリッツ、」

 カークが思い出したように話を振った。

 針葉樹の鮮やかな緑色が、流れていく窓の外の景色を彩っている。窓の外を眺めていたフリッツは視線を車内に戻した。フォートは相変わらず寡黙で、カークのおしゃべりにランスが答え、時々フリッツに話が振られる、という関係はいつも通りだった。

 ドレノは随分と言葉が話せるようになったと侍女が報告してくれていたけれど、上目遣いで時々フリッツやカークの様子を伺うばかりで、あまり会話に参加してこない。こじんまりと座り、細身で騎士団の制服を着て髪を後ろでひとつに束目ている姿は、やはり少年の様にしか見えない。

「かの方は気配を消すのがうまいのでしょうか、」

 カークはドレノがいようといまいとお構いなしに、シクストの話をするつもりらしかった。

 隠さなくてはいけない理由もない。当然といえば当然か。フリッツはドレノがあまり興味なさそうなので気にしないことにした。

「残念だが、同行してくれないようだな、」


 前将軍を訪問した日以来、フリッツは執務の合間に先の大戦の資料に目を通していた。その中には、氷雪の(プロフェッサー)教授(・フロスト)の足跡を感じられる記載はなく、シクストの個人的な手柄もあるだろうに、すべては軍所属の魔術師団の功績としてしか残されてはいなかった。


「聞きたいことは沢山あるし、話足りない気がしてならない。」

「竜の話も興味深かったですね、」


 フリッツとカークは竜に娘が攫われた事件があったかどうかも調べ直していた。王都でそんな噂話はもちろんなく、竜にかかわる事件の話題も上がってはいなかった。


「ああ、また話が聞きたいものだな、」

「今は大変な状況だとしても、ご子息と二人でなら良い方向に変わりそうですよね。」

「カーク、そんな簡単に解決しないと思いますよ、」とランスは呆れたように肩を竦めた。

「まだ、肝心の神殿まで距離も時間もあります。二人とも、焦ってはいけません。」

 フォートも静かに頷いている。

「ま、かの方を探すのは保留ということにして。まだこの先の道のりがありますから、出会いに期待しましょう。」

「いらない出会いはいらないですけどね。」

「カーク。噂するとまた出ますよ、」

 ランスがニヤリと笑う。獣人たちを連想して、フリッツは奥歯を噛んだ。

「大丈夫です。閣下の配下の者の情報を共有した騎士団や街の警護団が、王都周辺の盗賊団のアジトを一斉に検挙しましたよね。その中に、獣人に拉致を依頼した盗賊ギルドがあったという話です。」

「取り調べを吟味し、あちこちの領にある盗賊団の隠れ家も探索され捕縛されています。多くの盗賊団が投獄され、既に処刑も始まりましたね。」

魔物(モンスター)が跋扈するこの世の中に、混乱を助長するような者たちはいりませんからね、騎士団の仕事は早いから素敵です。」

 ハハッとランスは笑い、真顔になる。

「ですがカーク、獣人が捕まったとは、騎士団な報告には上がってきていませんよ、」

「獣人はいつもは人間に化けているそうですから。あてになりません。」

「捕まった盗賊の中にいるかもしれない、ということですか。」

「ええ、化けれないほど怪我していそうですからね、」

「まあ、あの怪我ですからね、」

「でしょう? 大丈夫ですって!」

 にっこりと笑みを作り、カークは「こんな遠くまでこれませんって!」と明るく笑う。

「クラウザー領で騎士団の協力を仰ぎますから、かの方がいらっしゃらなくても大丈夫ですよ、」

 カークの言葉に、フォートが深く頷いている。

「フォートの実家ですからね。私達は知らない仲ではありませんから気が楽ですね。ドレノ、あなたは初対面ですから、フォートそっくりな父君や兄君たちに驚くと思いますよ。」


 辺境を守る斥候も兼ねたクラウザー侯爵家は武芸の家柄で知られていて、兄弟揃って騎士の誓いを立てていた。父であるクラウザー侯爵は武人で寡黙で逞しく、フォートの生母の侯爵夫人は武芸の嗜みがあり社交界よりも武闘会を愛する女性だった。

