35、暗黒騎士と剣士と仲間になってしまう
「治癒。」
アレハンドロの圧倒的な強さを目の前にしてやらなくてはいけないことややるべきことを忘れていた訳じゃないけど、指摘された後に行動する自分が悔しく思ってしまった。劣っていると言われているのではないとわかっているけど、人として負けた気がする。治癒師として気を引き締め直して、セサルさんに回復の魔法をかけた。
師匠も、死が呼んだ瘴気を祓うために退魔師として『清風』をかけてくれちょっとほっとしていると、視界の隅にレゼダさんが暗闇にわざわざ立っているのが見えた。灯火の魔法で光る指を使って、『がんばれ』と王国語で空間に指文字を書いて応援をしてくれていた。…。気持ちだけありがたく受け止めておく。
場の空気が浄化されて、セサルさんの顔色が明るくなっていくのが判る。
「この地下迷路にいる召喚獣は全て輪廻の輪に帰した。私はこれから地上へ戻りこの街を出る。お前たちもこんなところに留まっていないで地上に出た方がいいのではないか? この者は休養が必要だろう?」
アレハンドロはわたしたちの様子を観察した後、淡々と言った。地下にいたすべての精霊が消えてしまったのだと聞いても、そのうちいくつかはわたしの妨害で逃げ出せたのだろうなと思うと少しだけ満足した。
「…ペロは、私の友人だったのに、どうして、」
いくら体力が回復しても悲しみで顔を曇らせたままのセサルさんが俯いて呟いた。セサルさんはアレハンドロに戸惑っている。無理もない。昨日まで聖堂の制服を着ていた騎士が帯剣しているとはいえ私服だ。しかも、そこら辺にいる冒険者とは違った独特の雰囲気で、どちらかというと目つきも存在感も禍々しく敵にしか見えない。竜を殺して呪いを受けたなんて事情はセサルさんは知らないのだから無理もない。
「あれが友人? 馬鹿を言うな。この地下の迷路にいる時点で、生きていては人に害を為す生き物だろうに。」
聖騎士だったとは思えないアレハンドロの言い方に、失望と怒りとが混じってしまって、わたしは反感を覚えた。顔をあげて睨むと、アレハンドロはさらに「騙されないように生きろ」とまで言った。
「…どんな生き物だって友人だと感じていた存在の死を悼んでいる人に向かって、そんな言い方ってないんじゃないですか?」
「ビア、よしなさい。」
「ビアちゃん、そうよ、アタシもそう思うわ、」
「…本当にそう思うか? 友情が本当にあるのなら、どうしてその者はそんな顔色が悪いんだ?」
それは、言いたくないけど、認めたくないけど、…ペロに精気を吸われていたから、だと思うけど。
「ビアと言ったか? ここに来るまでに確認したが、柵や檻を壊して逃がしたな? 地上に出た後、『追跡』をして逃げ出したものたちを追わなくてはいけなくなった。何をしたのか判っているな?」
「判っています。」
迷路に穴を2カ所開けてしまった結果ともなったので、外とつながってしまったのだとも判っている。行き来できるようになったということは、別の何かが入り込む可能性が出てきたのも知っている。でも、入り込まない可能性だってあると思いたい。
視線を感じてちらりと師匠を見上げると案の定、何か言いたそうな顔つきをしていた。
困った。この人たちは、開けた穴の修復をしなさいとでも言い出すのかな。
「例え侵入があっても、人間が目をつぶれさえすれば共存できるとでも言いたそうだな。」
「例え話はきりがありません。侵入があっても、仮に…地上と地下との扉を閉めていれば、ふたつの生活の場は交わりません。」
身勝手かもしれないけど、そう思う。
ふうと溜め息をひとつ吐いて、アレハンドロは「勝手にしろ」と言って背を向けた。
「どこへ行くんです?」
師匠が呼び止めると、アレハンドロは「地上だ」と答えてくれた。
「入口からここへ来るまでの間の道順は覚えている。この先へ闇雲へ向かうよりも、確実に地上へ出る方法を選ぶ。」
「レゼダさん、地図はどうなっているんです?」
こっそり尋ねると、「この先は行き止まりみたいよ? 川沿いに上ってもまたきっと柵があって外へ出られないでしょうね」と教えてくれる。
地上の川と地下の川。
ふたつの上下の街の違いは、空があるか覆われているかの違いだけなのかな。
