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71、古の魔法で道をつなげる

 早朝の、誰もがまだ眠っているような時間だと判っていてもいてもたってもいられなくなって階段を降りようとして、師匠に告げようかと迷う。同時に、蛙顔の神官様は翡翠の話をしていたくらいだから必要なのかもしれないと思い出して、取りに戻ると遅れになるからどっちかだなと思う。

 師匠は、こんな早くに起こすのはかわいそうだから、黙っていく。わたしは翡翠を選んだ。

 改めてポケットに翡翠を入れて足音を忍ばせて階段を降りると、意外にも宿屋の玄関は開いていた。夜中、こんな街なかで玄関のカギを開けたままにしていたとは思えない。誰かが既に出かけた?

 予定外の状況に不安になって不測の事態に向けて身構えて、イヤリングを触って魔力の回復を確かめる。

 そっと、宿屋の外へと出る。

 わたしを、誰も追いかけてはこなかった。朝一番の街中を、わたしの息遣いと遅れを取り戻そうと急いで走る足音だけが響いていく。戦えそうだけど、あの子を相手に戦うのは土壇場まで避けておきたい。


 息を切らして水の精霊王さまの神殿のある区画へ行き、朝霧の中に佇む木々を抜けると、水の精霊王さまの神殿の敷地内に人の気配はなかった。蛙顔の神官様の姿もない。

 誰かが潜んでいるかもしれない。辺りを見回すと、人の気配はない。

 フユエ園でしていたように水面を歩くには、かつてのようには『水属性を持っている』と言いきれていた自信がないのもあって深呼吸する。

 自分の属性の魔法は、息を吸うように楽に馴染んで失敗も少なく魔力の消費も少なくこなせるけれど、自分の属性の魔法でない魔法は、失敗したりするし魔力の消費も激しかったりする。特に真逆の属性の魔法は苦手になりがちだ。

 水の上を歩く『水蜘蛛』の魔法は水属性で、失敗しないようやに慎重に魔法を唱える。この池は水の精霊王シャナさまの支配下の神殿の敷地内だから、失敗はしないはず。


<願わくば、水面に力を与え地となりて、渡る風となる我が歩みを助ける褒美を、父の名において願わん、>


 師匠の名前を織り込まないようにするのは、この場所を特定されたくないからだ。

 自分の魔法を信じて足を水面に降ろして、浮かんだ成功を噛み締めながら歩き回って、水中を覗いて、池の真ん中にある神殿の影に大きな赤茶色いカエルが仰向けにのびているのを見つける。

 『水鏡』で見た映像だと、蛙顔の神官様は何かに変化して池の中に身を隠していた。池の中にいる魚をざっと目で追ってみる。怪しいのはこの大きなカエルっぽい。

 魚に突かれて湖面を移動している風船のようだ。魔力の印象からして蛙顔の神官様の変身した姿だと思いたい。黒いイボなのか黒い水玉模様なのか判らない見た目で、なかなかイボイボゴツゴツしていてかわいいとはいいがたい蛙ぶりっぷりだ。

 カエルの脇腹を突くと、ぴゅーッと口から水が吐き出された。

 効くかどうかわからないけど、治癒(ヒール)も唱えてみる。

 キラキラと蛙が輝いて、回復したのが見て取れた。白い山のような腹は時々凹むので呼吸しているのだと判る。

 腹を向けて浮かんでいるカエルを両手でしっかりと胴体を掴んで掬い上げて、池の中央に浮かぶ神殿の階段へと向かう。

 重い。人間の赤ちゃんくらいあるんじゃないの、この重み。

 気を抜くと水の中に沈みそうになるのは、魔力が魔法を維持できないからじゃなくて、このカエルの重さだと思う、絶対。

 階段の上の方へ、蛙を水の精霊王さまへ捧げるようにして横たえらせる。


 まさか、手遅れだった?

