28、赤い流星群はあなたが生きた証
そんな…! どうしてそんな惨いことを!
「…術者を探し術者に移すか、このまま術を完成させないと、この術は終わらない。黒い甲虫の術は、贄の魂が贄の体から出ないと終わらない。」
師匠が、父さんを睨みながら教えてくれた。
「王宮にしろ、皇国にしろ、ヒト型を取れるほどの魔力を持つとは…、」
師匠は無意識なのか、手の指にある指輪を撫でていた。父さんを攻撃するか捕まえる気なのだ。いくらこの国が精霊に優しくない国でも、贔屓目じゃなく、父さんの方が強い。
娘のわたしは知っている。悪い魔性である父さんの方が、残酷だ。
レゼダさんに押し留められているリズマ様が、涙を流しながらわたしたちを見ていた。
「お前たち人間は、いつだって私たちを苦しめようとするのだな。」
何も言えないまま、わたしは首を振るしかなかった。
違うと言っても、この術を開発したのも使ったのも、わたしたち人間だ。
怒りに震えるリズマ様が、体からレゼダさんを薙ぎ払うようにして投げ飛ばした。壁に背中から叩きつけられぐったりとしたレゼダさんを助けたくても一瞬の出来事で、何もできなかったわたしは、せめてもの償いに治癒の魔法をかける。
震え、竜と人間との姿が交差するように体の維持が出来なくなっていくリズマ様を見て、アレハンドロが顔色を変えている。
「スピサは、お前たちに何をしたというのだ。地竜王の神殿で、一神官としてこの地を守っていた。ただそれだけだろう?」
リズマ様の体の震えは、神殿を揺らして軋ませる。
「私の弟を返してくれ。半分人間とはいえ、私の、たった一人の弟なんだ。」
泣きながら竜に変身していくリズマ様は、地の底へと続く階段に向かって光を放った。爆発する衝撃音がして、入り口が壊れて大きく穴が広がった。
神殿ごと壊れる…!
頭を竦めたわたしを、師匠が抱きしめて庇ってくれた。「大丈夫です。ビア、驚いて魂を抜け出てはいけません。息をゆっくり吸って吐いてを繰り返しましょう、」
こんな時にまで発作を起こすと心配してくれるなんて、師匠、案外優しいかもしれない。
低く揺れる大きな音が羽音で、地中から噴き出てきた黒く広がる煙は無数の虫で、スピサさんを食んでいた黒い甲虫たちの集合なのだと判る前に、リズマ様は神殿を飛び出した。
「何をするおつもりなんです!」
師匠が追いかけようとしたその瞬間、アレハンドロが自分を羽交い絞めにしていた騎士の足を剣で貫いた。
「アアアアアアア!!!!!」
絶叫する声が聞こえて正気を取り戻した騎士がアレハンドロから落ちると、アレハンドロも神殿を飛び出ていく。
黒い虫が渦巻く煙が神殿の外へと流れていくのを追いかけて師匠も神殿を飛び出した。レゼダさんを置いていけないわたしが騎士とレゼダさんを治癒しながら起こすと、レゼダさんは相変わらず空気が読めてなくて、「いやん、ビアちゃんじゃなくあの美しい人に目覚めさせてもらいたかったわ、」と言った。…。起こすんじゃなかった。
「レゼダさん、急いで。外へ行かなくちゃ。」
「判ったわヨウ!」
走って追いかけて神殿の外へ出ると、既に竜化したリズマ様が首を振って炎を吹いていた。いくら吹いても、いくら焼いても、黒い霧のような虫の集合は竜となったリズマ様を飲み込もうとする。
「ちょっとビアちゃん、もしかして、地下にいた弟さん、死んじゃったんじゃないの、」
不吉なことを口にするレゼダさんは、わたしが神殿から出ようとしているのに背を向けて確かめに行ってしまった。
「先に行くから、レゼダさん!」
急いで石化した守護精霊の体から降りて地に降り立つと、わたしは師匠の傍に駆け寄った。
アレハンドロが、剣を正面に構えて、リズマ様と対峙している。
「ビア、術は完成してしまったようです。」
「あの黒いのは、虫じゃないんですか?」
「虫と、狂った魂です。もう浄化はできません。」
「…どうすればいいんです?」
沈黙する師匠は、その先を教えてくれなかった。
わたしが知っているのは、狂った竜が土地を呪うという結果だけだ。
「竜が魂を乗っ取られる前に、殺すか、竜ごと転送するしかないな。」
わたしや師匠の傍に、当たり前のように父さん馴染んで立っている。
えっと、父さん? 何をやっているのかしら?
