67、不穏な風水師
<これはこれは、>
優雅にお辞儀をした風水師と思われる青年は、爽やかな風を華やかに散らすように笑顔で姿勢を正した。年の頃は20代から30代くらいの青年で、もちろん1周目で出会った経験はない。
師匠を見て、わたしを見た後、周辺を見回す。
<お初にお目にかかります。公国の吟遊詩人、いや、庭園管理員のバンジャマン卿、でよろしかったでしょうか。>
話す言葉は公用語で、『王国民だけど自身は魔法使いである』と言葉でも示してきたのだ。
「そうだ。貴公は、」
師匠はあえて王国語で答えている。王国にいるから王国語で話す、という算段ではなく、誰かに聞かれていても怪しまれないようにあえて王国語を選んだのだと思う。
諜報部隊にいるのなら聖堂の中でもエリート中のエリートだろうから何語でも話せる可能性はあるけど、ここで公国語で話をしていたら戻ってきたファーシィに怪しまれるから余計な不信感を与えたくないのだろうなと思う。
ファーシィは魔法が使えるから公用語は判らなくはないだろうけど、村人たちは王国語しか話せないのなら、どっちにしたって第三者には王国語以外で話をしていると怪しまれる。
「私ですか? 名乗る程の者ではありませんが、そちらにいる治癒師が気になります。私は治癒師を探しているんですよ。私の探している者と違うか確認させてください。」
恰好で治癒師と判断したのではないと思えた。
もしかしてまた匂い?
風使いって師匠といい、どうしてこんなにデリカシーがないのかな。
ムッとしていると、師匠の影にいるわたしを覗き込もうと近寄ってくる。
師匠の影から反対側に出ると、にっこりと微笑んでくる。すぐ前に師匠がいるのに見えていないみたいだ。
「オリヴィエールと言います。あなたは?」
わたしの名前を聞くために名乗ったの?
師匠がさっきわたしの名を呼んだので、風使いなら聞こえていただろうにと思うと、わたしがどう名乗るのかを確かめるつもりなのだろうなと思えてきた。偽名を告げたら警戒している証、ビアを名乗ったら友好的な態度、名乗らず無視したら論外、師匠の態度次第では攻撃、とでも判断されそうだ。
治癒師だと見破ったのも下心ばかりな気がして気味が悪い。
師匠を見上げると不機嫌そうに警戒したままだ。
名乗っても名乗らなくても、面倒ごとに巻き込まれる気配しかしない。『聖堂の潜入は保留するようにとのラボア様のお言葉』とスタリオス閣下からは指示を貰っている。ラボア様からは『マハトを拘束するように』との直接のお言葉を頂いているし、聖堂は師匠も警戒している相手だ。
「ビアです。」
「へえ、もしかして、昨日ブロスチの市場で話題になっていた治癒師のお嬢さんかな? いや、そうだね、その金髪に青い瞳の公国人の若い娘の医者殿は、今日はなんでまたこんなところに?」
師匠に尋ねずにわたしをじっと見ているオリヴィエールは、真意を正直に話す相手には思えない。
師匠が言う通りに風水師なら、彼はおかしな水の流れを追ってここに来たのだと思う。彼は王国人で魔法が使える。もしかしたら半妖の可能性が高い。半妖ならあの分水嶺のある泉の結界に入れてしまう。
万が一、分水嶺に干渉が起きたら、この付近一帯の水の流れが変わる。水量が変わると、あの水底に沈んだアレが復活してしまう可能性がある。
わたしはこの村の住人ではないので、そもそも分水嶺に関する権限はないし、アレが良心的な存在とは思えないから関わりたくない。人間が沈めた相手だからと言って良心的な存在とは限らないし、最悪な存在かもしれない。真偽が不明な現状で言えるのは、アレが沈んでいる方がこの村にはよい状況がもたらされているという結果だけだ。
父さんと同じ仲間なら助けるのかと問われると、否だ。父さんが悪い魔性なのを知っているわたしとしては、父さんが悪い魔性ならアレも悪い魔性の可能性がある。