 もう一度、治癒(ヒール)の魔法をかけてみる。

 カエルからは微かにいびきとか聞こえるんだけど、気のせいだよね。

 生きてる。ま、大丈夫だ。


 緊張して止めていた息を吐くと、辺りの景色が鮮明になった。誰もいない。

「神官様?」

 話し掛けると、一瞬にして蛙顔の神官様が人間の姿に戻った。

「なんて格好をしているんです?」

 人間の恰好なのに、カエルのような座り方をしている。

「ビアか、ああ、ビアか。アンタは本当にいい子だ。」

 階段の端に座っていたわたしの方へいきなりカエルがするように飛びついて来ようとするので、反射的に思いっきり突き飛ばしてしまった。神殿の中へと転がっていったのは事故だ、きっと不慮の事故だ。

「抱き着かないでください。近寄らないでください。」

「すまん、怖かったんだ。」

 あの正体をしておいて怖いって、ありえない冗談だ。

「怖いのならどうしてカエルの恰好をしていたんです? 人間の姿でいれば違ったでしょうに。」

「蛙の姿になったのはつい習慣だ。人間の姿は用事がある時だけだ。精霊として過ごしている時の方が気が楽だからな。」

 笑って今度は寝っ転がると、蛙顔の神官様は天井に向かって「怖かったー!」と叫んだ。

「何があったんですか?」

「お嬢ちゃんは昨日、アンテ・ヴェルロに行ったんだろ? お嬢ちゃんの気配が街の中に戻ってきて、翡翠は持って帰ってこれたかと聞こうと思ったんだよ。いつここへ来てくれるか楽しみでつい夜更かししてしまって月見酒だ。つい一晩中起きてしまって、水鏡でつながって浮かれてお嬢ちゃんと話をしようとしたら、あの者が入ってきた。急いで隠れて、難を逃れたってわけだ。」

「それでカエルに化けたんですね?」

「一番魔力の消耗が少ないから楽なんだよ。」

「あの者って、女の子ですよね、」

「見えたか。」

 あの耳はウサギの耳で、野に棲むウサギの精霊と人間の娘だと思えた。

「…声や音は伝わらなかったので、見ただけです。」


 わたしの目には、ファーシィの獣人としての姿に見えた。

 ファーシィはもしかすると、野に棲む精霊の父親の影響を色濃く受けて生まれた半妖なのだろうなと思えてきた。

 人間の姿なのは魔法で本来の姿を押さえているからなのだとしたら、皇国(セリオ・トゥエル)で言うところの獣人だ。


「あれはウサギの半妖だな。野に棲む精霊の子だから地属性かと思って油断していたら、水に向かって『電撃』を放ったので驚いた。」

「あの水面の震えは、もしかして感電していたんですか?」

 よく死ななかったですねと感心しながら、平気な顔をしている神官様を観察する。本体が人でも精霊でもないものだから丈夫なんだと思いたい。

治癒(ヒール)が利いたんだよ。すまなかったね。」

「お役に立てて光栄です。」

 治癒師(ヒーラー)の仕事ってそういうもんです、と、わたしはにっこりと笑っておく。

「お嬢ちゃん、こっちへ入っておいで。祝福をしてあげよう、助けてくれた礼だ。」

「ありがとうございます。」

 静々と神殿の中に入ると、蛙顔の神官様は起き上がって両手の両手首をまわした。


 朝の澄んだ空気がさらに清められて、わたしに向かって、光のような輝きと霧のような水気を含んだ清々しい風が吹きつけられる。

 わたしというひとつの生き物の内面から輝きが満ちて、肌についた細かい水の粒が輝いた後、空気に溶けていく。


 上位神官(セイクリッド)の魔法の『(クリーンナップ)』だ。

 

 ん? そうなるとこの蛙顔の神官様は本当に神官なの?

 魔法に驚くわたしを見て蛙顔の神官様は「これも必要だな、」と祝福もしてくれた。瞬く間に、とろりと甘い砂糖水のような魔力がなみなみと注ぎ込まれていく感覚がして、魔力が回復する。