「じゃあな。お前たちも早くここを出た方がいい。聖堂は黙って指を咥えて見ているだけなんてことはないだろうからな。」
師匠を見ると頷いている。どうやら同じ意見みたいだ。
「ちょっと待ってください。あなた様は聖堂の騎士様なのではなかったのですか。この街を出て行ってしまわれるのですか?」
セサルさんはアレハンドロの素性を知っていたみたいだ。
「ああ、もう聖堂の騎士ではない。聖堂に所属していないが旅に出るのだから、身分の保証を確保するために冒険者を目指すことになるだろう。」
「…ペロを、どうして、」
「何度も言うが、あれは犬ではない。あれは良くないものだ。討たれても当然だ。」
「ちょっと、そんないい方しなくたっていいじゃないの。それでもこのセサルちゃんにとっては大切な存在だったんだから。」
レゼダさんが口を挟んだ。
「残念だけどセサルちゃん、もうこの地下迷路には降りてきちゃ駄目よ。セサルちゃんは身を守る方法がないでしょ? 今度魔物が現れたら、アタシたち、助けてあげられないワヨ。ペロももういないんだから、来ちゃ駄目よ? 判った?」
腰に手を当てて怒るフリをしているのは女の子がやると可愛らしいけど、彼は逆さ葉鶏頭のドレスを着たいかついオッサンである。すんなり言葉が沁みてこないほどに視覚の情報が多すぎる。
「黙ってないで、お返事は?」
「…判りました。」
「セサルちゃんは鑑定士にでもなって自力で宝石を見つけた方がいいと思うわ。ここではない別のどこかでね?」
「…ほう、召喚獣の手を借りていたのか。なるほどな。」
アレハンドロが目を細めて意地悪く笑っているので、セサルさんはやっと自分が何を頼ったのか理解できたみたいに顔を赤らめて俯いていた。
公国だと精霊に対価を払って何かを得るのはよくある行動だけど、皇国ではやはり違うみたいだ。
「アレハンドロ様、冒険者になられるおつもりなら、公国を経由して王国へ行かれるのですか?」
この先の動向を確認するように師匠が尋ねていた。
1周目の未来で、6月頃、わたしは公国と王国の国境のクラウザー領の領都ガルースの聖堂でアレハンドロとコルとが面会しているのを見ている。
「そうだな。この街から公国へ出た方が早い。ミラ侯爵領から船も出ているだろう?」
アレハンドロは顔をあげ遠くを見て答えてくれる。船に乗って移動しても、王国へ入りミンクス侯爵領の月の女神さまの神殿に行って冒険者登録をしても、6月までにアンシ・シへ向かうなんて間に合わないのではないのかなと思えてきた。
エドガー師が単身公国からアンシ・シの街にやってきた時、あの街には魔力も命も制御され飼い殺しの状態になった状態のわたしや竜騎士のシューレさん、召喚魔術師のコルがいた。
あの街には地竜王さまの神殿があって、国境の街として交易都市で大勢の商人がいて、そのほとんどが何の力もない一般の平民であり庶民だった。遮る者がいない状況だったのに、エドガー師は竜化しなかった。理由があるとすれば、すぐ近くに、アレハンドロがいた可能性がある。
もし仮に、2周目の未来でもエドガー師があの街に来る未来が残ったままなら、聖騎士アレハンドロを失った聖堂は別の誰かを聖騎士としてアンシ・シに向かわせるかもしれないけれど、その誰かは確実にアレハンドロに比べると新人で経験が浅く、残っている他の『三本刀』に劣る存在だと言える。
あの街で竜化しなかった原因が本当に聖騎士アレハンドロがいたからなのだとすると、肝心なアレハンドロが聖騎士ではなく6月の段階でクラウザー領にいないであろう未来となってしまった現在、魔力を肥大化させ竜化させようと企む計画を止めるのに必要な『真面目な正義の人』はいなくなってしまっている。
聖騎士が抑止力とならない未来となった現在、聖堂の軍人であるコルがわたしとは違う別の生け贄候補を連れてアンシ・シへ向かったとしたら、邪魔をする者がいないからあっさり竜化できてしまう。
生け贄候補がいなくても、あの街には守護精霊さまがいる。
竜化を阻止できなかったばかりか、火の精霊王リハマさまが聖堂によって紅玉に封じ込めてしまう一周目の未来が、一周目より早く実現してしまう。
あれ?
