5 あなたが一番の上位貴族
「私たちは地竜王の動向についての情報を求めています。」
「わしが会ったのは随分と昔のことだからなあ…。美しい男だった、という印象しか残っておらんのだ。」
「ラルーサ殿は地竜王について何か情報をお掴みなのでしょうか、」
小さく頷いて、ラルーサは姿勢を正しながら答えた。いくら時間に追われていても、前将軍のためと割り切ったのだろう。
「地竜王は現在、国境近くの神殿に滞在して、出産の時期を迎えた雌の竜や子を守るために他の雌の竜と籠っております。警戒心が強い彼女たちは雄の竜たちよりも残酷で残忍です。この時期は神殿には足をお運びにならない方が賢明だと思います。」
報告通りだ、とフリッツはカークと視線を合わせて小さく頷き合う。
「他の、雄の竜たちはどこに行ったのですか?」
「山を守って近付く者を排除している者たちと、番を求めて求愛行動を単独で行っている者とに分かれていると思われます。」
「すべての地竜が神殿に集まっているのではないのですね、」
尋問の様に淡々と質問するランスに、フリッツの隣に座るカークが何か言いたそうにウズウズとしている気配がしていた。フリッツはこっそりカークの膝を叩いて窘める。
「そのようです。」
「入山の規制はないのですか、」
「信仰心の厚いものはそれでも参拝に上がりますから。」
「そうですか。やはり今しか機会はないようです。」
ライル前将軍は唇を一撫でして、ランスたち騎士を見渡した。
「この時期に国境の調査など騎士団も大変よのう。ランスフィールド殿、このところ、魔物の襲撃は昼夜問わず激しくなっておる。この付近も、王都とはいえ、何かしらの魔物が城塞を越えて街に入ってくるようになった。」
「この付近でも、でしょうか?」
驚いた表情を作って、ランスが問い直す。「閣下のお膝元でしょうに!」
「あやつらは魔法を使う者もいるし、夜目も利く。魔法を使えんワシらは夜の奇襲はどうにもならん。」
フリッツはあの旅での出来事を思い出して、妙に納得してしまう。夜陰に紛れた魔物は得体がしれない。
「閣下、魔除けの香でも焚いて帰りましょうか、」
顔色が悪く弱弱しい薄笑いを浮かべるシクストからはどうしても枯草の印象がするけれど、そんな提案がすっとできるあたり、やはり術者なのだなとフリッツは思った。
「シクスト、お前はたまに役に立つなあ。」
「たまには余計です。退魔煙を調合していきますから、門の近くの松明にでもくべてください。」
退魔煙は複雑な調合が必要な忌避香で、王城でも使用していて、聖堂から調達してもらっていた。執務に関わるフリッツはあんな貴重なものを、とシクストの力量に目を見張る。
足元に置いた荷物をごそごそと掻き分けて薬草の束を手に取ると、シクストは「ああ、閣下、足りない草があるようです。明日にでも改めて伺うことにします、いいですか、」と肩を竦めた。
「ああ、構わんよ。また来てくれればいい。」
残念な印象がやっぱりする頼りないシクストをそれでも信頼しているのか、前将軍の口調には余裕が感じられた。
「ところで、ランスフィールド殿、今回の調査隊には、聖堂の治癒師や、魔術師の同行はないのかな、」
「あいにくと騎士団だけでの演習ですので、聖堂の協力は仰げません。ましてや、魔法使いなど、王都には今のところ名のある者がおりません。」
「皆、金のある貴族どもが自身の領に連れ帰っておるからな、」
「この国で魔法を扱える存在自体が珍しいです。どこもかしこも足りないのは仕方ありません、」
苦笑いをするランスの言葉に、フリッツは小さく唇を噛んだ。
公国や皇国では魔法を使える子供が多く生まれることがあっても、この王国ではなぜか、魔法を使える子供が生まれることは珍しかった。フリッツ自身も血統としては魔力を持って生まれていて使えてもおかしくはないはずなのに、魔法が扱える能力はなかった。母であるクララもラナも使える程としか聞いたことがなかった。
「いくら王城の騎士団がこの国で最強と言われる騎士の精鋭部隊だとしても、無謀すぎると思うのだ。時期を見直してはいかがかな。」
それでは遅すぎる。計画の変更をする気がないフリッツは、歯痒い思いで手を握り締めた。
「…ラルーサ殿に、同行していただくわけにはいきませんか、」
「それは、ならぬ。」
即座に前将軍が強く否定して首を振った。
「風竜と契約している竜の調伏師など、どこを探してもそうそうお目にかかれない気がするのです。いけませんか、」
ランスは微笑みながらも引かずに交渉を続けようとする。