 フリッツは新年の挨拶にとフォート一家が勢ぞろいした様子を思い出して、雰囲気が似すぎていてむしろ驚かないのではないかとふと思う。


「そうですね、フォートの兄君はお二人とも侯爵家の騎士団に所属されていますから、騎士団対抗の騎馬戦の演習くらいでしか最近はお会いしないですね。」

「王都の騎士団所属の騎士のフォートとそっくりな兄君たちが対決するなんて面白い、って毎年評判ですからね。兄弟対決って珍しいですよね、」

 カークの軽口に、いつも無口で無表情に近いフォートが珍しく感情を露わにして、やや不快そうに視線を逸らした。

 その話はするな、という意思表示なのだろうか。フリッツは王城にてクラウザー領の訪問を歓迎すると謁見しに来たフォートの兄たちを思い出す。


 今回の旅は調査隊という名目だったけれど、実質は非公式の地竜王の神殿への参拝と打ち明けていた。地元民として地竜王崇拝を奨励しているクラウザー侯爵家はお忍びとはいえ王太子であるフリッツの訪問に感激して、一行を歓迎してくれると約束してくれたのだった。


「実力がものをいう家だ。カークもできるだけ鍛錬したほうがいい。」

「ドレノはともかく、フリッツと私は新人騎士役ですからね。その辺は抜かりなくやるつもりです。」

「出立前にした手合わせでは、ドレノの腕前はカークより勝っていましたね、カークは特訓が必要です。」


 騎士団の鍛錬場で行われた3本勝負でのカークとドレノの試合は、それぞれの体のあちこちに結びつけたリボンを先に一か所でも切った者の勝ち、という単純なルールだった。

 女子供だからって容赦しませんからね、と余裕を見せたカークだったけれど、3本とも、ドレノの圧勝だった。1本めは居合い切りで、カークは剣を抜く前に腕に付けていたリボンを切られていた。

 2本め、3本めは剣を抜けたけれど、容易くリボンを切られてしまっていた。


「悔しいですが、やり直しがきかないのが剣術ですからね。あれはマグレだと納得がいきませんが、ドレノには勝てるようになりたいです。」

 全然結果に納得していないカークはドレノをちらりと見て、「今度は負けません、」と呟く。


 ドレノは剣術の稽古を独学で行っているらしく、騎士団の鍛錬場で見かけることはなかった。

 悔しがったカークに日常の生活の場で挑発されてもドレノはやり返すことがなく、スイっと身を翻して流してしまう。

 聖堂の剣士殿は秘密がお好きなようですよ、とカークが揶揄ったけれど、フリッツも同感だと思うになっていた。

 ドレノは夜間に城内を警邏(けいら)しているらしいと、夜間の警備をしている近衛兵から報告が上がっていた。

 与えた私室のベッドを使った形跡がないと、侍従長からも報告があった。どうやらソファアで仮眠しているようです、とも聞いた。

 日中は侍女の指導で侍女の教育を受け、夜間は剣を手に警邏…、いったいいつ体を休めているのだろう。いったいいつ、そういった行動をする事情を話してくれるのだろう。

 私の元に来てもうひとつき経とうとしているけれど、ドレノは、秘密をいつになったら打ち明けてくれるのだろう。

 

 ドレノの腕前は、私か、フォートと同じくらいでしょうね、とランスが評したことがあったけれど、もしかしたらもっと上かもしれないなとフリッツはこっそり思う。


「フォートの兄上たちにも御指導の協力を頂きましょうか、」

 ランスが笑みを浮かべさりげなく提案する。

「私は表向きの調査結果の資料を作成しなくてはなりません。カークの朝練を指導する時間などはありませんからね、」

「それなら、キュリスとビスターにも接近戦を学んだ方がいいだろう。室内でも戦えるように、」

 珍しくフォートまで提案すると、「キュリスにですか? フォート、王都にいるよりも厳しいではありませんか、」とカークは口を尖らせる。

「ランスやフォートの方がキュリスより優しい気がするんですよね。」

 身内ゆえにカークには厳しくなってしまうキュリスの指導を思い出して、フリッツは苦笑いをした。


「ところで…、お尋ねしたいのですが、かの方は、具体的にはどのような方だったのですか。城の図書館の資料庫でも関連する書物を漁りましたが、これといった記載を見つけられませんでした。」

