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76、逃げ出すために必要な魔力

「父さん! どうしてここに!」


 ブロスチにいる時、影の中に潜んでいる気配すらも気が付かなかった。わたしも意識しなかったし、父さんも勝手に影から出てこなかったので、こんな風に出てくるとは思ってもいなかった。父さんを頼るつもりは全くないのもあって選択肢にもいれていなかった。


「ビアは少し目を離すと変なものと関わりたがるな。」

 答えになってないよね、父さん。

「外してほしいって言ったら外してくれるの?」


 近寄ってきてわたしを見下ろす父さんは、首を傾げて斜めにわたしを見ている。粗雑な簡素な部屋に場違いなほど美しい父さんは、空気が震えるくらいに怜悧な妖気を放っている。

 警戒しているのか威圧しているのか判らないけれど、あまり機嫌はよくないみたいだ。


「このままここにいた方が安全だと思うがな。」

「そうは思えないかな。この作業台の上の人はきっと、聖堂の治癒師(ヒーラー)が連れてこられた原因だわ。父さん、治療する対象であるこの人が亡くなっているのに、ここにいて無事でいられるとは思えないよ。」


 わたしがあの治癒師(ヒーラー)を攫った悪党なら、治療対象がなくなってしまったら治癒師(ヒーラー)は用済みだ。聖堂に正攻法で依頼できない治療だから攫ってきたのだとしたら、望む通りに聖堂に帰してしまうのか疑問だ。自分がさせていたことを外部に語られないように始末しようと考えるかもしれないなと思うし、悪党の言う始末って口封じの抹殺な気がする。

 それってつまり、わたしは抹殺されちゃう対象になるって理屈だ。


「ねえ、父さん、ここって、どこなの? 父さんは判るの?」

 逃げるなら、少しでも地の利が判っている環境でいたい。

「アンテ・ヴェルロだ。村の中の家のうちのひとつにいる。」

「それって、わたしが昨日の昼間に来ていた家だよね?」

「ああ。」

 当たった!

「だが、そうだなともいえるが、そうでもない。」

 どういう意味?

「もしかして地下室だったりする?」

「いいや、地下室ではない。」

 階段を下ってきた気がするのは気のせいなのかな。

「ドアの向こうには階段があるの?」

「そうだ。」

「階段は登っていくの? 下っていくの?」

「そうだな、下っていく。」

 下るの?

「ねえ、父さん。もしかして、この家の周辺って把握しているの?」

「ああ。」


 夜だから影が広がっていて父さんの出入り口も増えているのね。わたしの知っている限り父さんは基本的に精霊と同じというか精霊だし、他の精霊が活発に動き始める夜間は自分の使う魔法が目立たないから日中より動きやすい。


「ここはどこ? ここはデイライド爺さんの家の母屋だよね? 二階には窓がいくつかあって、わたしは入ってすぐの部屋と厨房まで入ったけど、ここは窓がないわ。だから、二階じゃないでしょ。」


 頭の中で思い描くデイライド爺さんの母屋の外観と実際に玄関から入ってみての情報とに、齟齬がある気がする。

 まさかとは思うけど、二階と一階の中間?

 父さんはおかしそうに目を細めた。


「この敷地内には、母屋と養魚場と納屋と池がいくつかあったな。」

「養魚場? 母屋の隣の、稚魚を飼育するための水槽がいくつかあった廃工場みたいな古びた家のことだよね? しばらく使っていなさそうな廃墟感があって、村のおじさんたちの話から使っているのは母屋だけだと思っていたけど、ここがそうなの?」

「そうだ、ここは養魚場だ。ビアは昼間、母屋には入っていたな。」

「見てたの?」

「ああ、見ていた。」

「何を話していたかは聞こえたりした?」

 父さんは沈黙して微笑む。どっち?

