81、夜空に海鳴りが聞こえる時
「想像していたよりも重さもある。立派な魚だ。これはオマケだよ。」
満足そうに呟いた狐のおじさんはひとりひとりへの防御だけじゃなく、わたし達の周囲一帯の土地までも防御してくれた。案外いい人かもしれないと思っていると、師匠も意外そうな顔をしていた。
明るい表情になったオリヴィエールは早速魔法を使って地形を変化させ、池からアニチェが出てこれないように水辺の土地をいじり始めている。
わたし達を守る風の壁が消えたのもあって、声だけが頼りだったアニチェの様子も見えるようになった。オリヴィエールの魔法で反り返る壁のようにどんどん土が盛り上がっていくので、池の真ん中に立ち呪文を唱えるアニチェの表情が険しく変わり始めていく。
狐のおじさんは立ち去る気配がなかった。魔法をかけたら終わりというつもりではないようなので、話しかけてみる。
「グラって、誰ですか?」
蛙顔の神官様の本体を言っているのかな。
水の精霊王さまの神殿にいるのは、デイライド爺さんという人間の器を持つ蛙顔の神官様だけだ。
「本当の名は知らないさ。水の精霊王さまの神殿の神官として、最近住み着いてしまったんだ。どうやら水の精霊王さまのお許しを得て住んでいるみたいだから、迂闊に近寄れないのさ。選り好みをしないでなんでも食べてしまうのもあって、私たちの間では昔からアイツのことは『暴食』と呼んでいるんだ。アイツは悪食だから、下手に近寄ると私たちでも食べてしまうからね。」
狐のおじさんは細く細く目を細める。言葉に多く含むところがあるのが伝わってきて、知っていても『教えないぞ』という底意地の悪さも感じてしまう。
悪食の、暴食…。それだけ強い精霊っていう意味なのかな。
「グラは美食家でもあるから、これはさぞかしうまいだろうな。」
狐のおじさんは、わたしから受け取った黒い魚の表面をそっとひと撫でする。
土埃にまみれて弱弱しかった魚は勢いを吹き返し、生気が瑞々しく蘇る。
「ごめんね、ファーシィ、気持ちだけ頂いたわ。」
近寄ってきたファーシィにお礼を伝えてみる。
「食べられなかったけれど、ファーシィのおかげで道が開けた気がする。ありがとう。」
「嬉しかった?」
目を輝かせて尋ねてくるファーシィは、心の底から期待をわたしに向けてくる。こういう表情、つくづくファーシィって幼い。
「嬉しかったわ。ありがとう。」
「それなら許してあげる。また獲ってきてあげるから気にしないで、ビアさん。」
いやいや、また獲ってくるってダメだから。うっかり感電しちゃうから。蛙顔の神官様はグラっていう名の凄い精霊だとしても、平素はカエルになってのんびり寝ている。
「それはいいかな。本当に充分よ、ありがとう。」
へへって笑ったファーシィは、普通にかわいらしい女の子にしか見えなかった。
「これをやるから、水を堰き止めるダムを作っておいで、」
黒い魚の匂いを嗅ぐように、クンクンと鼻を鳴らしながら足元に近寄ってきたアナグマのような精霊たちのうちの一番大きな一匹に、手に入れたばかりの黒い魚を惜しげもなく手渡すと狐のおじさんは命令する。
頷いて受け取ったアナグマのような精霊は、黒い魚を大事そうに抱えて二本足で山を駆け上がって行った。仲間たちも一列に並んで追いかけて行く。
「分け与えるでも、自分で食べる訳でもないんですね…、」
呆れたようなオリヴィエールの呟きはまだ平穏だ。思案顔のフローレスは無言で睨んだままで、警戒色の濃くなった師匠はすっかり表情を硬く変えている。
あのアナグマたちもああ見えてもしかしてこの土地の精霊なのかなとのんびり思っているのは、せいぜいわたしくらいだ。
「手伝ってもくれるんですね。」
「話は聞かせてもらっていた。そこにいる風水師よりも、私らの方がこの土地には詳しいからな。」
「それは…、ありがとうございます。」
召喚できるほどの魔力量がないわたしからすると、こんな助力は願ってもいない。
「さてと。面白そうだから見学でもしていこうか。」
「見学、ですか?」
「この状況のどこがおもしろいのか、じっくりと詳しく聞きたいものですね。」
