7 この街を好きになって帰ってほしいの
結局昼近くまで眠ってしまったフリッツを起こしてくれたのはキュリスで、「食事の際に大切な話があるので支度をしてください、」と真剣な面持ちで告げた。
昨夜、いや、今朝風呂に入った時には、もう傷は目立たなくなっていたな、と思いながら体を見ると、傷があった場所すら判らなくなっていた。あの治癒師はなかなかの者だ。ああいった者が旅に同行してほしいものだな、とフリッツは思い、旅本番では隣国の皇子のラケェルがその役を担うのだと思い出した。
この旅は実地演習といいながらも、私は表立った成果を挙げれていない…。剣士ばかりの旅だ。治癒師は同行していないし、魔法使いもいない。実力がものを言う。
なのに。このザマだ。
自分の不甲斐なさに奥歯を噛み締めて、鏡の中の自分を睨みつけた。
女のような顔だと揶揄われないように、守られるのが当たり前な顔つきだと言われないように、ひたすら剣の腕を磨いてきたはずだった。でも、足りない。どこかに『逃げ』がある。ランスには見抜かれていた。あの時、はっきりとではないけれど、戦力にならないのだと、言われてしまった。
逃げられない運命なのだと判っている。誰かに押し付けられるような役目ではないのだともわかっている。私が、やらなくてはいけないのだと、判っている。
強くならなくては。
鏡に映るのは弱い自分自身で、睨みつけるのは、自分の弱さだ。目を逸らさずに、乗り越えていかなくては。
おそらく食事の後出立するとでも言い出すのだろう、というフリッツの予感は当たっていたようで、市長の屋敷の応接室を借りてのフリッツたちだけの昼食の席で、今日の予定と今後の方針が手紙を手に現れたアレクシオスによって発表される。
「この後、支度をして出発します、」
やはりか、とフリッツは思う。当初の行程案では夜を月の女神の神殿で過ごした後、ククルールの街で朝食を取り、このヴァイルを目指し、今日中にミンクス領の領都マルクトに入るという行程だったはずだった。フリッツは着替え終えた後てきぱきと片付けをして、部屋を出ていた。いつでも出立する準備はできている。
表情を引き締めて、カークたちは小さく頷いた。カークたちもそのつもりがあったのだろう。
こほん、とアレクシオスはフリッツを見た後、全員を見回した。
「つい先ほど王都から勅命を持って早馬が戻ってきました。」
フリッツは食事をしながら、緊急時のためにと宰相たちが仕上げていた第二案が採用されたのだろうなと思い出す。
第一案では、騎士団の予行演習という表向きの武者修行の旅をフリッツが無事に終えて帰ってくるまでのざっくりとした行程がまとめられていて、補助はミンクス侯爵ということになっていた。
第二案では、騎士団の実地演習ではなく『騎士団見習いによる体験演習』という名目で騎士団見習いとする貴族の子息役のフリッツを護衛しつつも騎士団によって保護する大変過保護な旅が提案されていた。
ランスが治癒師によって回復したとはいえ、昨夜のような非常時が再び起こってしまった時、しばらくは剣を振るうことはできないだろう。ランスの代わりの訓練教官が入るのかもしれない。
前半の旅の評価が、フリッツがランスを守ることができる程の腕前だったならば違うだろう。悔しいけれど、自分はまだまだお荷物な存在なのだと実感してしまった。
「王命により、第一案の予行演習は計画通り継続となります。ランスはそのまま旅に同行、聖堂の治癒師ゾーイをミンクス侯爵家より借り受けて、7人編成で王都を目指します。先発部隊と後発部隊による見守りも継続です。」
甘い予測が露と消えて、厳しい現実を思い知る。意外そうな顔をしたカークを見て、フリッツは自分も意外だと思っている気持ちに気が付いた。不測の事態を重大に受け止めて中止になるかと思っていたのに、とつい思ってしまうのと同時に、この程度のことをやり遂げられなくては竜魔王を倒す長い旅を乗り越えることはできないのだろうな、と将来を見据えて冷静な気分で納得してしまう。
「聖堂の治癒師はランスの専属とし、他の者の治癒は行わせないようにとのご指示もいただきました。」
キュリスやビスターが目を見開いてフリッツを見つめている。
王族であることよりも怪我人の回復を優先させよということか。フリッツは瞳を伏せた。父は私よりも確実にこの先待ち受ける長旅を過酷なものととらえているのかもしれない。『守ってやれるうちに成長せよ』と言われている気がして、フリッツは小さく微笑んだ。父らしい。私に期待しているということか。それでいい。それが、一番強くなれる気がする。今ここで逃げてはダメだ。
「以上です。昼食終了後、各自支度をして玄関ホールへとお集まりください。私は先に他の隊の者たちと合流します。」
くるくると羊皮紙を撒いて礼をすると部屋を出ていったアレクシオスを見送って、フリッツたちは沈黙のまま昼食を済ませた。
フリッツはともかく、いつもはおしゃべりなカークまで黙っているのは意外だった。
※ ※ ※
荷物を持って玄関ホールへと集まったフリッツたちに、市長や聖堂の司祭たちが別れを惜しんでくれた。
「王都へのお帰り、ご無事をお祈りしております、」