「養魚場の中をちらりと見たとき、こんな部屋はなかった気がするわ。」

「そうだな、ビアにはそう見えたのか。」

 父さんは何かを思い出してニヤニヤしている。

「教えて、」

「ビアは最近、お父さんを父さんと呼んで親離れをしようとしているから、お父さんは寂しいなあ。もう少しお父さんって呼んでくれてもいいのになあ。」

 美麗な父さんのウソ泣きは妙に腹が立つ。

 父さんもお父さんも一緒だと思うけど。

「妙な泣きまねは止めて、父さん。」

「かわいい娘に育ったのにビアは強情だなあ。自由にさせると危ないし、このまま連れて帰ろうか。」

「父さん?」

 カラカラと笑った父さんは楽しそうに肩を揺らした。

「表からは見えない場所だ。そうだな、隠し部屋とでもいうのだろうな。」

「ここは屋根裏だったりするの?」

「言葉では説明しにくいな。ビア、外にはなにもないと思った方がいいかもしれないな。」


 悪い魔性の父さんは、母さんの抵抗に懲りてないのだ。わたしをこのまま捕まえて、母さんと閉じ込める気なのかもしれないと思えてきた。

 頭を撫でようと近寄ってこようとする父さんから、椅子を固定されていて身動きし辛い体勢でも後退って逃げ出して、わたしは「大丈夫、自分で何とかするからこないで」と距離を保った。


「かわいいビア、こっちにおいで?」

「自分で出来るわ。」

 ここがどこにしても、ドアの向こうは外なのだ。

 俄然、やる気が出てきた。

「魔力もなく魔法も使えない状態で、自分で何ができるっていうんだい、ビア、」

 呆れたような父さんは、それでも近付いて来ようとする。

「できます。やります。やってみるから、出来るからいいの、」

「なら、それを使え、ビア。」

 父さんがにっこりと笑って作業台の上の亡骸を顎でしゃくった。

「魔石なら沢山あるだろう?」

 え、とわたしの表情は声に出せないまま驚きで凍り付く。


 何を、言っているの、お父さん。


 耳に聞こえてくる声は、悪魔の囁きだ。


「ビアの目の前に輝いている石を使えば、魔力は回復するだろう? どうやら魔石にばかり魔力を注いでいたようだからな。」


 パチンと、父さんは指を鳴らした。亡骸の、腹の辺りが赤や青や黄色、緑色に燦燦と輝いている。

 父さんはこの人が生前に体に飲み込んだ魔石が取り込んだ魔力を、生き物の亡骸として扱うのではなく、魔石の埋まった土くれと同じように扱って魔石の恩恵を受けよと言っているのだ。

 

「何を、言ってるの、父さん、」


 旅に出る前のわたしなら、冒険者にならなかったわたしなら、死者からの贈り物だと割り切って、遺品を有効に使わせていただこうと躊躇わずに手を伸ばしていた。

 そんな性格だと、父さんはわたしを認識している。

 いつかのわたしは精霊の父さんの考え方に違和感を抱かないような、とても精霊に近い感覚だったのだと、わたし自身も振り返れる。

 精霊なら魔石から魔力を取り込むのは容易いけど、魔石を含んでいるのは誰かの亡骸で、治療されていた人の、魂の器だったものだ。

 それを行ってしまっては、わたしは、人間としての矜持が持てなくなる気がする。

 人間ではなく、精霊でもない者に堕ちていく気がする。


「何って、ビア。ビアはお父さんの子供だろ? それくらい容易いだろ?」

 囁く声は、甘く優しい響きを含んでいる。

「ビアはお母さんとお父さんの元へ帰ってくるんだろう? そのために魔力を回復させる。それだけだよ、ビア。」


 聞きたくない。

 わたしはいつしか涙を流しながら、頭を振っていた。

 それは、してはいけない。

 人間として生きていくのなら、してはいけない発想だ。

 亡骸を人として尊厳のあった誰かの生きた証と受け止めずに、魔力の隠れている土くれだと扱ってしまったら、わたしは、師匠やあの街の人たちと一緒には生きていけなくなる。


 わたしは、治癒師(ヒーラー)だ。

 治癒師(ヒーラー)として、誰かを救う仕事を生業にしようとしている、希望を描く魔法使いだ。

 わたしは、半妖の治癒師(ヒーラー)として、人間と生きていくと決めたんだ。


 縛られたままの腕では涙を拭うこともできずに、頬を濡らしながらわたしに出来ることを考えた。

 ファーシィが残していってくれた魔石から取り込んだ魔力を元に、簡単な魔法ならもう一度程度は使える程回復した。


 思いつく限りに人間としてできる行動って何だろうと考えた時、ブロスチの街で出会った女性たちを思い浮かべていた。

 目の前にある亡骸は人間だから形が残っている。彼女たちも、人間として生を終えていく。精霊なら、輝く欠片となって粉々に消えて、この世界には残らない。

 わたしは、存在が不確かな半妖だけど、いつか輪廻の輪に帰る日が来るのだとしたら、人間として最期の時を迎えていたい。

 

