85、退魔師はいない方がいい
朝食を済ませ自分の部屋でひとり窓際に座って遠くの空を眺めていると、師匠がやってきた。颯爽と清潔感が歩いてきた印象がする。
師匠は出かける為に着替えて身なりを整えていたのもあって、いつもよりも緊張感のある表情をしているように見えた。
「なんですか?」
わたしの部屋の入り口で動かない師匠は黙って座ったままのわたしを見下ろして、痛々しそうに顔を歪めた。アンテ・ヴェルロにいた時には気が付かなかったけれど、わたしの肩や腕には縄で縛られていた時に出来たと思われる痣がいくつもできていた。春の女神さまの神殿でした治癒でも治らなかったのだから、元はもっと酷かったと思えた。
昨日入浴している時に気が付いて迷った結果、そのままにしてあった。リディアさんやお姉さんたちは撫でてくれて包帯を巻こうかと聞いてもくれたけど、丁重にお断りをした。これぐらいなら、魔法ひとつで回復できると治癒師なので知っている。騎士団の聴取があると想定していたので、わざと残してあったのだ。
「その服は…、」
首を撫でながら部屋に入ってきた師匠は、言葉を探している。昨夜夕食を取った後、ベッドに吸い寄せられるようにして眠ってしまって若干寝過ぎてしまっている感がしなくもないわたしと同じにぼんやりとしているのか、用件を忘れてしまったのかな。
「リディアさんにいただきました。リディアさんが若い頃に着ていた夏のワンピースだそうです。似合っていますか?」
もう着る機会がないからいいさと貰ったわたしが着ている袖のない膝丈のワンピースは、公国にはない柔らかな色合いの先糸染めの綿で出来ている。織り方で交差する模様が描かれていて、使われている色は淡い黄色や白、かすれたオレンジ色で華やかだし爽やかだ。色使いが派手に見えていても、公都の王の庭でラボア様に頂いたドレスよりは控えめだ。
リディアさんに見せると、「騎士団へ行くのなら、この街の娘のする正装に近い方がいいだろうさ。よく似合ってる。この方がずっといいよ、」と褒めてくれたのでわたしは似合っていると信じている。
「…よく似合っています。」
言葉に詰まるってお世辞だろうなと察しが付くから、こちらも社交辞令でお礼を告げる。
「ありがとうございます。」
「ビア、騎士団の聴取には私は同席できないと想定しています。打ち合わせも兼ねて、確認に来ました。」
「師匠も、呼び出されているのですよね?」
「ええ、ベルムードもです。」
「ベルムードは二日酔いから復活したのですか?」
アンテ・ヴェルロの村で村人たちと昨日の朝から宴会をして盛り上がったベルムードは、夜更けに村長に送られて戻ってきたと聞いていた。
「元気ですよ? 下でフローレス達と話をしています。」
「そうですか。」
わたしが眠って過ごした昨日の間に進展があったわけではないみたいだ。探りを入れたのを笑って誤魔化しておいた。
「ビア、騎士団は任意での聴取ですから、嫌なら私とベルムードだけで行きます。無理をしないでください。」
「大丈夫です。ファーシィは、もう取り調べが始まっていますよね?」
聖堂の本山の人間であるオリヴィエールは村人やわたし達の前でフォイラート公の名前を出していたから、公爵領の事件として騎士団や領兵の介入を望んで公平に解決をしてくれるつもりがあるのだとは思う。
コーストと手を組んだブロスチの聖堂の関係者だけには任せておいてほしくなかったのもあって、騎士団が介入してくれるのなら聴取でも何でも協力したい。
「そのようですね。先ほど騎士団の伝令を伝えに来た騎士の話によると、『聖堂の女の治癒師は息を引き取った』そうですから、コーストとファーシィとが取り調べの対象となるのでしょうね。」
ん?
『聖堂の女の治癒師は息を引き取った』?
