3、1周目との差
皇国側の検問所は入ってすぐに大きな姿見が壁に固定されていた。カレンダーと時計もある。久しぶりの文明の気配だ。
真正面に見た自分の姿が一瞬誰か判らなくて、二度見してしまった。想像していた以上に哀れを誘う小汚さで、正直言って、大切なイヤリングをしているから自分だと認められたけど自分ではない誰かの姿かと思ってしまった程で、自分でも自分とは思えなかった。顔は時々魔法で布巾を濡らして拭っていたのではっきりと顔立ちが判る分、山暮らしで痩せたのがよく目立っていた。せっかくの明るい灰色の火光獣のマントは薄汚れあちこちに枝葉が引っ掛かっていて、手探りで括っていた髪はボサボサで、服は色がくすみあちこちに解れや破れがあった。
そりゃ、魔法で身綺麗にする努力はしていた。岩から染み出した湧き水を魔法で噴霧して肌や服を曝してたり基本的な生活魔法で火を起こして乾かしたりもしたけど、客観的に自分の姿を見ていた訳じゃない。月日は既に5月まで進んでいるし、公都のわたしの家を出た時の姿を思い出すと、差があり過ぎて悲しくなってくる。
まじまじと鏡を見たわたしを観察していた兵士たちの視線に我に返り、気を取り直して姿勢を正して堂々と冒険者の証である鉅の指輪を見せると、国境を警備する兵士は打って変わって何の屈託もない笑顔になり「ようこそ神のさきわう国・皇国へ」と言ってくれた。単なる少女よりも冒険者の方がやっぱり動きが取りやすい。
予定していたのとはずいぶん違う入国になったけど、皇国側から王国へ行くのは可能だし、王国側の国境の街には花屋がいたのを考えると、こっちの検問所の国境の街クアンドでも『庭園管理員』や花屋はいそうだ。観光がてら街を見学して歩いて花屋を探そうかな。
クアンドの街は赤ちゃんの頃に来たと聞いているから初めての街ではないと言っても、赤ちゃんの頃の記憶なんて経験してないのと同じだ。初めての街、初めての国に心が躍る。
ドキドキしながら一本道を下って神のさきわう国・皇国へ入国した。クアンドの街の入り口にはシャークス公の領内に入るための検問所がある。いきなり何故か誤解されてしまって、わたしはまんまとこの検問所で尋問にあってしまった。
皇国側の国境の街を治めるシャークス公は公国ではシャークス候と呼ばれている。シャークス公爵が公爵になったのは一代前の先代公爵からで、まだ存命なのもあって侯爵でも間違いではないとされている。ちなみに現当主自体は元は候爵だった影響もあって公爵でも侯爵でもどちらでも構わないと公言している。検問では公国出身者がどっちを言うのかで対応が変わると言われていて、わたしは予備知識があったのもあってシャークス公ときちんと呼んだのにも関わらず、「家出少女が冒険者と名乗るのが怪しい」と難癖をつけられた。人間に見られたのは嬉しいけど、片言の皇国語を話す公国の家出少女扱いされるとか考えてもいなかった。
兵士たちは皇国語で話しかけたマハトが淡々と古代語で返したのに顔色ひとつ変えず、山の民だとすんなり理解して、呆気ないほど難なく入国を許可していた。髪や髭でまともに人相も判らないのに。マハトとの差がありすぎる。なんだろう、この差。
身振り手振りを交えて皇国語で「冒険者でもあり治癒師です」と説明したらしたで「腕前を見せてみろ、」と絡まれて、その検問所に詰める兵士全ての治療を約束して初めて入国を許可された。まんまと唆されてうまく治癒師の能力を彼らの福利厚生に利用された気がしなくはない。
ただ、わたしが家出少女に見えていたおかげで、冒険者だと説明した後も兵士たちは妙に親切だった。治療しながら情報を得られたのはツイていた。
皇国側の検問所にある大きな姿見は真実を映す鏡と呼ばれていて、特殊な魔法を込められた魔道具で、いくら念入りに魔法をかけていても元の姿かたちが映る鏡なのだそうだ。精霊は精霊としての姿を映され、魔法で変身している人間は変身する前の姿が映し出されると教えてくれた。
「あの鏡に人間の姿として映し出された者には、出入国の許可を出すんだ。お嬢ちゃんは家出した娘にしか思われなかったかもしれないが、人間だからこの国に入ってこれたんだよ、」と言われて、微妙にくすぐったい気分になる。「公国側の検問所にも同じような鏡があって、鏡に召喚獣が映っていたら公国は出国させずに留め置いているんだよ、」とも言われて、隣りで見守っているマハトへ視線を向ける。わたしはともかく、山の民は完全な人間なのだと証明された気がする。