引き攣り笑いの師匠や呆れたままのオリヴィエールの表情をニヤリと笑って、狐のおじさんは小首を傾げてわたしを見た。
「そうだな、まず、魚を自分で食べないでアナグマに与えたのが気に障るのかい? ああ見えてあの者はこの辺り周辺の土地を守る守護精霊だ。スペルビアのおかげでうまく育たなくてね。ずっと私の支配下からひとり立ちできないんだよ。」
「あなたはもしかして…、」
じっと食い入るように見つめ、こめかみに手を当てて何度指で揉んだ後、フローレスが慎重に話し掛けた。
「ブロスチ一帯を治める守護精霊をさせてもらっている。フォイラート領の門番でもある。」
言い当てられる前ににっこりと笑って、名乗らない狐のおじさんはわたしを足の先から爪先まで改めて見る。フローレスに言われる前に自ら言い出すあたり、何か隠し事をしている気配がするけど気のせいかな。
「結構な距離からでも匂ったけど、お嬢ちゃんはいろんな匂いがするな。」
守護精霊でも、風使いの師匠と同じ傾向の性格なのかな。
デリカシーがないのか遠慮がないのかはわからないけど、狐のおじさんはわたしの服を嗅ぐようにして顔を近付けると、「竜の匂いもするし、精霊の匂いもする。主様の匂いもするな」と笑う。
残り香を感じるのは不自然な気がする。旅をしてれば何かしらに遭遇している可能性があるので、こういって罠を撒いてわたしから情報を引き出そうとするひっかけ問題なのかなと思えてきた。
「揶揄うのは止めてください。」
試されてばかりだ。
「ビア、無視して行きなさい、」
狐のおじさんのペースに巻き込まれていると悟った師匠は、完全に腹を立てていた。
「そう怒らないでおくれ。防御だけじゃ心もとないだろう? もっと手伝ってやってもいい。」
無言で次の言葉を待っても、どう手伝ってくれるのかは答えてもくれない。
「わかりました。師匠、オリヴィエール、援護を頼みます。」
気にせず行こうとすると、腕を捕まれた。
「放してください。」
「そう怒りなさんな。沢からの水が止まるのを待った方が確実だ。こっちの風使いが池の水を放出するんだろ? アイツの元へ行けるよう、お嬢ちゃんの足元に橋を作ってやってもいい。」
狐のおじさんは、小さく口角を上げていた。
「信じても大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ、アイツがいなくなるならなんだって手伝うさ。」
「あの池の底に沈めたのはあなた達ではないのですか?」
「手伝いはしたけど、管理人がいなくなるとは思っていなかったからね。管理人がいなくても大丈夫なようにやり方も変えていくさ。」
「管理人、ですか?」
ライムンドの一族のことを言っているのだ。
「最後に管理人になったデイライドがいなくなってから、アイツの影響が濃くなってしまった。もうこの先、管理人は見つからないだろうな。精霊を娶る者もいない。半妖も珍しくなった。時代とともにいろんなものが変わっていくんだ…。」
寂しそうな表情になった狐のおじさんはそっと頭を撫でて狐の耳を消した。小さく身震いすると、何本もあった尻尾も消してしまった。
ここが山の中で戦闘中で『精霊の舞』のかけられていると意識しなければ、どこにでもいそうな人間の中年の男性の姿があった。
人間での暮らしの中で、通り名としての名前も持っていそうだ。黒い上下の動きやすそうな格好といい、本当に村で働いて暮らしていそうだ。
「ここまではっきり香ると否定はできないな。な、お嬢ちゃんはあのアワリティアの娘だな。あの者の魔力の匂いがプンプンする。」
わたしの表情を読んで話の変えてきている辺り、そつなく馴染んでもいそうだ。
「アワリティアというのが、ビアの父親の名前なのか…、」
師匠はあっけなく心を掴まれてしまっている。
わたしは黙ってフローレスやオリヴィエールの視線を逸らす。
人間での父さんの名はローアンだ。そんな名前で呼ばれてはいない。
公国にある魔石に閉じ込めたとされている父さんの名はアワリティアとは伝承されていない。
否定するには根拠がいる。ローアンだと名を告げる必要がある。