「私に会いたいとあの者が言ったのは、私に精霊界の狭間にでも転送するようにとでも願うつもりだったんだろうな。」
師匠が、父さんを睨みつけている。
転送って簡単に言うけど、皇国で精霊がヒト型となるのすら難しいのに、魔法を使えって無理な要求なんじゃないのかな。
「そんなこと、できるの?」
「私を誰だと思っている?」
「くう~! かっこいい~!」
「いや、レゼダさん、いつの間に!」
「かっこいいし綺麗だし、美しい! ビアのお父さんってばすーっごい力を持つ精霊なのね。だからリズマ様はお会いになりたいって言ったのね。」
「えっと、盛り上がっているところ悪いけど、レゼダさん、確かめに行ったんですよね? どうだったんですか?」
「ん-。ビアちゃん、バンちゃん、美しいお父さん、残念なお知らせだけど、あそこにはもう黒い甲虫はいなくて、スピサさんだと思われる人の亡骸ならあったわ。息もなかったし、魂の気配もなかったから、鎮魂の舞を奉げてきたわ。」
「レゼダさん…。」
「アタシだって舞を奉げて生きるって決めたんだからすることはするわヨウ。あいつと違うんだから。」
「あいつ、ですか?」
泣き叫ぶように火を吐き体に纏わりつく黒い霧を追い払おうとするリズマ様を、アレハンドロは剣を構えて睨みつけたまま動けないでいる。
アレハンドロの部下たちも、じりじりと後退りしながら剣を構えるだけでいる。
「アタシは剣を学んだ者として、竜を殺すとどうなるのか知ってるわ。あいつは、できないと思うわ。だからビアの美しいお父さまにおすがりするしかないと思うわ。」
「あの、レゼダさん、何を言って…?」
目をぱちくりとしたわたしを見て、師匠も、父さんも何も言わないまま表情を変えなかった。
「アタシがビアのお父さまに魔法を使ってほしいと願ってはダメなのかしらね、」
「…精霊は対価を求めます。竜を精霊界に転送するとなると、私たち人間ではどれだけ魔石を頼っても難しいでしょう。それを精霊に頼むのなら…、どれほどの対価を払わないといけないのか判っていてそれを言っていますか?」
師匠は怒ったように、淡々と言った。
「精霊界に転送しても、リズマ様の苦しみは消えません。」
父さんは何も言わないまま静観している。師匠だけが、眉間に皺を寄せてレゼダさんを見ていた。
「アレハンドロに託すのが、最適だと私は思います。」
「バンちゃん、あいつはできないのよ? できないから、ビアのお父さまに会いたいって契約の時、仰ったのじゃないかしら。」
あの時既に、リズマ様は最悪の事態を想定していたってこと…?
「どういう意味なのか、教えてもらってもいいですか?」
師匠は、目を合わせようともしなかった。父さんが言わないのなら判るけど、わたしの指導員だという師匠が言わないのは、ズルく思えた。
「ビアちゃん、」
「レゼダさんは知ってるんですよね、師匠も、なんですよね?」
「…神の加護を持って破邪の聖剣を手に竜を討つと、竜は殺せる。だが、それ以外の剣で竜を討つと、討てますが、しかし…、」
「師匠、教えてください。」
わたしは目を合わせようとしない師匠の腕を掴んで、顔を覗き込んだ。師匠の整った顔には、脂汗がいくつも浮かんでいる。
「聖騎士とはいえ、破邪の聖剣ではない剣で竜を討てば、呪いを受けてしまうのです。…暗黒騎士に堕ちます。」
「暗黒騎士、ですか? 聖堂に居られなくなるんですか?」
それぐらいなら冒険者になって解決できそうだ。
「わたしが代わりに討っても、ですか?」
「暗黒騎士は、手にかけた者の魔力を吸い取り、厄災や禍を取り込むので人間から遠い存在となっていきます。陰火と違って取り込んだ魔力は使えず、魔力は引き受けた呪いを燃焼するために使われるのです。それは、呪いを全て燃焼し終えて魔力が消えて精霊化してしまうまで続きます。」
「え…、」
わたしは言葉を失って、アレハンドロを見た。
「街を救うために、誰かのために竜を討ったとしても、代わりにすべてを押し付けられろって言うんですか…?」
そんなの、皆のために犠牲になるために竜を討てって言ってるようなものじゃない。
「ビアちゃん、リズマ様は、誰かに迷惑を掛けたくなくてビアのお父さまに精霊界へと転送してもらって、ご自分だけが永遠に苦しみ続ける方法を選ぼうとされたんだとアタシは思うワ。」
「そんな、そんなのって…!」
