19、乙女な剣士
「お嬢さま、行ってください!」
走り抜けるつもりなんかない。
オルジュ!
一瞬にして起こった砂嵐を目くらましに、わたしは地属性の『骨接ぎ』の魔法をまずはあのいかつい男の足元に放った。
「うわ! なんだ、」
足首が瞬間的に曲がった男の手にあった剣が、よろけた拍子に周りの者たちに当たる。カンカンキンキンと刃物がぶつかる音と、悲鳴やザクリブサリと物が切られる音が砂嵐の中から聞こえる。
「ギャア…!」
「やりやがったな、こいつ!」
見えない状況で混乱して、同士討ちが始まっているらしかった。
「さあ、急いで!」
砂嵐の中仲間割れになっていくのをいいチャンスとばかりに、ビセンデさんに肩を貸して、スティーノ青年と急いでその場を離れた。
ビセンデさんを助ける。
スティーノ青年を助ける。
何より、わたし自身を助ける!
意志を強く持って自分を奮い立たせて、重さを感じないようにして急いだ。
引き返す道の先には木材置き場が遠く先にあって、その向こうには橋もある。橋さえ渡ってしまえば、聖堂の騎士だっている。昨日の信者の子供を助けようとしてくれたように、街の人たちがきっと助けてくれるはずだ。
オルジュの砂嵐の魔法はそんなに効果が持たない。
体に不治の病という爆弾を抱えているビセンデさんに無理をさせられないのは判っている。
わたしは冒険者だ。
悪い魔性のお父さんの子供で、未分化の半妖の、ビアだ。
スーッと息を吸い込んで、ビセンデさんをスティーノ青年に「よろしくね」と頼んで、立ち止まって振り返った。
「お嬢さま?」
ビセンデさんが立ち止まった。すでに顔色は、血の気が引いて白くなっている。無理をさせたらダメな状態だ。
「行ってください。ここは食い止めます。」
治癒の魔法をビセンデさんにかけて、わたしは微笑んだ。
いくつになったってどんな未来になったって、どこまで行っても治癒師なんだって自覚する。
誰かを助けるためになら、できることをしたいと思っている…!
「任せて。ビセンデさんを優先してくれて大丈夫です。」
「お嬢さま?」
「行って。この先にきっとまともな人がいるから、行って呼んできて!」
励ますようにスティーノ青年の肩を押すと、ビセンデさんを見て、「…すみません」という声が聞こえた。
やるべきことはただひたすらに、本来は治療に使う魔法を治療ではない方法で使っていくだけだ。
治癒師としては最低なのだって判っていても、これしか方法が思い浮かばないのだから仕方ない。
わたしはビセンデさんを助けると決めたのだから、やるしかないのだ。
やがて、やんでしまった砂嵐の中から、怪我だらけになった男たちが飛び出してきた。
「このアマ―!」
「捕まえろ、アニキの仇討ちだ!」
「生きて逃がすな!」
怒鳴る声に怯みそうになるけど、向けられた剣に逃げたくなるけど、覚悟を決めて魔法を使う。
「そいつは魔法を使うぞ!」
怒号と悲鳴とが、辺りに響いていた。追いかけてくる男たちは半数ほどだったけれど、誰もが殺気立っていた。
足元や膝に向かって『骨接ぎ』をかけていく。
ついでに地属性の魔法の『地割れ』を舗装の脆い道に向かって掛けて、足元から倒していく。『地鳴り』よりも数段軽い魔法だけど、足元を掬う程度に地面が揺れただけでも、『骨接ぎ』で体が均衡を保てない状態になっているのだから十分に効果がある。
ひとりめ、ふたりめと体を崩していく男たちの後方から突然現れたピンクの旋風が見えた時、あれが何なのか一瞬わたしは戸惑って言葉を失ってしまって、とっさのことで『骨接ぎ』の魔法をかけ損ねてしまった。
いきなり剣を振り上げた、怒りに顔が醜悪に変わった盗賊の上半身が見えた。
「覚悟しろ、このアマ!」
間に合わない!
硬化してたって、剣は跳ね返せれない。これは怪我する!
反射的に目をつむりかけて、振り下ろされた剣がわたしの肩を打とうとしたのを見たくないけど見ておかないとどこを怪我したのか判らないと思った時、ピンク色の旋風が背後から蹴り上げるようにしてわたしの目の前の男を撥ね飛ばした。
ピンクの旋風の、おっさん…?