でも、わたしは父さんの情報を漏らすつもりがないので、アワリティアは父さんの名ではない証明をするつもりもない。違和感しかない話でも、黙って聞き流すしかない。
「ああ。アワリティアって呼ばれてる有名人だよ。」
ただ、アワリティアなら本質は『強欲』だ。
父さんは囁いて人を操る。恐怖で支配するでもなく、欲望を刺激して都合よく欺いて心の奥底にある願望を掻き立てるのだ。
いい得て妙だなと納得するけど、同感したのは黙っておく。
「本名ですか?」
師匠はいぶかしげに眉を顰めている。
記憶の中の公国の公王軍発布の警戒対象の精霊の名前と照合しているような沈黙に、わたしは心の中で『そんな名前の精霊はいないから見つからないですよ』と先に答えておく。
「直接名前を言ったりできるもんか。祟られちまうよ。あだ名だよ、綽名。このお嬢ちゃんの御父上は俺たちの世界では強欲と綽名をつけられた有名人なのさ。」
「…情報通なあなたは、なんと呼べばいいですか?」
噂好きとでも呼ぼうかしらと思いながら尋ねると、狐のおじさんは気まずそうに肩を竦めて、「ギプキュイだ」とやっと名を明かしてくれた。
ピカッと、閃光が池から放たれたと思った瞬間、粉々に、燃え滓が空に向かって登り消えていくように、オリヴィエールが作った池を覆う土の壁が消えていた。
「アハハハハハハ、」
高らかに笑うのは、アニチェの声だ。アレの低く不気味な音のような声じゃない。
池は、元あったよりも水嵩も増していて、水は波を作り岸を乗り越えようとしている。
「させません。」
オリヴィエールの悔しそうな声が聞こえて、腕をそよがせているのが見える。風を集めて押し返しているようで、池へと向かう風が、強くなった。
「アハハハハハ!」
嬉しそうな顔をしたアニチェの天に向かって広げている腕に、あちこちから光が集まってきている。水に溶けていた魔力の放つ燐光が、集まって、光となり、閃光へと代わってアニチェに溶けていく。アレが、魔力を回復するために、水に流れ出た魔力を回収しようとしているのだ。魔力をかなり遠くの水田から強引に引き寄せているから、風に勢いがある。
美しくて禍々しくて目が離せない輝きに、わたしの中の強い者に憧れる精霊の血が騒ぎ始めて、目が眩みそうになる。
<こっちへその娘を寄越せ、早く寄越せ、>
わたしへの執着がはっきりとしてきている。笑いながらも土気色の顔色になってきたアニチェには、もう時間がないのかもしれない。
「こんな奴に頼らなくったって、私の方が強いわ!」
ファーシィがいきなり叫んだ。
「ビアさん、待ってて。今度こそ仕留めてくるから!」
「ファーシィ!」
勢い任せでは今度も同じだわ。
傷つけないよう言葉に躊躇ったら出遅れて、止められなかった。
ファーシィの姿は飛び上がっていた。
※ ※ ※
「行かせません」という声が淡々と響いた。
姿が消えたと思ったのに、ファーシィが地面に張り付けるようにして絡めとられてしまっていた。よく見ると網が覆いかぶさっていた。
『豊穣の網』だ。
「フローレス?」
これまで黙って様子を窺っていたフローレスが、意外な行動を起こしていた。
「武器も防具も持たないのに身勝手に動けば、無駄に魔力も時間も消費してしまいます。」
手袋の、輝いていた紅玉から光が消えている。しかも堂々としていて悪びれもしない。オリヴィエールなど拍手までしている。
「ビアさんの魔力のこれ以上の消耗は惜しいですからね。ここでおとなしくしていてください。」
「もしかして、魔力を、」
「確実に仕留めたかったので、すべて使いました。」
開き直った明るい表情のフローレスの思い通りにファーシィをくるりと綺麗に捕まえた『豊穣の網』は、いくら暴れてももがいても外れたりはしなかった。
挙げ句に、「放して」と叫ぶ声を、「うるさくていけませんね」とオリヴィエールが息で吹き消すようにして魔法で消してしまった。ファーシィは口をパクパクさせながら、網の中でじたばたするばかりだ。
「始めましょうか、ビア、」
師匠の言葉にオリヴィエールが頷いて、池に向かって詠唱し始めた。
「私が地形を管理します。」
