79、治癒師の性(さが)
※ 残酷な描写があります。お気を付けください。※
怒りで、声が震える。
と同時に、頭の底から冷えてくる。
師匠は、表情を変えない。女性の治癒師を助けるつもりはないみたいだ。
無情だけど、一人を犠牲にして大勢を助ける理屈なら、ある意味正論だ。
師匠の魔力量はわたしよりも少ないから魔石の指輪を全指に嵌めて歩いていて、ベルムードを守るために火と風の精霊を召喚してそれぞれヒト型に維持させている。
魔石の指輪に貯めておいたなけなしの魔力をわたしに譲ってくれていて、現段階でも魔力はもしかするとあまり残っていないのかもしれない。
わたしに魔力を譲ってくれていなかったら、退魔術を終えた後、退治だってできたかもしれない。
でも、師匠はそうせずに、わたしに譲ってくれたのだ。
太刀打ちできないって、どうにもならないって、わたしにだって、あの驚異的な高等で複雑な魔法の展開を見れば格上なんだって判る。
反撃は、無駄になるかもしれない。
それでも、力になりたい。治癒師だからと誘拐されて閉じ込められて、コーストに無理やり治癒術を強制されるような異常な状況下でも家に帰りたいと耐えていた人を、見殺しになんてできない。
「ビアの目には、あのアニチェと呼ばれた女性の治癒師は生きているように見えているかもしれませんが、池の中に入る前と同じ人物だと言えますか? 姿かたちが同じの全く別の生き物が、ああした善良な女性の姿を取っているとは思いませんか?」
「アニチェ、帰ろう、もうよすんだ、」
オリヴィエールが懐柔しようと優しく語りかけると、高く渦巻いて水が蛇のように池に近付こうとしたオリヴィエールを襲った。
<こっちへ来ないで、裏切り者め!>
「アニチェ!」
風水師のオリヴィエールは地形を変え跳ね除け相殺して、あっけなく攻撃は水へと戻る。
<憎い…! 私を見捨てたお前たちが憎い…!>
聖堂の仲間なはずなのに、明らかにアニチェと呼ばれた聖堂の女性の治癒師は、オリヴィエールへ憎悪を向けている。
「見捨てなどしていないよ、アニチェ、こうして…、!」
<嘘よ、助けてはくれなかった!>
爆発するように水柱が上がる。
降り注ぎ、弾ける水飛沫からわたしを庇ってくれた師匠が、「あの態度を見ても同じ人物だと思いますか?」と呟いた。
「混乱しているだけではないのですか、」
「果たしてそうでしょうか?」
師匠の言葉は真実味を帯びてわたしの胸を突いた。
そうであってほしくないという一縷の望みが、もしかしたらという胸騒ぎが、必ずそうだという確信に変わっていく。
助けにきたと言ったオリヴィエールが、池から出ないように水を岸から追い立て、閉じ込めようとしていた。
捕まえるためにかもしれなくても、アニチェには逆撫でる行動に見えたみたいだ。
<憎い、なんて憎い…!>
天を仰ぐようにアニチェが腕を広げると、立ち上る蛍のような青白い光が、水に溶けていたフクロウ魚の魔力が、ふわふわと漂って池の方へと集まってくる。
<魔力よ、私の魔力よ、すべて戻れ、>
池の底に沈んでいた時、アレはどういう訳か逃げ出さなかった。逃げ出さなかったのではなく逃げられなかったのなら、精霊の姿では逃げられない制限があり、人間の姿なら池を出られるという条件があったのかもしれない。分水嶺の魔道具を作った者たちが沈めたのならありえる。
仮に、あのまま池の底にいるつもりがあったのなら器は必要ない。長い年月で死体もあっただろうに使わず逃げ出せなかったのだとしたら、人間の体は少しでも生きている必要がある。池の底から逃げるには生きている器が必要だと考えるのが手っ取り早い。
生きている人間が近寄って来るのをただ待つだけしかできなかったのだとしたら、アレがやれたのは水に意味を持たせることくらいだ。水が飲みたくなったりどうしようもない飢餓感を感じたりしたのは、あの場所に呼ぶ為のアレの策略だ。生きている人間を自ら呼び寄せるために、アレが罠を仕掛けて呼んだのだ。
貯水槽とも言える池の底まで辿り着くほどの水への耐性は、水属性の魔力を持つ魔法使いが最適だ。