「アニチェは、生きていましたよね? 聖堂にだって治癒師はいますよね? 治癒していれば回復出来たはずです。たった一晩ですよ? どうしてですか、」
想像もしていなかったアニチェの死にびっくりして、わたしは反射的に立ち上がっていた。
「ビア、落ち着いてください。」
師匠は眉間にシワを寄せると、すっと手を伸ばすと窓を閉めて『金風』の魔法を掛けた。どうやら誰にも聞かれたくない話を始めるようだ。
「信じられませんが、事実のようです。聖堂で、出迎えた聖堂の司祭たちや、話を聞きに来た騎士団の騎士といった大勢の見守る前で、突然だったそうですよ。唸り声をあげて血を吐いて死んでしまったので、直前に飲んでいた薬草茶に毒が混ざっていたのではないかと調査が始まったそうです。騎士団の騎士がこの宿へ来たのは、『安全のために、話を聞くのはこの宿から一番近い市場近くの騎士団の駐屯所になった』という場所の変更を伝える為でした。」
あの駐屯所ならここから近くて狭いからだろうなと、間取りを思い出す。ブロスチにある聖堂の施設は不特定多数の出入りがあるから危険なので、同じような条件の官舎も危険と判断されたのだ。
「毒、ですか…、しかも、お茶ですか。」
「アニチェは昨日、オリヴィエールと共に聖堂に戻ったようですね。治癒をしても衰弱が激しいのもあって、飲んでいたのは、水竜王様の神殿の聖なる泉から汲んできた水を沸かして仲間の治癒師たちが煎じた薬草で煮出した特別なお茶だったそうです。聖堂では一般の信者にも振る舞われていた薬湯だったらしくて、在庫の薬草の確認と飲んでしまった者への対応に追われているそうです。収拾がつかなくて近隣の領都へ治癒師の派遣まで要請しているようですね。」
「…アニチェの死を悼んであげられる状況ではないのですね。」
「遺体は騎士団の預かりとなるでしょうね。聖堂に置くには公平性に欠けますから。」
わたしは水属性も地属性も得意な癒しの手上がりの治癒師なので、魔力さえあれば解毒には自信はある。
アニチェは治癒師というくくりの中でも未熟な、癒しの手に近い立ち位置だったように見受けられるから、とっさの判断ができなかったのかもしれない。
その場にわたしがいたなら、と考えてしまう。
考えても仕方ないけど、助けられたかもしれないのに、と思ってしまう。
「聖堂も騎士団も犯人探しに躍起になっていますが、聖堂の、一般の信者も自由に出入りができる構造になっているのを考えると、特定は難しいでしょうね。」
「そうはいっても、ギプキュイの話だと聖堂の上層部はコーストやアニチェに話されてはまずい秘密があるのですよね?」
「ビア、ギプキュイの話は私も興味深いとは思いましたが、どうしてビアはあの者が嘘をついていないと言い切れるのです? 彼は、人を操って情報を得る狐憑きなのでしたね?」
「そうですが、わたしに嘘をつく理由が見当たりません。」
半妖の子を憐れむのならわたしも半妖の子だし、わたしは半妖のファーシィの味方でいたいと立場を明確にしている。
第一、わたしを騙してもギプキュイは得をしない。
「私にはあるとは思いませんか?」
「師匠に、ですか?」
冗談にしては師匠は真剣な表情でわたしを見ていた。思い付きの発言ではないみたいだ。
「ギプキュイが、ビアに狐憑きの状態にある『ギプキュイの耳』の存在を明かすのは、ビアがファーシィの味方であろうとして好意を示したからですね?」
「だと思います。わたしには必要以上に嫌いになる理由も、過剰に敵とする理由もありませんから。」
「ビア、私には、狐憑きを容認する理由がありません。半半妖とはいえ、公国の軍人で、庭園管理員でもあります。私たちの仲間の中に精霊に憑りつかれた状態の者がいるのは、私たちの任務にとっては致命傷です。見つけ出し狐を駆除するでしょう。」
「狐憑きの状態は、気を許した精霊と契約している訳ではないからですか?」
野に棲む精霊とこちらが優位に契約を結ぶのではなく、あちらが優位に契約を結ぶ状態となっているから?
