9、陰に潜むのは輝石の輝き
「もう、大丈夫ですよ、」とミロリさんが微笑んだので、キリノくんとアマルナちゃんがほっとしたのか床に座り込んだ。
「お姉ちゃんが無事でよかった。」
「もうご飯食べられる?」
子供の無邪気な発言に微笑んでしまったわたしたちに向かって、顔色を変えたスティーノ青年とマハトがビセンデさんに肩を貸して近寄ってきた。
ビセンデさんの顔色は白くて、先ほどまでの興奮の反動が出ているのだとすぐに判った。
「奥に運んでください、治癒しますから、」
付き添ってベッドまで運んだわたしたちを弱弱しく見上げたビセンデさんは、「ありがとう、ありがとう、」と繰り返している。
「ありがとうはわたしの気持ちですよ、ビセンデさん、」
わたしは微笑みかけ、治癒の魔法を展開した。眩い光に子供たちが目を輝かせて、「お姉ちゃんはすごいのねえ、」と素直に褒めてくれた。
※ ※ ※
「キリノくんやアマルナちゃんたちは、魔法は使えないの?」
眠ってしまったビゼンデさんに付き添うスティーノ青年を残して部屋を出たわたしたちは、夕食を先にしましょうと提案し厨房へと行ってしまったミロリさんの後を追って食堂へと向かった。
わたしの両手をそれぞれ握ってくれているキリノくんとアマルナちゃんに疑問に思ったので尋ねてみれば、「使えない、」「使えなーい」と即答されてしまった。半妖の感覚として握った手から伝わってくる二人の魔力は多少なりとあると感じたので、きちんと教えれば魔法が使えそうなのになと思う。
「この国では、もう白魔法はほとんどの者が使えません。使えても、聖堂に連れて行かれてしまうので教えないんですよ、」
囁くようにしてミルタさんが教えてくれた。
「堂々と治癒の魔法を使うのは、老いた貴族か貴族のお抱えの医師だけです。」
声を潜めて身を寄せる。
「何か事情があるんですか?」
「私が嫁いできた頃にはもうそんなでしたから。理由は判りません。うちの人も、義父も義母も、魔法は使えないので、私も、使いません。」
ミルタさんが悲しそうに微笑んだ。
「聖堂に連れて行かれるって…、治癒師を集めて慈善事業でもするんですか?」
1周目の未来でも確かに王国で治癒師として聖堂に雇われていたなあと思い出して、公国ではそこまで治癒師に聖堂は関心がなかった気がするな、と比較する。
「判りません。ただ言えるのは、聖堂に治癒師として迎え入れられると棺桶になって帰ってくると言われてますね、」
どうして、と言いかけた瞬間、キリノくんとアマルナちゃんが、「お母さんだけ内緒話ズルい―、お姉ちゃんとお話ししたいー!」と言い出したのでミルタさんは「はいはい、ズルくないズルくない」と明るく大声で子供達の方へと行ってしまった。残念だけれど仕方ない。
皇国は、もともと白魔法を使える者たちばかりの国だったはずだ。誰かを救うための魔法を唱える国だったはずだ。いつからこんな風に変わってしまったんだろう。治癒の魔法を誰もが使える国だったはずなのに。
マハトを見ると、マハトはじっとわたしの瞳を見た後、空中の一点を見つめて目を逸らした。やっぱり、きっと、マハトは何かを見つけているけど、見てないフリをしているんだわ。
<何か見つけた?>
尋ねてみても教えてくれないだろうなと思いながら尋ねてみると、マハトは意外にも素直に応じてくれた。
<見付けた。ただ、口に出してはいけないもの、だな、>
なんだろう。
この国で口に出してはいけないもの…、まさか、精霊が見えたのかな。
わたしの後ろにはわたしの影しかない。まさかね。
※ ※ ※
翌朝、診察を終えると、ミルタさんたちに見送られて、ミロリさんとスティーノさんとマハトと市場へ向かった。というのも、久々のフカフカベッドを堪能してうっかり寝すぎた感のあるわたしは心からの安眠にまるっきり警戒心もなく隙だらけで、ミロリさんが市場散策に同行したいと言い出したのを、好意に感謝して丁重に断る場面なのに断ろうともせず気楽に受け入れてしまったからだ。
寝ぼけた頭で、一晩寝た程度では連日で溜まった疲労感は消し去れず目の下に残ったままのクマも肌のくすみも魔法で無理やり隠して『健康なわたし』を鏡を見ながら演出していると、自分自身の健全な見た目に気持ちが錯覚して『寛容なわたし』になりきってしまっていたのも敗因だ。ビゼンデさんの容体も今朝は案外良好だったのもあって、当たり前に過ごせる朝の平和にすっかり気が大きくなっていたのだ。
