41、地の精霊王さまに褒美をもらう
「ついたぞ、」と肩を揺らされて目が覚めた。
1周目での聖堂での人間関係を思い出そうとして考えているうちに、いつの間にか眠っていたみたいだった。ラボア様からの命令を理解していても、まだわたしは聖堂への潜入を諦めていないみたいだと自覚してしまう。
馬車のドアが開いて、夕焼けに照らされた執事や騎士の姿の向こうに、師匠やレゼダさん、アレハンドロが見える。
急いで降りると王宮の前の馬車寄せで、吹き抜けた風の中に久々の公都の独特の空気感と香りを感じる。振り返ると、塀の向こうに公都の暮れていく空が見えた。
空を飛ぶ鳥に混じって精霊が空を泳いでいるのが見える。公都へ帰ってきた。あの太陽の沈んでいく空の、公都の端にあるわたしの家には、母さんがいる。いつか作ってくれた夕食のスープが思い出されて、早く家に帰りたいという気持ちがむくむくと湧いてくる。
「お前はどこでも眠れるのだな。呆れた奴だ。」
馬車の揺れに変化がなくて、火の国回廊がどこから街道に切り替わっていたのか判らなかった。
「疲れていたんです、きっと。」
近寄ってきた師匠がスタリオス卿を睨みつけて「閣下が質問攻めにしたのではありませんか、ビアを尋問でもしたのですか?」と尋ねると、スタリオス卿は「気にするほどではない」と言って笑った。
似たような経験をしたとは言えず、わたしは黙っておいた。
王の庭に戻ってきてほっとしたのもつかの間、夕食前のお時間なのではと思い出す。
急いでラボア様にお目通りをお願いすると、少しだけ時間を頂けてお会いできた。久しぶりに見るラボア様は相変わらず軍服姿が凛々しくて、細かく編み込んだ髪に乱れがひとつもなく顔立ちがはっきりとよく判って、目の下のクマも疲労もはっきりとよく判った。なんでも妖華フローラさまが王国に出国されているので警備に人員が割かれているうえに業務の依頼がすべてラボア様の元へ流れてきていて、通常以上の忙しさをたったおひとりでこなされていたそうだ。部下であるスタリオス卿とバンジャマン卿がいないので振り分けられずにこなされていた当然の結果だと思うと、わたしは想像していた以上にラボア様の足を引っ張っていたのだと心苦しくなる。
ラボア様は落ち込むわたしの姿を上から下まで黙って観察された後、淡々と「ご苦労だった」とだけ言ってくださった。申し訳なさになんだかちょっと泣けてきてしまって唇を噛み締めていたら、「ビア、明日まで休暇を与える、ゆっくり休め。帰ってもいいぞ」とまで労ってくださった。口調の冷たさが内容の暖かさと差がありすぎる。ツンデレという性格だ、きっとそうだ。
「ビアはよくやった。この者たちに代わりに報告させるから心配するな、ゆっくり休め。いいな?」
「バンジャマン卿が代わりに働くさ。」
スタリオス卿はニカッと笑う。
「でも、師匠、」
師匠も、お疲れですよね。昨日、眠っていないんですよね?
気になって師匠を見ると、師匠は平気そうに笑っていた。
「明日の朝迎えに行きますから、今度こそ逃げないでくださいね、ビア。」
「うちまで来るんですか?」
「教えてくれないでしょう?」
笑顔でも、じっとわたしを見つめる瞳は笑っていない。スタリオス卿に言われた言葉が頭を過る。この人は、わたしを受け入れてくれたから探しに来てくれた。わたしも、この人を師匠だと心から受け入れてもいいかもしれない。
ちょっとだけ、同情したわけじゃない。少しだけ、師匠がかわいそうに思ってしまったなんて、きっと気のせいだ。
「ビアちゃん、アタシはアレちゃんとバンちゃんちにお泊りするのよ? ビアちゃんも一緒にいきまショ?」
師匠とレゼダさんとアレハンドロとの合宿?