「ビア、この街で…、竜が打てるような剣士がいたとしたら聖堂の剣士だとこの術をし掛けた者たちは想定していたでしょう。そう考えると、術者は聖堂の人間ではありません。」
「アタシたち冒険者をあてにしてるんじゃないってアタシも思うから、バンちゃんの推測はあってると思うわ。」
「師匠、わたしたちでリズマ様をお助けする訳にはいかないんですか?」
父さんを見ても、他人事みたいに涼しい顔をしている。精霊だから、契約のないことをしたいと思っていないのだと思えた。
父さんはわたしのために魔法を使えない。ここにいるのは騎士を唆して影を使って現れたんだろうなとは思うけど、父さんがしたくてしたことだから対価はいらない。でも、リズマ様をここではないどこかへ魔法を使って転送してしまうには、大量の魔力を消費するのを考えると、父さん自体がリズマ様から依頼を受けて契約しないと無理だと思った。
リズマ様が自分を見失っている現在、父さんと契約ができる状況ではなかった。
別の誰かと契約して、リズマ様を転送させる必要がある。
でも、わたしは知っている。
契約するには、名前の交換がいる。
父さんは、わたしにしなかったのと同じ理由で、師匠にも名前を明かせない。もしかしたら父さんは母さんにすら真実の名前を明かしてはいない。
「ビア、」
父さんは、わたしの父さんだけど、わたしのために魔法を使えない。
「師匠、師匠の吟遊詩人の力と、わたしの召喚術と、レゼダさんの舞で、さっきみたいに奇跡は起きないですか、」
無理だと判っていても、わたしは聞かずにいられなかった。
「無理です、」
「無理よ、ビアちゃん、」
「でも、」
父さんに、わたしのために魔法を使わせて、母さんを死なせるわけにはいかないんだもの。
言いたいけど、言ってはいけない。
わたしの父さんと母さんの女神さまとの契約は、誰にも言ってはいけない。
言えないから、代わりに思いが涙になる。
泣きながら首を振るわたしの頭を撫でて、師匠は「リズマ様がリズマ様でいられなくなる前に、倒すしかないのです」と告げた。
「ビアを頼みます。」
師匠は、レゼダさんにわたしを押し付けて、アレハンドロの傍へと向かった。
※ ※ ※
師匠とアレハンドロが何かを話していて、火を吹き暴れ狂うリズマ様が堪えきれずに宙に浮いた。翼を広げて、どこかへ逃げようとしているのだ。
「ビアちゃん、よく聞いて。アタシもできることをするわ。」
「レゼダさん、何をするつもりなんです?」
「竜を呼ぶのよ。もっとたくさんの竜を、呼ぶの。」
「何を言ってるんですか、そんなことをしたら混乱がもっと混乱しちゃうじゃないですか、」
「呪いを分散してしまおうと思っているのよ、」
「はあ?」
思わずわたしは真剣に大声を出していた。
「レゼダさん、皆で分かち合えばいいってもんじゃないわ。呪われた土地が増えるって意味なんですよ?」
くくくくと、父さんが笑い出した。
「お前たちは面白いなあ。」
「父さんまで!」
「この地で竜が呪いの中死んで土地が呪われても、土地の時間を戻せばいい。この街はクアンドだろう? ライヴェンがそんな魔道具を作っていたはずだ。」
「え?」
「クアンドのライヴェンの魔道具は12個ある。私が知っている中に、土地の時間を戻してしまうものがあった。災害に飲み込まれた街の時間を戻して、きっかけを与え、起こらなかった時間の流れに進ませる魔道具だ。」
「そんなの、死ぬはずだった人が死なないって、輪廻の輪の仕組みから外れるようなこと、無理だよ。」
「違う、死なない訳じゃない。災害が起こる前に戻っても必ず同じ日に死ぬが、死ぬ理由が災害ではない別の何かに置き換わるだけだ。」
「な…!」
「ビアちゃんのお父さま、例えこの街でリズマ様が呪いに狂い殺されてしまわれても、そのライヴェンの魔道具を見つけて時を戻せば土地の呪いは消えて別の流れになるという意味でしょうか。」
「ああ、そうだ。」
そんなのは、だめだ、そんなのは、気休めでしかない。
「父さん、リズマ様が苦しむのは、変わらないじゃない。駄目だよ、解決になってないよ、」
わたしは、覚悟を決めて自分に防御の魔法を掛け直し治癒の魔法も使って、耳にあるイヤリングを撫でた。
魔力がわたしの体の中に満ちて、自分の能力がいつでも解放されていけると確信した。
真っ黒な虫の霧がリズマ様を空中で包み込んだ。