「ありがとうございます。」

「これぐらい、たいしたことないさ。」

「襲われたのは今回初めてですか?」

 首を何度か左右に揺らして視線をどこかへ向けている蛙顔の神官様は、ケロケロと笑って誤魔化そうとした。

 怪しい。

「もしかして結構何度か経験していたりしますか?」

「…もしかすると何度か目だ。」

「は? 何度か目?」

「もしかしてもしかすると、その度に主様の黒い魚を持っていかれている。」

「えっと? 説明してもらっていいですか?」

 笑って誤魔化している場合じゃない気がする。

「お嬢ちゃん、アンタはアイツに似ずにはっきり言う子だな、アイツは遠回しに囁きかけて、とんでもない方向へと導いていくもんだが、」

「父さんとわたしは別の人格です。で、どうしたんですか? 覚えていますか? 説明できそうですか?」

 ケコケコと咳払いのようなものをして、蛙顔の神官様は胡坐をかいて座ったので、わたしもその場に正座して目線を近くしてみた。

「そう言えば、寝て過ごして一日が終わった日が結構何度もあったなあって、思い出したんだよ。電撃を喰らってのびてしまってそのまま眠ってしまっていたんだろうなって思い至ったんだよ。そういや、主様の黒い魚が消えたのって、こうやって眠って一日を終えた日の次の日に気が付いていたなって思い出したんだから、しょうがないだろ、」

 開き直っている!

「変だとは思わなかったんですか?」

「疲れているんだと思っていた。人間の器が古くなってきて、そろそろ新しい人間の体を見つけないといけないのか、と思っていたんだよ。」

「神殿で寝泊まりしないんですか?」

 確実に安全な気がする。

「お嬢ちゃん、カエルの体でこの広い池で浮かんで寝るのの気持ちいいことったらないんだよ? 時々魚どもが突いて動かしてくれるし、風に揺られて流されて眠る心地よさったら至福だよ?」

 邪神って呼ばれるような存在が、大真面目で言う発言ではない気がする。

「えっと、もしかして毎回、池で寝ている時、あの子が来る度に電撃で失神して寝直して、みすみす取り逃がしているんですか?」

「まあ、そうなるわな?」

 水の精霊王さまの神殿の敷地内だからって、油断しすぎな気がするけど?

「次回は捕まえようとか、次回は蛙に化けるのはやめておこうとか、計画立てたりはしないんですか?」

「お嬢ちゃん、よく考えてごらん? 向こうは私が寝ている間にこっそりやってくるんだ。今日までこんな状況とは知らなかったんだから、どうにも対応のしようがないだろ?」

「主様の黒い魚は持っていかれてますよ?」

「それもなあ、減るだけで全滅はしていないだろ? どんどん流れてくるから、ここで減ると他所へ流す分が減るだけだから、ここの数は変わらないし、」

 ここの数は変わらなくても、よその数は変わっているよね。

「適当すぎやしませんか?」

 本当に邪神なのかな。

「よし。明日からの対策を練ろう。」

 大丈夫かなあ。

「魚を獲って食べているのが半妖なら、あの子は魔力量が乏しいのを補いたいのだな。」

 しみじみという蛙顔の神官様の言葉に、ファーシィが哀れでいたたまれなくなってきた。

「あの子、体の中に輝石をいくつか入れています。半妖で、家族や仲間を探しているみたいです。」

「野に棲む精霊の中でもウサギならよくてプーカだろうが、プーカは魔法使いになれるほどの魔力は持ち合わせていないな。輝石を飲み込んでいて主様の黒い魚を食べているのだとすると、魔石を体内に溜めて魔力量を底上げして魔法を使っている、貧弱な魔法使いだな。」


 プーカというのは野に棲むウサギに似た人よりも大きな存在で、魔力の強い者は(あやかし)と呼ばれたりもするけれど、基本的に力自慢で足自慢なだけの野に棲む精霊だ。

 半妖だからと言っても、親の影響で魔力を多く持つ子となるのは期待薄な場合が多い。


「プーカじゃないかもしれないですよ? 『電撃』は、生活魔法では起こせません。風属性の魔法使いの使う攻撃魔法ですよね?」

 風使いの師匠なら可能な魔法だ。

「父親が野に棲む精霊の子なら地属性となるのが通例だが、」

 例外があるとするなら、わたしのように父さんが属性をふたつ持つ存在だ。ふたつあれば、どちらかを受け継ぐ可能性が出来る。

「あの気配はそれだけじゃない気がしたんだよ。」

「他に誰かいたんですか?」

「水の中にいたから見ていない。」

 そうでしたね。

「肝心な主様の黒い魚、減っているんですか?」

「まだ数えていない。お嬢ちゃん、見てみようか。」


 わたしと蛙顔の神官様が神殿の外へと身を乗り出すと、向こう岸に、立ち尽くして肩で息をしている師匠が見えた。


「ビア! そこにいたんですか!」


 真剣な表情と切迫した口調から、心配して追いかけてきたのだろうなという勢いが伝わってくる。

 もしかして、探していたの?