魅力的だけど、今日はそんな気分じゃない。
「ごめんね、レゼダさん。お母さんが待ってるの。また明日、ね。」
「残念ね。ビアちゃんの御両親にご挨拶したいし、アタシもお迎えに行こうかしら。」
母さんはともかく父さんは見られたくないなと今更思ってしまうけど、父さんが家にいるのかどうかわからないし、師匠だけよりはいいかも。
「師匠、わたしの家は公都の南西の…、フユエ園と、シャウラ園と、ギブタブ園の近くです。近くに市場があって下町で馬車が入りづらくて…、市場の前で、待ち合わせしますか?」
もう住所のほとんど白状してしまったようなわたしなりの譲歩を、師匠は驚いた顔で聞いている。
「良かったな、バンジャマン卿、」
スタリオス卿がニヤニヤとしているのが少しムカつく。そんなんじゃないし。そんな関係じゃないし。
※ ※ ※
「またね、ビアちゃん。」
「ビア、迎えにいきますから、」
「師匠、また明日。またねレゼダさん、アレハンドロ。ありがとうございました、閣下。」
手を振ってお別れして王の庭を出ると、マライゾ伯爵が馬車を止めて「お乗りなさい」と声をかけてくれた。中にはパティとリベリアちゃんもいて、イリオスは別の馬車で後から帰るから気にしなくていいと教えてもらった。せっかくだからと乗せて頂くと、マライゾ辺境伯爵が馬車で大通りに近い市場まで送ってくれた。
「本当にご迷惑をかけた、」と何度も謝ってくれお土産までくれた伯爵とは市場の前で別れて、わたしは市場へと入っていった。
もちろん目的は果物屋だった。念願の、リンゴを探すのだ。幸いミロリさんに貰った報酬があるから、高くても思い切って買えちゃうのだ!
もうそろそろいいかなと思ったので、耳の群青色の石のイヤリングを撫でながら「オルジュ」と呼んでみる。
皇国で力を使い過ぎたのもあって復活できるか心配だったけど、オルジュは色鮮やかにヒト型の涼やかな顔立ちをした美しい青年の姿を現してくれた。
「ビア、今日もいい風が吹いているね。」
「オルジュ、やっとだね。」
少し背が高い、流れるような黄緑色の髪を耳の下で揃えたオルジュがわたしを見下ろしている。抱きしめて再会の喜びを分かち合おうとして、わたしにはマハトという婚約者がいる事実を思い出してぐっと我慢する。不誠実な婚約者になるところだった! いくら浮かれていても浮かれ過ぎは良くない。
「市場で買い物をしていこうと思うの。付き合ってくれる?」
「荷物持ち? いいよ。了解。」
公国は花や果物に恵まれた国だ。魔法を駆使して管理が行き届いているので、季節に関係なく一年中好きな果物が食べられる。さっそく果物屋に入って、バスケットに山と盛られたさまざまな種類の果物の中からリンゴを見つける。念願のリンゴを手に取って、赤いのも黄色いのもどっちもふたつずつ買って紙袋に入れてもらう。
旬じゃないので割高だったけど、帰ってきたなあって実感する。
「ちょっと遠回りして帰ろ? リンゴ、食べたい。」
そう言えば朝、ビセンデさんの家で朝食を頂いてから何も食べていないのだと思い至る。無性にお腹が空いてきた。
「そうだね、ビア、公園に寄ろうか。」
近くの川から水源を取っていて水量が豊富で鯉や金魚の泳ぐ睡蓮の池の多い庭園であるシャウラ園に向かって歩きながら、赤いリンゴをオルジュにあげて、わたしは黄色いリンゴを齧っる。念願のリンゴ。シャキシャキした歯ごたえと瑞々しさに酸味もあって、喉が潤う。念願の公国に、胸が満たされる。
人家の灯りは公園の外で、公園の中は細い三日月の明かりだけしかない。星の煌めきに獅子座を見つけて、山の中を思い出す。薄暗いを通り越して暗い世界でも嬉しい街中を、石畳の感触だけで歩く。
石畳には方解石や蛍石が混じった岩石が使われていて、ほんのりと弱い光を放っている。昼間誰かから掠め取った魔力が、夜の闇に儚く姿をみせているのだ。
リンゴを半分程食べた辺りで、のっそりと池の中から顔を覗かせている大きな黒い魚と目が合った。鯉じゃない。鮒でもない。どっちかと言うと、あれはナマズ? もしかして、魚の姿をした水の精霊?