のたうち回る様に苦しみもがくリズマ様が揺れて、炎が放たれて、わたしたちの方へも届きそうになる。
炎が勢いよく辺りの木をなぎ倒して、雑木林に火の手が上がる。
赤く染まっていく空に浮かび上がる黒い竜を見た時、術が、完成したのだと思った。
「じきに飲み込まれる。この土地を呪いながら死んでいくのだろうな、」
父さんの淡々とした言い方が、どこまでも人ごとに感じているのだと思えて悔しくなってくる。
そうだ、旅人であるわたしにとっても他人事だ。
でも、リズマ様はわたしの契約者だ。
スピサさんを見つけ契約が終わったと言っても、わたしたちには大切な人だ。
「オルジュ、」
優しくオルジュがわたしの頬を撫でて、ここにいるよと伝えてくれた。きちんと召喚してあげられなくてごめんね、オルジュ。
1周目と違う未来になったけど、わたしが竜のために死ぬ運命は変わらないのかも。
「行ってくる。父さん、母さんをお願いね。」
「ビア、」
父さんは動けない。わたしのために魔法は使えないし、騎士を操っていたしヒト型を維持するのできっと精一杯だから。
レゼダさんが追いかけてきた。
「この国が…、この街が私は好きだ。人々の暮らしを守れるのなら、この土地を守れるのなら、私は本望だ、」
「ですが、アレハンドロ様、」
「力を借りてすまないが、助けてほしい。」
微笑むアレハンドロに困り顔の師匠が躊躇っていて、わたしは今だと思った。
「ビアちゃん、あんた、」
止めるレゼダさんを無視して、師匠とアレハンドロの傍に立った。
「師匠、翼となるものを召還するつもりなんですよね?」
「そのつもりだ、あの勢いについていけるには聖騎士アレハンドロ様に風の精霊の付加を与えた方がいいからな。」
「わたしも援護します。」
治癒師として、わたしにも、できることがある。
「ビアちゃん、アタシに出来ることはない?」
「レゼダさんは…、そうですね、舞を奉げてください。この場にある空気が清浄な方が、リズマ様がリズマ様らしくいられて、格が保てるかもしれません。」
気休めかもしれないけど、人の思いは時として世界を変える。わたしはレゼダさんの真摯な心に賭けてみると決める。
1周目の未来で、自己犠牲を願った時、それしか方法はないのだと思った。
目の前にいるリズマ様は、竜人の神官であるスピサさんの身に何かあると察した時、弟を救うために自分だけが犠牲になろうとされて、今もそうしようとしている。
師匠が、自分の魔石から精霊を召還して、アレハンドロに降ろした。白い翼を持った精霊が実体化して、師匠の肩をしっかりと捕まえていた。魔石が、力を失って地に転がる。アレハンドロは、白く大きな翼が鎧の背中から生えているように見えた。
「行ってくる、」
どうしても、そんな未来しかないのかな。
「アレハンドロ様、治癒師として、加勢させてください。」
重力軽減に耐火、耐久、防御と思いつく限りの術をアレハンドロにかけた。
「いくら私が聖騎士だからと言って討てるかどうかは判らない。逃げられるように自分の分の魔力は残しておくんだよ、」
アレハンドロは最後までわたしを気遣ってくれて、師匠の腕、レゼダさんの腕、わたしの頭を順に撫でると「君たちに加護があるように、」とまで言ってくれた。
『聖なる守護』を、こんな時まで与えてくれるなんて。
レゼダさんが泣いている。わたしは自分の頬を両手で叩いて気合を入れて、呪文を唱え始めた。
「いっけ――!!」
勢いよく剣を手に空を飛んでリズマ様に向かっていくアレハンドロを、治癒師としてわたしは治癒し続けた。
巨大な竜に立ち向かっていくアレハンドロの姿は、とても対等には見えなかった。巨大な山に向かって突進していくようにしか思えなくて、勝ち目があるように見えなかった。
時々炎を上げるリズマ様から聞こえるゴボゴボという音が、何の音なのか理解したくない。
黒い霧に包まれたリズマ様の体には増殖した黒い甲虫がこびりついていて、黒い甲虫は口や鼻と言った孔という穴にも勢いよく入っていく。
アレハンドロが剣を手に切りかかっていくと、無意識に躱しているのかリズマ様が抵抗して、アレハンドロを爪で引き裂き尻尾で叩き払いのける。
わたしが治癒し続けても、アレハンドロの苦痛も疲労も和らげないかもしれない。でも、わたしは治癒し続けた。
真っ暗な空に赤い炎を吹きながら苦しむ竜は次第に、川向こうの街へと向かって移動し始めた。