確実に人を選んで呼んでいる。普通の人間は水の底で生きていられない。
アニチェは多分水属性の治癒師で、実力からみて半妖というより半半妖だから人間よりの立ち位置だ。
人間の体が欲しいアレは、アニチェの体を手放すつもりなどないのだ。アニチェを殺したりはできないのだ。
そう。アニチェはまだ生きているのだ。
「ビアには私は非情だと思えるかもしれないですね。ビアの師匠である私の最優先は、弟子のビアを無事にこの場から脱出させることです。私の魔力は有限です。軍人としての最善は、治癒師であるビアを生きて逃すこと。ましてや依頼のない退魔術を行うつもりはありません。」
師匠の眼差しはわたしだけを見ている。
わたしへの最大限の譲歩として心情を明かしてくれているのだって、想像がつく。
「だからって、そんな、」
「幸い関心はオリヴィエールとファーシィに向いています。あの女性の所属は聖堂なのですから、聖堂所属の上官であるオリヴィエールの判断に任せて、私たちはこのまま去りましょう。」
<憎い、すべてが憎い、憎い…!>
見捨てるんですかと反論仕掛けた時、ウサギの耳を頭に生やしたままのファーシィが、飛び掛かるようにして驚異的な跳躍力で宙に舞った。
術が完成する前に、物理的な攻撃としてアニチェを蹴り倒すつもりなのだ。
「絶対に跪かせてみせるから!」
ファーシィの声が響いて聞こえた。
<… 憎い、… 憎い、… 憎い。… 憎い…!>
魔力を集め詠唱する声に混ざるのは、憎いという言葉だ。あの言葉はきっと、隠しきれないアレの本心だ。
わたしは、治癒師だ。
攫われてきたし、ファーシィには特別な思い入れもない。
あの女性の治癒師のアニチェだって攫われてきた。
感覚として、フクロウ魚とアニチェは分離できるなら分離できるうちにしてしまった方がいいって判る。
このままにしておいたら、アニチェはアニチェとして家に帰れない。
ファーシィに捕まってしまったら、ファーシィはアニチェを連れて逃げてしまうかもしれない。
アレに捕まってしまうと、池の中に封じ込められるか、悪しき者として討伐の対象となる。
そんなの、わたしが同じ立場ならどっちも嫌だ。
わたしははっきりと、「嫌です」と嘘偽りのない気持ちで答えていた。
「まだ間に合うはずです。逃げたくありません。アニチェを家に帰してあげたいです。」
魔力はある程度回復している。ただ、イヤリングは空っぽのままだ。魔力の全回復じゃないから使える魔法の量も質も限界が知れてるけど、できる魔法だってある。
アレは、フクロウと魚の混合した姿だった。属性が姿かたちを伴うのなら、順当に考えて風属性と水属性が得意だ。実際に、水属性と思われるアニチェは水を介して影響されているし、師匠の風の精霊もこの池付近には近寄れなかったと言っていた。
一滴でも水があれば、水属性の魔法使いはいくらでも水を作れる。
空気さえあれば、風は無限だ。
火属性があれば水は枯らせる。地属性があれば、風は封じ込められる。
火属性の魔法は風属性の魔法よりは使える。母さんが火属性の『種火』だったのもあって、全く使えない訳じゃない。
風使いでもあり退魔師である師匠と、水属性か風属性の魔法使いの職位であり整え変化を起こす風水師であるオリヴィエールにはできない魔法で、地属性を持つわたしにしかできないこと…。
「土地に干渉をするつもりです。池に流れ込む水の流れを止めます。」
持っている魔力量を考えると失敗はできない。
「ビア、そんな大技の魔法を使いながら、どうやってあの攻撃から身を護るというのです? 防御も必要でしょう? ひとりで何役をこなすつもりですか?」
ひとりでこなせないなら、地属性の魔法が得意な誰かの力を借りれば早い。
「それでもやります。」
「ビア、落ち着いて考えなさい。あなたには使命がある。諦めてここを脱出しましょう、」
一瞬、コルとシューレさんの姿を思い浮かべて、心がぐらつく。
会いたいし、助けたいし、何より会いたい。
1周目の世界で遭遇した魔物との戦闘中のふたりの後姿を思い出す。
大丈夫だ。わたしがここでしていた理由を知ったら、コルもシューレさんも『ビアらしいね』って笑ってくれる。