オリヴィエールと師匠の間に立つと状況を把握する。いつしか水が流れる音が消えていて、夜空の木々の向こう側からは木々や葉の擦れる音ばかりがする。
池の中心にいるアニチェに目標を定める。水に乗って岸へと上がってこれないように押し返そうと風の壁が出来ているので、わたしは風の中を駆け抜けて池へと飛び込む必要があった。
予想外の行動をとるファーシィを拘束できても、わたしに魔力があまりない状況は変わらない。
変わっているとすれば、池の水の上に立つアニチェの表情がますます血の気が引いていて、アレの魔力がどんどん遠くから集められているという状況だ。
衝撃に備える必要があるし、駆け抜けるのは水の上だ。水の魔法に失敗すれば沈むし、呪文に手間取ればあっけなく捕まる。
「師匠、池の水の排出を、」
「もう始めていますよ、ビア。」
お願いしますと言う前に遮られてしまった。
「…この距離をビアさんが無事に駆け抜けるには負担がありますね。」
健脚や速足の魔法といった体力を補強する魔法が思い浮かぶけれど、魔力を残しておきたいので極力避けて自分頼みだ。
「大丈夫です。やれます。」
オリヴィエールは手首にある腕輪の色とりどりの魔石を撫でていた。魔力を回復しているのだ。どれぐらい魔石に溜め込んでいたのかはわからないけど、魔石で補充しないといけない程魔力を消費しているのだとは判る。
「水が減っていると気が付かれると、水面を持ち上げて池の外へと出ようとするでしょうね。ビアさんは、空は飛べませんね?」
「わかっています。わたしも土地に干渉します。」
足場を組むための地属性の魔法に、水面を歩くための水属性の魔法に、攻撃に身を護るための治癒の魔法に、と意識すると大変だけど、公国と皇国との国境で崖を滑り降りた時の成功した経験がある。実際やってみるとやれそうな気がする。
「これが、最後の機会です、ビアさん。」
「みたいですね。…行きます。」
師匠をちらりと見ると、真っ赤な目をしていた。瞬きを忘れてしまったみたいにわたしを見ていた。
まるで最後の時を目に焼き付けておくみたい。
「大丈夫ですよ、師匠。」
わたしにはまだ奥の手がある。
アウルム先生に教えてもらって1周目の世界での終わりで使った自己犠牲を、いざとなったら師匠に使おう。
後方で、ギプキュイが嬉しそうに手を叩いた。
「これは良い見世物だな。アワリティアの娘の活躍がこんなに間近に見れるなんて最高だ!」
「あなたも黙りたいですか?」
師匠がうっすらと笑みを浮かべたので、ギプキュイは一歩下がった。それでいいとわたしも思う。
「援護、お願いします。」
飛び出そうとしたわたしの肩を、「待ってください」とフローレスが掴んだ。
※ ※ ※
「フローレス?」
ビックリして声が裏返る。
「ビアさんは、お父様かお母様が火属性の魔法使いですか?」
「え?」
このタイミングでそれを聞く?
「重要なのです。ビアさん、」
緊迫した表情のフローレスの勢いに飲まれるように、わたしは混乱しつつ頷く。
「ええ。母がそうです。」
公国でわたしを送り出してくれた母さんは、火属性の『種火』だ。
「バンジャマン様は、」
師匠は首を振るだけだ。
「ビアさんは、太陽神ラーシュさまの祝福はお持ちですか。」
「いただいています。」
「ではビアさんが適任です。」
肩に置かれた手を外して気を取り直して駆け出そうとするわたしに、フローレスは持っていた弓矢を押し付けてきた。
「この弓矢は『海鳴りの弓矢』と言って、ブロスチの祭り事には欠かせない大切な神具です。古の昔は、別名、『狐破りの破魔矢』と呼ばれて、狐憑きの人間から妖だけを射る効果を持って使われていました。アニチェさんと仰るあの女性の治癒師にも使えば、憑いている悪しき者は堕ちるはずです。」
「フローレス?」
「確証が持てなくて申し上げるのが遅くなってすみません。この方がいらっしゃらなかったら、思い出してもいなかったと思います。」
フローレスに指を差され、様子を窺っていたギプキュイが目をいっそう細くする。