「ダメよ、あっちは、街があるわ!」
アレハンドロが追いかけて尻尾にしがみついて剣を突き立てていても、アレハンドロにまで黒い甲虫がまとわりついていて攻撃として意味を成していかない。
何ができるんだろう。
わたしには、治癒の回復しかできないのかな。
「師匠、わたし、」
狂った竜となったリズマ様をこの場所へ留めておくには、精霊化したわたしを餌にするしかない。
「ビア、何を考えているのか判りませんが、わたしたちは生きて帰ります、いいですね?」
生きて帰る。
コルならどうするだろう。
シューレさんなら?
シクストおじさんなら?
ラボア様なら?
「…オルジュ、わたしをあの場所へ連れて行って。」
「何を言い出すんだ、ビア、」
「ビアちゃん、何言ってるの、」
「もうひとりがリズマ様の注意を引いて、もうひとりが討つのを期待した方がいいもの、」
わたしは自分が持っているものの中で剣になりそうなものがないのだと判ると、落ちていた枝を手に取った。
魔法で研磨して、尖らせて、硬化を強化して、槍の効果を期待する。
「討つ方を、ビアがするんですか?」
「師匠、わたしの命はもうあと数か月もないって判ってますよね?」
発作をこんなに頻繁に起こしているのなら、1周目の薬を飲んでいないわたしの寿命はきっともっと早く消える。
「1周目を経験したわたしにできることは、この世界の未来を変えることなんです、」
明るく笑顔を作って、オルジュに頼んで空へと浮かび上がった。
最後に父さんに会えてよかった。
地上にいる父さんに手を振ると、父さんが、怒りをはっきりと顔に表していた。
空中から見ると父さんの黒い影は雑木林を燃やす火でくっきりと、父さんの本当の姿を描いていた。
師匠が気が付く前に、仕上げないと!
「オルジュ、ごめん、わたしをあの竜の元へできる限り近付けて欲しい、」
上昇する風の中にも炎や煤や黒い甲虫が混じっていて、わたしに向かって襲ってくる。
「ビア、無茶だ、」
「わたしができることをしたいだけよ。この枝を竜に突き刺すことが出来れば、そこから枝葉を再生させられる。地の精霊王さまのお力と水の精霊王さまのお力をお借りして、生きたまま竜を木に変えるの、」
「そんな夢みたいなこと…!」
「そうよね、でも、一番それが平和で、一番理想的な死じゃない?」
「そんな事をしても、呪いはビアが受け継ぐのだろ?」
「姿を変えて生き続けるのなら、死なないかもしれないじゃない? リズマ様はこの地を守る大樹になれば、死なないのよ、」
いつか木の精霊として姿を変えたまま、天寿を全うできる日が来るかもしれない。
そんな微かな未来でも、賭けたいと願う。
飛び回るアレハンドロが近付くわたしに気が付いて、黒い甲虫に襲われながらも「来るな―!」と叫んだ。
「行って、オルジュ、リズマ様の背中に降ろして。」
炎を吹くリズマ様の背中を狙って、わたしは迂回してもらう。
「リズマ様、リズマ様、」
呼びかける声に、リズマ様は反応もない。口からゴボゴボと吹き上がる炎の中には焼けた黒い甲虫が噴出されていて、嫌々と首を振って苦しそうな姿に、わたしは心が震えて動けなくなりそうになる。
「ビア、本当に行くの? 帰ろうよ、公国へ。一緒にいこうよ、王国へ!」
背中に降ろしてと頼んだはずなのに、オルジュは旋回して高く遠くまでわたしを連れて行った。
「どうして、オルジュ、」
「どうしてって、ビア、」
できないよ、という小さな声が吹き荒れる風の中でも聞こえてくる。
アレハンドロが剣を手に、リズマ様の口を狙って向かっていくのが見えた。
ダメだ、行ってはダメだ、アレハンドロ。
「オルジュ、ごめん、」
わたしはオルジュの手を振りほどいて、手に枝を持ったまま両手を広げて天から降下する。
真っ黒に渦巻くリズマ様の背にわたしが降りたつのと、リズマ様の口の奥の喉に向かってアレハンドロが剣を突き刺していくのが同じ時に起こった。
「ギャアアあああああああ!!」
絶叫する声が響いて、足元が揺れてわたしは振り落とされて、地上へ向かって頭から落ちていった。
アレハンドロが、リズマ様の口の中にどんどんと入っていくのと同時に、リズマ様の体から鱗が剝がれていくように黒い甲虫がもろもろと焼け焦げて落ちていった。
「ああああああああ!」
あの叫ぶ声は誰の声、アレハンドロ?