易々と剣を手に回転して舞うように盗賊たちを打ち取っていくのは剣士で、どう見ても筋骨隆々な男性がピンクのカクテルドレスを鎧替わりに着て戦っているのだと気が付いて、わたしは絶句してしまった。
彼はどう見たって剣士で、どう見たってサイズが合ってないし、ピンクのカクテルドレスが似合うしなやかな体形をしていない。単純に俊敏な足の動きも鋭敏な剣の捌きも彼が熟練した剣の腕前の持ち主だからできる身のこなしで、踊っているのとは違う。剣術舞踏家のような優雅さもなければ美しさもない。そもそも、どうして鎧ではなくカクテルドレス、しかもピンク色なんだろう。
目の前で起こった出来事に唖然として、でも、状況を思い出して気持ちを引き締める。
『骨接ぎ』で足止めをして、オルジュに砂嵐も頼む。
回転する勢いに身を任せて踊るように剣を使ってバッサバッサと盗賊たちを倒していく剣士は、茶色く日に焼けなめらかな筋肉は女性のしなやかさではなくどう見たって男性の重厚な肉付と骨太な骨格で、窮屈そうなピンク色のカクテルドレスから無駄のない立派な体が覗いていた。何より顔つきだって、くすんだ茶金髪の短い髪、男性性の色濃く出た広い額、濃くはっきりとした眉、高い鼻筋、しっかりとした口元が何らかの詠唱まで不気味な音階で唱えているのが聞こえる。皺のある表情も割れた顎を見てもどう見たって中年の男性だと、声を大にして言ってみたくなる。
感想を言わせていただけるのなら、演舞のような戦闘よりも彼自身に目がいって仕方ない。
「剣術舞踏家…?」
舞っているように見せている動きは、オリジナルの剣術とは思えなかった。どこかで見たことがある気がして考えていると、シューレさんの剣舞を思い出せた。でも、圧倒的にシューレさんの舞は崇高でこの人の舞うこれとは違うと首を振って否定してしまった。比較すればするほど、シューレさんの剣舞を悪趣味に真似したものに思えてきた。
ピンクのドレス姿の剣術舞踏家は、いきなり、「旋風の舞!」と叫ぶなり大きく飛び上がって、高速で連続して回転しながら無頼漢どもを蹴散らし全滅させてしまった。
盗賊たちの悲鳴が上がる。
パンパンと手を打ってお辞儀して、ピンクのドレス姿の剣士が天を仰いでいた。
夢じゃないよね。
変に汗が額から流れて、これ、夢じゃないよねと我が目を疑う。
ツカツカと勢いよく音を立てて歩いてピンクのドレス姿の剣士がわたしの方へと近付いてきた。
「ちょっと! そこのあなた! 剣術舞踏家を知っているのね! やるじゃない!」
えっと、声もやっぱり普通のおじさんなんだけど?
いきなり両手を握りしめられてぶんぶんと振りまわすようにして握手をされてしまって、助かったはずなのに助かってない気がし始めていた。
おじさんの高めなテンションとキラキラと輝く眼差しに圧倒されてしまって、壊れた首振り人形のように大きく頷いた。
「お嬢さま―!」
わたしを呼ぶ声はスティーノ青年の声で、振り返るとちょうど橋の麓辺りにいた聖堂の騎士たちを呼んで連れてきてくれていた。
このカクテルドレスな剣士をどう説明すればいいのかと内心オロオロしているわたしを全く気遣うことなく、剣士はわたしの影で着替えをし始めた。剣士とわたしとの体の大きさを考えると大事なところが隠れる程度の壁にしかなってあげられていない気がしてつい「申し訳なかったです、」と呟いていた。
「んまっ、なんて可愛らしい!」
小脇に抱えていた麻袋にドレスを仕舞った剣士は、やっぱり見掛けとは想像がつかない口調で話をし始めた。聞き間違えじゃなかったんだ。この人、乙女な剣士なんだ…!
「アタシ、レゼダって言うの、よろしくね、おチビちゃん」
嬉しそうに剣士は微笑んでまた手を包むように握り直して握手してわたしの腕を振った。
「おチビちゃん、お名前は?」
「ビ、ビア…?」
「ビアちゃん、よろしくね。最高の気分よ、やっと私の美学に追いついてくれる子に出会えたんですもの!」
美学?
追いつく?