リンゴの茎をつまんで「いる?」と尋ねると、ヒレをわたしに向けてクイックイっと動かした。欲しいのかな。池の中に向かって放り投げると、飛び上がって正確に咥えて受け取り水の中へと持っていかれてしまった。
バシャンと尾びれが水面を打つ音に、反射的に目を瞑る。
「サカナってリンゴ、食べるっけ?」
「公都に暮らしているくらいだし、雑食なんじゃない?」
オルジュに聞いてみると、気にしていない素振りで返されてしまった。それもそうかもしれない。
「遠かったね、皇国。」
「そうだね、ビア。公国とは違うんだって、今更ながら思えてくるよ。」
「同感。」
まずオルジュがヒト型で実体化している。公国語だし、暖かい。果物も山と積み上げられていたし、精霊がヒト型だ。ラボア様は優しいし、何よりわたしの父と母がこの街には住んでいる。
「あんな風に、探索虫も飛んでいるし、」
池にかかる石橋の中央で、誰かが手を広げて虫を放っているのが見えた。
橋の中央に立つのは白い服の小柄な老人だ。両手を夜空に向けて高く上げて、しきりと手繰り寄せているような仕草を繰り返している。
無数の光が流星のように流れてきらめいて、光の数だけ魔力が消費されていく。探索虫だ。
場所が場所だけに、蛍が集まっているみたいに見えた。
ふわふわと飛んできた虫が、わたしにも止まる。
「ビア…?」
何を探しているんだろう。
探索虫はわたしにいくつも止まって、青白く光を放っていく。
淡い光に目が馴染む。
皺だらけの割に美しい顔立ちをした人だ。
視線に顔を向け、わたしに気が付いた表情をしている。
誰だろう。
知らないはずなのに、知っている気がする。
見慣れないその人は、わたしをじっと見て、黙って手招きした。
※ ※ ※
「お前は私の探し物を知っているようだ。」
橋の上に立つ小柄な白いローブを肩に羽織った老人はフードの間から片目を向けてわたしの顔を見た。背の低いわたしから見ても背が低いと感じるのだからよほど背が低い。
でも、どこかで知っている気配がしてならない。わたしが知っているその人とは天と地の開きほども差のある容姿だけど、わたしは魂の記憶としてこの魔力の気配を知っている。
まさか、ね。
「どれどれ、」
わたしに止まって光る青白い探索虫を摘まんで掌に集めると、その老人は息を吸うように情報を読み取った。
あ、わかった。
自分の考えを肯定してほしくてオルジュに唇だけで囁くと、そのようだねと囁く声が聞こえてくる。
地の精霊王ダールさまだ。
わたしの半身に流れる父さんの根源であり主で、地属性の魔力を持つ魔法使いの契約の源だ。立って対等な視線で話しているのは恐れ多くて跪こうと屈むと、「止しておくれ、今のわたしは仮の姿なのだよ、」と止められてしまった。
「どうしてそのようなお姿なのですか、」
「探し物をするにはこの方が楽なのだ。」
「わたしが、その探し物を知っているのでしょうか、」
「…お前はその探し物と接触したようだが、随分と前なようだ。長く一緒にいたようだから情報が色濃く残っていたようだね。」
「お役に立てましたでしょうか。」
半妖でも、主様のお役に立ってみたい。
「残念だがあまり参考にはならなかった。」
「そうですか。」
地の精霊王ダールさまは、わたしの手を取って手の甲を撫でて、「悪いが少し、力を分けてくれんか」と申し訳なさそうに尋ねられた。
「いくらでもお持ちになってください。半妖なので、人間の血が混じっている分、わたしは丈夫ですから。」
「ほっほ、お前は面白いね。お前のそのイヤリングを貸してくれるかい?」
「ええ。」
群青色の石のイヤリングをふたつとも外して手の上に乗せて差し出すと、「悪いね。ありがたくいただいていこう」と主様は石にそっとお触れになった。
一瞬にして魔力が抜けて消えて、ただの石に戻った冷たさが掌の上に現れる。
「どうやら王国の果てに行かねばならんようなのじゃ。移動しながら探索虫を扱うのは骨が折れるのう、」
「王国ですか? わたしがお連れしましょうか?」
マハトを探しに行くついでに主様のお役に立てるのなら、実りの多い旅になる。
ぬばたまのようにしっとりとした夜の闇を閉じ込めた瞳でじっとわたしを見ていた主様は、「いや、やめておこう」と仰った。わたしの打算を読み取ってしまわれたのだ。恥ずかしい。
「お役に立ちますよ、わたし。」
「…あれは私の責任で処理しないといけないものだから、これ以上巻き込まれる者があってはならないのじゃ。」
「主様のためになら巻き込まれても光栄ですよ? わたしは治癒師です。必ずお力になれます。」
手の上にあるイヤリングをポケットにしまったわたしに、主様は優しく微笑んで下さって、手を伸ばされた。
頭を撫でたいけど手が届かないといった雰囲気が伝わってきたので、思い切ってしゃがむと、「お前はいい子だね、」と頭を本当に撫でて下さった。
「お前の父親は呆れ返るほど清々しいまでに身勝手な生き物だが、お前は真っ当に育ったね。魔力を分けてくれた褒美としてお前を縛る鎖を解いてやろう。」
わたしを見つめる瞳には、目の前にいるわたしではない別の何かが見えているみたいだ。
「このままだとお前は明日にも死んでしまう運命だろうから、魔力をもらったのだがな。お前は生きたいと希望を持つのだね? そうか。」
「主様?」
「お前が明日以降も生きていられたら、私の旅を祈っておくれ。よいね?」
びっくりしすぎて、見動きができない。明日以降、生きていられる?