極論を言ってしまうと、蛙顔の神官様が父さんの仲間なら、蛙顔の神官様も悪い存在だ。父さんが囁いて惑わすように、蛙顔の神官様も正しい情報ばかりを告げてくれたとは言い切れない。可能性として考えられる答えのひとつを語ってくれただけで、真実は別にあるのかもしれない。真実を知っているのは父さんだけだからだ。
あの村にとっての真実は、『ここには何かがあっても人間には判らない、半妖だけが知っている』。それでいいのかもしれない。
師匠ならどう答えるだろう。
「黙っているのは答えたくないから、でしょうか。その顔、あ、もしかして私が怖いですか? 聖堂の軍人だから警戒されているのでしょうか?」
オリヴィエールと言う青年は、わたしに純真な治癒師の性格を当て嵌めてみようとしているのかもしれない。
風使いがふたりいるこの場で、囁いたりしたら声は結局届くのだろうな。
「道に迷ってしまいました。ただそれだけです。」
「こんなところで、道に?」
苦し紛れにもほどがある。
驚くのも無理もないか。
「ええ、師匠と、ふたりで散策に出たのです。」
師匠と顔を見合わせる。即興のお芝居開始、吟遊詩人の師匠ならできるかな。
人数をあえて言うことで、仲間が他にいると匂わせてみる。
「そうです。こんな場所まで来てしまいました。」
なりゆきの嘘を、師匠は意図を組んでくれて話を広げてくれた。
「この近くの村の春の女神さまの神殿へお参りをしに来たのです。私たちは婚約していますから。」
「ふぁっ?」
「ふぇ?」
オリヴィエールとわたしが妙は声を出して驚くのを、師匠はおかしそうに見ている。
「いけませんか?」
「バンジャマン卿が婚約…!」
「ふぇえ…、」
よりによってそんなお芝居にしなくてもいいじゃないですかっ! と心の中で突っ込みを入れて役割を考える。『治癒師で庭園管理員の師匠の婚約者でこの村へは春の女神さまの神殿へお参りに来た』って、確かにそういう一面がなくはないけど、師匠の婚約者っていう設定、わたし自身も忘れていた。
もしかして公的な機関に向けてはこの設定で行くつもりなのかな。ちょっと現実離れしすぎてない?
精神的にはかなり大きな大きな嘘なのに、オリヴィエールには妙に納得されてしまった。
「それはおめでたいですね。私はブロスチから来たのですよ、情報を元に捜索をしてこの付近を辿ってきたら、ここいら一帯の環境が妙な具合で。山の状態からすると水の供給量に違和感を覚えたので、仕事半分、自分の好奇心半分でここまで来たのです。」
そうだよね、水の量がおかしいよね。誰も今まで指摘してこなかったのは、風水師が王国ではありふれた職業ではないからだよね。
「治癒師を探していらっしゃるようですが、仕事、ですか?」
「そうです。ちなみにその村って、この山を越えてもいけますか?」
「私たちは散策がてらにここへ出てしまいましたから、案内しましょう。」
「助かります。昼食を食べそびれてしまったんですよ。村へ行けば食事が出来そうです。感謝します。」
内心ほっとしながらも、わたしは愛想よく師匠とオリヴィエールが歩き出すのについていく。
あの分水嶺を結界で見えていないのならこの人は魔力を持つ純粋な人間だと考えてみて、公国近くの領出身なら公国人を親に持つ王国民なのかもしれないなと推測した。
※ ※ ※
塀の一部に馴染んでしまっている扉を目指して、師匠はオリヴィエールとわたしと共に森の中へと足を踏み入れた。さっきとは別の、小川が見えない木々の中の獣道を歩くので、頼りは塀に残っているというわたしの匂いだけらしい。
本当に残っているのかどうかはわたしには判らない、だけど、妙な責任感が湧いてきて冷や汗が流れる。
これは、いざという時に頼りになる個性的な体臭の持ち主として残っておいてほしいと願うべきなのか、体臭少なめな可憐な印象を期待して風化しておいてほしいと願うべきなのか。もうこんなこと考え始めている時点で乙女としてダメな気がする。師匠を恨みたくなってくる。