理解できない言葉に混乱しながら、腕を振られるままでおとなしく従っていた。抵抗したらもっと話が長引きそうな予感がする。
逃げられない、と思ってしまったのは何故だろう。
※ ※ ※
助かったはずなのに汗をダラダラとかいているわたしを見て「お嬢さま、ご無事で何よりです」とスティーノ青年は言うけれど、心の中は動揺しまくっていた。
聖堂の騎士たちはわたしやレゼダさんにいくつか質問して、盗賊たちを縛った。冒険者としてのレゼダさんは口調を簡潔にはっきりとに変えていて、どう見たっていかつい剣士様な雰囲気に変わっていた。あのピンクのドレス姿はやはり夢を見たに違いないと思えてくる。
「胡乱な連中が昼間からたむろしていると通報があったばかりでしてな、いやあ、助かりました。」
「ご協力感謝する。さすがは冒険者さまですな、」
騎士たちはスティーノ青年とわたし、レゼダさんとを見比べて嬉しそうに笑った。ビセンデさんは迎えに来た者たちに先に家まで送り届けてもらったと聞いていたので安心していた。
「この辺は物騒だから早く帰るのがいいですよ、」
わたしが『骨接ぎ』を雑に乱発した影響で、怪我人たちは苦悶の表情を浮かべていた。ちょっとだけ、胸が痛い。
「待ってください、」
「なんだい、お嬢ちゃん、」
「少しだけ、いいですか?」
「良かろう。」
聖堂の騎士たちの中で一番年配の騎士が、仲間の騎士たち皆の顔を見回して頷いていた。
「山の民の青年を見かけなかった? マハトって言うの、」
捕まえた盗賊たちに大きな声で尋ねてみる。
「あなたたちが捕まえて食べちゃったりしたのかしら、」
騒めく声がして、一番癖の強かった『アニキ』と呼ばれていた男が「食うか、」と叫んだ。
「山の民は確かに昨日来てたよ、なあ、」
「あの若造は虫を拾って集めていたよな。神殿の中に入って行って、そこから見ていない。」
「かどわかしっていうより、神隠し、だよな、」
「ここいらじゃよくある話だからな、」
神隠し…?
もしかして、マハト、妖の道に迷い込んだの?
わたしは眉を顰めながら、立ち上がると、呪文を唱えた。
大勢に人間相手に魔力を使うのは消費も激しいので躊躇う気持ちがあったけれど、これぐらいやれますと聖堂の者たちに証明するにはこれが一番手っ取り早い。
『診察』しながら盗賊たちの体の一部に触って歩き体の状態を把握して、ついでに『骨接ぎ』をきちんと使って骨の位置を正しく戻す。
「オオオ…!」
痛みが消えていくのか嬉しそうな顔になる男たちに、仕上げとばかりに両手を広げて彼らひとりひとりに『治癒』の魔法をかけた。全回復としなかったのは万が一騎士たちに逆らって逃げだしたら面倒だからで、良心に従ってやめておいた。
「お嬢ちゃんは本当に治癒師なんだなあ、」
崇拝する眼差しになって盗賊たちがわたしを見上げている。
「もういいか、満足したか、」
騎士たちが呆れた顔になった。
「怪我人を怪我人のままにしておいてくれた方が拷問も容易かったのだがなあ、」
聖堂の騎士なのに、拷問するの?
ビックリして面喰ったわたしに騎士たちは笑って、「拷問と言ってもすべてはこの者たち次第だから案ずるな、この者たちが素直にはいてくれれば拷問などしない」と言っていたけど素直に信じられない。
立たされ引っ張って連れていかれる盗賊たちは、わたしに「恩にきるぜ、」とか「悪かったな、」とか一言声をかけてくれた。
あのアニキ…、『雷鳴の竜』盗賊団の頭領もすれ違い様に声をかけてくれた。
「お嬢ちゃんがいたら、魔窟の探検に行けたかもしれないなあ。」
「魔窟?」
「ああ、この街にある『天女の羽衣』の隠し場所さ、」
クアンドに魔窟があるなんて知らない。
「もしかして、盗人酒場と関係あったりするの?」
パッと目が見開いた彼は、そのまま口を噤んでしまって何も言わずに騎士たちに連れて行かれてしまった。
「『天女の羽衣』、やっぱりこの街にあるのね、」
わたしの隣りでちゃっかり話を聞いていたレゼダさんが呟いて、その口調はやっぱり聞き間違えでも夢でもなかったみたいで、スティーノ青年が「ええええ?」と顔色を変えた。
※ ※ ※
