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6 この領での当たり前は、他領では異質

 ククルールの街をひとつ過ぎたヴァイルという街は、真夜中に現れたフリッツたちを嫌な顔一つせず迎え入れてくれた。

 ヴァイルはククルールの街よりも歴史が古く領都マルクトに次いでの大都市だったけれど、商業地よりも小さいながらも古くからある神殿や聖堂、古代遺跡が多いおかげで文化都市といった風情で、いささか華やかさには欠ける印象があった。

 聖堂も古くて立派で、街に入る前から松明を持った市所属の騎士団の者達の歓迎を受けた。聖堂の中には夜中だというのに市長や聖堂の司祭たちも顔を揃えていた。

「この者たちには王都から来た王城の騎士団の実地演習を兼ねた討伐隊としか伝えておりません。そのようにお振舞ください、」とアレクシオスが囁いたので、フリッツたちは無言で頷いた。フリッツが王族であるという身分を明かすと、平民たちは直接話しかけたり接触することが難しくなる。不敬とならないために、間に従者や貴族の仲介が必要となり、一刻を争うような治療するには無駄な時間がかかりすぎてしまうということなのだろう。


 フリッツたちは聖堂の司祭長室に通された。真夜中の聖堂の中は蝋燭の明かりが白い壁にぼんやりと光を映し出していて幻想的で、時々、家具の影に何かが小走りに走って動くのが見えた。精霊か何かが棲んでいるのだろうか。フリッツは聖堂でも臆すことなく棲む者がいるのだなと感心してしまう。

 丸椅子がいくつか運び込まれて、ソファアに腰掛けたフリッツたちの傍に置かれた。濃紺の司祭服を着た司祭たちに囲まれて、青い司祭服に青い帽子をかぶった若者が入ってきた。

「お待たせいたしました。この者はゾーイと申すこの聖堂の治癒師(ヒーラー)です。」

「治せそうか、」と尋ねたフリッツに、若い治癒師(ヒーラー)は一瞬躊躇った顔になった。右腕が肘の辺りからだらりとぶら下がっているだけになっているランスの状態を見て、一度フリッツたちの顔を見回した後、司祭たちを見る。

「畏まりました。」と、何か覚悟を決めた顔になって、小さく肩を震わせた。

「まずはこの方から治療してほしい、」

 アレクシオスは当然のようにフリッツを優先させようとした。司祭たちは少し驚いた表情をしていた。なんとなくフリッツの身分を察したのだろう。

 そんな特別扱いはいらない、と思っても、王子であるという身分がそういう判断を下させるのだと納得して、フリッツは「ランスを先に、見てやってほしい、」と提案する。

「なりません、」

「擦り傷に切り傷に打ち身と、自分でも判る程度だ。私は馬にだって乗れただろう?」

 ランスは迎えに来た騎士と相乗りしてここまで移動してきていた。「それでも、」と言おうとするアレキシオスやカークの様子に、フリッツは首を振って断った。

「私など大したことはない。どう見たってランスが先だろう。私は最後でいい。大丈夫だ、これぐらい大したこと、ない。」

 自分はほぼ無傷に近いのだと、ランスやフォートの顔色を見ていれば想像がつく。疲労で顔色も悪く、脂汗を額に浮かべている彼らを見れば、自分など治療も容易そうだと、フリッツは冷静に思う。

「ランスもフォートも、騎士団の騎士だ。苦痛を口にしない立派な騎士だ。私は、彼らに敬意を払いたい。」

「…畏まりました。」

 アレクシオスが目配せをすると、司祭が「ゾーイ、」と心配そうに治癒師に声をかけた。


 ゾーイと呼ばれた治癒師は表情を引き締め、背筋を伸ばすとお辞儀をして、ランスの前に立った。

「痛みますか?」

 痛いと言わずに、座ったままランスは静かに、弱弱しく微笑んだ。

 声を出すのも億劫なほど痛いのか、とフリッツは察して、心が苦しくなる。治療を受けても、最前線に復帰できるほど治るのだろうか。ランスは利き腕を怪我している。武官としても文官としても職を追われてしまうかもしれない。そんなことはさせたくない。子供の頃から専属の訓練教官として慣れ親しんだランスを、こんなところで手放したくなかった。

「大丈夫です、痛みがあるうちは、筋がつながっていますから、」と、ふうっと息を吸って、ゾーイは神妙な面持ちになり呪文を呟きながら、天井に向かって人差し指をくるくると動かした。微かに苔緑色の軌跡が空中を駆け回り、魔法陣を描いていく。フリッツは目で追いながら、描かれていく六芒星と二重の円、文字のような何かと記号のようなものを読もうと目を凝らした。