「ビア、私が退魔師なのを忘れていませんか? 仲間が狐に憑りつかれるのなら、退魔師として仕事があるという意味ですよ?」
「あ…、」
わたしがしていた発想は、あくまでも野に棲む精霊が好意的に力を貸してくれているという前提がなくては成り立たないのだ…。
「私が退魔師であると、ギプキュイは知っていると思われます。私は、表の顔は吟遊詩人であり、庭園管理員としては退魔師でもあると聖堂は把握しているのだと、オリヴィエールの言い方から感じました。オリヴィエールは吟遊詩人でもある私と出会ったと聖堂に報告しているでしょうし、ベルムードとフローレスは、私達を待つ間、村人たちと宴会をしていましたね? 問われるままに私やビアの素姓を話している可能性はあります。程度としてビアは治癒師、私は公国の魔法使いといった紹介であるかもしれませんが、フローレスが祭事官なのだとあの村の人々は知っていましたね? 祭事官と親しい魔法使いは警戒するに越したことがない。違いますか?」
「違わないです。」
狐憑きからすると、祭事官のフローレスと一緒にいたわたし達は、ある意味近付くと危険な立ち位置にいる。
「ギプキュイは師匠の別の顔を知っているのですね?」
「ビアが使った海鳴りの弓矢と近い効果を、私たち退魔師は退魔術で行います。ギプキュイにとって私は遠ざけておきたい存在です。ビアに話していた話を用心した方がいい存在も聞いていると自覚して話しているのなら、わざわざどこに狐憑きの人間が潜んでいるか話すでしょうか。」
「あの時、聖堂にいるといった口ぶりで話していた気がします。」
わたしは、聖堂にいるのなら他の場所にもいると思って聞いていた。太陽神の神殿の神官という障害がないのだから、何をやっても自由なのだと解釈していた。
「皇国での一件がありましたから、私も用心して魔道具を持ち歩いています。この街の、公国の花屋の人間とは接触済みです。誰も狐憑きではありませんでした。」
「公国の庭園管理員では情報が漏れていなくて、聖堂では漏れているとする。…あっていますか?」
「そうですね、この宿屋にいる者、フィレナ一家にも狐憑きはいません。」
魔道具が反応しなかったからという意味なんだろうなと考えてみて、残るは騎士団なのかなと想定する。騎士団に狐憑きがいるのなら気が重い。わたしは駐屯所で話をしているし、これから駐屯所へ行かなくてはいけない。
「仮に私がギプキュイから得た情報で行動を起こしたなら、聖堂にあらぬ疑いを掛け、無実の人間を根拠のない情報で攻める事態となります。根拠のない攻撃ですからすぐに間違いだと判るでしょう。庭園管理員としての失脚、公国への送還、軽くてもこの街から追放されるでしょうね。」
「よほど師匠を遠ざけたかったのだとしても、陥れてまでなのですか、」
「あの村を守るためには多少の犠牲も厭わないと、徹底しているのでしょう。」
淡々と言う師匠は、たいしたことでもないと言い出しそうだ。
「どうしてそんな嘘を…、」
「情報は正しく、情報の仕入れ方が間違って伝えられているのでしょうね。」
意図的に改竄してハメようとしていたのなら、ギプキュイはわたしの顔を見て話しながら師匠を攻撃していたのだから驚きだ。
「ギプキュイが師匠に罠を仕掛けたのだとすると、教えてもらった情報は全て嘘なのですか、」
「ビア、狐憑きという特殊な状況で情報を収集していたのではなく、単純に、あの男自身が人に化けて労働者としてあちこちで働いていたと考えてみませんか?」
「えっと?」
「あの村でも、時々やってくる手伝いをしてくれる者という扱いでしたね? 日雇いの労働者と言い方を変えましょうか。騎士団の騎士に日雇いの騎士がいなくても日雇いの掃除夫ならいるでしょう。市場にもいます。聖堂でもいるでしょう。」
「直接、見聞きするのですね。『狐憑き』という能力も嘘なのですか?」
「かつては使えたけれど、現在は使えない、もしくは使う必要のない魔法なのだと思います。アンテ・ヴェルロの守護精霊であるアナグマたちを支援する代わりに魔力を使い続けているのだとしたら、多くの眷属を有する『狐憑き』を維持するのは魔力の無駄である。そう思いませんか?」
頷いて同意すると、師匠の瞳がキラリと光る。
「太陽神様の神殿がおしまいになったのは、『狐憑き』を得意とする能力を持つ妖が『狐憑き』を使わなくなったからで、海鳴りの弓矢を使うために上位神官を置く理由がなくなったから、だとは考えられませんか? 同じように、ギプキュイ自身も、日雇いの労働者という形で人間に化けて馴染めばどこへでも入り込めます。ギプキュイの街に必要な者を選んで残しているのだと考えられます。わざわざ眷属を増やさなくても自分が人に化けて人間の生活に馴染めば、必要な人間を自分で直接見て選べるのです。ビアはギプキュイに気に入られているのでしょうね。その手の印が証です。医師がブロスチの街には必要と判断したのでしょう。」
そのために太陽神の神殿までこの街から消してしまったのなら、ギプキュイは相当戦略家だ。
「ギプキュイにとって困るのは、『狐破りの破魔矢』と呼ばれた海鳴りの弓矢が使われる状況です。ヘマをして自分が討たれてしまうと、アンテ・ヴェルロのアナグマたちを支える者がいなくなります。彼は『ずっと、この景色を守っている』と言っていましたね。私には、あの言葉がすべてだと思います。私なら、損失が大きいですから『狐憑き』を使おうとはしないでしょうね。」