 

「すみません、わたし、帰ります。」

 さすがに師匠を怒らせてしまったのだと判る。何も言わないまま出てきてしまったから、無理もない。


「あの者はこの前も迎えに来ていたな。」

「ええ、」

 師匠に向かって手を振って、「今行きます、師匠、」と頭を下げる。

「ビア、私がそこへ行きます! 逃げないで待っていてください!」

「無理です、師匠。わたしが行きますから、」

 案外見た目より池は深いのだ。

 なのに師匠は聞こえていない様子で、無理やりにでも渡ってこようと池の中へと入ってくる。風属性の魔法使いなのに無茶だ。

 水の中へと進めて腰までつかってしまった師匠が見ていられなくて、わたしは「帰ります」と蛙顔の神官様に告げた。

「みっともないまでに必死だな。」

 蛙顔の神官様は呆れたように言った。

 知ってる。風使いの師匠は、水と相性が悪い。

「あの人、あれでもわたしの師匠なんです。」

 わたしとは真逆の世界に生きている人だ。ラボア様のご命令で師弟関係となった、わたしには縁のない世界に生きている人だ。

「そうかい、なら、」

 くいっくいっと掌を動かして、わたしに何かを出すように要求してきた蛙顔の神官様は、「持っているんだろ、翡翠」と笑った。

 ポケットに入れたままの翡翠を取り出してみせる。

「教えてもらった通りに、昨日、行ってきました。これだけしか持ってこれませんでした。」

 掌の中に隠れてしまう大きさの、たったふたつの、わたしの取ったのとフローレスの取った翡翠だ。

「良い良い。貸してごらん、」


 掌の上にふたつの翡翠を乗せると、蛙顔の神官様は両手を合わせてふうッと息を吹き付けた。


<幾年月も彼方の向こうへとたゆとうと満たすきらめきが、この世のはじまりまで道を照らし続けるように。>


 女神の言葉(マザー・タン)に似た歪で原始的な記号が空中に魔法陣を描くように広がって、石の上にひとつひとつを焼き付けて燃えて消えて、天に消えていくように微かに煙が上がる。


 かたちが、整えられていく。


 生き物のように艶めかしい、澄んだ緑色の翡翠でできた小さなアマガエルが一対、掌に現れる。


「今のは、魔法ですか?」

 初めて見る魔法だ。

 満足そうな表情からは、術が成功したのだと判る。

「これをあの者にも渡してやりなさい。」

「魔道具、ですか?」

 わたしの掌の上で、翡翠な蛙はきらりと光ってじんわりと熱を帯びた。

「古の魔法だ。素材の仕組みを置き換えるのだから魔道具とは違うな。」

 素材に魔法をかけるのとは違うのね?

「そんな貴重なものをくださるのですか?」

「私には貴重ではないからね。」

 生き物として別格だと、貴重の定義までも違うのかな。

「石の中に道を作ってつなげたのさ。持っている者同士の居場所が判る。お嬢ちゃんとあの男がひとつずつ持っていると、離れると道が遠くなって熱が消える。」

 掌の上でふたつの蛙な石は寄り添っているから、こんなに熱を持つのだ。

「持っている者同士が近くにいると、あたたかいんですね?」

「そうだよ。アイツは怒りそうだから、アイツには見えないように細工をしておいた。」

 ケロケロと楽しそうに笑って、蛙顔の神官様は「またおいで、」と言った。

「そうですね、また来ます。」

 フクロウ魚(アレ)の話をしたいし、教えてもらいたい。

「水を渡る魔法をかけてあげよう。今度は月夜に来るんだよ、橋が渡るからね。」

「そうですね、魔力は大切です。」

 ぺこりとお辞儀するわたしに、蛙顔の神官様はケロケロと笑いながら魔法をかけてくれた。


 わたしがかけるような重みで沈みそうな危うさのない、完璧な、上位神官(セイクリッド)の使う『御水渡(おみわた)り』だ。

 水面の上を足元に瞬時に魔法で作る氷水に支えられて滑るように歩く『御水渡り』なら、絶対に水中に落ちたりしない。


「ビア、」 

 警戒した険しい表情をしたまま水に浸かっている師匠が、わたしに向かって手を差し伸べてきた。溺れそうになってでもなお、わたしを助けようとしている姿には、心を揺れ動かされる。