「途中まで送ってあげるわ」というレゼダさんの話し方でスティーノ青年はレゼダさんのふたつ目の顔に気が付いたようで、そういう個性として受け止めることにしたらしい。わたしもレゼダさんに興味が湧いてきて、可能な限り深く彼の人物像を知りたくなっていた。
「助けて下さってありがとう、レゼダさん。で、聞いてもいいですか、剣士じゃなくて剣術舞踏家なんですか?」
「アタシは、そうねえ、剣術舞踏家になりたい剣士ってとこかしら。」
「えっとお、目指してるんですか?」
「目指してるんじゃなくて、なるつもりなの。てゆうかなるの。この街には『天女の羽衣』があるって聞いたから寄ったのよ、」
「スティーノさん、知ってますか?」
「い、いいえ、初耳です。」
「『天女の羽衣』は正確には『天地を舞い踊る清き乙女の空渡る風の羽となりし薄衣』って言うのが正式名称だから『天女の羽衣』って言うのは竜を祀る国・王国の俗称かもね。」
「もしかして、竜に関係のある宝具ですか?」
わたしが思いついたままを口に出すと、レゼダさんは頷いた。
「『天女の羽衣』は風竜王の召喚に使うの。雷竜グイード様は人間がお嫌いで竜の調伏師でも契約は難しいと聞くわ。だけど、『天女の羽衣』があれば契約が可能って話なのよ。」
オルジュ、と囁くと、オルジュが「この街では見かけてないよ、ビア」と囁いてくれた。見かけてないと言うのなら、少なくともオルジュは見た経験がある。わたしは先の大戦を知らない世代だし、竜を祀る国の宝具についての知識はほとんどないと言っていい。
「レゼダさんは、もしかして竜と契約を望んでいるんですか?」
あのピンクのドレス姿には理由があったのだと知れて、レゼダさんを見直す思いで見つめた。
「望んでないわ。アタシがなりたいのは竜の調伏師じゃなくて剣術舞踏家だもの。」
「えっと…?」
「アタシが尊敬する方がお望みなのよ。持ってきたら弟子に迎えてやってもいいって仰ったの。」
真っ赤になって照れながらレゼダさんは早口で言った。「とっても素晴らしい舞を奉納される方なの。アタシ、一目で魅了されちゃって。なれるんなら世界一の剣術舞踏家の弟子になりたいじゃない? そう思わない?」
「そ、そうですね、」
無理難題吹っ掛けて遠回しにレゼダさんを断ったのだとしたら伝わってないぞ、とわたしは思ったけど黙っておく。尊敬できるものを見つけられて憧れに近付きたいと努力するレゼダさんが、例え筋骨隆々のおっさんでピンクのドレス姿で舞う感性の人でも、とてもかわいく思えてしまったからだ。
「ですが、どうしてそんなものがこの国に…?」
冷静なスティーノ青年が橋が見えてきたのもあって表情をきりりと引き締めている。橋のたもとにいた騎士たちが手を振って合図してくれている。その中の一人…、あれは、もしかして聖騎士のアレハンドロじゃないかな。
「先の戦争の頃に持ち出されて行方不明になっていたのが、流れ流れてこの街に落ち着いたらしいってアタシは聞いてるわ。と言ってもアタシに教えてくれたじいさまも聞いた話だって言ってたからイマイチ胡散臭かったんだけど、あいつらが言うのならやっぱりこの街にあるのね、」
皇国の国境の街クアンドに魔窟があって盗人酒場もあって天女の羽衣もある…?
「レゼダさん、この街での宿はどこにとったんですか、」
「アタシ? 市場の中の…、」
言いかけてレゼダさんは顔を輝かせて大きく手を振った。
橋のたもとにいた騎士たちの向こうから駆け寄ってきた人物に、「迎えに来てくれたの?」と愛想よく手を振っている。
何度も心の中で訂正を入れるけどレゼダさんはオッサンだ。はしゃぎ方が乙女なオッサンだ。
なんでこのふたりがそういう関係なの…? 混乱するわたしは同じく混乱した表情のスティーノ青年と、レゼダさんと駆け寄ってくる人物とを見比べていた。
レゼダさんの存在にぎょっとした表情になった美しいその人物は、わたしの目の前まで来るといきなり顔を両手で掴んだ。
「し、師匠、痛い…!」
「ビア、なんでそんなにあなたは無鉄砲なんです!」
「ちょっと、アタシを忘れないでよね、バンちゃん、」
「バンちゃん…?」
どういう関係?
青白い顔になったわたしとスティーノ青年を見て、師匠は「私はバンジャマンです!」ときっぱりと否定して首を振った。
ありがとうございました