誰もが、フリッツたち一行の手を握り、励ましてくれた。
フリッツの身分を知らず王都の騎士団の騎士としか聞かされていない市長や司祭たちと並んで、市長の妻子たちも顔を揃えてフリッツたちを見送ってくれた。
「お兄ちゃん、頑張ってね、」と一番年下で一番背の低いフリッツを見て、市長の幼い息子が励ましながら手を握ってくれた。娘は、もじもじしながら市長の後ろに隠れてしまっていた。
暖かい、人間の、柔らかい手だ。
小さな手にフリッツは妙に感激していた。可愛らしい手が、暖かい。
「またね。」
小さな顔にはにかんだような笑顔を浮かべて、手まで振ってくれた。
「ゾーイは王都までご一緒させます。」
旅支度なのか、たすき掛けに大きなカバンを下げたゾーイがギュッと青い帽子を手に握って、青色の司祭服姿で照れくさそうに頭を下げた。寝ぐせ髪のゾーイに、らしいな、と思ってしまう。
「帰りはミンクス侯爵家の騎士団の騎士様たちが送ってくださるそうだ。足手まといにならないようにするんだぞ、ゾーイ、」
市長がゾーイの背中を押し出すと、「よろしくお願いします、」とゾーイは照れ臭そうにお辞儀した。
「ゾーイ、歓迎する。頼もしい仲間が増えて嬉しいよ、」
キュリスとビスターがさっそくゾーイを囲んで打ち解けた様子で話しかけていた。ランスがフォートと目配せをして、フォートの荷物の中から包みを出した。
「真夜中に押しかけて迷惑をかけました。これは私たちの旅の戦利品です。魔物が持っていたものですが、浄化すれば何かの足しになるでしょう、」
ランスがお辞儀をしてフォートが包みを渡した中身を、さっそく受け取った市長が確認した。包みの中身はあの一つ目の巨人男を倒して手に入れた首飾りだった。
「ほお…これは、見事ですな。」
「もう持ち主はいないと思います。証明書が必要なら私の名で一筆書きましょうか、」
出所の怪しい宝飾品は盗品として市場価格が下がることを察してのランスの提案だった。
「いえ、結構です。大丈夫です、バラして加工し直させますから。」
「そうですか、」
「こういう見事な細工物は大きなままで扱って標的となるより、分散させた方が安全です。特に、こんなご時世ですから。」
にっこりと笑った市長の言葉にフリッツは、前の持ち主はそういう理由で標的になったのかもしれないなと想像して、哀れに思った。
「では、ありがとうございました。旅を急ぎますので、この辺で、」
ランスがお辞儀して先に歩き出したのを皮切りに、フォートやキュリスたちも門に向かって歩き出す。
「行きましょう、」とカークが声をかけてくれる。
フリッツも歩き出そうとした時、市長の娘が走り出て、「これ、お兄ちゃんに、」と小さな赤い花をくれた。
「イザベラ、これ、よしなさい。失礼ですよ、」と、市長の妻が窘めると、すぐ近くにいた司祭の後ろに隠れてしまう。
「だって、お客様に何もおもてなししなかったんだもの。来てくれてありがとうって、言いたかったんだもの。」
顔だけ出して市長を見上げた女の子は「お兄ちゃんたちに、また来てほしいの。今度はゆっくり来て、この街を好きになって帰ってほしいの、」と口を尖らせた。
はっとして、フリッツは娘を見つめる。
もてなされるのは、当たり前だと思っていた。
この者たちにとって、私たちは公館を使う以上公賓としてもてなす対象だったのだろう。
利用するだけ利用して街の良さも知らずに去っていく無礼に気が付いて、ここに住む者たちの気持ちを考えていなかった自分の横暴さが恥ずかしいと思えてくる。
通り過ぎていくだけの街だと、思っていなかっただろうか。
この暮らしを守るために魔物を退治しているのだと、私は思って戦っていたのだろうか。
「そうですね、市長、ぜひそうさせてください。」
ランスがにこやかに笑って、花を見つめて考え込むフリッツの肩を軽く叩いた。
「フリッツ、そう思いませんか、」
「そうだな、今度は、こちらも土産を持ってここに来よう、」
この赤い花は、未来への希望だ、とフリッツは思った。
またここに来てこの街にゆっくり滞在できるような平和を、私がこの手で作らなくてはいけない。魔物に怯える不安な未来を現実に浸食にさせてはいけない。この花のように脆い子供たちが大切にしている街を守るのが、王となる者の宿命だろう…。
「いいですね。では、お待ちしております。」
市長たちはほっとしたように微笑んだ。
「約束よ、」
瞳をキラキラと輝かせた子供たちがフリッツを見上げていた。
「ああ、約束だ。」
司祭たちとともに明るい表情になったイザベラの顔を見て、フリッツは、覚悟を決める。
もっと訓練してもっと剣の腕を磨いて、もっと強くならないといけない。
でもきっとできる。
私には、ここに帰って来る理由ができた。
「ああ、きっと来る。よい土産をありがとう、」
フリッツは貰った一輪の赤い花を振って、別れを告げた。
もっと強くなって、この想いを守る。
漠然とした役目が、自分の中で確たる信念に変わる。
「さあ、出発だ、」
帰り道も続く演習も、フリッツには行きとは違って感じられていて、清々しい気持ちで歩き出した。
ありがとうございました