<願わくば、あるべき姿に修復し持てる力が満たされ回復となる治癒を、我が師バンジャマン・マルルカ・ランベールとともに、我が父の名において願わん>


 生きていると師匠に伝えて、自分自身に治癒(ヒール)の魔法をかける。

 体を縛る縄が作った擦り傷や痛みが消える。

 わたしは、生きている。


 そうだ。まだやれる。

 わたしは、大丈夫だ。


「ビアがやれないなら、お父さんが、」

「ダメ。」

 脳裏に、母さんの笑顔が過る。同時に、目の前にいる父さんの悲しそうな顔も見えてしまう。

 言い直そう。

「いや、父さんはこっちに来ないで。魔法を使っちゃいそうだから、こっちに来ちゃ駄目よ。」

 何か椅子をぶつけてもよさそうなもの…。

 あった!


 わたしは勢いをつけて立ち上がると、無理やりに体を動かして椅子ごと移動した。

「こうやって椅子ごとドアにぶつけるから。椅子を壊して、ここから逃げるわ。」

「そんな面倒なやり方をしなくても、ビア、お父さんを頼れ。」

 悲しそうな顔で瞬きをせずにわたしを見ている美しい父さんが、わたしと母さんに対して魔法が使えないのに何をしてくれるつもりなのかは聞いてはいけない気がする。

 シンに借りを作ってしまった時のように、よくない方法で無理やりを通そうとするのだ。


「やってみるから、父さん、見てて。」

 くるりとは行かなくて、もたもたと椅子ごと体の向きを変えてみる。


 真っすぐぶつかってもあまり壊せない気がする。それでもそのうち、白髪頭の中年の男性もファーシィもここへ戻ってくる。できるなら椅子の足だけでも壊して、その木片を武器の代わりにしたい。

 ドアに対して斜めになるように角度をつけて、思いっきり椅子の足でドアを殴りつける。


 ドカンッ!


 思いっきり体当たりしていった震動が全身に響いて、反動で倒れそうになる。

 自分自身が先に壊れてしまいそうな錯覚がするのを踏ん張って耐えて、もう一度息を吸う。

 出来る限り体を捻って、ドアをめがけて背中から椅子をぶつける。


 ガンッと音が響いてぶつかる音がするたびに、足に衝撃が響いて、よろめき、椅子の重みとぶつける衝撃とで倒れてしまいそうになる。

 耐えるしかない。

 これしか方法がないのだからやるしかない。

 息を吸って吐いてを繰り返して、何度も椅子をドアに向かって殴りつけるようにしてぶつけていると、だんだん椅子を壊しているのかドアを壊しているのか判らなくなってくる。

 背中からぶつかっていくのでどうなっているのか判らなくて、時々立ち位置を変えてドアを見てみる。


 ドアの下半分にヒビが入り始めた。

 もしかして、このまま頑張ったらドアの方が先に壊れてしまいそうだ。

 それはそれで、出口が作れる。


「何をしているんだ!」

 誰かの声と、ドアにぶつかる音が重なった。

 ガツン!


「おい、やめろ、」

 誰の声、あの白髪頭の中年の男性? もう帰ってきたの? と思った瞬間、突き抜けるような手ごたえと、パチンと指を鳴らす音が聞こえた。


 急に体が軽くなった。


「ビアには魔法はかけられないが、ビア以外ならいいだろう?」

 楽しそうに笑う声と父さんの姿が消えて、言葉の意味を理解する前に、割れたドアに椅子の足が引っ掛かるはずなのにつんのめって、ドアに引っ掛かからずに空中に浮いた感覚がした。


「あれ?」と思った瞬間には、わたしは開いたドアの向こうへと押し出されていた。


 ダダダダダダ・・・!

 ガチャガチャガチャガチャ、バリバリバリバリ…!

 ガチャーン!


 椅子に座ったまま背中から滑っていく止まりそうもない速度と音とに目を瞑って耐えていると、ゴンッと仕上げのように頭の天辺から何かにぶつかった。

 盛大に何かが落ちてくる音とが大合奏のように重なって響いた音が粉塵を巻きあげて静かになっても、あまりの痛さと頭の天辺を何かで打った衝撃とでしばらく動けないままでいると、「良かったな。いいクッションがあって」とニヤニヤと笑いながら父さんがしゃがんでいるのが見えた。


 クッション?


