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46、一方的に掛けられる術はなんて厄介

「ビア、これからしばらくの間、アンタの時間を貰うからね、」

 瞬きをする間に元に戻った感覚に目を白黒させていると、後ろからポンと肩に手を置かれた。ベルムードだ。

「ベルムード、何を言って…、」

 彼の反対側の掌の上には逆さになって落ち始めた砂時計が見えた。もの凄い勢いで砂が落ちていっているのが一目でわかる。

「試しにビアの時間を記録させてもらう。心配するな、心が動揺した時しか記録しないから。普段通りに普通に過ごしていれば何も残らない。」

「お前、」

 師匠が怒りで顔を険しくしながらベルムードの手をわたしの肩から払った。

「こんな風に術をかけるとは卑怯ではありませんか、」

「だってアンタたち、素直に応じてくれなさそうだし。不意打ちしかないなって思ってたんだよね。」

「ビアに危害を加えるつもりですか、」

「何も起こらないよ。アンタたち、『人間は時間の澱である』って考え方、知ってるか? 人間は時間という概念が蓄積した時の塊なんだって言う考え方さ。生きている限り毎年年を取るだろう? その年の積み重ねが人間だ。判るか?」

 明るい表情でベルムードは無造作に小物入れの中に砂時計を仕舞った。

「この砂時計の仕組みは簡単、ビアという生き物の中に溜まっていく時間をこの砂時計が一時的に預かってビアの見て体験した出来事を記録するだけだ。しかも私が気に入れば何度でも繰り返してその一日を追体験できるって寸法だ。」

「そんな事をして、何の意味があるんです?」

 目を細めて師匠は低い声で尋ねる。静かに怒気が伝わってくる。わたしの身に起こっていることなのに、自分に起こった凶事みたいに怒ってくれている。

「ビアの記憶が、それでは一日分なくなってしまうではないですか。」

「一時的に砂時計が預かるだけだよ。記憶を貸し出している者と借りて見ている者とがいると思ってくれて構わないな。そうだ、それが一番伝わる言い方だな。私がまた次の体験をこの砂時計に記録させると記録され直して、一時的に貸し出されていた記憶は元の持ち主に自分の記憶として戻るんだ。」

 本の貸し借りなら理解できる感覚でも、本人が提供したいと言って貸し出す記憶ではなく一方的に借り上げられる個人の記憶の貸し借りは、正直に言って気持ち悪い。自分の中の秘密も何もかもが、自分の基準ではない他人の基準で識別される辺りがすごく不快だ。

「それ、今すぐ解除できないんですか?」

「できなくはないが、したことがない。」

「どうして?」

「この砂時計を割らないといけないからだよ。さすがにクアンドのライヴェンを割れる勇気は今まで誰も持ち合わせていなかったからな。」

「ああ…、それで…、」

「そんな顔せずに、普通に一日を過ごしてくれ。あと半日ほどで日没だ。日が変わると記録は強制的に終了するから、このまま穏やかに一日を終えてくれればいい。」

 無茶苦茶だわと思ったけれど、わたしにもクアンドのライヴェンを壊せる勇気はないので一日、いや半日を耐えると諦めるしかなさそうだ。

「ビア、よろしくな、」

 図々しいまでに明るいベルムードは、「心配するな。痛みはないし感覚が狂うなんて違和感もない。その代わりと言っちゃなんだが、私が旅費のすべてを面倒を見てやるから安心しろ、」と笑った。

「閣下の仰ってた金持ちってこういう意味だったんですね、」

 師匠に同意を求めるように尋ねてみると、師匠はまだ不快そうな顔をしたままでいた。

「でしょうね。ですが、さっき、試しと言っていませんでしたか?」

「あ…、もしかしてこの先何度もこういった座興に付き合わされるのですか、」

 いくら金持ちでいくら王侯貴族と縁があっても、ベルムードという男を好きになれる気がしない。

 沈黙してしまったわたしと師匠とを見比べて、ベルムードは「で、今日はどこで宿をとるんだ? まさかこのオルフェス領に留まり続けるつもりでもないだろ?」と軽い口調で言った。

「師匠、この男とこのまま旅行するの、ちょっと嫌です。」

「あ、ちょっとでいいの? ビアは寛容だねえ!」

 しかも自分で言う? 嫌がられることをしている自覚あるんだ、この人。

「訂正します、かなり嫌です。」

「ビア、機嫌直しなよ、そうだ、今夜の宿は豪勢に泊まろう! 金はいくらでもあるからさ。」

 カネカネ煩いな。

 わたしはムッとして、同時に、ここがオルフェス領ならと思い出す存在があった。

「…師匠、このままミンクス侯爵領のエルス村を目指すんですよね? 少し寄り道したいのですが、いいですか?」

「ええ、そのつもりです。幌馬車を買うかこの街から出る隊商に混ぜてもらおうと思ってましたから、ビアの用事を先に済ませましょうか。」

「ありがとうございます。」

「へー、ビア、どこへ行くつもりだ? 公国人なのにこの国(スヴィルカーリャ)に詳しいのか?」

 ベルムードの質問になんと言って答えるのがいいのかなと思って何も思い浮かばなくてわたしは黙った。

 1周目での体験をすべて話すと長くなる。何でも話せるわけでもないし、話せないことも多い。特に師匠のような公僕の体制側の人間と一緒にいる時には黙っておいておいた方がいい体験だってある。何しろわたしは悪い魔性の子供だ。