「…師匠は先に行くなら行ってください。必ず追いかけますから。」
レゼダさんやアレハンドロにわたしも一緒に合流しなくても、ラボア様の命令に忠実な師匠が代わりに先導してくれたら結果は同じになるはずだ。
師匠を信じて任せてみようって、真剣な師匠の瞳を見ていると自然に思えていた。
耳を澄ますと、明かりのないはずの木の影に赤やオレンジに光る目が判って、カサカサという不穏なざわめきが草むらの影にも揺れている。
<憎い、憎い、憎い。憎い…!>
呪詛を吐くアニチェの声が闇に蠢く者の共鳴を呼んで、暗闇をざわつかせているのだ。
土地に穏やかに暮らす精霊たちを刺激しないように、村人たちを巻き込む前に、なんとしてでもアニチェをアレから取り返す。
「あなたの平素の魔力量を推測すると、この程度では魔力を全部回復したわけではないでしょう、ビア。無理をして精霊にでもなるつもりですか。」
精霊…。
この村の仕組みを作った錬金術師は、この土地の守護精霊とどういう契約をしているのか気になる。アレがこの池から出られない仕組みは考えられているのかな。
「大丈夫です。師匠くらい逃がせます。魔力をくださったお礼です。」
「ビア、何を言っているんです。あなたを逃がしてから私も行きます。」
師匠は不快そうな表情になった。ああ、この人は、自分が逃げたいからではなくて、わたしを心配して逃がしたくて言ってくれているんだ…。
ごめんね、師匠。ありがとう。
「この土地の守護精霊さまを召還してお力を借ります。」
「ビア、落ち着いてください。召喚するには金磬石はありませんね? 無理をするつもりですか。」
「無理にならないように考えます。対価にこれを、」
わたしは借りていた魔石の指輪を師匠に返すと、イヤリングを両耳から外した。
人間の暮らす世界は精霊の種族の縄張りと通じていて、守護精霊は土地神としてその土地一体を束ねる地属性の精霊の長が祀られている場合が多い。
邪神とも呼ばれるような大物であるフクロウ魚を封じ込める手段として、かつて分水嶺を作りこの地の流れに手を加えるこの村の仕組みを作った錬金術師は、非礼を詫び許しを得る為守護精霊と契約していたはずだ。詳しい契約内容までは判らないけど、長い時間をかけてもアレが封じ込められている現状を見ると、人間側にその後精霊と接触がなくても維持されているような守護精霊側に有利な条件だ。
錬金術師は半妖だったと断言すると、魔力量は精霊には及ばないし邪神扱いのアレには遥か及ばない。村を守る特別な魔道具や神具はないようなので、何らかの対価を前払いして守護精霊の力を借りてアレを封じ込めている可能性が高い。もしそうなら、封じ込め方も教わりたい。
守護精霊の事情として、アレがこの地で存在するのを良しとしないから錬金術師に協力したのだとすると、アレの復活はこの土地を守る守護精霊にとっても不利益にしかならないはずだ。
土地に息吹く魔力の流れを探れば、体感として、それなりの大物の妖がこの土地を守護しているからアレの影響がこの程度で済んでいるのだと感じる。
いつか出会いたいラフィエータのために残しておきたかった魔石だったけど、この際、仕方ない。
ただし、条件次第では、対価としてイヤリングをふたつとも持っていかれてしまうかもしれない。
助けとなる力をわたしは求めていた。母さんのご先祖様も、理由が理由だけに許してくれると信じている。
「アアアアアアアー!」
宙を舞うファーシィの膝に魔法の痕跡が光る。部分的に強化している。頭を砕く気だ。
<憎い、憎い、憎い、憎い…!>
怒鳴るような唸るような声が、アニチェの詠唱には混ざっている。
「ファーシィ!」
名前を叫ぶしか止める術を持たないわたしは、悪い想像に即座に走り始めていた。
<そうだ、こっちへ来い。この者より、お前の方が私の器には最適だ。>
嬉しそうに笑う声が、一瞬にして憎悪の表情に変わり<こっちへ来るな!>と叫ぶ声にも変わる。
体の中にいくつもの人格があるみたいにアニチェはころころと表情を変え、ファーシィを前に即座に切り替わる。