治癒のおかげで体が楽になった兵士たちは気を良くして、公国の図書館には書かれていないかったような類の知識も教えてくれた。
特に、「皇国は精霊は人間より劣るとされていて、獣と並ぶ扱いで召喚獣扱いされている国なんだよ。半半妖だろうと半妖だろうと『半妖』と呼んで区別して、先祖に少しでも精霊が混じると純潔ではないとみなされるんだ。皇国の貴族には特殊な能力を手に入れるためにわざと公国人と結婚する者もいるけど稀なんだ。だからお嬢ちゃんも尋ねられても黙っておくんだよ、」なんて、普通の公国人でも怒りそうな、特に血の気の多い烈火が知ったら怒り狂いそうな失礼な話まで教えてくれた。
1周目の未来で、聖堂では半半妖という考え方はなく半妖か人間かの二択しかなかったのを思い出す。コルは自分を半妖だと言い、シューレさんも半妖だと言った。本当に半妖なのはわたしだけだと思っていたけれど、皇国の考え方なら少しでも混じっていれば半妖なので間違ってはいないと理解できた。
こんな半妖に関する皇国の常識は、いくら正しい情報を仕入れるのが必要だと言われていても翻訳者もそんな偏見なんて公国に仕入れたい知識だと思わなかったから翻訳しなかったのだろうな、と思えてきた。皇国と公国との間には国境の以上に大きな壁があるのだと感じて、わたしは実際に半妖だし公国人なので居心地が悪い。
「治癒師なら大丈夫だろう。だけど、くれぐれも気を付けていくんだよ。無料で治癒は使っちゃいけないよ。捕まって召喚獣扱いされて消耗させられてしまうからね。」
無料で治癒をさせたあなたたちがそれを言うのか。つい呆れた感情が面に出てしまっていたわたしの視線に気が付いた兵士が、「もちろんお嬢ちゃんが人間だってことはおじさんたちは把握済みだよ、」と片目をつむりながら言い訳がましく笑った。
まあ実際、半妖なんだけどね。
検問所を出る際に、腰を治してあげた兵士の一人が、枇杷をいくつかくれた。
「さ、これは報酬だ。騙されないよう気を付けていくんだよ。」
割り切れないモヤモヤを飲み込んで、硬く鮮やかな、太陽の色をした果実を受け取る。
マハトに半分あげると、何か言いたそうな顔になりわたしを見て、手の甲にキスをしてくれた。マハトにあげた枇杷の一番大きいのを、わたしが持っていた中の一番小さいの無理矢理交換すると、<最高な気分だ、>と感慨深そうに笑っていた。
<大袈裟じゃない? 普通だよ。>
首を傾げたわたしに、マハトは<普通じゃないさ、>とまた笑った。
綺麗に拭って齧ると、まだ熟れてなくて甘味よりも固くて、果肉を食べているのだという味がした。
※ ※ ※
検問所を出てすぐのなだらかな坂の下に広がるクアンドの街は開けた平野の始まりの土地で、街全体が南東側に向かって緩やかに傾斜しながら先の先の街までつながっていくように見えた。南西の向こうに見えているのは草原で、ぷつりと切れた先には海が見える。
体に感じる魔力は残り少ない。検問所で残っていた魔力をほとんど使ってしまったし、どこかで魔力を回復しないと、次に発作を起こしたらさすがにマズい気がする。
<マハトは、一緒に来てくれるの?>
もうわたし、ひとりでも大丈夫だよ?とばかりに、わたしは隣で街を眺める髭もじゃのマハトに話しかけてみた。山の民であるマハトは、街に入っても村に帰ろうとはせず、一緒にいてくれた。
<ビアを送るよ、>
<どこまで?>
<ビアのお母さんのいる家まで。>
<わざわざ? 公国だよ?>
<遠いのか?>
歩いていくならかなり遠い。公国に入ったら駅馬車を利用した方が楽だ。もっと楽をするなら、妖の道を見つけた方がいい。
<公都の、ワシルにいるよ。>
<一緒に行く。挨拶したいし、ビアのお母さんが見たい。>
やけに母にこだわるなあ。つい笑えてきた。
<お母さんだけでいいの?>
<ビアのお父さんにも会わせてくれるのか?>
<いいよ、あんまり綺麗でびっくりするよ、きっと。>
驚くマハトがおかしくてクスクス笑うわたしの顔を呆れたように見て、マハトは<大切なことなんだ、>と肩を竦めた。
見た目が女の子なら家まで送る文化の育ちなんだね、と感心しながら、わたしは<マハトは頼りになるから嬉しい、>と感謝の気持ちを伝えた。母は、公国でわたしが家に連れてきたはじめての友人が皇国の伝説の山の民だと知ったら、きっと質問攻めにしそうだ。話を元に想像を膨らませて、新しい創作に没頭してしまうだろう。