「ビアは冒険者ですよ? もう忘れたのですか?」

 呆れたように言う師匠にベルムードは「そうだったな。冒険者は剣士かオッサンかって印象が強くて。すまないな」とニカっと笑った。


 ※ ※ ※


 オルフェス領の市場でさっそく師匠が駅馬車に交渉してくれて馬車で向かった先は、マスリナ子爵領だった。竜を祀る国・王国(スヴィルカーリャ)の南西部にあってフォイラート公爵領の近くにある。

 お金をいくらでも出してくれるというベルムードの申し出を断って、良心的な料金の馭者を選んで乗り込んだ。

 貸し切りではないので、4人乗りの車内にはわたし達以外には人の良さそうな若者が乗っていた。茶金髪に緑色の瞳の素朴な印象で身に着けている物や外見から、神学生か良家の子息だろうなと想像できる。

 わたしの隣りの席にベルムード、師匠とその若者とで並んで座っていると、若者は黙って瞳を閉じて寝たふりをし始めていた。何故寝たフリと見破れたかというと、わたしたちの会話で瞼が動いているのが見えちゃったからだ。進行方向に座る師匠は窓の外を見て会話に参加していないので、わたしとベルムードの会話を二人して聞いているといった感じだ。

 わたしはそんな状況に気が引けてあまり話したくないのに、ベルムードは気ままに話をしている。懐かれてしまったみたいだ。あんまりは嬉しくない。

「マスリナ子爵領…、なんだってそんな小さな領地に、」

 ベルムードは不満そうだ。「同じ行くならフォイラート領が良くない? 今から変えないか?」

「嫌です。マスリナ子爵領に用事があるんです。」

「馭者に聞いたんだけど、すぐ近くにあるジルベスター伯爵領には立派な風の精霊王を祀る神殿があるって話だ。そっちに行かないか?」

「嫌です。」

「風の精霊王さまねえ…、ま、興味はあるけど私は皇国(セリオ・トゥエル)人だから女神さまへの信仰の方が篤いんだよね。」

「それなら余計に行かなくたって平気じゃないんですか?」

 わたしも用事はないけど、オルジュは喜びそうだ。そういえばオルジュ、王の庭(パレス)で別れてからまだ姿が見えない。父さんが何かさせているのかな。

「何もないマスリナ子爵領よりマシだと思うんだよね。」

「…。」

「なんだってそんな小さな領地に、」

 同じ会話を繰り返し続けるのかな。わたしも寝たふりをしようかしら。

 返事をするのも飽きてきて、わたしも流れていく窓の外の景色を眺めて黙る。相槌を打つわたしが答えなくてもベルムードは「馭者に聞いたんだけど、」と呟き始めたので無視すると決める。本当に砂時計に記憶されているのなら、この会話を記録して何が面白いんだろう。

 窓の外に見える木々の間を飛ぶ鳥が見えた。黒くて大きな鳥なのでつい目で追ってしまう。鷹かな。離れていかないなと思ってみていると、馬車に並行して移動しているのだと判ってくる。火の国(スパーク・)回廊(エクスプレス)での鳳凰を思い出して、今日はやたらと鳥に縁がある日なのだわと思う。

「あの鳥もオッドアイなのかな。」

 息が詰まったように咽た後、ベルムードが「オッドアイ? オットセイ?」と、繰り返していた一方的な会話を中断してわたしの言葉を拾って首を傾げた。

 訂正する気も起らなくて黙って睨むと、ベルムードは「冗談だって。そう怒るなよ。次の街で宝石買ってやるからさ、」と肩を竦めた。

「いらないわ。」

「そう言ってもビアも女だろ、宝石、嬉しいだろ、」

「いらないです。」

 特にあなたからは貰いたくないわ。心の中で付け加えておく。

「その群青色の石(ソーダライト)よりいい石を買ってやるぞ、」

「いらないです、」

 母さんに譲ってもらった大切な石に値段なんてつける気はない。わたしにとっては先祖につながる石で、これ以上に価値のある宝石はないのだ。

 もう話さないと決めて無視して窓の外へと視線を向けていると、あの黒くて大きな鳥はやっぱりついてきているようで、何か理由でもあるのかしらと思えてきた。

 鳥は風属性の魔法使いの下僕や風の精霊や風竜の仮の姿だったりもする。

 考えられるのは鳥使いのイリオス? それとも風の精霊のオルジュ? 

 わたしの知っている風使いはあとは目の前にいる師匠だけだし、あとはアリエル様? 

