29、悲しいお別れなんかじゃない
地竜王さまの神殿前の広場にあつまってきた人たちの中で、神殿や石化した守護精霊の姿が見える見えないで騒ぎになっていた。聖堂の騎士たちは事情を把握しているみたいで動じずに対応していて、わたしも師匠もレゼダさんも黙ってどう対応するのかをその様子を見ていた。
顔色一つ変えずに聖堂の騎士たちが「見分をするから」と言ってさっさと街の人たちを帰してしまったのもあって、「明日改めて聞き取りをするから市役所へ来るように」と約束させられてわたしたちも帰らせてもらえた。市役所という場所の指定から公的な機関の関与が窺い知れて、夜のうちに逃げ出すなんて真似はできないのだと暗に言われている気になる。橋にかけてある魔法陣のおかげで地竜王さまの神殿は見えないのだから見えない人たちを帰すのは妥当な判断だと思うけれど、すかさずに私たちの行動を制限するのはさすがだ。
「街へ帰りたくないです。」
この神殿を見えているわたしや師匠、レゼダさん、アレハンドロが『聖なる守護』で解除していた騎士たちも、アレハンドロも暗黒騎士になってしまったのだから、明日以降、どうなるのか判らない。見えなくなると判っていてあの橋を渡るのが怖い。
呟いた声が師匠やレゼダさんには聞こえてしまって、「ビア、明日のことは明日、考えましょうか、」と師匠はわたしの手を改めて握り直して言った。
「どうして市役所なのかしらね、」
街への帰り道、護衛の騎士に前後を守られながら3人で歩いていると、レゼダさんが不満そうに眉間に皺を寄せた。「聖堂が管理しているなら聖堂で聞き取ればいいわよネ。」
聞かれてもいいようになのか、レゼダさんは女神の言葉で話しかけてくる。レゼダさんは王国語、皇国語、公用語が話せるのか…、なかなかすごい人だ。
「地竜王様の神殿であった出来事だからじゃないですか、」
師匠は淡々と答えている。ずっと握った手を放してくれない師匠は、わたしが師匠から手を離そうとすればするほど指まで絡められてしっかりつながれてしまう。睨みつけても嬉しそうだし、反応がいちいち気持ち悪い。師匠ってこういう人だったかな。
「市役所の方が公文書の照会は早いですからね。私たちやあなたの身分の確認でもするつもりでいるのでしょう。」
「それは嫌ね。逃げてしまおうかしら。」
レゼダさんは貴族の隠し子だったっけ。
「素直に申告した方がいいと思いますよ。聖騎士が暗黒騎士になってしまいましたから。」
「それよね…、ねえ、バンちゃん、アタシはマハトを探しにビアちゃんと公国へ行こうって思ってるんだけど、いっそのこと、アタシたち、アレハンドロに一緒に旅しましょうって誘ってみない?」
「レゼダさんはどうしてそう思うんですか?」
「アタシの推測だけど、暗黒騎士になってしまった以上、聖堂から放逐されてしまうワ。聖堂の教義から外れた存在だもの。ひとりで冒険者となって行動するより、誰かと一緒な方が動きやすいと思うのよね。」
わたしは師匠と顔を見合わせる。わたしたちはレゼダさんに伝えていないだけで、公国の職員、庭園管理員だったりする。いくら行方不明だったこの国の庭園管理員が見つかったからと言って、この先もレゼダさんとずっと行動を共にできる訳じゃない。
「ビア、この際はっきり伝えた方がいいのではありませんか、」
「師匠、」
どこまでですか、と言いかけれて、わたしの口からレゼダさんに伝えるべきことはわたしの残りの時間なんだろうなと気が付いたけれど、言いたくないなと思ってしまった。
この体の異変を止めるには、未分化である状態を脱出するか、薬剤師に魂と体の分離を留める薬を作ってもらうしかない。薬剤師に薬を作ってもらうつもりがない以上、わたしには、未分化を分化に変えるしかないのだろうけど、分化して結婚したいと思える程愛せる相手を見つける時間がないし相手もいない。マハトは未分化のままのわたしでいいと言っていたし、分化してマハトと一生を暮らしていこうと思っていないだけに分化する理由がない。
