59、未分化の半妖の秘密
お祭り騒ぎの祝宴の後、フローレスは宿を用意してくれるとまで言ってくれた。師匠もベルムードも一瞬怯んでいたけれど、「捕まっていたので何も用意できていないでしょう?」と言われてぐうの音も出なかった。
『蒼い蔵』の極親しい者しか知らない宿だそうで、市場からもすぐ近いらしい。こっそり抜けだして水の精霊王様の神殿に行こうと計画していたわたしにとっても好都合だった。
夜更けて酒に酔いつぶれた者が半数を超えるとお開きになった食堂から案内してもらった宿は、外からは普通に民家にしか見えなくて、入り口から入ってすぐの部屋は普通の民家にしては美しい彩の華やかなタイル張りの床で、白塗りの壁も、心地良い大きなソファアも、色艶の良い観葉植物の造形も、美しい透かし細工のランプも、どれも名工と呼ばれる職人が作ったのだろうなと感じさせられる逸品で構成された『寛ぐための部屋』だった。受付のためのカウンターも看板も料金表もなかった。
「この部屋でお待ちください。」
ソファアの真ん中にふんぞり返ってベルムードが座ると、違和感から悪徳商人に見えてしまえるのだから笑える。
「ここは…?」
「ええ。ここは待合です。少々お待ちを。各部屋に内湯がありますから、湯の用意をさせております。」
フローレスがにっこりと笑った。
「本当に宿屋なんですか?」
「ええ。『蒼い蔵』のお客様専用の宿屋なので、客同士の諍いはありません。今宵はビアさんたちだけがご利用されますので、ご安心ください。」
そう言ってフローレスが頭を下げたタイミングで、白い上着の侍女たちがドアの向こうから現れた。
おとなしく案内されて奥へと進み階段を上がると、通りから見て奥に向かって縦長に部屋が4つほど並んでいた。どの部屋も中庭に面していたので、廊下側の窓を開け部屋の戸を開けると、風が通り抜けていく作りになっていた。
一番奥をベルムード、次をわたし、その次の部屋を師匠に割り振られた。見送ろうとしているとなかなかフローレスが帰ろうとしないので聞いてみると、残りの階段の隣りの部屋に今晩は泊まるらしい。
「皆さんに何かあっては困りますから。ここへ泊ってお世話をするようにと言われています。」
「ここは『蒼い蔵』の息がかかった場所なんでしょ? そこまで気を遣わなくていいでしょうに、」とわたしがやんわりとお引き取りを願っても、フローレスは帰ろうとしない。諦めるしかないようだ。
わたしに割り振られた部屋は白い壁に白い天井、板張りの床の上には白いラグと白色の調度品といった風に白色が多くて、ベッドカバーだけが大ぶりの鮮やかな花柄なので女性用の部屋なのかなと思えた。さりげなく廊下を通り過ぎるふりをしてベルムードと師匠の部屋を覗くと、ベルムードの部屋のベッドカバーは緑と黄色の森の木々の図柄で、師匠の部屋のは青い魚の群れが泳ぐ図柄だった。ちなみにフローレスの部屋は黄色の小鳥の大群が羽ばたいている図柄だ。
「少し、散歩に行ってきてもいいですか?」
部屋を見せてもらったついでに本当についでっぽく尋ねてみると、フローレスは油断して「いいですよ」と言ったのをすかさず訂正して、「どうしても、ですか? 一緒にならいいですよ」とベッドに腰かけていたのを立ち上った。油断したままでよかったのに!