 なんだろう。

 考え込んでいるうちに馬車は街道を抜けてマスリナ子爵領へと向かっていた。マスリナ子爵領は小さな領地で、乗り合わせていた若者の行き先との関係で子爵領に入る前に馬車を降ろされてしまった。馬車に残った若者に手を振って別れると、彼は恥ずかしそうに瞳を伏せてまた寝たフリに戻ってしまった。


 マスリナ子爵領の領都であるヨースの街は風除けのイチイの木で囲まれていて、検問所で冒険者の指輪を見せるとわたしはすんなりと通して貰えた。検問所を出て街への道で待っていると、師匠は何かを揉めた後で抜けてきて、何かを揉めていたベルムードはやっと出てくると軽く笑って肩を竦めていた。

 不快そうな師匠はムスッとしていたままだったので、敢えて師匠に「何があったんです?」と尋ねてみる。

「賄賂です。賄賂を要求されました。」

「こんな昼日中からですか?」

「ええ、こんな昼日中からです、払いませんでしたけどね。」

 だから不愉快なのねと納得して、ベルムードが不快そうでない理由に思い至る。

「まさか、ベルムード?」

「ああ、払っておいたぞ。お前たちの分も。合わせて3人分賄賂を置いてきた。」

「どうしてですか、」

「ああ? この方が旅は面白いぞ、賄賂でいくらでも待遇が変わる。」

 真面目な師匠はますます不快そうな顔色になってしまったので、わたしは話を打ち切って歩き出した。価値観が違う人のやり方をどうこう言っても一緒に旅を続けるなら実害が出るまで見逃してもいい気がするけど、師匠は実害が出る以前の時点で決別したそうだ。そうしたくても実際は閣下から預かった人物なので仕事と我慢するしかないのだ。かわいそうに。

「どこへ行くんだ?」

「ビア、そろそろこの街に来た理由を話してくれてもいいのではありませんか?」

 今は5月の中頃で、1周目の世界ではわたしはシューレさんと仲間になっていて、この場所にはいない。だけど、この場所にはこの時点でいるはずの人がいる。

「会いたい人がいるんです。」

 街の中へ進んで、その人のいそうな場所へと向かう。

「知り合いですか?」

「ええ、知り合いになります。」

 2周目の世界ではまだ顔見知りなだけだ。


 見つけた。


 街一番の大きな構えのその店は、食料品から日用雑貨まで細々と揃えが利いていて、だけど、わたしがその人と取引を始める前に話を聞いていたように、閑古鳥が鳴いている有り様だった。

 1周目の世界で、わたしは彼と商売をしていた。

「リバーラリー商店?」

「ええ、ここであってます。」

「私が買い取るのか?」

「いいえ。」

 店に入る前に、師匠とベルムードに念を押しておくと決める。

「この店に入ったら、師匠とベルムードはわたしの従者のふりをしてください。決して声を出さないで。いいですね?」

「何をするつもりです、ビア、」

「まさか強盗?」

「見ていればわかります。いいですね?」

 睨みつけると黙ったベルムードはともかく、師匠は不服そうだ。こっそりと小声で「危ない橋は渡りませんから」と伝えると、少しだけ顔の緊張が和らいでいる。師匠は本当に慎重だ。こんなに堅物なのに吟遊詩人なのだから適性ってよく判らない。


 店の中に入ると、カウンターの中にいる女性店員は何かの書物を眺めていて「いらっしゃいませ」とも言わない。商品はいつから置いてあるのか埃が被っていて、食料品もわずかだったりする。

「これが店か?」

 呟くベルムードの脇腹に肘で突くとへへっと笑って黙ってくれた。ベルムードの人間性に関してどうしようもないクズだとスタリオス卿は言わなかったけど、言わなくても伝わると思ったんだろうなと思えてくる。

 女性店員の他に店員はいない。カウンターまで行って「ロディスに会いたい」と告げると、顔をあげた女性店員に目を見開いて驚かれてしまった。

「ご用件は、」

「会って直接伝えます。」

「お約束は?」

「ありません。」

「お引き取り下さい、」

 当然だよね。仕方ない。

 わたしは女性店員の耳元に顔を近付けた。

 囁くと、顔色が変わった。当然だろうなと思うけど、風使いの師匠は聞いていそうな気がする。

「…少々お待ちください。」

 女性店員はわたしと師匠、ベルムードの顔を見てまたわたしを見て、大慌てで「旦那さま―!」と店の奥へのドアを開けて走っていってしまった。

「なんだ、あれ、」

 ベルムードが面喰ったように呟く。

「し―っ!」

「こんな潰れそうな店のあんな程度の低い店員って、ビアの審美(エステティック)(・センス)は確かなのか、」

「どうしてそう思うの?」

 店を鑑定して買ったことがあるとでも言いたそうな発言に、わたしも思わず反応してしまった。

「聞きたい?」

 いかんいかん、この男のペースに乗せられてしまいそうだ。

「黙って。」

 店の奥から足音が聞こえてきて、1周目の世界ぶりに見たロディと秘書のレオノラ、そして女性店員が姿を現した。ふたりとも、1周目のわたしと取引をした頃よりも精彩を欠いている。

「お待たせいたしました、あなたが、あの?」

「ええ、その本人ですよ?」

 わたしは軽く手をあげてにっこりと微笑んだ。

ありがとうございました

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