「レゼダさん、マハトを見つけるまで一緒にってお願いしましたが、マハトは国境の街にいるみたいですから、もう、この街でお別れしませんか、」
1周目の未来通りに進むならわたしにはあと少ししか時間がないんだって、言いたくはなかった。
「ビアちゃん! なんてことを言い出すの、」
「わたしはひとりでマハトを追いかけます。そんな旅に、レゼダさんもアレハンドロ様も一緒になんて、お願いできないです。」
そりゃ、レゼダさんの戦力は未知数だし期待できる。でも、だからって使っちゃだめだ。好意に甘えちゃダメなんだ。レゼダさんやアレハンドロを巻き込みたくないのも本音だった。
しかもわたしには、シューレさんとコルを助けるために聖堂に潜入する計画がまだ残っている。
「アタシはただ、ビアちゃんがいて、バンチャンがいて、楽しかったからもっと続けばいいなって思っただけなのよ。何か気に障ったのなら謝るわ。だから拒絶するようなこと、言わないで、」
傷付いた顔をしてレゼダさんがわたしを見ていた。
「違うんです。レゼダさん、」
「いいのよ、アタシが勘違いしちゃってたのよね、居心地が良かったからつい、家族みたいな感覚でいたんだワ。」
「聞いてください、そんなつもりじゃないんです、」
「あなたたちはもともと師弟関係があったからそんなに仲がいいんでしょ、そうよね、アタシは孤高の舞姫だものね。」
「レゼダさん、」
いろいろ突っ込みどころ満載な発言だったけれど、今言っても聞いてもらえない気がする。
「師匠もいい加減に手を離してください。」
腹が立ってきていたわたしは、手をつないで離してくれない師匠の手をぺちりと叩いた。八つ当たりだ。
「手を放してくれないなら、もう師匠とは口をききません。師弟関係も止めます。」
「ビア、手を放したらまた勝手なことをしませんか。」
「そんなに信頼してないんですか?」
「していた結果、あなたは自分を捧げようとしたでしょう、」
あ、バレてる。宣言して飛び出したら行かせてくれなかっただろうにと思うと、あの場では言えなかったのだとしか言えない。
「もうしませんから、手を離してください。」
「約束ですよ、」
黙って睨むとしぶしぶ手を放してくれた師匠は、ついと道の先の橋へと目を向けた。あの橋を渡ると、またわたしたちは自動的に魔法陣に取り込まれて魔法が掛けられてしまう。
「あの橋、どうして魔法陣なんかかけてあるのか判りますか、師匠、レゼダさん、」
「この街の基準が魔法が使えない者、だからじゃないかしら、ビアちゃん。」
「精霊王の祝福や加護がある者は基本的に魔法が使えますからね。魔法は精霊王と始祖の契約ですから。」
「いくらこの街に精霊王さまの神殿がないからって、徹底し過ぎな気がします。」
わたしは不満を口にする。
「王国民のレゼダさんだって影響受けてますよね、あの橋、渡りたくないです。精霊王さまを否定されているみたいで気分悪いです。」
「そうは言ってもあの橋を渡らないと街へ戻れないでしょ、ビアちゃん。」
「魔法で救われる人だっているのに。精霊も竜も、人間次第でいい関係が築けるのに。拒絶から街が始まる気がして悔しいです。」
わたしは半妖だと堂々と言えないからこそ、そう感じるのかもしれない。
ふうと師匠は溜め息をひとつ付いて、わたしとレゼダさんの手首を取った。
「バンちゃんがアタシを触るなんて、どうしたの、」
「…呪いをかけられると判っているのなら、呪いがかけられないように防御すればいいだけの話です。」
何かをもぞもぞと呟いた師匠は、親指で手首の中心を押して魔法をかけた。
師匠の手が触れた手首に白く細かな鱗で出来た輪が出現して、肌に馴染んで消えた。わたしとレゼダさんの手を離した後、師匠も自分の手首を掴んで魔法で白い鱗の輪を描く。
「これは…?」
「『お守り』です。あらゆる魔法の干渉から一定時間身を守ってくれます。」
「へえ…!」
退魔師である師匠は対応策を考えてくれたみたいだ。
本当にこの橋が魔法陣の集合体なのかと疑う気持ちがありつつも何も見えない単なる橋にしか見えない橋の上を通り切ると、手首が一瞬きらりと光って、白い鱗が空中に溶けて消えた。