警戒心の強いマハトが不機嫌そうに顔を歪ませたのを見てやっと自分の失態に気が付いた時には、既にミロリさんは完全に主導権を握った表情に変わっていて、用心棒の代わりになるからと言ってスティーノ青年も無理やり同行させてしまった。
ミロリさんは宿を無償で提供してくれるという点ではいい人だと思うけれど、わたしとしては事前に伝えてあった薬問屋と鉱石屋の他に花屋も探しにいきたかったのを思い出していて、行き先を管理され、行きあたりばったりなお出かけから遠くなってしまった事態に内心後悔していた。花屋の用事は完全に公国人であり庭園管理員であるわたしにしか判らない価値がある。思いつきで他の店に寄り道したとしても、わたしを優先して丁寧に扱ってくれるマハトは例えわかりきった嘘をついて単独行動をしたとしても多分見逃してくれる。皇国人として白黒はっきりさせたいミロリさんと彼女に頭の上がらないスティーノ青年は、自由気ままな公国人なわたしの思い付きを見逃してくれそうにない。
浮かれていて犯してしまった失態の思いがけない規模の大きさに無言になったわたしと、わたしに気を使っていつも以上に仏頂面で無言のマハトは、ミロリさんと荷物持ちのスティーノ青年の後ろを黙って歩いた。例えるなら、徹夜して磨き上げた輝石をうっかりつまらない理由でさっそく傷を付けてしまったかのような悲壮感がある。
街の東側にある市場の入り口には、この街の騎士ではないどう見ても聖堂の騎士たちが並んで立っていて、台車に固定した何枚かの大きな鏡に道行く人々を映していた。国境の検問所にあった魔道具の鏡と同じ真実の姿を映す鏡で、どうやら市場に人以外の者が入るのを見極めて食い止めているようだった。
こういう仕事をこの街では聖堂が行うんだね、と意外に思いながらわたしは堂々と鏡の前を通り抜ける。この国に入る時にすでに検問所で自分の姿を見たから、この手の鏡には『人間のわたしが映る』って知っているので平気だ。
余裕を見せたくて前髪をさりげなく直して騎士の前を通り過ぎる時、並ぶ騎士の一人と目が合った。焦げ茶髪に背が高いハンサムな騎士は、1周目の未来でも見た記憶がある。王国の王都でコルと話をしているのを見た、聖堂の三本刀の一人、聖騎士アレハンドロだ。こんな場所にこんな珍しい人がいるなんて驚きだ。三本刀は常に同じ国に二人が重ならないように各国を移動している。この街にいるのなら、公国へ出る前か帰ってきたばかりなのかのどちらかで、5月になったばかりだし、公国から帰ってきたと見るのが妥当だ。
1周目では確か…、クラウザー領の領都ガルースの聖堂で、コルと中庭で何かを話しているのを見た気がする。あれは6月? コルは階級上位の軍人だし、単なる治癒師のわたしは気後れして何の話をしているのか聞けなかった記憶がある。
本来のわたしの年齢よりいくつか年上で、1周目の迎賓館では姿を見かけなかった。アレハンドロは、あの時、いなかった…。
ん? そうすると、彼はこの後、王国へ行く用事がある…?
うっかり首を傾げてしまったのをマハトに見られてしまった。
<ビアの、知り合い?>
<ううん、違う、>
<あっちも見てるよ?>
<気のせいじゃない?>
<そう? そうなのか?>
つんつんと指でわたしの肩を突くマハトは、肩越しに少しだけ振り返って後方を見ていた。気になってわたしも立ち止まらないようにして視線だけ向けると、アレハンドロがわたしを見ているのを見つけた。正確に言うと、わたしの影を、睨むようにして見ていた。
お父さんを見える人、なんだ。
彼は三本刀にふさわしく、条件を集めただけの『肩書だけの聖騎士』じゃなくて、本物の、神官の神聖な白魔法を使える聖騎士なのだ。
聖騎士は火属性の斎火みたいなもので、選ばれた神聖な力を持っているとされている。使いこなすには精神修行と厳しい鍛錬が必要だ。
そんな本物の彼がわたしの影に目を付けるのなら、理由はひとつ。悪い魔性の化身であるわたしの父の気配だ。
父を呼んでいないのに父は近くにいるという推測に、嬉しいけど緊張もする。
<見てるよね?>
マハトの瞳に映る色は、好奇心ではなく警戒感だ。
<気を付ける。ありがと、マハト、>
父をこんなところで見つけられたくない。わたしは絶対に呼ぶもんか、と心に誓った。