 ゾーイはフリッツやランスたちが顎を上げずに天井を目で追っている様子が面白いのか、微かに微笑んで、ランスの怪我をした方の手を自分の手でそっと支えて、手を翳す。


 フリッツには聞き取れない言葉の羅列が続いて、精霊を召還したのか、静かな月の光のような輝きを放ちながら半透明の、白銀色に近い八本の足の蜘蛛のような生き物が、ゾーイの翳した手の中から生み出されたように空中に現れた。


 大きさは握りこぶし程度の丸い胴体と、長い針金のような手足が優雅に伸びていて、ランスの腕の長さよりも長いかもしれない。半透明の生き物はくるくるとランスの腕を這って回り、腹部から伸びている口でこよった白銀色の糸が幾重にも絡まって、ランスの腕を固定して縛り付けていく。

 ランスは痛くないのか、何も反応せず、ただじっと、目を凝らして様子を観察していた。

 蜘蛛の糸はやがて、ほろほろと崩れるように空中に溶けて消えた。蜘蛛はまた優雅にランスの肘の上に乗って動き回って、蜘蛛の手足が摘まむようにランスの体に触れる。そのたびに、ランスの肌から金色の星が生まれては消えて、細かな粒の様にランスの周りに漂い始めた。

 金色の粒が燃えるように暖かなオレンジ色の輝きに変わりランスの体をほのかに包み込むと、精霊は空中に溶けて消えてしまった。


 あまりの美しさに「ほう…」と思わず感嘆の声を漏らしたフリッツに、治癒師は照れ臭そうに、そっと瞳を細めている。

 フリッツにははっきり見えたけれど、どうやらその生き物は見えている者と見えていない者とがいるようで、焦点が合っていない様子のカークたちはその存在を見ようともしていなかった。聖堂の司祭たちは慣れているのか、当たり前のように微笑んだまま、表情すら変えない。

 

「さあ、これで大丈夫です、でも、しばらくは怪我人と同じようにお振舞ください。心の回復は私にはできませんから。」

 ランスの腕が自然に上がり、指が、滑らかに動いていた。

 治癒師(ゾーイ)は小さく微笑んでランスを見つめ、包帯を巻いて、「お大事になさってください、」と神妙な顔で釘をさす。

 傷だらけのフォートの治療が終わるとキュリスも治療してもらい、次いでカークに勧められフリッツの治療にあたってくれたゾーイは、フリッツの体を手で温めるようにして翳して治癒してくれた。みるみる体の痛みが取れて傷が塞がり、みるみる、疲れが消えていく。

 最後のカークにも、フリッツにしたように手を翳すだけの治癒だった。ただ、時間がかかるのか、念入りに、何度も全身を手で翳している。


「…先ほどの、あの術は使わないのか?」

 またあの半透明の空中に動き回る蜘蛛のような生き物を見たいなとフリッツは思い、ゾーイに尋ねてみた。

「さっきの術の方が早く治療できるのではないのか?」


「あの術は…、私のような者では一日に一回しか出せません。」

 そっと目を伏せて、ゾーイはフリッツから視線を逸らした。

「ほう、それはどうして、」

「あれは、地に棲まう精霊です。」

「お前は精霊使いなのか? 」

「精霊使いではありません。治癒師です。あれは、本来なら聖堂の術ではありません。」

「お前は、聖堂の治癒師ではないのか?」

 フリッツの質問に困ったような表情になり、司祭を伺うように見て、ゾーイは黙ってしまった。

「恐れながら申し上げます、」

 司祭長がフリッツたちの傍に近寄ってきて、跪いた。

「王城の方のお耳に申し上げにくいことですが、この者の存在は公には秘密なのです。細かい事情を聞かないでやってくれませんか?」

「何故だ? ことの次第によっては考えなくはないが…、」

 騎士団の騎士の立場で、アレクシオスは怪訝そうな顔つきに変わった。ランスは黙って様子を伺っている。

「私がこの討伐隊の責任者だ。王城への報告の一切は私が取り仕切っている、私の采配次第だ。」

 アレクシオスはフリッツに小さく頷くと、ランスや他の者たちの顔を見回し、言葉を切った。

 フリッツの身分は公にはしていない、ということだろうとフリッツは思った。この救護の要請も、王城からの騎士団の演習の最中に起こった事故、とでも処理するつもりなのだろう。