ううん、違う、あの声は、師匠?
絶叫するオルジュの手が透けて見えて、近付いたのに届きそうで手を伸ばそうとした時、誰かが、わたしを背中から受け止めてくれた。
急に、落ちていく速度が減って、しっかりと抱きしめる腕の圧力がわたしを締め付ける。
「どうして、」
「ビア、なんて無茶を、」
師匠が、わたしを背中から抱きしめたまま、ゆっくりと地に降りた。師匠の背には風の精霊たちの姿が見えた。
「師匠、」
「あなたを死なせてなるものですか、」
「だって師匠、魔力が、」
「ビア、魔力がゼロになったって、いきなり死んだりはしませんよ、半妖と言っても私はほぼ人間ですから。」
師匠は、こんな時なのに、笑っているように感じた。
「それに、あなたのお父さまが力を貸してくださったのですよ。心配いりません、」
わたしを見てニヤリと笑った父さんが見えた。そっか、わたしに直接魔法は使えなくても、師匠に使えば大丈夫だったんだね。
地面に降り立ったわたしと師匠を見て、レゼダさんが泣いて喜んでくれて、「あれを見て」と言った。
崩れて粉々になっていくリズマ様の中から、どす黒く変色した黒い鎧や兜を身に着けたアレハンドロの姿が現れた。
暗黒騎士になってしまったのだ。
すいっと地上に降り立ったアレハンドロは、見た目は変わらないのに、人ではない何かの混じった気配をしていた。
「お前たちが無事でよかった。」
暗黒騎士に変わっても、心は聖騎士のままみたいだ。
「アレハンドロ様…!」
これからひとり、死ぬまで孤独に生き続けることになる。
「すみません、わたしが遅くて、」
「いいや、いいんだ。私は身を捧げるために聖騎士になったのだから、どのような姿になろうと、心は変わらない。」
どうしてあなたは、そんなに優しいのだろう。
父さんの姿は影に消えていた。力を使い過ぎたのだと思う。レゼダさんがキョロキョロと探しているけど、もう見つからないと思った。父さんはしばらく、わたしの影の中で休んでいてほしいと、わたしはこっそり思う。
助けてくれてありがとう、父さん。
「ビアちゃんが無事でよかった。ほんと、あんたって子は無茶するんだから…!」
「ビア、あれを、」
師匠とレゼダさんが指さした先には、夜空に消えていく赤い流れ星がいくつも見えた。
赤黒く線を描きながら消えていく星がいくつもいくつも、遠くの土地に向かって流れていく。
「王国の、火の竜王さまの神殿に、帰っていくんだワ。」
レゼダさんは言いながら泣いていた。
「リズマ様もスピサさんも、帰っていくのヨ。」
師匠はまだわたしの手を握っていて、わたしは仕方ないから師匠と手とつないだまま夜空を見上げていた。
「あそこだ、急げ!」
聖堂の騎士たちの声が聞こえた。
視線を向けると、たいまつを手に聖堂の騎士や街の人たちが集まってきていた。燻ぶるように燃えている雑木林に気が付いて消火活動をし始めた人たちもいる。
わたしに気が付いて駆け寄ってきた人の中にミルタさんやスティーノ青年が見えて、わたしはほっとしてつい泣いてしまった。
ありがとうございました