市場の中は、この街に暮らす人と公国からの観光客、国境の街で外貨を得ようと集まってくる商人たちや、周辺の農村部からも集まってきている日々の糧を得ようとする人々で賑やかだった。公国語を話す店主の店と皇国しか話さない店とが混在していて、行き交う人々の中には公国人に混じって王国人もいた。
軒先にある露店や喫茶店や食堂の路面席で食事をしている人や話をしている人の表情は、どこか暗い。店主たちも疲れた表情をしていて身を竦め虚ろな表情な客人たちが目について、季節は夏が近くなろうとしているのに、どことなく厳しく寒い冬が始まる気配がする。
何軒か通り過ぎると宿屋を見つけた。すぐ近くに酒場も見つけた。わたしは鉅の指輪をそっと撫でて、冒険者としてここへあとで来ようと心に誓った。
※ ※ ※
市場に入って何軒目かの土産物屋としての鉱石屋は、窓の外からも店内の鉱石の煌めきを見せびらかすように滑らかな生成り色の絹の上に、色とりどりの大粒の輝石が一定の間隔をあけて展示してあった。偽物には見えなくて、すっかり魅せられてしまった。
マハトに<一緒に行く?>と尋ねると<興味ない>と正直に断られてしまったのもあって、用事があるのはわたしだけなのでミロリさんとスティーノ青年にも店外で待ってもらうよう頼んで、ひとりで中へと入ってみた。
店の外よりも数段階段を降りた作りになっている店内に降りると、まず目についたのは店内上部から吊り下げられ月のように宙に浮いている丸い灯りだった。薄い紙製の丸い球体の中に蝋燭か何かで明かりが灯されている店内は窓の明かりだけでも十分に明るかったので、あまり光源としての意味がなしていなかった。この店は夕暮れ時に来た方が美しいのかもしれない。
大きな窓から見えていたのは棚の上部で、その一段下の客が手が届きそうな高さにずらりと小さな小箱が並べられているのだと判った。子供には手が届かないようにこの店の店内の棚は成人男性の胸の高さほどに棚の高さが揃えられていて、小箱の中身も見えないようになっていたのだ。そう。つまり、背の低いわたしは目線の高さに輝石を見る状態となり、爪先立ちをすると棚を倒しそうなので悔しくても少し顔をあげてみるしかない。地味に腹の立つ仕様に悔しさを覚える。魔石となる輝石は希少価値がありどの国のどこに行っても高価なので盗難を避けるためだろうと察しをつけると、そんな展示の仕方も妥協するしかない。
この店は皇国だけど鑑定士はいるのかな、と店内を見回す。この店の鑑定士は、水属性の輝石が好きみたいだ…、手入れされ浄化された心地よい気配がいくつか見つかる。火や風の効果のある石もある。
宝石や鉱石を扱う店には決まって鑑定士が雇われている。地属性の魔法使いの職業のひとつで、地の精霊王さまや地竜王の祝福を持ち『審美眼』に才能を特化した職業で、魔石用の輝石の調達をする役割をしてくれ後方支援が専門だ。考古学者や地理学者の副業ともされていて、公国の図書館でもベスと仕事している者がいるのを知っている。
皇国での魔法は公国でいう白魔法で、基本的に攻撃ではなく治癒が主な使われ方だけど、はっきりと言及しないだけで公国のようにそれぞれ属性を持っている、とアウルム先生は教えてくれた。アウルム先生自身は冒険者となってはじめて自分の属性をはっきりと意識したと語ってくれたので、あまり皇国人には重要な概念ではないのかもしれない。
毛並みの揃った色鮮やかな別珍や光沢のある絹で隠された棚の奥から、霧の中の湖に遠くから打ち寄せる漣のように静寂に囁く声がする。
あれは、石の声だ。
わたしは治癒師になる道を歩むと決めて現在治癒師を名乗り治癒魔法を究めようとしているので、地属性だからと言って鑑定士ほど輝石に詳しいわけではない。幼い頃から父や母に教えてもらった知識に、山里暮らしでの経験が裏付けとなっているだけだ。
地属性の精霊は地の精霊王さまの偉大なるお導きの流れに共にある者として、地脈に眠る鉱石の囁きを聞ける。水属性の精霊が水の精霊王さまのご慈愛のおかげで地の底に隠れる水脈を探し当てるのと理屈は同じだ。
地中にあり加工されていない原石は人の匂いがなく、地に棲む精霊が自分の魔力を増幅する道具として使っている。その時出る、軋みや反射する音は、石によって違う。音を聞き分け音を頼りに探り当て掘り出し、輝石と磨いて魔石にするのだ。
心を集中していくつも重なる石の声に耳を澄ます。精霊憑きの魔石も同じだ。持ち主の手を離れた精霊憑きの魔石には、存在を忘れ去られた精霊が自分の魔力を石に反射させ暇を潰している。たいていの精霊憑きの魔石は、精霊の魔力量や能力にも寄るけれど、地中の原石よりも音が澄んで美しく響く。