長い髪や髭で隠れたマハトの顔は表情があまり読みにくいけど、機嫌が良さそうな雰囲気になった気がする。気がするだけかもしれないけど。
崖の上から見たときはそう思わなかったのに実際街に足を踏み入れて見れば、一言で言ってみすぼらしい印象がした。国境の町は交易に携わる旅人が落としていく外貨で潤っているものだとばかり思っていた予想は外れていて、この街はそうでもないようにしか見えなかった。
<街全体が、目を開けたまま緩やかに滅んでいく、って印象じゃない?>
呟いてみて、マハトに尋ねてみる。
<マハトはよく来るの。>
<…、たまに。>
<いつもこんな感じなの?>
外見に統一感があって可愛らしい街だと思ったのは一瞬だけで、通りのあちこちで見かける放浪者の姿に動揺してしまった。クアンドは高級な時計であるライヴェンの販売で儲かっている街だと思っていたのに違っている。最近皇国に戦争があったとも疫病が流行ったとも聞いてはいない。街にこんなに影響するほど魔物がやってくるとしたら、あの検問所で教えてもらっていたはずだ。
<たまにしかこない。いつもこんなだ、>
<買い物? >
軽い気持ちの質問に急に黙ったマハトは、戸惑うわたしと目が合うと、<売りに来るんだ、>と目を逸らした。
<売るだけ? 何をか、聞いてもいい?>
ふっと笑って、マハトは答えを誤魔化した。山の民として山菜を売りにくるんでしょ、と言いそうになっていたわたしは、違うんだ、と驚いて黙る。
マハトはわたしを心配して皇国まで送って来てくれた優しい人物だったけれど結構な秘密だらけな人で、そもそもクアンドの街の人間ではない。
皇国の民にしてはやや肌が浅黒い程度に周囲の人々に馴染んでいて、顔立ちは髭でよく判らないけど、睫毛が長くて綺麗な瞳をしている。皇国民は焦げ茶髪か黒髪に淡い青色や濃い青色の瞳を特徴に持つ人々が暮らす国なので、よほど茶金髪に青い瞳をしているわたしの方が目立っている気がする。
町の南西のにある遠くの建物に目を向けると見える大きな建物の幾つかは、神殿か公共の建造物なのか区別がつかなかった。手元に街の正確な地図がないのが残念だ。
街道沿いには間口が狭く縦長の家がびっちりと立ち並び、どの家の外壁にも青色や紺色、白色と言ったタイルで装飾が施されていて必ず玄関の近くには黄色や橙色の小花が植えられた植木鉢が並べられていた。もちろん植木鉢にもタイルで装飾がされている。明るい春の日差しに照らされている道は白い石で舗装されていて一見すると美しい街並みだったのに、よく見れば補修はされておらず、欠けた石が埋められることなく欠けたままで、街道をゆく馬車も塗装が剥がれたままで塗り直される気配もない。まるで修復が無駄、とでも言っているみたいだ。
魔物の影響はそんなにあるのかと観察しながら歩いていると、声高に人を呼ぶ声が聞こえてきて、大きな広場で人を集める集団を見つけた。近寄ってみれば、魔法を使って強化したと思われるよく通るはっきりとした声で何かを呼びかけながら食料や生活用品を手配りしている。
配っている者の恰好は、濃紫色の制服を着ていて司教らしき人物もいる。どうやら聖堂の関係者な様子だった。彼らは口々に、教えを説きながら呼び掛けていた。
「聖なる教えに導かれた者たちの集う場所へいざ集え、いざ憩わん、」
1周目の未来で聖堂に所属していた経験があるので、今ならあの言葉は自分たちの名前を名乗っているのだと理解できる。実は、王国でも公国でも聖堂は『聖堂』と呼ばれているけれど、正式名称は聖堂ではなかったりする。
アウルム先生に教えてもらっていたのもあって、あれは『聖なる教えに導かれた者たちの集う御堂』教が正式な名称で、その御堂の名が『聖堂』という場所なので端的に聖堂と呼ばれていると知っている。
しかも、皇国にこの大陸での総本山があって、聖堂の教え自体は他の大陸からやってきた異国の概念なのだとも知っている。
聖堂の司教たちの声に導かれて頭を垂れて配給の列に並ぶ者たちは異様に痩せていて、浮浪者ではなさそうでも、あまり豊かな生活をしていないみたいに見える。その一方で、配給を指導する聖堂側の人間たちは艶々丸々と健康そのものな外見をしていた。富の配分がうまくいっていない印象が濃い。高慢な顔つきも毒々しく感じてきて、仕組みのどこかがおかしいとしか思えない。