「どうしてもです。この近くの水の精霊王さまの神殿に行くつもりです。」
蛙顔の神官と約束しているとは言いにくい。
「ビアさん、さっきの食堂で話題になっていた話をもうお忘れですか?」
「さあ。」
『明い屋根』の人たちが他の家の人たちに話していた噂話のことだと見当をつける。「最近おかしな迷信を口にする者たちがいる」という話で、トリプトさんやゴールディさんも頷いていたので一度や二度聞いた話ではない、かなり広まった噂話なのだろうなとは思う。
「満月まではまだ日にちがありますが、『ビアさんはかなり魔法が使える』と皆知ってしまいましたから、もっと用心してください。」
「大丈夫ですって。『満月の夜に半妖の血を捧げると道が開く』なんて、迷信も迷信、公国では聞いたことないですよ?」
公国人には半妖が結構いるので、そんな迷信があったりしたら、大惨事になりかねない。わたしも半妖だし、そんな凶事がありふれていたなら、夜に散歩なんてしないし、ひとりで旅だってしないと思う。
「王国で半妖は珍しいですから、希少性をさらに強調しているだけなんじゃないですか? 『おかしな奴に捕まらないように身を守れ』って意味の教訓でしょ? だいたい、どこの道が開くんです?」
ウッと言葉に詰まって、フローレスは首を振った。
「だからってビアさん、そんな変な噂があるくらいですから危険なのはかわらないですよね? 『半妖を探す為に魔法を使える者を捕まえるようだ』と『明い屋根』の者たちは言っていたではありませんか。」
半妖を見つけるための魔法なんてない、と答えようとして、魔法を使えるから半妖だと乱暴な判断で魔法使いを捕まえて実験して確かめているのなら、魔法を使える者を捕まえるのは適当な方法なのかもしれないと思ってしまった。
「ほら、ビアさんもご自分で危ないって判っている顔ですよね? 一緒に行きます。いいですね?」
「…仕方ないです、ついて来るだけですからね?」
途中で撒いてしまおうと思いつつフローレスと部屋を出ようとすると、師匠とベルムードに捕まった。ふたりとも、わたしの部屋がもぬけの殻なのを見てフローレスの元へ来たらしい。
「ビア、フローレスとどこかへ行くのですか?」
「…ちょっと夜の散歩です。」
師匠は引き攣り笑いをしている。「あんなに魔力を使ったのに、回復しないでまた出かけるつもりですか? 何を考えているんです?」
「あの、いえ、その、」
「ビア、バンジャマン卿に怒られるって知ってていくんだろ、もちろんそれは記録させたくないようなことをするんだよな?」
すっかりわたしの性格と傾向を読み始めているベルムードに言い当てられてしまう。
「えーっと?」
「しらばっくれてもダメです、ビア。フローレスを騙そうと思っていましたね?」
「え、いや、その?」
「フローレス、ビアはこう見えて大人の女性です。子供の無鉄砲と甘く見てはいけません。魔法使いが夜に出歩くなら何かの術をし掛けようとしているのだと思わなくては!」
「え、いや、師匠、術はし掛けません。本当に水の精霊王様の神殿に行くだけなんです、」
「本当なら、一緒に行ってもいいですね?」
「えー、」
「ビア、違うのか?」
ベルムードがニヤニヤと笑う。「まさかそこで誰かと落ち合うのか?」
ドキッとして息を飲んで、「あたりですか」と師匠にまで見破られてしまった。ここは正直に白状しておいた方がいいような気がしてきた。
「水の精霊王様の神殿の神官様に、祝福を頂く約束をして貰えたのです。」
「へー、夜に! へー、秘密にか!」
「ベルムード、騒ぐと煩いですよ? ビア、明日にはこの街を出てしまうかもしれないですから、その判断は妥当ですね。」
師匠は冷静に納得してくれて、むしろわたしの方が驚いてしまった。
「なんて顔をしているんです、ビア。ファーシィがいないのだから、当初の予定通りにミンクス領へ向かうのが無難でしょう?」
明日、もう次の街へ移動してしまうのかと実感してしまうと、衝撃を受けてしまった。