時々わたしを振り返る師匠の説明を聞いたオリヴィエールが同じように振り返ってニヤニヤしながら「羨ましい関係ですね」と言ったので、思いっきり睨んでおいた。そんな甘い関係じゃないのだ、残念ながら。
師匠は小さく笑うばかりだ。わたしは気を取り直してオリヴィエールに問いかける。
「お探しの治癒師は見つかりそうですか?」
「…今回も恐らく、あと数日待たなくてはいけないかもしれません。」
「どうしてですか?」
オリヴィエールが黙ってしまったので、師匠は「聖堂の機密事項なのですね?」とだけ確認する。
「そうです。」
「ビアを名より先に治癒師であると確認したのは、もしかして勧誘ですか?」
「そうです。」
意外と素直だな~。
「攫われた治癒師の代わり、でしょうか。」
沈黙してしまったオリヴィエールは、もうわたしを振り返ったりもしなかった。本当に素直だ。
「まあ、いいとしましょうか。この先にある塀の出入り口はうっかり見つけてしまったものですから、くれぐれも内密にお願いします。私たちはあの村の人間ではありませんから。」
「そうですね、恩を仇で返す様な真似はしません。」
「この村は、ブロスチみたいな不文律もないみたいです。」
何気なく言ったわたしの言葉で、いきなりオリヴィエールが立ち止まった。
「この先の村って、もしかして、」
「アンテ・ヴェルロですよ?」
目を見開いて絶句して、オリヴィエールは顔を青くする。
「いけません、無理です。いけません、」
慌て始めたオリヴィエールの様子に、知っててきたんじゃないの、と言いかけてやめる。
どうやら、来てみて初めて情報通りの事態に驚いたといった表情だ。
あの村の仕組みを知っているのかもしれない。
「どうしてですか?」
もどかしそうに尋ねた師匠に、頭から水でも被ったみたいに汗をだらだらと流しながらオリヴィエールは何度か頭を振った後、「すみません。戻ります。急用を思い出しました」と理由を尋ねる間もなく背を向けて山の頂上へと向かって走り出した。
「オリヴィエール?」
呼びかける師匠の声に、「必ず改めてお会いしましょう、その時まで」というオリヴィエールの声がやまびこのように重なってきた。魔法で声だけを届けたようだ。
「なんでしょうね、一体。」
水が飲めない以上の理由があるのかな。
見送るわたしと師匠は、オリヴィエールの姿が森の先の稜線を越えた向こうへ消えてしまうまで動けなかった。
塀まで戻り出入り口を発見して村の中へと戻ると、甘い水の香りが塀の外側よりも感じられた。村の空気全体に甘い香りが含んでいる気すらしてくる。こんなところに長くいたくない。飢餓感が復活してくるのは辛い。
匂いの理由が判ってしまうと、我慢する方法も思い付ける。別の匂いを嗅いで気を紛らわせ、食欲を相殺してしまうのだ。
カバンの中にある退魔煙の練り香を手に握って、手に移る匂いを嗅いで、複雑な香りを分析して冷静さを保つ。
「ビア? 大丈夫ですか?」
変な行動をしていると師匠は思っているんだろうなと思うけど、否定する気も起きない。人として理性を保つ方が最優先だ。
「ええ。」
匂いはどんどん甘くなる。もっと感覚がおかしくなってしまうなら、練り香を噛んでみようかなとまで考えていたとは言えない。
「この村から早く出ましょう。オリヴィエールが戻ってこないうちに。」
この村から出ましょう。帰れなくなる前に。
真剣な表情の師匠に、心の中で呼びかける。
「ビア?」
「それがいいと思います。」
心配され過ぎると面倒なのね。
妙に実感しながら、師匠と一緒に薄暗いブナ林の中を黙々と、急げるだけ急いで手足を動かして歩いた。
「もう、こんな時間なのですね。」
ブナ林を抜けてデイライド爺さんの家まで戻ると、空は柔らかな夕焼けに染まり始めていて、師匠が「帰りますか」と言った。
養魚場や母屋を探索し終わっているのか気になる。ファーシィが戻ってきたかも、気になる。