アニチェの庇った腕にファーシィの蹴りが入っている。
ファーシィの力技は成功したか見えたのと同時に、ファーシィの体から血煙が上がった。
相打ちだ。
ファーシィの脇腹が、大きく抉れて吹き飛んでいた。
血や肉や、魔石が、飛び散る。
「グアアアああ!」
池の中に落ちていこうとするファーシィの体から、骨や内臓が赤く血に塗れているのが目視できてしまって、走りながら治癒を必死に唱えていた。
<半妖が憎い、すべてが憎い、憎い…!>
笑い顔のアニチェの声は、泣いているように悲痛に高い。
ひゅん ひゅん
頭上を、矢が掠め飛ぶ。
矢とともに、大量の枝葉が女性の治癒師に向かって豪風と共に吹き付けていく。
アニチェは数歩後ろに飛んで、水で塀を作って飛んでくる攻撃を避けている。
池に沈もうとするファーシィに駆け寄るわたしを見て捕まえようと手を差し伸ばしてくるのを、師匠が、援護して魔法で『竜巻』をぶつけてくれた。
「ファーシィ!」
治癒の魔法を唱える。血が止まらない。意志を持つように伸びあがる水が、ファーシィを捕まえて引っ張り込もうとする。
<こっちへ来い、こっちへ来い、>
『水蜘蛛』も、自分自身に『強化』の魔法も唱えて、絡みつくような声を振り切るようにして走る。
「ビア! 早く!」
師匠の声に返事をするのも惜しい。息せき切って、損傷の激しいファーシィの肩を支えて力尽くで陸へと連れて行った。
「ビア! あなたって人は!」
駆けつけてきた師匠とオリヴィエールが、わたしたちを匿って盾になってくれる。
骨が無事なのは救いだ。手を当てて『修復』を行い、『診察』をして確認してみる。内臓の損傷が激しい。治癒を唱えてみる。いったん塞がりかけて止まりゆっくりと戻るように開いていく様子は、傷の再生を拒んでいる何かがわたしの治癒を妨害しようとしているように感じられた。拒むように破壊し崩す何かが、ファーシィを捕まえている。
「ファーシィ、生きて!」
治癒を繰り返す。
虚空を見つめ息も絶え絶えだったファーシィが、血を吐いた後、思い出したように息をし始めた。
ハアハアと息が荒いファーシィに、何度も何度も治癒の魔法を唱えてみる。一度の呪文ですべてを回復できないほどに、あの一瞬でファーシィにかけられた魔法は得体が知れない。
<憎い、憎い。憎い…!>
よろめくようにアニチェが池の上で揺れている。
<欲しい、欲しい、欲しい、欲しい…!>
アニチェは体を回転し魔法陣を描くように集まってくる魔力の青白い燐光の中を踊るようにくねらせ、指先は空中を彷徨っているのが見えた。
ようやく血が止まり、さらに何度目かで回復が終わる。
「ビアさん、助けてくれたんだ、あはは、すごく必死な顔、」
目を開いたファーシィは、血まみれなわたしの手を握って「血、もったいないね」と笑った。
「何を言ってるの、ファーシィ、」
池の上では、アニチェが新たに術を展開しようとしていた。警戒してオリヴィエールと師匠が、息を合わせてわたしたちの前に高速に回転させた風の魔法で白い防御壁を作ってくれている。壁が白く濁った雲のように見えているのは、水を含んだ高速の風で出来ているからだ。
<その娘を出せ、こっちへ渡せ、その体が欲しい、>
ファーシィへ向けてしつこく攻撃しようとしてくるのは、ファーシィにとどめを刺すのではなく、新しい人間の器としてわたしへと乗り換えるつもりがあるからだと思えてきた。
<憎い…、憎い…、いらない…、すべて憎い、皆いらない…!>
呪詛のような怒りは、アニチェのものなのかもしれないと思えてくる。
立ち向かって、師匠やオリヴィエールへの負担を減らさないと。
わたしも、戦わないと。
腰が抜けるような重みと体の疲労感を急激に感じて、魔力をほとんど使ってしまったのだと我に返った。
どうやったら勝てるのか、わからなくなってきた。
だからと言って、ファーシィを助けた自分の行動を間違っているとは思いたくない。
どうしよう、どうしたら。
愕然とするわたしの頬を、ファーシィの指が撫でる。
「どうして泣いているの、ビアさん、」