「たとえ王命であろうと、それはならぬのだ、ランスフィールド殿、」
強い前将軍の口調に、フリッツは目を見張った。
「この者は事情があると申したはずだ。詳しくは言えんが、攫われた娘を追っての旅をしている最中なのだ。そのような者に時間を乞うなどとは、人としてならぬのだ、」
この人情の篤さが鬼将軍と謳われていても慕われて人が集まって来る理由なのかと、フリッツは胸を打たれた。
「娘…、お子さんが攫われてしまったのですか? 詳しくお聞かせいただいてもよろしいでしょうか、」
騎士として、話を聞くランスやフォートの顔つきも変わり、フリッツとカークも、まっすぐにラルーサを見つめた。
「各領地で対応できる話なら、王都まで娘さんを探しに来るとは考えにくい。王都まで探しに来ているのなら、大掛かりな組織に攫われたのだと言えましょう。騎士団にも領主を通して話が上がってくるはずですが、何の報告もありません。」
無言のラルーサは、困ったように前将軍とカイルを見比べた。
「…無理をするな、話さなくてもいいぞ、ラルーサ、」
前将軍が、静かに牽制する。
「私たちは王国を守る騎士団です。人を守り、助けることを信念としています。是非とも助けとなりたいのです。」
「…話せることも少ないのです。」
「どうしてです? まさか、断るための絵空話ですか?」
挑発の言葉に、さっと、ラルーサとカイルが顔色を変えた。「ランスフィールド殿、」と前将軍の静かに窘める声が響いた。
「…竜に攫われたのです。これ以上は、お許しください。」
この国の国王の始祖には竜が混じる国だ。フリッツは悟る。竜に攫われたと公言してしまうと、反逆罪に問われることになりかねない。確かに王城に直結している騎士団には報告しにくい内容だとも言えた。
「ラルーサが黙った原因を、理解できたか?」
「すみません。今のは聞かなかったことにしましょう、」
「それはまさか、竜魔王、でしょうか、」
助け船のつもりなのか、シクストの明るい口調の問いに、ランスの表情が驚きで制止する。
瘴気を吐くという竜魔王が我が国で人を攫ったとなると一大事だ、とフリッツも顔色を変えた。思っているよりも、竜魔王の侵略は早いのかもしれない。
「いいえ、違います。ですが、珍しい竜だと思えます。」
竜の調伏師であるラルーサは、何か奥歯に挟まったような顔つきになり、言葉を区切った。
「風竜や、地竜ではないのですか?」
「違います。ですから、こうやって旅に出て、手掛かりを探しているのです。」
竜魔王ではないと即答できるのに竜だと言い切れる。何の竜だと言えないのに、竜魔王ではないとも言い切れる。不思議だ。ただの竜ではないのだろうか。フリッツが疑問を抱いていると、カークが「発言をお許しください、」と手を挙げた。
「ライル前将軍閣下、ランスフィールド教官殿、ラルーサ殿にお教えを乞いたく、お尋ね致したき疑がございます。発言をお許しいただきたいのです。」
「ほほう、ランスフィールド殿、若い者にも勉強熱心な者がおるようですな、」
「恐れ入ります。閣下、ラルーサ殿。」
立ち上がったカークが瞳をキラキラとさせてラルーサを見つめていた。
「閣下、若輩者の戯れとお許しください。ラルーサ殿、お尋ねします。風の竜をこの王都に召還することは可能なのでしょうか、その力をここで借りることは、可能なのでしょうか、」
話の流れを変えるカークの質問に、ラルーサはほっとしたような表情になって、柔らかく微笑んだ。
「召喚して、どうされるおつもりですか、」
「決まっています。加護を授けて欲しいお方がいらっしゃるのです。魔法が使えるように魔力を与えていただきたいのです。」
恐らくそれは私のことだろう。フリッツは複雑な心境になりつつカークを見上げた。
「それは、できません。」
「なぜですか、」
「私が契約しているのは風竜王ではありませんし、加護を貰ったからと言って魔法が使えるわけではないのです。」
「どういう意味でしょうか、お教えください、」
「もともと魔力を持った者が…、そうですね、例えば風の精霊王さまの加護を得たとすると、精霊王さまの加護を得て風の系統の魔法を使えるようになるだけなのです。」
「それは、」
ガチャン、という大きな音が響いて、前将軍やラルーサの顔色が変わる。質問しようとしたカールを制して、ランスが立ち上がった。
「閣下、今の音は、」
フォートがすかさずフリッツを隠すように立ち上がり、腰の剣に手をかける。
「隣の書斎だろう、鍵をかけてあったはずだが、」
前将軍の顔が、緊張で強張る。