 小さく手を挙げたカークの言葉に、同じように苦戦したフリッツも黙って頷いて同意する。

「あの方は、大魔法使い(ウィザード・マスター)シクストは、氷雪の(プロフェッサー)教授(・フロスト)と呼ばれる、先の大戦の主要な戦力です。」

 淡々とした表情でランスは説明をし始めた。

「魔術にたけた公国(ヴィエルテ)の軍を圧倒する魔力量で我が軍を守り、守りとなって働いてくれましたが、病に倒れられ引退されたと聞いています。」

「戦力としても秀逸で、敵軍に真夏に凍傷を負わせる攻撃をして以来、氷雪の(プロフェッサー)教授(・フロスト)と呼ばれるようになったのだと聞いたことがある。」

 フォートも知っているのか、話に加わる。

「もともと王都の王立学術院の地質学の教授だったそうだ。各地を旅しているうちに精霊王の加護を得たのだろうな。」

「名が知れ渡ったのは、奇襲作戦で夜を襲った公国(ヴィエルテ)軍を一人で退けたからだそうです。」

「あの技を見れば、それも納得できるというもの、」

 カークがうんうんと相槌を打った。

「そうですね。穏やかな人物で前将軍のお気に入りと噂されて、右腕とも評されていた方です。先日お会いするまで、もう亡くなられたものと思っておりました。」

「待て、…そのような功績を持つ人物が書物に記載がないのはおかしいのではないか、」

 フリッツはふと湧いた疑問を口にした。

「功績を認められて勲章も授与されているだろうに。」

 思い当たることがあったのか、ランスとフォートは同じタイミングでふっと微笑んだ。

「前将軍の意向でしょう。あの方は引退されるときに、公文書をいくつも処理させたと聞いたことがありますから。」

「表には出せないと、誰かが政治的に判断していたということですか?」

「それもあるでしょうが、あの異能の者を表に置いておくと不都合な者たちが前将軍以外にもいた、ということでしょう。この国では、魔法はほとんどお目にかかれない現象ですから。」

「ひとりで一個小隊を倒せる魔術師がいるとなると、まじめに剣術を学ぶ者からすると、面白くはないでしょうね。理屈で説明できないことが手柄となったのですから。」

 カークが魔法の威力を思い出したのか、目を輝かせながら頷いた。

「魔力を持つのは遺伝的な要因が大きいとされています。この国ではなかなか発芽しない能力であるとも言われていますね。」

 フリッツ自身も、魔力を持つ母親の影響よりも、魔力を持たない父親の影響が強いと自覚していた。魔法を使えた試しがない。

「それはつまり、魔法自体を知らない者がいて、恐れる者もいるということです。」

 ドレノが、少し肩を震わせた気配がした。話を聞いているだけな印象だったドレノの反応が珍しく思えて、フリッツは気になった。

「確かにそうかもしれません。魔力や魔法使いなんて、ゾーイと出会うまでは恐ろしいものと思い、シクスト殿と出会って羨ましいと思いました。この気持ちは、手に入れられないのだと判ると、妬ましいと変わってしまうかもしれません。」

 素直に心情を口にして、カークは苦笑する。

「それにしても、先の大戦…、いったいいくつなんです? どう見ても、30手前といった風情にしか見えませんでした。」

「先の大戦中での出来事らしいのですが、確か、大きな病を凍らせていた、と聞いたことがあります。」

「病…、」

「なんでも、腹に何枚も包帯を巻いて、その上から凍気(トウキ)を当てていたそうですよ。」

「それは…、壮絶な様子だったでしょうね、」

 想像したのか、カークの顔色が青くなる。

「まだ生きているということは、まだ治っていないのかもしれませんね。」

 ランスがゆっくりと、視線を膝の上に乗せた手元に落とした。

「なにか、生きたい理由をお持ちなのでしょう。」

「だから、薬師として各地を旅しているのか、」

 フリッツはシクストの枯れたような表情を思い浮かべながら尋ねた。生きていたい理由は、私と同じように死にたくないからかもしれない。私と同じように、逃げることができない責任があるのかもしれない。

「おそらく、そうでしょうね。ここにも何か薬を探しに来るつもりなのかもしれません。」

「あの街のどこかに氷雪の(プロフェッサー)教授(・フロスト)がいるのですね、」

 夕焼けに、月が赤く染まっている。フリッツが見やった窓の外には、街が見えてきていた。

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