わたしとしては『ファーシィがいてもいなくても風竜王様の神殿もしくは春の女神さまの神殿を探しておきたいし、神官のいる地竜王さまの神殿も探しておきたい』と思えてきた。もっと望めるなら、わたしの身近に隠れているという風の精霊王さまを見つけ出して、風の精霊王さまの廃殿になっていない神殿へ報告に行って、賭けに勝ちたい。この街には未練はないけど、まだ用事が済んでいない気がしてきた。
「明日は朝から忙しくなるな。馬車の手配が待っているってわけだな。パトロンのベルムード様の出番がやってきたな。」
ベルムードが確認するように尋ねると師匠は頷いていて、フローレスには「そのつもりで明日にはここを引き払う予定でいます」と告げていた。
「この街での記録はなかなか面白かった。道中、内容を確認するのもいいかもしれない。いいぞ、私はその予定で構わない。」
もしかして、わたしだけが馬車旅に乗り気じゃない状態なのかなと思えてきた。ミンクス領に入ってレゼダさんやアレハンドロと合流してしまえば王都を抜けてアンシ・シへと直進が待っている。日程的にもそんなものなのかなと思う。
「そうですか。ビアさん、最後の夜の散歩になりますね。」
しんみりとするフローレス。
「これは一緒に行かない訳にはいかないよな、ビア、」
ベルムードは揶揄うようにはしゃいでいる。
ふたりの明暗が分かれていて、別れに対して思うものが違うのだと判ったのもあって、ふたりから一緒に行きたいと言われてしまうと嫌だとは言えなくなってしまった。そんなつもりじゃなかったんだけどな。
「不服そうですね?」
「いえ、気のせいです、師匠。」
ホントは、ものすごく焦り始めていた。わたしはまだ救いの手になれていないし、インテーオ様との賭けにも勝っていない。時間ばかりが過ぎていっているのだと実感してしまって、もどかしい…!
「そうですか。そんな夜もありますよね。」
訳知り顔な師匠に少し腹が立ったので、口を尖らせて答えずにおいた。
わたしたちは水の精霊王さまの神殿へと向かうことになった。路地裏を抜けて辿り着いてみたとして、はたして彼らがあの蛙顔の神官の姿を見えるのかどうかは、行ってみないと判らない。
※ ※ ※
夜がすっかり深いのもあって多く並んでいた店はどこも雨戸が閉まっていて、窓から零れる灯りも何もなかった。うっすらと見える細い月の明かりと、どこかから聞こえる犬の遠吠えとを聞きながら市場を抜けて、水の精霊王さまの神殿のある区画へと向かう。
民家の少ない周辺は明かりもなく、暗い木々の風に葉が揺れる音ばかりで、フローレスが手にしていたランタンやわたしや師匠の爪先に灯した『灯火』の魔法のおかげでぼんやりと周囲が見える程度だった。
昼間来た時、木々はこんなに深くなかった印象がするのに、まるで森の中に迷い込んだように出口が見えなかった。
「木の間を行きますから、はぐれないようにしてくださいね」と言いながら先を行く師匠とフローレスの姿が急に見えなくなると、後についてくる気配も消えてベルムードの姿もなくなった。
わたしはひとりになっていた。
ここはもしかして誰かの術の中なのだと察せられた。
水の精霊王さまの神殿を自由に使えるのなら、あの蛙顔の神官の術の中なのかもしれない。
術の中なのだと自覚してしまえば、ひとりになった恐怖よりも、選ばれたという選民意識が芽生えてきて、わたしにだけ用があると言ってもらえているのだと思えてき始める。
つい最近風の精霊王インテーオ様に同じような扱いを受けたはずなのに、そんな風に感じて平気なのだから不思議だ。あの時は恐怖と心のどこかに理不尽さに対する怒りや情報が把握しきれていない苛立ちがあったのに、今は、『わたしに術をかけているのは父さんの古い仲間である蛙顔の神官なのだから大丈夫』という楽観的な予測と、『何を教えてもらえるのかな』という甘い期待がある。
昼間はこんなに歩いていないのだから、ここはやっぱり術で空間をつないだどこかだと思えた。さくさくシャリシャリと歩く足の下から溶け始めた雪を踏みしめてぬかるむような感触がしてきて、やがて、木々を抜けた。
空が広くて、池の水面には月の光がほんのりと揺れている。
あれ? ここは昼間に来た水の精霊王さまの神殿だよね…?