「父さん!」

 思わず怒鳴ると、父さんはまたパチンと指を鳴らして、「ビアには魔法を使っていない。そうだろ?」と、わたしの下にあった椅子を壊してしまった。


 窓から差し込む月明かりにここが廃工場のような養魚場の一階で、宙に釣り下がる壊れた木片のようなものの形状から、天井から吊るされていた仕掛け階段から落ちたのだと判る。足元には棚のような階段のようなものが割れて落ちていて、使われていない水槽や作業台が巻き添えを食って壊れている。

 確かに天井に隠してあれば窓の外から見ただけでは階段があるようには見えないのだから、その先にある部屋が隠し部屋といってもおかしくはない。ファーシィに連れてこられた時、下から風を感じた理由は、隙間だらけのハシゴみたいな作りの簡易階段だからだと思えてきた。

 呻く声が微かに聞こえた気がして、わたしは何かの上に乗っているのだと思い出した。

 上半身を起こして見ると、下敷きにしているのはあの白髪頭の中年の男性だった。

 クッションって! 

 父さん、例えがひどすぎる。


「これ、持って来たぞ、ビア。失くすとお母さんが悲しむだろ?」

 父さんが影の中から取り出して放り投げてくれたのは、わたしのカバンとマントだった。散歩に出る程度の外出のつもりでブロスチの市場の食堂を出たのもあって、店内に置いてきたと思っていたのに、父さんからすると失くしたという認識でいるみたいだ。


 あまり白髪頭の中年の男性に触れないようにして起き上がると、わたしを縛っていたはずの縄が落ちる。足の間に挟んでいた魔石が転げ落ちた。拾う指が震えていて、意識すると、意味もなく笑えてしまった。

 

 不可抗力とはいえ、意図せずして頭突きした上にクッション代わりにしてしまった白髪頭の中年の男性は気絶していた。わたしのカバンの中には魔力を回復する道具などない。『診察』も『診断』も魔力がなくてできないから、もちろん『治癒』もできない。このままここに放置するしかない。浅く呼吸をしているのは胸の隆起で判るので、この男は死んではいないとだけ言える。

「ありがとう、父さん。」

 カバンを肩から下げてマントを羽織ると、満足したように目を細めて微笑んだ父さんはすっと影の中に消えてしまった。


 パンパンと埃を払って、わたしは自分の見えないところに怪我がないかを確かめる。

 打って頭や背中が痛い程度だった。

 これなら走れそうだ。


 部屋からは脱出できた。いろいろひっかかる出来事はあるけれど、些細なことだと割り切る。あくまでも順調だと思いたい。


 ※ ※ ※


 足音を立てないように静かに養魚場を抜け出すと、外は暗闇で、民家の灯りなどなかった。水の流れる音と、葉の風に揺れるざわめきと、遠く高くにある星と、細い月だ。

 何かが潜んでいても、手には武器もない。魔力も、ない。

 このままここにいる?

 怖気づいて、一瞬、踏み出すのを躊躇う。

 これだけ盛大な音を立てたのだからファーシィが戻ってくる予感しかしない。あの腕力と脚力には勝てる気がしない。

 隠れる? 隠れてもやり過ごせる自信はない。移動した方が安全だと心の底から思う。

 目が慣れてくると、暗闇の中にほのかに燐光をいくつも放つ場所が見えた。

 近寄ってみると、昼間実験体が潜んでいた池だった。暗い夜の中に青白い小さな丸い光がいくつも立ち上っては消えていく池の中には、光を宿した翡翠もいくつか転がっている。

 蛍にしては時期が少しばかり早い気がする。


 青白い光のひとつに手を伸ばせば肌に吸い寄せられて消えた。蛍ではなかった。掴んだ指の隙間から霞のように漂ったあと、やがて闇に消えていく。

 手の中にじんわりと流れ込んでくる感覚から、次第に魔力だとわかる。水から湯気のように揺らめき登って儚く消えていくのは、水に溶けていたアレの魔力だ。


 振り返り、下方を見渡すと、アンテ・ヴェルロの村の水田はどこもほんのりと青白く光っていた。

 池や、流れる小川の水からは、水の甘い香りとともに燐光という形で魔力が溢れ出ているのだ。

 帰れる。このまま、帰れるかもしれない。

 この光は、村の外へと出る門へと続く道案内の光だ。嬉しい気持ちで胸が一杯になりながら、暗闇の中を進む。


 ファーシィはあの女性の治癒師(ヒーラー)をどこまで連れて行ったのかはわからない。昼間出会った聖堂の風水師オリヴィエールが探している治癒師(ヒーラー)ならいいけど、それ以外の人である可能性もある。