 わたしはそんな価値のある人間なのかな。

 師匠に胸を張って自分を誇れないのを自覚しているだけに、申し訳なく思えてくる。


 手が届く位置まで近寄って、師匠の前へしゃがむ。

 わたしの顔を触ろうと伸ばしてくる師匠の手に顔を寄せ、耳を触る濡れた手に、耳を寄せる。

「逃げないんですね、」

 ほっとしたような、意外そうな口ぶりに、肯定の含みを持たせて口角を上げてみる。


 冷たい水に、師匠の体温は熱を持っていかれようとしている。

 額の汗が見えるし、髪の毛に水飛沫が飛んでいる。慌ててここまで来たんだって一目で判る。


「師匠、無理をしないでください。」

 額の髪を梳くって、師匠の体に治癒(ヒール)をかける。

「ビア、」


 どうして、そんな無理をするんです? 

 聞いてみたいけれど、師匠だからと言われてしまいそうだ。


 師匠の手に、翡翠な蛙をひとつ、握らせる。

「これをあげますから。師匠、貰って下さい。」

 わたしの分を、目の前に見せる。

「さっき神官様に魔法をかけてもらいました。この石の中には道がつながっていて、持っている者同士が離れると石が冷たくなるそうです。」

「近くにいると?」

「あげますから、ご自分で確かめてみてください。岸まで戻ってもらっていいですか?」

 返事を聞く前に立ち上がって、わたしは先に水面を歩いて岸まで戻る。


「ビア、」

 ザバザバと聞こえる水の音に振り返ると、師匠が勢いよく池の水を掻き分けて追いかけてくるのが見えた。

「ビア、ひとりは危ないと言ったでしょう。」

「すみません。神官様から『水鏡』で連絡を頂いたのです。」

 ファーシィを見てしまったから慌てて駆け付けた、とは言い難い。

 師匠にわざと声をかけなかったとも、言えない。

「ビア、」

 真剣な眼差しの師匠がまっすぐわたしを見ていた。受け止めたくなくて見ないふりをして、師匠の濡れて冷たい手を取って、わたしの手を重ねる。

「ほら、あったかくなった。」

「ビア、誤魔化さないでください。」

 ついでに治癒(ヒール)の魔法もかける。朝の冷たい水の中に勢いで入るなんて、無茶だ。

「師匠は無理をしないでください。治癒師(ヒーラー)がいつもそばにいる訳ではないですよね?」

 回復していく顔色を見上げて、わたしは黙る。

「ビア、何があったのかを話してはくれないつもりですか?」


 言えるわけない。

 あの神官様と父さんは、師匠とは違う世界の生き物だ。


 手の中にある翡翠な蛙はほんのりと暖かくて、師匠の手の中にあるもう一匹も、師匠の掌も、あたたかい。

「あなたが私に秘密を秘密のままで隠そうとしているのは知っています。でも、私はあなたの師匠です。」


 一緒に、旅をする関係で、庭園(グリーン)管理員(・キーパー)としての指導員(メンター)で、師匠で。

 あなたは、ラボア様のご指示でわたしを守る公国の軍人で、わたしやわたしの父さんが何者なのかを探ろうとしている正義の人だ。

 それ以上の感情をお互いに持ってはいけないと、あなたは判っているはずなのに。

 師匠の表情から読み取れる感情を言葉にしたくない。


「どんな理由があろうとも、この石があたたかい距離にいてください。いいですね、ビア、」


 言葉が、何を含んでいるのかを知りたくない。 

 唇を噛んで、師匠の手をそっと握る。


 指が重なり、捕まる。

「宿屋に帰りましょう。」

 嬉しそうな師匠の言葉に、わたしはおとなしく従った。

ありがとうございました

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