地の精霊の生活音ではなく地面の奥底から聞こえる音に興味が湧いて、地面に耳をつけて熱心に聞き取ろうとした幼い子供だったわたしに、父はあの音の意味を教えてくれ、「お母さんには聞こえないんだ。私達だけの秘密だ、」と不敵に笑ったのを思い出す。まだ人と精霊との違いが判らないでいた当時のわたしは、幼くとも半妖なうえ属性をふたつ持つので、人間の魔法使いでは鑑定士が使う『水琴窟』と呼ばれ上級とされる魔法も身近にあったのだ。魔法を使わないと聞こえない音なのに、それが特別な声なのだと意識すらしていなく、ただの煩い音だと思っていた。ざわめきは石の囁く声なのだと教えてくれた父は、お手本とばかりに聞き分けて輝石を掘り当てていた。
石を眺めるふりをして俯向いて『水琴窟』を唱えて、研磨され揃えられた石ばかりの中、かすかに聞こえる輝石の美しい声を探す。響き合う音はひとつやふたつじゃない。これだけ声がするのなら、ここにはかなり貴重な輝石と精霊が隠れている。
カン…と響く鉱石の音色にシン…、シン…、と軋む音が重なって、キン、キンと軽い音がこだまする。
音に色がついているのなら、重なる硬質の響きは玻璃の煌めきを描く。月明かりに仄暗く光る深い石の中に魔力によって時折乱反射して輝いて光る火花に精霊の影を見つける、そんな夜の微かな彩りが、明るい店内に重なるように見えてくる。
店内の人間が作り出した装飾に重なる気配を探して、耳に響く輝石の歌声を手掛かりに耳を澄ませ神経を集中させていると、ふいに視線を感じて顔を上げる。じっと老いた店員がわたしを見ていた。うっかり、引き寄せられるように目が合ってしまった。
「お嬢さまはこの国のお人じゃないですね、お土産をお探しですか、」
声をかけてきた老いた店員は、カウンターから出てくるなり、棚の上の絹に並んだ輝石ではなく小箱を手で差した。
話をすると魔法は消える。かと言って黙っていると不審に思われる。困ったな。まだ魔法を手放したくないのに。
「丁度いいお土産が揃っておりますよ、お国のお母さまへのお土産にいかがでしょうか、」
わたしは観光客らしく愛想良く振る舞うと決めて、精霊探しは中断する。消えていく魔法が、名残惜しい。
「探している石があるのです。」
「まずはこちらはいかがですか、」
小ぶりも小ぶりなささやかな色付きな石からは、見かけのまま子供だと思われて足元を見られている感がする。実際裕福ではないけど、大人扱いくらいはしてほしい。
返答に詰まっていると、次から次へと勧めてくるのは、小物の色付き水晶ばかりだ。並べられた小さな小箱に入っていたのは観光客用なのか小指の爪よりも小粒の水晶をあしらった指輪が輝いていて、紫水晶に紅水晶、黄水晶と言った水晶はどれも無垢な輝きだ。しかも、公国からの観光客を相手にしているからだと思うけど、やけに強気な値段だった。この程度の大きさなら山奥の村に住んでいた頃父が母にジャラジャラと意味もなくプレゼントとしてあげていた気がするんだよなあと懐かしくなってくる。
有無を言わせない彼のペースに、わたしはたじろいでしまった。気の弱い旅行者ならこの流れで買っちゃうんだろうな。わたしは買わないけど。
「手にとってゆっくりとご覧になってください、」と言われても、わたしが今欲しいのは水晶じゃないから買わないんだけどな、と思いつつ、「素晴らしい細工ですよ、」と言われてしまうと見なくてはいけない気がしてきて、並んだ小箱へと視線を向けざるを得ない。
石自体は小さくてもあしらっている銀細工が細やかな細工だから高価なのかなと首を傾げながら視線を外して店内を見渡すと、石でもなく人間でもなく、囁く声が聞こえてきた。
何の声?
『探査』を呟くと、カウンター内にいてわたしたちの様子を見ながら石を磨いている品の良い若い店主や強気な店員とは別に、壁にずらりと並んだ棚の一番端の影のドアに近い位置の暗がりに何かがいると感覚が教えてくれる。
黒い影に目を凝らせば、可愛らしい耳飾りを付けた黒い猫の妖精たちの姿を見つかった。猫が二本足で立っているようにしか見えない可愛くちいさなふたりは、わたしを陰から盗み見ながら甲高い声で話しをしていた。
少しふくよかなのとややほっそりした黒猫に似た妖精たちは、親子なのか姉妹なのか顔つきがよく似ていた。
ありがとうございました