もしかして、アレハンドロの未来を変えてしまった影響で確実によくない方向へ変わっている…?
わたしがシューレさんとコルを助けたいと願ったから?
震えるほどの衝撃に、心が凍る。
未来を変える干渉が最適手ではなく、悪手になってる?
シューレさんはわたしと出会わなければ聖堂に所属しないから、このまま接触しないなら、一周目とは違う未来となる。
わたしが聖堂に所属しようとすまいと、アレハンドロが暗黒騎士となった現在、このままだとコルの未来だけは1周目と変わらないまま売国奴となってしまう。
いやだ。そんなのは、嫌だ。
公国へ戻って、エドガー師の出国を止めなくては。
ぐずぐずしているとアレハンドロは行ってしまう。ここで別れたらこの先は再会できる保証はない。見失ってしまいそうだ。
焦る。落ち着いて考えよう。
起動石を使って移動するならすぐだけど、あれは出発点と到着点との2カ所に魔法使いがいる必要がある。軍や聖堂といった団体に所属していないとできないような大掛かりな仕掛けが必要になる。あとは使うなら妖の道だけど、妖ではない純粋な人間で妖の道の見つけ方や使い方を知っている者は少ない。わたしも知っているけれど、切り札なのもあって仲間でもない限り教えたりしない。
仲間…。1周目の未来では、シューレさんとコルは仲間だったとはいえ、妖の道を教えたりはしなかった。自分の精霊の血を否定している訳ではなかったけれど、人間として、他の人間が使わない手段を使うのは躊躇われた。精霊である半身の恩恵を享受するのは後ろめたかったし、狡く思えていた。シューレさんやコルが自分の実力で行動していたのに憧れていたのもあって、わたし自身も自分の実力だけを頼りに生きていた。
失敗した1周目を教訓にしているから、2周目のわたしは自分の精霊としての血を否定しないし、王侯貴族なラボア様だって師匠だって頼るし、使える手段はなんだって使って運命を変えてやろうとすら思っている。1周目の失敗もあったから、わたしはわたし自身の生きる時間を賭けてなりふり構わず未来を変えようとしている。妖の道も必要なら使おうと思えてしまっている。
聖堂の聖騎士として北上して国境を越えて王国へ入国予定だったアレハンドロがあの街に必要なら、わたしがアレハンドロの仲間になって協力して妖の道を使う手段だって仕方ないかもしれないと思っている。
他にわたしに出来るのは、いったい何だろう。何か手助けとなる何かを補強できる何かをここで、アレハンドロがいるこの場で未来へつながないと。
「アレハンドロ様、ちょっと待ってください。」
わたしが呼び止めると、アレハンドロは曲がりかけていた角を曲がらないで振り返ってくれた。「お願いします、戻ってきてもらえませんか?」
「ビアちゃん?」
レゼダさんが何か言いそうになるのを遮って、わたしはセサルさんに急いで話し掛けた。
「…セサルさん、あのエレメア石を売ってくれませんか?」
「はい?」
「ビアちゃん? どうしたのヨ、」
「ビア、何を言い出すんです、」
「今日じゃなくてもいいのです。あなたが鑑定士になった初めての仕事として、わたしに輝石を売ってくれませんか?」
わたしは未来は変わると信じている。
「公国ではなく、王国の、アンシ・シでお待ちしています。あの街には地竜王様の神殿があります。わたしと師匠はレゼダさんと一緒にアレハンドロ様と公国を抜けて王国に入り、あなたに会いに行きます。」
「お嬢さま、いったい?」
「アンシ・シの街に、わたしはあなたに買ってもらうために輝石を手土産に向かいます。旅の最中で見つけた石を、あなたに鑑定してもらうためです。」
師匠はともかく、レゼダさんは単純に一緒に旅ができるのだと喜んだ様子の表情になっている。
引き返してくれた上に話を聞いてくれたアレハンドロは、怪訝そうな顔つきになった。逃げられないように、こっちも引き止めないと!