「お前が餌をくれたから、私の当面のアシはうまく北上できるようだ。感謝するよ。」
「ア、アシですか?」
リンゴの、水の精霊のこと?
「ああ。あの者がくたばるまで川を道の代わりに使うつもりだ。」
「妖の道はお使いにならないのですか?」
「行きたい場所が判らないのに使えないだろう。わたしが探しているのはモノだ。」
わたしは王国でモノと接触している…? モノってどんなもの…?
しかも探索虫を使って探すようなモノ? 薬売りのシクストおじさんも、そう言えば探索虫を使って何かを探していた。教えてくれなかったけど、あれは教えられないようなものを探していたんだわ。
「何かお手伝い出来たらよかったんですが、できなさそうですみません。」
「なあに、魔力を分けてくれたし、アシにも餌をくれた。十分だよ。」
主様は笑って手を振って、池の中から顔をのぞかせたナマズのような水の精霊の肩に乗った。
「お前と出会えてよかったよ。ありがとうな、」
「主様、もう行ってしまわれるのですか? もう少しお話を伺いたいです。」
鎖とか明日死ぬとか、謎が多すぎる。
「王国は遠いからね。寄り道もするだろうし、もう行くよ、」
ホッホと笑う声が響いて、主様を担いだ水の精霊の姿が消えた。
辺りには暗い池に時々浮かぶ泡と魚の気配ばかりだ。
「…行ってしまわれたね。」
「ビア、大丈夫?」
「ん? なにが、」と答えようとして、ひどいめまいで体がよろめいた。喉が渇いて仕方なくて、お腹が痛すぎて気持ちが悪い。
「帰ろう、オルジュ、」
「ビア、」
歩き出そうとしてこけそうになったのを、オルジュが抱きしめてくれる。
「大丈夫? どうしたの、ビア、」
わからない。戸惑いながら、オルジュから身を離す。自分の足で立つと膝が震える。体が、わたしの体じゃないみたい。
「待って、回復するから、」
これはわたしの声? ひどく掠れた声に動揺しながらも、自分自身に治癒の魔法をかけてみる。しっかりと意識して師匠の名も織り込んでみた。
魔法陣も詠唱も、間違いなく治癒の魔法を展開したのに、わたしの体に良い変化は何もなかった。
魔法の効果は空振りしていた。
怪我や病気じゃないのなら、この苦しさは、何?
魔力を無駄に消費した失敗感ばかりして、虚しいまでの脱力感に目眩が酷くなる。
膝から崩れかけたのを、あっという間にオルジュが抱き上げてくれた。
「オルジュ、」
「ビアの家に帰ろう。近くだから、ちょっと我慢してビア、」
「うん、」
「少しだけ、我慢して?」
うんと、頷く力もない。何も言えないまま、身を任せて瞳を閉じた。
目を開ける力も惜しかった。
脂汗をかきながらわたしはオルジュに抱きかかえられて、オルジュが石畳を急ぐ足音を聞いていた。
鎖って何だろう、明日には死ぬはずだった運命って何だろう。
考えがまとまらない。
揺れる震動が体に響いて、気持ち悪さに拍車がかかる。
もっとゆっくり行って欲しいのオルジュ、と言おうとしても声にならない。
見慣れた懐かしい我が家の窓の外に漏れる灯りと、オルジュの呼びかける声と足音に顔色を変えた母さんが扉を開けて出てきたのが、瞼を開けるのもままならなくてでも見たくて顔をあげるとうっすらと見えた。
「ビア!」
「さっき倒れてしまって。すみません。一緒にいたのに、こんなことになってしまって!」
「いいのよ、運んでくれてありがとう、オルジュ。サ、早く中へ入って、」
お母さんとオルジュのやり取りを聞いていると、安心して気が緩んで意識が遠くなって、でも伝えないとと思って意志を持ち直して、わたしは「ただいま」とだけ小さな声で伝えた。
「ビア! 」
オルジュの声が聞こえた気がする。
「あなた、ビアに何かしたの?」
「いや、何もしていないさ。ずっとここにいただろう?」
淡々と話す父さんと訝しがる母さんの声が聞こえていた。
地の精霊王さまにお会いしたのって言おうとして言えなくて、あまりの体の痛みにわたしは気を失ってしまった。
ありがとうございました