本当に、帰ってしまっていいのかな。
一晩水を飲まないようにすれば我慢できるかもしれないのに、自分の都合を最優先に考えてもいいのかな。
「ビア、どうかしましたか?」
「…帰ってしまうと、このままファーシィに逃げられてしまう気がするんです。」
仲間を助けてと言ったファーシィを助けてあげられないまま、わたしたちはすれ違ってばかりいる。
「あんな別れ方のまま、このまま会えなくなってもいいのかなって不安になるんです。」
一度は助けようと決めたのに、こんなのって、不誠実な気がする。
「ビア、」
師匠は小さく溜め息をついている。
「この村へ来た当初の目的は、教えてもらった輝石を得ること、でしたね?」
「はい。」
「私たちの目標は、アンシ・シへ向かうこと。…逃げてしまったファーシィを追うこと、ではありませんね?」
この村でファーシィに再会したのは奇跡で、師匠の精霊を撒くつもりで逃げたファーシィをこのまま追い続けるには、正当な追いかける理由が必要になってくる。
わかってる。
同じ探すなら、マハトだ。
「…そうです。」
「私たちは明日にはミンクス領に向けてブロスチを出る、そうでしたね?」
あの街へ行かなくてはいけない。レゼダさんやアレハンドロと合流しなくてはいけない。
わたしを待ってくれている人たちを、待たせてはいけないって判っている…。
「ビア?」
「念を押されなくても、判っています。」
口答えしてみて、わたしは自分が心の奥底では納得していないのを自覚して、せっかく見つかったファーシィをこのまま見捨てていこうとする師匠に少し腹を立てていて、でもファーシィに拘る理由が自分でもうまく説明できなくてモヤモヤとしていた。
なんだかスッキリしない気持ちで養魚場の傍を抜けて、わたし達は母屋へと戻った。
物音が、しない。家の中からは人の気配が感じられない。
灯りをつけないのは他人の家だからと言う理由は判る。それにしては、探索を頼んだフローレスとベルムードの気配がしない。
2階にいるかもしれないというコーストの気配もない。ファーシィも、当然いない。
「ビア、」
「師匠?」
同じタイミングで呼び合ってしまって、違和感を感じているのはわたしだけではないのだと知る。
まさか、わたし達がいない間に敵襲でもあったのかな。
閃いた瞬間、そんなはずはないわ、と否定してしまう。暮れていく村ののんびりとした雰囲気はそんな出来事があったようには感じられない。
ドキドキしながら玄関の傍の窓から中を覗いても、薄暗がりに室内がよく判らなくても、人がいないのだけは伝わってくる。
「フローレス? ベルムード?」
師匠が名を呼びながら扉を開けた。
「どこにいますか?」
不安な気持ちで師匠を見ると、師匠は入ってすぐの部屋のテーブルの上を指さした。
整った公国の文字で「村長の家に招待されました。ベルムードと行ってみます」とある。ざっくりとした地図が誰かの手で書かれ、王国の言葉で『オークニ、ここ』、近くに『春の女神さまの神殿』と印がつけてある。誘いに来た誰かの筆跡なのだろうな。
「この文を書いたのはフローレスでしょうか。」
師匠はベルムードだとは思わないらしい。
「公国へ留学していたのなら、文字ぐらい書けるでしょうからね。」
「いつからいないんでしょうか、」
「探索はしていないみたいようです。この空気の感じだと、あの二人はすぐに誘われていったようですね。」
さすが風使い。さすが、職業金持ちの空気を読まない男。
「迎えに行きましょう、」
師匠が足早に家を出たので、わたしも追う。
畦道の傍の池には蛙がゲコゲコと鳴いていた。ブロスチへ戻ったら水の精霊王さまの神殿へ行かないとな、と蛙顔の神官様を連想してしまった。
手に入れた翡翠を見せて、ありがとうと伝えて、アレについて聞ける情報を少しでも得ておきたかった。
ありがとうございました