「アレハンドロ様、突然で申し訳ないですが、あなたの旅にわたしも同行させてください。お願いします。」
眉を顰めて顔色を読もうと見つめてきたアレハンドロは何も言ってくれない。子供の我が儘だと思われてもいい。でも、運命を変える我が儘なのだから、巻き込まれて欲しい。
「仲間になってください。わたしや、セサルさんを助けると思って。」
この人は暗黒騎士になったって基本的にお人好しな優しい人だと推測した通り、わたしの言葉に一瞬怯みながらも、結局は受けれてくれて頷いてくれた。きっと本当に、わたしやセサルさんを助けるつもりで仲間になってくれている。
「ありがとうございます。レゼダさん、わたしと一緒にセサルさんに会いに王国のアンシ・シまで旅の仲間になってください。お願いします。」
「ビアちゃん! 待ってたの、その言葉!」
抱き着こうとするのを押しやって、わたしはセサルさんに改めて向き合った。
「セサルさん、ひと月後に再会しましょう。お互いに、鑑定士と客人という関係で、改めて、石を売り買いしましょう。」
「お嬢さまと、石を、売り買いするのですか?」
おかしそうなセサルさんは、わたしの実力を知らない。だからこそ、わたしは真剣に提案した。
1周目に雨が降らせる為精霊化するほどに魔力を使ったエドガー師の助けとして、水属性の精霊が確実に必要なのだ。あのエレミヤ石のトカゲが欲しい。
「そうです。あなたの店は鑑定士が必要です。ペロがいなくなった以上、これまで通りに石を手に入れるのは無理でしょう。あなたの実力で石を見極める必要があるのなら、新たな石の供給先が必要だと思います。わたしは冒険者です。アレハンドロ様も冒険者となられるのなら、わたしたちはあなたに魔石や輝石を提供できる立場になります。セサルさんは皇国で祝福を集めて北上していらっしゃったら、王国の国境の街の地竜王さまの神殿が鑑定士となる仕上げの祝福となります。竜を祀る国・王国へ、鑑定士になって、わたしたちが集めた石を買い取りに来てください。」
「買い付けに来いと、仰っているのですね?」
「はい。公国で売り買いするには、魔力の乏しいあなたでは精霊に騙されそうですからね。」
苦笑するセサルさんに、わたしはもっともらしいことを言っておいた。
「確かに、商人には国境を越える許可証は発行されやすいですからできなくはないですが、王国ですか、」
「ビアちゃん、アタシはとっても素敵な提案だと思うわ!」
やっぱり!
「ビア、」
「…判りました。ひと月もあれば祝福を集めるのも眼力を養うのも十分でしょう。ビアお嬢さま、エレメア石に見合うような上等の輝石、お持ちになってください。私が宝石商として買い取らせていただきます。」
差し出された手を握ると、セサルさんがわたしの瞳を見て、「負けませんよ、私も皇国の男ですからね」と力強く言った。
セサルさんのわたしの手を握る手の腕に、レゼダさんの手も重なる。
「アタシもビアちゃんに負けないくらい魔物を倒して石を拾って集めておくから、セサルちゃん、お金をたくさん用意しておいてね。」
「判りました。ご安心ください。」
「お前までビアの肩を持つのですか。判りました。私も師匠として同行します。」
師匠までも手を重ねてくる。
「ちょっと、アンタも手を重ねなさいヨ。アタシたちは仲間になったんだから、再会を誓い合う儀式に参加しなさいってば、」
レゼダさんが手招きすると、アレハンドロはしぶしぶ手を置いてくれた。
「希望がある方が旅は楽しいからな。仕方ない。アンシ・シか。付き合ってやるか。」
どんな形にしろアレハンドロがあの街に行くのなら、わたしや師匠やレゼダさんがいるのなら、エドガー師の竜化は止められるかもしれない。
「ありがとう。アレハンドロ様。」
「仲間になったのならアレハンドロと呼んでほしい。そうだな、まずは地上に出るか、」
「はい、」
「ビアちゃん、地図を持つアタシが先頭を行くわ。バンちゃんとセサルちゃん、アレハンドロはついてくるのよ?」
そう言ってレゼダさんがわたしと腕を組んできた。
「正式に仲間になったんだし、仲良くしましょうね、アタシたち、」
「お構いなく。程よくでいいです。」
「あら素直じゃないわね。」
いえ、素直ですけど?
わたしには一応婚約者のマハトがいるので、一応異性なレゼダさんは異性として距離を取っておきたかった。
さりげなく腕を振りほどいて、わたしたちは元来た道を引き返し始めた。
ありがとうございました