「ラルーサ、逃げろ、」
ガタゴトと隣の部屋から音がする。どうやら、何か生き物が動いているようだ。
侵入者の気配に、誰もが顔を見合わせた。
「閣下、」
ラルーサのただならぬ表情に、くいっと顎を差して前将軍は指示を出した。頷いたカイルが機敏に動いて静かにドアを開け、廊下を伺い、振り返ると、黙って頷いて見せる。
「いいから行け、老いてもお前くらい逃がしてやれる、」
隣の部屋で暴れているのか、ガタゴトと落ちたりぶつかる音がする。
「閣下。それはいけません、」
「行け。そうだな、カイルも連れていけ。」
「閣下、」
「よいのだ、任せておけ。二人とも、また会おう、」
ラルーサの話を聞こうともせずドアの外を指さしたライル前将軍の言葉に、ラルーサとカイルは頷くと「ご武運を、」とお辞儀して部屋を走り出た。
「さて、不届き者を懲らしめねばならんな、」
笑って立ち上がった前将軍は「ここは任せた、」とシクストに念を押して、剣を構え部屋を出た。
「私も行きます、」とランスも追って部屋を出る。
廊下を、警備兵が走って集まってくるのが見えたフリッツは、加勢しようと立ち上がり動こうとしたけれど、フォートが手で制して首を振った。いつの間にかカークはカーテンを引いて窓の前に立ち、外を警戒している。
無言で連携した無駄のない動きに、フリッツは驚きもしながら、これが訓練された騎士の動きなのかと感心もしていた。隣の部屋からは、何かの咆哮と、大きな、何かがぶつかる音がする。
「…あなたがこの調査隊で一番の上位貴族、なのですね、」
黙って観察していたシクストが、フォートに守られているフリッツを見て念を押すように尋ねた。
その問いかけは肯定しても否定しても答えは同じだろう、と思い、聞かなかったことにし答えないフリッツに「やはり、そうなのですね」と呟いて、残っていたシクストが腰に付けた焦げ茶色の袋から黒い粉を手に取った。ソファアを壁際に押し退け、残ったフォートやフリッツの周りにぐるりと円を描いた。
くすんだ赤色の絨毯の上に二重の円が描かれて、記号が書き込まれていく。
フリッツたちに「ここから動いてはいけませんよ、」と囁いて、円の外側に言葉のような何かをぶつぶつと呟きながらシクストは描いていく。
何をしているのだろう。まさか、魔法陣を描いているのだろうか。
この者は魔法が使えるのか。
日常の生活の中であまり魔法に触れる機会などない。でも、最近魔法に良く触れる機会がある。もう、普通の日常ではないということなのだろうか。
竜魔王を倒す旅に出ようと出なかろうと、もう普通ではないのだとフリッツは実感する。
「さて、仕上げです。」
パンパンと手を叩いて、シクストは天を仰いで腕を広げた。袖口から冷気が漏れているような気がして、フリッツは思わず身震いした。
絨毯に描かれた円の文字がゆらゆらと浮き上がるように空中に漂い始めて無限に増幅して、やがて、ひんやりとした冷気を漂わせた細かい氷の粒となり、フリッツとフォートの周りを細かい網の目のように囲い始めた。
「何を…、あなたは何をしているんです、」
カークの言葉に、シクストは「防御の魔法です。これで魔物には、あなたたち二人は見えなくなりました、」とフリッツを見てにっこりと微笑んだ。
「!」
こちらからは見えているのに、そんなことができるのか。フリッツが驚いていると、隣の部屋との壁に何かが打ち付けられるような音が立て続けに響いて、パリンと、花瓶か何か、小さな、硬質なものが割れる音もする。
「グアアアア…!」と唸り声が聞こえた。
何かが起こっている気配に、聞き耳を立てていたフリッツはぎゅっと手を握った。守られているばかりで何もできない自分は、ここにいてランスやライル前将軍を信じるしかない。音の刺激に想像力だけを刺激されて恐ろしくて逃げたくなる気持ちがなくもないけれど、そんなみっともない真似などできない。
激しく、何かがぶつかり壊れる音が続く。
悲鳴が上がり、壁の向こう側から細かい矢のような光が差し込んで、あっという間に壁が破壊されて脆く崩れた。
敵が、来る。
いざとなれば戦うと覚悟を決めて、姿勢を正して前を向く。
粉塵の向こうに、姿が見えた。
「大丈夫です。魔力を持つ者には違うものが見えていますから、」
あれは、まさか。
シクストが呟いた声をかき消すような大きな音とともに、壁に開いた大きな穴から赤く爛れた肌から蒸気を登らせ唸る狼頭男と、人間と牛頭男が混ざったような中途半端な変身をしている上半身裸の男が立っているのが見えた。
ありがとうございました