「そうなると、聖堂の上層部とコーストのやり取りを聞いていた者がいるから秘密があるのだと思っていましたが、実際はコーストとそういったやり取りをしていないのかもしれないのですか?」
「アニチェがコーストに捕まっている時にやってきたのが、聖堂の人間であるとも限りません。あの者たちは単純に客だったと考えるのが正しいかと思います。私たちはあの者たちがデイライド爺さんの家や養魚場の中から出てきた様子を知りません。私たちが知っているのは、アニチェがオリヴィエールを裏切り者と詰ったやりとりだけです。」
ギプキュイしか、あの者たちがどういう存在なのかを知らないのなら、後でどうとでも存在の意味を書き換えれてしまう。
「オリヴィエールはコーストと取引していた相手ではないでしょう。コーストは全くの初対面といった様子でしたから。あの素直が取り柄のファーシィも、ギプキュイは知っていてもオリヴィエールを知らない様子でしたね。」
「アニチェはオリヴィエールとは面識があった、と考えるのが妥当ですか。」
オリヴィエールとだけ、面識があったとも言える。
「そうです。オリヴィエールは攫われた治癒師を探していると言っていましたね? アニチェはファーシィに攫われてコーストに捕まっていました。これまでに同じような状態になった治癒師が何人かいた、そうでしたね?」
「ファーシィが攫ってきて、力尽きた治癒師をコーストがどこかへ運んでいたようです。」
「見つかったのは、そんな、『どこかへ運ばれた治癒師たち』です。その者たちがどうなったのかは、話題にはなっていませんね?」
「ええ。攫ってから数日で見つかるとしか、言っていなかったような気がします。」
ファーシィが悪びれない様子だったのを見て無責任すぎると感じたり、治癒師たちがあまりよくない状態で解放されたのだと想像してしまったのを思い出す。
「ビア、戻ってきても安否が明確になっていない治癒師は、聖堂にとっては出自を明らかにできない類の者なのかもしれません。」
師匠は険しい顔つきになった。
「どういう意味ですか?」
一応わたしは1周目では聖堂の治癒師だった。仲間であった者たちの顔を思い出して穏やかで優しかった性格を思うと、師匠の言葉には首を傾げた。
「聖堂の治癒師は、公国へ売られてきた皇国民である場合があります。」
「逆、ではないのですか? 皇国へ売られた公国民ではなく?」
クアンドで聖騎士だった時のアレハンドロに心配されたのを思い出した。
「ビアには、皇国での任務での心構えの話を少しばかりしたかと思いますが、覚えていますか?」
「ええ、山の民の婚姻について教えてもらいましたね。」
頷いて、言葉を探すように躊躇って、師匠はわたしから視線を逸らした。
「皇国では、魔力を持っていても親世代が魔力を失っていて使い方をわからないまま子を持て余す場合があります。公国なら教えてくれる機関や術がありますが、皇国では聖堂が信者を獲得するふりをして魔力を持つ子を親から切り離し、公国で魔法使いとして育てるのです。そういう子を、王国で使い捨てます。」
「待ってください。師匠、人を、使い捨てるのですか?」
「ビア、皇国の魔法は他人を治癒するための魔法で、自分のためには使えません。身を守れない治癒師は足手纏いになります。皇国の信者の子は魔力を持っているだけです。実働部隊の治癒師として表で働かせておかしな者に目を付けられるよりも、諜報部隊の魔法使い専属の治癒師として侍従のように仕事を覚えさせて旅に同行させれば、魔力も労働力も無償で魔法使いに提供させられるのです。魔力量が大きいのであれば、魔石に自身の持つ魔力を移させ聖堂所属の魔力を必要とする者たちに提供させる裏方に徹しさせた方が長く使えるのです。」
そんなひどい扱いを聖堂がするなんて、そう言いかけてみて、はたと振り返る。わたしは、1周目の未来で、同じような扱いを聖堂でされていた。生かさず殺さず生け贄にするためだけに、聖堂に囲われていた。そんなひどいことが出来ちゃう団体だった。
「皇国の治癒師は、旅の途中で体力を失い病にかかっても自分で自分に治癒を使えないので、傍にいる者が管理を怠れば死を待つのみとなります。ファーシィが攫っていた治癒師たちもそういった『皇国出身の治癒師』なら、自分のために治癒は使えません。衰弱しても自分以外に治癒師がいなければ、自然に回復するのを待つか、助からないまま死を待つしかないのです。」
「他の治癒師はその子を治癒しないのですか?」
「王国は魔法使いの数がそもそも少ない国です。公国のように癒しの手や治癒師が近隣に住んでいる環境ではありません。このブロスチの街に来て、ビアはビア以外に治癒師に出会いましたか?」
「…出会っていません。」
「王都ならいざ知らず、この街は医者ですら珍しい田舎ですね? 聖堂に所属する治癒師は基本的に金を積んだ信者の為だけに働いています。聖堂で囲っているはずの治癒師が攫われて、魔力や体力を消耗しきる程に使い捨てられて帰ってきたとしましょう。ビアなら、助けますか?」
ありがとうございました