魔法の効果を無力化して、務めを果たして消えてしまったのだ。
「たった一回で消えちゃったワ。」
「相当この橋には魔法陣が重ねられているみたいですね、」
「え、もしかして今の、やっぱりそうなの、バンちゃん、」
「ええ。念のため、もう一度かけましょうか、」
師匠がわたしとレゼダさんの手首を持って、またお守りをかけてくれた。一定時間守ってくれるはずの効果が一瞬で消えるって結構すごい。
「こんな橋のような場所が皇国内にはいくつもし掛けられているのかもしれませんね、」
師匠がしみじみと言って聖堂の建物がある方向へ目を向けた。
皇国は公国や王国と違って聖堂との癒着が酷い。
「リズマ様は、この街にはくすんで輪郭のぼやけた建物がいくつかあったと仰っていましたね。お守りをして橋を渡りましたから今度は見えるはずです。何が見えてくるのか興味がありますね。」
「ええ、」
身震いをしながら、庭園管理員としての自分の任務を改めて意識した。
1周目の未来で自分が生け贄にされなくてはいけなかった状況を思い出すと、ひとつひとつの聖堂の仕業が答えを形作るのに必要な欠片に思えてくる。
ビセンデさんの家まで送ってくれた騎士や師匠たちは、出迎えてくれたミロリさんやスティーノ青年に頭を下げてくれた。
「ビアお嬢さま、怖かったでしょう。もう安心ですからね、」
ミロリさんと家の奥から出て来たミルタさんが抱きしめてくれて、この人たちはとても優しい人たちなのだと胸がじんわりと暖かくなる。
「ビア、明日の朝、迎えに行きますから、」
師匠が別れ際にそう言ってくれたのを、ミロリさんは険しい顔をして聞いていた。
星も見えないような暗い空だった。
家の中へ一緒に入ると、「ビアお嬢さま、お話があります、」とミロリさんが言った。
※ ※ ※
家の中へ入るなり、ミルタさんとミロリさんは応接室に通してくれて、お茶の支度をしてくれた。真っ暗な廊下はもう夜遅いのだとよく判って、一日の疲れを意識してしまう。
「何も食べていないでしょ、お嬢さま」と言ってくれて、ミルタさんはかいがいしく世話を焼いてくれて丸い小さなパンにハムと目玉焼きを添えて軽食を用意してくれる。言われてみれば夕食を食べてなかった。久しぶりの食べ物に、わたしは夢中になって食べた。
「ビアの体はもうお一人の体ではないのですから、無理はいけません。」
アレハンドロの『聖なる守護』のおかげで虫卵が消えたので結婚しなくても良さそうだと伝えなくてはと思ったけれど、口の中にあるパンともぐもぐとしているうちに言いそびれてしまう。
「明日の朝、迎えにくるというお話をされていましたが、私は行ってはダメだと思います。」
お茶を注いでくれながら、ミルタさんははっきりと言った。ミロリさんも不安そうな顔つきになっている。
「今日だって、こんなに危険ならお嬢さまをお出ししませんでした。我が家に閉じ込めて、マハトさんが帰っていらっしゃるまでお引止めしました。」
「ミルタさん…、」
「聖堂の治癒師の方に見てもらったとはいえ、私たちはビアお嬢さまをずっとこの家で囲って治癒師として滞在していただきたいと思っています。ね、お義母さん、」
ミルタさんに手をぎゅっと握られて、わたしは、暖かいけれど少し面倒だなと思ってしまった。安全な場所に囲われていたってマハトは帰ってこないし、何も変わっていかない。わたしには生きている時間が残り少ないし、まだしなくてはいけないことが残っている。
「ミロリさん、ミルタさん。よくしてもらったことや心配してもらったことはとても嬉しいし感謝しています。でも、わたしは、行かなくちゃいけないんです。マハトは今、公国の国境の街にいると思われます。師匠と明日市役所に行って、今日の顛末を報告した後、そのまま、この街を出るつもりです。」
「…どうしても、ですか?」
「はい。公国の母の元にも帰りたいのです。」
マハトを見つけ出して、もう虫卵はないのだと伝えて、結婚はできないとはっきりお断りしなくてはいけない。その為にもマハトを探し出さないと、わたしたちの関係は進んで行かない。