王国での聖堂の人たちって、こんなだったかな。もっと清貧の姿勢を感じたんだけど、同じ教団なのに国によって基本的な理念が変わるんだろうか。皇国よりは王国の方がいろんな意味でおおざっぱで寛容だったと思えてくる。
なんとなく、同じ聖堂でも総本山のある皇国のこの街の聖堂には腐敗を感じてしまって、同じ所属するなら1周目の未来で馴染んだ王国の聖堂に行きたいと思ってしまった。
山の中にいて自分を取り巻く環境から距離を取れる時間を得たおかげで、今度聖堂に潜入するなら、自分は未分化の半妖であると絶対にバレたくないと考えてるようになっていた。
冒険者であり治癒師であるとだけ教えて、それ以上の検査を要求されるならすべて拒もうと決めていた。父や母とやわたしに関する情報を得ようとするなら、庭園管理員として別の方法での接触を探りながら、聖堂への潜入からは手を引くしかないとまで考えてもいた。
一度目の発作を起こしてしまったので、次にまた発作があるのだと1周目の経験から知っていても、この2周目の世界でも聖堂で魂と体の分離を留める薬を貰おうとは思っていない。シューレさんやコルを助けるためなら、薬を使わないという選択があると気がついてしまった。
5月になっていたカレンダーを見た瞬間から、わたしはもう既に1周目の未来とはずいぶん違う流れに来ているのだと認識していた。シューレさんと一緒に旅をしていないし、アウルム先生とも出会っていない現在のわたしは、皇国で山の民のマハトと一緒にいる。庭園管理員になったし、公国へ帰ろうとしているし、バンジャマン卿という師匠もできた。ラフィエータとも出会っていないし、今は姿が見えないけれどオルジュと契約を済ませている。
決定的に違うのは、わたしは、5月の時点で皇国にいる、という事実だ。公国民として半妖である秘密を隠しているし、聖堂にも所属していない。
しかも、この世界のわたしは、バンジャマン卿という愛を語る吟遊詩人でもある師匠と出会ったばかりに、シューレさんやコルを守るためなら死んでも構わないと思っていた決意が揺らぎ始めている。
長く生きようとは思わないけれど、早く死のうとも思っていない。どんなわたしであれ生きていないと、迎賓館で起こる惨事以降の時の流れを、コルやシューレさんの未来を知れないのだと気が付いてしまった。無事だと判るまで、未来を守ったとは言えないのだ。
<ビア、どうかした?>
尋ねるマハトの声に、考え込んでいた言い訳を考えて、わたしは両手を出して指を折る演技をして見せる。
マハトには、1周目の未来を伝えていない。話したって、これだけ変わってしまった現在との差に、自分でも夢物語に思えてくるから話す気にもならなかった。意識して流れを変えているのだと口に出すと、かえって運命の流れが1周目に近付いていきそうだ。
<この国に来れただけで十分満足したし、公国のお母さんの家が懐かしいから、女神さまの神殿を見つけたら魔力を回復して、さっさと検問所へ戻ろうって考えてた。>
広場をぐるりと見まわして持ち前の観察力と特異な頭脳を駆使してしばらく何かを観察していたマハトは、ニヤニヤと笑いながらわたしの指を一本ずつ開いていく。
<これは何がしたい指?>
<そうね、>
気持ちを切り替えてみる。
したいこと…。山にいてはできなかった希望がいくつもいくつも呼び起こされてしまった。
わたし、人里が恋しいのを我慢していたんだ。過酷な山での生活から解放されたいって思ってるんだ。自覚すると泣けてくる。イリオスめ、いつか絶対謝らせてやる。
<そうね、まずは、宿屋に泊まりたい。美味しい果物が食べたいし、お風呂もゆっくり浸かりたいでしょ、着替えて、洗濯もしたい。公国語が話したい。>
倒れてからは朝に夕に欠かさずにアリエル様に思念波を毎日送り続けていたから、届いているならわたしへの指令を持った者が現れてもいいはずだ。国境の街なら王国の国境の街リゼブと同じように庭園管理員と連絡を取れる花屋がこの街のどこかにいる。花売りか、花屋か、業態は違っても公国の花を手にしていそうだ。花屋を探して公国の現状を聞いてみたい。
<マハトは、この街の宿屋ってどこか判る?>
わたしの指を愛おしそうに撫でて小さく微笑むマハトは、顔を上げ、どこか一点をじっと見つめた。
<それよりも、>
何かを見つけて、すっと指を差した。
ありがとうございました