「では、ご内密にお願いいたします。」

 顔を引き締めて、司祭も、覚悟を決めた顔つきになる。

「この者の母親は半人半妖です。母方の祖母の影響で、地の精霊王様のお力を少しだけ借りることができるのです。」

「なんと、」

 半人半妖ということは、(あやかし)(えにし)を結んだのか、とフリッツは驚いた。人間と結婚しない人生とはいったいどういう状況なのだろうとも思い、興味が湧いてしまう。

「このミンクス領では(あやかし)が…、精霊が人に混じって生活をしていたという風習が残っている地域が多くあります。人間と縁を結ぶ者もまれにあったので、先祖の誰かが人間ではない者、という家系の者が多く暮らしています。」

 ゾーイを見つめているカークは、驚いた表情をして、顔を強張らせていた。

 王都で暮らす生粋の貴族であるカークには、ありえない存在と思ったのだろうなとフリッツは思った。いうならばフリッツ自身も、他国の血が混じった存在だった。フリッツ自身は王族ではあるけれど、母方の祖母は隣国の王女だった。祖母の生まれた国と言っても、救済の術式を使う神の国という隣国がどういうところなのかを知らない。

「聖堂では生ける者はすべて平等の権利を持つと教えを説いていますから、どういった出自の者でも働き手として受け入れています。ですが、」

「この領以外では、そうも行かぬ、という訳だな。」

 アレクシオスはカークの表情をちらりと見て、「驚き、忌み嫌う反応をする者がおるからだな、」と納得した表情になる。

「ええ、この領では、当たり前のように存在している半人半妖も、他の領では妖と縁を結ぶという習慣自体がありませんから、奇異の目で見られたり、警戒されたり、排除されたりするのです。」

 ゾーイはカークから視線を逸らして、気まずそうに口を結んでいる。誰かの助けになっても忌み嫌われるのかと思うと気の毒に思えて、フリッツは同情してしまう。

「この領での当たり前は、他領では異質なのです。優れた治癒の能力を持つ者なので治癒に当たらせましたが、ご不快でしたでしょうか、」

 フリッツはランスを見た。ランスは意図せずして精霊の力を借りて治療を受けたことになっていた。不快に思ったりするのだろうか。

「私は構いません。どの国でも秘術を持ちうるものだと思っています。」

 ランスは、珍しくにっこりと笑う。

「稀に精霊を感じる機会を得ることはあっても、精霊の干渉を受けることは滅多に体験できない奇跡ですから、得難い経験をしたと思います。東の皇国(セリオ・トゥエル)では救済の術式が行われているようですし、南の公国(ヴィエルテ)でも魔術が人を救っているようですから。精霊召喚はこの国の財産なのだと思いますね。」

「私も、ランスに同感だ。自分の存在に関わるような秘密を打ち明けてくれたことに感謝する。王城とてそのような覚悟あっての奇跡を無碍にはしないだろうと思う。」

 フリッツはまっすぐにゾーイを見つめて自分の気持ちを告げる。「この者を助けてくれてありがたいと感謝している。」

「カーク、お前はどう思うんだ、」

 アレクシオスに突然名前を呼ばれて、カークはビクッと肩を震わせた後、「嫌ではありません。驚きはしましたが、…むしろ、かっこいいなと思いました、」と照れた表情になった。

「私にそのような力があれば、フリッツのお傍にいてもっとお役に立てただろうにと、思いました。」

「そうだなあ…、」

 従者のカークが精霊使いなら、フリッツの旅はもっと楽になるかもしれない。

「お前はお前だからなあ、」

 アレクシオスが呆れたように笑ったので、フリッツもつられて笑った。乳兄弟のカークは世話好きで、フリッツのよき理解者でもあった。これ以上の献身は、無理をさせている気がしてならない。

「カークはカークのままでよい、」

「そうですね、」

 和やかな雰囲気になり、笑う声にほっとしたような表情になったゾーイを見て、司祭たちは胸を撫で下ろした。王族の騎士団の治癒をと望まれた時、どうなることかと心配していたのだった。


 カークの治癒が終わった頃には、夜が明けようとしていた。

「今日はこの街で休息を取りましょう。王城には予定変更の早馬を飛ばしています。」

 アレクシオスが指示を出し、フリッツは市長の屋敷へと案内された。急のこととはいえ部屋を用意してくれるとのことだったので、フリッツたちは明け方の街を移動する。


 東の空に明けの明星が輝くのを見つけた。


 長い夜だったと、フリッツは眠気を堪らなく感じて、小さく欠伸をかみ殺した。生きて眠ることができる幸せを、実感していた。

ありがとうございました

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