「判りました。ミルタ、お持ちして。」
食べ終わった食器を片付けがてら部屋を出ていったミルタさんの気配が消えると、ミロリさんはわたしの手を改めて握った。
「今日の昼間、ビアお嬢さまのお使いで薬問屋に行って黄金星草を手に入れてきました。お嬢さま、私たちはいくらだって都合がつきます。お嬢さまがお使いになってください。」
「え、そんな、あれはビセンデさんに使って下さい。わたしには必要ない薬草ですから。」
あの半妖差別をする店主が売ってくれたのなら、大切に使ってほしい。
「…今日、ビアお嬢さまがいらっしゃった場所は昔、私が子供の頃、地竜王さまの神殿があった場所だと思います。」
そうですと食べていて言えなくて、わたしは頷くだけにする。
「あの場所は、ミルタは見えないのです。私には見えますが、…この街の中でも見える者と見えない者がいます。」
「そう、みたいですね、」
理由を知っているだけに、用心して答えておいた。この先もこの街で暮らし続けるミルタさんの名誉を守ってあげないといけない。
「子供たちは見えています。公国出身の者には見えないのかもしれません。」
にっこりと笑って、ミロリさんはわたしの瞳を覗き込む。
「ビアお嬢さまは私の夫の恩人です。感謝しています。でも、同時に…、この街に、禍を持ち込んでいらっしゃった。」
突然の冷たい口調に、息を飲む。
「黄金星草は差し上げます。勝手な言い分だというのは判っています。あなたがとても優しい方なのだということも。でも、この暮らしをかき乱す存在だと、私には思えてきたのです。あなたがあの場所に行かなければ、ミルタは辛い思いをせずに済んだのです。お嬢さま…、この街から、出て行ってもらえませんか。どんなに引き止められようとも、出て行って欲しいのです。」
ビックリして言葉が出てこない。
「ミルタは見えない。だから、…キリノもアマルナも見えるのに見えない者の子だと言われると、孫たちがかわいそうなのです。」
「ミロリさん、」
差別が差別を呼ぶんだって、わたしだって判る。すべての元凶はあの橋にかけられた魔法陣なのに。悔しいけど、あの魔法陣は街の出入り口にあって精霊に関する影響から街を守っている。そんな魔法陣を解除する理由が見つからない。
「ミルタは優しい子です。キリノもアマルナもいい子たちなんです。お嬢さま、堪忍してください。」
「…大丈夫です。どんなに引き止められようと、明日にはここを去ります。よくしてくださってありがとうございました。」
「火光獣のマントは急いで仕上げさせました。ミルタが、持ってきます。」
縋るような顔つきに、わたしは、何を求められているのか理解できた。笑顔を作ってみても、手が震えてしまう。判ってる。こんなことはよくあることだ。判ってる。わたしは半妖だから、半妖だとバレる前にいい印象を残して去れるのだから、わたしはツイているはずなんだ。
だけど、判っていても、心が痛い。
「判ってます。ミルタさんには言いません。あくまでも、わたしの都合で、ここを出ます。」
「お嬢さま、あなたがとても優しい方だと私たちはよく存じ上げています。決して、悪い人ではなかったと、ずっと、感謝の気持ちを残していけるように…、」
涙ぐんだミロリさんの言葉は、最後まで逆恨みはしないで欲しいと言っているように聞こえてしまって、そんな風に聞こえてしまうわたしって愚かだと思えてならなかった。
何気ない顔でわたしのマントを手に部屋に戻ってきたミルタさんが、「もう遅いですから、ビアお嬢さま、お風呂を済まされてお休みください、」と言ってくれた。
目尻に涙の痕があったのが見えて、きっと聞いていたんだろうなと思ったけれど、わたしは何も言わずに従った。
わたしは単なる旅人で、この街はただの通過点だ。ミロリさんやミルタさんはこの街でこのまま生きていくのだ。優しくしてもらったわたしにできるお礼は、彼女たちを尊重することぐらいだった。
ありがとうございました