自分でも判らないくらいに腹が立っていて、興奮していて、逃げ出したいくらいに怖くて、思い通りにならない現実が果てしなく続く気がして、負けたくないと悔しくもなる。ファーシィを助けると決めた時点でのわたしの答えは間違っているとは思えない。魔力を失ったのも事実で、どうやって魔力を回復するのかを思うと後悔と躊躇いが生まれてくる。無力に死ぬのに比べたらこんなの大したことない、まだ軌道修正できるって頭の片隅には意識があっても、だからと言って勝てる気もしない。
「泣いてなんかないわ。ファーシィ、ねえ、どうしてあんなことをしたの?」
「どうしてって。勝たないと、私が強いって判らないじゃない?」
そんな理由でファーシィは、武具も防具もないのに挑みに行ったんだ…。
自分の身の程も顧みず、格上の相手だともわかっていないし、作戦も、なかったんだ。
呆気に取られるわたしの傍に、地面に落ちていた矢を拾いながらフローレスが駆け寄ってきた。
「ビアさん、」
「フローレス、その矢は、」
拾い集めた矢を矢筒にしまいながら、フローレスはファーシィを見て、わたしを見た。
「この娘が、ビアさんを攫ったんですよね?」
硬質な声はすべての感情を押し殺しているみたいに冷たくて、「どうして助けたのか、聞いてもいいですか?」という言葉も、そこまで賭ける価値はないのではないのですかと遠回しに言われた気がして、言葉に詰まる。
フローレスの強張った表情から、割り切れなさが伝わってくる。
命に優先順位はないのだと言いかけたのを、当のファーシィに遮られてしまう。
「ビアさんは治癒師だからよ、」
にっこりと笑ってファーシィは立ち上がるなり、抉れていて吹き飛んでしまっていた脇腹をフローレスに見せた。
傷口は綺麗に塞がっていても、引きちぎれた服や血まみれのスカートや下着から尋常ではない傷だったと容易く想像がつく。
「これ見て。ビアさんは凄いよね。もう痛くないんだよ?」
ファーシィはお腹の下腹部を撫でると、「あーあ、いくつか魔石を持っていかれちゃったみたい」と笑った。
「コーストさんに作ってもらった瘤も、あとひとつしかないね。」
3つあった瘤が、ひとつに減っていた。さすがにわたしが治癒師として努力しても、人工的な造作で出来た瘤の再生はできなかった。
生活魔法の呪文を唱えながら空に手を翳して、ファーシィは「残っているのは風と地、かな」と低く笑う。
師匠とオリヴィエールが、魔法で壁を作りながら振り返った。
「ビアさん、」
「フローレス、無事ですか、」
<すべてが憎い、憎い、すべてが憎い…!>
ああああ―!という絶叫の後、呪うようなアニチェが詠唱する声が響いた。
<魔力が欲しい、もっと使える体が欲しい。すべてが欲しい…!>
魔法で作る風の障壁の向こう側から放たれた光が通過して、ぶつかり合った風圧で地面が激しく揺れた後、水飛沫となって宙に砕けた。
直撃していたらわたし達はきっと無事ではいられなかった。
衝撃に耐える師匠とオリヴィエールの影で、ファーシィは肩を鳴らして「へへっ」と笑った。
「ちょっと行ってくるね、」
「ファーシィ!」
捕まえようとするわたしを振り切って、ファーシィは飛び出していってしまった。
池ではなく山の方へと飛び上がるファーシィは、直接アニチェと対峙するのではなく、大木の間を駆け上っている。
どこへ行くつもり、ファーシィ、
まさか、逃げたの…?
ビックリしたのと同時に、かえってそれでよかったのかもしれないと思えた。魔法があまり使えず武器も防具も持たないファーシィは、あまりにも無鉄砲すぎる。
「逃げてしまいましたね。」
フローレスの溜め息混じりの投げやりな声がはっきりと響く。
「生き延びると決めたのなら、それでいいと思います。それ以上言うことなどないです。」
ファーシィは自分で答えを選んだのだから。
「ビア、どうするつもりですか?」
どうもこうも、真正面にいて攻撃に耐えている状態なのだから、耐えきれなくなったら終わりだ。
原因は、わたしだ。わたしが、父さんの娘だからだ。
「わたしを囮に使って下さい。わたしに執着しているみたいです。隙をついて攻撃します。援護をお願いします。」
ありがとうございました