真ん中に神殿もある。しかもうっすらと細い橋が架かっている。
ケロケロケロと笑う声が聞こえて、いつの間にか神殿を背に、橋のたもとに蛙顔の神官の姿が見えた。
「こんばんわ。お約束通りに伺いました。」
「ああ、オマケもついてきていたようだね。」
「すみません。夜道をひとりではいかせないと言われてしまったのです。」
「構わないさ、昼間のようにならないかと心配したのだろ?」
ケロケロケロと笑って、蛙顔の神官は「邪魔されたくなかったから他の者は別の神殿に向かってもらった。少し、手間取ってしまった。待たせてしまったのはそのせいだ。すまないね」と空の向こうを指さした。
「完璧にいかなかったかもしれない。そのうち気が付いてここへ帰ってくるだろうよ。」
退魔師でもある師匠の影響かな。
そのうちって、いつだろう。
質問の答えを聞く前だと困るな。
眉間に皺を寄せたわたしに、「それまでに済ませてしまおうか」と蛙顔の神官は手招きをした。
細くて脆い橋を先にわたる神官に恐る恐るついていくと、池の中央の神殿の前に出た。池の向こうから見るよりも小さくて、階段を上って中に入ると、外から見たまんまに一部屋しかない神殿だった。天井にある大きな明り取りの窓から床には月の明かりが差し込んでいた。
「祝福をしてあげよう」と言ってもらえたので、わたしはおとなしく跪いた。
蛙顔の神官が小脇に抱えた升から手水をわたしに向かってふりまくと、キラキラと月の光に水が光の粒になっていくように見えた。
わたしの中に、とろりと甘い砂糖水のような魔力がなみなみと注ぎ込まれていく感覚が伝わってきて、魔力が回復していくのが実感として判った。
「ありがとうございます…!」
一晩寝ても全部回復するかはわからないほどに癒しの手として働いたのもあって、空になりかけていた魔力が回復するのは嬉しい。
「さて質問は、どうしてこの神殿で神官をしているのか、だったかな。答えられることしか答えないけど、それでもいいかい?」
「大丈夫です。他にも、聞いてもいいですか?」
「ああ、アイツが代わりに言わせたいことだろ? 」
蛙顔の神官はケロケロと笑った。
「お嬢ちゃんは、どっちから聞きたい?」
どちらかひとつ、と後から言われても困らないように、わたしは「父の話を先にお願いします」と頭を下げた。
※ ※ ※
「私の正体を、お嬢ちゃんは気が付いているのだろう?」
あれが本当に正体と言えるのか確信したくなくて『はい』と答える気にもなれず、「なんとなく」とだけ答えておいた。
「お嬢ちゃんは、アイツの子供だ。つい最近、分化が確定して女性態になった。そうだね?」
「そうです。」
地の精霊王ダールさまにご褒美として手助けしてもらった、と言えるかもしれない。
「ふう、」
「いかがされましたか。」
「お嬢ちゃんは女の子だ。アンタは、年老いて不滅のために心を失いつつあるものではない。」
「どういう意味ですか?」
「お嬢ちゃんに、『同じ仲間だが、守る相手でもあり守らなくてもよい相手でもある』と言ったのは覚えているかい?」
「ええ…、父さんと同じ仲間っていう意味なのかなと思ってみても、よく判らない言葉だなと思いました。教えてくださるのですか、」
「なんと言えば苦しまなくていいのか。そうだな…、お嬢ちゃんは属性をふたつ持っていただろう?」
「持っていると思います。」
「…違うな。」
ん?
現在進行形でわたしは属性をふたつ持つ半妖なはずだけど?
困った顔になって、蛙顔の神官は首を傾げた。
「お嬢ちゃんは、自分が一度死んでいるのは知っているかい?」
ありがとうございました