「随分と昔におしまいとなりましたが、元々、ブロスチには太陽神ラーシュ様の神殿がありました。祭事官に与えられる前は、お仕えしていた上位神官が使っていたのです。この神具には、特殊効果として魔を破る『破魔』の効果があります。ただし、使うには条件があります。太陽神ラーシュさまの祝福を頂いた者で、太陽神様の神殿の神官さまの血をひく者にしか使えません。」
「フローレスは使えるのですか、」
興奮するフローレスとは対照的に、師匠はあくまで冷静だ。
「私は生粋の王国人で魔力もなく、神官の家系でもありません。祭事官は神官とはなれない者たちが受け継ぐのです。」
幼い頃、生活魔法で火を起こす時『神官の家の子供は神官の家の子供に嫁いで斎火となる子を産むのよ』と母さんは教えてくれた。『母さんは種火だったから、お父様もお母様も諦めておしまいになったわ』と窓の外の遠くの空を見上げていた。
言葉の意味が分からなくても、あの方角には公都があるわと思ったのを覚えている。
「ビアさんのお母様の家系は確か、太陽神さまの神殿の神官をお勤めされていたご家系でしたね?」
そうは言っても、わたしは半妖だったりする。火属性でもない。
そうですと言い辛くて、頷くだけにしてみる。
水を村に向かって吐き出すようにして池に向かって水流を生み出している師匠は、オリヴィエールと共に魔法を展開させながら聞き耳を立てている気がしてならない。
「充分です。」
フローレスは、わたしに弓の構え方と呪文を教えてくれた。
「古の昔より、太陽神ラーシュさまの御力を頂いて魔を討ってきていたこの弓と矢は、魔力がないと本来の力は発揮されません。私達祭事官は長らく魔石で代用してきました。呪文をお伝えします。名前を、織り込んで下さい。」
「フローレス、ですが、わたしは火属性の魔法使いではありません。母も、斎火ではないのです。」
にっこりと微笑んだフローレスは「小さな差異です」と呟いた。
「ビアさんの体の中の血が受け継ぐ神官様の尊い御力を借りてもらいます。」
いきなりの作成変更で『大丈夫なのかな』と思ってしまうけれど、手にした弓も矢も独特の重厚感があって魔力があれば使えるという言葉は真実なのだと思えてくる。
これは太陽神ラーシュさまの加護を頂いているから、神具になった魔道具だ。
「詠唱の後、ご自分の受け継がれた血を信じて矢を放ってください。力の加減などいりません。放つだけで矢は魔を打ち砕きに向かいます。必ず魔を射抜くのです。」
弓を構えると、きらりと光った矢の先は、自然と魔力を集めているアニチェへと狙いを定めて止まった。
「伝承の通りですね。」
「どんな伝承ですか?」
「資格を持つ者が持つと弓矢は起きるのだそうです。私では、ここまで起きないですよ。」
「起きるって、矢が自分の意志を持つって意味でしょうか。」
フローレスは心に余裕が出てきたのか、ほっこりと微笑んだ。
「ええ。人に隠れた魔を見抜き、打ち砕きに行くのです。頼もしいですよね。」
自動で照準を合わせるとは生き物みたいだ。なかなか精密に出来ている。魔道具というより神の御使いと言える機能だ。
フローレスの教えてくれた呪文に、母さんの名を込めて詠唱してみる。
<願わくば、彼方までも遥かなりし古より、無垢なる心の理を仇為す悪しき者へと天翔ける清き光の現す真理を、>
詠唱する言葉とともに、鮮明な白銀の光が集まり始めてくる。
魔法陣の展開はなく光は文字のように纏まって、矢全体に言葉がくるくると纏わりつくように馴染んで輝き始めた。
<我が母ペスネージュ・シルフィム・シルフィムの子として、太陽神ラーシュ様の祝福を受けしビアトリーチェ・シルフィム・エガーレが、切に父に願わん、>
母さんの名を告げると、矢が火花を散らしながら燃え始めたように見えた。
熱くない。
実際には燃えていないのに、火が付いたように見えている。
「その火は、魔も燃やす光です。ビアさん、成功していますから、そのまま射ってください。」
静かに聞こえてきたフローレスの声に励まされながら池の上空に向かって矢を放つと、大きく弧を描いて矢はアニチェへと向かっていった。
音を置いていくように飛び込んでいく。
重く低く響く矢羽根の風を切る音は、海を揺らす風の音に似ていた。
ありがとうございました