 村の中には春の女神さまの神殿があったはずだ。そこへ行けば聖なる泉があるはずで、わたしは魔力が回復できる。

 息を潜めて歩いているうちに姿勢が伸びてきて、前向きな気分になってきた。用心して歩くはずなのに歩幅も広く、わたしの足が道だと思っている場所が道だとでも言わんばかりの勢いで歩いている自分自身が面白くなってくる。

 服の上から翡翠のアマガエルの首飾りを触ると暖かさなどない。お守り袋の中の原始の魔法使いオーリの犬笛のごつごつとした異物感の方が印象が強い。


 遠く後方で、ガサガサゴトゴトと葉や何かが揺れる音がして、母屋の裏口の方へと音が消える。


 ファーシィが帰ってきた?

 養魚場の惨状を見たら、わたしがいないのに気が付くはずだ。

 どれだけ逃げれば、爆発的な跳躍と脚力を持つファーシィと差がつくのだろう。

 

 急げ、急げ。

 逃げたいから、逃げてしまおう。


 いつの間にか息を止めて小走りに走っていると気が付いて、息を思い出して、ひときわ燐光が激しく集まって砕ける場所へと駆けていく。

 柵にある穴から出る水は魔力を燐光として飛び散らせながら、ゴツゴツとした岩に夜でも穿ち続けている。

 近寄っただけで、燐光という魔力が体に纏わりつく。純粋な魔力は誰かのものという癖も個性もなくて、たんに魔力として漂っているのだ。

 燐光を吸うと、体の中から光となって肌の毛穴の一本一本から燐光が漏れる錯覚がして、もっと魔力が欲しくなる。

 水の出る穴を、立ち止まって見つめる。

 ダメだ。

 柵の向こうにあるアレの存在を思い出すとこれ以上はここにいてはいけない気がする。

 

 迷わないように振り切るようにしてゆるい坂道を駆け下りる。棚田からは燐光が儚く揺らめいている。

 この坂を降りていけば、民家がある。助けてくれる保証はないけど、ファーシィも白髪頭の中年の男性も村人の前で暴力は振るわないだろうと思えていた。


 大きな丸い柵で出来た円に囲われた夜空には、雲の合間に細い月が見え隠れしている。

 魔力に満ちた空気を、胸いっぱいに吸って駆け下りていく。

 水の音と、池を跳ねる小動物の音と、わたしの足音とだけが動くものの気配だ。

 

 下っていた坂道の前方に、突然しっかりと、足が地面についている白い顔が現れた。化粧をした、女性の顔だ。音もなく佇んでいる。さっきまで何もなかったはずなのに、ファーシィがいた。


「足音が聞こえたからもしかしてねって思ったけど、やっぱりビアさんだったね。」

 坂を引き返そうとして、腕を捕まる。

「ね、 ビアさん、どこに行くつもり?」

 どう見たってウサギの耳にしか見えない耳を頭上に生やしたファーシィが、まっすぐにわたしを見ていた。

「ここにいるってことは、コーストさんはやっつけちゃったのかな。」

「コーストって、あの白髪頭のおじさん?」

 あれが勝手にデイライド爺さんの家にいついたコースト…。

「そう。コーストさんって呼べって言われてたけど、もしかしてビアさん、殺しちゃったの? それならもう、コーストって呼び捨てでいいよね。」

 わたしは思いっきり首を振った。

「生きてるから。わたしは誰も殺してないわ。」

「ふうん?」

 ファーシィは嬉しそうに明るい表情になった。

「丁度良かった。ね、私を助けてよ、ビアさん。」

「コーストを助けるの?」

 それは元の母屋に戻れって言われているようなものだ。

「違うわ。」

 安心するわたしに、ファーシィはにっこりと微笑んだ。

治癒(ヒール)が必要な人がいるの。ビアさん、治癒師(ヒーラー)でしょ? 一緒に来てよ。」

 嫌ですとも行きたくないとも答えるよりも、身構えるよりも先に、わたしは小脇に抱えられて宙を飛んでいた。

ありがとうございました

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